「夢煙草」 まだ小学生の時分の話でございました。 世は幼児教育のブームでございましたようで、わたくしもご多分に洩れず進学塾に通わされておりました。 夜は8時9時に帰宅することもざらでございまして、それも冬の夜ともなれば日はとっぷりと暮れてしまい、 幼心にそれは怖い思いをさせられたものでございます。 それでも、その塾が繁華街にあったものですから、 晩ともなればネオンが道々を照らし、その歪な光は、わたくしに安寧を与えてくれました。 その繁華街の一角に、変わった店がございました。 所謂外国人向けのカフェバーだったようで、 オープンカフェの軒下に、見るからに異国の人間が、石床に置かれた金属のホイールから、 これまた金属でできたストローをうまそうにスパスパと吸いあげておりました。 水煙草というやつでございましょう。 その光景を思い返すと、今でもぞっと身の毛がよだちます。 いえ、何も恐ろしい景観ではなかったはずなのです。 ですが、その異質さに、わたくしはぞくぞくするような恐ろしさ…としか言えない心持ちをを感じていたの でございます。 その光景は恐ろしいものでございましたが……そこから香る匂いは、わたくしを和ませました。 ふんわりと甘い、人口の果物のような、なんとも言えない香りでございました。 わたくしの勉学が進み、阿片なるものの歴史を学んだとき、ああきっと麻薬なるものはこのような匂いが するのだろう、と漠然と思ったものです。 それこそが、わたしを震え上がらせた水煙草なるものの、香りそのものでございました。 見た目はおそろしく、けれど目をつぶればやさしく甘味な高揚。 畏怖と崇拝とは表裏一体であるなどとは、宗教心理学などで取りざたされておりますが、 なるほど、幼いわたくしはそれに近い心理状態であったのでしょう。 わたくしがおそれおののきながらも、塾の帰り足には、必ずその店の前を通って …立ち止まることなど恐ろしくて、もちろんできませんでしたが… そう通っていったのも、そのような心理からだったのでございましょう。 進学塾の甲斐あってか、見事私立学校に進んだわたくしは、自然家から離れる生活となり、 あのおそろしい水煙草からも離れてしまいました。 今になって思い出すのです。 あの雑踏の中に、人に塗れた中に香る……甘やかな、夢のようなおそろしさを。