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<ここまでのまとめ>
梟雄董卓に率いられた騎馬軍を用いて、何人の武将を殺せるのかをテーマにプレイ日記を書いています。
251年からここまで15年の間に殺した武将は226人です。
≪犠牲者リスト≫(各回ごと、すべて処断or戦死した順)
-廬植、王匡、馬休、馬岱、馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横
-朱儁、皇甫嵩(戦死)、成宜、楊秋、李堪、王伉(戦死)、張嶷、楊柏(戦死)、馬玩、羅憲、程銀、侯選、秦宓、呂凱、楊任、楊松、陳寿
-陶謙、廖立、董承、何進、呉巨、張松、郭攸之、劉諶、劉岱、王渾、向寵、荀顗、荀勗、王業、藩濬、閻行、馮習、李氏、司馬昭、司馬伷、孔伷、樊建、傅士仁、濮陽興、毌丘甸、楊肇、馬謖、司馬師(戦死)、申儀
-王允、陳到(戦死)、毌丘倹(戦死)、袁遺、顧譚、何晏、司馬攸、司馬炎、楊済、程昱、夏侯威、典韋、司馬懿、司馬孚、司馬朗、司馬望、周旨、羊祜、張春華、王淩、辛毘、呂虔、高堂隆、王祥、王惇、何植、劉辟、王韜、丁儀
-関彝、夏侯淵、夏侯恩、曹洪、夏侯和、夏侯恵、傅巽、橋瑁、陳珪、鮑三娘、徐庶、雷銅、呉蘭、劉封、劉琦、鄧芝、陳震、★馬邈(戦死)、曹昂、曹丕、曹植、夏侯徳、万彧、陳登、董厥、呉班、黄忠、黄月英、蒯良、許靖、黄祖、劉琮、趙累、趙範、黄皓、孫皓、曹純、曹爽、裴秀、高幹、劉璿、張紹、沮鵠、呂曠、袁紹、袁熙、袁尚、劉氏、沮授、審配、麹義、辛評、高柔、呂威曠、眭元進、張邈、藩鳳、穆順、曹豹、鄒靖、王桃
-龔都(戦死)、傅彤、韓莒子、荀諶、魏攸、諸葛瞻、董允、譙周、向朗、趙広、郤正、華覈、歩協、滕胤、徐晃、曹髦、曹訓、傅僉、関靖、公孫続、公孫範、辛憲英、孟宗、劉巴、梁緒、公孫瓚、王平、張翼、孫乾、沙摩柯、諸葛喬、丁原(戦死)、厳綱、劉和、王門、鄒丹、張南、田疇、単経、張華(戦死)、田予、李厳、田楷、公孫越、蒋義渠、州泰、田豊、季雍、楊奉
-馬忠、孫朗、孫匡、樊氏、馬遵、卞喜(戦死)、楊修(戦死)、曹宇、宋謙、逢紀、陸績、夏侯尚、卑衍、婁圭、王濬、呉懿、韓当、祖茂、王粲、賈逵、施朔(戦死)、裴元紹、関寧、蒯越、麋竺、毌丘秀、帯来洞主
全武将の3分の1を殺したことになります。みなさんのお好きな武将、お気に入りの武将が入っているかと思います。ごめんなさい。これからより増えていくと思いますが、ご了承くださり、お付き合い頂ければうれしいです。
≪董卓軍武将リスト≫
-董卓、李儒、李傕、郭汜、華雄、徐栄、樊稠、胡軫(疾走)、牛輔(疾走)、李粛(明鏡)、董白、成公英、陸凱(指導)、楼玄、張球、張承/胡遵、閻圃、張衛(掃討)、張魯、徐質(猛者)、費耀(猛者)、楊昂(猛者)/胡車児、李通、于禁、邵悌(威圧)、張繍、賈詡(深謀)、鄒氏、張済(連戦)/桓範、蘇飛、国淵、韓忠(運搬)、歩隲、諸葛誕、蔡琰、臧覇、左奕、崔林、董昭、夏侯玄、太史慈、太史享(連戦)、温恢(指導) /張梁、杜預、楊阜(指導)、鄧茂(運搬)、韓徳、張闓、朱異、謝旌、留賛、張休(覇王)、鍾毓、張緝、張悌、王異(指導)、凌統、劉度、賈華、吾彦、陳矯、楊祚、厳畯、蒋欽、文虎、賈範(火神)、牛金、孫魯班、周泰、何儀(運搬)、程遠志、高昇(運搬)、張曼成、公孫恭、孫観、陳蹇、孫礼/賀斉、張郃、王双、魯粛、黄蓋、鮑隆、管亥、
#ref(http://www4.atwiki.jp/sangokushi11?cmd=upload&act=open&pageid=2500&file=sangokushi114.png)黒:董卓、灰:呂布、白:王朗、緑:劉備、赤:鄧艾、紫:孟獲、黄:鍾会、桃:袁術
*第4部 「面従腹背」
第8回
毎度ながら長くだらだらと書いてしまって読みづらい文章と思います、本当に申し訳ないです。
今回で第8回となりましたが、まだもう少し我が軍の戦いは続きそうです。
お付き合いいただければ幸いでございます。
北海城にて・・・
トタトタトタ…
賈詡「太師、大変でございます、太師。謀反寝返りの報せでございます。」
董卓「なにぃ!?なぁんだとぉ?」
華張太「なんと・・・ザワザワ」
董卓「ううむ…、してどこの誰じゃ謀反人は」
賈詡「新野太守の公孫度です。そして申し上げにくいのですが、太師の弟御の董旻様も・・・」
董卓「な、なんだと・・・弟が?馬鹿な」
華張太「ザワザワ・・・」
賈詡「そして問題なのが新野には兵力が60000いることです」
董卓「すぐに徐栄ら周囲の太守に連絡して、討伐させるのじゃ」
賈詡「ははっ、ではそのように。我らはいかがなされますか」
董卓「うむ、我ら本隊はここから濮陽を衝き、他の太守に睨みを利かせねばなるまい」
一同「ははーっ」
というわけで段々と殺伐というか泥沼な展開になってまいりました。
我ら董卓軍は当初の計画から大きく変更をすることになり、やや戦力分散気味です。
とりあえずは各部隊が目の前の敵軍と戦うことになります。そのため話があっちこっちに飛びますのでお許しください。
我が軍の兵力は『北海:70000』、『鄴:10000』、『陳留:25000』、『襄陽:30000』、『江陵:50000』、『漢中:30000』『陸口港:30000』、『河北以外の各都市:5000(河北は鄴以外0)』。これに遠征中の李傕ら45000で全てです。
忠臣たちの成長についてですが、廟と遺跡によって李傕の騎馬適性がSに、牛輔に特技『疾走』がつきました。能力も統率と武力は各々1くらいずつは上がっている感じです。
266年5月
文官系の高い官職に董旻をつけていたのだが、太守は武官系の官職が優遇されるらしく、董旻よりも2つくらい低い武官職の公孫度が新野の太守になってしまう。
あらどうしよう、と思っていたら公孫度は新野に着いた途端に呂布軍へ寝返ってしまったのだ。
あまりのタイミングの悪さに慌てるプレイヤーが新野の情報をチェックすると、兵は60000の金と兵糧も潤沢、そして新野所属の武将6人全員が寝返っていた。(笑)
登用して派遣したばかりの公孫度と呂拠、ちょっと前に登用した王修、そして元からいた董旻、許攸、孫仲。
特に董旻の造反はあの名将馬邈が死んだとき以来の衝撃であった・・・。
さて、自領のど真ん中に敵の大拠点が出来てしまった。
兵力も60000いるが、幸いなことに鍛冶や農場などを建てなかった都市なので敵の侵攻にはまだ時間がある。
徐栄と胡軫を上庸で戦闘態勢をとらせるものの、宛や許昌、汝南などは兵力5000ほどである。
どうなるどうなる?、と皆様に思っていただいたところで先に少し北の董卓本隊の動向を。
下邳で負けた本隊は徐州攻略をやめて、北海に賀斉他数名を残し、残りで濮陽へ攻めることにした。
同時に陳留の于禁らも出陣させる。こちらが濮陽攻略の本命である。
陳留では先の曹操軍滅亡をうけ、流浪の武将たちの登用に成功していた。
まず楽進、そして曹仁、陳羣、李典、さらに旧袁紹軍の袁譚、淳于瓊、呂翔といった顔ぶれである。
なかなかの良将たちなので、魏の4名は濮陽戦線に投入し、旧袁紹軍の3人は漢中へ派遣した。
さて、その漢中は太守の閻圃の下に30000近い兵がいた。これは成都攻めの兵である。
張曼成+袁譚8000、管亥+淳于瓊8000、閻圃+呂翔8000でまず梓潼へ向かう。
梓潼の鍾会軍は未だに涪水関を鄧艾軍と取り合っていて、15年間何やってるんだという感じである。
鍾会軍には厳顔と張任という2将がいたが、既に張任は捕らえられて鄧艾軍へ降っていた。
6月。その張任が守る涪水関へ鍾会軍の厳顔隊8000と我が軍3部隊が攻めかける。
もちろん涪水関は陥落し、厳顔隊はそのまま綿竹関へ向かう。すると成都城から部隊が続々と出てくる。
我が軍は成都の東、徳陽方面の一本道の隘路から攻めるべく迂回して進軍する奇襲策にでた。
だが隘路までくると、
張曼成「はっはー、このまま一気に本城を衝くぜー」
管亥「おう。・・・ん、待て、あれは・・・」
鄧艾「奇襲か?む、無駄な策だったな・・・それ今だ!」
張曼成「なぜこちらに敵軍が。まずい、岩だ!」
管亥「なんだ?部隊が身動きがとれんぞ!後退だ、後退しろ!」
厳顔隊が鄧艾軍にボコボコにされてすぐにやられてしまったので、敵はこちら側にも迎撃にきたのだ。
郝昭や鄧忠ら精鋭とぶつかる我が軍は、戦闘直前に袁譚、淳于瓊、呂翔ら3人が鄧艾軍へ寝返ってしまう。
副将がいなくなってしまった張曼成隊と管亥隊は攪乱をうけ、大損害、ほぼ壊滅。
仕方ないので、閻圃が火で殿軍をして撤退。24000の兵が半分ほどになってしまっていた。またも我が軍の敗戦であった。
266年6月
北海の本隊が濮陽の東、施設のたつ東平のあたりで濮陽からの迎撃軍とぶつかる。
-先鋒 張繍+徐質(猛者)+鄒氏12000、華雄+李粛(明鏡)+文虎 13000、張燕+楊阜(指導)+賈範(火神)11000
-本隊 董卓+張球+楊祚(築城)13000、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)11000、張郃+孫礼+牛金10000
-兵器 張済+歩隲10000 輸送隊 何儀(運搬)1000
敵軍は30000ほどで陳宮、高覧、張宝などが率いている。
陳留の部隊が南から攻めかかる。敵の主力部隊を引き付けておいたので濮陽城の兵力は僅か6000ほど。
7月、楽進らが攻撃を開始。本隊も火を使い直接的とぶつからずに時間を稼ぐ。
8月、李典隊が濮陽城を落とす。留守の大将の蒋済を斬った。
本隊はここで方向転換して小沛の北の浅瀬を渡り、小沛城へ攻めかかる。
追ってくる敵部隊を火で足止めすると、敵の迎撃部隊は頓丘港へ撤退していった。
小沛城は曹仁と于禁が西側に敵軍の高順らを釣り出していたので留守兵力10000ほど。
この城は耐久が低いので火球と火計で削って、11月落城させる。
留守の大将の焦触と韓嵩を斬った。また城外でも曹仁隊が高順隊を破り、副将虞翻を討ち取っていた。
同じ頃、北海城は危機に晒されていた。
下邳の呂布軍が攻めてきたのだ。敵将はもちろん呂玲琦を筆頭に、曹彰に朱桓、侯成の4部隊30000。
こちらの留守の大将は賀斉以下、高昇、程遠志、楼玄という4名で、兵力は12000。
勝ち目は薄いが簡単に退くわけにはいかないので、「運搬」もち高昇の輸送隊1000を臨済港まで非難させる。
城に1500を残して、残りの3人で足止めの迎撃に出る。
が、しかしあっさりとやられる。賀斉と程遠志隊は全滅し、楼玄隊はほうほうの体で平原まで戻った。
またも敗戦である。これで敵は下邳に高順と張角、北海に呂玲琦という形になった。
さらに同じ頃、南蛮遠征中の李傕、郭汜ら55000騎は忙牙長の迎撃隊8000を蹴散らし、雲南を攻めていた。
雲南の太守は最硬の男、兀突骨である。城には16000の兵がいる。
ここでプレイヤーは雲南の周りに豪火球と火種を設置しまくって、城の北と東を囲ってみることにした。
さて、ここに長沙攻めの後に登用してすっかり忘れていた郭馬という「火神」もちの武将がいる。
こいつで火球に火をつける。すると凄まじい爆音と共に信じられない数値が雲南城に表示された。
兵士-4000、耐久-600という数字である。これが数回続けて表示されたのだ。
プレイヤーは目を疑ったが、さっき16000いた雲南の兵が何度見ても0になっている。
最後に牛輔が騎射で一撃を加えて、雲南城制圧。武将は逃がしてしまった。
こうして無事に雲南城をとったのであった。
今回の犠牲者
-蒋済、焦触、韓嵩、虞翻
指名手配
-賈充、公孫度、呂拠、王修、董旻、許攸、孫仲、袁譚、淳于瓊、呂翔
新加入武将
-楽進、曹仁、陳羣、李典、郭馬
第9回
久しぶりにようやく時間がとれ、プレイ日記を書くことができたので、続きを書かせていただきました。
相変わらずな無駄な長文ですが、お付き合いいただければ幸いでございます。
北海の南西にて…
太史慈「はぁっ、行くぞ」
華雄「太史慈隊が突っ込んだ。今だ、右から仕掛けるぞ」
張繍「華雄が動いた、我が隊も行くぞ」
張遼「きたか、我が軍はこのまま迎え撃つぞ、戟を出せっ」
顔良「華ぁ雄ぅぅぅ、袁紹様の仇討ちだぁっ。騎馬隊いくぞぉっ」
文醜「顔良の隊に遅れるな、騎将文醜の力を見せてやる」
呂玲琦「ふふ、始まったな。張遼のとこに来た太史慈隊に横から当たるぞ、ついてこい」
孫礼「将軍、動きました」
張郃「よし、ここですね、騎馬隊突撃ぃー」
266年12月
北海領、臨済港のすぐ南。北海からの狭い道を抜けた先の、開けた原野。
董卓軍の精鋭と呂布軍との戦いが始まっていた。
呂布軍は下邳から北海を取り返した勢いのまま濮陽へやってきたため、それを迎撃することとなったのだ。
上記の董卓軍4部隊44000と呂布軍4部隊42000が正面からぶつかる。稀にみる全軍が兵科適性Sという戦いである。
まず華雄将軍必殺の猛者突撃を受けた顔良が負傷。張繍と文醜の騎将対決は文醜が押し気味だった。
太史慈は張遼の戟兵と、張郃は呂玲琦の騎兵と当たる。
華雄隊が顔良隊を壊滅させかけるが、ここで「今飛将」の呂布の弩兵隊が駆けつける。
乱射がかなり痛い。それまで押し気味だった兵力差があっという間に五分になってしまう。
このままではまずいので臨済港から賀斉隊6000と孫観隊6000を出して援護させ、南北で挟撃の形を作る。
これが効いたのか、呂布軍の各部隊は北側の賀斉、孫観に攻撃を仕掛ける。
そこで賀、孫の両将を臨済港を通って黄河まで下がらせると呂布軍は臨済港を陥落させてそのまま籠ってしまった。
それを見て、こちらも即座に濮陽へ撤退させる。ひとまずこれでこの戦いは終わった。
同じ頃、襄陽の北、漢水にて…
胡軫「いよいよ…だな」
樊稠「ですな」
胡軫「新野には60000の兵か…」
樊稠「そうですな」
胡軫「董旻殿を討つのか…」
樊稠「左様ですな」
胡軫「…………(わかってんのか、こいつ…)」
樊稠「久しぶりの出番ですな。裏切りの何たるかを分からせてやりませんとな」
胡軫「お、おう…」
樊稠「よーし、全軍攻撃開始だー、かかれー」
胡軫「お、おう………(樊稠ってこんな奴だったっけ…)」
同刻に襄陽の胡軫軍団によって裏切った公孫度や董旻の守る新野に攻撃が始まろうとしていた。
襄陽城の30000のうち胡軫、樊稠、留賛、朱異らが6000ずつを率いる。
江陵から臧覇の8000騎、さらに陳留から宛経由で賈詡+許褚の10000騎、江夏から杜預の5000騎。
各地から新野に兵が向けられた。徐栄は江陵で劉備軍に備える。
新野には公孫度、呂拠、王修、董旻、許攸、孫仲という叛将6名に加え、呂布軍から郭奕と陶濬がいた。
新野領の各地には軍楽台や太鼓台などの董卓軍の施設が建っていた。
襄陽からの胡軫軍は湖陽港に上陸すると北上し、新野の北の開発地を壊しに向かう。
哀れを極めたのは開発地の手前で、軍楽台を壊す作業をしていた孫仲と呂拠であった。
孫仲と呂拠の両隊はあっという間に押し包まれて撃破され、捕らえられて斬られた。
次いで、城の北側に出てきた公孫度隊を一斉で撃破して、捕獲即処断。郭奕隊は賈詡によって混乱。
新野から湖陽港方面に出てきた陶濬隊は臧覇隊と交戦。
王修は内政中であったが開発が中断されたので城の北側に出陣、交戦してきた。残るは許攸と董旻であった。
新野には兵は60000いたが、それを率いる将がいなかった。今考えればそう思うしかなかった。
董旻は城塔に立ち、外を見つめていた。
城の北から喊声が聞こえる。どうやら郭奕が討たれたようであった。
どうしてこうなったのか、結果は始めから分かっていたような気もする。
許攸に唆されたから謀反をしたのか、いや違う。
兄上の元であんなに働いていたではないか。それが何故このような閑地にいさせられるのか。
董卓軍攻城兵器部隊隊長、井闌の青嵐将軍董旻。そう呼ばれた頃もあったではないか。
何故、どうして。董旻は疑問の渦の中にあった。
「こんなところにいられるか、私はこんなところで終わる男ではないわ」
兵を率いて城門を飛び出しながら許攸は叫んだ。
許攸は同僚の王修の隊が壊滅するのを見て、新野を逃げ出すことに決めたのだ。
「敵の兵は城の南、江夏方面にはいない。江夏からなら寿春、廬江、柴桑まで逃げることができる。
「まったく碌な目に合わんわ」
袁紹軍に仕えていた許攸は、袁紹をあっという間に倒した董卓軍でなら出世できると見込んで仕えた。
しかし現実に配属されたのは新野という田舎で物資の生産と補給だけであった。
それにうんざりした許攸は呂布軍へ内応し、新野の城ごとの謀反を成功させた。
このあたりの手際には自負があり、このまま脱出して呂布軍本陣へ仕えようと気が急いていた。
「この隘路を抜ければ江夏か」
そう思った瞬間、辺りの木々ごと自軍が爆発した。許攸の体にも強烈な痛みがあった。
待ち伏せによる火罠であった。普段の許攸なら気付いたであろう罠。
「私はこんなところで終わる男で…」
碌に戦場に出たことのない許攸は混乱した自軍を収拾できないまま火炎の中に立ち尽くしていた。
南の城門から許攸が出撃したという報告があり、間もなくして兵から許攸が逃げたと報告があった。
董旻にはどちらでもよかった。これでこの城の将は自分ひとりである。
「まだだ、これからだ。おい、北門と西門に兵をあつめ…」
そう言った瞬間に西門の外から爆音が轟き、城塔が揺れた。董旻も柵にしがみついた。
同時に外から火計が行われ、火炎瓶が投げ込まれる。城内のあちこちで火炎が上がり始めた。
次いで伝令兵が駈けてくる。伝令の内容は聞かなくても分かった。
陶濬隊が跡形もなく消滅しているのが城塔からも見えたからだ。陶濬は何が起きたか分かる前に死んだだろう。
再び爆音がした。今度は城の南東の方角が燃えていた。
そしてまた爆音。また西門からで、今度も大きい衝撃があった。
「そうか、もう攻城兵器はいらない…のか…」
董旻は外からの爆音を聞きながら全てを理解した。開発された豪火球があれば衝車はいらないのだ。
そしてまた何故この地で仕事をさせられたのかも分かった。
兄、董卓は軍事ではなく内政を出来る人材に育てようとして、自分をこの城に置いたのだろう。
兄の意図に気付いたが、どうやらもう遅いようであった。
城塔を降りた董旻の目に胡軫の騎兵が城門から駈け入ってくるのが見える。
胡軫、共に駈けた仲間だ。今さらその胡軫軍の兵たちを殺す気は起きなかった。
自分めがけて兵たちが突き進んでくる。自分を討った兵は大手柄だろう。
もはや董旻にとっては剣を最期まで抜かないことだけが自分との勝負であった。
「兄上ぇぇぇぇっっ」
董旻の中に疑問の渦はなく、ただ叫びだけが火炎の渦の中に消えていった。
はい、というわけで無駄な長文を書きましたが、こんな感じで新野城は兵力を抱えたまま火球により落城。
焼死した陶濬を含め、敵将8人全員を捕獲し、処断した。これで裏切りよって中央にできた敵の拠点は潰すことができた。
この出陣の間に胡軫軍団の賈華、左奕、吾彦が呂布軍や劉備軍に寝返っていた。また、公安港を任せていた金禕も劉備軍に寝返っていた。
南蛮は雲南城にて…
郭汜「大変だー、大変なのだ、李儒殿」
李儒「なんだなんだ、どうしたのです(ちっ、軍師殿と呼べよバカが…)」
李傕「はははは!力が溢れてくるぞぉ、俺は凡将をやめるぞ!李儒ーッ!!」
李儒「李傕殿はどうしたんです、拾い食いでもしましたか」
郭汜「ち、違うんだ、散歩してたら古びたお堂を見つけて、開けたらボーンって」
李儒「なんですか、ボーンって。肉体言語ではなく分かるように説明してください」
郭汜「だから、お堂の中から出てきた爺さんが李傕に、何になりたいって聞くから…」
李儒「ふむ、それで?(まさか…伝説の…)」
郭汜「それで李傕は、呂布になりたいですって答えたんだ。それからこの有り様なんだ」
李傕「はははは!俺の剣を持てー!いくさだー!はっはー!」
李儒「ぐぬぬ…なんとうらやましい…、おそらく胡軫の奴もこれで力を得たのか…」
という感じで雲南で仙人様に会ったので、李傕に「飛将」をつけました。
ちょっと強すぎる能力でやりすぎた気もしますが、元が元なのでそこまでチートではないと思いますが・・・。
267年2月
南蛮侵攻中の李傕・郭汜の軍団は雲南を発ち、孟獲軍の本丸である建寧城に向かった。
建寧には38000の兵がいるが、こちらは遠征軍とはいえ45000の精兵と潤沢な兵糧があった。
そのうえこちらには「覇王」もちの孫休と新たに「飛将」をつけた李傕、いやスーパーネオ李傕がいる。
李傕、郭汜、李儒、牛輔、黄蓋、凌統らが部隊を率い、張梁が雲南に残り、攻略後の物資輸送をする。
こちらが雲南を出発してから少しして孟獲軍も雲南侵攻部隊を繰り出してきた。
両軍の衝突地点は、雲南からの来て毒泉を抜けたあたり、建寧南の渡しを渡った雲南領である。
このとき何故か主力といえる祝融隊と兀突骨隊の計10000は毒泉を迂回するルートで別の場所にいた。
なのでぶつかった相手は忙牙長隊と金環三結隊で、李傕隊と郭汜隊があっという間にこれを打ち破った。
ここで忙牙長、董荼那、高定の3人を処断。建寧領に入ったところで雍闓隊が出てくるも、撃破して胡班を処断。
最後に孟獲が剣兵で出てくるも一瞬で撃破され、副将の霍峻を処断した。
4月。牛輔隊の木獣の火力もあり、建寧を2ターンで落とした。
建寧城で捕らえたのは孟獲をはじめ、以下の武将たち。
-阿会喃、鄂煥、花鬘、朱褒、木鹿大王、孟優、雍闓、劉璋
彼らは皆相性的に登用できないので全員が処断された。
ここでなんと雲南の留守をしていた張梁が謀反し、独立したという報せが入った。
張梁は主力の一人であったが、城に残してきた温恢と張緝を巻き込んで独立したのだ。
人材面での問題もあるが、雲南に残してきた騎兵16000と兵糧300000が非常に痛い。
雲南から張梁隊と張緝隊が出てきたので、我が軍は反転して今来た道を戻って攻略に向かう。
黄蓋隊と凌統隊がぶつかり押し込んでいく。途中、張梁が「妖術」を使うも失敗。
追い付いたスーパーネオアルティメット李傕が「飛将」の力で張梁、張緝ともに撃破し、捕獲。
7月。両名を処断した。あとは温恢を残すのみで、特に抵抗もなく9月、豪火球で雲南を再度陥落させた。
温恢は貴重な高政治力の武将であるが、裏切った者は処断である。すぐさま建寧城に戻る。
この間に「火神」もちの郭馬が鄧艾軍に寝返っていた。
今回の犠牲者
-孫仲、呂拠、公孫度、郭奕、王修、許攸、陶濬(戦死)、董旻、忙牙長、董荼那、高定、胡班、霍峻、孟獲、阿会喃、鄂煥、花鬘、朱褒、木鹿大王、孟優、雍闓、劉璋、張梁、張緝、温恢
指名手配
-賈充、袁譚、淳于瓊、呂翔、賈華、左奕、吾彦、金禕、郭馬
新加入武将
-許褚
残っている敵城の数も少なくなってきたが、董卓軍の戦いはまだ終わらない。
新たに加わる者、敵軍へ去る者、そして死ぬ者の命運は止められない。
天下の趨勢は見えてきたものの、まだ何があるかわからない。
&bold(){魔王董卓の殺伐たる天下取り 第5部 カミングスーン!}
- まさか董旻がロイエンタールになるとは・・・ -- 名無しさん (2011-10-14 16:17:59)
- 許攸=ラング=グリルパルツアだな。許攸許すまじ。 -- 疾風狼 (2011-10-14 21:29:57)
- 最近の火球は城兵も減らせるのか…… -- 名無しさん (2011-10-17 20:22:30)
- ええ、耐久だけですよね?籐甲もちが主将の城に火神で放火したらどうなるんだろと思ってやってみたのですが意味不明なことになりました。南蛮攻め開始でセーブした -- 董卓の日記著者 (2011-10-17 22:23:38)
- ↑の続き。セーブしたきりだったのでロードで確認は出来なかったのですが、城兵耐久ともに吹き飛んだのは確かです。火種火球敷き詰めたことによる処理バグなのかな。 -- 董卓の日記著者 (2011-10-17 22:26:21)
- 新野の件非常に面白いですね。今後の紙芝居にも期待します。 -- 名無しさん (2012-03-20 21:26:04)
- ↑遅くなりましたが、コメントありがとうございます!今後も定期的(1か月くらい?)に書いていきたいと思うのでよろしくお願いいたします。 -- 董卓の日記著者 (2012-04-02 22:19:46)
- 董卓さんの紙芝居はうまいから、無駄なものじゃないですよね。今後も頑張ってください。 -- 名無しさん (2012-04-02 22:55:20)
- 最終的に何人残るんだろう。。。 -- 名無しさん (2012-04-07 16:06:53)
- 董荼那が董荼奈になっていますよ。 -- 名無しさん (2012-04-07 16:22:36)
- 細けえなぁ空気読めよガキ -- 名無しさん (2012-04-07 16:27:49)
- 私はあまり配下に独立されることはありませんが、やっぱり君主の魅力低いと独立されやすいんですかね?それとも褒美縛りとかしてるのかな? -- 名無しさん (2012-04-13 00:54:13)
- 作者様が、「褒賞コマンドは半年に1回で・・・とあるので褒美縛りしているので、人心掌握を開発していなければそれなりに下がっていると思われますが。 -- 名無しさん (2012-04-13 14:28:16)
- 皆様、コメントいただき有難うございます!誤字の報告ありがとうございます、直しておきます。褒賞は半年に1度で、人心掌握はまだ開発できておりません。 -- 董卓の日記著者 (2012-05-01 23:32:18)
- 毎度だらだらと長くなってしまい申し訳ありません。一応、また新しいページを作らせていただいて続きを書かせてもらいたく思います。よろしくお願いします。 -- 董卓の日記著者 (2012-05-01 23:36:30)
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<ここまでのまとめ>
梟雄董卓に率いられた騎馬軍を用いて、何人の武将を殺せるのかをテーマにプレイ日記を書いています。
251年からここまで15年の間に殺した武将は226人です。
≪犠牲者リスト≫(各回ごと、すべて処断or戦死した順)
-廬植、王匡、馬休、馬岱、馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横
-朱儁、皇甫嵩(戦死)、成宜、楊秋、李堪、王伉(戦死)、張嶷、楊柏(戦死)、馬玩、羅憲、程銀、侯選、秦宓、呂凱、楊任、楊松、陳寿
-陶謙、廖立、董承、何進、呉巨、張松、郭攸之、劉諶、劉岱、王渾、向寵、荀顗、荀勗、王業、藩濬、閻行、馮習、李氏、司馬昭、司馬伷、孔伷、樊建、傅士仁、濮陽興、毌丘甸、楊肇、馬謖、司馬師(戦死)、申儀
-王允、陳到(戦死)、毌丘倹(戦死)、袁遺、顧譚、何晏、司馬攸、司馬炎、楊済、程昱、夏侯威、典韋、司馬懿、司馬孚、司馬朗、司馬望、周旨、羊祜、張春華、王淩、辛毘、呂虔、高堂隆、王祥、王惇、何植、劉辟、王韜、丁儀
-関彝、夏侯淵、夏侯恩、曹洪、夏侯和、夏侯恵、傅巽、橋瑁、陳珪、鮑三娘、徐庶、雷銅、呉蘭、劉封、劉琦、鄧芝、陳震、★馬邈(戦死)、曹昂、曹丕、曹植、夏侯徳、万彧、陳登、董厥、呉班、黄忠、黄月英、蒯良、許靖、黄祖、劉琮、趙累、趙範、黄皓、孫皓、曹純、曹爽、裴秀、高幹、劉璿、張紹、沮鵠、呂曠、袁紹、袁熙、袁尚、劉氏、沮授、審配、麹義、辛評、高柔、呂威曠、眭元進、張邈、藩鳳、穆順、曹豹、鄒靖、王桃
-龔都(戦死)、傅彤、韓莒子、荀諶、魏攸、諸葛瞻、董允、譙周、向朗、趙広、郤正、華覈、歩協、滕胤、徐晃、曹髦、曹訓、傅僉、関靖、公孫続、公孫範、辛憲英、孟宗、劉巴、梁緒、公孫瓚、王平、張翼、孫乾、沙摩柯、諸葛喬、丁原(戦死)、厳綱、劉和、王門、鄒丹、張南、田疇、単経、張華(戦死)、田予、李厳、田楷、公孫越、蒋義渠、州泰、田豊、季雍、楊奉
-馬忠、孫朗、孫匡、樊氏、馬遵、卞喜(戦死)、楊修(戦死)、曹宇、宋謙、逢紀、陸績、夏侯尚、卑衍、婁圭、王濬、呉懿、韓当、祖茂、王粲、賈逵、施朔(戦死)、裴元紹、関寧、蒯越、麋竺、毌丘秀、帯来洞主
全武将の3分の1を殺したことになります。みなさんのお好きな武将、お気に入りの武将が入っているかと思います。ごめんなさい。これからより増えていくと思いますが、ご了承くださり、お付き合い頂ければうれしいです。
≪董卓軍武将リスト≫
-董卓、李儒、李傕、郭汜、華雄、徐栄、樊稠、胡軫(疾走)、牛輔(疾走)、李粛(明鏡)、董白、成公英、陸凱(指導)、楼玄、張球、張承/胡遵、閻圃、張衛(掃討)、張魯、徐質(猛者)、費耀(猛者)、楊昂(猛者)/胡車児、李通、于禁、邵悌(威圧)、張繍、賈詡(深謀)、鄒氏、張済(連戦)/桓範、蘇飛、国淵、韓忠(運搬)、歩隲、諸葛誕、蔡琰、臧覇、左奕、崔林、董昭、夏侯玄、太史慈、太史享(連戦)、温恢(指導) /張梁、杜預、楊阜(指導)、鄧茂(運搬)、韓徳、張闓、朱異、謝旌、留賛、張休(覇王)、鍾毓、張緝、張悌、王異(指導)、凌統、劉度、賈華、吾彦、陳矯、楊祚、厳畯、蒋欽、文虎、賈範(火神)、牛金、孫魯班、周泰、何儀(運搬)、程遠志、高昇(運搬)、張曼成、公孫恭、孫観、陳蹇、孫礼/賀斉、張郃、王双、魯粛、黄蓋、鮑隆、管亥、
#ref(http://www4.atwiki.jp/sangokushi11?cmd=upload&act=open&pageid=2500&file=sangokushi114.png)黒:董卓、灰:呂布、白:王朗、緑:劉備、赤:鄧艾、紫:孟獲、黄:鍾会、桃:袁術
*第4部 「面従腹背」
第8回
毎度ながら長くだらだらと書いてしまって読みづらい文章と思います、本当に申し訳ないです。
今回で第8回となりましたが、まだもう少し我が軍の戦いは続きそうです。
お付き合いいただければ幸いでございます。
北海城にて・・・
トタトタトタ…
賈詡「太師、大変でございます、太師。謀反寝返りの報せでございます。」
董卓「なにぃ!?なぁんだとぉ?」
華張太「なんと・・・ザワザワ」
董卓「ううむ…、してどこの誰じゃ謀反人は」
賈詡「新野太守の公孫度です。そして申し上げにくいのですが、太師の弟御の董旻様も・・・」
董卓「な、なんだと・・・弟が?馬鹿な」
華張太「ザワザワ・・・」
賈詡「そして問題なのが新野には兵力が60000いることです」
董卓「すぐに徐栄ら周囲の太守に連絡して、討伐させるのじゃ」
賈詡「ははっ、ではそのように。我らはいかがなされますか」
董卓「うむ、我ら本隊はここから濮陽を衝き、他の太守に睨みを利かせねばなるまい」
一同「ははーっ」
というわけで段々と殺伐というか泥沼な展開になってまいりました。
我ら董卓軍は当初の計画から大きく変更をすることになり、やや戦力分散気味です。
とりあえずは各部隊が目の前の敵軍と戦うことになります。そのため話があっちこっちに飛びますのでお許しください。
我が軍の兵力は『北海:70000』、『鄴:10000』、『陳留:25000』、『襄陽:30000』、『江陵:50000』、『漢中:30000』『陸口港:30000』、『河北以外の各都市:5000(河北は鄴以外0)』。これに遠征中の李傕ら45000で全てです。
忠臣たちの成長についてですが、廟と遺跡によって李傕の騎馬適性がSに、牛輔に特技『疾走』がつきました。能力も統率と武力は各々1くらいずつは上がっている感じです。
266年5月
文官系の高い官職に董旻をつけていたのだが、太守は武官系の官職が優遇されるらしく、董旻よりも2つくらい低い武官職の公孫度が新野の太守になってしまう。
あらどうしよう、と思っていたら公孫度は新野に着いた途端に呂布軍へ寝返ってしまったのだ。
あまりのタイミングの悪さに慌てるプレイヤーが新野の情報をチェックすると、兵は60000の金と兵糧も潤沢、そして新野所属の武将6人全員が寝返っていた。(笑)
登用して派遣したばかりの公孫度と呂拠、ちょっと前に登用した王修、そして元からいた董旻、許攸、孫仲。
特に董旻の造反はあの名将馬邈が死んだとき以来の衝撃であった・・・。
さて、自領のど真ん中に敵の大拠点が出来てしまった。
兵力も60000いるが、幸いなことに鍛冶や農場などを建てなかった都市なので敵の侵攻にはまだ時間がある。
徐栄と胡軫を上庸で戦闘態勢をとらせるものの、宛や許昌、汝南などは兵力5000ほどである。
どうなるどうなる?、と皆様に思っていただいたところで先に少し北の董卓本隊の動向を。
下邳で負けた本隊は徐州攻略をやめて、北海に賀斉他数名を残し、残りで濮陽へ攻めることにした。
同時に陳留の于禁らも出陣させる。こちらが濮陽攻略の本命である。
陳留では先の曹操軍滅亡をうけ、流浪の武将たちの登用に成功していた。
まず楽進、そして曹仁、陳羣、李典、さらに旧袁紹軍の袁譚、淳于瓊、呂翔といった顔ぶれである。
なかなかの良将たちなので、魏の4名は濮陽戦線に投入し、旧袁紹軍の3人は漢中へ派遣した。
さて、その漢中は太守の閻圃の下に30000近い兵がいた。これは成都攻めの兵である。
張曼成+袁譚8000、管亥+淳于瓊8000、閻圃+呂翔8000でまず梓潼へ向かう。
梓潼の鍾会軍は未だに涪水関を鄧艾軍と取り合っていて、15年間何やってるんだという感じである。
鍾会軍には厳顔と張任という2将がいたが、既に張任は捕らえられて鄧艾軍へ降っていた。
6月。その張任が守る涪水関へ鍾会軍の厳顔隊8000と我が軍3部隊が攻めかける。
もちろん涪水関は陥落し、厳顔隊はそのまま綿竹関へ向かう。すると成都城から部隊が続々と出てくる。
我が軍は成都の東、徳陽方面の一本道の隘路から攻めるべく迂回して進軍する奇襲策にでた。
だが隘路までくると、
張曼成「はっはー、このまま一気に本城を衝くぜー」
管亥「おう。・・・ん、待て、あれは・・・」
鄧艾「奇襲か?む、無駄な策だったな・・・それ今だ!」
張曼成「なぜこちらに敵軍が。まずい、岩だ!」
管亥「なんだ?部隊が身動きがとれんぞ!後退だ、後退しろ!」
厳顔隊が鄧艾軍にボコボコにされてすぐにやられてしまったので、敵はこちら側にも迎撃にきたのだ。
郝昭や鄧忠ら精鋭とぶつかる我が軍は、戦闘直前に袁譚、淳于瓊、呂翔ら3人が鄧艾軍へ寝返ってしまう。
副将がいなくなってしまった張曼成隊と管亥隊は攪乱をうけ、大損害、ほぼ壊滅。
仕方ないので、閻圃が火で殿軍をして撤退。24000の兵が半分ほどになってしまっていた。またも我が軍の敗戦であった。
266年6月
北海の本隊が濮陽の東、施設のたつ東平のあたりで濮陽からの迎撃軍とぶつかる。
-先鋒 張繍+徐質(猛者)+鄒氏12000、華雄+李粛(明鏡)+文虎 13000、張燕+楊阜(指導)+賈範(火神)11000
-本隊 董卓+張球+楊祚(築城)13000、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)11000、張郃+孫礼+牛金10000
-兵器 張済+歩隲10000 輸送隊 何儀(運搬)1000
敵軍は30000ほどで陳宮、高覧、張宝などが率いている。
陳留の部隊が南から攻めかかる。敵の主力部隊を引き付けておいたので濮陽城の兵力は僅か6000ほど。
7月、楽進らが攻撃を開始。本隊も火を使い直接的とぶつからずに時間を稼ぐ。
8月、李典隊が濮陽城を落とす。留守の大将の蒋済を斬った。
本隊はここで方向転換して小沛の北の浅瀬を渡り、小沛城へ攻めかかる。
追ってくる敵部隊を火で足止めすると、敵の迎撃部隊は頓丘港へ撤退していった。
小沛城は曹仁と于禁が西側に敵軍の高順らを釣り出していたので留守兵力10000ほど。
この城は耐久が低いので火球と火計で削って、11月落城させる。
留守の大将の焦触と韓嵩を斬った。また城外でも曹仁隊が高順隊を破り、副将虞翻を討ち取っていた。
同じ頃、北海城は危機に晒されていた。
下邳の呂布軍が攻めてきたのだ。敵将はもちろん呂玲琦を筆頭に、曹彰に朱桓、侯成の4部隊30000。
こちらの留守の大将は賀斉以下、高昇、程遠志、楼玄という4名で、兵力は12000。
勝ち目は薄いが簡単に退くわけにはいかないので、「運搬」もち高昇の輸送隊1000を臨済港まで非難させる。
城に1500を残して、残りの3人で足止めの迎撃に出る。
が、しかしあっさりとやられる。賀斉と程遠志隊は全滅し、楼玄隊はほうほうの体で平原まで戻った。
またも敗戦である。これで敵は下邳に高順と張角、北海に呂玲琦という形になった。
さらに同じ頃、南蛮遠征中の李傕、郭汜ら55000騎は忙牙長の迎撃隊8000を蹴散らし、雲南を攻めていた。
雲南の太守は最硬の男、兀突骨である。城には16000の兵がいる。
ここでプレイヤーは雲南の周りに豪火球と火種を設置しまくって、城の北と東を囲ってみることにした。
さて、ここに長沙攻めの後に登用してすっかり忘れていた郭馬という「火神」もちの武将がいる。
こいつで火球に火をつける。すると凄まじい爆音と共に信じられない数値が雲南城に表示された。
兵士-4000、耐久-600という数字である。これが数回続けて表示されたのだ。
プレイヤーは目を疑ったが、さっき16000いた雲南の兵が何度見ても0になっている。
最後に牛輔が騎射で一撃を加えて、雲南城制圧。武将は逃がしてしまった。
こうして無事に雲南城をとったのであった。
今回の犠牲者
-蒋済、焦触、韓嵩、虞翻
指名手配
-賈充、公孫度、呂拠、王修、董旻、許攸、孫仲、袁譚、淳于瓊、呂翔
新加入武将
-楽進、曹仁、陳羣、李典、郭馬
第9回
久しぶりにようやく時間がとれ、プレイ日記を書くことができたので、続きを書かせていただきました。
相変わらずな無駄な長文ですが、お付き合いいただければ幸いでございます。
北海の南西にて…
太史慈「はぁっ、行くぞ」
華雄「太史慈隊が突っ込んだ。今だ、右から仕掛けるぞ」
張繍「華雄が動いた、我が隊も行くぞ」
張遼「きたか、我が軍はこのまま迎え撃つぞ、戟を出せっ」
顔良「華ぁ雄ぅぅぅ、袁紹様の仇討ちだぁっ。騎馬隊いくぞぉっ」
文醜「顔良の隊に遅れるな、騎将文醜の力を見せてやる」
呂玲琦「ふふ、始まったな。張遼のとこに来た太史慈隊に横から当たるぞ、ついてこい」
孫礼「将軍、動きました」
張郃「よし、ここですね、騎馬隊突撃ぃー」
266年12月
北海領、臨済港のすぐ南。北海からの狭い道を抜けた先の、開けた原野。
董卓軍の精鋭と呂布軍との戦いが始まっていた。
呂布軍は下邳から北海を取り返した勢いのまま濮陽へやってきたため、それを迎撃することとなったのだ。
上記の董卓軍4部隊44000と呂布軍4部隊42000が正面からぶつかる。稀にみる全軍が兵科適性Sという戦いである。
まず華雄将軍必殺の猛者突撃を受けた顔良が負傷。張繍と文醜の騎将対決は文醜が押し気味だった。
太史慈は張遼の戟兵と、張郃は呂玲琦の騎兵と当たる。
華雄隊が顔良隊を壊滅させかけるが、ここで「今飛将」の呂布の弩兵隊が駆けつける。
乱射がかなり痛い。それまで押し気味だった兵力差があっという間に五分になってしまう。
このままではまずいので臨済港から賀斉隊6000と孫観隊6000を出して援護させ、南北で挟撃の形を作る。
これが効いたのか、呂布軍の各部隊は北側の賀斉、孫観に攻撃を仕掛ける。
そこで賀、孫の両将を臨済港を通って黄河まで下がらせると呂布軍は臨済港を陥落させてそのまま籠ってしまった。
それを見て、こちらも即座に濮陽へ撤退させる。ひとまずこれでこの戦いは終わった。
同じ頃、襄陽の北、漢水にて…
胡軫「いよいよ…だな」
樊稠「ですな」
胡軫「新野には60000の兵か…」
樊稠「そうですな」
胡軫「董旻殿を討つのか…」
樊稠「左様ですな」
胡軫「…………(わかってんのか、こいつ…)」
樊稠「久しぶりの出番ですな。裏切りの何たるかを分からせてやりませんとな」
胡軫「お、おう…」
樊稠「よーし、全軍攻撃開始だー、かかれー」
胡軫「お、おう………(樊稠ってこんな奴だったっけ…)」
同刻に襄陽の胡軫軍団によって裏切った公孫度や董旻の守る新野に攻撃が始まろうとしていた。
襄陽城の30000のうち胡軫、樊稠、留賛、朱異らが6000ずつを率いる。
江陵から臧覇の8000騎、さらに陳留から宛経由で賈詡+許褚の10000騎、江夏から杜預の5000騎。
各地から新野に兵が向けられた。徐栄は江陵で劉備軍に備える。
新野には公孫度、呂拠、王修、董旻、許攸、孫仲という叛将6名に加え、呂布軍から郭奕と陶濬がいた。
新野領の各地には軍楽台や太鼓台などの董卓軍の施設が建っていた。
襄陽からの胡軫軍は湖陽港に上陸すると北上し、新野の北の開発地を壊しに向かう。
哀れを極めたのは開発地の手前で、軍楽台を壊す作業をしていた孫仲と呂拠であった。
孫仲と呂拠の両隊はあっという間に押し包まれて撃破され、捕らえられて斬られた。
次いで、城の北側に出てきた公孫度隊を一斉で撃破して、捕獲即処断。郭奕隊は賈詡によって混乱。
新野から湖陽港方面に出てきた陶濬隊は臧覇隊と交戦。
王修は内政中であったが開発が中断されたので城の北側に出陣、交戦してきた。残るは許攸と董旻であった。
新野には兵は60000いたが、それを率いる将がいなかった。今考えればそう思うしかなかった。
董旻は城塔に立ち、外を見つめていた。
城の北から喊声が聞こえる。どうやら郭奕が討たれたようであった。
どうしてこうなったのか、結果は始めから分かっていたような気もする。
許攸に唆されたから謀反をしたのか、いや違う。
兄上の元であんなに働いていたではないか。それが何故このような閑地にいさせられるのか。
董卓軍攻城兵器部隊隊長、井闌の青嵐将軍董旻。そう呼ばれた頃もあったではないか。
何故、どうして。董旻は疑問の渦の中にあった。
「こんなところにいられるか、私はこんなところで終わる男ではないわ」
兵を率いて城門を飛び出しながら許攸は叫んだ。
許攸は同僚の王修の隊が壊滅するのを見て、新野を逃げ出すことに決めたのだ。
「敵の兵は城の南、江夏方面にはいない。江夏からなら寿春、廬江、柴桑まで逃げることができる。
「まったく碌な目に合わんわ」
袁紹軍に仕えていた許攸は、袁紹をあっという間に倒した董卓軍でなら出世できると見込んで仕えた。
しかし現実に配属されたのは新野という田舎で物資の生産と補給だけであった。
それにうんざりした許攸は呂布軍へ内応し、新野の城ごとの謀反を成功させた。
このあたりの手際には自負があり、このまま脱出して呂布軍本陣へ仕えようと気が急いていた。
「この隘路を抜ければ江夏か」
そう思った瞬間、辺りの木々ごと自軍が爆発した。許攸の体にも強烈な痛みがあった。
待ち伏せによる火罠であった。普段の許攸なら気付いたであろう罠。
「私はこんなところで終わる男で…」
碌に戦場に出たことのない許攸は混乱した自軍を収拾できないまま火炎の中に立ち尽くしていた。
南の城門から許攸が出撃したという報告があり、間もなくして兵から許攸が逃げたと報告があった。
董旻にはどちらでもよかった。これでこの城の将は自分ひとりである。
「まだだ、これからだ。おい、北門と西門に兵をあつめ…」
そう言った瞬間に西門の外から爆音が轟き、城塔が揺れた。董旻も柵にしがみついた。
同時に外から火計が行われ、火炎瓶が投げ込まれる。城内のあちこちで火炎が上がり始めた。
次いで伝令兵が駈けてくる。伝令の内容は聞かなくても分かった。
陶濬隊が跡形もなく消滅しているのが城塔からも見えたからだ。陶濬は何が起きたか分かる前に死んだだろう。
再び爆音がした。今度は城の南東の方角が燃えていた。
そしてまた爆音。また西門からで、今度も大きい衝撃があった。
「そうか、もう攻城兵器はいらない…のか…」
董旻は外からの爆音を聞きながら全てを理解した。開発された豪火球があれば衝車はいらないのだ。
そしてまた何故この地で仕事をさせられたのかも分かった。
兄、董卓は軍事ではなく内政を出来る人材に育てようとして、自分をこの城に置いたのだろう。
兄の意図に気付いたが、どうやらもう遅いようであった。
城塔を降りた董旻の目に胡軫の騎兵が城門から駈け入ってくるのが見える。
胡軫、共に駈けた仲間だ。今さらその胡軫軍の兵たちを殺す気は起きなかった。
自分めがけて兵たちが突き進んでくる。自分を討った兵は大手柄だろう。
もはや董旻にとっては剣を最期まで抜かないことだけが自分との勝負であった。
「兄上ぇぇぇぇっっ」
董旻の中に疑問の渦はなく、ただ叫びだけが火炎の渦の中に消えていった。
はい、というわけで無駄な長文を書きましたが、こんな感じで新野城は兵力を抱えたまま火球により落城。
焼死した陶濬を含め、敵将8人全員を捕獲し、処断した。これで裏切りよって中央にできた敵の拠点は潰すことができた。
この出陣の間に胡軫軍団の賈華、左奕、吾彦が呂布軍や劉備軍に寝返っていた。また、公安港を任せていた金禕も劉備軍に寝返っていた。
南蛮は雲南城にて…
郭汜「大変だー、大変なのだ、李儒殿」
李儒「なんだなんだ、どうしたのです(ちっ、軍師殿と呼べよバカが…)」
李傕「はははは!力が溢れてくるぞぉ、俺は凡将をやめるぞ!李儒ーッ!!」
李儒「李傕殿はどうしたんです、拾い食いでもしましたか」
郭汜「ち、違うんだ、散歩してたら古びたお堂を見つけて、開けたらボーンって」
李儒「なんですか、ボーンって。肉体言語ではなく分かるように説明してください」
郭汜「だから、お堂の中から出てきた爺さんが李傕に、何になりたいって聞くから…」
李儒「ふむ、それで?(まさか…伝説の…)」
郭汜「それで李傕は、呂布になりたいですって答えたんだ。それからこの有り様なんだ」
李傕「はははは!俺の剣を持てー!いくさだー!はっはー!」
李儒「ぐぬぬ…なんとうらやましい…、おそらく胡軫の奴もこれで力を得たのか…」
という感じで雲南で仙人様に会ったので、李傕に「飛将」をつけました。
ちょっと強すぎる能力でやりすぎた気もしますが、元が元なのでそこまでチートではないと思いますが・・・。
267年2月
南蛮侵攻中の李傕・郭汜の軍団は雲南を発ち、孟獲軍の本丸である建寧城に向かった。
建寧には38000の兵がいるが、こちらは遠征軍とはいえ45000の精兵と潤沢な兵糧があった。
そのうえこちらには「覇王」もちの孫休と新たに「飛将」をつけた李傕、いやスーパーネオ李傕がいる。
李傕、郭汜、李儒、牛輔、黄蓋、凌統らが部隊を率い、張梁が雲南に残り、攻略後の物資輸送をする。
こちらが雲南を出発してから少しして孟獲軍も雲南侵攻部隊を繰り出してきた。
両軍の衝突地点は、雲南からの来て毒泉を抜けたあたり、建寧南の渡しを渡った雲南領である。
このとき何故か主力といえる祝融隊と兀突骨隊の計10000は毒泉を迂回するルートで別の場所にいた。
なのでぶつかった相手は忙牙長隊と金環三結隊で、李傕隊と郭汜隊があっという間にこれを打ち破った。
ここで忙牙長、董荼那、高定の3人を処断。建寧領に入ったところで雍闓隊が出てくるも、撃破して胡班を処断。
最後に孟獲が剣兵で出てくるも一瞬で撃破され、副将の霍峻を処断した。
4月。牛輔隊の木獣の火力もあり、建寧を2ターンで落とした。
建寧城で捕らえたのは孟獲をはじめ、以下の武将たち。
-阿会喃、鄂煥、花鬘、朱褒、木鹿大王、孟優、雍闓、劉璋
彼らは皆相性的に登用できないので全員が処断された。
ここでなんと雲南の留守をしていた張梁が謀反し、独立したという報せが入った。
張梁は主力の一人であったが、城に残してきた温恢と張緝を巻き込んで独立したのだ。
人材面での問題もあるが、雲南に残してきた騎兵16000と兵糧300000が非常に痛い。
雲南から張梁隊と張緝隊が出てきたので、我が軍は反転して今来た道を戻って攻略に向かう。
黄蓋隊と凌統隊がぶつかり押し込んでいく。途中、張梁が「妖術」を使うも失敗。
追い付いたスーパーネオアルティメット李傕が「飛将」の力で張梁、張緝ともに撃破し、捕獲。
7月。両名を処断した。あとは温恢を残すのみで、特に抵抗もなく9月、豪火球で雲南を再度陥落させた。
温恢は貴重な高政治力の武将であるが、裏切った者は処断である。すぐさま建寧城に戻る。
この間に「火神」もちの郭馬が鄧艾軍に寝返っていた。
今回の犠牲者
-孫仲、呂拠、公孫度、郭奕、王修、許攸、陶濬(戦死)、董旻、忙牙長、董荼那、高定、胡班、霍峻、孟獲、阿会喃、鄂煥、花鬘、朱褒、木鹿大王、孟優、雍闓、劉璋、張梁、張緝、温恢
指名手配
-賈充、袁譚、淳于瓊、呂翔、賈華、左奕、吾彦、金禕、郭馬
新加入武将
-許褚
残っている敵城の数も少なくなってきたが、董卓軍の戦いはまだ終わらない。
新たに加わる者、敵軍へ去る者、そして死ぬ者の命運は止められない。
天下の趨勢は見えてきたものの、まだ何があるかわからない。
[[魔王董卓の殺伐たる天下取り 第5部]]
- まさか董旻がロイエンタールになるとは・・・ -- 名無しさん (2011-10-14 16:17:59)
- 許攸=ラング=グリルパルツアだな。許攸許すまじ。 -- 疾風狼 (2011-10-14 21:29:57)
- 最近の火球は城兵も減らせるのか…… -- 名無しさん (2011-10-17 20:22:30)
- ええ、耐久だけですよね?籐甲もちが主将の城に火神で放火したらどうなるんだろと思ってやってみたのですが意味不明なことになりました。南蛮攻め開始でセーブした -- 董卓の日記著者 (2011-10-17 22:23:38)
- ↑の続き。セーブしたきりだったのでロードで確認は出来なかったのですが、城兵耐久ともに吹き飛んだのは確かです。火種火球敷き詰めたことによる処理バグなのかな。 -- 董卓の日記著者 (2011-10-17 22:26:21)
- 新野の件非常に面白いですね。今後の紙芝居にも期待します。 -- 名無しさん (2012-03-20 21:26:04)
- ↑遅くなりましたが、コメントありがとうございます!今後も定期的(1か月くらい?)に書いていきたいと思うのでよろしくお願いいたします。 -- 董卓の日記著者 (2012-04-02 22:19:46)
- 董卓さんの紙芝居はうまいから、無駄なものじゃないですよね。今後も頑張ってください。 -- 名無しさん (2012-04-02 22:55:20)
- 最終的に何人残るんだろう。。。 -- 名無しさん (2012-04-07 16:06:53)
- 董荼那が董荼奈になっていますよ。 -- 名無しさん (2012-04-07 16:22:36)
- 細けえなぁ空気読めよガキ -- 名無しさん (2012-04-07 16:27:49)
- 私はあまり配下に独立されることはありませんが、やっぱり君主の魅力低いと独立されやすいんですかね?それとも褒美縛りとかしてるのかな? -- 名無しさん (2012-04-13 00:54:13)
- 作者様が、「褒賞コマンドは半年に1回で・・・とあるので褒美縛りしているので、人心掌握を開発していなければそれなりに下がっていると思われますが。 -- 名無しさん (2012-04-13 14:28:16)
- 皆様、コメントいただき有難うございます!誤字の報告ありがとうございます、直しておきます。褒賞は半年に1度で、人心掌握はまだ開発できておりません。 -- 董卓の日記著者 (2012-05-01 23:32:18)
- 毎度だらだらと長くなってしまい申し訳ありません。一応、また新しいページを作らせていただいて続きを書かせてもらいたく思います。よろしくお願いします。 -- 董卓の日記著者 (2012-05-01 23:36:30)
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