新井田館 (にいだだて) | |
所在地 | 喜多方市塩川町(旧耶麻郡塩川町)新江木字新井田 |
別称 | 田辺館 |
築城年 | 建仁三年(1203) |
築城者 | 新井田重国、田辺義秀 |
城主変遷 | 新井田氏…源氏、蘆名氏[田辺氏](1203-1586)… |
廃城年 | 天正十四年(1586)か |
現状 | 宅地 |
新井田館は福島県喜多方市(旧耶麻郡塩川町)に所在した城館跡である。
建仁三年(1203)に築かれたとされるが築城者に関しては2説あり、当時岡村と呼ばれていたこの地に新井田(新田)太良重国が構築し、新井田村と改めてその後田辺左衛門尉義秀が住したとするもの、また建仁元年(1201)源義経の臣田辺右衛門義秀が猪苗代に住し、その後当地に館を築いて新たに田地を開いたため新井田を村名としたとするものである。何れも田辺氏を居住者としてしているが確証はない。
田辺氏は熊野別当湛増の支族とされ、源平合戦では源氏に与して元暦二年(1185)屋島合戦で功を成し、当地に至ったという。義秀以降子孫は新井田館に住していたが、天正十四年(1586)五郎左衛門秀将の代に故あって所領を失ったという。その後は在地領主から土豪的立場に転落したものと考えられている。しかし子孫の田那邊氏は江戸時代も館に住み、肝煎を勤めている。
新井田集落ほぼ中央にある平地方形館で、東側を除く3方に土塁が現存、堀は用排水路として遺っています。南側に虎口があり、以前カギ形になっていた様子の写真が「福島県の中世城館跡」に掲載されていますが、現在は屈曲部が崩され南面する部分だけが確認出来ます。さすがに民家ですので、断りもなく正面からの写真は撮れませんでしたが…。その写真では、下部に明治、大正期に積まれたという石垣が見られ、土塁も綺麗になっていますが、現在はかなり荒れて石垣も確認出来なかった様な気がします。
北側には隣接して三島神社、徳昌寺がありますが鎮座、開基は不明、東側は田辺氏家臣7人が住んだという七軒屋敷の地名が残っています。