「狼禅百鬼夜行 六つ目の話 「都姫狗妖話」」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る
狼禅百鬼夜行 六つ目の話 「都姫狗妖話」」を以下のとおり復元します。
<p>このお話は、機械や鉄砲が存在せず、<br>
八百万の神々、そして森の生き物や妖怪達が、まだ人々にとってとても身近であった頃の物語…</p>
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都の外れの荒れ屋敷。崩れた塀と草に埋まる庭。朽ち、倒れかけた建物群。<br>

化け物屋敷と恐れられ、今は人すら近寄らぬそれらは、しかし過去の栄華を示すかのように、<br>

月に照らされその半ば崩れかかった威容をさらしていた。</p>
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暗く、静かに、ただ虫の音のみが響き渡る屋敷の中、小さく聞こえる衣擦れの音。<br>

人など居らぬ屋敷の中で、荒く弾む息遣いは誰のものか。<br>

未だ倒れぬ離れの中に小さな悲鳴の上がる時、几帳を照らす青い炎が風も受けずにゆらめいた。</p>
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"+1">狼禅百鬼夜行 六つ目の話 都姫狗妖話 みやこのひめとてんぐのあやしげなるはなし</font></p>
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枕の横に聞こえるは、何処ぞの寺の名高い坊主が発する気合と念仏の声。<br>

焚き締められた香の匂いもその念仏も、「私」にはさして気になるものでもない。<br>

けれど、私の中に居る誰か。何時ものように、唐突に乱暴に私の体を占拠した何者か、は、<br>

そのどちらにもに苦しんで…勝手に人の口を使って呪詛と恨みの言葉をとめどなく吐きだしていく。<br>

時には体を大きく跳ねさせて、のたうちまわることすらあった。<br>

だのに、私は慌てて押さえる僧達の手の感触も、苦しく締め付けられる胸の痛みも、<br>

すべてはまるで、夢の中のように……遠く、遠く感じるだけ。</p>
<p>私と体のつながりは、もうきっと切れかけている。<br>
小さい頃、初めて何かに憑かれた時は、それこそ激しい痛みと苦痛で気が狂いそうになったほど。<br>

それが、徐々に遠くなっていく、というのは…きっと、私自身が体から剥がされかけている証拠。<br>

いつか私は完全に、この体に憑くたくさんの何かに蝕まれ、追い出され、そして消えてしまうのだ。<br>

遅かれ早かれ、いつの日か。</p>
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続く遠い痛みと叫び声を考え事で紛らわせるうち、私の体は断末魔の悲鳴を上げて倒れ伏す。<br>

とたんに体に感触が戻って、私は大きく息をついた。</p>
<p>「終わりました」<br>
「ありがとうございます。お礼とお食事は、母屋の方に…」</p>
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目をつぶって体を弛緩させる私の隣で、坊主と父の声が聞こえる。<br>

聞きなれたこの遣り取りも、この月に入り既に何度目であろうか。<br>

もはや叫び続けて声は枯れ、暴れ続けて疲労困憊。今は体も動かない。<br>

私に出来る事はただ、侍女たちに姿勢を整えられ、寝具をかけられるままに<br>

疲れた体を眠って休める事くらいだった。</p>
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次に目を覚ました時は、日は既に高く上り、傍には誰も居なかった。<br>

何時もの朝だ。このような、数日に一度は何かに憑かれて奇声を発する化け物憑きの娘の傍らには、<br>

侍女すら長くは居たがらない。<br>
けれど、それくらいが丁度よいと思う。私だって気味悪がられながら一緒に居るなど気分が悪い。<br>

小さく伸びをして起き上がろうとすると体の節々が痛んだが、そんなのは何時もの事だ。<br>

並べられた服を纏って、傍に置かれた膳を寄せて冷えた朝餉を口にする。<br>

……半分も食べ終わらぬうちに、面倒になって箸をおいた。<br>

このような今にも他の何かにくれてやらねばならぬ体など、いたわったとして何になる。</p>
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むせ返るほど焚き染められた、魔除けの香から逃げるように部屋を出る。<br>

自らの手で御簾を上げて格子を開いて縁側へ。<br>
見渡せる庭は、月の半分は床に伏せる私を余所にいつの間にやら夏を過ぎ、<br>

青々と茂っていた緑の木々も、今は秋の装いも色鮮やかに、周囲にそれを誇示してみせていた。<br>

誰も見ていないのをいいことに、私は廊下に腰を下ろしてその光景をぼんやり眺める。<br>

どうせ人などこの離れまではめったにやって来ないのだ。<br>

多少はしたなく外に姿をを晒したとて、注意をされる事も無い。</p>
<p>
そうして、赤く赤く血のような色に染まりざわめく紅葉を眺めていると、<br>

ふっ、と自分のことなどすっかり忘れてしまいそうになる。<br>

中納言の姫である事も。化け物憑きであることも。この世に存在していることすらも。<br>

そう、無理に私がこの世に存在し続けたとしても、<br>
私のたった一つの所有物である体は、これからも化け物に、生霊に何度も奪われ続けるのだろう。<br>

その最中に、きっと「私自身」も消えてなくなってしまうのだ。</p>
<p>……どうせなくなってしまうのならば、<br>
いっそこのまま風に溶けて、紅に溶けて、綺麗に消えてなくなってしまえばいいのに。</p>
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柱に体をあずけながらそのようなことをぼんやりと考えて、一体どれくらいの時間が過ぎたのだろう。<br>

いつの間にやら夕暮れ時になり、木々だけでなく空すら朱に染まり始める頃…</p>
<p>ギャァ――――――――――――――!!</p>
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大きな悲鳴が響き渡る。それは人ではない何か別の生き物の声。<br>

我に返って空を見上げると、何かがどさりと屋根に落ちる音。<br>

程なくそれは端から転げ落ちて、その姿を現した。</p>
<p>「からす…?」</p>
<p>
その鳥は、落ちかけたところで羽ばたいて、再び空に舞い上がろうとする。<br>

しかし、矢に貫かれた羽ではそれも無駄であったのだろう。<br>

必死の羽ばたきも空しく、私のすぐ近くに落ちた。<br>
烏は地に落ちてなお羽ばたこうと足掻き、もがき苦しんでいる。<br>

その姿に興味をそそられた私が、近寄ろうと柱から身を起こしたとき…<br>

塀の外に、馬のいななきと鎧兜の鳴る音。そして男たちの騒がしい声。</p>
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屋敷に落ちたぞ!物の怪め!また中納言様に祟りを為そうと言うのか!<br>

早く屋敷の者に伝えて捕まえねば!</p>
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次第に遠ざかってゆく声を聞きながら、私はひざをついて烏に近づいていく。<br>

羽を貫かれて、無様にのた打ち回るかの鳥は、やっと私の姿に気付いたようにこちらを見上げてきた。</p>
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そこにあったのは赤い瞳。普通ならば黒く濡れ、漆器のように光るはずのその瞳は、<br>

今の空のように、庭の紅葉のように、血のように赤く光っていた。<br>

思わず引き込まれて手を差し伸べるが、烏は威嚇するようにコウ!と一声。<br>

しかし躊躇せずに、私はその体を抱き上げた。暴れて辺りに黒い羽が飛び散ったが気にしない。<br>

片手で押さえて背中をなでてやるうちに、烏は次第に大人しくなっていった。</p>
<p>
そのうちに、ドタドタと騒がしい足音が近づいてくる。<br>
見れば、屋敷に仕える侍女の一人が渡り廊下を急ぎ足で歩いてこちらにやってきた。</p>
<p>
「何をやっておられるのです!御簾の中へお入りください!今からこちらに人が参ります!」</p>
<p>抱いた烏を長い上着の袖で覆って振り返ると、<br>
あれよあれよという間に御簾の中に押し込められてしまう。<br>

程なく庭をどかどかと歩く数人の足音が聞こえて、外から声がかけられた。<br>

挨拶の口上のあとに続いたのは…</p>
<p>
「私が先ほど射落とした、物の怪と思しき黒い影がこちらに落ちてゆきました!<br>

 姫はご無事であらせられるか!?」</p>
<p>案の定、先の烏のことと思しき話。<br>
武士の言葉に、侍女がこちらを振り返る。私は静かに頷いて、おかしくない意思を伝えた。<br>

すると侍女は向き直って、御簾の外へ言葉を放つ。<br>
「姫様はご無事で居られます!」</p>
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「ならば、落ちた黒い影をお見かけになりませんでしたか?」</p>
<p>振り返る侍女に、今度は小声で言葉を伝えた。</p>
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「悲鳴をあげて落ちてきた影は、のた打ち回った後に再び空を飛び、<br>

 西の空の彼方へ消えた、とおっしゃっておられます!」</p>
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逃げたか!物の怪め!と男達の色めき立つ声が聞こえてくる。<br>

しかしそれは直ぐに先ほどの呼びかけの声によって静められた。</p>
<p>「わかりました!ご協力感謝いたします!」</p>
<p>
良く通る、張りのある声が響いた後、足音は、どかどかと音を立てながら再び遠ざかっていった。<br>

その気配が遠くへ消える頃、残った侍女はひとしきり心配して、<br>

物の怪に中てられていませんか、体の調子はおかしくありませんか、などと聞いて来る。<br>

しかし何時もと変わった所は無い、とうんざりしながら告げると、すぐに離れを出て行った。</p>
<p>
やっと部屋に静寂が戻る。袖の陰に隠した烏の様子を見てみると、<br>

なにやら憮然とした様子でこちらを見上げていた。</p>
<p>
「……私はただ助けたかったから貴方を助けたの。別に感謝なんてしなくてもいいけれど<br>

 少なくとも怪我が治るまではここにいたら?」</p>
<p>
物の怪だ、と男達は言っていたけれど実はただの鳥であるかもしれない。そんな事などわかっている。<br>

けれど、その物問いたげなその様子に、私は思わず語りかけてしまっていた。<br>

烏は、そんな私をあの赤い瞳で見上げて…思い出したかのように、鳥らしく小首を傾げて見せた。</p>
<p>&lt;続く&gt;</p>

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