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『パステル』　－１６－ - (2008/12/21 (日) 23:50:37) のソース

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　<br />
２人に席を外してもらうと、雛苺はドアを閉めるだけに止まらず、施錠までした。<br />
ここは病院。看護士の入室すら拒むなんて、もってのほかと承知はしている。<br />
だが、闖入者の出現で気を散らされる嫌悪感のほうが、今は勝っていた。<br />
　<br />
覚悟はしてきた。雛苺なりに、熟慮だってしたつもりだ。<br />
けれども、いざ事に当たろうとすると、怖じ気づいてしまう。<br />
内側から肺腑を圧迫してくる怖れが、雛苺に歪んだ昂りをもたらし、手を震えさせた。<br />
　<br />
　「なんのお構いもできないけど、ゆっくりしていってね」<br />
　<br />
のほほんとした口調は、雛苺の緊張を見抜いての心遣いか。<br />
めぐはベッドに仰臥すると、ひとつだけあるスツールを、雛苺に勧めた。<br />
　<br />
　「ごめんね。あなたにも予定があって忙しいでしょうけど、少しだけ休ませて。<br />
　　あーぁ、これしきで疲れるなんて……体力、かなり落ちてるなぁ」<br />
　<br />
了承のしるしに、雛苺が頷く。めぐの体調をなおざりにする気は、更々なかった。<br />
１６歳の秋に倒れてから、もう４年――<br />
そんな長きにわたる入院生活を送っていれば、どうしたって筋力は衰えよう。<br />
　<br />
　「大丈夫なの？　お水かジュース、飲む？」<br />
　「ううん……今は、いいわ」<br />
　<br />
スツールに座るなり訊ねた雛苺に、めぐは枕に預けた頭を、力なく振って見せた。<br />
容態は安定しているようだが、どうしても、血色の悪さが目につく。<br />
病苦による憂鬱のためか。あるいは、これこそが死相と呼ばれるモノなのか。<br />
　<br />
ともあれ、黙ったままで居ると、意気消沈の空気に呑まれてしまいそうで……<br />
雛苺は、努めて陽気な声をだして、水を向けた。<br />
　<br />
　「ところで、めぐさんとジュンって、いつから交際してたの？」<br />
　「えっ？　いきなりね。そんなこと訊きたいわけ？」<br />
　「ヒナだって女の子だもん。他の子の恋愛には、興味あるのよー」<br />
　<br />
興味があるのは確かだが、雛苺の真意は他にある。<br />
絵にココロを宿すため、めぐの人柄を、もっと知りたかったのだ。<br />
　<br />
　「ジュンのこと、好き？」<br />
　「もちろんよ。結婚を承諾するほどだもの」<br />
　「彼の、どんなところを好きになったの？」<br />
　「どんな……って、まあ、いろいろよ。意外性とか、包容力とか――<br />
　　例を挙げてたらキリないし、とても一言じゃ語り尽くせないわ。<br />
　　知れば知るほど好きになって、好きになるから、もっと知りたくなるのね」<br />
　<br />
だらしなく緩んだ顔を見られたくなかったのか。めぐは窓の外へと顔を向けた。<br />
そうすることで、却って、朱に染まる耳が丸見えになるとも気づかずに。<br />
　<br />
　「馴れ初めは、高校に入って、ひと月も経たない頃だったっけ……。<br />
　　なにかの用事で――詳細は忘れたけど、放課後も遅くまで校舎に残ってたの。<br />
　　それで、階段を昇ってる最中に、いきなり眩暈がしてね。<br />
　　手摺を掴もうとしたけど、間に合わなくて。その直後、足を踏み外してたわ」<br />
　「そのとき助けてくれたのが、ジュン？」<br />
　「ええ。と言っても、彼は小柄だったから、私を支えきれなくって。<br />
　　もつれ合いながら、踊り場まで転げ落ちちゃったわけ」　　　<br />
　「うわ……危ないのよー」<br />
　「まだ５段目くらいだったから、打撲と擦り傷くらいで済んだのね。<br />
　　結局は、それが重い後遺症を残すことになったんだけど」<br />
　<br />
どういう意味か。頸を傾げる雛苺をよそに、めぐはクスクスと笑みを漏らす。<br />
そして、くるりと寝返りを打って、穏やかな笑みを雛苺に向けた。<br />
　<br />
　「物の弾みって、ホントに不思議だと思わない？<br />
　　あんな、マンガみたいなことが、いきなり現実になってしまうんだもの」<br />
　「うゆ……あんなって、どんな？」<br />
　<br />
なおのことワケが解らない雛苺に、めぐは自分の唇を指でなぞって見せる。<br />
　<br />
　<br />
　　階段で、もつれ合いながら転げ落ちた。<br />
　　マンガみたいなこと。そして、唇――<br />
　<br />
　<br />
それって、もしかして。雛苺もようやく、ひとつの可能性に行き着いた。<br />
　<br />
　「あんなもの、とてもキスと呼べるようなコトじゃなかったのにね。<br />
　　でも、その……初めて……だったし、なんだか変に意識しちゃって」<br />
　「ふえ～。そんな事件があったなんて、ジュンは話してくれなかったのよ」<br />
　「話せっこないわよ。わざわざ言いふらすほどのコトでもないでしょ」<br />
　<br />
言ってしまえば、ただの事故。けれど、あまりにもショッキングな体験。<br />
少年と少女の青いココロは、些細な触れ合いから、微妙に絡みついてしまったわけだ。<br />
　<br />
　「放課後のことだったし、誰に見られてたわけでもないんだけど……ね。<br />
　　それから後、しばらくは人目を気にして、彼も私も素っ気ないフリしてたわ。<br />
　　廊下で擦れ違っても、視線が交わりそうになると、すぐ目を逸らしたり」<br />
　「つまり、咄嗟に知らんぷりしちゃうくらい、意識し合ってたのね」<br />
　「可愛いものよね。だけど、いまでは後悔してるわ。もっと話しておけばよかった。<br />
　　あの時期、あの年頃の感性でしか話せないコトって、あると思うから」<br />
　<br />
その年の秋――<br />
高校に進学して初参加の文化祭で、学年のプリンセスに選ばれたりもしたけれど、<br />
あの頃、めぐは確かに、人並みの青春を謳歌していた。<br />
ジュンと親しくお喋りすることだって、しようと思えば、普通にできたはずだ。<br />
　<br />
だが、夢のように楽しい時間ほど、いつの間にか失われているもので……<br />
彼女の華やかな高校生活は、無残にも幕を下ろされた。<br />
他の女の子たちみたいに、週末には友だちと遊んだり、部活に励むこともなく、<br />
たった独り、この病室に押し込められてしまったのである。<br />
　<br />
　「この部屋――」<br />
　<br />
ふと、遠い眼をして、めぐが吐露する。「広すぎて、ずっと嫌いだった」<br />
　<br />
苦々しく紡がれた、過去形。<br />
その意味するところは、雛苺にも、なんとなく察しがついた。<br />
触れ合えるモノがなければ、人は誰でも、不安になってしまうものだから。<br />
　<br />
　「誰か――ジュンは、お見舞いに来なかったの？」<br />
　「来てくれたわよ。入院して数日後の夕方、人目を憚るように、たった一人で。<br />
　　様子を見にきただけだから――私と目も合わせずに、彼は言ったわ。<br />
　　早くよくなって、学校に来いよ……ともね。あの言葉、とても痛かったっけ」<br />
　<br />
事情を知らない者ならではの、無責任な台詞だ。<br />
めぐは、どう答えたのだろう。無思慮な少年に、怒りをぶつけただろうか。<br />
雛苺が訊くと、彼女は照れ笑って、掴んだ毛布を口元に手繰り寄せた。<br />
　<br />
　「腹は立ったけど、怒鳴ったりはしなかったわ。もう帰って。そう告げただけ。<br />
　　そうしたらね、彼ったら去り際に、とても寂しそうな顔をするんだもの。<br />
　　私も、なんか急に胸がキュンとなっちゃって…………ありがと、って。<br />
　　来てくれて嬉しかった――彼の背中に、そう話しかけてた」<br />
　<br />
なんというノロケ。夕暮れの病室で２人きりというのも、青春ドラマにありがちな画だ。<br />
水銀燈がこの場にいたら、奇声をあげて床を転がり回り、背中を掻きむしったことだろう。<br />
恋愛には疎い雛苺でさえ、あわやスツールごとひっくり返るところだった。<br />
　<br />
　「それから、ジュンは毎日のように？」<br />
　「毎日ではないけど、頻繁に顔を見せてくれるようになったわ。<br />
　　半年くらいは、そんな感じで……交わす言葉も、時間と共に増えていった。<br />
　　彼は知的で、思いやりがあって、ちょっと繊細すぎる面もあるけど、<br />
　　私が出逢ってきた男の子たちの中では、１番ステキだった」<br />
　「ういー。ごちそうさまなのよー」<br />
　<br />
雛苺が、さも辟易した顔になる。素直な性格は、嫌味を上手に隠さない。<br />
如才なく振る舞えない辺り、大人になり切れていない証しなのだろう。<br />
めぐは察して、苦笑した。<br />
　<br />
　「ごめんね、ノロケてばかりで。こんなもので、もう充分かな」<br />
　「う……ううん。水を差しちゃって、ごめんなさいなの。続けて？」<br />
　「続けてって言われても、ここから先は、あまり楽しくないんだけど」<br />
　<br />
それでも構わないから。雛苺が促すと、めぐも躊躇いがちに頷き、口を開いた。<br />
　<br />
　「初めのうちは、彼の優しさが心地よかった。<br />
　　一緒に過ごす時間が楽しすぎて、夢中に求めてしまうくらいに。<br />
　　でも、私は、そんな関係にだんだんと不満と息苦しさを覚えていったわ。<br />
　　だから、ある日、彼に告げたの。もう来ないで……って。<br />
　　もし来るならば、そのときは……私と一緒に死んでよ、と」<br />
　「……どうして？」<br />
　「火に炙られた物が焦げるようにね、私のココロも爛れ始めていたから」<br />
　<br />
ジュンの訪れを待ち侘びる時間は、やがて、不安と苛立ちを生むだけとなった。<br />
来てくれると、次はいつ来られるのかと執拗に問い詰め、<br />
来てくれなければ、どうして来なかったのかと、ねちっこく詮索した。<br />
そんな自分の醜さと死への恐れ、募る寂しさから、毎晩のように慟哭したと、めぐは語った。<br />
　<br />
　「あの頃の私って、とにかく嫌な子でね……私自身、自分が嫌いだった。<br />
　　いつ壊れるとも解らない不良品の心臓を呪い、こんな身体に生んだ両親を怨んで――<br />
　　彼にだけは見られたくなかったのよね。どんどん醜悪になってゆく私を」<br />
　<br />
だから、扉を閉ざした。現実から目を背けて、逃げた。<br />
ジュンも辛かったのだろう。それからは、ぱったりと来なくなったと言う。<br />
そして、支えを失った多感な少女は、ますます情緒不安定になっていった。<br />
　<br />
　「パパとママも、多忙なスケジュールをやりくりして、お見舞いに来てくれた。<br />
　　それなのに、私……あるとき癇癪を起こして、『死ね』だなんて――<br />
　　私がこんなに苦しんでるのは、全部、あなたたちのせいだ。責任とってよ、と」<br />
　<br />
雛苺に見られていることも構わず、めぐは、瞳と声を潤ませた。<br />
　<br />
　「なんで、あんなこと言っちゃったのかな、私…………どうして」<br />
　<br />
　<br />
誰かのせいで――なんて、無力な被害者ぶるのは、イヤ。<br />
めぐは、そう言っていた。<br />
たとえ愚かな選択をして、傷ついたとしても、その結果を誇りたい――とも。<br />
あれは、いまも胸に蟠る彼女の後悔が、言わしめたに違いない。<br />
　<br />
雛苺は、か細く嗚咽するめぐの頭を撫でながら、真紅と水銀燈のことを回想していた。<br />
過失に囚われ、もがき苦しみ続けている姿が、彼女たちと重なったからだ。<br />
　<br />
みんな、それぞれに抱える悩みがある。人によって、その重さが違うだけ。<br />
そんな理屈は、雛苺にだって解っている。解ってはいるのだけど……<br />
やはり、親しい人の打ち沈む姿は、純真な彼女を、やるせない気持ちにさせた。<br />
　<br />
　「もう泣かないで。ヒナが、悪い夢から覚ましてあげるのよ」<br />
　<br />
生きとし生ける者、悉く、死と肩を組んで産まれてくる。<br />
けれど、いつか死ぬから、なんだと言うのか。<br />
そんなもの、人生を諦めるに足る理由とはならない。<br />
どれだけ限られた時間であっても――<br />
　<br />
――否。限りあるからこそ。<br />
雛苺は、しゃくり上げる幼子を宥める母親のように、そっと話しかけた。<br />
「だから……めぐさんも、ヒナに協力してね」<br />
　<br />
それに応えて、彼女はパジャマの袖で目元を拭った。<br />
　<br />
　「……解ったわ。あなたの言うとおりにする」<br />
　「うい。それじゃあ――始めるのよ<br />
　　こまめに休憩は挿むつもりだけど、疲れちゃったら遠慮なく言ってね」<br />
　<br />
病室のカーテンを閉じながら、雛苺は、めぐに微笑みかけた。<br />
　<br />
　<br />
　　～　　～　　～<br />
　<br />
　<br />
　「疲れてない？　もう少ししたら、ちょっと休憩なのよ」<br />
　<br />
描くことに集中しながらも、めぐを気遣うことも忘れない。<br />
けれど、おっとりした口調とは対照的に、めぐを捉える雛苺の視線は鋭かった。<br />
　<br />
こんなにも、じっくりと誰かに観察されたこと、いままであったかしら。<br />
めぐは、ぞわぞわした得も言えない感覚に戸惑いながらも、小さく頷いた。<br />
雛苺も満足そうに微笑み返して、また話しかける。<br />
　<br />
　「……そう言えば、その後は、どうなの？」<br />
　「どうって、なにが？」<br />
　「ご両親とは、仲直りしたのかなぁって」<br />
　「ああ、そのこと」<br />
　<br />
めぐの目元が緩む。唇にも、うっすらと笑みが浮かんでいた。<br />
けれども、それはどこか寂しげな気配を匂わせている。<br />
　<br />
　「もちろん、謝ったわよ。電話で、だけどね。<br />
　　彼と結婚するって決心したその日に、報告がてらに」<br />
　「赦してもらえたの？」<br />
　「さぁ……どうかな。パパは『そうか』とだけ。ママは、なにも言わなかった。<br />
　　バカな娘だと呆れられて、愛想を尽かされたんだと、そのときは思ったわ。<br />
　　いままでの所業を考えたら、それも当然だなぁって。<br />
　　覚悟してたけどね、現実のものになると、やっぱり、少し落ち込んだわ。<br />
　　でも、最近ふと気づいたの。泣くのを堪えてて、喋れなかったのかもって」<br />
　<br />
あれから一度も会って話してないし、電話もしないから、分からないけど。<br />
そう言った彼女の瞳が、雛苺には、心なし潤んで見えた。<br />
　<br />
　「自分たちの娘を愛してない親は、いないのよ」<br />
　<br />
だから、めぐの見立ては、きっと正しい。<br />
雛苺は無垢な笑みを口元に湛えながら、デッサンの手を止めた。<br />
　<br />
　「ふゆぅ～。ここで一旦、休憩するのよー。お疲れさまなの」<br />
　「ん……思ったより緊張するものね、モデルって」<br />
　<br />
やや上擦った声で言いながら、めぐは、はだけたパジャマの上に毛布を被った。<br />
いきなりセミヌードになることを求められたときは焦ったものの、<br />
雛苺の真摯な眼差しに射抜かれている間に、動揺や羞恥心は収まっていった。<br />
　<br />
　「ねえ、雛苺。進み具合を見せてもらっても、いい？」<br />
　「ぜんぜん構わないのよー。こんな感じなの」<br />
　<br />
見せられたスケッチブックには、中央に、うしろ髪を掻き上げて佇む、めぐの姿。<br />
その右隣に、別の人影を見て、めぐはスケッチブックを取り落としそうになった。<br />
　<br />
あろうことか、彼女は絵の中で背後から抱擁され、口づけされかけていた。<br />
それも、なにひとつ身に纏うもののない骸骨によって。<br />
骸骨の左腕は、その見かけによらず、めぐの腰を力強く搦め捕っている。<br />
そして、生気のカケラもない右腕は、はだけられた胸元のふくらみへと――<br />
　<br />
さっきまでの、雛苺の鋭い視線――<br />
もしかして、常人の目には見えないモノを、視ていたとでも言うのか。<br />
おどろおどろしい空気に気圧されながら、めぐは嘆息した。<br />
　<br />
　「これ、どういう意味？」<br />
　「死のイメージ。めぐさんの左胸を、鷲掴みにしようとしてるのは……」<br />
　「心臓――ってコトね。なるほど」<br />
　<br />
言って、めぐは思わず、自分の左胸に手を宛った。<br />
ちょっと強めに押し当てると、微かな鼓動が、一定のテンポで掌に伝わってくる。<br />
この描かれた骸骨が、その目的を遂げたとしたら……どんな感じかな？<br />
やっぱり、キュッと心臓が縮こまって、そのまま停まってしまう？<br />
　<br />
めぐは奇妙な想像をしながら、スケッチブックを雛苺に返した。<br />
　<br />
　「あなたの絵、初めて見たけど……とても上手ね。骸骨とか、本物みたい」<br />
　「いっぱい練習してきたんだから、当たり前なのよー。<br />
　　骨格とか筋肉の仕組みを知らなきゃ、躍動感のある、ココロの宿る絵は描けないわ。<br />
　　ただ闇雲にデッサンを繰り返しても、空っぽの器を粗製濫造するだけなの」<br />
　「そういうもの？」<br />
　「うい！　と言っても、ヒナの勝手な解釈に過ぎないんだけど。えへへ……」<br />
　<br />
絵を描かないめぐには、釈然としない説明だったらしい。<br />
けれども、もっと雛苺の描く絵を見てみたいと……<br />
純粋な興味を芽吹かせるには、それでも充分な様子だった。<br />
　<br />
　「どれくらいで完成しそう？」<br />
　「まだ鉛筆での下書きなのよ。パステルの出番は、それが済んでからなの。<br />
　　とりあえず……あと３０分くらい頑張ってね」<br />
　「そんなもので描きあがるわけ？　もっと掛かるかと思ってたけど」<br />
　「下書きが終わるまでの時間よ。着色するのは、午後になっちゃう。<br />
　　でも、今日中には完成させるから、任せといてなの」<br />
　「……そう。楽しみにしてるわ」<br />
　<br />
微塵も不安を感じさせない、相手を信用しきっている者の口ぶり。<br />
めぐは、肩に掛けていた毛布を脇に除けて、挑むように雛苺を見つめた。<br />
　<br />
　「さぁ、そろそろ再開しましょ」　　<br />
　「具合は、平気？　辛いようなら、先にジュンを描いてくるけど」<br />
　「問題ないわ。気にしないで、始めて」<br />
　<br />
まったくの強がりでもなさそうだ。描き始めより、めぐの顔色はよくなっている。<br />
……が、彼女の体力を思えば、手早く終わらせるに越したことはない。<br />
雛苺は表情を引き結んで、使い慣れた鉛筆を手に取った。<br />
　<br />
　<br />
　<br />
それから２０分ほどで下書きが終わるや、めぐはグッタリと横たわった。<br />
同じ姿勢のままでいるのも、これでなかなか、くたびれるものだ。<br />
ましてや、長期にわたる入院で筋力の衰えた彼女なら、なおのこと。<br />
　<br />
　「ホントに、お疲れさまなのよ。ゆっくり休んでね」<br />
　「……ん。ちょっと頑張りすぎちゃったみたい。少し、眠るわ」<br />
　「解ったの。それじゃ、また後で」<br />
　<br />
雛苺の労いに、めぐは唇に薄い笑みを作って応えると、瞼を閉ざした。<br />
　<br />
せめて楽しい夢に浸ってほしい……眠っている間だけでも。<br />
もう一度だけ、ベッドに同情の眼を向けてから、雛苺は３１６号室を後にした。<br />
　<br />
　<br />
　<br />
　「おかえりなさい。もう終わったの？」<br />
　<br />
入室するや話しかけてきた真紅に、雛苺は「半分だけ」と、曖昧に頷く。<br />
水銀燈も、ジュンも、真紅の病室に場所を移し、語らいながら待っていたらしい。<br />
雛苺の帰りを知り、腰を浮かせたジュンを、雛苺は急いで呼び止めた。<br />
　<br />
　「あ、待ってなの。めぐさん、少し眠るって」<br />
　「そうなのか？　じゃあ、邪魔しないほうがいいな」<br />
　「うんうん。それでね、いまのうちに、ジュンも描いておきたいのよ」<br />
　「僕も？」<br />
　<br />
ジュンが、怪訝な顔をする。水銀燈は、呆れたように鼻を鳴らした。<br />
　<br />
　「おバカさん。もう忘れたのぉ？　めぐが言ってたでしょ。<br />
　　私と彼の未来を描かせてあげる……って」<br />
　「あ、ああ……そうか。僕も含まれてるんだよな」<br />
　「うい！　ここで描いちゃうから、用意してなのよー」<br />
　<br />
めぐの代役は水銀燈に頼んで、雛苺は、ジュンにポーズの注文をつけた。<br />
それだけすると、彼女は人が変わったように、鉛筆を走らせ始めた。<br />
気持ちを高めたりとか、精神集中するなどの前振りは、一切なし。<br />
　<br />
めぐが目を醒ますまでに、完成させたい――<br />
まるで、噴火を彷彿させる雛苺の熱意が、居合わせた人々の口を噤ませる。<br />
端で見守る真紅でさえ、絵のモデルになったかのように、身じろぎもできなかった。<br />
　<br />
　<br />
　<br />
　　to be continue<br />
　<br />
　</p>