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~第五章~ - (2006/04/29 (土) 00:03:38) の編集履歴(バックアップ)



  ~第五章~

かつて激戦の末に陥落した安房津城は、誰にも省みられることなく風雨に曝され、
荒れるに任せていた。門や壁の殆どが崩落し、僅かに残る屋根瓦の間から、
雑草が好き放題に生い茂っている。焼け跡の残る柱も徐々に傾ぎ始めており、
いつ潰れてもおかしくはなかった。
無論、そんな物騒な場所に寝起きする者など居ない。
人が寄りつかないことで、廃墟には一層おどろおどろしい雰囲気が漂いだして、
それが更に、人々の脚を遠のける原因になっていた。

そんな廃墟の中を、滑るが如く移動する影がひとつ。
鬼祖軍団・四天王の一人、笹塚だった。
彼は謁見の間に踏み込むと、ささくれ立った畳の上に、どっかと胡座を掻いて頭を垂れた。

 笹「御前様、おはようございます」
 御「……笹塚か。このような朝早くから、何用か?」
 笹「ははっ。実は、よい報せを三つばかり、お耳に入れたくて足を運んだ次第でございます」
 御「ほぅ。よき報せ、とは?」
 笹「一つ目は、例の件……鉄砲の量産体制が整った事にございます。
   二つ目は、狼漸藩内に、新たな居城が完成した件ですな」

ふむ……と、御簾の奥で、満足そうな呟きが起こる。

 御「それで、三つ目の良い報せ……とは?」
 笹「手の者の報告で……主君とするに相応しい人物を、探し当てましたぞ」
 御「相違ないか?」
 
笹塚が自信に満ちた態度で肯定すると、御前は御簾の中で立ち上がり、笑い出した。
その哄笑は廃墟に響きわたり、いつまでも続いていた。



庭に咲く菖蒲の花を見つめながら、桜田ジュンは彼女のことを考えていた。
短い間ながら、桜田家に仕えていた双子の姉妹。
その、妹の方。名を、蒼星石と言った。
孤児でありながら、その剣技は桜田家に仕える、どの武将よりも優れていた。

一見すると男勝りな一面ばかりが目立つが、じっくり付き合うと、実に献身的な娘である。
ジュンはいつしか蒼星石に心を惹かれ、逢瀬を楽しむ間柄になっていた。
そして、ゆくゆくは妻に……とすら考えていた。
しかし、その想いを伝えることは出来なかった。

彼等を取り巻く人々は、二人の関係を快く思わなかった。
桜田藩主の嫡男に、平民の娘が輿入れするなど、有ってはならない。
たとえ武芸に秀でていようとも、例外は有り得なかったのだ。

 ジ「あの時、僕にもっと力があれば――」

周囲の反論など、ねじ伏せられたのに。
その一言を、ジュンは呑み込んだ。今更、口にしたところで、彼女が帰って来る訳ではない。
蒼星石は、自ら身を引いたのだ。これ以上、ジュンに迷惑がかからない様に、と。
彼に別れの言葉も残さず、蒼星石は何処へともなく、旅立ってしまった。

 ジ「どこに居るんだ、蒼星石。僕は、こんなにも君に会いたいのに」

この半年、草の者を使って捜しているが、彼女の行方は杳として知れない。
空の彼方に目を転じて、嘆息するジュン。もう、彼には時間がなかった。
明後日には、望みもせず、顔も知らない相手と祝言を上げねばならない。
政略結婚だと解っていても、家臣や領民の生活を思えば、拒絶することなど出来なかった。
自らの意思を犠牲にしてでも、民の幸せを護らなければならない。
それが、国を治める者の宿命だと理解していた。

――人の上に立つ者として、公私の区別はせねばならない。
そのことは、蒼星石が教えてくれた。
私心を捨てて、ジュンの元を去った蒼星石。
今度は、ジュンが彼女を模範として、國のために尽力すべき時だった。

ジュンの背後で、すっ……と、襖が開かれ、初老の武将が顔を見せた。

 ジ「じい……何か用か?」
 梅「また、あの娘の事を考えておりましたな、若」
 ジ「何故、そうだと言い切れるんだい」
 梅「恐れながら、この梅岡。若が幼少のみぎりより、教育係としてお仕えして参りました故」

なるほど……と、ジュンは微笑した。
思えば、梅岡には様々なことを教わってきた。
水練や馬術、剣術に合気道、なぜか料理まで。
結果、剣術よりも裁縫が得意になったのは、今もって疑問が残るところだ。

見抜かれているなら、隠す必要もない。ジュンは静かに頷いて、また青い空に向き直った。

 ジ「その通りだよ。僕はまだ、彼女への想いを吹っ切れてないんだ。
   この國の為に粉骨砕身するって、決心したのにな」
 梅「それだけ、若の想いが真剣だったという事でござろう。その事はきっと、
   蒼星石どのも解っていたでしょうな」
 ジ「ありがとう。じいに、そう言って貰えて少し救われたよ」
 梅「しかし……いつまでも、そんな安易な考えでは困りますぞ。
   未練を引きずったまま祝言を上げては、先様に失礼」

梅岡は、ジュンの本心を試すかの様に、ずばりと核心を突いてきた。

 梅「このまま先様の姫を迎えて、若は幸せになれましょうか? 姫を愛せるのでござるか?」
 ジ「そ、それ……は」
 梅「事情を知らぬ姫に、蒼星石どのの面影を重ねて、ご自身の心まで誤魔化すおつもりか?」
 ジ「僕は、そんなこと――」

しない、と言い切れるだろうか。
多分、梅岡の言う通りになるだろう。蒼星石との関係を、完全に断ち切れたと思えない限りは。
しかし、祝言の日取りは既に決まっている。
これ以上、何が出来ると言うのか。何も出来はしない。

苦渋に満ちたジュンの表情を、真っ直ぐ見詰める梅岡。
それはまるで、息子が自力で答えを出すのを、辛抱強く待ち続ける厳格な父親の様だった。

 ジ「僕は……やっぱり、蒼星石を諦めきれない。彼女しか愛せないんだ!」
 梅「ならば、すべき事は、ひとつですな」

梅岡は満足そうに微笑んで、二度三度と頷いた。
そして、懐から一通の書状を抜き出して、ジュンに手渡した。

 ジ「じい、これは?」
 梅「先程、草の者より届いた報せです。あの娘の足跡が掴めた……と」
 ジ「!!!」

ジュンは雷に撃たれたかと思えるくらいに、身体を震わせた。
今頃になって、まさか、こんな報告が届くとは……夢ではないのか?
梅岡は、放心状態のジュンに気合いを入れるつもりで、彼の背をバシンと叩いた。

 梅「しっかりしなされ。若、この機を逃せば一生、会えなくなりますぞ」
 ジ「じい…………だけど、僕にこんな我が侭が許されるんだろうか?」
 梅「そんな事は、心配しなくても良いのです。
   想いのままに無茶が出来るのは、若者の特権でござる。
   第一、自分すら幸せになれない者が、どうして他人を幸福に出来ましょうや?」

梅岡の言葉は、ジュンの心に響き続けた。これが人生経験の差なのだろうか。
ジュンは、梅岡の熱意に答えるように、力強く頷いた。

 ジ「解ったよ、じい。僕は、蒼星石を追い掛ける。絶対に捕まえて、連れ戻してくる」
 梅「よくぞ申してくれましたな。それでこそ、若ですぞ」
 ジ「では早速、馬の用意を――」
 梅「ご安心なされい。既に、出立の準備は整えております」
 ジ「……じい。何から何まで、本当に済まないな」

梅岡は片目を瞑って、戯けて見せた。

裏門から出立するジュンを誇らしげに見送った後、梅岡は風呂に入って、身を清めた。

 梅「大事な祝言を潰したとあっては、誰かが咎を背負わねばならぬ」

自室に籠もると、白装束に着替え、辞世の句を詠む。
最後の最後に、こんな大役を務めることになろうとは思いもよらなかったが……。
それも、また一興。人生は波瀾万丈。それ故に面白し。

 梅「若……最後まで、じいの讒言に耳を傾けてくれたこと、感謝いたしますぞ。
   この梅岡、若が蒼星石どのと仲睦まじく暮らせますよう、草葉の陰から祈っておりまする」

――その日、梅岡は全ての責を負い、自害して果てた。


ジュンは馬に鞭をくれながら、愛する蒼星石へと想いを馳せていた。
早く会いたい。少しでも近付きたい。
想いばかりが急いて、距離は一向に縮まらない。
出来ることなら、この身体を置いて、風になって彼女の元へ飛んでいきたかった。

街道をひた走り、山間の道へ差し掛かった所で、馬に変調が見られた。
少し、連続して走らせ過ぎたらしい。
やむなく、ジュンは馬を休ませるため、青々と雑草の生い茂った草むらに留まった。

 ジ「待っていてくれ、蒼星石。僕は必ず、君に追い付くから! 絶対に」

そして、あの時に伝えられなかった気持ちを、届けてみせる。
ジュンは何気なく、空を見上げた。彼女も、この空を見ているだろうか?
彼女は今も……僕を想い続けてくれているのだろうか?
そう考えた時、ちょっとだけ怖くなった。

あれから、半年。彼女にだって、想いを寄せる人が出来ているかも知れない。
仲睦まじく恋人と歩く彼女を見て、僕は果たして、正気を保っていられるだろうか?

ジュンの心に広がり始めた暗い影を具現化したかの様に、雷鳴と暗雲が空を支配し始めた。
これは、ひと雨くるなとジュンが独りごちた直後、地鳴りに似た音が聞こえた。
まさか鉄砲水? いや、違う。多数の騎馬が疾駆する音だ。
自分の出奔を知った身内が、連れ戻しに来たのかも知れない。

 ジ「ここまで来て、捕まってたまるか」

ジュンは急いで馬に跨ると、手綱を握り締めた。
馬の腹を踵で蹴って、走り出させる。

凄まじい勢いで、追っ手が背後から迫ってくる。
向こうの馬だって、此処まで疾走してきたのだから、疲れている筈だ。
しかし、減速する気配を全く見せずに、追いすがってくる。

ちら、と振り返ったジュンは、そこに信じられない光景を見た。
白骨の馬に跨った、鎧武者の一団が、すぐ後方まで迫っていたのだ。
兜の奥に収まっていたのは、やはり人間の頭骸骨だった。
ヤツらの持つ槍の先が、稲妻を受けて、不気味に輝く。

 ジ「な、なんだ、あれはっ?!」

どうして、自分があんなヤツらに追われなければならないのか?
再び前に向き直ったジュンが目にしたのは、道を塞ぐ白馬と、白髪隻眼の武将だった。
躱しきれるか? ジュンは白馬の脇を擦り抜けようと、手綱を捌く。
だが寸前で、馬上の武将が振り回した槍の柄に弾き飛ばされ、ジュンは地面に叩き付けられた。

 ジ「くっ! 痛って……ぇ」

呻きながらも、素早く身を起こし、抜刀するジュン。
けれど時すでに遅く、ジュンは骸骨の騎馬武者どもに取り囲まれていた。

 ジ「お前たち、何者だ!」
 雪「我々は『鬼祖軍団』ですわ。私は四天王が一人、雪華綺晶」

白馬の武将は、槍の切っ先をジュンの喉元に突き付けて、名乗った。
『鬼祖軍団』とは、何者だ? ジュンにとって、初めて耳にする名詞だった。
ともあれ、人知を越えた存在であることは間違いない。

 ジ「なぜ、僕を狙うっ!」
 雪「それが、御前様のご命令だからですわ。貴方には、絶望を味わいながら死んで戴きます」
 ジ「なん……だと?」

訳が解らなかった。御前様とは、誰だ? もしや祝言の相手だったとでも?
ジュンは自嘲した。幾らなんでも馬鹿げた発想だ。
こんな化け物どもの飼い主と、政略結婚などする訳がない。

 ジ(どうすれば……この場を逃げ切れる?)

ジュンは、それだけを考えていた。こんな所で、殺される訳にはいかない。
折角、蒼星石の足取りが掴めたのだ。彼女に会うまでは、死んでも死にきれなかった。

一瞬、骸骨騎馬の間に隙間が出来た。
ジュンはそこへ滑り込もうとしたが、槍の柄で膝の裏を叩かれて、その場に跪いてしまった。
どうやら、いたぶられた様だ。
ジュンは怒りに満ちた眼差しを向けて、最も近くの騎馬武者の胴に、刀を突き刺した。
しかし、相手は骸骨。刺されたところで、どこ吹く風である。
カタカタと顎の骨を揺すらせて、骸骨はジュンの顔を蹴り付けた。
もんどり打って、倒れるジュン。その背に、周囲からカタカタと嘲笑が浴びせられた。

 ジ「くっそぉ……。こんな、化け物どもにっ!」

耐え難い屈辱。
手も足も出せない自分の非力さが口惜しくて、ジュンは土を握り締めた。

 雪「さて、そろそろ終わりに致しましょうか。弱い者イジメは、趣味じゃありませんので」

よくもまあ、臆面もなく、そんな事が言えるものだ。
ジュンは憤慨したが、こいつらを倒す力を持ち合わせていない以上、相手のなすが儘だった。

 雪「お覚悟を――」

雪華綺晶が、馬上から槍を構えた。穂先は、ひた……と、ジュンの心臓に向けられている。
厭だ。まだ……死にたくない。
もう一度、彼女に会うまでは……絶対に死ねない。

 ジ(蒼星石――っ!)

ジュンが心の中で彼女の名を叫んだ、まさにその時、一騎の骸骨騎馬が絶叫をあげて消滅した。
立て続けに、隣の骸骨も両断され、地面に墜ちて塵と化した。

 雪「な、何事っ?!」
 ジ「なっ! あ、あれは――」

骸骨を切り伏せた人影を見て、ジュンは瞼を見開いた。
後ろ姿だけだが、短く切り揃えた鳶色の髪や、背格好は彼女にそっくりだった。

 ジ「そ、蒼星石っ?!」

思わず、呼びかけるジュン。
けれども、振り向いた人物の瞳は、髪と同じ鳶色だった。
左の目元の泣きぼくろが印象的な、美しい娘だ。

 ?「何者かは知らないけれど、これ以上の狼藉は、わたしが許さない」

そう言うや、彼女は突進してきた骸骨騎馬を薙ぎ払い、落馬した骸骨武者の顔に剣を突き立てた。
ジュンは直ぐに、彼女の技量の高さを見抜いた。
蒼星石と同じくらいか、それ以上だ。

 雪「……命拾いしましたわね、桜田ジュン。退けっ!」

雪華綺晶が号令をかけると、他の骸骨騎馬は彼女の後に続いて、闇に消えていった。
それを見届けて、ジュンは助けてくれた女性に、感謝の言葉を述べた。

 ジ「ありがとう。正直、もうダメかと思っていたんだ。よければ、お名前を」
 巴「わたしは、柏葉巴といいます。剣術修行のため、諸国を回っているんです」

正面に立って、改めて見ると、巴は蒼星石と本当に良く似ていた。
瞳の色が違うだけで、面差しや、身に纏う雰囲気すらも酷似している。
他人のそら似……と言うが、ジュンは未だ嘗て、ここまで瓜二つな他人同士に
会った例しがなかった。

 巴「どうか、した?」

自分の顔に何か付いているのかと、巴は指先で頬を撫でた。

 ジ「いや、ゴメン。ちょっと、知人と似てるなって思っただけだから」
 巴「それなら、いいんだけど。あ、それより怪我とかしてない?」
 ジ「ん? 特には無いよ。強いて言えば、打ち身ぐらいだ」

ちょっと、御免なさい……と、巴はジュンの腕を掴んで、ぐいと引っ張った。

 ジ「痛てててっ! な、なにするんだ!」
 巴「肩も、痛めているわね」
 ジ「……そう言えば、落馬したときに肩を強く打ち付けてたっけ」
 巴「やっぱりね。肩の辺りの気が、変に歪んでいたから」

気を感じ取れるとは、若いに似合わず、かなりの達人らしい。
巴は、ジュンの服に付いた土埃を払いながら、言葉を続けた。

 巴「この先に、打ち身に良く効く湯治場があるの。行ってみませんか?」
 ジ「え? でも、君は修行中なんだろう?」
 巴「別に、構いませんよ。それに、さっきの連中が戻ってこないとも限らないでしょう?」
 ジ「それは、確かに」

今の状態で再び襲われれば、間違いなく殺されてしまう。
ジュンにとって、巴の提案は寧ろ、渡りに舟だった。
正直なところ、彼女の力を利用するのは気が引ける。
けれど、蒼星石に会いたい一心が、巴の好意に甘える道を選ばせていた。

 ジ「じゃあ、済まないけど……案内を頼むよ」
 巴「ええ、行きましょう」

乗ってきた馬は、さっき逃げてしまったから、此処からは歩いて行くしかない。
ジュンは巴と並んで歩きながら、なんとなく昔に戻った気分になっていた。

蒼星石と二人で過ごした、懐かしい日々――

それは心地よい余韻となって、ジュンの気持ちを和ませてくれるのだった。


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