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~第三十一章~ - (2006/05/20 (土) 23:04:54) の編集履歴(バックアップ)



  ~第三十一章~

一瞬。ほんの一瞬だけ、雷光が夜空と大地を照らし出す。
その後を追いかけて、轟音が空気を震わせた。
木々の枝葉に溜まっていた滴が、一斉に流れ落ちて、泥濘の上で砕けた。

その中を、泥水を跳ね上げ、疾走する四騎の影。
もうすぐ狼漸藩との國境。
この先に、兵が常駐する詰所が必ず在る。
耳を澄ませ、敵の気配を探ってみたものの、激しく笠を叩く大粒の雨に邪魔
されて探知できなかった。
気を辿ろうにも、忘れた頃に轟く雷鳴に阻害され、気の集中が巧くいかない。
頼れるのは、自分たちの視力と、培ってきた経験のみ。

突然、目も眩むほどの稲妻が空を切って、周囲を真昼のように明るくした。
目と鼻の先に浮かび上がる、國境の高い柵。
詰所の前では、何本もの槍の穂先が、冷たい輝きを放っていた。

接近する蹄の音を聞きつけた穢れの者どもが、長槍を構えて向かってくる。
その背後では、数体の弓足軽が、弦に矢を番えようとしていた。

 銀「ここは、私の出番ね」

水銀燈は背負った太刀の縛めを解いて、片手で軽々と構えた。
幅広で肉厚な太刀の身が、ぱちぱちと黒い火花を散らしている。

 銀「冥鳴っ!」

夜闇よりもなお暗い球体が、切っ先から放たれる。
冥鳴は、向かってくる長槍の足軽たちを呑み込み、全ての弓足軽を押し潰した。

ざわざわざわ――

その一撃が穢れの者どもを目覚めさせたらしく、詰所は勿論、森の中からも、
刀を手にした骸骨の足軽が沸き出してきた。

 銀「あ、あらぁ? まさか、余計なコトしちゃったぁ?」
 紅「ここは穢れの者が支配する土地よ。遅かれ早かれ、こんな状況になるわ」
 蒼「そう言うこと。気にすることないよ、水銀燈」

蒼星石が愛剣『月華豹神』を引き抜き、煉飛火を起動した。
炎を纏った刀身に落ちた雨粒が、小気味良い音を立てて、一瞬で蒸発する。
真紅は馬の背から飛び降りて、神剣を構えた。
泥が跳ねて緋袴が汚れたが、瑣末なことを気にする余裕など無い。

怒濤の如く押し寄せる敵を、蹴って殴って、斬り伏せる。
真紅と翠星石は、一匹ずつ確実に。
薔薇水晶は二本の小太刀を変幻自在に操り、二匹ずつ屠っていく。
水銀燈と雪華綺晶は長い得物の一振りで、数匹を薙ぎ祓う。
蒼星石に斬られた穢れは、消滅するまで篝火と化した。
金糸雀は氷鹿蹟を起動できないものの、短筒の精密射撃で、みんなを支援する。
そして、最後の仕上げとばかりに、雛苺が縁辺流を起動した。

周囲一帯が白日の輝きに呑み込まれて、全ての穢れは討ち果たされた。
しかし、いつまた増援が来るか解らない。

 紅「さあ、今の内に急ぎましょう。敵が防備を固める前に」

言って、真紅は蒼星石の手を借りると、馬の背に飛び乗った。


雨が止んで、風が収まった頃――
雪華綺晶に案内された一行は、鈴鹿御前の居城を望む丘に立っていた。
ここに至るまで、可能な限り戦闘を回避してきたお陰で、負傷や疲労は少ない。
水を吸って重くなった蓑と、笠を脱ぎ捨て、身軽になる。
しかし、この場の空気が足取りを重くさせた。

鈴鹿御前の居城までは、盆地を通過しなければならない。
けれど、その盆地には、風が止んだことで発生した霧が深く立ちこめていた。
足下も満足に見えない中で、馬を走らせる事は出来ない。
真紅たちは、やむなく馬を降りた。ここからは徒歩になる。

 紅「あの霧を抜けるのは、容易じゃないわね」
 金「敵を見付けにくいし、下手をすれば同士討ちしかねないかしら」
 蒼「濃霧の中で、雛苺の精霊が効果を発揮できるかどうかも疑問だね」

浄化の光も、届かなければ意味がない。
細かい水の粒子の中では、清らかな光芒も忽ち、散乱してしまうだろう。
それに、下手に霧の中へ踏み込めば、道に迷って離ればなれになる危険がある。

 紅「雪華綺晶。どこかに、城への抜け道は無いの?」
 雪「在るのでしたら、最初から、そちらへ案内していますわ」
 銀「そうよねぇ。となると、どうしたものか」

濃霧に冥鳴を撃ち込んでも、全てを吹き飛ばすことは不可能だろう。
と言って、霧が晴れるまで待ち続ける訳にもいかない。
やはり、危険を承知で、濃霧を突っ切っていくしか――

その決断を真紅が下そうとした寸前、霧の中から無数の矢が放たれた。

真紅と薔薇水晶が精霊を起動して、直撃軌道の矢を得物で叩き落とす。
水銀燈は禄に狙いも付けず、濃霧に向けて冥鳴を撃ち込んだ。
バキバキと骨や鎧が砕ける音が、霧の中で湧き上がる。
しかし、この一撃で弓足軽を全滅したなんて楽観はしなかった。

水銀燈が冥鳴を格納した直後、立て続けに雪華綺晶が獄狗を解き放った。
獄狗の咆哮と、骨を噛み砕く耳障りな音が響きわたる。
霧を突き抜けて、弓足軽が一匹、上空高くに放り投げられた。
金糸雀は懐から短筒を素早く抜いて、一発で頭蓋骨を撃ち砕いてみせた。

 翠「ちぇっ。今のは、私が仕留めようと思ってたですぅ」

クナイの切っ先を指で弄びながら、翠星石が不満を漏らす。
が、直後に鳴り響いた法螺貝の音と鬨の声に、やおら表情を強張らせた。
金糸雀が行李から双眼鏡を取り出して、城の様子を窺う。

 金「うっわぁ……拙いかしら」
 翠「なにが、拙いです?」
 金「城門が開いて、騎馬軍団が出てきたかしら」
 翠「騎馬ですか……そりゃ厄介ですね」

戦力差は歴然。いつまでも持久戦を続けられる筈がない。
霧の中には、無数の敵が犇めいていることだろう。

待っていては、包囲されて潰される。
濃霧の中に攻め込んでも、数で圧されてしまうだろう。
どっちにしろ、死が待っているだけだ。

――では、どうすれば良い? 何が最善?
翠星石は考えた。
おそらく、今までの人生で最も、知恵を振り絞っただろう。

ふと、閃く。天啓というヤツか。
しかし、その発想は突拍子もなく、実現できるか解らなかった。
試したことがないし、そもそも今まで、思い付きさえしなかった事だ。

 翠「それでも……やってみるしかねぇです」

この非常時に、ぶっつけ本番など以ての外だが、殺されては元も子もない。
だったら、ダメで元々、やってみるだけだ。
翠星石は睡鳥夢を収納した玉鋼の板を両手で握って、瞑想に入った。
穢れの者どもが発する鬨の声は、刻一刻と近付いてくるが、気にしない。
みんなが護ってくれることを信じて、ただひたすらに精神を集中していく。
流れ矢に当たったら、所詮、それまでの寿命だったと言うことだ。

頭の中に、ひとつの光景を思い浮かべる。
どこまでも、どこまでも、果てしなく伸びていく睡鳥夢の姿を。
先端が霞んで見えなくなるくらい、遙か高く……遙か遠くへ――
すこやかに……。
のびやかに……。
いつしか、睡鳥夢は天高く聳え、ありとあらゆる方角に枝を伸ばし、
世界を覆い尽くすまでに成長していた。

――世界樹。

その一言が脳裏をよぎった瞬間、翠星石は目を見開き、精霊を起動した。

 翠「睡鳥夢ぅっ!!」

突如、彼女たちの周囲で大地が躍動を始めた。
地中から何本もの太い樹木が飛び出し、城の方角へ、ぐんぐん伸びてゆく。
突進してきた骸骨騎馬の一団は、巻き添えを食って弾き飛ばされ、砕け散った。

 紅「な、なんなの、これは?!」
 銀「知るワケないでしょっ! 私に訊かないでよっ!」
 蒼「姉さんっ! 一体、何を――」

敵も味方も、訳が分からず右往左往する中、睡鳥夢は成長を続ける。
ついには城門に達して、成長の勢いそのままに、分厚い門扉をブチ破った。

 翠「……巧く……いったです」
 金「これは……想定外だったかしら」
 雛「凄ぉいっ! 翠ちゃん、凄いのっ!」
 翠「ま、まぁ、私にかかれば、この程度は余裕ってヤツですぅ」

余裕という割には、憔悴の色を露わにする翠星石。
しかし、彼女は気丈に笑って、他の娘たちを促した。
睡鳥夢の上を、率先して歩いていく。

 翠「折角、橋を架けたですから、早く渡っちまえです」
 紅「そうね。蒼星石と薔薇水晶が先導してちょうだい」
 蒼「解ってる。行くよ、薔薇しぃ」 
 薔「……良いよ。いつでも」

翠星石の脇を擦り抜け、蒼星石と薔薇水晶が、睡鳥夢の架け橋を渡っていく。
その後を、金糸雀と雛苺、雪華綺晶が続いた。
何本もの幹が絡み付いたものなので、足場は良くない。むしろ、悪すぎる。
悪戦苦闘しながら渡っていく二人の背中を心配そうに見送りつつ、
雪華綺晶は、翠星石に獄狗を託した。

 雪「翠星石さんは、獄狗と共に、ヒナさんとカナさんを守って下さい」
 翠「それは構わねぇですけど、きらきーは、どうするです?」
 雪「私は、真紅や水銀燈と、殿(しんがり)を務めますわ」

翠星石を見詰める雪華綺晶の瞳には、全てを見抜いている風な光が宿っていた。
貴女が疲労困憊していることは、お見通しですよ……と、言わんばかりに。
バレているなら、強情を張って断るのも馬鹿馬鹿しい。

 翠「しゃ~ねぇです。そこまで言うなら、頼まれてやってもいいです」

翠星石は獄狗の背中に飛び乗り、金糸雀と雛苺の後を追い掛けた。
こういう悪路なら、四つ足の方が走破性に優れている。
現に、翠星石を乗せた獄狗は、直ぐに追い付いてしまった。

まだ幾らも進んでいないのに、二人はもう息を切らしている。
そもそも、金糸雀と雛苺は実戦向きの体躯や、筋力を持ち合わせていない。
高所と言うことで、足が竦んでいるのも理由のひとつだろう。

 翠「金糸雀! 雛苺! お前たちは獄狗に乗って行けです」
 金「はぁはぁはぁ……で、でも……翠ちゃん、は……?」
 翠「私は忍びの修行も積んできたですよ。
   お前たちみてぇなひ弱な連中とは、根本的に違うですぅ」

台詞がいちいち癇に障るが、自分達を気遣っての事だと金糸雀は理解していた。
変に意地を張れば、余計、みんなに迷惑をかけてしまう。
金糸雀は「お言葉に甘えるかしら」と応じて、雛苺と共に獄狗の背に跨った。
後ろを振り返れば、真紅たちも、直ぐそこまで辿り着いていた。

 紅「貴女たち、まだ、こんな所に居たの?」
 銀「蒼ちゃんと薔薇しぃが孤立するでしょぉ! 早く行きなさぁい」
 紅「殿は、私と水銀燈で何とかするから、雪華綺晶も行ってちょうだい」
 雪「承知しましたわ。皆さん、急ぎましょう」

雪華綺晶は獄狗に指示を出すと、翠星石と並んで走り出した。
まだ、半分も渡っていない。
後方を見遣ると、穢れの足軽どもが、睡鳥夢の根元から続々と登り始めていた。

 紅「拙いのだわ。私たちも行くわよ、水銀燈」
 銀「その前に……っと」

至近まで迫っていた数匹の足軽を、水銀燈の太刀が薙ぎ祓う。
両断された残骸が、眼下に広がる濃霧の海に沈んでいった。
直後、濃霧の中から、矢と銃弾が飛んできた。
偶然を伴った一発の銃弾が頬を掠めた事に驚いて、真紅はつい後ずさり、
足を滑らせてしまった。

 紅「あっ……」

呟いた時には、身体がふわりと浮いていた。
どれだけ高いかは分からないが、下に落ちれば、全身打撲で死ねるだろう。
仮に生きていても、穢れの者どもが嬲り殺してくれる筈だ。

 紅(どっちみち、ロクな死に方じゃないわね)

しかし、真紅は地面まで落下しなかった。
彼女が……水銀燈が腹這いになって、しっかりと腕を掴んでくれていたから。

 銀「なぁに勝手に諦めてるのよぅ。バっカじゃないのぉ?」
 紅「あ、ありが……と」
 銀「惚けてないで、さっさと上がって来て。さもないと本当に手ぇ放すわよ」
 
ごめんなさい、と謝って、真紅は睡鳥夢の上によじ登った。
際どいところだったが、まずは助かって、ホッと一息。
だが、悠長に構えてもいられない。敵は畏れを知らずに、群がってくる。

 銀「早く立って、真紅。腰が抜けたとか、言わないわよねぇ?」
 紅「バカ言わないで。これしきのこと、慣れたものよ」
 銀「それなら心配いらないわねぇ。お先にぃ」

水銀燈は、ひらひらと手を振って、城に向かって走り出した。
何度も助ける気は無いらしい。
勢いよく飛び起きて、真紅は仲間達の元へと向かい始めた。

時々、思い出したように振り返る。
穢れの足軽どもは、執念深く追い掛けてきた。
草臥れた陣笠や、どす黒い旗指物を背負った足軽が、遙か後方から陸続と
並んでいる様子は、真紅を質の悪い仮装行列を眺めている気分にさせた。

 銀「大人気じゃないの真紅ぅ。有名人は辛いわねぇ」
 紅「貴女も、その一人よ。他人事みたいに言わないで」

真顔で語る真紅に「まぁねぇ」と笑い掛けて、水銀燈は穢れの列に精霊を
撃ち込んだ。


最前線では、蒼星石、薔薇水晶、雪華綺晶の三人が、進路を切り開いている。
対岸から上ってきた穢れの者どもを斬り伏せ、残骸は脇へと蹴り落とす。
蒼星石は破壊された城門を潜り、城内の土を踏んだ。
城の中にも、濃い霧が流れ込んでいて、とても視界が悪かった。

城内に怒号が轟き、三方向から得物を振り翳した足軽の群が、
大挙して押し寄せてくる。
櫓の上からは、弓足軽と鉄砲足軽が、得物を構えて狙いを定めていた。
金糸雀の短筒が火を噴き、櫓上の敵を撃ち落とすが、如何せん数が多すぎる。
どこかの櫓から放たれた銃弾が、雪華綺晶の兜を弾き飛ばした。

 蒼「雪華綺晶!?」
 雪「だ、大丈夫……ちょっとクラクラしますけど」
 金「真紅たち、まだ来ないわ。んもぅ! 何してるのかしらっ」
 
――このままでは、数の勢いに圧倒される。
誰もが焦燥感を覚えたその時、漆黒の固まりが夜闇を裂いて飛び越し、
櫓のひとつを直撃した。衝撃で、弓足軽や鉄砲足軽が宙に投げ出される。
櫓の上半分が傾き、押し寄せていた足軽の一団が、倒壊に巻き込まれた。

 銀「お待たせぇ。真紅が途中でコケたから、遅くなっちゃったわぁ」
 翠「遅ぇですよ! まあ、とにかく一旦、睡鳥夢を格納するです」

真紅と水銀燈が睡鳥夢から降りたのを確かめて、翠星石は精霊を格納した。
夜空に架かっていた睡鳥夢の橋が、忽ち掻き消える。
渡っている途中だった穢れの者どもは、為す術もなく濃霧の海に墜ちていった。
再度、精霊を起動した翠星石は、他の娘たちに向けて叫んだ。

 翠「ここは任せるですっ! 真紅たちは、先に行きやがれですぅっ!」


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