賈逵[梁道]
174~228 最高官位:建威将軍、豫州刺史 『三国志』立伝
- 子供の頃から部隊の編成をして遊んでいた。祖父の賈習はそれを特別視して、数万字に及ぶ兵法を伝授した 「統」
- 郭援の攻撃を受けたが城を固守した。匈奴からも攻撃を受け落城しそうになると、県の長老たちが賈逵を殺害しないとの約束を取りつけた
- 郭援に捕えられると、郡に人をやって皮氏を占拠するよう促す一方、郭援の謀士の祝奥を迷わせて進軍を引き止めた 「知」
- 孫資に「文武を兼ね備えた有用な人間」と推薦された (政)
- 張エンが高幹の反乱に呼応すると、彼のために策略を立てて信用を得た。兵が与えられると、城壁を修理して抵抗した 「統・武・知」
- 不遜な言葉を吐いた屯田都尉を逮捕し、脚を叩き折った。そのために免職となったが、曹操はそれを良しとして丞相主簿に取り立てた
- 囚人数十人が護送されるのを見ると、軍事状勢の厳しさゆえ、重罪の者一人を除いて全員を釈放した 「政?」
- 夏侯尚と共に軍事上の計略を司った 「知」
- 曹操の葬儀を取り仕切った。曹彰に魏王の璽綬のありかを尋ねられると「君侯の質問すべきことではありません」とこれを退けた 「政」
- 曹操は呉の征討を図ったが、大層な長雨で軍中には行くことを希望しない者が多かったため、これを諌めた 「知」
- 経典の根本精神を掴み、その内の最も用いるべき点を摂取した 「政」
- 曹操の死を伏せることに反対した。それが発表され、青州兵が布令に反して引き上げると彼らを労わるよう主張し、通り道で官米を支給した 「政」
- 黎陽の津を渡る際、兵が列を乱すと彼らを斬り捨てて列を整えた 「統」
- 「高官が法律をないがしろにし、盗賊が公然と横行しているが州はそれを鎮圧していない」と訴えた 「政」
- 州の官吏の内、阿諛追従して法律に背く者を調べ上げ、全て挙げ立てて免職するよう上申した 「政」
- 敵情視察をし、武器を修理し、攻撃守備両面の備えをして呉の侵攻を防いだ 「統」
- 外は軍隊を整え、内は民政に務め、川を遮って新しい堤を作った。山を断ち切って谷川の水を貯め、二百余里に渡って運河を通した 「統・政」
- 他の将軍たちと共に、洞浦で呂範を破った 「統・武」
- 長江まで直通の道を作り、駐屯地を潦口に移し、孫権のいる東関を攻め取る計略を上申した 「知」
- 石亭の戦いで、曹休の敗北を予測した 「知」
- 曹休が敗れると急いで進軍し、旗指物と陣太鼓を多く設けて見せかけの兵とした。呉軍は賈逵の軍を見ると退却した 「統・知」
- 曹休は賈逵の進軍が遅かったことを恨み罪に陥れようとしたが、賈逵は沈黙を守った。人々は賈逵が立派だと評価した (政)
- 孫資を「群を抜いた才能を抱いている」と評価し、出仕するよう勧めた 「政」 [劉放伝]
華歆[子魚]
157~231 最高官位:太尉 『三国志』立伝
- 議論は公平さを保ち、絶対に他人を傷つけなかった 「政」
- 王芬の霊帝廃位の計画が失敗すると予測し、陶丘洪を引き止めた 「知」
- 豫章太守に就任すると、行政はすっきり落ち着いており煩雑でなかったことから、官民に敬愛された 「政」
- 曹操に招聘されると、孫権に、自分を行かせてよしみを交わすよう進言した 「政?」
- 孫権のもとを去る時、贈られた餞別の全てを返金した。人々は彼の徳義に感服した 「政」
- 若い頃、品行高く有名だった 「政」
- 動乱を避けるための同志との旅行中、新たに一人で旅をしている男を仲間に加えることに反対したが、その男が井戸に落ちると見捨てず助けた。人々は彼の道義心に感服した 「政」
- 孫策は華歆に「太守殿の年齢、徳義、名声、人望には遠近の者が心を寄せています」と述べ、長者として礼遇した 「政」
- 孫策が豫章に進軍してきても慌てず、出迎えることも避けることもなく、彼が会見に訪れるのを待った 「知?」
- 江南に避難してきた士大夫は皆彼の下風に立ち、遥かに仰ぎ慕った 「政」
- 平素から清貧に甘んじ、俸禄と下賜品は親戚知人に振る舞い、家には僅かの貯えもなかった 「政」
- 孝廉から経典の試験を廃そうとした発議に反対した 「政」
- 曹丕が禅譲を受ける際の儀式を補佐し、天命を受ける儀礼を整えた 「政」
- 緻密な性格で慎重に行動し、道理に合致したそれとない諌言を重んじたが、発言を表沙汰にしなかった 「政」
- 陳羣に「成功していながら驕らず、潔癖でありながら偏狂にならない」と評された (政)
- 管寧を推挙した 「政」
- 曹真の蜀討伐を諫めた 「知」
- 鄭小同を「若い頃から優れた資質を持ち、学問は六経全てに渡り、品行は郷里に聞こえております」と推挙した 「政」 [高貴郷公紀]
- 陳登に「淵の如く清く玉の如く清らか、礼に適い法がある」と評された (政) [陳矯伝]
- 巡察の最中、沈友を見て非凡な人物と見抜き、共に話すことを呼びかけた。しかし沈友に「礼の手続きを無視すること」と拒まれ、華歆はさらに沈友を評価した 「政」 [呉主伝]
- 太史慈に「将来への見通しを持って行動するような才能はなく、特別な計略もない。反抗する宗教集団にも対応できていない」と評された (-知・-政) [太史慈伝]
賈詡[文和]
147~223 最高官位:太尉 『三国志』立伝
- 閻忠に「張良や陳平のような奇略がある」と評された (知)
- テイ族に捕らわれた際、段ケイの子孫と称して解放された 「知」
- 董卓が殺された後、逃げようとしていた李傕らに、長安を攻撃するよう進言した 「知」
- 官吏の選抜登用を司り、政治を矯正した 「政」
- 李傕が召し寄せた羌族を歓待して引き上げさせた 「知」
- 趙温らを殺害しようとした李傕を諌めた 「政」
- 曹操を追撃しようとした張繍を諌めたが、張繍は従わず曹操に敗れた。その後で追撃を勧め張繍がこれに従うと、勝利を収めた 「知」
- 張繍に、袁紹ではなく曹操に従うよう進言した 「知」
- 官渡の戦いの際、「機を逃さず決断を下せば、袁紹をたちどころに片付けることができる」と述べた 「知」
- 曹操の孫権征伐を諌めた 「知」
- 劉表を「事態の変化を見抜けず、猜疑心が強くて決断力がない故、何事も成し遂げられない」と評した 「知」
- 曹丕に「無官の人物のごとき行いを実践し、子としての正しい道を踏み外されませんように」と進言した 「政」
- 曹操に後継者問題について尋ねられた際、「袁紹父子と劉表父子のことを考えていた」と答え、曹丕の地位を確定させた 「政」
- 疑惑を持たれることを恐れて私的な交際を避け、天下の智謀家に心を寄せられた 「政」
- 曹丕に、文を先にし武を後にするよう進言した。曹丕はこれに従わず江陵の戦役を起こしたが、勝利できなかった 「知」
- 馬超の降伏を表向き受け入れるよう進言した。また韓遂にわざと書き損じた手紙を送り、馬超に疑念を抱かせた 「知」 [武帝紀]
- 献帝が下賜した絹と金を独占した李傕を諌めた 「政」 [董卓伝]
- 曹操に降伏した張繍が反乱を起こす際、軍の移動のために通過するという名目で、曹操の陣営の中に入る計略を立てた 「知」 [張繍伝]
何進[遂高]
?~189 最高官位:大将軍 『後漢書』立伝
- 武器を整備して都の抑えとなり、馬元義の反乱を阻止した 「統」
- 多くの兵を統率し、平楽観の下に駐屯した 「統」
- 蹇碩が何進を退けるため、何進に辺章、韓遂を攻撃させようとすると、袁紹の募兵を待って欲しいと言って出兵を遅らせた 「知」
- 蹇碩が自分を誅殺しようとしているのを知ると、近道を通って陣営に帰り、入朝しなかった 「知」
- 袁紹と袁術を厚遇し、智謀の士の逢紀、何ギョウ、荀攸らを腹心とした 「政」
- 蹇碩が自分を誅殺しようとしているのを知ると、先んじて蹇碩を誅殺し、その配下の兵を統率した 「統・知」
- 袁紹の進言に従い、陳琳の諌言に従わず、董卓らを招聘して何太后を脅迫したが、何太后は従わなかった 「-知」
- 袁紹の進言を退けて宦官を廃さず、逆に張譲に殺害された 「-知」
- 呉匡が「何進は弟の何苗に殺された」と布令すると、何進に恩を受けていた士卒は何苗の死を願った 「統」
- 上奏して董扶を推薦した 「知」 [劉焉伝]
賈充[公閭]
217~282 最高官位:太尉、行太子太保、録尚書事 『晋書』立伝
- 父の喪に遭い、孝が評判となった 「政?」
- 法令の整備や人事考課を担当。節度について論じると提案は全て採用された 「政」
- 司馬師の軍事に参画し、付き従って毋丘倹らを楽嘉で討伐した 「統?武?」
- 諸葛誕に勢力が大きくなる前に反乱を起こさせるべく、中央に召還するよう進言した 「知」
- 諸葛誕討伐に際し、陣の溝を深くし塁を高くしつつ、城に迫るよう進言した 「知」
- 諸葛誕討伐が完了すると戦後処理を担った 「政?」
- 法理を得意とし、誤った判決は下さなかった 「政」
- あらゆる朝廷の機密に関与した 「政?」
- 新法を制定したことで刑罰は寛大に、禁令は簡素になった 「政」
- 下にあって、上の意を察する能力に長けた 「知?」
- 農業を奨励し、支出を抑え、官職を統廃合した 「政」
- 人士を推薦することを好み、推薦した者は最後まで面倒を見た 「政」
- 身を正して部下を率いることはできず、自分に媚び諂う者を重用した 「-政?」
- 呉の討伐に際し、諸軍を監督した 「統」
- 呉はまだ平定できないと上奏した矢先、呉帝孫皓は降伏した 「-知?」
- 荀煇と共に音律を制定した 「政?」 [荀彧伝]
- 張儼と論争したが、言い負かすことはできなかった 「-政?」 [孫皓伝]
何曾[穎考]
199~278 最高官位:太宰 『晋書』立伝
- 学問を好み博学で、同郷の袁侃とともに高名を馳せた 「政」
- 郡の太守に自分の管轄地域を巡察させるよう上奏した 「政」
- 司馬懿の遼東討伐に際し、副官を置いて緊急時の備えとするよう上奏した 「政」
- 司隷校尉になると校事の尹模の不正を弾劾し、称えられた 「政」
- 曹芳の廃位に参画した 「政」
- 母の喪中に酒や肉を口にしていた阮籍を憎み、その左遷を司馬昭に言上したが、聞き入れられなかった
- 毌丘倹が誅殺されるとその娘が獄に繋がれたが、母の荀氏の助命嘆願を受け、法の改正に尽力した 「政」
- 孝に優れ、女性関係について厳格だった 「政」
- 傅玄からその孝について「君子の手本」と称えられた (政)
- 奢侈を好み、特に食事について贅沢を尽くし、弾劾も受けた 「-政」
- 度重なる説得の末に劉享の登用が成ると、以後は小事によって杖罰を加えた 「-政」
- 時の権力者である賈充に阿った 「-政」
- 朝廷に国政の展望がなくその衰退と、子孫も憂き目に遭うことを予測した 「政」
- 庶子の司馬攸を世子に立てようとする司馬昭に反対し、嫡子の司馬炎を立てさせた 「政?」 [晋書 太祖文帝紀]
- 秦秀は何曾の奢侈を憎み、その死後「道義に則った行為はなく、宰相のあるべき姿を失っていた」と述べた (-政) [秦秀伝]
郭嘉[奉孝]
170~207 最高官位:司空軍祭酒 『三国志』立伝
- 袁紹を「人を使う機微を知らず、肝心なところが疎かで、策略好きながら決断力がない」と評し、彼の元を去った 「知」
- 若年にして将来を見通す識見を持っていた 「知」
- 密かに英傑たちと手を握り、俗世間とは付き合わなかった。そのため、ただ見識ある者だけが彼を評価した 「政?」
- 曹操を袁紹と比べて、十個の面で勝っていると評した 「知」
- 袁紹が公孫瓚を攻撃している内に、呂布を倒すよう進言した 「知」
- 下邳城に篭城した呂布を攻め続けるよう進言した。曹操はこれに従い水攻めで城壁を破壊し、呂布を捕らえた 「知」
- 孫策が警戒心に欠けていると判断し、匹夫に暗殺されると予測した 「知」
- 袁譚と袁尚を一気に攻撃せず、その手を緩めて互いに争わせるよう進言した 「知」
- 青、冀、幽、并州の名士を挙用した 「政」
- 劉表が劉備に許都を襲撃させることはないと判断し、袁尚と烏丸族を攻めるよう進言した 「知」
- 輜重を留め置き、軽装の兵で単于の本拠地を急襲するよう進言した 「知」
- 深く計略に通じ、物事の本質を掴んでいた 「知」
- 陳羣に「品行修まらず」と訴えられた 「-政?」
- 曹操に「時事、軍事に対する判断は遥かに人を超えていた」と評された (知)
- 劉備に袁術を攻撃させた曹操を咎めた 「知」 [武帝紀]
- 袁紹が動かないと判断し、劉備を攻撃しようとする曹操に賛成した 「知」
楽進[文謙]
?~218 最高官位:右将軍 『三国志』立伝
- 募兵して千余人を集めた 「統」
- 濮陽での呂布攻撃、雍丘での張超攻撃、苦での橋ズイ攻撃に参加し、全て一番乗りとして戦功を立てた 「武」
- 安衆での張繍攻撃、下ヒでの呂布包囲に参加し、別将を打ち破った 「武」
- 射犬でスイ固を、沛で劉備を打ち破った 「統・武」
- 官渡での袁紹攻撃に参加し、淳于瓊を斬った 「武」
- 黎陽での袁譚、袁尚攻撃に参加し、その大将厳敬を斬った 「武」
- 別軍として黄巾残党を攻撃し、楽安を平定した 「統・武」
- ギョウの包囲に参加した 「統」
- 南皮での袁譚攻撃に参加し、一番乗りとして東門に突入した 「武」
- 別軍として雍奴を攻撃し、打ち破った 「統・武」
- 別軍として壺関の高幹を征討し、敵兵の首を斬ったが、陥落させることはできなかった
- 李典と共に管承を攻撃し、敗走させた 「統・武」
- 荊州平定に参加し、関羽、蘇非らを攻撃して全て敗走させた 「統・武」
- 劉備が任命した臨沮の長杜普、旌陽の長梁大を攻撃し、散々に打ち破った 「統・武」
- 孫権征討に参加した 「武」
- 張遼と共に陰安を陥落させ、その住民を移住させた 「統・武」 [張遼伝]
- 張遼、李典と共に合肥に駐屯し、孫権の攻撃を受けると城を守った 「統」
- 于禁と共に袁紹の別陣営を攻撃。汲、獲嘉の二県の三十余の屯営を焼き払った。首級数千を挙げ、兵士数千と何茂ら二十余人を降伏させた 「統・武」 [于禁伝]
郭淮[伯済]
?~255 最高官位:車騎将軍、都督雍涼諸軍事 『三国志』立伝
- 漢中で夏侯淵が戦死した際、張コウを軍主に推し立てて、陣営を落ち着かせた 「統・知」
- 劉備が漢水を渡って来攻せんとした際、水から遠ざかって陣営を築き、劉備を引きつけ、川を半分渡ってから攻撃するよう述べた(結局、劉備は漢水を渡らなかった) 「知」
- 張コウに従い、鄭甘・盧水の蛮族を打ち破った 「武」
- 曹丕の即位を奉賀する際、到着が遅れて叱責されたが、見事に受け答えた 「政」
- 安定の羌族の大帥辟テイの反乱を討伐した 「統・武」
- 羌族が来降する度に、その羌族について調べておき、会見では行き届いた質問をした 「政」
- 列柳城の高詳を打ち破った 「統・武」
- 枹カンで羌族の唐テイを打ち破った 「統・武」
- 蜀が鹵城に出陣した際、穀物が不足していたので、威光と恩愛をもって羌族を帰順させ、穀物を拠出させた 「統・知・政」
- 諸葛亮が北原を争うと予測、駐屯したところ、実際に蜀兵が来襲したのでこれを迎撃した 「統・武・知」
- 西方攻撃の姿勢を示した諸葛亮が、実際は陽遂を攻撃すると予測した。諸葛亮は陽遂に向かったが、備えがあったため退却した 「知」
- 隴西に出陣した姜維を迎撃し、彊中まで追撃した 「統・武」
- 羌族の迷当らを討伐。従順な氐族を鎮撫し移住させて、関中を充実させた 「統・武・政」
- 涼州の休屠湖の梁元碧らが帰順すると、彼らを安定の高平に住まわせ、住民の砦とするよう要請した 「政」
- 夏侯玄の蜀討伐の先鋒となったが、形勢不利と判断するとすぐに退却し、大敗を免れた 「統」
- 諸羌族が反乱を起こした際、姜維の来襲を予測し、夏侯覇と合流した。姜維は夏侯覇を攻撃したが、郭淮が到着すると逃走した 「知」
- 羌族の俄何、焼戈を斬った 「統・武」
- 河の上流地域で行動すると見せかけ、密かに下流から兵を渡して白土城を占拠。羌族の蛾遮塞を破った 「統・武・知」
- 龍夷の北で蛮族の名家治無戴を破った 「統・武」
- 令居の蛮人を討伐した 「統・武」
- 姜維が石営に出陣した際、成重山の廖化を攻撃すれば姜維は狼狽すると判断した。自身で廖化を攻撃すると、姜維は廖化の救出に戻り、退却した 「統・武・知」
- 陳泰の策略により、句安を翅の近くで降伏させた 「統・武」
- 廖化が宕蕈を攻撃した際、王贇らを派遣して挟み撃ちにさせた。曹叡は「軍隊の配置は分離を避けるものだ」と詔勅を下したが、それが届く前に王贇らは敗れた 「-知」 [明帝紀]
- 姜維が荻道を包囲すると、司馬師の命で関中の軍勢をこぞり、進軍した。姜維は郭淮の進軍を知ると退却した 「統」 [斉王紀]
- 上邽で諸葛亮に破れた 「-統・-武」 [諸葛亮伝]
- 陽谿で魏延に敗れた 「-統・-武」 [魏延伝]
夏侯淵[妙才]
?~219 最高官位:征西将軍 『三国志』立伝
- 曹操が挙兵するとそれに随行した 「武」
- 兵糧を取り仕切り、食料に乏しい軍に絶えず輸送した。軍はおかげで勢いを盛り返した 「統」
- 于禁が破れなかった昌豨を共に攻撃し、十以上の屯営を破って昌豨を降伏させた 「統・武」
- 黄巾残党の徐和らを破り、没収した食糧を兵に与えた 「統・武」
- 諸将を指揮し、廬江で雷緒を破った 「統・武」
- 徐晃を指揮し、太原で商曜を破った 「統・武」
- 韓遂らの征伐に随行した 「統・武」
- 朱霊を指揮してテイ族を平定した 「統・武」
- 曹操と安定で合流し、楊秋を降伏させた 「統・武」
- 急襲を得意としいつも敵の不意を突いた 「武」
- 朱霊らを指揮して長安に駐屯した 「統」
- 南山で劉雄鳴を破り、その軍を降伏させた 「統・武」
- コで梁興を破った 「統・武」
- 韋康の救援に向かったが馬超に敗れた 「-統・-武」
- 曹操の判断を待たずに姜叙らを救援した 「知」
- 顕親で韓遂を攻撃しようとしたところ韓遂は逃走し、兵糧を手に入れた 「統」
- 韓遂が立てこもった強固な略陽城を攻めず、軽装の兵で長離の羌族を攻め、屯営を焼き払った 「統・武・知」
- 韓遂が長離救援に赴くと、諸将は陣営を築くよう進言した。夏侯淵は兵の疲労が激しくなるとそれを退け、士気を鼓舞して韓遂を破った 「統・武・知」
- 孤立させた略陽城を包囲して軍を降伏させ、高平、屠各でも勝利し、食糧や牛馬を手に入れた 「統・武」
- 諸将を指揮し、抱罕で宋建を破った 「統・武」
- 張コウを派遣して河関を平定させ、河西の羌族を降伏させた 「統」
- 武都のテイ族、羌族を破り、穀物十万石以上を没収した 「統・武」
- 曹操の張魯討伐に、涼州の諸将を率いて合流した 「統」
- 張コウ、徐晃らを指揮して巴を平定した 「統・武」
- 苦戦した張郃の軍に兵の半分を助勢に当てたところを、黄忠に襲撃され戦死した 「-統・-武」
- 曹操に「指揮官たる者、臆病な時もなければならない。行動を起こす時は智略を用いよ」と戒められていた (-知)
夏侯玄[太初]
209~254 最高官位:太常 『三国志』付伝
- 人を見る目があると評価された。多くの州や郡を治め、法律を制定して教化を施した 「政」
- 九品官人法を批判し、中正官の権限縮小を訴えた 「政」
- 曹爽と共に駱谷の戦いを起こしたが、輸送が上手く行かず、失敗した 「-統・-知」
- 中護軍の時、武官の登用のために賄賂を取った 「-政」
- 『楽毅論』『張良論』『本無肉刑論』を著し、その文章は筋が通っていた 「政」
- 何晏に「道理を極めることひたすら深い。天下の人々の意志に通暁する」と評された (政) [曹真伝]
夏侯尚[伯仁]
?~225 最高官位:征南大将軍、荊州牧 『三国志』立伝
- 曹操の冀州平定に、騎兵を率いてお供をした 「統・武」
- 曹彰の参軍事として、代で蛮族を破った 「武」
- 上庸の劉備の別働隊を奇襲するよう進言、諸軍を指揮してそれを実行し、勝利した 「統・武」
- 夜中密かに兵を動かし、敵の船に火をかけ、水陸両軍で一斉に攻撃して、孫権の大将諸葛瑾を破った(※) 「統・武・知」
- 上庸から道路を通し、呉との国境に軍を進め、住民や蛮族を帰順させた 「統・政」
- 江陵攻撃の際、中洲に入り一本の浮橋を通路としたが、敵の攻撃を受けると上手く脱出できなかった(※) 「-知」 [董昭伝]
- 賈逵と共に軍事上の計略を司った 「知」 [賈逵伝]
- 孟達らと共に上庸で劉封を破った 「統・武」 [劉封伝]
夏侯惇[元譲]
?~220 最高官位:大将軍 『三国志』立伝
- 降伏すると見せかけた呂布の攻撃を受け、捕らえられた 「-統・-武・-知」
- 河をせき止める堤を築き、稲を植えるよう指導した 「政」
- 曹操が河北を平定した際、郡の後詰めとなった 「統」
- 軍中に先生を迎えて講義を受けた 「政」
- 清廉で慎ましく、余分の財貨がある場合はいつも人々に分け与えた 「政」
- 韓浩を大いに評価した 「政」
- 沛で高順に敗れた 「-統・-武」 [武帝紀]
- 張バクらの反乱に加担した者数十人を処刑し、人々を落ち着かせた 「統」 [荀彧伝]
- 葉で劉備を攻撃した際、李典の諌言を退けて深入りし、伏兵の中に入り込んだ 「-統・-武・-知」 [李典伝]
関羽[雲長]
?~220 最高官位:前将軍 『三国志』立伝
- 劉備が平原の相となると、張飛と共に別部司馬に任じられ、それぞれ部隊を指揮した 「統?」
- 顔良を迎撃し、大軍の真っ只中でこれを刺殺し、その首を得た。諸将の内で相手になれるものはおらず、敵軍の包囲は解かれた 「武」
- 于禁を降伏させ、その配下の龐徳を斬った 「統・武」
- 糜芳と士仁を叱責し、彼らの降伏を招いた 「-統?-知?」
- 樊城攻防戦で徐晃に敗れた 「-統・-武」
- 逃走を図ったが、潘璋配下の馬忠に捕らえられた 「-統・-武」
- 春秋左氏伝を暗記していた 「政?」
- 曹操に敗れ、降伏した 「-統・-武」 [武帝紀]
- 程昱や郭嘉に「万人の敵」と評された (武) [程昱伝/郭嘉伝]
- 曹操が劉備を出撃させた時、董昭は「関羽、張飛が彼の羽翼となって助けている」と述べ、出撃の再考を促した (武?) [董昭伝]
- 孫権軍が江陵に迫っていることを知らされても、守備に自信を持ちすぐに撤退しなかった 「-知」
- 劉曄に「三軍に冠たる武勇」と評された (武) [劉曄伝]
- 魏の人々は関羽が死ぬと「名将は関羽だけ」として、劉備は戦を起こさないだろうと思っていた (統?武?)
- 温恢に「関羽は勇猛で、進撃してくれば災難を引き起こす」と評された (武) [温恢伝]
- 尋口で楽進、文聘らに敗れた 「-統・-武」 [文聘伝]
- 傅幹に「勇敢で義理堅く、万人の相手になる英雄」と評された (武) [先主伝]
- 兵卒を厚遇したが、士大夫に対しては傲慢だった 「-政?」 [張飛伝]
- 廖立に「剛勇をたのみ、軍の作戦行動がでたらめだったため、軍勢を失った」と評された (-知) [廖立伝]
- 周瑜に「勇猛無比の将」と評された (武) [周瑜伝]
- 呂蒙に「熊や虎のごとき勇将」と評された (武) [呂蒙伝]
- 呂蒙に「勇猛であり、統治下の荊州には恩徳と威信が行き渡っている」と評された (統・武) [陸遜伝]
桓階[伯緒]
?~? 最高官位:尚書令、侍中 『三国志』立伝
- 張羨に、曹操に味方し劉表に抵抗するよう進言した。曹操は南進できず、張羨は敗れた
- 曹操に、曹丕を太子とするよう主張した 「政」
- 丁儀に讒言された毛カイと徐奕を擁護した 「政」
- 曹仁の救援に向かおうとした曹操を諌めた 「知」
- 徐奕を中尉に推薦した 「政」 [徐奕伝]
管寧[幼安]
158~241 『三国志』立伝
- 遼東に避難してきた者は皆彼のもとに身を寄せ、十ヶ月で町ができあがった。『詩経』と『尚書』を講義し、礼式に沿った重々しい態度を取り、礼に則った謙譲の教えを示した。公孫度はその賢明さに感心し、人民は人徳に感化された 「政」
- 人々が井戸水を争うとその水をあらかじめ汲んでおき、隣家の牛が田を荒らしても自由に食ませてやった。人々はその行いを恥じ入り、近辺からは闘争がなくなった 「政」
- 公孫康が後嗣に弟の公孫恭を立てると、乱が起こることを予測し、遼東を去った 「知」
- 陳羣は「行為は世の模範、学問は人の師たるに耐え、清潔節倹は汚濁を除き去り、誠実正直は時代を矯正する」と評し、管寧を推薦した (政)
- 王基らは「高潔無欲で優れた先人の生き方を模範にその足跡を追い、徳行は卓越して比肩する者がいない」と評し、管寧を推薦した (政)
- 『氏姓論』を著し、簡単に氏族を変えることを批判した 「政」
- 親類、知人、郷村で困窮している者がいると、家の蓄えが僅かでも必ず援助した 「政」
- 態度は慎み深く言葉は非常に素直で、他人と話す時は各人が関わっている事柄について話し、善導した 「政」
- 若年の頃、邴原と共に品行高潔と称えられた (政) [邴原伝]
毌丘倹[仲恭]
?~255 最高官位:鎮東将軍、都督揚州諸軍事 『三国志』立伝
- 農民を徴発し宮殿を造営する曹叡を諌めた 「政」
- 遼東討伐に当たり、策謀の持ち主として幽州刺史等の任に就き、諸軍を率いた (「知」)
- 遼隧に駐屯し、烏丸の単于らを降伏させた 「統」
- 公孫淵を撃退した 「統・武」(※1)
- 司馬懿の指揮下で再度、公孫淵討伐に従軍、遼東を平定した 「統・武」
- 高句麗の軍勢を討伐した 「統・武」
- 句驪王位宮を撃破し、四桁に上る首級と捕虜を得た 「統・武」
- 位宮を再度征討し、買溝へと敗走させた 「統・武」(※2)
- 山を穿って灌漑を行い、民に利益を与えた 「政」
- 諸葛恪による包囲から合肥新城を守った 「統・武」
- 淮南で反乱を起こしたが、魏の包囲を受けると進むことも退くこともできず、将兵の家は北にあったため降伏者が相次いだ。文欽の友軍が敗れると逃走を図るが発見され、射殺された 「-統・-知」
- 公孫淵を討伐したが、長雨で遼水が氾濫したため、退却した [明帝紀](※1)
- 濊貊を討伐、勝利を収めた 「統・武」 [斉王紀]
- 捕虜となっても忠節を守って死んだ兵士の功を称え、上奏した 「政?」
- 呉の討伐を要請、実行したが、東興の諸葛誕らの軍が敗れたため撤退した 「-知?」 [傅嘏伝]
- 魏の論者は皆「毌丘倹と文欽は剽悍で、その鋭鋒は避けるべき」としていたが、王基はそれを退け現場に急行。毌丘倹が占拠を図っていた南頓を先に占拠した 「武?・-知?」 [王基伝]
- 沃沮に逃走した位宮を追撃。その集落を壊滅させ、三千余の首級と捕虜を得た 「統・武」 [東夷伝](※2)
- 公孫淵討伐を要請、実行したが、作戦は失敗に終わった 「-統・-武・-知」 [衛臻伝](※1)