坂井館 (さかいだて) | |
所在地 | 喜多方市字御茶屋 |
別称 | 小荒井塁 |
築城年 | 和銅年間(708-15)、宝亀年間(770-781)か |
築城者 | 石川氏、小荒井氏か |
城主変遷 | 石川氏?…蘆名氏[小荒井氏]… |
廃城年 | 天正十年(1582)か |
現状 | 諏訪神社、愛宕神社、稲荷神社、宅地 |
坂井館は福島県喜多方市に所在した城館跡である。
『会津鑑』『会津古塁記』には、和銅年間(708-15)石川民部勝良が築き、応永年間(1394-1427)新宮次郎広高の子小荒井新助盛常が居住した際に坂井館と称したとある。また宝亀年間(770-781)石川刑部が築いたともあるが、何れにしても信憑性は低いと考えられている。
『新編会津風土記』には築城者、年代とも不詳、元亀、天正年間(1570-92)に小荒井阿波が住したとあり、天正十年(1582)小荒井阿波と檜原村の地頭穴沢新右衛門との間で合戦があった際に焼失、その際に廃館になったと考えられている。その後は放鷹のために蒲生氏の別荘が置かれるも、寛文年間(1661-73)には放棄され、以後現在まで御茶屋の字名だけが残っている。
『会津鑑』『会津古塁記』には東西160間、南北83間、『新編会津風土記』には東西34間、南北30間余と異なった規模を記している。諏訪神社、愛宕神社、稲荷神社に囲まれた地域と推定されているが、三社とも坂井館焼失後に現在地に勧請、移動されたものである。現在は宅地となっており、館跡を偲ぶものは遺っていない。
御茶屋の地名が残るってんで行ってみましたが、北側の三社以外の地は宅地となっており、さすがに歩き回るのは憚られました。諏訪神社の境内を掃除してらしたお母さんに訊いたら、字御茶屋の範囲はかなり狭い様子。住宅地図を持って再訪か?
なお坂井という地名は、加納荘と新宮荘の境界に位置するからという推測もあるそうです。