雪華綺晶の絶食
『さぁ、桃種市大食い王決定戦もいよいよ大詰め!あと1分で新たなチャンピオンが誕生しようとしています・・・』居並ぶ屈強な男達の中に、一人の小柄な少女が混じっている。例えるならば、力強く咲いている向日葵の中に、一輪の薔薇が紛れてしまったような。向日葵達は戦う事を諦め、薔薇の食事を見守っている。10分間の大食い勝負であったが、大勢は開始5分で早くも決定されていた。『5、4、3、2、1・・・終了~!優勝は、10分でなんと109個のハンバーガーを食べてしまった現役女子高生!その名も・・・』『ゆき・・?はな?』「きらきしょう・・・雪華綺晶です」『雪華綺晶!おめでとう雪華綺晶!いや~すごい記録が生まれちゃったんだけど・・何かコメントを一言!』「・・・私の胃袋は、宇宙ですわ」 雪華綺晶が備える天然の気品。自信に溢れた言葉。つかのまの静寂が訪れた後、割れんばかりの歓声が彼女に浴びせられた。『もうすっかり人気者ですねぇ。ところで優勝賞金100万円の遣い道は?』「結構ですわ」『え?』「賞金は結構です。それでは、そろそろ失礼しますね」『ちょ、ちょっとそれじゃ困るんだけど・・・ねぇ!待って!』踵を返し、立ち去る雪華綺晶。その姿を目撃する観衆は、再度喝采を彼女に送る。雪華綺晶は、振り返る事もなく会場を後にした。彼女にとってこれはただの昼食であり、それ以外には何もない。だが、彼女の食事には、常人を惹きつける絶大な魅力が存在した。そんな彼女の日常に異変が訪れる。
昼。四時限目が終わり、各々のランチタイムが始まる。八人の薔薇乙女は毎日屋上に集まる。いつのまにか、申し合わせたように集ってからもう一年が経とうとしている。「今日の弁当は、特級厨士並みの業前を持つこの翠星石自らが作ったからいつもとは一味も二味も違うのです!」「いっつも同じ事いってるのー」「う、うっせーです!チビは黙ってこの豪華絢爛、満漢全席な弁当を刮目しやがれですぅ」「そんな事言ってもきらきーのセレブ弁当の前には霞んじゃうかしらー」「…くっ」常とは変わらない、日常。こんなやりとりはもう何回繰り返された事だろう。「まっ、まぁ雪華綺晶のセレブ弁当にはさしもの翠弁当も一歩及ばないかもわからんです…だからこの肉はもらってくですぅ」ひょい、と賽子状にカットされたステーキを口に運ぶ。「……あれ?」極上の肉に舌鼓を打つ翠星石。その彼女から、違和感を覚える薔薇水晶。「きらきー…具合悪いの?」常の彼女であるならば、翠星石が弁当に手を伸ばした刹那、箸でその手をいなすか掴み取るはずである。「ちょっと今日はお腹の具合が悪くて…けど、そんなたいした事じゃないんですのよ。ばらしー」不安の表情を浮かべる妹に対し、朗らかな笑顔で応える雪華綺晶。「珍しい事もあるもんです。んじゃこのセレブ弁当は翠星石がもらってやるですぅ」「まったくはしたないのだわ。でもせっかくだしこのお肉は私が頂いておくわ」「ずるいのー!雛も!雛もー!」普段滅多に口にする事のない食材がひしめくセレブ弁当は庶民の憧れ、夢の結晶と言っても過言ではない。皆その周りに群がり、緩んだ顔で箸を進ませる。その一方で、徐々に姿を消していく弁当を握り拳を作りながら見守る雪華綺晶。「きらきー…ほんとに平気…?」「えっ、ええ!ほらッ、ばらしーも食べて食べて!」そう言いつつも視線は釘づけのままである。「…きらきー、まさか…」薔薇水晶が何か言いかけたのと同時に、午後の授業開始のチャイムが鳴り響いた。「た、大変ですわ!このままじゃ皆さん遅刻してしまいますし、お弁当は翠星石に預けて早く教室に行きましょう!」柏手を打ち、早口での提言。「えっ!?翠星石がこの重箱を担ぐんですか!?」しかしこの不満を聞く者は存在しなかった。皆一斉に口裏を合わせたかのように階段へと向かったのだ。「おっ、覚えてやがれです…!」弁当を風呂敷に包む翠星石の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。 空を眺め、物思いにふける生徒が一人。「さっきの海老…伊勢海老かしら。ヤクルトに和えるととってもおいしそうねぇ」退屈な授業の暇つぶし。「あとあの唐揚げ…からしをたっぷりつけて、ほっくほくのご飯と一緒に一気にかっこみたいわぁ」水銀燈は、先程の弁当の余韻に浸っていた。昼食の後の授業となれば、比較的寝ている生徒も多く教室はとても静かである。彼女も襲う睡魔に屈するのは時間の問題であった。キュルキュルキュルグゥー「…何?」静寂を保つ中、その異音はとても鮮明に聞こえた。見渡すと、顔を真っ赤にしながら、必死に腹を押さえている…雪華綺晶がいた。キュルルグゥーキュルルルギュッ!「ぷっ」思わず笑いを漏らす水銀燈。「ッ!!お、お、お姉さま…!!」赤くした顔を向け、今にも泣き出しそうになる雪華綺晶。「あなたねえ、そんな恥ずかしいならご飯食べればよかったじゃない」「だいたい、本当は具合悪くないんでしょ?私にはバレバレよ。一体何考えて…」「うぅ…それは…秘密です」「ふぅん」不適な笑みを浮かべる水銀燈。雪華綺晶の瞳は、その先にある空に向けられていた。
放課後。おぼつかない足取りながらも、足早に教室から去ろうとする雪華綺晶。そんな彼女を、水銀燈が見逃すはずがなかった。赤い瞳が妖しく輝き、背後から囁く。「雪華綺晶ぉ…一緒に帰りましょ?」「えっ!?でも、お姉さまはいつも一人で帰って…そもそも自転車通学ですよね?」「今日はそんな気分なのよぉ」「でも、その、今日は…きゃあぅッ!?」ふっ、と耳に吐息を浴びせるのは、水銀燈の十八番であった。「次は揉みしだくわよ」「わかりましたッ…だから、耳、やめてぇ…」わずかに上気した肌、荒れた呼吸…クラスに現われた雪華綺晶の姿を見るなり、薔薇水晶は全てを察した。「きらきー……銀ちゃん」「さぁ帰りましょうかぁ!」珍しく満面の笑みを浮かべながらご機嫌な様子な水銀燈。「あの表情…嫌な予感がするのだわ」「昔あの面をした水銀燈にはめられて、ノーブラで体育を受ける事になっちまったのを思い出したです…」「僕は全校集会の時にスカートめくりをされたよ…」「私はアッガイの首から下をザクタンクにされた事があった…これはこれでありだと思った自分が憎い」「と、とにかく用心する事ね」空は橙色に染まり、ここ桃種アーケード街は買い物客で日一番の賑わいを見せている。我負けじと食べ物の匂いで客を釣ろうとする店、声を張り上げ客を寄せようとする店…様々だが、活気ある様子を見せている。「見てぇ雪華綺晶!この西瓜!すっごい大きい!えっ、試食させてくれるのぉ?おいしー!」「あらいい匂い…そういえば丑の日も近かったわね。匂いだけでご飯も…えっ一本くれるのぉ?おいひー!」「やっぱり下校中にはクレープよねぇ。今日は私がおごって…え?いらない?さっきから全然食べないで…あぁ具合悪いんだったわねぇ クスクス」「銀ちゃん…あんまりきらきーをいじめないで…」「……」当の本人は、水銀燈による執拗な責め苦を受け、心ここに在らずといった様子。目はあらぬ方向を見据え、ふらふらと歩を進めるその姿は、まるで餓狼のような…「しかし今日はやけに商店街の人が優しいわねぇ…あの姉妹と一緒だから?」彼女の読みは正しかった。雪華綺晶はこの辺り一帯の超太客。その豊潤な財力と食欲を持って店の売り上げに多大な影響をもたらしているのだ。雪華綺晶は影で『姫』と呼ばれているのだがそれを彼女が知る由はない。「きらきー、もう銀ちゃんほっといて帰ろ?ね?」そう言って優しく肩を撫でていると、目の前には男が出現していた。両手には抱えきれない程の袋が…「あっ…白崎、ちょうどよかった、車を…」男は満面の笑みを持って応える。「いや、それよりお嬢様方!見てくださいよ!この新鮮な食材の数々!今日は私自らが市場に出向きですね、特にこの肉なんて…」興奮した舌はよく回るようだ。「…とにかく、今宵のディナーはいつもの数倍の満足を」瞬間、何かが疾り、突然白崎は腰から崩れ落ちて土下座のような体勢で地面に口づけをした。雪華綺晶は足を高く上げた姿勢のまま、虚空を見つめている。「ハイキック…?」こめかみに狙いをすませた一閃。稲妻の如き蹴りを見る事は適わず、残心をもってその確認するのがやっとであった。「さくさく…さくさく…いきますの…」鞄の中からカッターナイフを取り出し、醜態を晒している自身の執事めがけて…「ストーップ!!ストップぅ!!」背後から右腕の間接を掴む。「…お姉さま?止めないでくださる?」「あんたねぇ…」大きなため息をつく。これは大事かもしれない。めんどくさい。そう思うと再度深いため息をついた。
水銀燈が雪華綺晶を連れ回し、白崎刺殺未遂があった翌日。雪華綺晶は未だ幽鬼のような表情を浮かべている。「ちょっと薔薇水晶?あの子、家にいる時も食べてないのぉ?」「いや、食べてる…私と同じくらいだけど…」薔薇水晶の食事量は雪華綺晶のそれとは対照的に、とても少ない。大型タンカーに軽自動車の燃料を入れるようなものである。「貴女と同じくらいって…私でももたないわよ…」水銀燈は頭を抱え込む。「昨日はお腹鳴らして赤面するくらいだったけど…今日はなんか鬼気迫るものがあったわぁ」「あのやんわりした笑顔が消えた…銀ちゃん、きらきーを元に戻して…」「薔薇水晶?」「私、私…困る事もたくさんあるけど、いつものきらきーがいいよぅ…」隻眼から涙が溢れる。溢れる涙はこぼれる事なく、水銀燈の胸に吸い込まれた。「…んー、これは今日の昼休みが思いやられるわぁ…」「あー!水銀燈の奴が女泣かせてやがるですぅ!」「ほどほどになさい。水銀燈」「…貴女達、ジャンクになりたいの?」抜けるような青空の元――しかし、集った七人の表情は一様に暗い。「やっぱり姿をみせやがらないですぅ、雪華綺晶の奴…す、翠星石は一人いなくても、淋しくもなんともないですよッ!」「でも、やっぱり気になるね…水銀燈、クラスではどうだったんだい?」翠星石を一瞥した後、水銀燈の顔を覗く。呼応するように他の五人の視線も一斉に集まった。「どうもこうもないわぁ。机に突っ伏したまんま動かないで、体を揺すってもこの空の弁当箱を出すだけで…」取り出されたのは、拳大の弁当箱。「うぇ!?これじゃカナでも全然足りないかしら…」「いつもの重箱はどうしたんですか…まぁいつも馬鹿みたいにバクバク食ってるから、奴にとっちゃいい薬…」「翠星石!」真紅に諫められた翠星石が視線を戻すと、再び涙を流す薔薇水晶の姿があった。膝元に置かれる拳大の弁当箱には一口も手をつけられてはいない。「きらきー…」つかのま、薔薇水晶の嗚咽が場を支配する。「薔薇水晶。貴女、本当に何も心当たりがないのかしら?」不意に凜とした声が、嗚咽をかき消す。声の主は真紅。 黙って頷く薔薇水晶。「他の皆は?水銀燈。貴女クラスが同じなのだから、何か聞いて…」「何もないわよぅ」「あの雪華綺晶が食を断つなんてよほどの理由がある気がするかしら…ここは薔薇学一の策士、この金糸」「そうだ。他に彼女に関わりがある人物としたら…」「巴?もしくは…」その先の言葉を発する者はない。だが全員の考えは一つだ。放課後。乙女の行動は迅速であった。「ちょっと顔を貸しなさぁい」「拒否する権利はないのだわ」教室を出た直後を狙っての尋問である。まずい!嫌な予感がする。本能で感じ取った感覚が全身を貫く。早くずらかるのが吉だ!「何をこそこそしてるのかしら?」手首を掴まれ、捻りあげられる。問答無用であった。「さあ、白状なさぁい」「「ジュン」」「お前等、一体何事…」理不尽な暴力に視線を以て抵抗を見せる。憐れはジュン。武闘派の二人に囲まれてはひとたまりもない。「単刀直入に聞くわ。貴方、雪華綺晶に何をしたの?」「は?知るか!そんな事…」 「動かないでジュン君。君は言葉を選んで使う必要がある」背後に出現した蒼星石は、首元に鋏を当てている。「もう一度問うわ、ジュン。雪華綺晶に、何をしたの?」「知らないものは知らな…!」真紅の拳が一直線に心臓を打ち抜いた。ストン、と崩れ落ちるジュン。「そこのM字禿。貴方は何か知っていて?」「お、俺は何も…!」今度は眉間への直突きであった。恐るべきは真紅。人体の急所を正確に貫き、全て一撃の元に切り捨てている。「紅い台風…」蒼星石はこう呟いたが、真紅の耳に入ったかは定かではない。「しかし困ったわね。ジュンがシロとなると、完全に手詰まりなのだわ…」「こうなったらなんとか説得するしかないんじゃない?」「それもそうだね。皆で説得すれば、きっと雪華綺晶だって聞いてくれるよ」皆で行けば、きっと。彼女達八人は、いつも力を合わせてやってきた。一人も欠けることなく。誰かが落ち込んだり悲しんだりする時、皆で励ましてやってきたんだ。今回も乗り越えてやろうじゃないか。しかし当人の想いは想像以上に頑なだった。それが発覚するのは、さらに翌日…
――おなかへった目が回る。頭が回らない。おなかが、痛い。なんでこんなにつらい思いをしてるんだっけ?……ああ、そうだ。私は…『…きらきー』私は…「きらきー、起きてる?」「…ばらしー?」机に伏せた状態から体を起こし、周りを見渡す。「…皆?」「きらきー…皆、心配してるんだよ?そろそろ、普通に食べよ?」「そうだよ。雪華綺晶らしくないよ!」「らしく…ない?」「いつものように食ってくれないと、こっちも調子狂っちまうんですよッ!」「いつものように…?」「そうなのー!きらきーは、かっこよく食べてる姿が似合うのよー」「ほら、おにぎりを作ってきたから、これを食べなさ…」「うるさい!!」差し出した握り飯を払いのける。隻眼は鋭く光り、周囲を睨み付けた。「私が…私が、どんな思いで食を断っているか…」「きらきー…?」「貴女達には絶対わかりませんわ!!」今まで聞いた事のない叫び声が響いた。いつも温和な雪華綺晶からは想像もつかないような…「まして…うふふ、真紅。貴女の糞不味い料理なんて食べていられませんわ」明らかな挑発である。「な…!?言ってくれるわね…雪華綺晶!」「ちょっと…言いすぎだよ!?」「ククク…そうよぉ雪華綺晶」「何を笑っているのかしら?水銀燈…!」一瞬にして場を険悪にする…何より、裏切りともとれる発言に皆に動揺が表れる。「真紅の腕前はともかく、翠星石達がおめぇーの為に作ったおにぎりを無下にするなんて許せんです!」「そうよー!カナの特製卵焼きおむすびを…」「…理由を聞かせてもらえないかしら?私達の想いを踏み躙るような大きな理由を」怒りの矛先を一身に受けとめようと、秘めたる想いの強さ故か雪華綺晶は動じようとしない。「…いいでしょう。貴女達にこの苦しみが理解出来るとは思いませんが…」「御託はいいのだわ」「フッ…あれはつい先日の…」「はい、そこまでぇー。終わりよ。終わりぃ」水銀燈が話を遮る。あまりに意外で突然の事で、つかのま全員の動きが停止する。「水銀燈…?貴女が一番知りたそうなのに…」「ほらぁ、もう夜になるし、雪華綺晶も空腹で気が立ってたのよね?」「お姉様、私は…」 「いいから…!私に任せなさい」小声でささやいたその言葉は、語気が強く怒りを孕んでいるように聞こえた。「はい。と言うわけで、今日は解散!真紅ぅ、貴女は料理の腕を磨いておきなさい」「余計なお世話よ!」「水銀燈。このままじゃ僕達も収まりが悪いよ…」「まぁ、また明日ね…ほらぁ、私がここまで言ってんだから早く帰りなさぁい」手を叩き、背中を押して帰宅を促し、教室には水銀燈、薔薇水晶、雪華綺晶が残った。「さて…と。雪華綺晶。あのまま理由を言ってたら私達の間は二度と今までどおりじゃあなくなってた所よ」「え…?」「隠さなくってもいいわぁ。あそこまで必死だったから、ピンときちゃったのよ。」「…かないませんわ。お姉様には…」「え?え?銀ちゃん?きらきー?」ふーっ、と大きなため息をつく雪華綺晶。事態を把握しきれていない薔薇水晶。「…理由は恋、ね。相手は、皆が……雪華綺晶?」先程の鋭い眼光はなりを潜め、弱々しい輝きをはなつ隻眼からは大粒の涙が零れていた。「全部…私が…普通の女の子だったら…」普通の女の子だったら――つづく
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