(A)パスツールとプーシェのあいだで闘われた自然発生論争について、次の(1)~(3)について答えなさい
(1)その概要をまとめなさい。
あるときプーシェが有機物には生命形成力があり、生命を生み出す力があるとする自然発生説を唱えた。そこで公開実験し、枯れ草を煮沸し滅菌された状態でも有機物と新鮮な空気があれば生命が形成することを証明した。
しかし、パスツールはそれに異を唱えた。そこで、パスツールは「白鳥の首フラスコ」という特殊なフラスコを使い、酵母を煮沸して公開実験を行った。するとフラスコの中に、微生物が形成されることはなかった。
数々の功績を残し勢いのあったパスツールだったので、「プーシェの実験では滅菌しきれていない部分がある」というこじつけたような意見に他の科学者は納得し、パスツールの勝利となった。
しかしながら、パスツールはなにも自分の実験結果からプーシェの論を否定していたのではない。自然発生説とは唯物論であり、それが無神論へとつながる。彼はキリスト教信者であったため、最初から教えに反する自然発生説を心で否定していた。
実のところ、プーシェの実験では摂氏百度の加熱では死なない菌がいたため、微生物の発生が見られたのであった。
(2)デゥエム・クワインのホーリズム、ポッパーの「バケツとサーチライト理論」、ハンソンの理論負荷性のいずれか(すべてでもよい)ついて解説しなさい。
[認識論的ホーリズム]
ホーリズムとは全体論のことで、個々の作用ではなく、全体がそのあり方を決定しているという考え方で、自然科学の、あらゆる実験結果(個々)から法則(全体)を見出していくというような帰納的なものとは逆で、法則(全体)を前提として実験結果(個々)が推測できるという演繹的な考え方である。
[観察の理論負荷性]
何かを観察しようとするとき、その観察には既に今までに身につけた理論というものが関わっている。客観的に見ようとしても人は「・・・として」見ている。「純粋な観察」「裸の事実」というものの存在を否定した、認識論的先行性のことである。
(俺もよく理解しきれていないですが、アヒルウサギの理論をのせときます)
授業や参考資料とした本では「アヒルウサギ図」を例に、観察の際にどうしても使用してしまう理論(アヒルの理論・ウサギの理論)がある、としていた。ぱっと見て、アヒルをあらわしているようにもウサギをあらわしているようにも見える、と言う事実が、われわれの観察は身に着けた理論を通して行われていることを示しているのだそうだ。この観察の性質を「観察の理論負荷性」と言う。ハンソンの言うのはこのような内容である。
ところで、私がこの「アヒルウサギ図」を観察した時に思ったのは「アヒルをあらわしている」「ウサギをあらわしている」に加えて「アヒルウサギ図である」ということであった。「『アヒルウサギ図』の理論」をすでに持っていた私は、ハンソン以前よりもひとつ余分(?)な認識を得たのである。これも「観察の理論負荷性」と言えるだろう。
[バケツとサーチライトの理論]
自然は我々に法則を与え、その自然に対する感覚的知識・理論・法則・信念などを我々というバケツに入れて、集積し機能的に科学を形作る。つまり科学は我々バケツの持ち物である。とするのがバケツ理論であり、ポパーはこれに強く反対し、われわれは世界に与えられた法則をただ受容するだけのバケツではなく、世界を理解しようとして、問題意識をもって、能動的に世界に働きかけ、演繹的な判断をもとに探求するサーチライトなのである。
(3)上記(1)(2)をふまえて、パスツールとプーシェの自然発生論争について、あなたの考えを自由に論じなさい
論じてくれ・・・ちなみにおれはこれ書くつもりなんで丸写ししやんといてな?!
(B)16~17世紀の科学革命について次の(1)~(3)に答えなさい
(1)コペルニクスの太陽中心説の提唱に始まる天文学革命から、ニュートンによる力学革命に至る過程の概要をまとめよ
紀元前のアリストテレスの時代から16世紀のコペルニクスまで太陽が地球の周りをまわっていると信じられていた。(もちろんコペルニクス以前にもプラトンなど数人の賢人が、太陽が宇宙の中心であると考えていたのだが)しかし、惑星の予測位置の誤差や火星の奇妙な動きなど天動説には色々なほころびがあり、つねに天文学者たちは頭を悩ませていた。そこで、コペルニクスが太陽を中心においた地動説を唱え、一年の時間などを計算ではじきだした。そこからティコ・ブラーエ(特に地動説に賛同していたわけではない)、その助手であったヨハネス・ケプラーらの研究により地動説が証明され、次の世代のニュートンへと受け継がれていく。1700年頃にニュートンはケプラーの法則をヒントに万有引力を思いつき、天文学の発展に寄与した。
(2)上記(1)について、思想史(intellectual history)=内在史(internal history)の立場から、どのように探求されているかについて、記しなさい。
コペルニクスはカトリックの司祭であり、たびたび誤差の出る天動説の正確でない一年が使われるのは重大な問題であった。そもそも新プラトン主義の光崇拝、太陽信仰の影響も受けており、宗教的、思想的な理由から、アリストテレスの研究も取り入れ、太陽中心説を唱えるに至ったとされている。
(3)上記(1)(2)を踏まえて、16~17世紀の科学革命についてあなたの考えを自由に展開しなさい
論じてください
(C)科学史学の歴史においては、同時発見が数多く知られている。これについて、次の(1)~(2)に答えなさい。
(1)同時発見の例を三つあげ、その概要を記しなさい。
- ジュール、マイヤー、ヘルムホルツのエネルギー保存則の発見
上記の三人が次々とエネルギー保存則を唱えていった。特に医学を修めたヘルムホルツは動物体熱の問題からエネルギー保存の理論へと発展させた。
ニュートンとライプニッツがほぼ同時に微分法を発見したが、ライプニッツの方が若干発表が早かった。しかし病的に猜疑心が強いニュートンは自分が先に解明したと言い張り、25年にわたり法廷をあらそった。
- 木原博士とミズーリ大学のE.R.シアース博士のコムギの祖先に関する発見
1994年博士とミズーリ大学のE.R.シアーズ博士がコムギの染色体を操作し、コムギの祖先と見られる種を発見した。太平洋戦争の只中であったため、完全にお互い独立して発見し、戦後京都大学で対談した時にその事実がわかった。
イギリスのプリーストリーとスウェーデンのシューレが1774年にそれぞれが独立して酸素を発見した
二人は同じ年に生まれ、同じ年に個別に精錬法を発見し、同じ年に死んだ。しかし生涯二人が会うことはなかったらしい
19世紀後半に経済学史の分野において、メンガー、ジェフォンスおよびワルラスの限界革命トリオがミクロ経済学の消費理論で用いられる重要な概念である限界効用論を発見した
(2)なぜ同時発見という現象がみられるのだろうか。これについて、あなたの考えを自由に展開しなさい。
自然科学の研究は軍事目的であることが多々ある。その目的の上で、各国で優秀な人材がその分野に集まるという現象が起こり、同時発見を引き起こす。みたいな感じのことを自分の意見も交えて論じてください。
(D)占星術について、次の(1)~(2)に答えなさい
(1)その歴史の概要を、特に盛んだった時期、衰退した時期に注意しつつ、記しなさい。
そもそも占星術は色々な天体現象の意味を考えるところから自然に発生しました。
古代バビロニアで行われた大規模な天体観測が起源と考えられ、そこからギリシャ、インド、アラブ、中国に広まった。アラブ、メソポタミアでは主に8世紀後半から9世紀あたりにおいて王政のもとですすめられていた。日本では806年に空海が中国から星マンダラや宿曜経を持ち帰り、占星術が持ち込まれ、その後も盛んに研究され1112年にも文献が残っている。しかしなんでも受け入れる日本と違い、ヨーロッパではその頃勢力の強かったキリスト教にしばしば異端とされて弾圧に会い、12世紀ごろまではあまり表だってできる研究ではなかった。13世紀に入った頃から占星術は呪術ではなく科学だと主張する者が出てきて、キリスト教会も一種の妥協をすることができました。しかしその後1500年頃にコペルニクスが地動説を唱え、教会はガリレオらを異端裁判にかけたりしましたが、1600年前後にケプラーたちの研究によりその説は確定的となり、1700年頃のニュートンの時代になると古い権威で科学的事実を押し曲げることはできなくなりました。とにかく、ブラーエ、ケプラー、ガリレオ、ニュートンなどの功績でより高度な天体の計算ができるようになり、占星術は発達しました。
(2)上記(1)についてあなたの考えを自由に論じなさい。
論じなさい
(E)錬金術について、次の(1)~(2)に答えなさい
(1)その歴史の概要を、特に盛んだった時期、衰退した時期に注意しつつ、記しなさい。
そもそも錬金術の目的は簡単に言うと、物質をより完全なものにかえる賢者の石をつかって、卑金属を金にかえたり、人間を不老不死にすることが目的となっています。
錬金術の起源は古代エジプトの治金術と考えられる。アリストテレスの四元素説の影響を受けアレキサンドリアで発達した。そこからギリシャ哲学とともにイスラムに伝わり、9、10世紀に盛んに研究され、アラビアで本格的発展を遂げた。そして十字軍によりイスラムの文献がヨーロッパに持ち帰られ、西ヨーロッパではキリスト教の弾圧をうけていたものの12世紀ルネッサンスの時代の12~13世紀に関心が以上に高まり、特に13世紀以降に発達した。錬金術は魔術的なものではなく科学として知的欲求によるものとしてキリスト教会にも許容されていたが、16世紀頃あくなき知的欲求心が魔術の分野にまで伸びた時、再び弾圧を受けることとなる。そして17世紀にドイツの薔薇十字団といういわゆる魔術結社により各方面の魔術へと結び付けられるようになった。現代では大きく言うと科学的な錬金術、魔術的・哲学的な錬金術、その両面を備え精神的高みへと登ろうとする錬金術の三派に分かれている。
(2)上記(1)についてあなたの考えを自由に論じなさい。
論じてなさいよね!
以下については解答しませんが問題だけ載せときます
(F)科学史における思想史(intellectual history)=内在史(internal history)について、次の(1)~(2)に答えなさい。
(1)自然科学の歴史から、あなたが興味深いと考える事柄を一つ選び、その概要を記しなさい。
(2)上記(1)について、思想史(intellectual history)=内在史(internal history)の観点と、英雄史観=ホイッグ史観の観点を対比させつつ、あなたの考えを自由に展開しなさい。
(G)科学史学について、次の(1)~(2)について答えなさい。
(1)探求に値するテーマを明確に設定し、その理由とともに記しなさい。
(2)上記(1)に対するあなたの解答を記しなさい。
最終更新:2009年07月13日 02:48