玉山館 (たまやまだて) | |
所在地 | 盛岡市玉山区(旧岩手郡玉山村)玉山字館 |
別称 | |
築城年 | |
築城者 | 玉山直秀か |
城主変遷 | 南部氏[玉山氏]… |
廃城年 | |
現状 | 耕作地 |
玉山館は岩手県盛岡市(旧岩手郡玉山村)に所在した城館跡である。
築城時期は不明であるが、築城者は川村(河村)氏であろう。
川村氏は藤原秀郷の流れを汲み、相模国河村郷にあった。文治五年(1589)川村四郎秀清が源頼朝に従い奥州合戦で功を挙げ、紫波、岩手郡内数郷の地頭職を与えられた。初め高水寺城主斯波氏に仕えていたが、後に南下政策を取る三戸城主南部氏に従属する。その後秀清の一族、川村小三郎直秀が玉山館に居館し、南部信直の代に玉山氏を称したという。なお直秀の孫娘は南部氏29代重信に嫁し、30代行信の母となった。
姫神山から延びる丘陵先端部に位置し、丘陵南端に東西70m、南北110mmの大館、堀を隔ててその北側に東西25m、南北40mの小館あり、それぞれの郭には帯郭が巡らされている。また小館の東側から幅6m、深さ7mの大堀が北東へと延びており、水を引いたと伝えられている。
現在は耕作地となっており、入口に石碑、解説板が建てられています。かなりの規模を有していた様ですが、ここを訪問したのは二戸市の大平球場から東山町の東山球場への移動途中だったので、詳しくは見られなかったんですよね…。野球観戦と城攻めが同時進行なのは困ったものですね(笑)