旅立ちの時 ２
<p>期待に胸を膨らませた顔、その反対に不安の色を隠せない顔とまちまちであるが、その 中に真紅たちの顔は発見できない。<br> 「遅いわ、遅すぎるのだわッ、雛苺、ちょっと水銀燈と翠星石を呼んできなさい、<br> みんな出発しているわ！！」<br> 「はいなの～」<br> <br> 出発の用意が整ったパーティは急げとばかりに馬にムチを入れ、学園から離れていく。<br> 水銀燈と翠星石がまだこない真紅は焦りと苛立ちに腕を組み、つま先をタンタンと小刻みに<br> 地面へと打ち鳴らしていた。<br> 雛苺が2人を呼びに行って15分は経過しただろうか、真紅がつま先を地面に打ち付ける速度が<br> 限界に達しようとした時、ようやく水銀燈と翠星石の声が聞こえてきた。<br> <br> 「おまたせぇ～～」<br> <br> そう言って姿を見せた水銀燈は黒く染め上げられたドレスを着用している。<br> 胸元には黒いドレスに似合う薄い紫色の薔薇をモチーフにしたブローチが付けられ、ドレスの肩は<br> 少し膨らみをもたせて腕が動きやすそうな工夫がされている。<br> それと同じようにスカートも5つほどの菱形にカットされ、腕と同じように動きやすくなっていた。<br> そして、そのスカートには彼女がローラシア大陸の北に暮らす風と大気をつかさどる一族である証が<br> 白い刺繍で見受けられた。それは現代で見るところ、ちょうど十字架を逆にした形である。<br> <br> 「今朝も冷えるですねぇ～真紅、さぁ出発ですぅ～」<br> <br> 水銀燈の後ろからひょこっと顔を出した翠星石は水銀燈とは逆に緑色を基調とした動きにくそうな<br> ロングドレスをまとっている。しかも上から上、中、下と3枚重ねの重厚な生地でできたドレスは<br> 下に行くほど膨らみを持ち、一番上のエプロン調になった生地の裏には何やら魔法薬が入った小瓶<br> をいくつも隠し持っているように見受けられた。<br> <br> 「貴女たち、時間厳守よッ。もうみんな出発してしまったわ、それに翠星石、その<br> ドレスの中に何を隠し持ってるの？危ない魔法薬じゃないでしょうね？」<br> 「ただの傷薬とぉ～、あとは治療魔術に使う触媒ですぅ～、魔獣が嫌う薬草もあるですよぉ」<br> 「そう、それならいいのだけれど」<br> <br> 真紅が水銀燈、翠星石と話していると雛苺の声が3人に届いた。<br> それは悲鳴とも落胆した際に出るため息ともつかない声である。<br> <br> 「どうしたの、雛苺？」<br> 「なに騒いでるですかぁ？」<br> 「もぉ、なぁに大声なんか出しちゃってぇ～？」<br> <br> 3人は声の聞こえた方へ向かうと、そこには今にも崩れそうなオンボロ馬車と<br> 馬の代わりにくたびれたロバが3頭モシャモシャと草を噛んでいた。<br> <br> 「大変なの～、残っている馬車はこれだけなの～、それにお馬さんはもういないのよぉ～」<br> 「……うそぉ～？……」<br> 「あぁ、なんて事なの」<br> <br> 唖然としたまま言葉をなくした彼女たちは、しばらく草を食むロバを見つめたまま<br> 動けなかったが、気を取り直した翠星石はポツリと「遠征試験はダメかもしれないですぅ」<br> ともらした。<br> <br> <br> 真紅たちがようやく荷物をオンボロ馬車に詰め込み、学園を出発した頃、目的地で<br> あるジターバグー村では昨夜から行方不明になっていた男の遺体が運び込まれていた。<br> 泣き崩れる親族をなだめる村人はその遺体に白い布を被せ、そっと胸の前で腕を組んだ。<br> 野獣に食い残されたであろう遺体は、もはや遺体とは言えない。<br> 見つかったのは体の一部、右腕間接部分から先と両足首、そして頭蓋の砕けた頭部である。<br> まさに手当たりしだいに破壊され、粗食されつくした人間の一部であった。<br> <br> 「なんてことだ……奴が獣に襲われるとは…」<br> 「あぁ、信じられん…あいつはこの村一番の狩人なのに、いったい奴を襲ったのは何だ？」<br> <br> 埋葬の準備をしながら村人は口々に発見された遺体について話あう。<br> とりわけ村一番の狩人を無残な姿にした相手について多くの憶測が飛び交った。<br> <br> 「野獣ではなく魔獣ではないか？巨大化したオオツノコウモリでは？」<br> 「いや、オオツノコウモリなら食べるのは血と内臓だけだ」<br> 「じゃ、グリズリーか？」<br> 「それも違うだろう、グリズリーはこの辺りには居ないし見たこともない」<br> 「じゃ、なんだ？ヤツは100キロを超えるイノシシをナイフ1本で仕留める狩の名人だぞ」<br> 「とにかく正体は分からないが、山狩りをする必要があるな」<br> 「そうだな、埋葬が終わったら武器を持てる男は村の広場へ集まるように伝えよう」<br> <br> その日の午後近く、太陽が真上に差し掛かる頃。村の広場には弓、斧、ナイフ、中には<br> 昔、戦場で使っていた大剣を携えた男など18名が集まり、短い祈りの後、森の中へと<br> 入っていく。<br> うっそうと茂る木々の葉により昼間でも薄暗い森を行く男たちは、あの遺体を目の当りに<br> した後だけに進む歩幅が慎重になり小さな物音にも敏感になってくる。<br> 元兵士で戦場に赴いたことのある男はその場の雰囲気はまるで負け戦のようだと感じていた。<br> 常にどこかで何者かに見られている、自分たちは狩るほうではなく狩られるほうだと思った時、<br> 最後尾にいる男の悲鳴が緊張と静寂をやぶった。<br> <br> 何だ？？誰がやられた？？<br> <br> 振り返った男は腰から大剣を抜くと素早く身構える。ドサッ、その男の足元に何かがころがって<br> きた。それは強引な力で文字通り引き抜かれた人間の首である。<br> 恐怖におののく目はカッと見開かれ、最後の悲鳴を上げたまま絶命したであろう首はゴロリと<br> 転がり空を凝視したまま止まった。<br> <br> なんてことだ……<br> <br> 男が見たものは首のない体に食い込む大きなキバ、それが肉と骨を食いちぎる嫌な音。<br> その目は赤く血の色にも似た輝きで呆然と立ちすくむ男たちをギロッとにらむと大きな<br> 口から鮮血をしたたらせ咆える。<br> その声に答えるかのように男たちの周りから同じような咆哮が聞こえてきた。<br> <br> か、囲まれたのか？<br> <br> 大剣をもつ手は恐怖のためガチガチと音が聞こえるくらい震えている。<br> パニックに陥った数名の男は悲鳴をあげて逃げていくが、茂みに入ったとたん、恐怖の悲鳴から<br> 絶命する際の絶望の声に変わっていく。そしてその声が合図となり虐殺が始まった。<br> <br> 「はぁ、はぁはぁ……早く、早く知らせないと…はぁ、はぁ」<br> <br> 男は片腕を無くしながらも一方的な虐殺から逃れ、森から脱出していた。<br> 自慢の大剣にはベットリと血が付着し、それを杖代わりに縺れる足で歩いていた。<br> <br> <br> 学園を出発し、早2日目の太陽もいつもとなんら変わらない朝を連れてきた。<br> 冷たく乾燥した風、小さな小鳥たちが可愛く短い声で鳴きながら頭上を飛んでいく。<br> 草原の草花は朝露をふくみキラキラと輝いている。<br> 翠星石はその輝く雫を小さな容器に集めている。なんでも太陽に照らされたばかりの<br> 朝露には生まれたばかりの水の精霊の力が宿りやすいらしい。<br> 一方、そのすぐ近くで水銀燈は目を閉じ、草原を走り抜けていく風に髪を躍らせていた。<br> ふぅ～ん、なんだかイヤな感じぃ……<br> <br> これから入ろうとするス・ライダの森から抜けてきた風に微かな血の匂いを感じたのだ。<br> 一方、朝食の準備をしている雛苺も時折、手をとめると心配そうな表情で飛び去っていく<br> 小鳥の声を聞いていた。そんな雛苺の肩に水銀燈はポンっと手を乗せて聞く。<br> <br> 「ねぇ、小鳥たちは何て言ってるのぉ？」<br> 「森に行くな、入るな、って言ってるの……ヒナなんだか怖いの～」<br> 「そぉ……ねぇ、真紅ぅ、貴女の占いはどう出たのぉ？」<br> <br> 水銀燈の呼びかけに真紅は地面に書いた魔法陣の上に転がる石を指差した。<br> <br> 「今朝のお茶はアールグレイだと出たのだわ」<br> 「ねぇ、真紅ぅ、そんなのをさっきから占っていたのぉ？」<br> 「えぇ、そうよ、朝は1杯のティータイムからだわ」<br> 「ふにゅ～、そんなの占いとは言えないの～、真紅が飲みたいだけなの～」<br> 「あら、随分な言い方ね雛苺、貴女は私の占いを信じないと言うのね？」<br> <br> 真紅の占いを聞いた水銀燈はふぅ～と肩で大きく息をした。<br> 相変わらず鳥たちは鳴き、風に含まれた血の匂いは消えないでいる。<br> 大した魔獣など居るはずもないこのス・ライダの森に何やら得体の知れない不安を<br> 水銀燈と雛苺は感じていた。</p>
