船本洲治

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1945年12月23日~1975年6月25日

1945年12月23日
「満洲」において「満洲警察官」の五男として生まれる。父親が八路軍に銃殺刑に処せられた後、広島県呉市広町に引き上げ、母親一人に育てられる。

中見出し




1964年4月
広島大学理学部物理学科に入学。東京オリンピックの年である。通学したのは一年生の半年にも満たない。時々、釜ヶ崎をはじめ関西方面に出稼ぎに行っていた。

1968年夏
広島学生会館に寄宿していた3名(鈴木国男氏を含む)とともに山谷へ。

1968年10月
山谷自立合同労組結成

1972年1月
鈴木国男氏が措置入院させられる。S闘争支援共闘会議結成。このころから活動の拠点を釜ヶ崎に移す。

1972年6月3日
暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議の結成に中心的な役割を果たす。

1973年4月
対関西建設闘争に関する証人威迫容疑で指名手配。半潜行しながら釜ヶ崎・山谷の闘争に指導的役割を担う。

1974年3月
愛隣センター爆破(72年12月26日)デッチ上げによって、主犯として爆取容疑で全国氏名手配。完全に潜行し、全国を歩く。

1975年6月25日
潜行先の沖縄嘉手納基地ゲート前において、皇太子訪沖反対を叫びつつ焼身決起。29歳。


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