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【ゆめまぼろし】最終話 夢幻 - (2006/06/18 (日) 15:04:53) のソース

<p> ―――ああ。私はまた、此処へやってきたのか。<br>
<br>
 ここは白い。白くて、何も無い場所。こんなところに一人で居たら、とてもとても寂し<br>
いことなのだろうけど&&私が此処に来たときにだけ逢える子が居る。<br>
<br>
 私は&&目覚めているときは、多分このことを覚えていないんだと思う。覚醒している<br>
ときの記憶は今もある。だけど『この場所』についての話題を、一度もしたことが無いこ<br>
とを&&今の私は、自覚しているから。<br>
<br>
 此処にやってくれば思い出す。私が眠っている―――ジュンや"庭師"が、闘っている間。<br>
私はいつも、この白い空間の真っ只中に立ち尽くしているのだ。<br>
<br>
 &&<br>
<br>
 辺りを見回す。今は誰も居ないけれど、その内やってくる少女もまた、此処に居るから。<br>
<br>
『真紅&&』<br>
<br>
 この子は私と居るとき、不意にがらりと雰囲気を変えることがあるということに、私は<br>
気付いている。いつもは、無邪気な子供。にこにこと笑っているのに&&時々ふと、泣き<br>
そうな表情を浮かべて。そんな顔をしたあとは、決まって私の前から姿を消す。<br>
<br>
 暫くすると戻ってくるのだけれど、その時はまた&&いつもの笑顔に戻っている。<br>
<br>
『&&』<br>
<br>
 そう、今もまた。私の前に姿を現したのは、哀しそうな顔をしている女の子。<br>
 姿形は変わらないと言うのに、纏う雰囲気が全く正反対だと言ってもいい。<br>
<br>
<br>
『貴女は&&此処に居ちゃだめなの&&』<br>
<br>
<br>
 そう言い残して、彼女はまた居なくなってしまった。<br>
<br>
 私はその言葉で、少し考えるのだ。&&確かに自分はこんな場所で、のんびりと漂って<br>
居る場合では無いのではないか、と。<br>
 だって、私は護られていて&&闘うことが、出来ない。私に付き添ってくれている人達<br>
は、きっと命懸けで闘ってくれているというのに。<br>
<br>
 だけど、此処に居ると&&そんな感情も、すぐに消えていってしまう。だって、この場<br>
所には何も無い。私と彼女の、二人きり。<br>
<br>
 私の心の中も、どんどん空っぽになっていって―――思考も意志も、ゆらゆらと漂わせ<br>
たまま、何処かへ流されていきたいと思ってしまう。<br>
<br>
<br>
 『生きることは、闘うこと』&&目覚めているときの私は、そんなことを考えているこ<br>
とを知っている。でも今の私は、それに従っていると言えないのだろう。<br>
<br>
 だから、もうひょっとしたら。私は既に生きることを諦めて、案外と死んでしまってい<br>
るのかもしれなかった。何も無いことは、幸せなのだと。そんなことを、頭の片隅に浮か<br>
べながら―――<br>
<br>
<br>
 気付くと、また眼の前には彼女が居た。そして言うのだ、嬉しそうな表情をして。<br>
<br>
<br>
『一緒に遊ぼう? 真紅』<br>
<br>
<br>
 ほら、やっぱり。&&一緒に居て欲しいのか、欲しくないのか。<br>
 私にはよくわからないけど。<br>
<br>
<br>
 今日は何をして遊びましょうか? それともお話がいいかしら?<br>
 貴女は絵を描くのが好きですものね&&それに付き合ってあげても、いいのだわ。<br>
<br>
<br>
 此処は真っ白で何も無くて、私達が望む分だけ必要なものは"現れる"。けれど、そんな<br>
ものは必要最低限のものだけでいい。<br>
 この場所に漂っているときは、とても穏やかな気持ちで居られるから&&<br>
<br>
<br>
 今日も私と、一緒に居てくれるのね? だから私も&&此処に居るのだわ。<br>
<br>
<br>
私がそう言うと、彼女は本当に喜んでくれるから。そんな彼女を見ると、私も嬉しい。<br>
<br>
<br>
 だって、此処には私達しか居ないから&&そうでしょう? 雛苺。<br>
<br>
<br>
 私が目覚めて、この白い空間に居たことを忘れてしまっても。<br>
 きっとまた私は、此処にやってくる。<br>
<br>
 だから―――何も考えなくていい。多分、それでいいんだろう―――<br>
<br>
<br>
<br>
【ゆめまぼろし】最終話 夢幻<br>
<br>
<br>
<br>
「&&」<br>
<br>
 本当に此処は、何も無いところだと思う。<br>
 ただただ、白い空間が広がっていて&&勿論、普段"庭師"の二人と闘っている"世界"に<br>
も、殆ど何も無い。だけど、あそこには翠星石の張った茨や&&とにかく誰かしらの『意<br>
志の残滓』のようなものがあるから。そういったもので、"世界"は埋められているのが普<br>
通だ。<br>
<br>
 真紅の精神と同調して、この場所にやってきてから、それほど時間は経っていない&&<br>
筈。時間の感覚も、酷く曖昧で。気をしっかり保っていないと、この白に呑みこまれてし<br>
まいそうな感覚さえする。<br>
<br>
 僕は指輪のついた左手を見つめた。<br>
<br>
「&&っ!」<br>
<br>
 その途端、風に吹かれた蝋燭の炎のように、左手のかたちが揺らめく。<br>
 観念の状態は、もともとかたち無きもの。その状態を今保つためには&&力強い意志を<br>
持たなければならない。<br>
<br>
 そうだ、僕は真紅を救う為に、此処へやってきた。<br>
 だからまずは、彼女を早く探し出さなければならない。そして、真紅の指輪の"存在"を、<br>
僕が全て引き継ぐ。そうすれば、きっと彼女は自由になれる&&!<br>
<br>
<br>
「&&それにしても」<br>
<br>
 確かに彼女の存在を感じているというのに&&その『存在』のイメージが、酷く脆いよ<br>
うな気がする。<br>
<br>
 &&?<br>
 そうだ。なんでもっと早く気付かなかった。真紅の夢の"世界"は、"庭師"が通ったくら<br>
い穴からいける場所。だが、其処に真紅が居ることは無かった。<br>
 どうして? 自分の夢の"世界"には、その夢を見ている主がが居ておかしいという理屈は無い。<br>
<br>
 だけど、今まで。そう、恐らくこの『薔薇屋敷』の指輪の主達は&&今まで一度も、夢<br>
の"世界"に現れたことがなかったのではないか? そしてそれは、当たり前のことになっ<br>
てしまっていて&&誰も口に出すことが無かった。<br>
<br>
 "世界"は全て繋がっていると、魔術師の"知"が教えてくれた。よって、恐らく今"庭師"<br>
が戦闘している場所からも、巡り巡れば此処に来ることが出来るだろう。だが、そこに<br>
通じるまでに、どれほどの道を通らなければならないかわからない。<br>
<br>
<br>
 今、僕は真紅の存在を感じ、この場所に辿りついた。だから彼女は此処に居る。<br>
 だが&&これは、真紅の"世界"では無い。<br>
 僕は直接、彼女の心に同化して。最短の道を通り、時々流されそうになりながら&&<br>
<br>
「ここは&&指輪の持つ"世界"なのか」<br>
<br>
 指輪の主達は、眠りにつく度にこの場所へやってきていたのかもしれない。<br>
<br>
 しかし、僕は知っている。指輪の存在そのものは、――――――<br>
<br>
 思考を巡らせていると、&&不意に後ろから、何かの気配を感じた。<br>
<br>
「&&誰だ」<br>
<br>
 ゆっくりと、振り返る。そこには一人の少女が、居た。<br>
<br>
『&&』<br>
<br>
 幼い。随分とまた子供子供した奴だ―――こいつは、"異なるもの"か&&?<br>
 ならば、&&闘うしか、ない。<br>
<br>
『&&うゅ&&』<br>
<br>
「&&?」<br>
<br>
 待て。僕はまだ何もしていない。―――何でいきなり泣きそうになる?<br>
 ちょっと考えてから、僕は口を開いた。<br>
<br>
「お前、名前は?」<br>
<br>
 取り合えず、その存在を明かしてみようと思った。『名前』は、その存在を意味付ける<br>
為の重要なファクターになる。まあ、嘘をつかれる可能性も無い訳だが&&なんだかこう、<br>
そこまで狡賢いようには見えない。<br>
 その仕草すら作戦というのなら&&少し恐ろしい。実際、その『存在の在り方』自体は<br>
生半可な"異なるもの"よりも遥かに大きいから。<br>
<br>
「ああ、こういうのは先に名乗るべきなのか。&&また真紅に怒られそうだな。<br>
 僕は桜田ジュン」<br>
<br>
 さあ&&どう出る?<br>
<br>
『&&真紅と、知り合いなの?』<br>
<br>
「! 真紅を知ってるのか!? あいつはこの"世界"に居るんだろう、&&場所はわかるか!?」<br>
<br>
『! &&』<br>
<br>
 その途端、ビクッと身体を震わせて、小動物のような怯えを見せる。<br>
 なんなんだ、こいつは&&?<br>
<br>
 様子を見ていると、ぽつりぽつりと彼女は話し始める。<br>
<br>
『ヒナね&&ずっと頑張ってきたの。だけど、もう無理なの&&ヒナはもう、&&』<br>
<br>
「&&」<br>
<br>
『真紅は、ここに居ちゃいけないの。本当に、何もなくなっちゃうの&&!』<br>
<br>
 そう言うと。ヒナと名乗る少女は、白い空間の遥か彼方&&とある方向を、指差した。<br>
<br>
『このまま&&真っ直ぐなの。ジュンは&&指輪を持ってるのね?』<br>
<br>
「あ、ああ」<br>
<br>
『なら多分&&大丈夫なの。早くしないと&&!』<br>
<br>
<br>
 そして。何の音も残さず、少女は消えてしまった。<br>
 どうする。この言葉を信じるならば、僕は真っ直ぐ飛んでいけばいい。<br>
<br>
「迷ってる暇は、無さそうだな&&」<br>
<br>
 僕は少女を信じることにする。このまま彷徨っていても、いつ真紅と出会えるかわかった<br>
もんじゃない。ならば、少しの可能性にかけてみるべきだと判断した。<br>
<br>
 腹が決まれば、あとは全速力で向かうのみ。<br>
 そして、彼女の物言い。僕は彼女の存在が何であるかを、理解しかけている。<br>
 実際に眼にしたことはなかったが、多分彼女は&&"魔術師"が残した魔法、一つのシステム。<br>
<br>
<br>
 すぐに消えてしまった―――ということは、システム自体に何かエラーが生じているに<br>
 違いない。<br>
<br>
<br>
<br>
――――――――――――<br>
<br>
<br>
『どうしたの? 真紅』<br>
<br>
 え? いえ&&なんでもないのだわ、雛苺。<br>
<br>
<br>
 少し、ぼんやりとしていたようだ。きょとんとした表情で、雛苺は私の方を見ている。<br>
 そしてすぐに、彼女は自分の作業へと戻った。今日はお絵かきをしているらしい。生憎<br>
何を描いてるのかはちょっと抽象的すぎてわからないが&&<br>
<br>
『~~♪』<br>
<br>
 屈託のない、というのはこの子の為にある表現のようにも思える。私には兄弟や姉妹が<br>
いないから&&もし妹が居れば、こんな感じなのだろうか。<br>
 そうすれば、さぞかし楽しい―――<br>
<br>
『真紅』<br>
<br>
 何かしら、雛苺?<br>
<br>
『真紅は、そんなことを考えなくてもいいのよ。私と、ずっと一緒に居るんだから』<br>
<br>
 &&そうね、ごめんなさい。<br>
<br>
<br>
この娘は私が特に何も話さなくても、こうやって時々話しかけてくる。とても不思議な<br>
気分だ。<br>
<br>
『うん&&ずっと一緒よ。多分もう少しで&&』<br>
<br>
 随分と、楽しそうなのね。<br>
<br>
『楽しいわ、本当に楽しい』<br>
<br>
そう言って、彼女はころころと笑った。だが、その笑顔が&&一瞬の、かげりを見せる。<br>
<br>
『でもね、真紅&&私が居なくなっちゃったら、貴女は悲しい?』<br>
<br>
 それはきっとそうね。貴女が居なくなったら、私はここで一人ぼっちだし&&<br>
<br>
<br>
 私がそう返すと、雛苺はまた笑った。けどほんの一瞬、今までみたことの無いような光<br>
が、その眼に宿ったような気がして。少しどきりとさせられる。<br>
<br>
 &&。何だろう、私はさっき自分で言った言葉に。少しだけ違和感を感じる。<br>
 違和感? それはおかしいじゃないか。私はここに居て&&彼女が居なくなったら、私<br>
は一人になる。それは間違いのないことだ。<br>
<br>
 そうしてふと、何だか口寂しい気分になった。&&? 私はいつも、何かを飲んでいた<br>
ような気もする&&のだけど。多分私はそれが大好きで、&&それは、何だったろうか。<br>
<br>
<br>
『真紅は一人だよ&&私が居ないと。だから、ね? 一緒に、遊ぼう&&?』<br>
<br>
<br>
 いつの間にか私の眼の前に彼女は立っていた。そして、私の方に手を伸ばしてくる。<br>
<br>
<br>
『一緒に居て&&? 真紅は、ここに居るの。ここが、貴女の還る場所。そうよね?』<br>
<br>
 どうして&&そんなことを言うの? 『かえる』って&&<br>
<br>
『はじめから、何も無いのよ。眼を逸らしているわけでもない。気付いていないわけでもないの』<br>
<br>
 私は、何かを考えようとしている。だけど、&&彼女の言葉のひとつひとつが、どうし<br>
ようも無い真実であるかのような感覚がしている。<br>
 そもそも、私に考えることなどがあろうか?<br>
 その言葉そのものが、私に何か想起させようとしているにも関わらず&&どうして?<br>
 何故彼女は、こんなことを私に語りかけるのか。<br>
<br>
『くすくすくす&&これだけ言っても、もう駄目なのね?』<br>
<br>
 &&?<br>
<br>
『足掻いているわ。もがいているわ。&&本当に、楽しいの。<br>
 楽しいというよりは、可笑しいのかな? それは無駄なことだから。そういう意味では悲しくも<br>
 あるかもしれない&&』<br>
<br>
 誰が、足掻いているの&&?<br>
<br>
『貴女とは、"全く関係のない人たち"よ。<br>
 &&"世界"はいつだってそうやって成り立っているし、気付かないことでいっぱいなのよ。<br>
<br>
 それでいいの。それははじめから、"無かった"。これで全部"無くしてしまう"&&貴女も、私も』<br>
<br>
 そして伸ばされた手が――――『私』、に触れた。<br>
 &&&&&&<br>
<br>
<br>
 &&&&声、<br>
<br>
『&&&&!』<br>
<br>
 なつかしい、声だ、<br>
<br>
『&&&&い&&&しんく!』<br>
<br>
 私はこの声を、どこかできいたことがある、<br>
<br>
「――――――真紅! &&」<br>
<br>
<br>
 おかしい。彼女は言った、『そんなものは、はじめから無かった』――――あなたは、だれ、&&?<br>
<br>
 私はもう、自分が眼を開けているのかもわからない&&だってここには、何も無いの<br>
だから。けど&&少しだけわかったのは。<br>
 誰かの叫び声がしたということと、――――この光は、きっとやさしい、ということだった。<br>
<br>
<br>
『"神業級の職人(マエストロ)"が命じる――――――』<br>
<br>
<br>
 そして、ひかりの糸は。多分、私の"身体だったもの"を、包み込んだのだと思った&&<br>
<br>
<br>
――――――――――――――――――――<br>
<br>
<br>
 &&見つけた!<br>
<br>
 確かに、あそこに『居る』。だが&&<br>
<br>
「&&!」<br>
<br>
 その場所には、先ほど僕の前に現れた子供しかいない。それに何だか、様子がおかしい。<br>
――――『あれは本当に、さっき逢った奴なのか?』<br>
<br>
 そして気付く、違和感。今、奴が手をかざしている先。そこにある、曖昧な空気のもや<br>
のようなもの&&<br>
<br>
『&&貴方だったの。"この娘"がまた無駄なことをしようとしたのね』<br>
<br>
「&&お前は、誰だ」<br>
<br>
『私は、私。&&でも、私は私じゃあ、ないのよ。わかる?<br>
 "確かにここに居る、そしてここには居ない"&&&くすくすくす』<br>
<br>
「禅問答をしてる余裕は無いんだけどな。&&真紅は、何処だ!」<br>
<br>
「"真紅"? くすくすくす。ほら、わからない。ねえ、やっぱり貴女は一人だって言ってるよ?<br>
 気付かれなければ、貴女は一人&&」<br>
<br>
 ――――ぞくり、とした。今、僕が話している者は、やはり明らかに&&さっき逢った奴とは、<br>
違う。<br>
 さっきの子供は、その存在感がはっきりとあり、そしてそれは大きかった。『存在』とは、<br>
それがその場に『在る』為の力。しかしこいつは&&<br>
<br>
『少しだけ、遊んであげる。私、遊ぶのが大好きなの。ほら&&"真紅"は、ここよ?』<br>
<br>
 さぁっ、と。奴が両手を広げ、"もや"が散っていった。<br>
 この曖昧な空気のようなもの&&まさか。<br>
<br>
「大丈夫か、おい、真紅!」<br>
<br>
 なんてこと。今の真紅もまた、器を持たない観念の状態になっている。僕ですら失いそうに<br>
なっていた己の形を&&彼女が保っていられる筈が無かったということか。<br>
<br>
「真紅! お前は、誰よりも自分の意志を強く持っていたんじゃないのか!<br>
 考えるお前が、お前である由縁だと――――自分で言ったんだろう!」<br>
<br>
<br>
 駄目だ。もう、その魂の色が&&希薄になってきている。<br>
 ならば――――僕が、何とかするしかない――――<br>
<br>
 <br>
<br>
<br>
『"神業級の職人(マエストロ)"が命じる――――――指輪の"世界"に取り込まれし指輪の主、<br>
<br>
 その名は"真紅"&&失われしかたち、その魂よ。<br>
<br>
 我が"旋律"に包まれ、呼び戻されんことを欲す――――――――!』<br>
<br>
<br>
 左手の指輪より、紡ぎだされる"旋律"。僕はこの力を使う度に思った。<br>
 これは―――僕の存在そのものから、紡ぎだされる糸なのだと。<br>
<br>
「くそっ&&戻って来い、真紅&&!」<br>
<br>
 僕が幽霊になってからの存在は、彼女が居たから証明されるものだった。<br>
 何故なら、彼女が僕の存在に意味をつけたから。あの指輪を通じて――――――<br>
 僕があの時の賭けに負けていれば、ただ儚く消えていく運命だったかもしれない。<br>
<br>
<br>
『&&がんばるのね。そうそう、そのまま&&』<br>
<br>
<br>
 織り成す糸は、かたちを作り。そこに漂う残滓を、纏め上げる。<br>
 真紅、お前は――――――――<br>
<br>
<br>
「うああああああああっ!!」<br>
<br>
<br>
 ――――――僕が、護る―――――――!<br>
<br>
<br>
 白い空間を、更に眩しいひかりが包む。そしてその地面に、倒れている&&<br>
<br>
「―――真紅!」<br>
<br>
「&&」<br>
<br>
 幽霊の僕でも、その身体を抱き上げることが出来た。やはり&&実体を持っていない。<br>
<br>
「&&ジュン&&?」<br>
<br>
「全く&&お前らしくないな。あんなのに呑み込まれるようなやつでもないだろうに」<br>
<br>
「&&」<br>
<br>
 真紅は僕の言葉に、何も返さなかった。だが、一応『僕が僕であること』を認識して<br>
いるようだ。その証拠に、彼女はちゃんと僕の名前を呼んだ。<br>
「うっ&&」<br>
<br>
 そして。僕の腕の中で、真紅はぽろぽろと涙を零し始める。<br>
<br>
「ジュン、私は――――――」<br>
<br>
「&&」<br>
<br>
 その様子をよそに、其処に居た子供が、ぱちぱちと手を叩いた。<br>
<br>
『すごいの。&&貴方、お父様の力が、使えるのね?』<br>
<br>
「&&なるほど。お父様って言うってことは、お前が指輪の"存在"か。いや&&確かにそ<br>
 れも、正しくないかな」<br>
<br>
『&&』<br>
<br>
「イメージだけを馴染ませても、無駄だ。お前が、そうなんだろう? 姿を現せ」<br>
<br>
 僕がそういうと、奴は一層可笑しそうに笑った。<br>
<br>
『貴方は、わかっているのね&&ジュン。お父様から教えていただいたのかしら。<br>
 でも、だったらどうして&&私の邪魔をするの?<br>
 私は、ただ&&初めから、無いことにしようとしてるだけなのに』<br>
<br>
「なんだと?」<br>
<br>
『皆、間違ってたのよ。私は奇跡を起こしたんじゃなくて&&色んなものを、<br>
 "何も無かった"ことにしていっただけ。<br>
<br>
 奇跡は、生み出されたんじゃないのよ。私が&&そこに至るまでの因果の一つ一つを、<br>
 切り取っていったの。ここでは、因果は掻き消される&&この"九秒前の白"の中では』<br>
<br>
「"九秒前の、白"&&」<br>
<br>
『私には元々、かたちが無かったから。"この娘"の身体を使わせてもらったわ。<br>
 お父様が送り込んだ観念&&指輪の宿主を、守る為の力』<br>
<br>
 奴が、眼を瞑る。途端、その身体からひかりが溢れ出して&&『全く同じ姿形をした<br>
少女が二人』、この空間に現れた。<br>
<br>
『私は"雛苺"。この娘も"雛苺"&&』<br>
<br>
「―――!?」<br>
<br>
『ヒナはヒナよ! 貴女は私じゃない&&!』<br>
『あら、"雛苺"。それでも、このかたちをしている間は"私"は"私"。<br>
 &&貴女こそ、何も出来なかったでしょう。無理矢理自分の意志を覚醒させてるときも<br>
 あったみたいだけど。わかってたのよね?もういいでしょう。運命なんてものは――――――』<br>
<br>
『&&そんなことは、許さないんだからっ!』<br>
<br>
<br>
 二人の"雛苺"の一人が両手を前に出し&&そこに展開される、苺わだちの蔓。それは糸を織り成し、<br>
ひかりの紐を作り上げて。もう一人の"雛苺"へと向かっていった。<br>
<br>
 &&が、しかし。<br>
<br>
「消える&&」<br>
<br>
 その糸は。奴の眼の前まで迫り―――しかし、身体には届かず全て掻き消されてしまった。<br>
<br>
『貴女の存在&&! 貴女のその姿かたち、それは初めから無かったのっ!』<br>
<br>
『そうね&&だから貴女の姿を借りたのよ、雛苺。私には&&何も無い』<br>
<br>
 姿は、雛苺のかたちのまま。少女は、不敵に笑った。<br>
 しかし&&その笑みは、さっきまでとは。いや、今までもそうだったかもしれない―――<br>
 彼女は、一度も笑ってなどいない。その眼は、少しも楽しそうではないからだ。<br>
 むしろその色には、寂しさと虚ろさが入り混じっていて、その存在そのものがそもそも危うい。<br>
<br>
『お父様は&&幸せを追い求めて、私を作り上げた。私がここに居るのは、何か意味があると<br>
 思う&&?』<br>
<br>
 僕は知っている。その、『何者でも無い正体』を。そして僕は伝えなければならない&&<br>
 "魔術師"の、意志の残滓を。<br>
<br>
「&&存在が無いことを、実現してしまった存在。至高の矛盾律&&」<br>
<br>
 "魔術師"が作り上げた、幸せの観念を紡ぐ指輪。それは世界を滅ぼせるような、そんな<br>
大層な力を持っているのではない。ただ、それに関わる者達の因果の流れを動かしているだけ。<br>
 だけどそれは究極の魔法だった、何故なら&&<br>
<br>
『そう。お父様は、一つの至高を作ろうとしたけど、そんなものは存在しないの。<br>
<br>
<br>
 お父様が作ったのは&&"ゼロ"。"究極"に限りなく近づくことは出来るけど、究極そのものは<br>
 存在しないことにお父様は気付いた。だからお父様は、"何も無いこと"を実現してしまったの。<br>
 とある少女の観念として、全ての矛盾を孕むもの。&&それが私。<br>
<br>
 私は因果を切り取る&&<br>
 何かに至ろうとする過程、&&この指輪の主の初代が、望んだこと。<br>
 成功を求めれば、そこに至るまでに孕んでいた"失敗の可能性"の因果を、悉く切り取っていけば<br>
 いいの』<br>
<br>
「&&だが、それによって因果は乱れる。お前は一つの"ゼロ"である筈。なら何故、切り取ったもの<br>
 を『別なかたちで現実に反映させた』?<br>
<br>
 それこそが、お前の限界なんじゃないのか。どんな因果も、無かったことに出来る筈は無い。<br>
 お前はただ、その順番を入れ替えただけだ。<br>
 消すことの出来なかった不幸の観念&&それはそのまま、指輪を受け継いだ一族に還ってきている」<br>
<br>
『一つ間違ってる。出来なかったんじゃなくて、しなかったの。この"九秒前の白"の中に、因果<br>
 を留めておくことだって出来るんだもの。それは事実上、無くなってしまったことと同じ。<br>
 ここは、誰にも気付かれない場所だから。<br>
<br>
 私は気付かせようとしただけなの&&望めば望むだけ、その上が欲しくなる。<br>
 そもそも、幸せや不幸せなんて、&&その基準を、誰が決めたの? だけどそんな些細なことで、<br>
 足掻いたりもがいたりしているの。それは見てて面白かったし&&そして悲しかった。<br>
<br>
 お父様は結局人間に殺されてしまった&&でも、それも自業自得なの。私という"ゼロ"を生み出して<br>
 しまったばっかりに。存在の意味すら見当たらない私を。<br>
<br>
 初めから、何も無ければいいのに。"普通"すら、そこに"在る"限り、波は立つんだから』<br>
<br>
 &&。<br>
 言っていることは正しい気がする&&しかし、歪んでいる。ただ、奴から言わせて見れば、<br>
それすら些細なことでしかないのだろう。<br>
<br>
『&&でも、それもおしまい。私は所詮、"ゼロ"でしかない。矛盾は矛盾の元に還る&&<br>
 消さなかった不幸の観念も、もう殆ど滅されてしまった。&&とびきり強力な虚像が現れた<br>
 筈なのにね&&<br>
 私はもう因果の流れを"無かったこと"にはしないし、この運命の円環は―――閉じる。<br>
 そして私は、それこそ何事もなかったのように消える。私は気付いて欲しかった、ずっと&&<br>
<br>
 それを叶えてくれたのは貴女よ、真紅』<br>
<br>
「私、が&&?」<br>
<br>
『そう。貴女は、何も無かった筈の私の存在に気付いた&&覚えてはいないでしょうけど。<br>
 だけど私にはかたちが無いから&&"雛苺"の姿に馴染んだ。そうすれば、貴女とお話出来ると<br>
 思ったから』<br>
<br>
「&&」<br>
<br>
『雛苺、貴女は良いわ。お父様から与えられた使命―――指輪の宿主を護る、ただそれだけを<br>
 していれば良かった。それが正義だったでしょう? 何の疑念も抱かずに』<br>
<br>
『う、うゅ&&』<br>
<br>
 雛苺は少しひるみ、そして口を開く。<br>
<br>
『けど&&けど! 貴女は、真紅を連れて行こうとしたの! 何も無い世界に&&一緒に還ろう<br>
 とした! それはさせないの&&だって私は、その為にここにいるんだからっ!<br>
<br>
 貴女は嘘をついたじゃない&&真紅は、一人ぼっちだって。だけど真紅には、ちゃんと別に<br>
 帰る場所があるの、待ってるひとが、居るのっ!―――貴女は、寂しかったんでしょっ!?』<br>
<br>
<br>
『&&っ! 無駄よ、雛苺。ゼロはもう、一点に収束し始める。私は因果の流れを変えない、<br>
 だから私はこのまま消えてなくなる&&別に全ての世界が終わらなくても十分。私はその程度<br>
 のものだから、それでいいの。<br>
<br>
 だけどそれだと、私は本当に一人ぼっち。雛苺、貴女も随分頑張ったけど&&これは決めら<br>
 れたことなのよ? 運命は変わらない。"存在の終わり"は引き起こされる。何処でも無い<br>
 場所、この"九秒前の白"からそれは伝達される&&<br>
 指輪に関わったものを全て、無くしてしまう。そうすれば、気付かない。<br>
<br>
 &&それが一番うつくしいでしょう?』<br>
<br>
<br>
 ―――そうか。それが、指輪に囚われるということ。それは『呑みこまれてその一部になる』<br>
のではなくて、&&その存在の在り方そのものが、消されてしまうということなのか&&<br>
<br>
 誰が正しいのか。確かに、指輪そのものが無ければ、こういう因果の流れは起きなかった筈。<br>
それは"魔術師"の&&今は僕の存在が、元は引き起こしてしまったこと。<br>
 "魔術師"は、指輪を生み出した時点で一つの間違いを犯した。『何も無い存在』である、一人の<br>
少女の観念。それを生み出したときに、たったひとつ必要だったものを、彼は伝えていない―――<br>
<br>
<br>
「―――因果の流れを変えられなくても。運命を変えることに、特別な力は必要ない」<br>
<br>
『&&?』<br>
<br>
「一度廻り始めてしまった運命の上に、確かに生きている人間が居る。<br>
 それは、それだけで生きていい理由になるんだ&&確かに、自分を脅かすものには、抗いたい。<br>
 そして出来るなら、自分達が幸せだと思う生活を送っていきたい。<br>
 お前からすれば勝手なことかもしれないけど&&それが人間なんだ。<br>
<br>
 さっき雛苺も言った。真紅もまた、指輪の運命に巻き込まれて&&それでも、待ってるひと<br>
 が居る。その一人一人が、皆意志を持った存在―――誇れる、もの。<br>
<br>
 意味の無い"個"は存在しない、だから&&そのまま消させる訳には、いかない」<br>
<br>
『&&貴方も結局、私一人がそのまま存在を終わらせればいい、って言うのね。だけどそれ<br>
 は無理よ。だってもう、時間は無いから――――――』<br>
<br>
「―――!?」<br>
<br>
 突如。白い空間は、激しい揺れを見せ始めた。<br>
 何も無い空間に、黒いヒビが入り始めて――――――<br>
<br>
『終わるわ。&&そうよ、私は寂しいの。何も無くなるのが&&真紅だけ連れて行こうと<br>
 思ったけど、貴方達も道連れね。全て、夢幻の彼方&&</p>
<p>
 悪夢だって、其処には無いわ。怨念に脅かされることだって無い』</p>
<p>
 少女は&&泣いていた。生み出されてしまったひとつの"ゼロ"は、その意志を以て泣いて<br>
いる。<br>
 &&僕は思う。少女は指輪を巡る中心に居ながら、しかし自身が『何者でも無い』ことを<br>
理解していた。それはどんなに、辛いことだったのだろう? ―――</p>
<p>
 揺れはおさまらない。入り始めたヒビはどんどん広がっていき―――果てしなく続いて<br>
いた頭上の空間から、壊れたビルのように岩が落ちてくる―――</p>
<p><br>
 全てが終わる前に。たったひとつ、僕が言われなければならないことは&&</p>
<p><br>
「"魔術師"の伝言だ。お前に伝えなければならないこと―――」</p>
<p>
『&&何? 今更何を言われたって、どうしようもならないの』</p>
<p>
「&&お前は、『何も無い』ひとつの存在だった。だけど、お前の存在には意味があったん<br>
 だよ。</p>
<p>
 だって、お前には名前があるんだ。それは――――――」</p>
<br>
<p>――――――――――――――――――</p>
<br>
<p>「あ、ああ&&」</p>
<p>
 ジュンがここにやってきてから。私がずっと雛苺だと思っていた少女と対峙してから、<br>
どれほどの時間が経っただろうか。きっとそんなに時は流れていないのだろう―――<br>
でも。私はその間、殆ど言葉を発することが出来なかった。</p>
<p>
 彼が今、少女に告げた一つの『名前』。それを聞いてから、彼女は膝から崩れ落ちて<br>
しまって、動かない。彼女は自分の存在に意味が無いと言っていた&&けれど、名前が<br>
あった。それは命そのものを、この世界に現す言葉&&</p>
<p><br>
 そして今、この空間が崩れ始めている。"存在の終わり"―――私は、何も出来なかった。<br>
ただ、護られているだけで。こんな私こそ、消えてなくなった方が良いのかもしれない。</p>
<p>
 だってそうすれば、皆苦しまなくても済む――――――</p>
<p>「真紅」</p>
<p>「&&え?」</p>
<p>
「また馬鹿なこと考えてるんじゃないだろうな。お前がここで消えちゃったら、僕らの<br>
 苦労は台無しだぞ。全くらしくないったら、ないな」</p>
<p>「&&」</p>
<p>
「お前は、僕が護る。それは前にも約束しただろ。だから&&その、指輪の存在。<br>
 それを最後に、僕に渡してくれ。&&それで、全て終わる」</p>
<p><br>
 そんな、そんな。だってジュンは幽霊だけど、今も生きていて&&</p>
<p><br>
「嫌、嫌なの、もう! 私の為に誰かが苦しむのは&&! どうしてジュンがそれを<br>
 引き継がなきゃいけないのっ!」</p>
<p>
 泣き叫ぶ。そんなことしたって、どうしようもならないこと位、わかっているのに。</p>
<p>
「&&さあ、どうしてだろうな。ひょっとしたらこれが夢かなんかで、目覚めたら<br>
 いつもの日常が始まって&&なんていったら、随分といい話かもしれないな。</p>
<p> だけどそれは、もう今の僕らにとっては幻なんだ。</p>
<p>
 僕が望んだことは&&真紅、お前の運命を変えること。変えられた因果は、誰かが<br>
 請け負わなきゃいけない&&<br>
 指輪を受け継ぐには、お前が僕に『指輪を渡す』という意志が必要だ。&&頼む、真紅」</p>
<p><br>
 どうして彼は、こんなに穏やかな顔をしているのだろう。それに比べて私は、もう<br>
涙が流れすぎて酷い顔になっているに違いない。</p>
<p><br>
 私は思う。何故彼らは、こんなにも私を守ろうとしてくれるのか。確かに、"庭師"達が<br>
所属する組織―――其処にいる人たちは、何かしらの義務感を担ってそれを遂行しようと<br>
してくれているのかもしれない。<br>
 それでも。翠星石や蒼星石、それに金糸雀やみっちゃん―――彼女達は、私に本当に真<br>
摯に接してくれて。そんな存在に、私は何を応えるべきなのだろうか&&<br>
 運命。特別な力を持ち、悪夢に囚われた存在を助ける者達。これが運命と言うのならば、<br>
もし神が存在したとして―――何故、そのような因果を彼らにもたらしたのだろう。</p>
<p>
 そして、ジュンは&&? 彼は幽霊で。いや、実際は生きているようだけど―――私を<br>
護るために、ずっと傍に居てくれた。<br>
 彼という存在を、私は失いたくない。</p>
<p>
 穏やかな表情を浮かべているジュン。貴方は、自分の運命を&&どのように、感じてい<br>
るの? ジュン、貴方は&&とても、強い。この"世界"に囚われてしまって、闘うことを<br>
諦めようとしてしまった私なんかよりも、ずっと。</p>
<p>
 私がずっと駄々を捏ねていたところで&&彼はずっと、待ち続けるのだろう。この、<br>
残り僅かな時間。私を救う為に、私の決断を待って―――</p>
<p>
「&&私が決断しなければ、外の世界に居る皆も消えてしまう。&&そうなのね?」</p>
<p>
「&&ああ。多分そうなるな。そういう意味じゃ、多分僕は随分酷いことを言ってる。<br>
 お前に全てを託そうとしてるんだから。</p>
<p>
 けど、僕はお前を救いたいんだ。それが僕の、存在の意味だから&&」</p>
<p>
―――全てを救うことは出来ないと。頭の中に直接、ジュンの声が響いたような気がした。<br>
私は、&&決意しなければならない。</p>
<p>
「ジュン&&約束して。貴方も必ず、無事でいること&&それだけで&&いいから&&」</p>
<p>
 私がそう言うと、彼はやはり。穏やかに微笑んで、言った。</p>
<p>
「ああ。紅茶の葉を用意しとけよ。とびっきりのを淹れてやるさ」</p>
<p>
 その声は、あまりにも涼やかに。この空間を静かに震わせる&&。</p>
<p> 私は、ジュンの左手の指輪に―――口付ける。<br>
 その瞬間。パァッ、と指輪から眩しい光が溢れ出た。</p>
<p>「&&っ!」</p>
<p> 熱い。自分の左手の薬指の――――</p>
<p>「指輪、が&&」</p>
<p>
 ずっと、私を戒めていた薔薇の指輪。それが無くなっていた。そして指輪は、ジュンの<br>
左手の薬指に―――はめられている。<br>
 気付くと私の身体は、徐々にその色を失いつつあった。どうして、私は―――</p>
<p>「お前はもう、指輪の運命の輪からは外れたんだ。<br>
 ここから居なくなるのは&&お前が多分、目覚めようとしているせいだろう。</p>
<p> 大丈夫、目覚めたら&&全部、終わってるよ」</p>
<p>
 そんな。私はまだ、話したいことが一杯あって―――<br>
 身体が消えていくにつれて、その思考も曖昧になっていく。<br>
 待って、待って&&</p>
<p><br>
「―――じゃあな、真紅」</p>
<p><br>
 私が最後に聞いたのは&&そんな、彼の別れの言葉だった。</p>
<br>
<p>―――――――――――――</p>
<br>
<p>「&&さて、と」</p>
<p>
 崩れ落ちる空間に残された僕と、"雛苺"の姿をした少女が二人。</p>
<p>
「これで僕が指輪を継承した訳なんだけどな。あとはここから&&」</p>
<p>
『&&どうするつもり? 確かに真紅は助かったかもしれないけど、私がここに<br>
 居る限りは"存在の終わり"は止まらないのよ』</p>
<p>
「―――お前が消える場所を、変える。全ての観念の終わる街があるんだ。<br>
 別にお前は神様じゃない&&あの空間は、そう簡単には壊れないさ。<br>
 &&それに、消えるのはお前一人じゃない。僕もついてってやるよ」</p>
<p>
『ヒナもついていくのよ。今はジュンに指輪がついてるんだから。<br>
 けど、真紅は本当に大丈夫&&なの&&?』</p>
<p>
 雛苺は心配そうに言う。ずっと指輪の主を守り続けてきたのだ、気にかかるの<br>
は当然のことだろう。僕は彼女の頭に手を置いて言った。</p>
<p>
「大丈夫さ。お前はよくやったよ&&じゃあ、とりあえず行くか。もう時間がなさそうだ」</p>
<p>
 僕は少女の手を握り、自分の『肉体』が置いてある場所―――"虚ろなる街"へ<br>
通じている"旋律"の紐を辿り飛び始める。</p>
<p><br>
 "旋律"を辿り猛スピードで飛びながら、僕は少しだけ考えていた。</p>
<p>
 真紅、お前とは。もっと普通のかたちで、逢いたかったかもしれないな―――</p>
<br>
<p>―――――――――――――――</p>
<br>
<p> &&</p>
<p> 久しぶりにやってくる、"虚ろなる街"。<br>
 僕の指輪に関わる運命は、思えばここから始まったのかもしれない。</p>
<p>「はは、まだ崩れたまんまだ&&あの建物」</p>
<p>
 最初に水銀燈と邂逅したときに、いきなり放たれた"黒い羽根"によって瓦礫と化した<br>
建物は、まだそこにあった。</p>
<p>『ジュン&&』</p>
<p> 手を握ったまま、話しかけてくる彼女。</p>
<p>「なんだよ」</p>
<p>
『本当に、良いの? 私と一緒に居なくなっちゃっても』</p>
<p>「一人で寂しかったんだろ? 僕も付き合う」</p>
<p>
『でも&&それだとジュンは、真紅との約束を守れないじゃない。<br>
 約束を破る男は、嫌われちゃうよ?』</p>
<p>
 &&くそ。ここで茶化す余裕があるなら、大したもんだ。<br>
 まあ、約束を破ってしまうことになるのは事実だけれど―――</p>
<p>
「―――ああ。僕はまだ生きてるけど、肉体の方がもう余命僅かなんだ。<br>
 そんなに長くは生きられない―――</p>
<p>
 それに。僕がお前と一緒に"居なくなれば"、僕も外の世界には最初から存在しなかった<br>
 ことになる。思い出して、悲しまれることもないよ。</p>
<p>
 ところで雛苺―――お前は僕に付き合う必要は無いぞ。あそこに放っておく訳にもいか<br>
 なかったから連れてきたけど&&」</p>
<p>
『うぃ&&けど、此処に居てもヒナはお外には出られないの。だったらジュンについていく<br>
 の&&』</p>
<p>『&&』</p>
<p>
 そんな雛苺の言葉を聞いて、同じかたちをした少女は何も答えない。"九秒前の白"は今頃<br>
完全に崩れてしまっただろうけど、そこを抜けさえすれば&&彼女には今、『名前』がある<br>
から。たとえ観念の存在であるとして、まだ少し余裕はあるようだった。</p>
<p>
 消えてしまうっていうのは、どれほどの恐怖なのかな。いや、それすらも無かったこと<br>
になるし&&きっと怖いのは、消えてしまうまでの空白の時間。</p>
<p>
 『何も無いことは、うつくしい』と。彼女はそう言っていた。それが、何も無い真っ白<br>
な空間の中で&&長い長い間ずっと独りでいた彼女の出した、一つの答え。</p>
<p>
 "魔術師"の誤算は&&彼の作り上げた一つの魔法が、意志を宿るまでに至ってしまった<br>
こと。もっとも、それ故"雛苺"という護る存在も実現することが出来た訳だが&&結局<br>
それにも、"魔術師"自身の命を使ってしまう結果となった。それはやはり、奇跡の代償だ<br>
ったのか。</p>
<p>
 不思議なほど、今の僕のこころは静かに凪いでいる。<br>
 僕は真紅を&&その存在を、世界に残すことが出来た。</p>
<p> だから―――もう、いいんだ。<br>
 何も無いことを存在させてしまった、矛盾の奇跡。<br>
 僕はその責任を、取らなければいけないんだろうな&&</p>
<p> &&?<br>
 そんなことを考えていると。胸の辺りが、熱くなってくる。</p>
<p>「&&なん、だ&&?」</p>
<p>
 幽霊である自分の身体で、鼓動が鳴り響いているとしたら。早鐘を打ちすぎて、息も<br>
まともに出来ないくらいだろうと思うほど―――</p>
<p>
 そして、僕の胸から―――ひとつの輝く塊が、幾重にも重なった光の輪に包まれて<br>
飛び出してきた。これは&&石&&?</p>
<p>
 その輝く石は、僕達の前に静止し&&やがてひとの形を成し始める。</p>
<p>『お父様&&!』『お父様なのー!』</p>
<p> 驚いた表情でそのひとのかたちを見る少女。<br>
 ―――お父様、とは。こいつが、"魔術師"ということか―――</p>
<p>『私も居るわよぉ、ジュン』</p>
<p> 声と共に、大きな黒い翼を広げて降り立つ人影。</p>
<p>
「&&水銀燈!? 何でお前がここに&&消えちゃったんじゃなかったのか!?」</p>
<p>
『あらぁ。貴方のことが心配だったから、ずっと見ててあげてたのにぃ。<br>
 私はお父様と一緒に居るのよ? 全部見届けるまでは、消えられないわよぉ』</p>
<p>
 茶目っ気たっぷりな様子で笑う彼女。―――こんなキャラだったか?<br>
 こいつは&&思わず額に手をやる。居るんなら手伝ってくれよ&&</p>
<p>
『まぁまぁ&&それよりもねぇ。私が伝えたいのは、お父様の意志&&<br>
 これはお父様のかたちをしているけど、直接語りかけることは出来ないから』</p>
<p>「&&」</p>
<p>
 納得いかないが、とりあえず耳を傾けることにしようか。</p>
<p>
『&&ジュン、貴方の下した決断は、その娘と一緒に消えることだったみたいねぇ』</p>
<p>
「ああ、そうだよ&&こいつ独りじゃ、寂しいじゃないか」</p>
<p>
『ほんとにもう&&貴方はまだ生きてるんだから&&本当、優しすぎるほど優しい<br>
 のねえ、貴方は。</p>
<p>
 だけど&&お父様は、それを望まない。もう既に、ジュンの身体からお父様の<br>
 魂は離れたの。だから、その娘を連れて"居なくなる"のは&&お父様自身だって、<br>
 言ってるわぁ。</p>
<p>
 けれど勘違いしないで&&生きるというのは、それだけで辛いことに遭遇する<br>
 可能性を孕むのよぉ。</p>
<p>
 その上でお父様は、その存在を残せと言っているの』</p>
<p>「&&!」</p>
<p>
 &&だけど、僕には指輪があるし、その存在を背負う限りは――――――</p>
<p>「―――あれ?」</p>
<p><br>
 指輪が、無かった。代わりに、"魔術師"の左手の薬指に―――それは、つけられている。</p>
<p>「これで満足なのか? お前は&&」</p>
<p>
 "魔術師"は、少し悲しそうな眼をしてこちらを見ている。<br>
 もうどれほど謝罪をしても仕切れないと―――そんな声が、僕の頭の中に響いた気がした。</p>
<p>
 そして。口を開けないと言っていた筈の彼が、僅かに唇を動かす。</p>
<p><br>
『―――――おいで、"アリス"』</p>
<p><br>
 紡がれた、言葉。何も無い存在を実現した、一人の少女の名前を―――</p>
<p>
 少女は"父"の元にかけよる。"魔術師"は雛苺の方も向き、その名前を呼ぼうとしたの<br>
だろうが&&それを"アリス"が制止する。<br>
 そして彼女は、僕たちに語りかけた。</p>
<p>
『ありがとう、ジュン。貴方が私と一緒に居なくなってくれるって言ったとき―――<br>
 嬉しかった。私がこんな存在じゃなくて、普通の女の子だったら&&良かったのにね。</p>
<p> あと―――雛苺』</p>
<p>『うぃ&&?』</p>
<p>
『真紅がね&&中身は私だったけど、貴女みたいな妹が居たら楽しいだろうって&&そう<br>
 思っていたのよ。貴女はその願いを&&私の代わりに、叶えてくれないかしら。<br>
 普通の身体を持って、普通の生活を送っていくの。私にはもう、それをする資格も無い<br>
 から。私自身が消えてしまう運命は、もう変わらない。</p>
<p> 貴女は、真紅と一緒に居たいでしょう&&?』<br>
 <br>
 言われて、何処か戸惑いの素振りを雛苺は見せる。当然のことだろう。いきなりそんな<br>
ことを言われても、彼女はまだ子供だ。</p>
<p>
『雛苺、この娘が言ってることは&&決していいことばかりではないわぁ。それはさっき<br>
 私がジュンに言ったのと同じこと&&</p>
<p>
 けれど私も、貴女と言う存在が、消えてしまう必要は無いと思うの。この娘が消えて<br>
 しまったら、指輪そのものに関わる全てが"無かった"ことになるだろうけど。<br>
 貴女がこの娘の意志を継いで&&外の世界に実現するのなら、きっと忘れることは<br>
 無いでしょうね。</p>
<p>
 忘れ形見って言うと縁起でもないけど&&それを残したいのねぇ。そうよね、"アリス"?』</p>
<p> 水銀燈に言われ、少女は小さく、頷いた。</p>
<p>
『うゅ&&わかったの。ヒナ、貴女のこと&&忘れないから&&』</p>
<p>
 雛苺はそう言って、涙を零す。"アリス"もまた、泣いていた。そして彼女は、恐らくは<br>
この"世界"で使う、最後の力を解き放った。因果を無かったことに&&いや、その流れを<br>
入れ替える歪みの力を。それは、多分最初で最後の。『彼女自身の願い』を叶えるもの―――</p>
<p>『&&!』</p>
<p>
 輝く、ひかり。それに包まれて、雛苺の身体もまた&&この"虚ろなる街"から消えていく。<br>
外の世界へと、還っていったのだろう。</p>
<p>「―――あ、」</p>
<p>
 そして気付くと、僕の右手には、&&薔薇の紋様はあしらわれていなかったものの。<br>
シンプルな銀の指輪が、はめられていた。</p>
<p>
『ジュンにも、私からプレゼント&&私のこと、忘れないでね』</p>
<p>
「また物騒なものを&&しかもわざわざ右手か&&まあいいか。ありがたく貰っとく。<br>
 &&忘れないよ、保障はしないけど」</p>
<p>
 僕がそういうと、彼女は綻んだような笑顔を見せる。―――ああ、この娘は。その存在に<br>
意味が無いなんてことはない。だって、こんなに嬉しそうな顔をして笑えるのなら&&</p>
<p><br>
『さて、私もお父様達についていくから&&今度こそお別れよぉ、ジュン』</p>
<p>「水銀燈&&」</p>
<p>
 はにかんだような笑顔で、彼女は僕に何かを差し出した。<br>
 僕が始めてあったとき、"黒き天使"だと感じる象徴になった―――黒い羽根の、一枚を。</p>
<p>
『私達は、これから"居なくなる"―――だけど、確かに私達は存在して&&それは今、この<br>
 娘が言った通りねぇ。知識はお父様のものだったけど、貴方は勇敢に闘い、そして護り抜いたの。</p>
<p>
 ありがとう、ジュン&&その羽根は、私達と、貴方の&&存在の、証&&』</p>
<p><br>
 三人が、消えていく。光に包まれて。それに触れると、彼らの身体は光の砂になって<br>
散っていく。</p>
<p>
『ジュン。真紅に、伝えておいて―――貴女に逢えて、良かったって。本当に、<br>
 楽しかったから&&』</p>
<p>
 最後に少女は、僕にそう言い残す。三人の姿が完全に掻き消えてしまう間際、僕は"魔術師"と<br>
眼があった。</p>
<p> そして僕は、最後にこう言ってやる。</p>
<p><br>
「いつか生まれ変わったら&&今度は間違うなよ、"魔術師"&&いや、」</p>
<p><br>
――――――ローゼン&&</p>
<p><br>
 その言葉は、この"虚ろなる街"に小さく響いて。彼らの存在は&&『無くなった』。</p>
<br>
<p>「&&」</p>
<p>
 彼らが居なくなってしまったあと、僕は指輪のつけられた右手で&&黒い羽根を持ち、<br>
それを見つめる。</p>
<p>
 彼らの存在は、"終わってしまった"。けれど&&指輪に関わった者達の記憶。変えられ<br>
てしまった因果の流れ。そういったものを含めて、僕は今も覚えている。きっと外の世界<br>
に居る人たちもそうだろう&&</p>
<p>
 案外と、彼らのことだから。消えたと見せかけて、また何処かで僕らのことを見守って<br>
いるのかもしれない―――そんなことも、考える。</p>
<p>
 真紅は無事に目覚めただろうか。雛苺は、どうだろう。&&きっと、大丈夫だよな。</p>
<p> そして、ふと。後ろからひとの気配がした。</p>
<p>「&&」</p>
<p>「&&薔薇水晶&&」</p>
<p>
 そこに居たのは、"虚ろなる街"を展開してやってきた、薔薇水晶だった。</p>
<p>
「大分時間かかっちゃったけど&&全部、終わったよ。外の世界は、どうだ&&?」</p>
<p>
「うん&&大丈夫。皆頑張ったよ。真紅も目覚めたし&&あと、雛苺っていう娘も居たよ」</p>
<p>
 そうか、良かった。僕はほっと胸を撫で下ろし、そして今度は、これからの自分のこと<br>
を考えた。</p>
<p>
「さて&&本当にありがとな、薔薇水晶。これからじゃあ、"アメジスト"を抜いて元の<br>
 身体に戻って―――」</p>
<p>「ジュン」</p>
<p>「ん?」</p>
<p>
「ジュンは&&ずっと幽霊のままで居ることは出来ないのかな。だって、元の身体に還っ<br>
 ても&&ジュンは&&」</p>
<p>
 うん&&まあ、それはそうだ。幽霊になっている今は意識していないけど、僕がこの<br>
状態になる直前などは本当に肺が苦しくて大変だった。喀血は茶飯事のこと、ひとと逢<br>
っているときはなるべく楽な状態の時を選んで&&<br>
 そんな状態に、僕はこれから戻ることになる。</p>
<p>
 普通に寿命で死んだ場合、僕の存在はどうなってしまうのだろう。<br>
 またこんな風に、幽霊になってふらふら彷徨うことが出来るのだろうか。</p>
<p>
 そんなことも少しだけ考えるが、多分それは無理なのだろうとも思う。通常の因果の<br>
流れとして死んでしまったのなら、きっと魂はこの世にかたちを残すことが出来ない。<br>
 僕は、水銀燈やあるいは"魔術師"のように、この世に魂を留まらせ続けるような強い意<br>
志を&&きっと死ぬ間際には、持っていないに違いない。</p>
<p>「&&っ&&馬鹿だよ&&ジュン、は&&」</p>
<p>
 薔薇水晶が、涙を零している。僕はその涙に、なんと応えれば良いのだろうか。<br>
 &&僕は、このままの状態でいるわけにはいかない&&</p>
<p>
「死ぬ運命がわかっていても、僕は僕だ。他の何者でも無い。逃げることも出来ない。<br>
 だから&&終わってしまうときが来るまで、僕は生きるよ。これが、僕の意志なんだ」</p>
<p>
 彼女はまだ泣き止まないが、これが僕の言える全て。<br>
 消えてしまった三人の分まで、という訳でもないけれど&&<br>
 桜田ジュンという存在は、まだ終わっていないから。</p>
<p>
 真紅との約束もあるしな。とびっきりの紅茶を淹れないと、それこそ彼女は納得<br>
してくれないだろう―――</p>
<p><br>
 そして、とある崩れかけた建物の中に横たわっている、僕の実の身体。その胸に突き刺さ<br>
っている薔薇水晶の"アメジスト"が―――引き抜かれる。</p>
<p>「&&」</p>
<p><br>
 曖昧になり始める意識。<br>
 きっと彼女は、薔薇屋敷へ。そして僕は僕のあるべき場所へ、還るのだろう―――</p>
<br>
<p>――――――――――――</p>
<br>
<p>「う&&」</p>
<p>
 目覚める。其処には、大勢のひとが居た。私は床に倒れている状態から、上半身だけ身<br>
を起こした。</p>
<p>「真紅っ! 大丈夫ですかっ!」</p>
<p>「翠星石&&私は――――――」</p>
<p>
「&&終わったみたいだね、真紅。ほら、左手を見て&&」</p>
<p>
 蒼星石に促され、私は左手を見た。そこには指輪が、&&無い。</p>
<p>「&&」</p>
<p> 私は、薔薇の指輪の戒めを解かれた。だけど&&</p>
<p>「うっ&&」</p>
<p>
 ぽろぽろと、零れ落ちる涙。私は皆に、何て言えば良いのだろう。<br>
 こんなに護って貰って、私は――――――</p>
<p>「真紅&&あの、ところでですねぇ」</p>
<p>「―――え?」</p>
<p>「真紅にくっついて寝てるその娘&&誰です?」</p>
<p>
 すると。私の腰の辺りにひっつかまって眠っている少女が一人。</p>
<p>
「&&この娘は、雛苺と言うの。今まで私を―――いえ、指輪の主を護り続けてきた娘。<br>
 今度は私が&&この娘を、護るのだわ」</p>
<p> 私は目覚める直前、少女の声を聞いた。</p>
<p>『この娘を―――護ってあげて&&』</p>
<p>
 それは私があの真っ白い世界で聞いていた、雛苺の声だったけれど。きっとその意志は<br>
指輪の存在であった少女のものであろうと薄々感じていた。</p>
<p> すやすやと眠っている雛苺の髪を、そっと撫ぜる。</p>
<p> この娘は、あの少女の&&意志の残滓。<br>
 けど、この現実世界で&&生きていくこと自体が、この娘にはきっと厳しいことだ。</p>
<p>
 姿形は、普通の女の子で。あの不思議な力は、まだ残っているのだろうか。<br>
 もう、それも必要ないものだけど&&この娘は、ずっと私達を、護り続けてきたのだから。<br>
 これからは、ゆっくりとした時を過ごして欲しい。</p>
<p><br>
 私は、白い空間であった出来事を、皆に話す。<br>
 もう早くも、その記憶は断片的なものになってきていたけど&&それでも、思い出せる限り。</p>
<p>
 私は、ジュンと約束をした。だから彼は&&きっと無事でいてくれる。<br>
 そんなものは、希望的観測だってことはわかってる。私がまだ指輪をつけていたのなら、<br>
彼の無事を一心に願ったに違いない。だけどそれは、もう出来ないから&&</p>
<p><br>
 飛び切りの紅茶の葉を用意して、私は待とうと思う。彼が、ここへやって来るのを―――</p>
<br>
<p>――――――――――――<br>
 </p>
<p><br>
 私が指輪の戒めを解かれてから、二週間が経とうとしていた。</p>
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 六月の―――雨。梅雨もいい加減あけて良いような頃合だと言うのに、空は昨晩から<br>
相も変わらず涙を零し続けていて、泣き止む様子が全く見られない。<br>
 庭にある薔薇にとっては、もう十分なくらい水分が蓄えられていることだろう。</p>
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 "庭師"の姉妹は、もうここに住み込むことはやめて&&それでもあれからもう四・五<br>
回は、庭の薔薇を手入れするために館を訪れている。私が寂しがってないか、という配<br>
慮であるらしいことを蒼星石から聞いた。</p>
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 もっともそれを真っ先に言い出したのは姉の翠星石で、私がそのことを知ったあとは<br>
彼女を宥めるのが大変だった。そういう気遣いを人に知られるのは、翠星石にとっては<br>
非常に恥ずかしいことであるらしい。</p>
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 ただ、その配慮は。私にとっては、とても嬉しいことだった。"庭師"もまた薔薇屋敷<br>
の主を護り続ける運命から解放され、今は別なところでの仕事を待っている状態らしい<br>
けど&&</p>
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 雛苺は、館に一緒に住んでいる。なんだか妹が出来たみたいで&&彼女の明るさには、<br>
随分と救われている。随分と懐いてくれているし、とても可愛いと思う。</p>
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 彼女はかなりアウトドア派だ。雨が降っているというのに、今日も傘を差して遊びに<br>
いってしまった。なんでも、私を護ってくれた組織に居る―――巴という娘がお気に入り<br>
のようで、ちょくちょく顔を出しているらしい。</p>
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 雛苺はずっと孤独だった筈だから。楽しいときを過ごしてくれれば、それを越すものは<br>
ないと思う。ひょっとしたら、彼女は肉体を持っていても&&普通の人間としてのそれと<br>
は異なる成長をするかもしれない。寿命一つとっても、そう。</p>
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 彼女自身は、私よりも何倍も長く『生きている』ことになる。だけど、その中身は&&<br>
驚くくらい子供で。だから私が、保護者として、また姉として。彼女の成長を見守ってい<br>
くのだ。たとえ、私が先に死んでしまったとしても――――――</p>
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 もう私は外には自由に出られる身だけど、そんな状態になっても私はあまり外出という<br>
ものをしていない。その辺りが、私と雛苺の違うところ。</p>
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 傘もささずに出かけてみようか、という誘惑も無い訳でもないけれど。今日もやっぱり、<br>
自分の部屋で本を読み、そのうち巴と一緒にここへやってくるであろう彼女を、待ってい<br>
るのだ。</p>
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―――そして。私が館をあまり出ない理由の一つは&&</p>
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「ジュン、紅茶を淹れて頂戴」</p>
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 彼がいつここにやってきてもいいように、待っているから。<br>
 こうやって独りで居るときは。もうここには居ないとわかっている存在に、語りかける。</p>
<p>「ジュン?」</p>
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 あたかも、其処にいるかのように。そうすれば、ひょっこりとまた、顔を出してくれる<br>
ような気がして――――――</p>
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「ジュン、出てきなさい―――早くしないと、怒るのだわ」</p>
<p> わかっている、わかっているのだ。<br>
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 だけど。何故だか今日は、いつにも増して、感傷的な気分になって。<br>
 空がずっと泣き続けているように&&私の両目からも、涙が零れ落ちる。</p>
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「&&っ、今日、は&&何処から、出てくるの? &&床? &&それ、ともっ、&&天、井?」</p>
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――――――なんだよ、真紅―――――――</p>
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 姿はおろか。声すら、返ってこない。</p>
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「いつもの様に―――あの頃みたいに、出てきて、頂戴&&早く、早くするのだわ」</p>
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 私は、ジュンの存在の消失など&&微塵も望んだ訳がない。<br>
 だけど結果的に―――彼に、指輪を託してしまったから。<br>
 だからこれは&&私の望んだ、結末だったということになる&&</p>
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 新しい紅茶の葉も、用意してあるのよ