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『ひょひょいの憑依っ!』Act.9 - (2007/03/29 (木) 00:56:51) の最新版との変更点

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<p><br>   『ひょひょいの憑依っ!』Act.9<br> <br> <br> 「死んだ人間は、人を好きになっちゃいけないの?<br>  幸せを夢見ることすら、許されないの?」<br> <br> 金糸雀は、濡れた睫毛を鬱陶しそうに、指先で拭いました。<br> けれど、枯れることを知らない涙泉は、苦い雫を際限なく溢れさせます。<br> <br> ――ジュン、お願い。言って。そんなコトないって。<br> <br> 問いかけた唇をキュッと引き結んだまま、瞳で縋りつく彼女。<br> どこまでも白く、透けるような白皙の頬を、なお蒼ざめさせながら……<br> ただただ、ジュンが答えるのを、待つばかり。<br> <br> <br> 待ちかまえているのは、めぐも、そして水銀燈も、同じでした。<br> ジュンが、なんと答えるのか。金糸雀の想いに、どう応えるのか。<br> 結果如何では……金糸雀の出方によっては、攻撃も辞さない。<br> そんな覚悟を胸に秘めたまま、固唾を呑んで、向かい合う二人を見守っていたのです。<br> <br> <br> 「聞いてくれ……金糸雀」<br> <br> ジュンの乾いた唇から、かさかさに掠れた声が、絞り出されます。<br> 金糸雀はビクリと肩を震わせて、折り畳んだパラソルを握り締めました。<br> そのまま、へし折ってしまうのではないかと思えるほど、強く、強く……。<br> <br> しかし、あまりにも重い空気が、彼から言葉を奪ってしまったのでしょうか。<br> ジュンは、それ以降、二の句を継ごうとしません。<br> <br> <br> 無言。それも、ひとつの返答。<br> 多くの場面において、沈黙は肯定の返事と見なされます。<br> <br> 金糸雀とて、おっちょこちょいなだけで、本当はとても利発な女の子。<br> ジュンに訊ねる前から、既に、およその察しが付いていたのかも知れません。<br> 彼の眼が、どこを見つめていて、彼の気持ちが、誰に傾いているのか……を。<br> <br> でも、ジュンの舌がその言葉を紡ぐまで、金糸雀は頑なに口を噤んでいました。<br> 意地になっていたフシも、多分にあるでしょう。<br> 自分だけ、辛く悲しい想いをさせられるなんて不公平は、我慢できない。<br> 辛いコトを、敢えて言わせることで、ジュンにも苦痛を与えたかったのです。<br> <br> <br> 「正直――」<br> <br> 長く長く尾を引く、重い溜息を吐いた後に、ジュンの声が続きました。<br> <br> 「僕みたいなモテない奴と一緒に居たいっていう、金糸雀の気持ちは嬉しいよ。<br>  お前と出逢ってから、ずっと振り回されっぱなしだったけどさ……<br>  なんて言うか、時間の経つのが早くて――――少しだけ……楽しかった」<br> <br> そう語るジュンの表情は、苦痛に歪むどころか、とても清々しげでした。<br> メガネの奥から、金糸雀に注がれる優しい眼差しも。<br> 微塵のぎこちなさも無く、口元に浮かべられた微笑すらも。<br> <br> すべてが、嘘偽りないことの表れ。金糸雀には、そう感じられたのです。<br> <br> 「知らない街で独り暮らしを始めるのは、すごく不安だった。心細かった。<br>  けど――お前の賑やかさが、そんな胸の蟠りを忘れさせてくれたんだ」<br> <br> だから、と。<br> ジュンは数秒の間を置いて、金糸雀の瞳を真っ直ぐに見つめたまま……<br> 静かな口振りで、しかし、ハッキリと伝えました。<br> <br> 「出来ることならば、僕も、お前と一緒に居たい。ホントに、そう思ってる」<br> <br> <br> 暗澹たる状況の中で、微光を見出したように、金糸雀の頬から緊張が抜けていきます。<br> 何のことはない。元の鞘に納まるだけ。<br> でも、それこそが彼女の望みでした。<br> <br> ジュンと暮らせるのならば、どんな条件を呑んでもいい。<br> 真紅に手を出すなと言うのなら、二度と危害を加えないと誓ったっていい。<br> 生身の身体を得ることには、ちょっと未練が残りますが……でも、構わない。<br> <br> 拒絶されることに比べれば。<br> 僕の前から消えろと宣告されることに比べれば。<br> その他のことなど、苦痛ですらありませんから。<br> <br> 「カナも……カナだって……色々と不便なこともあったけど、嬉しかったかしら。<br>  あの部屋で、ずぅっと独りぼっちで…………とっても寂しかったから」<br> <br> 不慮の事故による、突然の他界。<br> カラスにたまご焼きを盗まれるように、突如として、奪い取られてしまった未来。<br> 未練が残らないハズがなく、気付けば、あの部屋に縛り付けられていたのです。<br> <br> 「五年もの間、いろんな人が、あの部屋を借りたけれど……<br>  みんな、三日と経たずに出ていったかしら。<br>  しまいには、おフダまで貼られて、部屋の中を歩く自由すら奪われてしまったわ」<br> <br> 金糸雀の頬を、また、大粒の雫が流れ落ちてゆきます。<br> <br> 「ジュンだけかしら…………カナを怖がらず、側に居てくれたのは。<br>  貴女に出会えてから、毎日が楽しくて、楽しくて、楽しくて……<br>  本当に――――カナは、幸せだった」<br> <br> 口の端に滲む涙が、舌の上に広がってきます。<br> けれど、それは先程までの苦い味ではなく……しょっぱいけれど、甘い蜜でした。<br> <br> 「この幸せを、続けたかった。楽しくて大切な日々を、護りたかった。<br>  カナの願いは、ただ、それだけかしら」<br> <br> そして、ジュンは言ってくれたのです。金糸雀が、最も欲していた言葉を。<br> 出来ることなら、お前と一緒に居たい――と。<br> <br> 「カナは今までどおり、あの部屋に居ても良いかしら?<br>  ジュンと一緒に……これからもずっと、暮らしても良いのね?」<br> <br> <br> ――それならば、しっかりと触れ合いたい。<br> 濡れた瞳に喜色を浮かべる金糸雀が、一歩、ジュンの足元へと近付きます。<br> ジュンはしかし、人形の手がジーンズの生地を握るより早く、一歩、後ずさりました。<br> <br> 「ごめん――」<br> <br> そして、今までの穏やかなムードをブチ壊す言葉を、息苦しそうに吐いたのです。<br> <br> 「それは……出来ないよ、もう」<br> <br> <br> 陳腐な表現を用いれば、天国から地獄。歓喜から絶望。蒼穹から深淵。<br> 未だ嘗て経験したこともない墜落感に、金糸雀のココロは打ちひしがれました。<br> なんと惨たらしい仕打ち。さんざん期待させておきながら、忌諱するなんて!<br> 騙されたという想念が、金糸雀の胸を掻きむしり、怒りの炎を煽ります。<br> <br> 「納得できないかしら! カナと一緒に居たいって、言ってくれたじゃない!」<br> 「……自分でも、ひどいコト言ってると思うよ。だけど、こんな関係――何か違う。<br>  僕らは偶然、孤独に苛まれてたときに出逢い、似た者同士で寂しさを誤魔化してただけ。<br>  傷を舐め合ってただけじゃないのか? きっと、今のままじゃいけないんだ」<br> 「違うわっ! カナの想いは、その場しのぎの虚飾なんかじゃないかしら!」<br> <br> ジュンの言い種に、金糸雀が血を吐くような叫びをあげたのと、ほぼ同時。<br> <br> <br> 「あ~ぁ……ぴぃぴぃウルサイ地縛霊ねぇ」<br> <br> 人形の背中に投げ付けられる、水銀燈の嗤笑。<br> 冷たい光を湛えた瞳が、振り返った金糸雀……次いで、ジュンをひたと射抜きます。<br> <br> 「幽霊のクセに、色気出してるんじゃないわよ、おバカさん。<br>  そっちの冴えないボウヤも、まだるっこしいのよねぇ。<br>  ハッキリ言ってやればぁ? いい加減、邪魔なんだ……って」<br> 「ふざけるなっ! 僕はボウヤじゃないし、そんな風に思ってもない!」<br> 「なによ! 貴女だって亡霊でしょ! 何様のつもりかしら、忌々しい。<br>  自分のことは棚に上げて、脇から偉そうな口を挟まないで欲しいかしらっ」<br> <br> ジュンと金糸雀が、一斉に憤りの矛先を、水銀燈に向けます。<br> しかし、当の水銀燈は、全く意に介していないご様子。<br> 鼻でせせら笑い、からかうように、背中の黒翼をピヨピヨと動かしました。<br> <br> 「ふ……呆れた。とんだ身の程知らずの、おバカさんだわ。<br>  その辺をブラブラ彷徨ってるノラ亡者なんかと、一緒にしないでもらいたいわねぇ」<br> <br> 言うが早いか、水銀燈は宙に舞っていた黒羽根を人差し指と中指で挟み、<br> まるでトランプのカードを配るかのように、ひょいと飛ばしました。<br> ……が、優雅な仕種に相反して、羽根は弾丸の如く空を斬り、<br> 人形の髪飾りを、過たず弾き飛ばしたのです。<br> 金糸雀も、そしてジュンも、驚きのあまり双眸を見開き、棒立ちするだけ。<br> そんな彼らを眺めて、くすくす……。水銀燈は、眼を細めます。<br> <br> 「私は特別すごいのよ。なんなら、その仮初めの身体に、刻み込んであげましょうか。<br>  格の違い……ってヤツを、ねぇ?」<br> <br> ねっとりと、絡みつく口振り。ざわざわと、ジュンの肌が粟立ちます。<br> まるで、一言一句に言霊が宿っているみたいに、得体の知れない威圧感を覚えました。<br> 水銀燈の声を聞けば聞くほど、身体が萎んでいくような錯覚すら、感じていたのです。<br> <br> 「なんだ、この悪寒。禍魂って――なんなんだよ、一体」<br> 「それはね、いわゆる『神霊』なのよ。桜田くん」<br> <br> 独り言のハズが、背後から語りかけられ、ジュンは首を竦めました。<br> 振り返れば、めぐが壁に肩を預けて、コトの成り行きを見守っています。<br> <br> 「さっきは庇ってくれて、ありがとね」<br> 「礼なんていいよ。それより、柿崎さん。神霊って、どういうコトなんだ?」<br> 「禍魂は、元々が信仰の対象。八百万おわします土着の神様の、一人ってワケ。<br>  だけど、人々に忘れ去られた神様は、守護の立場から一転、祟りを為すようになるわ。<br>  水銀燈はね、私が入院してた病院の近くの、朽ち果てた神社の氏神だったの」<br> 「禍魂が……元は、神だって?」<br> <br> 原始的な宗教において崇められていた神が、何らかの理由で信仰を失い、<br> 妖怪変化と同列に扱われるという話は、国内は勿論、世界中、枚挙に暇がありません。<br> そう考えると、水銀燈が異常なまでに酒気を求めるのも、説明がつきます。<br> 『御神酒』と言うように、古来より酒は、神への捧げものなのですから。<br> <br> 水銀燈は、不敵な笑みを崩すことなく、金糸雀を睨み付けました。<br> <br> 「聞いたでしょ? まあ、そういうコトなの。おとなしく成仏するなら、よし。<br>  あくまで我を通すと言うのであれば、ちょぉっとばかり、痛い目を見てもらうわ」<br> 「ふん…………笑わせてくれるかしら」<br> <br> 引き下がれと言われて、素直に従えるならば、真紅の身体を奪おうなんて企みません。<br> どうしても、この幸せを護りたかったから。<br> なんとしても、ジュンと添い遂げたかったから。<br> <br> 「元が神様だか知らないけれど、所詮、零落した悪霊風情じゃない。<br>  カナが、その化けの皮を剥いでやるかしら!」<br> <br> 金糸雀は、いま一度、パラソルに青白い炎を纏わせました。<br> 幸せは、闘って勝ち取るもの。敗者には、愛の詩を謳歌する資格など無い。<br> ましてや、誰かと幸せな家庭を築くことなど、身の程知らずな白昼夢。<br> <br> 「……強気……。貴女みたいな、一途で向こう見ずな子って、好きよぉ」<br> <br> 闘志を剥きだしにする金糸雀に、すぅっと瞼を細める水銀燈。<br> けれど、それも束の間のこと。<br> <br> 「でも、この私にケンカを売るなんて……おバカさんもいいところねぇ。<br>  そっちがその気なら、ズタズタのジャンクにしてやるわ」<br> <br> やおら膨れ上がった霊圧が、場の空気を一変させます。<br> 気の弱い者ならば、この急激な変圧だけで、気を失ってしまうでしょう。<br> ジュンや、めぐにしても、耳鳴りや眩暈といった症状を覚えていました。<br> <br> 「ほぉら! さっさとイッちゃいなさい」<br> <br> 水銀燈の黒羽根が、吹雪の如く金糸雀めがけて降り注ぎます。<br> 金糸雀も先程と同じく、パラソルを広げて防御しました。<br> ――が。<br> <br> 「なっ?! くぅっ……止め、きれない……かしら」<br> <br> ピチカートを憑依させているにも拘わらず、黒羽根は易々とパラソルを穿ってきます。<br> 忽ち、人形の煌びやかなドレスが、ボロ布へと変わってゆきました。<br> <br> (威力が格段に上がってるかしら。さっきは、手加減してたって言うの?)<br> <br> 圧倒的な霊力の前に、なす術なく玩ばれる屈辱。<br> でも、諦めるワケにはいきません。負ければ、全てを失ってしまうのです。<br> ジュンと歩む未来も。小さな胸に宿した、はち切れんばかりの想いすらも。<br> <br> (そんなの、イヤ! このまま、ジュンと引き離されたくないっ!)<br> <br> ならば、勝つしかありません。たとえ相手が、神という絶対的な存在でも。<br> ガムシャラに戦い抜いて……『今』という時を『明日』へと繋がねばならないのです。<br> <br> ――とは言え、こうも猛射に曝されては、反撃など出来ようハズもなく。<br> <br> 「こうなったら……エレガントじゃないけど、形振り構ってられないかしら」<br> <br> 金糸雀は、ほんの僅かな射撃の隙を衝いて、真紅の脇まで素早く飛び退きました。<br> 本当は、めぐを始末したかったのですが、彼女はジュンが庇っています。<br> そこで不本意ながら、真紅を盾にとり、水銀燈を牽制しようと試みたのです。<br> 結果は、金糸雀の目論見どおり。水銀燈は忌々しげに舌打ちして、射撃を控えました。<br> <br> 「今度はカナのターンよ! いてこますかしら、ピチカート!」<br> <br> 号令一下、火の玉が勢いを強め、青い炎が猛然と水銀燈に襲いかかります。<br> しかし、金糸雀はまだ、水銀燈のポテンシャルを過小評価していました。<br> 彼女はピチカートの火焔に肌を炙られようとも、眉ひとつ動かさなかったのです。<br> ちろりと舌なめずりするや否や、水銀燈は――<br> <br> 「なぁに? こんな子供だまし……小賢しいカンジぃ」<br> <br> 言って、右ストレートを火の玉に叩き込みました。<br> 殴られた火の玉は、さながらヨーヨーのように、金糸雀の元へすっ飛んできます。<br> このままでは、盾にした真紅が『燃えろイイ女』になるのは必定。<br> しかし、金糸雀は驚きのあまり、<br> <br> 「うひゃぁっ!」<br> <br> 反射的に、両手でアタマを抱えて、蹲ってしまいました。<br> その行動は、水銀燈にとっても想定外でした。<br> あれだけの啖呵を切った以上、この程度で抵抗を止めるとは思っていなかったのです。<br> <br> 「ったく……本気でバカじゃなぁい。弱っちょろいクセに、虚勢はるんじゃないわよ」<br> <br> 殴り飛ばした火の玉を掴むべく、水銀燈は悪態を吐いて、ダッシュします。<br> ――が、彼女より少しだけ早く駆け出していた者が、既に割り込んでいました。<br> <br> 「真紅――っ!!」<br> <br> ジュンでした。<br> 彼は幼なじみの娘を守りたい一心で、燃え盛る火球の前に、その身を曝したのです。<br> 間に合わない。水銀燈も、めぐも、カナ縛りに遭っている真紅も……ジュン本人ですら、<br> 彼の小柄な身体が、炎に包まれる光景を脳裏に描いていました。<br> ジリッ! 前髪の焼ける音と、異臭。<br> <br> 刹那――「そんなのダメぇっ!」室内に谺する、短い絶叫。<br> ジュンは目にしていました。自分の脇を高速で擦り抜ける、小さなシルエットを。<br> 今のは、まさか! そう思った直後、彼の眼の前でバチッ! と音が弾けました。<br> <br> 「あああぁっ!」<br> <br> 金糸雀の悲鳴と、何かが当たる鈍い衝撃が、ジュンの胸を内外から叩きます。<br> 炎の残像が滲む目を凝らして、状況を確かめようとした彼が見たのは――<br> 四肢が砕け散って、力無く床に転がる、無惨な人形の姿でした。<br> <br> 「……よ……かった。間に合った……かしら」<br> 「か…………金糸雀っ! お前! こんな時まで、なに自爆霊やってんだよっ!」<br> 「……ホント……カナは、ダメな子かしら。いっつも……自滅してばっかり」<br> <br> ジュンの呼び声に、金糸雀は弱々しく睫毛を震わせます。<br> そして、閉ざされていた瞼を、うっすらと開き……悔しそうに泣き笑いました。<br> 最早、戦うことなど出来ないコトは、誰の目にも明らか。<br> にも拘わらず、水銀燈は、いつの間にか手にしていた太刀の切っ先を、<br> ぐったりと横たわった金糸雀に突きつけたのです。<br> <br> <br> 「ここまでよ、おバカさん。せめてもの情けに、ひと突きでイカセてあげるわ」<br> </p>
<p><br />   『ひょひょいの憑依っ!』Act.9<br /> <br /> <br /> 「死んだ人間は、人を好きになっちゃいけないの?<br />  幸せを夢見ることすら、許されないの?」<br /> <br /> 金糸雀は、濡れた睫毛を鬱陶しそうに、指先で拭いました。<br /> けれど、枯れることを知らない涙泉は、苦い雫を際限なく溢れさせます。<br /> <br /> ――ジュン、お願い。言って。そんなコトないって。<br /> <br /> 問いかけた唇をキュッと引き結んだまま、瞳で縋りつく彼女。<br /> どこまでも白く、透けるような白皙の頬を、なお蒼ざめさせながら……<br /> ただただ、ジュンが答えるのを、待つばかり。<br /> <br /> <br /> 待ちかまえているのは、めぐも、そして水銀燈も、同じでした。<br /> ジュンが、なんと答えるのか。金糸雀の想いに、どう応えるのか。<br /> 結果如何では……金糸雀の出方によっては、攻撃も辞さない。<br /> そんな覚悟を胸に秘めたまま、固唾を呑んで、向かい合う二人を見守っていたのです。<br /> <br /> <br /> 「聞いてくれ……金糸雀」<br /> <br /> ジュンの乾いた唇から、かさかさに掠れた声が、絞り出されます。<br /> 金糸雀はビクリと肩を震わせて、折り畳んだパラソルを握り締めました。<br /> そのまま、へし折ってしまうのではないかと思えるほど、強く、強く……。<br /> <br /> しかし、あまりにも重い空気が、彼から言葉を奪ってしまったのでしょうか。<br /> ジュンは、それ以降、二の句を継ごうとしません。<br /> <br /> <br /> 無言。それも、ひとつの返答。<br /> 多くの場面において、沈黙は肯定の返事と見なされます。<br /> <br /> 金糸雀とて、おっちょこちょいなだけで、本当はとても利発な女の子。<br /> ジュンに訊ねる前から、既に、およその察しが付いていたのかも知れません。<br /> 彼の眼が、どこを見つめていて、彼の気持ちが、誰に傾いているのか……を。<br /> <br /> でも、ジュンの舌がその言葉を紡ぐまで、金糸雀は頑なに口を噤んでいました。<br /> 意地になっていたフシも、多分にあるでしょう。<br /> 自分だけ、辛く悲しい想いをさせられるなんて不公平は、我慢できない。<br /> 辛いコトを、敢えて言わせることで、ジュンにも苦痛を与えたかったのです。<br /> <br /> <br /> 「正直――」<br /> <br /> 長く長く尾を引く、重い溜息を吐いた後に、ジュンの声が続きました。<br /> <br /> 「僕みたいなモテない奴と一緒に居たいっていう、金糸雀の気持ちは嬉しいよ。<br />  お前と出逢ってから、ずっと振り回されっぱなしだったけどさ……<br />  なんて言うか、時間の経つのが早くて――――少しだけ……楽しかった」<br /> <br /> そう語るジュンの表情は、苦痛に歪むどころか、とても清々しげでした。<br /> メガネの奥から、金糸雀に注がれる優しい眼差しも。<br /> 微塵のぎこちなさも無く、口元に浮かべられた微笑すらも。<br /> <br /> すべてが、嘘偽りないことの表れ。金糸雀には、そう感じられたのです。<br /> <br /> 「知らない街で独り暮らしを始めるのは、すごく不安だった。心細かった。<br />  けど――お前の賑やかさが、そんな胸の蟠りを忘れさせてくれたんだ」<br /> <br /> だから、と。<br /> ジュンは数秒の間を置いて、金糸雀の瞳を真っ直ぐに見つめたまま……<br /> 静かな口振りで、しかし、ハッキリと伝えました。<br /> <br /> 「出来ることならば、僕も、お前と一緒に居たい。ホントに、そう思ってる」<br /> <br /> <br /> 暗澹たる状況の中で、微光を見出したように、金糸雀の頬から緊張が抜けていきます。<br /> 何のことはない。元の鞘に納まるだけ。<br /> でも、それこそが彼女の望みでした。<br /> <br /> ジュンと暮らせるのならば、どんな条件を呑んでもいい。<br /> 真紅に手を出すなと言うのなら、二度と危害を加えないと誓ったっていい。<br /> 生身の身体を得ることには、ちょっと未練が残りますが……でも、構わない。<br /> <br /> 拒絶されることに比べれば。<br /> 僕の前から消えろと宣告されることに比べれば。<br /> その他のことなど、苦痛ですらありませんから。<br /> <br /> 「カナも……カナだって……色々と不便なこともあったけど、嬉しかったかしら。<br />  あの部屋で、ずぅっと独りぼっちで…………とっても寂しかったから」<br /> <br /> 不慮の事故による、突然の他界。<br /> カラスにたまご焼きを盗まれるように、突如として、奪い取られてしまった未来。<br /> 未練が残らないハズがなく、気付けば、あの部屋に縛り付けられていたのです。<br /> <br /> 「五年もの間、いろんな人が、あの部屋を借りたけれど……<br />  みんな、三日と経たずに出ていったかしら。<br />  しまいには、おフダまで貼られて、部屋の中を歩く自由すら奪われてしまったわ」<br /> <br /> 金糸雀の頬を、また、大粒の雫が流れ落ちてゆきます。<br /> <br /> 「ジュンだけかしら…………カナを怖がらず、側に居てくれたのは。<br />  貴女に出会えてから、毎日が楽しくて、楽しくて、楽しくて……<br />  本当に――――カナは、幸せだった」<br /> <br /> 口の端に滲む涙が、舌の上に広がってきます。<br /> けれど、それは先程までの苦い味ではなく……しょっぱいけれど、甘い蜜でした。<br /> <br /> 「この幸せを、続けたかった。楽しくて大切な日々を、護りたかった。<br />  カナの願いは、ただ、それだけかしら」<br /> <br /> そして、ジュンは言ってくれたのです。金糸雀が、最も欲していた言葉を。<br /> 出来ることなら、お前と一緒に居たい――と。<br /> <br /> 「カナは今までどおり、あの部屋に居ても良いかしら?<br />  ジュンと一緒に……これからもずっと、暮らしても良いのね?」<br /> <br /> <br /> ――それならば、しっかりと触れ合いたい。<br /> 濡れた瞳に喜色を浮かべる金糸雀が、一歩、ジュンの足元へと近付きます。<br /> ジュンはしかし、人形の手がジーンズの生地を握るより早く、一歩、後ずさりました。<br /> <br /> 「ごめん――」<br /> <br /> そして、今までの穏やかなムードをブチ壊す言葉を、息苦しそうに吐いたのです。<br /> <br /> 「それは……出来ないよ、もう」<br /> <br /> <br /> 陳腐な表現を用いれば、天国から地獄。歓喜から絶望。蒼穹から深淵。<br /> 未だ嘗て経験したこともない墜落感に、金糸雀のココロは打ちひしがれました。<br /> なんと惨たらしい仕打ち。さんざん期待させておきながら、忌諱するなんて!<br /> 騙されたという想念が、金糸雀の胸を掻きむしり、怒りの炎を煽ります。<br /> <br /> 「納得できないかしら! カナと一緒に居たいって、言ってくれたじゃない!」<br /> 「……自分でも、ひどいコト言ってると思うよ。だけど、こんな関係――何か違う。<br />  僕らは偶然、孤独に苛まれてたときに出逢い、似た者同士で寂しさを誤魔化してただけ。<br />  傷を舐め合ってただけじゃないのか? きっと、今のままじゃいけないんだ」<br /> 「違うわっ! カナの想いは、その場しのぎの虚飾なんかじゃないかしら!」<br /> <br /> ジュンの言い種に、金糸雀が血を吐くような叫びをあげたのと、ほぼ同時。<br /> <br /> <br /> 「あ~ぁ……ぴぃぴぃウルサイ地縛霊ねぇ」<br /> <br /> 人形の背中に投げ付けられる、水銀燈の嗤笑。<br /> 冷たい光を湛えた瞳が、振り返った金糸雀……次いで、ジュンをひたと射抜きます。<br /> <br /> 「幽霊のクセに、色気出してるんじゃないわよ、おバカさん。<br />  そっちの冴えないボウヤも、まだるっこしいのよねぇ。<br />  ハッキリ言ってやればぁ? いい加減、邪魔なんだ……って」<br /> 「ふざけるなっ! 僕はボウヤじゃないし、そんな風に思ってもない!」<br /> 「なによ! 貴女だって亡霊でしょ! 何様のつもりかしら、忌々しい。<br />  自分のことは棚に上げて、脇から偉そうな口を挟まないで欲しいかしらっ」<br /> <br /> ジュンと金糸雀が、一斉に憤りの矛先を、水銀燈に向けます。<br /> しかし、当の水銀燈は、全く意に介していないご様子。<br /> 鼻でせせら笑い、からかうように、背中の黒翼をピヨピヨと動かしました。<br /> <br /> 「ふ……呆れた。とんだ身の程知らずの、おバカさんだわ。<br />  その辺をブラブラ彷徨ってるノラ亡者なんかと、一緒にしないでもらいたいわねぇ」<br /> <br /> 言うが早いか、水銀燈は宙に舞っていた黒羽根を人差し指と中指で挟み、<br /> まるでトランプのカードを配るかのように、ひょいと飛ばしました。<br /> ……が、優雅な仕種に相反して、羽根は弾丸の如く空を斬り、<br /> 人形の髪飾りを、過たず弾き飛ばしたのです。<br /> 金糸雀も、そしてジュンも、驚きのあまり双眸を見開き、棒立ちするだけ。<br /> そんな彼らを眺めて、くすくす……。水銀燈は、眼を細めます。<br /> <br /> 「私は特別すごいのよ。なんなら、その仮初めの身体に、刻み込んであげましょうか。<br />  格の違い……ってヤツを、ねぇ?」<br /> <br /> ねっとりと、絡みつく口振り。ざわざわと、ジュンの肌が粟立ちます。<br /> まるで、一言一句に言霊が宿っているみたいに、得体の知れない威圧感を覚えました。<br /> 水銀燈の声を聞けば聞くほど、身体が萎んでいくような錯覚すら、感じていたのです。<br /> <br /> 「なんだ、この悪寒。禍魂って――なんなんだよ、一体」<br /> 「それはね、いわゆる『神霊』なのよ。桜田くん」<br /> <br /> 独り言のハズが、背後から語りかけられ、ジュンは首を竦めました。<br /> 振り返れば、めぐが壁に肩を預けて、コトの成り行きを見守っています。<br /> <br /> 「さっきは庇ってくれて、ありがとね」<br /> 「礼なんていいよ。それより、柿崎さん。神霊って、どういうコトなんだ?」<br /> 「禍魂は、元々が信仰の対象。八百万おわします土着の神様の、一人ってワケ。<br />  だけど、人々に忘れ去られた神様は、守護の立場から一転、祟りを為すようになるわ。<br />  水銀燈はね、私が入院してた病院の近くの、朽ち果てた神社の氏神だったの」<br /> 「禍魂が……元は、神だって?」<br /> <br /> 原始的な宗教において崇められていた神が、何らかの理由で信仰を失い、<br /> 妖怪変化と同列に扱われるという話は、国内は勿論、世界中、枚挙に暇がありません。<br /> そう考えると、水銀燈が異常なまでに酒気を求めるのも、説明がつきます。<br /> 『御神酒』と言うように、古来より酒は、神への捧げものなのですから。<br /> <br /> 水銀燈は、不敵な笑みを崩すことなく、金糸雀を睨み付けました。<br /> <br /> 「聞いたでしょ? まあ、そういうコトなの。おとなしく成仏するなら、よし。<br />  あくまで我を通すと言うのであれば、ちょぉっとばかり、痛い目を見てもらうわ」<br /> 「ふん…………笑わせてくれるかしら」<br /> <br /> 引き下がれと言われて、素直に従えるならば、真紅の身体を奪おうなんて企みません。<br /> どうしても、この幸せを護りたかったから。<br /> なんとしても、ジュンと添い遂げたかったから。<br /> <br /> 「元が神様だか知らないけれど、所詮、零落した悪霊風情じゃない。<br />  カナが、その化けの皮を剥いでやるかしら!」<br /> <br /> 金糸雀は、いま一度、パラソルに青白い炎を纏わせました。<br /> 幸せは、闘って勝ち取るもの。敗者には、愛の詩を謳歌する資格など無い。<br /> ましてや、誰かと幸せな家庭を築くことなど、身の程知らずな白昼夢。<br /> <br /> 「……強気……。貴女みたいな、一途で向こう見ずな子って、好きよぉ」<br /> <br /> 闘志を剥きだしにする金糸雀に、すぅっと瞼を細める水銀燈。<br /> けれど、それも束の間のこと。<br /> <br /> 「でも、この私にケンカを売るなんて……おバカさんもいいところねぇ。<br />  そっちがその気なら、ズタズタのジャンクにしてやるわ」<br /> <br /> やおら膨れ上がった霊圧が、場の空気を一変させます。<br /> 気の弱い者ならば、この急激な変圧だけで、気を失ってしまうでしょう。<br /> ジュンや、めぐにしても、耳鳴りや眩暈といった症状を覚えていました。<br /> <br /> 「ほぉら! さっさとイッちゃいなさい」<br /> <br /> 水銀燈の黒羽根が、吹雪の如く金糸雀めがけて降り注ぎます。<br /> 金糸雀も先程と同じく、パラソルを広げて防御しました。<br /> ――が。<br /> <br /> 「なっ?! くぅっ……止め、きれない……かしら」<br /> <br /> ピチカートを憑依させているにも拘わらず、黒羽根は易々とパラソルを穿ってきます。<br /> 忽ち、人形の煌びやかなドレスが、ボロ布へと変わってゆきました。<br /> <br /> (威力が格段に上がってるかしら。さっきは、手加減してたって言うの?)<br /> <br /> 圧倒的な霊力の前に、なす術なく玩ばれる屈辱。<br /> でも、諦めるワケにはいきません。負ければ、全てを失ってしまうのです。<br /> ジュンと歩む未来も。小さな胸に宿した、はち切れんばかりの想いすらも。<br /> <br /> (そんなの、イヤ! このまま、ジュンと引き離されたくないっ!)<br /> <br /> ならば、勝つしかありません。たとえ相手が、神という絶対的な存在でも。<br /> ガムシャラに戦い抜いて……『今』という時を『明日』へと繋がねばならないのです。<br /> <br /> ――とは言え、こうも猛射に曝されては、反撃など出来ようハズもなく。<br /> <br /> 「こうなったら……エレガントじゃないけど、形振り構ってられないかしら」<br /> <br /> 金糸雀は、ほんの僅かな射撃の隙を衝いて、真紅の脇まで素早く飛び退きました。<br /> 本当は、めぐを始末したかったのですが、彼女はジュンが庇っています。<br /> そこで不本意ながら、真紅を盾にとり、水銀燈を牽制しようと試みたのです。<br /> 結果は、金糸雀の目論見どおり。水銀燈は忌々しげに舌打ちして、射撃を控えました。<br /> <br /> 「今度はカナのターンよ! いてこますかしら、ピチカート!」<br /> <br /> 号令一下、火の玉が勢いを強め、青い炎が猛然と水銀燈に襲いかかります。<br /> しかし、金糸雀はまだ、水銀燈のポテンシャルを過小評価していました。<br /> 彼女はピチカートの火焔に肌を炙られようとも、眉ひとつ動かさなかったのです。<br /> ちろりと舌なめずりするや否や、水銀燈は――<br /> <br /> 「なぁに? こんな子供だまし……小賢しいカンジぃ」<br /> <br /> 言って、右ストレートを火の玉に叩き込みました。<br /> 殴られた火の玉は、さながらヨーヨーのように、金糸雀の元へすっ飛んできます。<br /> このままでは、盾にした真紅が『燃えろイイ女』になるのは必定。<br /> しかし、金糸雀は驚きのあまり、<br /> <br /> 「うひゃぁっ!」<br /> <br /> 反射的に、両手でアタマを抱えて、蹲ってしまいました。<br /> その行動は、水銀燈にとっても想定外でした。<br /> あれだけの啖呵を切った以上、この程度で抵抗を止めるとは思っていなかったのです。<br /> <br /> 「ったく……本気でバカじゃなぁい。弱っちょろいクセに、虚勢はるんじゃないわよ」<br /> <br /> 殴り飛ばした火の玉を掴むべく、水銀燈は悪態を吐いて、ダッシュします。<br /> ――が、彼女より少しだけ早く駆け出していた者が、既に割り込んでいました。<br /> <br /> 「真紅――っ!!」<br /> <br /> ジュンでした。<br /> 彼は幼なじみの娘を守りたい一心で、燃え盛る火球の前に、その身を曝したのです。<br /> 間に合わない。水銀燈も、めぐも、カナ縛りに遭っている真紅も……ジュン本人ですら、<br /> 彼の小柄な身体が、炎に包まれる光景を脳裏に描いていました。<br /> ジリッ! 前髪の焼ける音と、異臭。<br /> <br /> 刹那――「そんなのダメぇっ!」室内に谺する、短い絶叫。<br /> ジュンは目にしていました。自分の脇を高速で擦り抜ける、小さなシルエットを。<br /> 今のは、まさか! そう思った直後、彼の眼の前でバチッ! と音が弾けました。<br /> <br /> 「あああぁっ!」<br /> <br /> 金糸雀の悲鳴と、何かが当たる鈍い衝撃が、ジュンの胸を内外から叩きます。<br /> 炎の残像が滲む目を凝らして、状況を確かめようとした彼が見たのは――<br /> 四肢が砕け散って、力無く床に転がる、無惨な人形の姿でした。<br /> <br /> 「……よ……かった。間に合った……かしら」<br /> 「か…………金糸雀っ! お前! こんな時まで、なに自爆霊やってんだよっ!」<br /> 「……ホント……カナは、ダメな子かしら。いっつも……自滅してばっかり」<br /> <br /> ジュンの呼び声に、金糸雀は弱々しく睫毛を震わせます。<br /> そして、閉ざされていた瞼を、うっすらと開き……悔しそうに泣き笑いました。<br /> 最早、戦うことなど出来ないコトは、誰の目にも明らか。<br /> にも拘わらず、水銀燈は、いつの間にか手にしていた太刀の切っ先を、<br /> ぐったりと横たわった金糸雀に突きつけたのです。<br /> <br /> <br /> 「ここまでよ、おバカさん。せめてもの情けに、ひと突きでイカセてあげるわ」</p>

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