「息が、しづらくて」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る
息が、しづらくて」を以下のとおり復元します。
『巴メイデン支援』  
 小手か面かと迷ったときには自分の頭に竹刀を落とされたとき特有の衝撃が走っていた。
 審判の一本!という声を、巴は小さな耳鳴りをおこしながら聞いた。
 地区大会三回戦負け。今回の戦績である。といっても巴の実力ではいつもそれぐらいが関の山だった。だいたい二、三回戦で負けて、いいところ準々決勝で負ける。 
 「惜しかったわ」「もう少しだったのにね」先輩達はおおむねそんな言葉で巴にフォローを入れた。これもいつものこと。
  極端に弱いわけではない。しかし、小さい頃から剣道をやっているわりには強くないことも  巴自身十分承知していた。
  夕方に部活が解散した後、家に帰り父に今日の結果を聞かれ、素直に伝えるが「そうか」と一言だけ。
  それから巴は二時間ほどかけてクラス委員としての仕事をし、明日の授業の予習をして から寝た。


  次の日の学校。今日も今日とて朝連をし、外れない程度に同じクラブの人たちと会話した。
  巴はなぜか外れることが無性に怖い。それは厳しい父親のせいかもしれなかったし、元々臆病な性格なのかもしれなかった。
  剣道場から教室に移動するために園芸部の大きな花壇を通りかかった時、同級生のジュンと翠星石が朝早くから揉めていた。
  「さっさとするです!この翠星石が丹精込めて育てた花園を貸してやっているですよ!」どちらかというと、翠星石が一方的にジュンに癇癪を炸裂させているようだった。ある意味、いつもどおりの光景だ。
  ―――何をしているのか興味がわいた。
  しかし、結局巴は二人に話しかけずに、その場を立ち去った。

  クラス全員の興味を掻き立てている遠足の班決めは難航した。
  昨日時間をかけて班決めが円滑に進むように人名を埋めていけば完成する表を作ったりと巴なりに色々努力はしてみたのだが。
  班決めは次のLHRに持ち越しになった。
  巴個人としては「頼むよいいんちょ~」
  男子の気楽な野次と、困ったね、困ったねと言いながら明るく笑うばかりの梅岡先生の 
 「頼りにしてるぞ柏葉っ」
  という言葉が妙に耳にへばりついているだけだった。
  そして今日も剣道部にいった。今日は部の終番だったので日が暮れるまで当番作業をし、全てを済まして職員室に鍵を返した頃には巴は濃い紫のような、藍色のような夜の学校に一人で立っていた。
  とぼとぼと、歩き始める。
  朝にも通った園芸部の花壇の前を通ったとき、巴はごそごそと動く人影を見つけた。
  「…桜田君?」
  声をかけられたジュンは驚きの表情で巴に振り返った。そして声をかけたのが巴だと気づいて、ほっとした顔になった。
  「あ、なんだ柏葉か」
  幼馴染は気安く巴の名前を呼んだ。
  「…なにをしてるの?」
  だからだろう、巴は朝には言えなかった言葉を口にした。
  「ん、それは…これだよ」 
  そういってジュンは一歩右にずれた。ちょうどジュンの背後に隠れていた花壇が見える。 
  そこには小柄な人物が座っていた。いや、人ではない。 
  「人形?」 
  「うん。」
   ジュンは短く頷いた。その姿は照れくさそうであり、誇らしげだった。 
  「今度展覧会に出してみようと思ってるんだ。そのための応募用写真をとってたんだよ」 
  「そう…朝もそのために?」 
  巴がそう聞くと、頭をかきながらジュンは満足のいく写真が取れなくって。とぼやいた。 
  二人の間に共通の人物の顔が浮かぶ。お互いにそれを察して、ジュンがまず吹きだした。 
  つられて、巴もくすくすと笑った。なんだかおかしかった。 
  「桜田君変わったね」 
  ぽつりと、巴はそんなことを呟いていた。 
  ジュンは一度、梅岡の善意により不登校に陥った。しかし、しばらくしてから彼は学校に復帰し、吹っ切れたように人形と衣装の製作に取り組んでいる。 
  「みんなが助けてくれただけだよ」 
  ジュンはやはり照れくさそうにそういった。 
  「私は…何も変わらないわ」 
  不意に、巴は話はじめていた。 
  「クラス委員はね、本当はやりたくなかったの。でも…みんなの期待を裏切っちゃうから。断ったら、外れちゃいそうで、怖くって。剣道部もそう。本当は止めたいけれど、父が怖くて」 
  巴は自分が泣いていることを頭の片隅でぼんやりと自覚した。 
 「でもね…そんなふうに考えてる自分が一番いや…。なにも言い出せない自分が一番いやなの」 
  子どものようにいや、いや、と巴は言った。そしていよいよ、涙はとめどなく流れ始める。 
  これで、桜田君にも嫌われる。巴はそう思った。 
  いきなり訳のわからないことを口走って泣き出す子なんて、気味が悪いだけだもの。 
  しかし、ジュンは頷いた。 
  「わかるよ…僕だってそうさ」 
  「桜田君は違うわ」 
  「違わないよ。僕も…今だって怖くて仕方がないんだ。それでもこうしていられるのは、まわりに僕を変人扱いしなかった人たちがいてくれたっていう、幸運があったからだ。 
   それがなければ、僕は今でも引きこもりだったと思う」 
  ここまで言ってジュンは一度大きく息をした。その顔は夜目にもはっきりわかるほど赤かった。 
  ジュンは巴の顔を見つめる。 
  「もし巴が少しでも外れたら、孤独になるって思い込んでるのならはっきり言っとく。 
  僕は巴がちょっと変わっただけで嫌いになったりなんかしない。 
  もっともっと、巴は自分を出していいと思う」 
  夜風が花壇を撫でていった。 
  「ありがとう…桜田君」 
   ほんの少し、しかし心からうれしそうに巴は微笑んだ。 
   人形だけが二人のやり取りを見ていた。

   そこからは、あまり話さずに二人とも家に帰った。お互い照れていたのだ。
   家に帰ってからも、巴はジュンのことを考えていた。あれだけのことを堂々と
言って、そのあと照れてる彼の様子を思い出して、巴はもう一度笑った。
   次の日の朝。朝練が終わって園芸部の花壇の前を通りかかる。また二人が揉めていた。ジュンは納得のいく一枚が取れるまで、とことん粘るつもりらしかった。カメラを通して人形ばかりを見ているジュンに、翠星石は言葉を浴びせかけている。ジュンに振り向いて欲しいからだろう。
   巴はそっと、二人に近づく。
   ジュンが巴に気づいた。
   「やぁ」
   軽く挨拶してきたジュンに巴は話しかける。
   「あのね…私、桜田君が好き」
   その言葉は、あたりの空気を凍りつかせた。
   「な、な、な」
   翠星石は震えていた。
   「返事は、ずっと後にしてね」
   巴はそう言うと、その場を後にした。
   「だっ、大胆なやつですぅ!」
   翠星石の叫びを巴は背中で聞いた。――なんだか、剣道もクラス委員も頑張れる気がしていた。
   安心感と慕情と二つの気持ちを抱えて、巴は教室に向かって歩いていく。

復元してよろしいですか?