エピローグ(エヴィル)

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エピローグ(エヴィル) - (2008/06/16 (月) 22:12:16) の編集履歴(バックアップ)


ヘサムの処刑を聞いたグリトラスは慟哭したという。死んだオットーの代わりに、彼に後を託そうと思っていたからだ。
やがてジムリアが31歳にしてブレーノフ帝国初代皇帝、アルブレヒト1世として即位する。
エヴィルはやがて始まるであろう迫害を恐れ、故地である北方に移動していった。
強大な権力を手に入れたジムリアは、ローフェン宰相の位を剥奪し、地方に左遷する。敵がいなくなった今、彼のように主君を売るような人間は不要である。
ローフェンはその翌月、失意のうちに自殺した。その月にジムリアはトゥブルクを左遷。彼が校長を務める軍学校の生徒たちは撤回を懇願したが、聞き入れられなかった。
5月、グリトラスの計画が露見し、グリトラスは粛清された。旧メーメッツ国家臣に衝撃が走った。
それから数ヶ月の間に、アットドルやニコラウスが相次いで反乱を起こし、ゲリクもそれに身を投じたが、いずれも鎮圧された。
勇敢にして誇り高き軍人ゲリクは、その死に場所を戦場に求めたのだった。
武将たちはそれぞれの生き様を貫き、あるいは死し、あるいは歴史の波にうずもれていった。

ここで、ヘサムの生まれたケスマルクの地のその後をたどってみることにしよう。
5世紀にジムリア王朝が崩壊すると、この地にケスマルク王国が成立する。
かつてエヴィル交易で繁栄したこの古い都は、再び一国の首都となり、昔日の面影を取り戻した。
やがて8世紀初頭、大陸は革命の嵐の真っ只中だった。各国で王制が打倒、乃至は弱体化され、共和政や立憲君主制が確立されていった。
ケスマルク王国とてその例外ではなかった。民衆の反乱により王は国外に追放され、736年、ついにケスマルク共和国政府が樹立された。
初代大統領、ルードウィヒ・クラムは自由と平等を唱え、エヴィルに大陸人と同等の権利を認めた。

革命から今年で300年、三度の世界大戦を経て荒廃したこの街も、今や着実に復興しつつある。
ケスマルクの国会議事堂前を訪れると、我々を長槍を携えて騎乗した兵士のブロンズ像が迎えることだろう。
我々は「名も無きエヴィル騎兵の像」と呼ばれるこの像を見て、ヘサムたちの勇姿に思いを馳せる。
そして思い出す。未だ達成されない真の平和に命をかけた熱き男たち、エヴィルの男たちのことを…。

(完)

ご意見・ご感想など

  • 2年動かして情勢が落ち着いてきたんでエピローグにしました。もし他にプレイレポートを書いてほしいシナリオとかがあればどうぞ。 -- 作者 (2008-06-16 10:38:57)
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