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~第三十四章~ - (2006/05/20 (土) 23:23:34) の編集履歴(バックアップ)



  ~第三十四章~

薔薇水晶の亡骸を腕に、雪華綺晶は号泣していた。
また、母との誓いを果たせなかった。余りにも無力だ、私は。
自分自身に憤りを感じて、どうしようもなく口惜しくて――

 雪「薔薇しぃ……仇は、きっと討ちますわ」

雪華綺晶は、やり場のない黒々とした感情を、笹塚へと向けた。
八つ当たりと言われても良い。責任転嫁と蔑まれたって構わない。
今はただ、やるかたない憤懣の捌け口が欲しかった。

 雪「貴様だけは、容赦しませんよ。笹塚」
 笹「は! 笑わせてくれるねえ。赦しを請うのは君の方だよ、雪華綺晶」
 雪「なんですって? 誰が、貴様なんかにっ!」
 笹「僕に、じゃないさ。御前様に平身低頭した方がいいと、忠告してるんだ。
   君だって、御前様の寛容さは知っているだろう?」    
 雪「そ……それは」
 笹「衷心を示し、飼い犬としての分を弁えれば、また可愛がってもらえるさ。
   それに、君の妹を生き返らせてくれるかも知れないよ?」

それは、悪魔の甘美な囁き。耳を貸せば、心の弱みに付け込んで、魂を穢れさせる。
当然、拒絶すべきだ。そんな事は理解している。
けれど……笹塚の言葉は、抗いがたい魔力を秘めていた。

 雪「薔薇しぃが……生き返る?」
 笹「その力を、御前様はお持ちだ。悩む必要なんか無いだろう?
   御前様に帰順して、妹を取り戻しなよ。そして、君ら二人で、
   四天王の一翼を担えばいいんだ。のりの代わりに……ね」

笹塚の言葉を聞いて、雪華綺晶は心に冷や水を浴びせられた思いがした。
のりを失脚させ、代わりに薔薇水晶を着任させるなど、とんでもない話だ。
幼少の頃から自分を育ててくれた、のり。
彼女を裏切るような真似は、絶対に出来なかった。

それによって、雪華綺晶は正気を取り戻した。
薔薇水晶を復活させたいが為に、穢れの支配を受け入れるなんて以ての外だ。
それは、単なる自己満足に過ぎない。
母との約束は――薔薇水晶を護るという事は、そんな意味ではない。

 雪「……決めましたわ」
 笹「勿論、英断だよね?」

雪華綺晶は、今一度、薔薇水晶の髪を慈しんで、そっと亡骸を横たえた。
そして、神槍『澪浄』を握り、穂先を笹塚に向けた。

 雪「いいえ。決心したのは……貴様を斬り、鈴鹿御前を斃すことよ」
 笹「……や~れやれ。存外、愚か者なんだね」

嘲った笹塚もまた、雪華綺晶に屍銃『覇伝』の銃口を向けた。
二人の視線が交錯、衝突して、火花を散らす。

 笹「御前様に取りなしてあげようって言ってる、僕に刃を向けるのかい?
   姉妹の告別も、大人しく見守ってやったのにさ。
   ホント、万死に値するよね」
 雪「薔薇しぃを殺した元凶のクセに、いけしゃあしゃあとっ!」

鉄砲足軽どもの始末は獄狗に任せて、雪華綺晶が走り出す。
彼女に向けられていた笹塚の銃が、火を噴いた。

銃口の位置を辿れば、弾道は容易に推測できる。
雪華綺晶は僅かに身体を捩っただけで、凶弾を躱した。
だが、擦過熱と衝撃波は想像以上に凄まじく、足元がふらついた。
崩れそうになった体勢を立て直すため、雪華綺晶の脚が、止まる。
見れば、甲冑の表面は狐色に焦げ、端の方が破損していた。

雪華綺晶の背後で轟く、破砕音。それは、穢れの者が砕け散る音。
しかし、獄狗の仕業ではない。
笹塚の放った凶弾が、雪華綺晶の背後に居た鉄砲足軽を砕いたのだ。
僅かに顔を向けて状況を確かめると、鉄砲足軽の一団が、一直線に分断されていた。

 雪「たった一発の銃弾で……なんて貫徹力なの」
 笹「驚いたかい? ま、僕の明晰な頭脳を以てすれば、
   こんな武器を造ることぐらい、簡単な事なんだけどね」

確かに、威力は凄まじい。薔薇水晶の防御装甲精霊を撃ち抜いたほどだ。
だが所詮、基本構造は先込め式の火縄銃。当たれば威力絶大でも、外せば隙は大きい。
雪華綺晶は迷わず、笹塚に向かっていった。
次弾を装填する前に、ケリを着ける!

笹塚は、雪華綺晶が突進してきても、平然と薄ら笑っていた。
突如、連続して鳴り響く、鉄砲の発射音。
雪華綺晶は全身の至る所に激痛を覚えて、笹塚の手前で倒れてしまった。

 雪「く! ……はぁ」
 笹「馬鹿だなあ、君は。周りが鉄砲足軽だらけだって事、忘れてたのかい?
   それとも、怒りに我を忘れて視野狭窄になってるのかな?」

笹塚は雪華綺晶の侮辱の言葉を投げ付けながら、悠然と次弾を込めていた。

装填が終わると、笹塚は屍銃『覇伝』を構えた。
狙いは雪華綺晶ではなく、主人を護るべく突進してくる獄狗の方だ。
冷笑を浮かべながら、撃鉄を落とす。
轟音と共に発射された銃弾は、狙い違わず獄狗の体躯を撃ち抜いた。

獄狗は絶叫を上げて跳ね飛んで、もんどり打ち、雪華綺晶の脇に落ちた。
弱々しい声で鳴いているが、消滅する気配は無い。
雪華綺晶は激痛に苛まれながらも、獄狗の生存を喜んだ。

 笹「なぁるほどぉ……流石に、一撃じゃ仕留めきれなかったかあ。
   対精霊用に開発したんだけど、もう少し、改良が必要らしいね」

賢明にも、笹塚は安易に近付くなんて愚は犯さず、次弾を込めながら言った。

 笹「けど、次の一発を撃ち込めば、流石に消滅するよなあ。
   実に嬉しいよ。こんなにも早く、実射試験が行えたんだから」
 雪「くっ……笹……塚ぁ」
 笹「良いねえ、その憎悪に満ちた眼。もっと憎むがいい。怨念に身を窶しなよ。
   身を焼き尽くすほどの黒々とした激情の炎を、燃え立たせるんだ。
   それこそ、今の鈴鹿御前様に、最も必要なモノなんだからねえ!」

言って、笹塚は――

 雪「っ! や、止めて、笹塚っ!」

じっと横たわったままの獄狗に銃口を向けて、笹塚は口元を歪めた。

 笹「イ・ヤ・だ・ね」

このままでは、獄狗が――
最愛の妹、薔薇水晶に続いて、親友の精霊までもが殺されてしまう。
理不尽な暴力によって、大切な物を奪われてしまう。
私の心の拠り所が……希望を抱かせてくれる人が、物が、また――消える。
それらを失ったら、もう生きてはいけない。
生き続けなければならないのに。
今まで犯してきた罪を、償うために――

だったら、すべき事は……ひとつ。

 雪「殺らせない。貴様なんかに……殺させはしないっ!」

雪華綺晶は叫んで、頭の中に、獄狗の立ち上がる映像を思い浮かべた。
自分にだって、翠星石が実演して見せたような事が、出来るはずだ。
いいえ……きっと、出来る!

僅かに残っていた迷いすら振り切って、瞼を閉じ、獄狗の雄々しい姿を想像する。
――立つのよ。そして、全ての穢れを討ち果たしなさい!
雪華綺晶の瞼の裏で、獄狗は身を起こし、その姿を激しく変貌させ始めた。

その姿は、子供の頃に村の神社で見た、神獣の絵そのものだった。

 笹「う、うわわわっ! な、なんだ、こりゃあっ?!」

笹塚の狼狽える声を聞いて、雪華綺晶は瞼を開いた。
視線の先には、筋骨隆々たる逞しい四肢。
見上げると、嘗て社の中で見た麒麟の姿があった。
麒麟変化した獄狗が、甲高い声で咆哮すると、周囲の鉄砲足軽どもはビリビリと
微細震動して、悉く砕け散ってしまった。

たったの一声で、室内の鉄砲足軽が全滅したことに、笹塚は眼を見開いた。
こんな事は、想定していなかった。精霊が変身するなんて話は、聞いていない。
ひょっとして、鈴鹿御前様は意図的に、その情報を教えなかったのではないか?

 笹(いや……まさか、そんな……)

疑心暗鬼に囚われる笹塚の元に、麒麟と化した獄狗が、足音を響かせて歩み寄ってくる。
退くべきか? だが、ここで退いても、御前様に滅殺されるだけだ。

 笹「くそっ! 要は、こいつら殺して生き延びれば良いんだよっ!」

笹塚は破れかぶれになって、獄狗の眉間を狙って発砲した。

 笹(この銃なら、精霊だって仕留められる。さっきも巧くいったじゃないか)

放たれた銃弾は、獄狗の眉間に命中する直前、無情にも見えない壁に遮られて、
あらぬ方向へと飛んでいった。

 笹「なっ! なにぃ? そんな馬鹿な事が――ぎ、ぎゃああぁぁっ!」

浮き足立つ笹塚の右肩を、獄狗の強靭な顎が捉えた。
鋭い牙が深々と食い込んで、肉を断ち切り、骨を砕いていく。
獄狗は頭を振り回して、絶叫し続ける笹塚を翻弄した。
やがて、噛まれた部分が千切れ、笹塚は床に叩き付けられた。

 笹「ぐはぁっ!」

傷口から墨汁の様にどす黒い血を垂れ流す笹塚の頭を、雪華綺晶の脚が踏み付けた。

 雪「貴様も、とうとう年貢の納め時ですわね」
 笹「ひっ! ま、待ってくれよ、雪華綺晶。僕たちは仲間だったじゃないか」
 雪「お生憎ね。貴様を仲間と思ったことなど、只の一度も、ありませんわ」
 
雪華綺晶の冷淡な言葉に、笹塚は震え上がって、形振り構わず命乞いをした。
笹塚が見苦しい真似を繰り返すほど、雪華綺晶の憤りは募っていく。
こんな奴に……薔薇水晶は殺されたのだと思うと、無性に腹立たしかった。

 雪「もう、何を言っても……私は、貴様を赦さない」
 笹「ややや、止めろっ! 止めてくれえっ! まだ、死にたくないっ!」

雪華綺晶が、両手で握った神槍を、頭上に掲げる。
その表情は哀れみではなく、嘲笑でもなく、憎悪のそれでもなくて――
何もない、全くの無表情だった。

神槍が振り下ろされ、笹塚の左胸を一息に刺し貫いた。
笹塚は「ごふっ!」と血の混じった息を吐いて、絶命した。
一撃で急所を狙ったのは、せめてもの慈悲だ。
穢れの者の様に、苦痛を長引かせて苛むなんて真似は、しようとも思わなかった。

 雪「……生まれ変われたなら、次は真っ当に暮らしなさい」 

砂の山と化した笹塚から神槍を引き抜き、雪華綺晶は獄狗の姿を元に戻した。
銃創の激痛を堪えながら、薔薇水晶の亡骸を抱き上げ、獄狗の背に載せる。

 雪「もう独りになんて、しませんからね。一緒に、真紅たちを助けに行きましょう」

雪華綺晶は精霊の背に跨ると、薔薇水晶の身体を左腕で抱えて、獄狗を走らせた。



金糸雀は、真っ暗闇の中で、目を覚ました。吸い込む空気は、カビ臭い。
どうやら生きているらしいが、起き上がろうとして、身体中が悲鳴を上げた。
全身に、酷い打撲を負っているようだ。

 金「痛たぁ。っと、そう言えば……雛苺は、どうしたかしら?」
 雛「うゅ? 金糸雀、側に居るのー?」

独り言を呟いた途端、近くで雛苺の返答があった。
彼女も、一応は無事だったらしい。金糸雀は、ホッ……と、胸を撫で下ろした。

 金「ええ。ちょっと待って欲しいかしら。いま何か、灯りを……」

点けようとして、行李を背負っていない事に気付いた。
暫し回想して、穴に落ちる直前、縁に引っかけ、置いてきた事を思い出した。
ならば、袖を破いて弾丸の火薬をまぶし、火打ち石で着火させるとしよう。
そう考えて、金糸雀が袖を引きちぎろうとした矢先に、周囲で火の手が上がった。

 雛「うひゃっ! なな、何なの、金糸雀ぁ~?!」
 金「……落ち着いて、雛苺。柱に括り付けた松明が、灯っただけかしら」
 雛「でもでもっ、誰が灯したって言うの?」
 ?「うふふっ。蛇の巣穴に、ようこそ」

揺らめく松明の灯りが届かぬ柱の陰から、眼鏡をかけた娘が、足音も立てず姿を現した。
愛想のいい笑みを浮かべているが、金糸雀と雛苺を見詰める眼は、氷の様に冷たい。

 金「あなたは……のり!?」
 の「あらぁ、憶えててくれたのね。可愛いトコ有るじゃないの」
 金「厭でも憶えるわよっ。みっちゃんの仇、討たせてもらうかしら!」

袖の中から短筒を抜き出して、金糸雀は、のりの顔面に照準を合わせた。
だが、のりは雛苺ばかり眺めて、頻りに舌なめずりしている。
金糸雀の存在など、端から眼中にない様子だった。

 の「悪いんだけど、お姉ちゃん……そっちの娘が食べたいの」
 雛「ひぇっ! ひ、ひ、ヒナは美味しくなんてないのよぉ」
 ?「そう言う事だから、貴女の相手は、私がしてあげるわ」
 金「!? めぐ……あ、あなたまで――」

一陣の紅い風が吹いて、緋色の甲冑を纏った娘が、金糸雀の前に立ちはだかる。
めぐは、手にしていた龍剣『緋后』を抜き、冷ややかに金糸雀を見据えた。

 め「貴女、医者なんですってね。のりさんに聞いたわ」
 金「だったら、どうだと言うのかしら?」
 め「……殺すわ。私はね、医者なんか大嫌いなのよ」
 金「あなたの話は聞いているかしら。銀ちゃんの幼馴染みだそうね。
   確か、子供の頃から病弱だったとか。医者嫌いの理由は、それかしら?」
 め「ええ、そうよ。水銀燈も、言ってたでしょ?」
 金「あなたの事だとは言わなかったかしら。
   彼女の様子から、容易に察せられたけれど」

「ふぅん?」と言い終えて同時に走り出す、めぐ。
金糸雀は、めぐに向けて三連射したが、全弾、めぐの背後を通過しただけだった。

 金「は、早いっ?!」
 め「貴女が遅すぎるのよ、お・医・者・さん」

そう告げた彼女の声は、金糸雀の背後……耳元で囁かれたものだった。
めぐの吐息が、耳の後ろと首筋をくすぐる。
押し寄せる死の恐怖と、背筋を駆け抜けるむず痒さで、金糸雀は背筋を震わせた。

金糸雀の震えを見て、めぐは微かに笑った。

 め「怖いのね……死ぬのが。私には解るわよ」
 金「そそそ、そんな事は、ないかしらっ」
 め「強がらなくたって良いのに。素直になるなら、すぐ楽にしてあげる。
   頚を落とせば、苦しまずに済むわよ。どうする?」

どのみち、死ぬ事に変わりない様だ。
ならば、座して死を待つより、最後まで反抗してやる。
金糸雀は素早く前方に飛び込むと、くるりと前転して、片膝立ちの姿勢を取った。
そして、さっきまで自分が立っていた場所に、短筒を向けた。
……が、めぐの姿は既に無く――

ひゅっ!

空を斬り裂いて、前方から刃が襲いかかってきた。
めぐは、いつの間にか右真横に居て、金糸雀の頚を斬り落とすべく剣を振るっていたのだ。
慌てて上半身を仰け反らせる金糸雀。
そのお陰で、凶刃は躱せたものの、体勢を崩して仰向けに転倒してしまった。
後頭部を、石畳に強か打ち付けて、目の前が眩んだ。

無防備に晒された金糸雀の喉を目掛けて、めぐの剣が振り下ろされる。
もう、避けようがない。金糸雀は覚悟を決めて、ギュッ……と目を瞑った。
目を閉じても、迫り繰る白刃の気配が感じられる。

――もうすぐ、死ぬんだ。走馬灯の様に景色が浮かぶって、本当なのかしら?

そんな事を考えた折りも折、金糸雀の至近で、甲高い金属音が起こった。
戦々恐々としながら、瞼を上げて見ると……。
そこには、めぐの剣を、肉厚の太刀で受け止める彼女の姿が有った。

 銀「この娘たちは、絶対に殺らせないわよ…………めぐ!」


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