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~第十六章~ - (2006/05/14 (日) 03:54:56) の編集履歴(バックアップ)



  ~第十六章~

翌日の朝は、町中が騒然としていた。昨夜、あれだけ大立ち回りをすれば、
住民たちを叩き起こしていたのも当然だ。
もっとも、誰もが恐怖のあまり家に閉じこもっていたから、真紅たちの姿は見られていない。
六人の娘たちは咎められる事もなく、柴崎老人を埋葬した後、
柴崎家の母屋で暫しの休息を取った。

 紅「まさか、貴女が【智】の御魂を宿す犬士だったとはね」

翠星石を始め、昨晩の戦闘で負傷した乙女たちの治療をしていた金糸雀に、
真紅は穏やかな眼差しを向けた。
これからの闘いは、より厳しさを増していく。
その時に、腕のいい医者が常に居てくれれば、どれだけ心の支えになることか。

勿論、金糸雀を心強く思っていたのは、真紅だけに留まらない。
他の四人もまた、翠星石の命を救ってくれた名医として、何かと頼りにしていた。
金糸雀の鮮やかな手捌きは、一切の迷いを感じさせない。
患者にしてみれば、全幅の信頼を寄せるに足る、いい仕事ぶりだった。

薔薇水晶に続いて怪我の治療を受けていた水銀燈は、暫し逡巡する素振りを見せて、
金糸雀の手元に視線を落としながら徐に口を開いた。

 銀「ねえ、金糸雀。貴女って、どの程度の病気までなら治せるの?」
 金「? どの程度と言われても困るかしら。そんな漠然とした質問では、なんとも。
   まずは患者の症状を見ないと、判断は下せないわ」
 銀「ん……まあ、そうよねぇ。ごめん。ただの興味本位だから、気にしないでねぇ」
 金「ええ、構わないかしら。はいっと、これでお終い」 

治療が終わると、水銀燈は金糸雀に礼を言って、庭を臨む縁側に歩いていった。
南向きの縁側には、五月晴れの温かな日差しが溢れている。
うたた寝するには、もってこいの場所だ。
着流しの裾から太股が露わになるのも構わず、水銀燈は横になり、腕枕して寝そべった。
真紅は小さく吐息して、水銀燈の元に歩み寄った。

 紅「はしたない格好は止めなさい、水銀燈」
 銀「別に、いいじゃなぁい。どうせ、誰に見られる訳でもないしぃ」
 紅「他の娘の情操教育に、良くないのだわ」
 銀「はいはぁい」

煩いなぁ……と表情で語った水銀燈は、ふと悪戯っぽい笑みを浮かべて、
真紅を指差し、次いで自分の頭の下を指差した。

 紅「? なんなの?」
 銀「膝枕♪」
 紅「はぁあ?」
 銀「なによぅ。この前は、私がしてあげたでしょぉ」
 紅「……私が頼んだ訳じゃないのだわ」
 銀「まぁねぇ。けど、私に何か話したい事があるんじゃなぁい?」

水銀燈の全てを見透かしている様な瞳に射抜かれ、真紅は言葉に窮した。
本当に勘の鋭い娘ね。それとも、私が分かり易い性格をしているのかしら?

ともあれ、ぼさぁ……っと突っ立ていても始まらない。
真紅は両足を伸ばして縁側に座った。

 紅「脚が痺れるから、正座はしないわよ」
 銀「枕代わりになるなら、どうだっていいわよぅ」

言って、水銀燈は仰向けに寝転がって、真紅の太股に頭を載せた。
イマイチ収まりが良くない。もぞもぞと頭を動かして、しっくりくる場所を探した。
真紅が、くすぐったがって何やら艶めかしい吐息を漏らし、文句を言ったが気にしない。
やっと収まりのいい場所で動きを止めると、薄目を開けて、真紅の顔を見上げた。

 銀「……で? 私に何の話があるのかしらぁ?」
 紅「貴女、めぐの病状について、金糸雀に訊きたかったんじゃないの?」

水銀燈の本音を、真紅は見抜いていた。
やはり不自然な質問だったのだろう。興味本位だなんて……あからさまに嘘臭い。
それに、真紅には以前、水銀燈みずからが旅に出た理由を話していた。
医者の絡みから、めぐへの繋がりを見出すことは、容易だったに違いない。

 紅「今なら、あの娘たちも居ないから、気を遣わずに訊けるわよ」
 銀「う……ん。でもねぇ」

今、翠星石と蒼星石は、昼食の支度をしていて、ここに居ない。
しかし、水銀燈は訊けなかった。
翠星石と蒼星石の気持ちを考えれば、めぐの名前を出すことすら躊躇われる。

今や、彼女は鬼祖軍団の四天王――
どうして、こんな事に成ってしまったのか。
めぐを置き去りにして、村を飛び出したから?
でも、それは……めぐを助けたいと思ってしたこと。
あのまま村に残っていたとしても、苦痛に喘ぐ彼女を見続けることしか出来なかった。

金糸雀に訊く代わりに、水銀燈は真紅に、別の質問をしていた。

 銀「あのさぁ。穢れに憑かれた人達って、憑き物を落とせば助けられるのかしらぁ」
 紅「それは……程度次第ね。私の経験からすると……申し訳ないけれど、助からない事が多いわ。
   本人の心が穢れてしまったら、いくら憑き物を落とそうが、何の意味もないの」
 銀「翠ちゃんが助かったのは、幸運だった……と?」
 紅「翠星石の場合は、特別な症例と言えるわ。彼女は穢れに汚染されそうになって、
   本能的に心を閉ざしたのね。だから、助かったのだわ」
 銀「じゃあ……もしも……」

もし、本人が希望して、穢れに身を委ねたとしたら――
途中で、水銀燈は口を閉ざした。訊いたところで、答えは見えている。
元に戻す方法は……無い。
斃すことだけが、唯一の救済。

 紅「それでもね、水銀燈。最後まで希望を捨てなければ、解決策は見付かるものよ」

真紅の台詞に、水銀燈は微かに口の端をつり上げた。

 銀「最近、台詞を先読みするようになったわねぇ、真紅ぅ」
 紅「貴女と付き合ってると、自然と……ね。
   いつも、からかわれてるから、つい言葉の裏の意味を探ってしまうのだわ」
 銀「あらぁ、それは良かったじゃなぁい。詐欺には引っ掛からなくなるわよぉ」
 紅「それ以前に、疑り深い小姑みたいになりそうよ」
 銀「あははっ。言えてるわねぇ」

水銀燈も真紅も、重苦しい気分を払拭するかの様に、朗らかに笑い続けた。

昼食は、ちょっと贅沢な献立だった。
柴崎老人の追悼、双子姉妹再会の祝い、金糸雀の歓迎会――
それら全てを一度で済まそうとするのだから、盛大になるのは当然である。
仏壇の上には、蒼星石が腕によりをかけて作った料理を載せた小皿が、
所狭しと犇めいていた。

挨拶や雑談を交えた食事も終わり、焙じ茶を啜っているところに、金糸雀が話を切りだした。

 金「あなた達は、八犬士と穢れの者どもの因縁について、どこまで知っているのかしら?」

因縁と言われて、皆は頸を傾げた。
今まで、真紅の同志としてしか戦ってこなかったからだ。
それは当の真紅も同様だった。夢の導きで、旅に出たに過ぎない。
我武者羅に戦うばかりで、鬼祖軍団の目的など、考える余裕もなかった。

 紅「恥ずかしい話だけれど、殆ど知らないのが現状なのだわ」
 金「そうですか。では……カナの知る限りを、伝えておくかしら」
 銀「それは是非、お願いしたいわねぇ。へっぽこ退魔師さんは、当てにならないからぁ」
 紅「貴女こそ、太刀を振り回すばかりで、知恵が回っていないのだわ」
 蒼「いちいち煽りに乗らなくていいのに……。金糸雀、あの二人は気にせずに、続けて」
 金「……は、はいかしら」

金糸雀は、ひとつ咳払いをして、厳かに語り始めた。

 金「八犬士と穢れの者どもの因縁は、今から十八年前に遡るかしら」
 翠「十八……って言うことは、私たちと同じ歳ですぅ」
 金「そう。カナ達は、一人の姫から生まれた存在なのよ」
 紅「一人の姫…………それが、私の夢に語りかけてきた声の正体だと言うの?」

真紅の問いに、金糸雀は頷いて見せた。
そこで一旦、焙じ茶を啜って喉を湿らせ、再び話を続ける。

 金「姫の名は、房姫。人と狗神の間に産まれた、異端児だったの。
   彼女は類い希なる退魔の能力を、生まれながらにして授かっていたかしら」
 薔「生まれが特別なら……当然よね」
 金「信田の狐『葛の葉』を母に持つ安倍晴明のように、房姫もまた陰陽道に
   精通していたと記されているわ。異類婚とは、そういうものかしら」
 蒼「ところが、十八年前に、何かが起きたと言うわけだね」   
 金「ええ。十八年前と言えば、各地で大きな戦が繰り返されていた時代よ。
   諸国は疲弊し、人々の死霊が、怨嗟や悲嘆が、大地を覆い尽くしていたの。
   それらが、黄泉の闇に潜んでいた穢れの者どもを目覚めさせたかしら」
 翠「黄泉の……闇……ですか」
 金「穢れの者どもは、この島国が誕生した太古から、蓄積され続けてきた怨念。
   少しぐらい祓ったところで、焼け石に水かしら」
 銀「要するにぃ、大元を叩かなきゃあ、キリがないって事ねぇ?」
 紅「その大元というのは、どんな敵なの?」 

その質問に、金糸雀は頚を横に振った。
流石に、そこまでは書物に載っていないらしい。記載する者すら存在しなかったのだろう。
金糸雀は、湯飲みの中で冷めてしまった焙じ茶を一息に飲み干し、話を戻した。

 金「でも、十八年前に房姫と最終決戦をした者の名は、解っているかしら」
 紅「……それは?」
 金「鬼女――鬼の祖として、語られてきた者…………鈴鹿御前」
 薔「鈴鹿御前……聞いたことある」
 蒼「房姫と鈴鹿御前の対決によって、ボク達が産まれたんだね。
   どういう結末だったの?」
 金「房姫は、重傷を負いつつも鈴鹿御前を封印することに成功したのよ。
   でも、身体に負担をかけすぎて、術を完成させたと同時に、息絶えてしまったの。
   房姫の御魂は、肉体を離れて八つに別れた……と言えば解るかしら?」
 銀「つまり、その別れた御魂が……私たち、ってことぉ?」
 金「そして、房姫の生まれ変わりが……他ならぬ、真紅なのかしら」
 紅「わ、私が?!」

みんなの視線が、真紅に注がれた。
確かに、真紅は当代随一の退魔師と評判を取っている。
そして夢の中で託宣を受け、神剣『菖蒲』を授かった。
更に、ここに集った同志の左手には、犬士の証が刻み込まれている。
これだけ物的証拠が揃えば、金糸雀の話を信じない訳にはいかなかった。

 翠「ふぅん……実は、真紅って凄いヤツだったですね」
 蒼「うん。ボクも、正直なところ、驚いたよ」
 紅「私自身、信じられないのだわ」 
 薔「私たちが……元は、ひとつ……」
 銀「あ、薔薇しぃ……なにか、いやらしこと考えてたわねぇ?」
 薔「えっ! あのっ! そんなこと……ないよ?」
 金「焦ってる時点で、怪しさ大爆発かしら」

母屋は、乙女達の談笑で溢れ返った。
徐々に熾烈な闘いが迫りつつある中の、和やかな雰囲気。
今日だけは、このまま穏やかに過ごせたらいいなと、誰もが思っていた。

しかし……そんな、ささやかな願いは、町人の噂話によって脆くも崩された。
桜田藩と隣接する狼漸藩との連絡が、一切とれないとのことだった。



――狼漸藩、某所。

 雪「御前様。雪華綺晶、ただいま戻りましたわ」

戦装束も勇ましい乙女が、御簾の前で跪き、頭を垂れた。

 雪「これで、藩内の城は全て落としました。我々に手向かう者は、
   領内に存在しませんわ」
 御「大儀であったな。鉄砲の威力は、いかほどのものか?」
 雪「威力は絶大ですが、なにしろ数が足りませんわね。
   現状では、狙撃にしか使えませんわ」
 御「なるほど……笹塚に、量産を急がせよう。お前は休息を取るがよい」
 雪「はい。お気遣い、ありがとうございます」

雪華綺晶が自室に向かって通路を歩いていると、偶然、のりと擦れ違った。
今日は、割と機嫌が良いようだ。

 の「あら、雪華綺晶。今、ご帰還なの?」
 雪「はい。領内の人間どもを、狩り尽くしてきたところですわ」
 の「うふふふ……流石は、雪華綺晶ね。お姉ちゃん、鼻が高いわ」
 雪「御前様に拾われ、のりさんに、ここまで育てて貰った恩は忘れませんよ。
   粉骨砕身で、ご恩に報いる所存ですわ」

雪華綺晶の言葉に、のりは心底、嬉しそうに笑った。
彼女の手が、雪華綺晶の頬を、優しく撫でる。

 の「お姉ちゃんはね、その気持ちだけで充分よ。だから、無理はしないで」
 雪「ええ。約束しますわ」

雪華綺晶も、自分の頬を撫でる彼女の手に、掌を重ねる。
子供の頃、戦場となった村で親を失い、妹とはぐれ、倒れていた雪華綺晶。
鈴鹿御前が拾ってくれなかったら、間違いなく野垂れ死んでいた。

それから暫くは、死の恐怖を感じなくて済んだ。
鈴鹿御前様や、四天王のみんなが護ってくれたから。

鈴鹿御前が敵対する者の手で封印され、四天王の三人までもが斃された時は、
本当に悲しかった。殺されてしまうのだと、本気で恐れていた。
幼い雪華綺晶を養ってくれたのは、四天王唯一の生き残り、のり。
雪華綺晶にとって、彼女はこの十八年間、母親のような存在だった。

 雪「そう言えば、御前様の飼い猫が、奴らに殺されたと聞きましたけど?」
 の「あらぁ、もう耳に入ってたの?」
 雪「指揮官たる者、情報収集も怠りなく行わなければいけませんからね」
 の「お姉ちゃんの教えを忠実に守っているのね。お利口さん。
   実はね、お姉ちゃん、そのことで御前様に呼ばれているのよ」
 雪「……出撃でしょうか」
 の「多分ね。でも心配ないわよ。めぐも一緒に行くだろうから」

めぐの名を耳にして、雪華綺晶は「それは安心ですわ」と頷いた。
彼女は新参者だけれど、御前様への忠誠と、ひたむきさが際立っている。
まるで、昔の自分を見ている様な感覚がして、つい、目をかけてしまうのだ。

 雪「それでは、お気をつけて。めぐにも宜しく」

あまり引き留めていては、御前様を待たせることになる。
雪華綺晶は短い挨拶を交わして、のりと別れた。

……が、今度は笹塚が、待ち構えていたように、柱の影から現れた。

 笹「これは雪華綺晶どの。相変わらず、お美しいですな」
 雪「そんな世辞を言うために、隠れていたのですか、笹塚?」
 笹「義理とは申せ姉妹水入らずの所を、邪魔するほど野暮ではないですよ」

ひゃははっ! と、下卑た笑いを漏らす笹塚。
雪華綺晶は鼻であしらって、脇を通り過ぎようとした。
そこに、ぼそり……と笹塚が呟く。

 笹「にしても、のり殿も所詮は普通の女の子……というところですかな」
 雪「……何が言いたいのですか?」
 笹「いやなに。桜田ジュン復活の儀式が整うと、急に上機嫌になったものでね」
 雪「はん! 下衆の勘繰りですわね」

――新参者のお前には、解るまい。
雪華綺晶は、笹塚に侮蔑の視線を向け、その場を立ち去った。
彼女は……のりは、腹違いながら、桜田ジュンの実姉なのだ。
十五ほど歳が離れている為、多分、ジュンも姉の存在を知らないだろう。
政略結婚の道具として使われ、非業の死を遂げた姉の事など――

 雪「もう、のりさんに悲しい想いはさせませんわ。この私が……」

暗闇が広がる閑散とした通路で、雪華綺晶は、その言葉を噛み締めていた。


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