嵆康[叔夜]
223~262 『晋書』立伝
- 奇才を有し、語気と風貌は凛々しく立派だったが、身は飾らず自然体だった。寡欲で度量大きく、博覧にして精通しない学問はなく、長じては老子と莊子を好んだ 「知・政」
- 理を談じること、文を綴ることに秀で、その感情は高邁かつ深遠だった 「政」
- 高潔の士の伝賛、帝王の道を明らかにする『太師箴』や、『声無哀楽論』などを著作した 「政」
- 著した作品や論文は六万字以上あり、全て世間において愛好された 「政」 [王粲伝]
牽招[子経]
?~? 最高官位:右中郎将、雁門太守 『三国志』立伝
- 楽隠の元で学問を修めた 「政」
- 楽隠の遺体を送る帰路の最中、強盗に遭ったが、ただ一人逃げることなく許しを乞い、名声を得た 「政」
- 袁紹の舍人が禁令を犯すと、これを斬ってから言上した。袁紹はその意を評価し、咎めなかった 「政」
- 袁譚か公孫康につくか迷っていた烏丸の峭王を説得し、曹操に従属させた 「政」
- 曹操の烏丸討伐に随行した 「統?武?」
- かつて仕えていた袁尚が晒し首となると、祭祀を設けた。曹操はその義心を買い、茂才に推挙した
- 東萊の賊を攻撃してその頭領を斬り、東方を安定させた 「統・武」
- 鮮卑族の多くが離反したが、牽招は広く恩愛を施し、素利らの部族十余万を帰順させた 「政」
- 太守として赴任した雁門郡は略奪が絶えなかったが、牽招は住民に武術を教え、烏丸の税を免除して偵察に協力させた 「政」
- 賊が国境を犯す度に兵を指揮して迎撃し、戦勝を重ね、平穏を取り戻した 「統・武」
- 鮮卑の間で離間の策を弄し、相争わせた。泄帰泥らが帰順すると軻比能を攻撃させ、その弟らを殺害させた 「知」
- 後に牽招自ら出撃し、泄帰泥らを指揮して軻比能を撃破した 「統・武」
- 上館城を修理し、守備兵を置いて内外の抑えとした 「統」
- 異民族の多くが心を寄せ、反逆者を匿う者はなくなり、盗賊も息を潜めた 「統・政」
- 才識ある者を選抜し、太学に派遣して学業を修めさせた。彼らが帰国すると互いに教授させ、さらに学問を広めた 「政」
- 飲料水の確保が困難な地で、水源を掘り、水路を開通させた 「政」
- 田豫が軻比能に包囲されると、規定を無視して救援に駆けつけた。先だってそれを田豫、軻比能の両軍に伝え、自軍を奮い立たせ、敵軍を慄かせた 「統・知」
- 軻比能が騎兵を集め再び来攻すると、これを攻撃して撃ち破った 「統・武」
- 軻比能が蜀と手を結ぶことを予測し、防備を固めるよう上奏した 「知」
- 軻比能が退却すると、将軍を派遣して陘北に駐屯させ、鎮撫と同時に稲作を行って兵糧を蓄積する計画を立てた。それが実行される前に牽招は没した 「知?」
- 辺境統治の評判は田豫に次ぎ、威風轟き、人民に追慕された 「統・政」
阮籍[嗣宗]
210~263 最高官位:歩兵校尉 『晋書』立伝
- 容貌優れ、思うがままに過ごしたが、喜怒の感情は表に出さなかった
- 様々な本を広く読み、特に莊子と老子を好んだ 「政」
- 当初は人品を疑われたが、族兄の阮武によって認められ、名声を得た (政)
- 曹爽に招聘されたが病と称して出仕しなかった。曹爽が誅殺されるに及び、人々は先見の明を称えた 「知」
- 政治には関与せず、常に酔い潰れていたがために、罪に陥れられることもなかった
- 東平の相となると、政庁の垣根を壊し、公平で簡潔な法の運用を実施したが、十日ほどで職を離れた 「政?」
- 司馬昭の九錫辞退の文書を作成した。文辞は清壮で、非常に尊重された 「政」
- 礼にはこだわらなかったが発言は深遠で、人の善し悪しを口にしなかった 「政?」
- 詠懐詩80篇余りや、莊子についての論文を作成した 「政」
胡威[伯虎]
?~280 最高官位:前将軍、監青州諸軍事、青州刺史 『晋書』立伝
- 父の胡質の元を辞す帰路で、世話をしてくれた官吏に絹を与え、その心映えによって名声を得た 「政」
- 徐州刺史となり、徳による教化を広めた 「政」
- 司馬炎の問いに対し「父の清廉さは人に知られることを、私の清廉さは人に知られないことを恐れるもので、私は父に遠く及びません」と答え、その実直さを称えられた 「政」
- 司馬炎に対し、自分たち尚書への管理を厳しくしてこそ教化が成ると訴えた 「政」
- 若年にして高尚な志を持ち、清廉な生き方を貫いた 「政」 [胡質伝]
胡質[文徳]
?~250 最高官位:征東将軍、都督青徐州諸軍事 『三国志』立伝
- 年少にして長江一帯で蔣済、朱績と共に名を知られた (政)
- 蔣済は「品行と智謀では父に及ばないが、精良に事を処理する点では父以上」と評した (政)
- 複数件の殺人事件を解決した 「知」
- 武周と仲違いした張遼の招聘を受けるとこれを断り、武周と和解するよう勧めた 「政」
- 軍功に対する賞賜を受けるといつも全て人に分け与えた 「政」
- 太守として在任9年、官民の生活は安らぎ、将兵は命に違うことはなかった 「統・政」
- 朱然が樊城を包囲すると、軽装の軍を率いて急行し、樊城を安定させた 「統・知」
- 農業を拡大し、穀物2年分の蓄えを得た 「政」
- 東征台を設置し、農業と守備の双方を推進した 「統・征」
- 諸郡に水路を通じ、舟による交通の便を図り、設備を厳重にして敵の来襲に備えたため、海辺の地域は事変とは無縁だった 「統」
- 性質は沈着、篤実ながら他人の生き方には干渉しなかったので、各任地で慕われた 「政」
- 勝手に息子の胡威の世話をした部下を厳罰に処し、罷免した。論者はその清廉さを称え、名声は高まった (政)
- 胡威は「父はその清廉さを人に知られることを恐れ、私はその清廉さを人に知られることを恐れています。私は遠く父に及びません」と評した (政)
- 兵2万を率い江夏郡を包囲した呉の朱然を攻撃し、敗走させた 「統・武」 [明帝紀]
- 蔣済らと共に曹操に招聘されると度々活発な議論を交わしたが、劉曄は「深遠な言葉を得たいなら、無闇に複数人を座談させるべきではない」と訴えた。胡質らは県令に任じられたが、劉曄だけは腹心の任を授けられた 「-政?」 [劉曄伝]
- 朱然の柤中侵攻を迎撃。蒲忠を先鋒とし、それを後方で支援したが、蒲忠が撃ち破られたため撤退を強いられた [朱然伝]
吾彦[士則]
?~? 最高官位:大長秋 『晋書』立伝
- 寒門の出身だが、文武の才を備えた 「武・政」
- 素手で猛獣と格闘し、腕力は群を抜いていた 「武」
- 陸抗の計らいで、狂人の振りをした者を取り押さえ、その武勇を評価され、抜擢されることとなった 「武」
- 王濬の呉征伐の情報を掴むと、長江に鉄鎖を張って防備に努めた 「知」(※)
- 晋の征伐を受けるとほとんどの軍は抗えなかったが、吾彦のみは城を保った 「統・武」
- 司馬炎と張華とのやり取りで、その応対を司馬炎に高く評価された 「政?」
- 順陽内史となると、身は清らかで部下を統率し、刑を用いること厳粛だった。主君の司馬暢は多くの部下を誣告していたが、吾彦は誣告されなかった 「政」
- 九真太守となると、城を囲んだ賊の趙祉を討伐し、撃ち破った 「統・武」
- 九真郡を鎮守すること20年以上、威恩は顕著で、南方は安寧となった 「政」
- 川に漂着した木屑から、晋が船を建造して呉征伐を図っていることを察知。兵の増員を進言したが、孫皓には容れられなかった 「知」(※)[孫皓伝]
胡奮[玄威]
?~288 最高官位:鎮軍大将軍、尚書右僕射 『晋書』立伝
- 性格は快活にして謀略を有し、若くして武事を好んだ 「武・知」
- 路蕃による劉猛討伐時、その後詰めとして硜北に駐屯した 「統」
- 長じてから学問も好むようになり、文章にも長じた。各任地で功績を立て、辺境にあっては特に威惠があった 「政」
- 外戚として専横を振るった楊駿を咎めた 「政」
- 寿春から出撃した諸葛誕を迎撃し、これを斬った 「統・武」 [諸葛誕伝]
- 幷州の蛮族が塞を侵犯した時、これを撃ち破った 「統・武」 [晋書 武帝紀]
- 呉討伐に従軍し、江安を攻略した 「統・武」
高順
?~198 最高官位:中郎将
- 兵を率い、郝萌の反乱を鎮圧した 「統・武」 [呂布伝]
- 臧覇を攻めようとする呂布を諌めたが、退けられた。城にこもる臧覇を撃ち破ることはできなかった 「知」
- 劉備と、その援軍となった夏侯惇を撃破した 「統・武」
- 清廉潔白な人柄で、威厳があった 「統?政?」
- 武具を良く鍛え、攻めた相手は必ず撃ち破り『陥陣営』の異名を取った 「統・武」
- 呂布の誤りや、忠臣、知者を起用しないことを度々諌めた 「知」
黄忠[漢升]
?~220 最高官位:後将軍 『三国志』立伝
- 劉璋軍を攻撃し、常に先駆けて陣地を落とし、勇敢さは軍の筆頭だった 「統・武」
- 定軍山の戦いでは軍を率いて率先して士卒を励まし、歓声は谷を動かすほどで、一度の戦いで夏侯淵を斬った 「統・武」
孔融[文挙]
153~208 最高官位:少府 『後漢書』立伝
- 幼い頃から異才があった 「知」
- 李膺に会うと「私の先祖の孔子は貴方の先祖の老子の師友であり、私と貴方は何代にも渡る通家です」と答え、座中の人々を感嘆させた 「政」
- 陳イに「幼くして聡明でも、成長してもそうとは限らない」と言われると、「貴方は幼い頃さぞ賢かったんでしょうね」と答えた 「政」
- 父が亡くなると悲しんで酷くやつれ、郷里の人々はその孝行な性格に感心した 「政」
- 学問を好み、多くの書物に目を通した 「政」
- 中常侍に恨まれ、兄の孔覧を頼って家を訪ねてきた張倹を匿い、兄と共に逮捕されると自ら罪を乞うた。結局兄が死刑に処されたが、孔融はこれによって名を上げた 「政」
- 宦官の親族で、貪欲な官僚を多く降格罷免し、尚書に詰問されても怯むことはなかった 「政」
- 何進が孔融を暗殺しようとすると、賓客は「著名な孔融を殺せば、四海の人々は連れ立って立ち去るでしょう」とそれを諌めた 「政」
- 董卓が少帝を廃立するに当たり、意見を求められると、決まって正論を吐いた 「政」
- 北海国相に就任すると、官民を結集させて起兵し、練兵を行い、檄文を飛ばして各州郡から計略を求めた 「統・知」
- 張饒ら黄巾残党二十万人と戦い、敗れた 「-統・-武」
- 黄巾残党に協力していた男女四万人を集め、城邑と学校を建設し、儒学を広め、賢人を推挙した 「統・政」
- 僅かな善行でも称えないことはなかった 「政」
- 亡くなっても埋葬してくれる人がいない人のために棺を作り、埋葬した 「政」
- 才はまばらながら志は大きく、成功を収めることはなかった 「-知」
- 袁譚に攻められ城は陥落し、東山に敗走した 「-統・-武」
- 朝議で意見を求められる度に正論を述べて議論を収め、他の公卿大夫は名を連ねるだけだった 「政」
- 肉刑の復活に反対した 「政」
- 劉表の皇帝を真似た振る舞いについて、今はそれを暴かず国防に努めるよう上奏した
- 劉馮と劉祗が早世し、献帝が四季の祭祀を行うことを望むと、法に従って一度の祭祀に留めるよう諌言した 「政」
- 古の制度に従い、都から千里の地域に諸侯を封建すべきではないと主張した 「政」
- 士人を好み、喜んで後進を引き立て、毎日賓客が門から溢れた 「政」
- 賢者を推薦すること多く、知っていて推薦しないのは己の過失と考えた。そのため、海内の英俊は皆信服した 「政」
- 曹丕は深く孔融の文辞を好み、収集した 「政」
- チ慮に「北海を治めていた時、政治はバラバラで人民は流亡した」と批判された (-政) [武帝紀]
- 韋康、韋誕兄弟を評価した 「政」 [荀彧伝]
- 曹操が袁紹に勝つことは難しいと予測した 「-知」
- 王修を「身の清潔さを保ち、幾つもの困難に対策を立てて間違わず、人民に愛情と訓戒を注いでいる」と評価し、孝廉に推挙した 「政」 [王修伝]
- 陶丘洪、辺譲と並ぶ俊秀と評価され、見識と政治の才では辺譲らに及ばなかったが、才知と博識さでは彼ら以上だった 「知」 [崔琰伝]
- 軽薄な才能の持ち主を好み、学のある人物に対しては表向き礼遇しても、共に国事を議論することはなかった 「-政」
- 議論や訓令全てを実行することは困難で、上手く法網を張り巡らせたが、その管理は疎略だった 「-政」
- 租税が少し滞ると急に督郵を殺すことがあり、民や官吏が市場を混乱させても取り締まることができなかった 「-政」
- 幽州の軍に攻撃されると説得して思い留まらせ、夜中に襲撃してその軍勢を手に入れたが、また背かれ逃亡された 「-統・武・政」
- 黄巾残党と対峙している間に城を奪われ、側近は次第に離反していった 「-統・-知」
- 楊彪を殺害しようとした曹操を諌めた 「政」
- 韋誕に「粗雑すぎるが、君子は一人の身に完全さを要求しないもの。どっしりしたものはないが、その光沢たるややはり見事」と評された [王粲伝]
- 陳羣の才能を評価した 「政」 [陳羣伝]
- 陳登に「見聞広く記憶力強く、人並み外れ卓絶している」と評された (政) [陳矯伝]
- 孫邵を「朝廷に立つべき人材」と称賛した 「政」 [呉主伝]
- 太史慈を評価してその母親を気遣った。後に黄巾残党に陣営を包囲されると、太史慈によって助けられた 「政」 [太史慈伝]
- 盛憲を評価し、また彼が孫策に害されることを恐れ、曹操に招聘するよう願った。曹操は盛憲を招聘したが、盛憲は任命書が届く前に孫権に殺された 「政」 [孫韶伝]
公孫瓚[伯珪]
?~199 最高官位:前将軍 『三国志』立伝
- 盧植のもとで経書を学んだ 「政」
- 数十騎の騎兵で数百騎の鮮卑族に対し、自らも矛で敵を刺殺し、逃れた 「統・武」
- 突撃騎兵隊三千騎を指揮して、張純らを破った 「統・武」
- 丘力居らに四州を荒らされ、防ぐことができなかった 「-統・-武」
- 弁舌爽やかで頭の回転が早かった 「政」
- 袁紹軍が少ないのを見て騎兵を突撃させ、伏兵の弩を受けて敗れ、厳綱を捕らえられた 「-統・-武・-知」
- 巨庸で劉虞を破り、捕らえた 「統・武」
- 慢心し、人の過失は記憶に留め、善行は忘れ去って多くの人々を毒牙にかけた 「-政」
- 麹義らに度々敗れ、易京に敗走した 「-統・-武」
- 別将を救援せず、降伏を招いた 「-統・-知」
- 公孫続に救援を求めた手紙を袁紹に奪われた。約束の日に狼煙が上がったのを見て救援が来たものと思い出陣したが、袁紹の伏兵に敗れた 「-統・-武・-知」
- 易京城を突き崩され、自害した 「-統・-知」
- 安平で韓馥を破った 「統・武」 [袁紹伝]
- 青州の黄巾残党を破った 「統・武」
- 蛮族と戦う時はいつも白馬に乗り、戦う度に勝ち戦利品を獲得した。蛮族が白馬を恐れたため、公孫瓚は騎射ができる兵士を選び白馬に乗せ、白馬義従と名付けた 「統・武」
皇甫嵩[義真]
?~195 最高官位:太尉 『後漢書』立伝
- 若くして文武を志し、詩経と書経を好み、弓馬を習った 「武・政」
- 黄巾の乱に際し、党錮の禁を解き、中蔵銭と西園の厩馬を拠出して軍に分け与えるよう主張した 「知」
- 波才に長社城を包囲されると、風が吹いた夜に火を放って敵を逃走させた 「武・知」
- 曹操、朱儁と共に黄巾を破り、数万の首級を挙げた 「統・武」
- 陽テキで波才を、西華で彭脱を破った 「統・武」
- 倉亭で卜己を捕虜にし、七千余の首級を挙げた 「統・武」
- 広宗で張梁と戦った際、陣営を閉じて兵を休ませ、敵が警戒を怠ると夜襲を掛け、張梁を斬った 「統・武・知」
- 郭典と共に下曲陽で張宝を破り、十万余の首級を挙げた 「統・武」
- 冀州の一年の田租を飢民に与えるよう要請した 「政」
- 士卒を優しく労わり、部下の心を掴んでいた 「統」
- 官吏に賄賂を受け取る者がいるとさらに金品を下賜し、官吏を恥じ入らせた 「政」
- 閻忠は「兵を動かせば神業の如く、謀は即決、十ヶ月の間に黄巾の乱を平定した」と称賛し、皇甫嵩に独立を勧めた (統・武・知)
- 趙忠の舎宅が制度に違反していると上奏し、張譲の賄賂の要求を拒んだ 「政」
- 王国が陳倉を包囲した際、董卓の進言を退けてそれを急ぎ救援しなかった。王国が陳倉を落とせず退却すると、それを追撃して一万余の首級を挙げた 「統・武・知」
- 情愛が深く慎み深い性格で忠勤を尽くした 「政」
- 前後に渡って上表を行い、政治に役立つ事柄を陳情すること五百余に及んだが、草稿は皆破り捨て外に出すことはなかった 「政」
- 士人にへりくだり、人材を速やかに登用した。時の人は皆皇甫嵩を称賛し、つき従った 「政」
- 陶謙と共に西羌を討伐し、散々に打ち破った 「統・武」 [陶謙伝]
- 射援を評価し、娘婿とした 「政」 [先主伝]
国淵[子尼]
?~? 最高官位:太僕 『三国志』立伝
- 朝議では常に厳正な態度で直言したが、退席後は個人的感情を残さなかった 「政」
- 屯田の事務を司ると、土地の良し悪しを見分け、人口を計算して官吏を置き、成績評価の規則をはっきりさせた。五年間で倉庫は豊かに満ち、人民は争って努力した 「政」
- 反乱した田銀らが撃破された後、その残党を放免するよう主張した 「政?」
- 反乱を鎮圧して挙げた首級を上奏する際、その数を十倍で計算する習慣を無視し、実数を記した 「政」
- 鄭玄に「立派な才能を持っており、国家的人物になる」と評された (政)
- 学問に熱心で古学を好み、士人の敬意を集めた 「政」
- 二京の賦を引用して投書で悪口を言う者を、「二京の賦を読める先生を探している」と偽って探し当てた 「知?」