「1-2」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

1-2 - (2008/12/27 (土) 22:16:50) の最新版との変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

<p align="left"> <br />  <br />   1-2<br />  <br />  <br /> おわああぁっ! 狭く暗いダストシュートに、絶叫が谺する。<br /> 墨汁のような闇の中を、際限なく落ちていく感覚が、やけに生々しい。<br /><br /> 「お、落ちるっ! 止めてっ! 助けてぇえ」<br /><br /> 恥ずかしさを堪えきれずに、後先考えないで飛び込んだ、縦坑。<br /> ものの一分と経っていないのに、ジュンは自分の軽挙妄動を悔やんでいた。<br /> 飛び込めば、すぐ隣りにある別の世界に、パッと移動するものと思っていた。<br /> それが、実は、こんなにも奥底深いものだったなんて……。<br /><br /><br /> ジュンは、いつだったか聞いた【ココロの闇】という言葉を想起した。<br /> なんとも概念的で、掴みどころのない表現だ。<br /> 茫洋としたこの世界には、まさに打ってつけだろう。<br /><br /> いま、右も左も分からない世界に、たった独り。<br /> 鬱陶しく思っていた親も姉も。友人たちも。教師たちさえも。<br /> 頼れる者など……救いの手を差し伸べてくれる『誰か』など、ここには居ない。<br /><br /> 今更ながら、先の見えない恐怖が、彼のココロを侵蝕しはじめていた。<br /> このまま墜落死するのか。<br /> それ以前に、いきなり目の前に現れた岩にぶつかって、砕け散るのか……。<br /><br /> 全身打撲って、やっぱり、死ぬまで苦痛にのたうち回るのかな?<br /> それとも、案外と、一瞬で全てが終わってくれるんだろうか?<br /> 出来ることなら、後者の方がいい。いま気絶できるなら、もっといい。<br /> ジュンは、耳の奥に鼓動を聴きながら、ギュッと目を閉じた。<br /><br /> もうダメだ。思わず、そんな弱音が口を衝いて出る。<br /> すると、次の瞬間!<br />  <br />  <br />   『そんなに固く眼を閉ざしていては、なにも見えないでしょう?』<br />  <br />  <br /> 闇の中に、若い娘と思しい、稟とした声が響いた。<br /><br /> 誰か居る! その事実は、孤独に苛まれていた彼を奮い立たせた。<br /> けれど、見開いた瞼の先には、相変わらず深淵の黒が広がっているだけ。<br /> 幻聴? いや、そんなはずない。<br /><br /> 誰か居るんだろ――ジュンは、あらん限りの声で叫んだ。<br /> 助けてくれ――必死になって、声だけの娘への呼びかけを繰り返す。<br /> そして――<br /><br /> 「答えてくれよ! 僕は、こんな終わり方はイヤだ!」<br /><br /> 三度目の絶叫で、やっと返事があった。<br /> それも、思いがけないほど近く…………彼の真後ろから。<br /><br /> 『ここは貴方の夢。この世界の構成も、貴方のココロが反映されたもの。<br />  落ちる、墜ちる…………確たる目的もなく、自堕落な生活を送ってきたのね』<br /><br /> くくっ、と悪戯っぽい笑みだけが、耳元に絡みついてくる。<br /> ジュンは恐怖を持て余しながら、戦慄く声で、怒鳴り返した。<br /><br /> 「そんなの、今はどうだっていいだろ! 助けてくれっ」<br /> 『あら? 独りよがりで排他的な生き方をしている割に、依存心が強いのね。<br />  貴方……いままでずっと、そうしてきたの?<br />  すぐに他人の助力をアテにして、自らを変える努力すらしないで――』<br /> 「うるさいっ! 僕のプライベートに、ずかずか入ってくるな!」<br /> 『我が侭……まるで幼子のよう』<br /><br /> 娘の吐いた溜息は、あからさまな嘲りの色を、滲ませていた。<br /><br /> 『助けてもらいたいのなら、すぐに癇癪を起こさないことよ。<br />  去れと言うのなら、これで失礼したって、私は構わないけれど』<br /><br /><br /> それは困る。落ちっぱなしは、もうたくさんだ。<br /> せめて、この現状を変えるまでは、つきあってもらわないと。<br /> ジュンは声を落として、素直に謝った。<br /><br /> 「……悪かったよ。八つ当たりなんかして。<br />  なあ、教えてくれ。僕は、どうすれば……どうすることが最善なんだ?」<br /> 『それには、まず…………貴方自身を、しっかりとイメージすること』<br /> 「僕自身? もう少し、具体的に言って欲しいんだけど」<br /> 『難しく考えないで。貴方は、だぁれ?』<br /> 「僕は……桜田ジュンだ」<br /> 『それでは、ジュン。次は、貴方の身体を……容姿を想像して。<br />  名前と、姿――<br />  どんな世界で生きてゆくにも、個の定義(エントリー)は必要なのです』<br /><br /> 自分の夢の中で、わざわざ自分を定義するなんて――<br /> おかしな話だとは思うが、ジュンは言われるままに、自分という存在を想像した。<br /> 高校二年生の少年……小柄で、メガネを掛けてて、やや生意気そうな自分を。<br /><br /><br /> すると、どうだろう。<br /> 彼を包み込んでいた闇が、雑巾で拭き取られるように、消えゆくではないか。<br /> 黒が取り除かれた裏面には、目映い白が配色されていた。<br /><br /> 真っ白な色は蛍光灯のように、ジュンの手足を浮かび上がらせる。<br /> 服装は、いつも着ている高校の制服だ。これも、イメージしたとおり。<br /> なにより、地に足が着いている……その事実が、大きな安堵を彼に与えていた。<br /><br /><br /> ジュンが自らの姿を矯めつ眇めつする間も、闇は次々と白に塗りつぶされて、<br /> 今や黒と言えば、残るは彼の足元から伸びる影だけになっていた。<br /><br /><br /> 『想像は、創造。……貴方という個の定義は、問題なく完了しました。<br />  ――さあ。これでもう、歩き出せるでしょう?』<br /> 「あ……うん。多分な」<br /> 『でしたら、私のお手伝いもここまで。あとは貴方次第です。<br />  様々な経験をして、自分で自分を補いながら、至高の存在を目指すも良し。<br />  望むままに、進んでごらんなさい』<br /> 「え? あ、ちょっと待ってくれ。君は――」<br /> 『ごきげんよう、ジュン。いずれ……また逢いましょう』<br /><br /> 背後からの声が、急速に遠退くのを感じて、ジュンは振り返った。<br /> だが、目映い光の直射を受けて、目の奥がガツンと痛んだ。<br /> 咄嗟に腕を翳したものの、捉えることが出来たのは、ほんの僅かな残像だけ。<br /><br /><br />   そよ風に靡く、長い髪…………そして、血を想わせるほどに紅い三角形。<br /><br /><br /><br /> 白色光の洗礼が収まった時、そこにはもう、誰の姿も無かった。<br /><br /> 「誰……だったんだろう。せめて、名前を教えて欲しかったな」<br /><br /> また逢いましょう。彼女の声が、耳に残っている。<br /> それに、あの紅い三角形も瞳に焼き付いて、目先にチラついていた。<br /> おそらく、彼女もまた、翠星石のように何らかの紋章を持つ存在なのだろう。<br /><br /> 「だったら……うん。きっと、また逢えるんだろうな」<br /><br /> その時にでも、名前を訊ねたらいい。<br /> 差し当たっては、翠星石が言っていた『ココロの樹』なるものを探さなければ。<br /><br /> ――とは言うものの、ぐるり見渡す限り、白一色しか目に入ってこない。<br /> 果たして、何を手懸かりに、どこから探せばいいのだろう?<br /> 暫し、茫然と立ち尽くしてると、今度は何の前触れもなく足元が揺らいだ。<br /><br /><br /> 「うわわっ?! な、なんだ……」<br /><br /> 地震? その単語を口にしかけて、あまりの揺れの激しさに中断した。<br /> いま喋れば、きっと舌を噛む。立っていることさえ覚束ない。<br /> ジュンはその場に蹲って、激震が収まるのを、じっと待っていた。<br />  <br />  <br />   ~  ~  ~<br />  <br /> 激しく揺さぶられる中で、散漫だったジュンの意識が、ひとつに凝縮してゆく。<br /> 頭の中の冷静な部分はもう、少ない情報をかき集めて、分析を始めていた。<br /> この揺れ方は、地震じゃない――<br /><br /> とすると、誰かが現実世界の自分を、揺すり起こそうとしているのでは?<br /> その推測を肯定するように、やたらと間延びした声が、覚醒を促してきた。<br /><br /> 「もうー。ジュンくんったら、早く起きてよぅ」<br /> (…………なんだよ、姉ちゃんか)<br /><br /> いままでのことは全部、他愛ない夢だったのか。<br /> ジュンは重たい瞼を指先で揉みほぐしながら、欠伸を噛み殺して、<br /> 口の中でモゴモゴと文句を言った。「勝手に、部屋はいってくんなよ」<br /><br /> 寝返りをうって、二度寝モードに突入――<br /> ――しようとしたら、姉に布団をひっぺがされて、激しく揺さぶられた。<br /><br /> 「起きなきゃダメっ! お仕事に、遅れちゃうでしょっ」<br /> 「はぁ? なに寝惚けてんだよ。僕は、まだ高校生だぞ。仕事なんて……」<br /> 「ジュンくんこそ、なに言ってるのよぅ。まだ学生気分だなんて、めっめっよぅ」<br /> 「……なんだって?」<br /><br /> なにか、おかしい。起き抜けで朦朧としていたジュンの思考が、エラーを検出した。<br /> これは現実の世界じゃない。とてもリアルな、別物の世界だ。<br /> その証拠を求め、ぐるり見回すや、彼は束の間、言葉に詰まった。<br /><br /> 「…………ココ……ドコデスカ?」<br /> 「やぁねぇ、ジュンくんったらぁ。私たちの家に決まってるでしょぉー」<br /> 「姉ちゃんこそ、なに寝ボケてるんだよ!」<br /><br /> そこは、住み慣れた家ではなかった。もっと粗末で、薄暗くて……<br /> ちょうど、小学生の頃に家族で泊まった、高原のログハウスに似ていた。<br /> 否、間取りやベッドの造りなどは、そのものではないか。<br /><br /><br /> (これって、子供の頃の記憶……か?<br />  いや、違うな。あの声だけの女も、言ってたじゃないか)<br /><br /> この世界は、ジュンのココロを反映して構成されている……と。<br /> つまりは、記憶が継ぎ接ぎされた、パッチワークみたいな異空間だろう。<br /> やはり……ここはまだ、翠星石に連れてこられた夢の中なのだ。<br /><br /><br /> ――となると、やるべきことは、もう決まっている。<br /><br /> 「姉ちゃん。ちょっと出かけてくるよ」<br /> 「ええっ? でもぉ、お仕事はどうなるのぅ?」<br /> 「さっきっから、ワケ解んないな。なんだよ、僕の仕事って」<br /> 「自宅警備員でしょぉ」<br /> 「……ふざけんな」<br /><br /> すげなく切り返して、ジュンは簡素な木のベッドから起き出した。<br /> そして、なにやら不安げな目を向けてくる姉に、決然と言い放った。<br /><br /><br /> 「そんなもん辞めだ。僕は今から旅に出る」<br /> 「えっ? ……ええええぇっ?!」<br /><br /> 姉、のりは大袈裟に驚き、わなわなと撫で肩を戦慄かせた。<br /><br /> 「ジュ……ジュンくんが…………自分探しの旅……に?」<br /> 「悪いかよ」<br /> 「う、ううん。全然っ! って言うか、お姉ちゃん感激よぅ!」<br /><br /> まん丸メガネをはずして、溢れる涙を懸命にゴシゴシこする、のり。<br /> そんな姉の姿に、ジュンの胸が、きりりと痛んだ。<br /> 彼女のお節介を疎ましいとさえ思っていたけれど、姉は姉なりに、<br /> たったひとりの弟のことで悩み、良かれと考え、行動してきたのだろう。<br />  <br />  <br /> 「姉ちゃん…………勝手ばかりで、ごめん」<br /> 「ううん。いいのよぅ。ジュンくんは、何も心配しなくていいの」<br /><br /> ジュンの言葉を、置き去りにすることへの謝罪ととったらしく、<br /> のりは涙を浮かべたまま、気丈に微笑んだ。<br /> そして、革袋をひとつ、ジュンに差し出した。<br /><br /> 「少ないけれど、持っていって。お姉ちゃんが貯めておいたお金よぅ。<br />  いつか、こんな日が来ると信じていたから」<br /> 「ね……姉ちゃん」<br /><br /> とりあえず、その革袋どこから出した――<br /> なんて無粋なことを訊くのは、やめにしておく。<br /> ジュンは、姉の思いやりに胸を打たれて、鼻をすすり上げた。<br /><br /> 「ありがとう、姉ちゃんっ! 僕、やるよ。<br />  必ず『ココロの樹』を探し出して、立派に転職して……<br />  ホリ○モンみたいな大金持ちになって、姉ちゃんに楽させてやるからな」<br /> 「嬉しいわ、ジュンくん。でも証券取引法は守らなきゃ、めっめっよぅ」<br /> 「分かってるって。それじゃ、行ってくるよ!」<br /><br /> 姉の想いが詰まった革袋を、しっかり胸に抱いて、ジュンは我が家を飛び出した。<br />  <br />  <br />   ~  ~  ~<br />  <br /> 家を出て、徒歩3分。ジュンは再び、激しい違和感に苛まれていた。<br /> 目の前に広がる光景は、いままで彼が慣れ親しんできたソレとは、明らかに違う。<br /> 道路は未舗装だし、疎らに建つ家々は、悉くが木造だ。<br /> ほかにも、井戸あり畑あり厩舎ありと、何からナニまで片田舎そのもの。<br /><br /> 「これって……ずっと前にやった和風RPGの世界そっくりだな」<br /><br /> 記憶が創りだした、幻想世界――ジュンが居るのは、冒険の始まる場所。<br /> さしずめ、ホニャララ地方のナントカ村といったところか。<br /><br /> 「こんな世界を旅したいと夢みる辺りが、まだ子供ってコトなのか?」<br /><br /> 独りごちても、よく判らない。<br /> しかし、ここが本当にRPGの世界ならば、安全が保証されるのは村の中だけだろうことは解る。<br /> 一歩でも外に出れば、たちまちモンスターが……。<br /><br /><br /> 「……ば、バカらしい。ありっこないじゃん」<br /><br /> ちょっとだけ頭を擡げた恐怖心を、強がりで抑えつけ、ジュンは村を出た。<br /> すると、村の門から数メートル先……道のド真ん中に、ナニかが転がっている。<br /> 近づいて見れば、それは両手に包丁を持った、愛嬌タップリの『ぬいぐるみ』だった。<br /><br /> 「こいつ確か、クマのブーさんって言ったっけ?」<br /><br /> 誰か、村の子供が落としていったのかも――<br /> ただの人形と思って、ジュンが腕を伸ばした次の瞬間、ビカッ!<br /><br /> ブーさんは吊り上げた双眸を真っ赤に輝かせて、むっくりと起きあがった。<br /> なんだ、これ? 狼狽えるジュンに、クマが包丁を翳して飛びかかってくる。<br /> 咄嗟に躱したものの、彼の制服は、胸元がスッパリと裂けていた。<br /><br /> 「ぎゃああっ!? 切れっ切られっ切っ……し、死むぅ――っ!」<br /><br /> 包丁はホンモノ。おまけに、クマの動きは早い。<br /> 対して、ジュンは素手で、喧嘩もロクにしたことがない、ときている。<br /> 周りを見回したって、助太刀してくれそうな人影は皆無。<br /> 真っ向から戦えば、敗北は必至だ。<br /><br /> 「ちょ……待てよ。こんなヤツ、相手にしてられるかっ!」<br /><br /> RPGに限らず、戦闘の基本は『勝てないなら逃げろ』である。<br /> 命あっての物種。ジュンは前に回り込まれないよう注意しながら、走り出した。<br /><br /> はぁっ! はぁっ! はぁっ!<br /> 日頃の運動不足のせいか、いくらも走らない内から、息切れしている。<br /> フーッ! フーッ! フーッ! じゅるっ!<br /> 後ろから、ブーさんの荒い息づかいが、じわじわと近づいてくる。<br /> ヨダレを啜ったような音は、この際、聞かなかったことにしておく。<br /><br /> このままでは、追いつかれる。捕まれば、ジュンの活け造り一丁あがり~、である。<br /> 夢の中で死んだりするものなのかは不明だが、個の定義をした以上、<br /> およそ、タダでは済むまい。<br /><br /> もっと早く走らなければ。<br /> 焦れば焦るほど、彼の脚は急激に重くなって、もたもたと縺れそうになる。<br /> そして、遂に――――ジュンは転倒した。<br /><br /> (もう、ダメだっ)<br /><br /> こんな事なら、ずっと自宅警備員でいればよかった。<br /> ギュッと瞼を閉ざして、観念したジュンの背後に、猛烈な殺気が覆い被さってくる。<br /><br /> だが――<br /><br /><br />   ブギャアッ!<br /><br /> 身の毛もよだつ断末魔が聞こえるや、殺気は消え去っていた。<br /> そして、代わりに男の声が、彼の頭上から降ってきた。<br /><br /> 「よぉ、小僧。災難だったじゃねぇか」<br /> 「え? だ、誰――」<br /><br /> 見上げるジュンの瞳に映ったのは、威圧的に黒髪を逆立てた青年。<br /> 偉そうに腕組みして、傲慢な眼でジュンを見下していた。<br /><br /> 「俺は、この辺りをシマにしてる盗賊『兎のシリアナ団』の頭、ベジータ様だ」<br /> 「とっ、盗賊っ?!」<br /><br /> 一難去って、また一難。盗賊団の名前ダセー! なんて、笑ってる余裕はない。<br /> ズリズリと尻を擦って退くジュンに、ベジータの嘲笑が投げかけられる。<br /><br /> 「そう怖がるなよ。おとなしく言うことを聞くなら、殺しゃしねえよ」<br /> 「ほ、ほ……ホントか」<br /> 「ああ、俺はウソは吐かねえ」<br /><br /> 信用しても、いいものだろうか。いや、即断は禁物。<br /> まずは要求を聞いてからだ。ジュンは固唾を呑んで、男の声を待った。<br /><br /> ベジータは無遠慮な目つきで、ジュンの身なりを眺め回している。<br /> 金目の物があるか、品定めされているのは間違いない。<br /><br /> そして――<br /><br /><br /> 「そうだな。お前には選択肢をやろう」<br /> 「選択肢? なんだよ、それ」<br /> 「有り金すべてを差し出すか、俺の前にケツを差し出すか……<br />  ふたつに、ひとつだ」<br /> 「な、なんだとっ!」<br /><br /> 馬鹿げた二択だ。現実ならば、迷うまでもなく、金を差し出している。<br /> だが……ここは夢という未知の領域。<br /> ブーさんに襲われて、かなり危険な世界なのだと認識できた。<br /> ちゃんとした装備を整えるためにも、アッサリと金を手放すべきではないだろう。<br /><br /> (それに――これは、姉ちゃんが爪に火をともして貯めてくれた、大切な金だ。<br />  これを元手に株(?)で大儲けして、転職して、姉ちゃんに楽させてやるんだ。<br />  なのに……僕の夢を、こんな盗賊なんかに渡してたまるか!)<br /><br /> 残念ながら、ベジータに喧嘩で勝つ自信は――無い。<br /> ジュンは覚悟を決めて、四つん這いになり、ベジータの前に尻を突きだした。<br /><br /> 屈辱で頬が引き攣り、目頭が熱くなる。<br /> もっと強ければ! もっと力があれば! 知らず、ジュンは拳を握りしめていた。<br /><br /> 「はぁ――っはっはっは! なかなか素直じゃねえか! 気に入ったぜ」<br /><br /> いきなり、臀部にベジータの強烈な蹴りを見舞われて、<br /> ジュンは受け身を取る間もなく、無様に顔面着地してしまった。<br /> メガネのフレームが、ガリガリと土を削り、砂利が頬にメリ込んだ。<br /> 幸いにして、レンズまでは傷つかなかったようだ。<br /><br /> ……が、弾みで、ベルトに結わえておいた革袋が、がちゃんと地に転がる。<br /> ベジータは、目敏くそれを拾い上げて、短く口笛を吹いた。<br /><br /> 「驚いたぜ。しみったれたナリの割に、意外と金持ってるじゃねえかよ」<br /> 「か、返せっ!」<br /> 「あぁ? これはもう俺の金なんだよ、ボケが」<br /><br /> 飛びかかってきたジュンを蹴り飛ばして、ベジータは革袋を懐に入れた。<br /> これでもう、取り返すことは絶望的だ。<br /> ジュン一人では、どう逆立ちしても、ベジータを倒すことなど出来ない。<br /><br /> (くそっ! 情けない……こんなゴロツキに、あしらわれるなんて)<br /><br /> 悔しくて、口惜しくて――胸の奥底から、言いしれぬ感情が沸々と湧いてくる。<br /> そこに、ベジータの嘲笑が加わって、どうしようもなく涙が溢れてきた。<br /><br /> 「ちくしょう……ちくしょう……」<br /> 「おいおい、泣くことねえだろ。お前はむしろ、ラッキーなんだぜ?」<br /><br /> なにがラッキーなもんか。<br /> 言い返そうとした矢先、ベジータの左腕が、ジュンの頭を地面に抑えつけた。<br /> だけでなく、彼は右腕でジュンのベルトを掴み、腰を引っ張りあげるではないか。<br /><br /> なにをされるか分からない恐怖で、ジュンが表情を強張らせる。<br /> ベジータは、その変化を面白そうに眺めて、ニヤニヤしていた。<br /><br /> 「このベジータ様に、金ばかりかケツの初めても頂いてもらえるんだからな!」<br /><br /> そう宣告した男の目の色は、決して、狂人のソレではなかった。<br /><br /> こいつは本気だ。最初っから、金と尻、両方を狙っていたんだ。<br /> いまになって分かっても、もう遅かった。<br /> 筋骨隆々たるベジータは、盤石の重みで、ジュンを抑えつけている。<br /><br /><br /> (ごめん、姉ちゃん……。僕はもう、ホ○エモンには成れないよ。<br />  掘られモンとして、ゲイ人デビューすることになりそうだ)<br /><br /><br /> なけなしの所持金を奪われ、男としてのプライドすらも奪われようとしている。<br /> それなのに、自分には抗う術さえ、残されていない。<br /><br />  『おとなしく言うことを聞くなら、殺しゃしねえよ』<br /><br /> タイミング良く、ベジータの台詞が頭の中でリフレイン。<br /> 死なずに済むのなら…………まだ、マシかも知れない。<br /> ジュンは観念して、身体中のチカラを抜いた。<br />  <br />  </p>
<p align="left"> <br />  <br />   1-2<br />  <br />  <br /> おわああぁっ! 狭く暗いダストシュートに、絶叫が谺する。<br /> 墨汁のような闇の中を、際限なく落ちていく感覚が、やけに生々しい。<br /><br /> 「お、落ちるっ! 止めてっ! 助けてぇえ」<br /><br /> 恥ずかしさを堪えきれずに、後先考えないで飛び込んだ、縦坑。<br /> ものの一分と経っていないのに、ジュンは自分の軽挙妄動を悔やんでいた。<br /> 飛び込めば、すぐ隣りにある別の世界に、パッと移動するものと思っていた。<br /> それが、実は、こんなにも奥底深いものだったなんて……。<br /><br /><br /> ジュンは、いつだったか聞いた【ココロの闇】という言葉を想起した。<br /> なんとも概念的で、掴みどころのない表現だ。<br /> 茫洋としたこの世界には、まさに打ってつけだろう。<br /><br /> いま、右も左も分からない世界に、たった独り。<br /> 鬱陶しく思っていた親も姉も。友人たちも。教師たちさえも。<br /> 頼れる者など……救いの手を差し伸べてくれる『誰か』など、ここには居ない。<br /><br /> 今更ながら、先の見えない恐怖が、彼のココロを侵蝕しはじめていた。<br /> このまま墜落死するのか。<br /> それ以前に、いきなり目の前に現れた岩にぶつかって、砕け散るのか……。<br /><br /> 全身打撲って、やっぱり、死ぬまで苦痛にのたうち回るのかな?<br /> それとも、案外と、一瞬で全てが終わってくれるんだろうか?<br /> 出来ることなら、後者の方がいい。いま気絶できるなら、もっといい。<br /> ジュンは、耳の奥に鼓動を聴きながら、ギュッと目を閉じた。<br /><br /> もうダメだ。思わず、そんな弱音が口を衝いて出る。<br /> すると、次の瞬間!<br />  <br />  <br />   『そんなに固く眼を閉ざしていては、なにも見えないでしょう?』<br />  <br />  <br /> 闇の中に、若い娘と思しい、稟とした声が響いた。<br /><br /> 誰か居る! その事実は、孤独に苛まれていた彼を奮い立たせた。<br /> けれど、見開いた瞼の先には、相変わらず深淵の黒が広がっているだけ。<br /> 幻聴? いや、そんなはずない。<br /><br /> 誰か居るんだろ――ジュンは、あらん限りの声で叫んだ。<br /> 助けてくれ――必死になって、声だけの娘への呼びかけを繰り返す。<br /> そして――<br /><br /> 「答えてくれよ! 僕は、こんな終わり方はイヤだ!」<br /><br /> 三度目の絶叫で、やっと返事があった。<br /> それも、思いがけないほど近く…………彼の真後ろから。<br /><br /> 『ここは貴方の夢。この世界の構成も、貴方のココロが反映されたもの。<br />  落ちる、墜ちる…………確たる目的もなく、自堕落な生活を送ってきたのね』<br /><br /> くくっ、と悪戯っぽい笑みだけが、耳元に絡みついてくる。<br /> ジュンは恐怖を持て余しながら、戦慄く声で、怒鳴り返した。<br /><br /> 「そんなの、今はどうだっていいだろ! 助けてくれっ」<br /> 『あら? 独りよがりで排他的な生き方をしている割に、依存心が強いのね。<br />  貴方……いままでずっと、そうしてきたの?<br />  すぐに他人の助力をアテにして、自らを変える努力すらしないで――』<br /> 「うるさいっ! 僕のプライベートに、ずかずか入ってくるな!」<br /> 『我が侭……まるで幼子のよう』<br /><br /> 娘の吐いた溜息は、あからさまな嘲りの色を、滲ませていた。<br /><br /> 『助けてもらいたいのなら、すぐに癇癪を起こさないことよ。<br />  去れと言うのなら、これで失礼したって、私は構わないけれど』<br /><br /><br /> それは困る。落ちっぱなしは、もうたくさんだ。<br /> せめて、この現状を変えるまでは、つきあってもらわないと。<br /> ジュンは声を落として、素直に謝った。<br /><br /> 「……悪かったよ。八つ当たりなんかして。<br />  なあ、教えてくれ。僕は、どうすれば……どうすることが最善なんだ?」<br /> 『それには、まず…………貴方自身を、しっかりとイメージすること』<br /> 「僕自身? もう少し、具体的に言って欲しいんだけど」<br /> 『難しく考えないで。貴方は、だぁれ?』<br /> 「僕は……桜田ジュンだ」<br /> 『それでは、ジュン。次は、貴方の身体を……容姿を想像して。<br />  名前と、姿――<br />  どんな世界で生きてゆくにも、個の定義(エントリー)は必要なのです』<br /><br /> 自分の夢の中で、わざわざ自分を定義するなんて――<br /> おかしな話だとは思うが、ジュンは言われるままに、自分という存在を想像した。<br /> 高校二年生の少年……小柄で、メガネを掛けてて、やや生意気そうな自分を。<br /><br /><br /> すると、どうだろう。<br /> 彼を包み込んでいた闇が、雑巾で拭き取られるように、消えゆくではないか。<br /> 黒が取り除かれた裏面には、目映い白が配色されていた。<br /><br /> 真っ白な色は蛍光灯のように、ジュンの手足を浮かび上がらせる。<br /> 服装は、いつも着ている高校の制服だ。これも、イメージしたとおり。<br /> なにより、地に足が着いている……その事実が、大きな安堵を彼に与えていた。<br /><br /><br /> ジュンが自らの姿を矯めつ眇めつする間も、闇は次々と白に塗りつぶされて、<br /> 今や黒と言えば、残るは彼の足元から伸びる影だけになっていた。<br /><br /><br /> 『想像は、創造。……貴方という個の定義は、問題なく完了しました。<br />  ――さあ。これでもう、歩き出せるでしょう?』<br /> 「あ……うん。多分な」<br /> 『でしたら、私のお手伝いもここまで。あとは貴方次第です。<br />  様々な経験をして、自分で自分を補いながら、至高の存在を目指すも良し。<br />  望むままに、進んでごらんなさい』<br /> 「え? あ、ちょっと待ってくれ。君は――」<br /> 『ごきげんよう、ジュン。いずれ……また逢いましょう』<br /><br /> 背後からの声が、急速に遠退くのを感じて、ジュンは振り返った。<br /> だが、目映い光の直射を受けて、目の奥がガツンと痛んだ。<br /> 咄嗟に腕を翳したものの、捉えることが出来たのは、ほんの僅かな残像だけ。<br /><br /><br />   そよ風に靡く、長い髪…………そして、血を想わせるほどに紅い三角形。<br /><br /><br /><br /> 白色光の洗礼が収まった時、そこにはもう、誰の姿も無かった。<br /><br /> 「誰……だったんだろう。せめて、名前を教えて欲しかったな」<br /><br /> また逢いましょう。彼女の声が、耳に残っている。<br /> それに、あの紅い三角形も瞳に焼き付いて、目先にチラついていた。<br /> おそらく、彼女もまた、翠星石のように何らかの紋章を持つ存在なのだろう。<br /><br /> 「だったら……うん。きっと、また逢えるんだろうな」<br /><br /> その時にでも、名前を訊ねたらいい。<br /> 差し当たっては、翠星石が言っていた『ココロの樹』なるものを探さなければ。<br /><br /> ――とは言うものの、ぐるり見渡す限り、白一色しか目に入ってこない。<br /> 果たして、何を手懸かりに、どこから探せばいいのだろう?<br /> 暫し、茫然と立ち尽くしてると、今度は何の前触れもなく足元が揺らいだ。<br /><br /><br /> 「うわわっ?! な、なんだ……」<br /><br /> 地震? その単語を口にしかけて、あまりの揺れの激しさに中断した。<br /> いま喋れば、きっと舌を噛む。立っていることさえ覚束ない。<br /> ジュンはその場に蹲って、激震が収まるのを、じっと待っていた。<br />  <br />  <br />   ~  ~  ~<br />  <br /> 激しく揺さぶられる中で、散漫だったジュンの意識が、ひとつに凝縮してゆく。<br /> 頭の中の冷静な部分はもう、少ない情報をかき集めて、分析を始めていた。<br /> この揺れ方は、地震じゃない――<br /><br /> とすると、誰かが現実世界の自分を、揺すり起こそうとしているのでは?<br /> その推測を肯定するように、やたらと間延びした声が、覚醒を促してきた。<br /><br /> 「もうー。ジュンくんったら、早く起きてよぅ」<br /> (…………なんだよ、姉ちゃんか)<br /><br /> いままでのことは全部、他愛ない夢だったのか。<br /> ジュンは重たい瞼を指先で揉みほぐしながら、欠伸を噛み殺して、<br /> 口の中でモゴモゴと文句を言った。「勝手に、部屋はいってくんなよ」<br /><br /> 寝返りをうって、二度寝モードに突入――<br /> ――しようとしたら、姉に布団をひっぺがされて、激しく揺さぶられた。<br /><br /> 「起きなきゃダメっ! お仕事に、遅れちゃうでしょっ」<br /> 「はぁ? なに寝惚けてんだよ。僕は、まだ高校生だぞ。仕事なんて……」<br /> 「ジュンくんこそ、なに言ってるのよぅ。まだ学生気分だなんて、めっめっよぅ」<br /> 「……なんだって?」<br /><br /> なにか、おかしい。起き抜けで朦朧としていたジュンの思考が、エラーを検出した。<br /> これは現実の世界じゃない。とてもリアルな、別物の世界だ。<br /> その証拠を求め、ぐるり見回すや、彼は束の間、言葉に詰まった。<br /><br /> 「…………ココ……ドコデスカ?」<br /> 「やぁねぇ、ジュンくんったらぁ。私たちの家に決まってるでしょぉー」<br /> 「姉ちゃんこそ、なに寝ボケてるんだよ!」<br /><br /> そこは、住み慣れた家ではなかった。もっと粗末で、薄暗くて……<br /> ちょうど、小学生の頃に家族で泊まった、高原のログハウスに似ていた。<br /> 否、間取りやベッドの造りなどは、そのものではないか。<br /><br /><br /> (これって、子供の頃の記憶……か?<br />  いや、違うな。あの声だけの女も、言ってたじゃないか)<br /><br /> この世界は、ジュンのココロを反映して構成されている……と。<br /> つまりは、記憶が継ぎ接ぎされた、パッチワークみたいな異空間だろう。<br /> やはり……ここはまだ、翠星石に連れてこられた夢の中なのだ。<br /><br /><br /> ――となると、やるべきことは、もう決まっている。<br /><br /> 「姉ちゃん。ちょっと出かけてくるよ」<br /> 「ええっ? でもぉ、お仕事はどうなるのぅ?」<br /> 「さっきっから、ワケ解んないな。なんだよ、僕の仕事って」<br /> 「自宅警備員でしょぉ」<br /> 「……ふざけんな」<br /><br /> すげなく切り返して、ジュンは簡素な木のベッドから起き出した。<br /> そして、なにやら不安げな目を向けてくる姉に、決然と言い放った。<br /><br /><br /> 「そんなもん辞めだ。僕は今から旅に出る」<br /> 「えっ? ……ええええぇっ?!」<br /><br /> 姉、のりは大袈裟に驚き、わなわなと撫で肩を戦慄かせた。<br /><br /> 「ジュ……ジュンくんが…………自分探しの旅……に?」<br /> 「悪いかよ」<br /> 「う、ううん。全然っ! って言うか、お姉ちゃん感激よぅ!」<br /><br /> まん丸メガネをはずして、溢れる涙を懸命にゴシゴシこする、のり。<br /> そんな姉の姿に、ジュンの胸が、きりりと痛んだ。<br /> 彼女のお節介を疎ましいとさえ思っていたけれど、姉は姉なりに、<br /> たったひとりの弟のことで悩み、良かれと考え、行動してきたのだろう。<br />  <br />  <br /> 「姉ちゃん…………勝手ばかりで、ごめん」<br /> 「ううん。いいのよぅ。ジュンくんは、何も心配しなくていいの」<br /><br /> ジュンの言葉を、置き去りにすることへの謝罪ととったらしく、<br /> のりは涙を浮かべたまま、気丈に微笑んだ。<br /> そして、革袋をひとつ、ジュンに差し出した。<br /><br /> 「少ないけれど、持っていって。お姉ちゃんが貯めておいたお金よぅ。<br />  いつか、こんな日が来ると信じていたから」<br /> 「ね……姉ちゃん」<br /><br /> とりあえず、その革袋どこから出した――<br /> なんて無粋なことを訊くのは、やめにしておく。<br /> ジュンは、姉の思いやりに胸を打たれて、鼻をすすり上げた。<br /><br /> 「ありがとう、姉ちゃんっ! 僕、やるよ。<br />  必ず『ココロの樹』を探し出して、立派に転職して……<br />  ホリ○モンみたいな大金持ちになって、姉ちゃんに楽させてやるからな」<br /> 「嬉しいわ、ジュンくん。でも証券取引法は守らなきゃ、めっめっよぅ」<br /> 「分かってるって。それじゃ、行ってくるよ!」<br /><br /> 姉の想いが詰まった革袋を、しっかり胸に抱いて、ジュンは我が家を飛び出した。<br />  <br />  <br />   ~  ~  ~<br />  <br /> 家を出て、徒歩3分。ジュンは再び、激しい違和感に苛まれていた。<br /> 目の前に広がる光景は、いままで彼が慣れ親しんできたソレとは、明らかに違う。<br /> 道路は未舗装だし、疎らに建つ家々は、悉くが木造だ。<br /> ほかにも、井戸あり畑あり厩舎ありと、何からナニまで片田舎そのもの。<br /><br /> 「これって……ずっと前にやった和風RPGの世界そっくりだな」<br /><br /> 記憶が創りだした、幻想世界――ジュンが居るのは、冒険の始まる場所。<br /> さしずめ、ホニャララ地方のナントカ村といったところか。<br /><br /> 「こんな世界を旅したいと夢みる辺りが、まだ子供ってコトなのか?」<br /><br /> 独りごちても、よく判らない。<br /> しかし、ここが本当にRPGの世界ならば、安全が保証されるのは村の中だけだろうことは解る。<br /> 一歩でも外に出れば、たちまちモンスターが……。<br /><br /><br /> 「……ば、バカらしい。ありっこないじゃん」<br /><br /> ちょっとだけ頭を擡げた恐怖心を、強がりで抑えつけ、ジュンは村を出た。<br /> すると、村の門から数メートル先……道のド真ん中に、ナニかが転がっている。<br /> 近づいて見れば、それは両手に包丁を持った、愛嬌タップリの『ぬいぐるみ』だった。<br /><br /> 「こいつ確か、クマのブーさんって言ったっけ?」<br /><br /> 誰か、村の子供が落としていったのかも――<br /> ただの人形と思って、ジュンが腕を伸ばした次の瞬間、ビカッ!<br /><br /> ブーさんは吊り上げた双眸を真っ赤に輝かせて、むっくりと起きあがった。<br /> なんだ、これ? 狼狽えるジュンに、クマが包丁を翳して飛びかかってくる。<br /> 咄嗟に躱したものの、彼の制服は、胸元がスッパリと裂けていた。<br /><br /> 「ぎゃああっ!? 切れっ切られっ切っ……し、死むぅ――っ!」<br /><br /> 包丁はホンモノ。おまけに、クマの動きは早い。<br /> 対して、ジュンは素手で、喧嘩もロクにしたことがない、ときている。<br /> 周りを見回したって、助太刀してくれそうな人影は皆無。<br /> 真っ向から戦えば、敗北は必至だ。<br /><br /> 「ちょ……待てよ。こんなヤツ、相手にしてられるかっ!」<br /><br /> RPGに限らず、戦闘の基本は『勝てないなら逃げろ』である。<br /> 命あっての物種。ジュンは前に回り込まれないよう注意しながら、走り出した。<br /><br /> はぁっ! はぁっ! はぁっ!<br /> 日頃の運動不足のせいか、いくらも走らない内から、息切れしている。<br /> フーッ! フーッ! フーッ! じゅるっ!<br /> 後ろから、ブーさんの荒い息づかいが、じわじわと近づいてくる。<br /> ヨダレを啜ったような音は、この際、聞かなかったことにしておく。<br /><br /> このままでは、追いつかれる。捕まれば、ジュンの活け造り一丁あがり~、である。<br /> 夢の中で死んだりするものなのかは不明だが、個の定義をした以上、<br /> およそ、タダでは済むまい。<br /><br /> もっと早く走らなければ。<br /> 焦れば焦るほど、彼の脚は急激に重くなって、もたもたと縺れそうになる。<br /> そして、遂に――――ジュンは転倒した。<br /><br /> (もう、ダメだっ)<br /><br /> こんな事なら、ずっと自宅警備員でいればよかった。<br /> ギュッと瞼を閉ざして、観念したジュンの背後に、猛烈な殺気が覆い被さってくる。<br /><br /> だが――<br /><br /><br />   ブギャアッ!<br /><br /> 身の毛もよだつ断末魔が聞こえるや、殺気は消え去っていた。<br /> そして、代わりに男の声が、彼の頭上から降ってきた。<br /><br /> 「よぉ、小僧。災難だったじゃねぇか」<br /> 「え? だ、誰――」<br /><br /> 見上げるジュンの瞳に映ったのは、威圧的に黒髪を逆立てた青年。<br /> 偉そうに腕組みして、傲慢な眼でジュンを見下していた。<br /><br /> 「俺は、この辺りをシマにしてる盗賊『兎のシリアナ団』の頭、ベジータ様だ」<br /> 「とっ、盗賊っ?!」<br /><br /> 一難去って、また一難。盗賊団の名前ダセー! なんて、笑ってる余裕はない。<br /> ズリズリと尻を擦って退くジュンに、ベジータの嘲笑が投げかけられる。<br /><br /> 「そう怖がるなよ。おとなしく言うことを聞くなら、殺しゃしねえよ」<br /> 「ほ、ほ……ホントか」<br /> 「ああ、俺はウソは吐かねえ」<br /><br /> 信用しても、いいものだろうか。いや、即断は禁物。<br /> まずは要求を聞いてからだ。ジュンは固唾を呑んで、男の声を待った。<br /><br /> ベジータは無遠慮な目つきで、ジュンの身なりを眺め回している。<br /> 金目の物があるか、品定めされているのは間違いない。<br /><br /> そして――<br /><br /><br /> 「そうだな。お前には選択肢をやろう」<br /> 「選択肢? なんだよ、それ」<br /> 「有り金すべてを差し出すか、俺の前にケツを差し出すか……<br />  ふたつに、ひとつだ」<br /> 「な、なんだとっ!」<br /><br /> 馬鹿げた二択だ。現実ならば、迷うまでもなく、金を差し出している。<br /> だが……ここは夢という未知の領域。<br /> ブーさんに襲われて、かなり危険な世界なのだと認識できた。<br /> ちゃんとした装備を整えるためにも、アッサリと金を手放すべきではないだろう。<br /><br /> (それに――これは、姉ちゃんが爪に火をともして貯めてくれた、大切な金だ。<br />  これを元手に株(?)で大儲けして、転職して、姉ちゃんに楽させてやるんだ。<br />  なのに……僕の夢を、こんな盗賊なんかに渡してたまるか!)<br /><br /> 残念ながら、ベジータに喧嘩で勝つ自信は――無い。<br /> ジュンは覚悟を決めて、四つん這いになり、ベジータの前に尻を突きだした。<br /><br /> 屈辱で頬が引き攣り、目頭が熱くなる。<br /> もっと強ければ! もっと力があれば! 知らず、ジュンは拳を握りしめていた。<br /><br /> 「はぁ――っはっはっは! なかなか素直じゃねえか! 気に入ったぜ」<br /><br /> いきなり、臀部にベジータの強烈な蹴りを見舞われて、<br /> ジュンは受け身を取る間もなく、無様に顔面着地してしまった。<br /> メガネのフレームが、ガリガリと土を削り、砂利が頬にメリ込んだ。<br /> 幸いにして、レンズまでは傷つかなかったようだ。<br /><br /> ……が、弾みで、ベルトに結わえておいた革袋が、がちゃんと地に転がる。<br /> ベジータは、目敏くそれを拾い上げて、短く口笛を吹いた。<br /><br /> 「驚いたぜ。しみったれたナリの割に、意外と金持ってるじゃねえかよ」<br /> 「か、返せっ!」<br /> 「あぁ? これはもう俺の金なんだよ、ボケが」<br /><br /> 飛びかかってきたジュンを蹴り飛ばして、ベジータは革袋を懐に入れた。<br /> これでもう、取り返すことは絶望的だ。<br /> ジュン一人では、どう逆立ちしても、ベジータを倒すことなど出来ない。<br /><br /> (くそっ! 情けない……こんなゴロツキに、あしらわれるなんて)<br /><br /> 悔しくて、口惜しくて――胸の奥底から、言いしれぬ感情が沸々と湧いてくる。<br /> そこに、ベジータの嘲笑が加わって、どうしようもなく涙が溢れてきた。<br /><br /> 「ちくしょう……ちくしょう……」<br /> 「おいおい、泣くことねえだろ。お前はむしろ、ラッキーなんだぜ?」<br /><br /> なにがラッキーなもんか。<br /> 言い返そうとした矢先、ベジータの左腕が、ジュンの頭を地面に抑えつけた。<br /> だけでなく、彼は右腕でジュンのベルトを掴み、腰を引っ張りあげるではないか。<br /><br /> なにをされるか分からない恐怖で、ジュンが表情を強張らせる。<br /> ベジータは、その変化を面白そうに眺めて、ニヤニヤしていた。<br /><br /> 「このベジータ様に、金ばかりかケツの初めても頂いてもらえるんだからな!」<br /><br /> そう宣告した男の目の色は、決して、狂人のソレではなかった。<br /><br /> こいつは本気だ。最初っから、金と尻、両方を狙っていたんだ。<br /> いまになって分かっても、もう遅かった。<br /> 筋骨隆々たるベジータは、盤石の重みで、ジュンを抑えつけている。<br /><br /><br /> (ごめん、姉ちゃん……。僕はもう、ホ○エモンには成れないよ。<br />  掘られモンとして、ゲイ人デビューすることになりそうだ)<br /><br /><br /> なけなしの所持金を奪われ、男としてのプライドすらも奪われようとしている。<br /> それなのに、自分には抗う術さえ、残されていない。<br /><br />  『おとなしく言うことを聞くなら、殺しゃしねえよ』<br /><br /> タイミング良く、ベジータのセリフが頭の中でリフレイン。<br /> 死なずに済むのなら…………まだ、マシかも知れない。<br /> ジュンは観念して、身体中のチカラを抜いた。<br />  <br />  </p>

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: