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「プレイ日記/劉備入蜀/公孫恭/上級/南の国の公孫恭」(2011/05/08 (日) 19:12:21) の最新版変更点
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南の国の公孫恭
注意 公孫恭で南蛮を目指すのはお勧めしません。急いでもものすごく時間がかかる上に孟獲が挙兵したり劉障に先を越されたり桟道の途中で部隊が壊滅したりするからです。
無印 PS2 上級 211年 劉備入蜀 公孫恭
うまくいくと思ってなくてはじめのうち記録取ってなかったので日付は割と抜けます。
初投稿だったり途中でやる気がなくなったりしたので質は悪いかも。
縛り
セーブ&ロードは認めるがサブデータを作ることは認めない
他なし
武将紹介
公孫恭 統39武17知68政61魅42
Ⅰ、公孫恭が南蛮の地を目指すそうです。
ルート①会稽の北の港から上陸し、南の辺境を通り、桂陽、零陵を通過し、辺境を通り雲南に
ルート②柴桑の南の港から上陸し、ルート①に合流
ルート③武陵の北の港から上陸し、武凌を通過し、辺境を通り雲南に
劉障に先を越されないようにスピード重視。公孫恭はルート③を選んだ。
その道中に鳥丸や曹操に本拠を落とされないように
①曹操と同盟
②治安を上げる
金4000で曹操と同盟し、治安を100にしてから騎兵6800で出陣。
海を南下し、長江を遡る。途中で孫権軍が迎撃すればすぐに逃げる公孫恭。かっこ悪いとか言ってられない。
建業を過ぎたころ孫権が三ヶ月の停戦を持ちかけてきました。もちろん受諾。さらに長江を遡る。このころ劉障が建寧制圧。
武陵の北に無事に着きました。劉封が迎撃に来たので江凌に逃げる。彼は水軍Bで火矢が撃てるので無理。これが劉封との因縁の出会いであった。
しばらくそこで待機。港から劉封が去ったのを見計らって再度攻める。今度は迎撃が無く公安港を制圧!このころ襄平に鳥丸が出現。
次のターンにすり抜け作戦開始。張包などに二回ほど殴られるが、武陵を突破!このとき兵力は騎兵3000ほど。
その後桟道にさしかかったあたりで劉障軍が迎撃してきました。遠いけど。
敵軍:張任隊 弩兵4000(張任、張松、陳式)
彼らは兵糧100日分しか持ってないので適当に時間を潰していればいいでしょう。
え、停戦?鄧芝がやってきました。まあいいでしょう。無駄に戦うことも無い。
しかしこれは罠だった。
張任隊は空白地の雲南に退却しているではないか!しかし兵糧は残り30日。頼むから壊滅してくれよ・・
壊滅しなかった。兵糧尽きてから6ターン行動してるぞ!奴ら!(踏破の隠れ効果か?)
だが彼らの軍は兵糧が無く、兵糧を購入した時点で兵数527しかない。いける!
停戦が切れて偽報状態になったが、それでも雲南に接近する公孫恭。安平港への最短ルートはこっちだから。
で、停戦が切れたら雲南の隣で待つ。桟道通過で兵力が1121に減っていたので相手の兵力が減るまで待つ。527は多すぎる。公孫恭にとっては。
雲南の兵士数が92まで減ってから攻撃し、雲南攻略!この時224年。
Ⅱ、救世主登場
セーブ&ロードを繰り返すも、誰一人登用できない。諦めて防備を調えることにした。
兵舎を建てる途中で張任がやってきました。
①公孫恭は兵1兵糧1で出撃し、偽報を放つ。(大抵効かない)
②張任は公孫恭を撃破する。そして①に戻る
の繰り返しで兵糧が尽きるまで耐える。何度か捕縛されたけど、劉障が心の広い人物で本当によかった。
この間に襄平が鳥丸により陥落。しかたないね。
これで雲南防衛戦その1は終わった。しかし、敵部隊の数が2以上だと防ぎきれない恐れがある。そこで、南蛮頭目(賊と呼ぶ)を利用する。
ひたすら治安を下げ、南蛮頭目の根城が出現。雲南の北、毒泉二つ渡ったところだ。(ひとつは回避できる)この根城は以後10年ほど残ることになる。
賊が劉障軍を攻撃するのを利用してなんとか耐え、賊が二部隊出現してやっかいだと感じていたころにその日は来た。
219年、公孫淵登場!
公孫淵 統64武69知54政34魅51
いざとなれば張任と一騎打ちもできる能力なのでだいぶ安心。
心強い味方公孫淵を得て、賊を簡単に討伐すると、公孫恭は本格的に内政に取り掛かりました。(これまでに建てたのは兵舎一つと市場二つだけ)
やはりセーブ&ロードを繰り返すも、誰一人登用できない。
合戦しつつ厩舎も建てたし、櫓ロードと軍楽台も建てて万全の守りを築き、落石と賊も駆使して戦っていると、呉懿と張松を捕らえた。
しばらく内政していると張松の忠誠が83に落ち、登用連打。
忠誠が79になって登用成功!6ヶ月で死んじゃったけど。一瞬の軍師でした。
それはともかく、劉障は死に、劉循が後を継ぎ、劉備も死に劉封が後を継ぎました。
で、劉循は建寧ひとつ残し、領土の大半を劉封に攻め取られた。建寧も劉循に攻められ、急速に弱体化した。ここでとどめを刺し大量の捕虜を得る。セーブ&ロードを繰り返し、全員登用!
さらに鄧芝を使って劉封と停戦し、費?と董允で南蛮武将達を全員登用。ここで234年。
あとは楽勝でしょう。
Ⅲ、公孫恭の飛躍
安心したところで周囲の状況を確認する。
劉封と孫権は曹操の後を継いだ曹丕(その後の曹叡)を領土の取り合いをしつつ、しかし確実に押していた。曹軍は中原のほとんどを失っている。
馬超と馬雲騄は死に、馬岱が後を継ぎ、劉封と孫権が曹軍を押していたおかげで初期の領土と漢中を保有。
近くに目をやると、成都に150000、建寧に100000の兵がいる。しかし領土が初期の二倍ほどになった割に武将があまり増えていない劉封軍はそこにろくな武将を置いていない。人数も各二人ずつだし。公孫恭が人材を横取りしたからだろう。
停戦中に費禕に感謝しつつ軍備を整えて成都に出陣。総勢約55000。
戟将三人(李厳、鄂煥、花鬘)+孟獲がクリティカル連発するので文官しかいない相手に圧勝。衝車で成都叩きまくって成都攻略。敵兵は60000くらい残っていた。
ここでなんとなく馬岱と同盟した。
訓練+輸送隊で軍楽台付近に出陣を何回かして、内政もろくにせず建寧に出陣。さっきと同じノリで建寧攻略。さらに同じノリで永安、江陵、襄陽と落とす。さらにその間に調子に乗って主力でない部隊で梓潼を攻める。
董荼那!阿会喃!金環三結! 対 諸葛亮孔明
梓潼には孔明、王平、劉禅がいて、兵力は40000ほど。
梓潼攻略軍のメンバーは以下の通り。
董荼那、阿会喃、金環三結、留賛、留平
最後の二人は永安あたりで捕らえていた武将。留賛のみ衝車、後は戟兵で兵力は各5000。
ちなみに技巧は戟兵強化と工兵育成、施設強化がある。
留平(築城もち)のおかげで連弩櫓がポポポポーン
と建ちます。(他の部隊も必要なことも)
そして董荼那、阿会喃、金環三結が孔明を取り囲んで叩きます。しかし孔明は強い。計略も強いがそれ以上に統率が強い。精鋭弩兵なんて持ってるから通常攻撃しても反射ダメージが同じくらいある。援護に期待しつつ彼らは孔明を引き付ける役と割り切る。王平も強くて留賛隊が壊滅。耐久が削りきれないので再び留賛を衝車隊で出陣させる。適当なところで錯乱している劉禅を無視し、留賛隊で梓潼を二回叩き、梓潼攻略。敵部隊は一つも壊滅しなかった。
このまま突き進んでもいいけどそろそろ内政をしたくなったのと周囲に劉封の本気武将が見え始めたので本隊が襄陽を落とした後剣閣まで落として鄧芝を使って劉封と停戦。次は馬岱を攻めよう。そして姜維を仲間にしよう。
Ⅳ、馬岱攻略戦
劉封と停戦、孫権と曹丕と同盟し、(鄧芝乙。)馬岱との同盟を切って攻めます。
馬岱は漢中に100000、天水に約35000、長安に約30000、安定、武威に約10000ずつの兵力で、怖いのは漢中の馬岱、龐徳と、武威で火種敷設中の姜維。
漢中は簡単には落ちないね。
技巧はここまででさらに熟練兵と難所行軍を加えていて、馬岱軍には難所行軍が無い。
梓潼の東側の桟道で馬岱軍を釣り出していれば勝手に相手の兵力が谷底へ落ちていくのだが、それではつまらないのでちゃんと攻略します。
攻略軍の初期メンバー(部隊長)
孟獲(戟8000) 祝融(戟8000) 兀突骨(戟8000) 陳式(衝車8000)
とはいえ漢中攻略は難しいので、施設を剣閣の北にいくつか建て、馬岱軍が剣閣を狙って出陣したので兀突骨隊を残して剣閣の西の道を通って天水に出ます。漢中方面には順次援軍を送る予定。
孟獲、祝融、陳式隊は天水の微妙武将を軽くあしらって天水攻略。
兀突骨はだいぶ頑張ったけど、いかんせん相手が精鋭騎兵持ちの馬岱、龐徳なので剣閣にとりつかれそうになるし、漢中東側方面に派遣した総勢15000の軍勢も足止めをくらって、天水にも馬岱軍が迫って面倒になったので停戦。(鄧芝乙。)
停戦後、孟獲、祝融、留平、陳式に武威を攻めさせ、兀突骨、鄂煥、花鬘、呉懿、張翼あたりで漢中をしつこく攻める。落とさなくてもいい。天水が狙われなければいいのだから。
武威の姜維は強かった。本当に強かったから連弩櫓がポポポポーンに加えて火球で焼きまくった。
他は弱かったので適当に撃破。衝車隊が姜維を無視して武威をひたすら叩いて武威攻略。
続いて安定攻略にかかる。ここでも姜維が出現し、だいぶダメージを受けたが、安定が軟らかいので無視して攻略。
このころ漢中の兵はだいぶ減っていた。馬岱、龐徳が東側の桟道に花鬘、張翼の迎撃に出ている間に、西側の桟道付近では鄂煥、呉懿が補給を受けつつ微妙武将達を叩きまくっていたからだ。(この辺りは補給隊の安全確保が楽だし、剣閣が補給基地にできる)
ようやく漢中の兵力が減ってきて、西側から突破できそうになったので留賛を井欄隊で出陣させ、西側から突破後、漢中を叩きまくって、東側桟道で花鬘、張翼を撃破した馬岱、龐徳が帰ってくるころには漢中は風前の灯。新たに龐徳隊が出陣してきたけど漢中攻略。
その少し前から安定攻略軍は長安攻略にかかる。この軍勢の兵力はだいぶ減ってしまい出陣部隊は孟獲(戟3000) 祝融(戟3000) 陳式(衝車5000)
戟隊は長安から天水に武妙武将が出撃して連弩櫓に兵力を削られていたので長安の兵力は少ない。多くの部隊が出できたが、連弩櫓で兵力を削る。(祝融隊には留平がいる)陳式隊は攻撃を受けつつも兵舎二つを破壊した。陽平関を留賛が攻略後、漢中方面軍も長安攻めに加わり、兵力差で勝利。長安攻略。
これで馬岱の攻略は完了した。しばらく登用&内政をしたら劉禅との停戦が切れるので、次は劉禅を攻めよう。(劉封はこの途中でお亡くなりになりました。心労でしょうか。)
Ⅴ、第二次劉禅戦
長安から主力で圧倒。漢中で防御。劉禅は江陵を攻めるようで、江陵には大量の軍事施設が建っているのでしばらく大丈夫でしょう。主力部隊で洛陽、宛、上庸を攻略して停戦。
次の目標を荊州南部と新野、江夏に定め、しばらくすると姜維が公孫恭の星が危ないと言った。
この時238年。確かに危ない。
そろそろ公孫淵に後を託すことを考え始めるわけで、軍団長の地位を下ろして新たに首都となった洛陽になんとなく呼び寄せてみた。そして義兄弟の儀を行った。
公孫淵、姜維、王濬は義兄弟となった。
戦いを再開する直前に公孫恭は死に、公孫淵が後を継いだ。この時「思うところがあって」費禕が下野した。兵装がありあまってきて最近仕事減ったし軍師解任されたし後任の姜維が優遇されまくりだからしょうがないかなと思った。
このころまでにだいぶ将が寿命を迎えていて、将不足だった(兵数がやたら多くなったのもある)ために、公孫淵自ら副将なしで出陣。
頼もしい義兄弟と一緒に荊州南部をばりばり攻め取ります。相手に文官が多かったので公孫淵本人もだいぶ活躍できた。
第二軍も新野、江夏を確実に攻め取り、劉禅を追いやった。
劉禅の領地はこの時点で汝南、寿春、下邳、北海、濮陽になった。
孫権は鄴、陳留、許昌、小沛、と元からの領地。
次は孫権を攻めます。
Ⅵ、天下統一
書くことがほとんど無い。孫権討伐の直前に投石を開発して、破竹の勢いで攻め滅ぼした。杜預が活躍した。途中で軍政改革もして将不足も解消。
会稽を公孫淵自らの手で攻め落としたところで皇帝になり、国号は「徐」となった。
孫権を滅ぼしてから武将が有り余った。
さらに曹芳(曹叡は死亡)との同盟を解消して、同様に攻め滅ぼす。
劉禅との停戦も切れ、ここでやっとすこしまともに劉禅軍と戦った。一番危なかったのは許昌で、鄧艾が大量の防御施設を突破して許昌の壁に張り付いたが、寿春を挟撃により落とし、余勢をかった軍勢を汝南にまわし、あっけなく終焉。この時244年。公孫淵の星が危ないとか言われたけど間に合った感じ。
その後「徐」は封権体制を築き、長く繁栄したそうです。跡継ぎ誰になったんだろう?
やったみた感想
ほんの出来心で始めた今回のプレイでしたが、やってみると大変でした。雲南移住に3回失敗したし、登用も思うように進まなくて一時諦めました。
その後公孫淵の登場まで待ってみたら劉循がいいかんじで潰れてくれたのでどうにかなりました。
心残りなのは「公孫恭で」統一できなかったこと。雲南に行ってては時間的に無理だろうということが分かったので、今度は張魯を攻めてみようと思います。
- なるほど、こうすればS6公孫恭もできるのか。 -- 名無しさん (2011-05-06 19:55:41)
- なんかスゲエな -- 名無しさん (2011-05-06 21:20:46)
- 曹操と同盟できたなら、わざわざ雲南に引っ越す必要なくね?人材目当て? -- 名無しさん (2011-05-07 01:35:50)
- ↑じゃあ、他でやってる縛りとかも必要なくね?プレイ日記で戦略うんぬんにケチつけるのはナンセンス。 -- 名無しさん (2011-05-07 09:15:11)
- ここの作者は公孫恭が南の国に行くことをコンセプトにしてるんだから別にいいんじゃない? -- 名無しさん (2011-05-07 12:34:55)
- ↑3人材目当てです。あと普通の公孫一族のプレイに飽きたというのもあります。 -- 南の国の人 (2011-05-07 14:48:20)
- ↑×3 いや,引っ越す理由聞いただけなのに「ケチつける」とか・・・邪推するなよ. ↑なるほど,納得 -- 名無しさん (2011-05-07 19:13:26)
#comment
南の国の公孫恭
注意 公孫恭で南蛮を目指すのはお勧めしません。急いでもものすごく時間がかかる上に孟獲が挙兵したり劉障に先を越されたり桟道の途中で部隊が壊滅したりするからです。
無印 PS2 上級 211年 劉備入蜀 公孫恭
うまくいくと思ってなくてはじめのうち記録取ってなかったので日付は割と抜けます。
初投稿だったり途中でやる気がなくなったりしたので質は悪いかも。
縛り
セーブ&ロードは認めるがサブデータを作ることは認めない
他なし
武将紹介
公孫恭 統39武17知68政61魅42
Ⅰ、公孫恭が南蛮の地を目指すそうです。
ルート①会稽の北の港から上陸し、南の辺境を通り、桂陽、零陵を通過し、辺境を通り雲南に
ルート②柴桑の南の港から上陸し、ルート①に合流
ルート③武陵の北の港から上陸し、武凌を通過し、辺境を通り雲南に
劉障に先を越されないようにスピード重視。公孫恭はルート③を選んだ。
その道中に鳥丸や曹操に本拠を落とされないように
①曹操と同盟
②治安を上げる
金4000で曹操と同盟し、治安を100にしてから騎兵6800で出陣。
海を南下し、長江を遡る。途中で孫権軍が迎撃すればすぐに逃げる公孫恭。かっこ悪いとか言ってられない。
建業を過ぎたころ孫権が三ヶ月の停戦を持ちかけてきました。もちろん受諾。さらに長江を遡る。このころ劉障が建寧制圧。
武陵の北に無事に着きました。劉封が迎撃に来たので江凌に逃げる。彼は水軍Bで火矢が撃てるので無理。これが劉封との因縁の出会いであった。
しばらくそこで待機。港から劉封が去ったのを見計らって再度攻める。今度は迎撃が無く公安港を制圧!このころ襄平に鳥丸が出現。
次のターンにすり抜け作戦開始。張包などに二回ほど殴られるが、武陵を突破!このとき兵力は騎兵3000ほど。
その後桟道にさしかかったあたりで劉障軍が迎撃してきました。遠いけど。
敵軍:張任隊 弩兵4000(張任、張松、陳式)
彼らは兵糧100日分しか持ってないので適当に時間を潰していればいいでしょう。
え、停戦?鄧芝がやってきました。まあいいでしょう。無駄に戦うことも無い。
しかしこれは罠だった。
張任隊は空白地の雲南に退却しているではないか!しかし兵糧は残り30日。頼むから壊滅してくれよ・・
壊滅しなかった。兵糧尽きてから6ターン行動してるぞ!奴ら!(踏破の隠れ効果か?)
だが彼らの軍は兵糧が無く、兵糧を購入した時点で兵数527しかない。いける!
停戦が切れて偽報状態になったが、それでも雲南に接近する公孫恭。安平港への最短ルートはこっちだから。
で、停戦が切れたら雲南の隣で待つ。桟道通過で兵力が1121に減っていたので相手の兵力が減るまで待つ。527は多すぎる。公孫恭にとっては。
雲南の兵士数が92まで減ってから攻撃し、雲南攻略!この時224年。
Ⅱ、救世主登場
セーブ&ロードを繰り返すも、誰一人登用できない。諦めて防備を調えることにした。
兵舎を建てる途中で張任がやってきました。
①公孫恭は兵1兵糧1で出撃し、偽報を放つ。(大抵効かない)
②張任は公孫恭を撃破する。そして①に戻る
の繰り返しで兵糧が尽きるまで耐える。何度か捕縛されたけど、劉障が心の広い人物で本当によかった。
この間に襄平が鳥丸により陥落。しかたないね。
これで雲南防衛戦その1は終わった。しかし、敵部隊の数が2以上だと防ぎきれない恐れがある。そこで、南蛮頭目(賊と呼ぶ)を利用する。
ひたすら治安を下げ、南蛮頭目の根城が出現。雲南の北、毒泉二つ渡ったところだ。(ひとつは回避できる)この根城は以後10年ほど残ることになる。
賊が劉障軍を攻撃するのを利用してなんとか耐え、賊が二部隊出現してやっかいだと感じていたころにその日は来た。
219年、公孫淵登場!
公孫淵 統64武69知54政34魅51
いざとなれば張任と一騎打ちもできる能力なのでだいぶ安心。
心強い味方公孫淵を得て、賊を簡単に討伐すると、公孫恭は本格的に内政に取り掛かりました。(これまでに建てたのは兵舎一つと市場二つだけ)
やはりセーブ&ロードを繰り返すも、誰一人登用できない。
合戦しつつ厩舎も建てたし、櫓ロードと軍楽台も建てて万全の守りを築き、落石と賊も駆使して戦っていると、呉懿と張松を捕らえた。
しばらく内政していると張松の忠誠が83に落ち、登用連打。
忠誠が79になって登用成功!6ヶ月で死んじゃったけど。一瞬の軍師でした。
それはともかく、劉障は死に、劉循が後を継ぎ、劉備も死に劉封が後を継ぎました。
で、劉循は建寧ひとつ残し、領土の大半を劉封に攻め取られた。建寧も劉循に攻められ、急速に弱体化した。ここでとどめを刺し大量の捕虜を得る。セーブ&ロードを繰り返し、全員登用!
さらに鄧芝を使って劉封と停戦し、費?と董允で南蛮武将達を全員登用。ここで234年。
あとは楽勝でしょう。
Ⅲ、公孫恭の飛躍
安心したところで周囲の状況を確認する。
劉封と孫権は曹操の後を継いだ曹丕(その後の曹叡)を領土の取り合いをしつつ、しかし確実に押していた。曹軍は中原のほとんどを失っている。
馬超と馬雲騄は死に、馬岱が後を継ぎ、劉封と孫権が曹軍を押していたおかげで初期の領土と漢中を保有。
近くに目をやると、成都に150000、建寧に100000の兵がいる。しかし領土が初期の二倍ほどになった割に武将があまり増えていない劉封軍はそこにろくな武将を置いていない。人数も各二人ずつだし。公孫恭が人材を横取りしたからだろう。
停戦中に費禕に感謝しつつ軍備を整えて成都に出陣。総勢約55000。
戟将三人(李厳、鄂煥、花鬘)+孟獲がクリティカル連発するので文官しかいない相手に圧勝。衝車で成都叩きまくって成都攻略。敵兵は60000くらい残っていた。
ここでなんとなく馬岱と同盟した。
訓練+輸送隊で軍楽台付近に出陣を何回かして、内政もろくにせず建寧に出陣。さっきと同じノリで建寧攻略。さらに同じノリで永安、江陵、襄陽と落とす。さらにその間に調子に乗って主力でない部隊で梓潼を攻める。
董荼那!阿会喃!金環三結! 対 諸葛亮孔明
梓潼には孔明、王平、劉禅がいて、兵力は40000ほど。
梓潼攻略軍のメンバーは以下の通り。
董荼那、阿会喃、金環三結、留賛、留平
最後の二人は永安あたりで捕らえていた武将。留賛のみ衝車、後は戟兵で兵力は各5000。
ちなみに技巧は戟兵強化と工兵育成、施設強化がある。
留平(築城もち)のおかげで連弩櫓がポポポポーン
と建ちます。(他の部隊も必要なことも)
そして董荼那、阿会喃、金環三結が孔明を取り囲んで叩きます。しかし孔明は強い。計略も強いがそれ以上に統率が強い。精鋭弩兵なんて持ってるから通常攻撃しても反射ダメージが同じくらいある。援護に期待しつつ彼らは孔明を引き付ける役と割り切る。王平も強くて留賛隊が壊滅。耐久が削りきれないので再び留賛を衝車隊で出陣させる。適当なところで錯乱している劉禅を無視し、留賛隊で梓潼を二回叩き、梓潼攻略。敵部隊は一つも壊滅しなかった。
このまま突き進んでもいいけどそろそろ内政をしたくなったのと周囲に劉封の本気武将が見え始めたので本隊が襄陽を落とした後剣閣まで落として鄧芝を使って劉封と停戦。次は馬岱を攻めよう。そして姜維を仲間にしよう。
Ⅳ、馬岱攻略戦
劉封と停戦、孫権と曹丕と同盟し、(鄧芝乙。)馬岱との同盟を切って攻めます。
馬岱は漢中に100000、天水に約35000、長安に約30000、安定、武威に約10000ずつの兵力で、怖いのは漢中の馬岱、龐徳と、武威で火種敷設中の姜維。
漢中は簡単には落ちないね。
技巧はここまででさらに熟練兵と難所行軍を加えていて、馬岱軍には難所行軍が無い。
梓潼の東側の桟道で馬岱軍を釣り出していれば勝手に相手の兵力が谷底へ落ちていくのだが、それではつまらないのでちゃんと攻略します。
攻略軍の初期メンバー(部隊長)
孟獲(戟8000) 祝融(戟8000) 兀突骨(戟8000) 陳式(衝車8000)
とはいえ漢中攻略は難しいので、施設を剣閣の北にいくつか建て、馬岱軍が剣閣を狙って出陣したので兀突骨隊を残して剣閣の西の道を通って天水に出ます。漢中方面には順次援軍を送る予定。
孟獲、祝融、陳式隊は天水の微妙武将を軽くあしらって天水攻略。
兀突骨はだいぶ頑張ったけど、いかんせん相手が精鋭騎兵持ちの馬岱、龐徳なので剣閣にとりつかれそうになるし、漢中東側方面に派遣した総勢15000の軍勢も足止めをくらって、天水にも馬岱軍が迫って面倒になったので停戦。(鄧芝乙。)
停戦後、孟獲、祝融、留平、陳式に武威を攻めさせ、兀突骨、鄂煥、花鬘、呉懿、張翼あたりで漢中をしつこく攻める。落とさなくてもいい。天水が狙われなければいいのだから。
武威の姜維は強かった。本当に強かったから連弩櫓がポポポポーンに加えて火球で焼きまくった。
他は弱かったので適当に撃破。衝車隊が姜維を無視して武威をひたすら叩いて武威攻略。
続いて安定攻略にかかる。ここでも姜維が出現し、だいぶダメージを受けたが、安定が軟らかいので無視して攻略。
このころ漢中の兵はだいぶ減っていた。馬岱、龐徳が東側の桟道に花鬘、張翼の迎撃に出ている間に、西側の桟道付近では鄂煥、呉懿が補給を受けつつ微妙武将達を叩きまくっていたからだ。(この辺りは補給隊の安全確保が楽だし、剣閣が補給基地にできる)
ようやく漢中の兵力が減ってきて、西側から突破できそうになったので留賛を井欄隊で出陣させ、西側から突破後、漢中を叩きまくって、東側桟道で花鬘、張翼を撃破した馬岱、龐徳が帰ってくるころには漢中は風前の灯。新たに龐徳隊が出陣してきたけど漢中攻略。
その少し前から安定攻略軍は長安攻略にかかる。この軍勢の兵力はだいぶ減ってしまい出陣部隊は孟獲(戟3000) 祝融(戟3000) 陳式(衝車5000)
戟隊は長安から天水に武妙武将が出撃して連弩櫓に兵力を削られていたので長安の兵力は少ない。多くの部隊が出できたが、連弩櫓で兵力を削る。(祝融隊には留平がいる)陳式隊は攻撃を受けつつも兵舎二つを破壊した。陽平関を留賛が攻略後、漢中方面軍も長安攻めに加わり、兵力差で勝利。長安攻略。
これで馬岱の攻略は完了した。しばらく登用&内政をしたら劉禅との停戦が切れるので、次は劉禅を攻めよう。(劉封はこの途中でお亡くなりになりました。心労でしょうか。)
Ⅴ、第二次劉禅戦
長安から主力で圧倒。漢中で防御。劉禅は江陵を攻めるようで、江陵には大量の軍事施設が建っているのでしばらく大丈夫でしょう。主力部隊で洛陽、宛、上庸を攻略して停戦。
次の目標を荊州南部と新野、江夏に定め、しばらくすると姜維が公孫恭の星が危ないと言った。
この時238年。確かに危ない。
そろそろ公孫淵に後を託すことを考え始めるわけで、軍団長の地位を下ろして新たに首都となった洛陽になんとなく呼び寄せてみた。そして義兄弟の儀を行った。
公孫淵、姜維、王濬は義兄弟となった。
戦いを再開する直前に公孫恭は死に、公孫淵が後を継いだ。この時「思うところがあって」費禕が下野した。兵装がありあまってきて最近仕事減ったし軍師解任されたし後任の姜維が優遇されまくりだからしょうがないかなと思った。
このころまでにだいぶ将が寿命を迎えていて、将不足だった(兵数がやたら多くなったのもある)ために、公孫淵自ら副将なしで出陣。
頼もしい義兄弟と一緒に荊州南部をばりばり攻め取ります。相手に文官が多かったので公孫淵本人もだいぶ活躍できた。
第二軍も新野、江夏を確実に攻め取り、劉禅を追いやった。
劉禅の領地はこの時点で汝南、寿春、下邳、北海、濮陽になった。
孫権は鄴、陳留、許昌、小沛、と元からの領地。
次は孫権を攻めます。
Ⅵ、天下統一
書くことがほとんど無い。孫権討伐の直前に投石を開発して、破竹の勢いで攻め滅ぼした。杜預が活躍した。途中で軍政改革もして将不足も解消。
会稽を公孫淵自らの手で攻め落としたところで皇帝になり、国号は「徐」となった。
孫権を滅ぼしてから武将が有り余った。
さらに曹芳(曹叡は死亡)との同盟を解消して、同様に攻め滅ぼす。
劉禅との停戦も切れ、ここでやっとすこしまともに劉禅軍と戦った。一番危なかったのは許昌で、鄧艾が大量の防御施設を突破して許昌の壁に張り付いたが、寿春を挟撃により落とし、余勢をかった軍勢を汝南にまわし、あっけなく終焉。この時244年。公孫淵の星が危ないとか言われたけど間に合った感じ。
その後「徐」は封権体制を築き、長く繁栄したそうです。跡継ぎ誰になったんだろう?
やったみた感想
ほんの出来心で始めた今回のプレイでしたが、やってみると大変でした。雲南移住に3回失敗したし、登用も思うように進まなくて一時諦めました。
その後公孫淵の登場まで待ってみたら劉循がいいかんじで潰れてくれたのでどうにかなりました。
心残りなのは「公孫恭で」統一できなかったこと。雲南に行ってては時間的に無理だろうということが分かったので、今度は張魯を攻めてみようと思います。
- なるほど、こうすればS6公孫恭もできるのか。 -- 名無しさん (2011-05-06 19:55:41)
- なんかスゲエな -- 名無しさん (2011-05-06 21:20:46)
- 曹操と同盟できたなら、わざわざ雲南に引っ越す必要なくね?人材目当て? -- 名無しさん (2011-05-07 01:35:50)
- ↑じゃあ、他でやってる縛りとかも必要なくね?プレイ日記で戦略うんぬんにケチつけるのはナンセンス。 -- 名無しさん (2011-05-07 09:15:11)
- ここの作者は公孫恭が南の国に行くことをコンセプトにしてるんだから別にいいんじゃない? -- 名無しさん (2011-05-07 12:34:55)
- ↑3人材目当てです。あと普通の公孫一族のプレイに飽きたというのもあります。 -- 南の国の人 (2011-05-07 14:48:20)
- ↑×3 いや,引っ越す理由聞いただけなのに「ケチつける」とか・・・邪推するなよ. ↑なるほど,納得 -- 名無しさん (2011-05-07 19:13:26)
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