秋風陣(しゅうふうじん)
一
- 潁川(えいせん)の地へ行き着いてみると、そこには既に官軍の一部隊しか残っていなかった。大将軍の朱儁(しゅしゅん)も皇甫嵩も、賊軍を追(お)い狭(せば)めて、遠く河南(かなん)の曲陽(きょくよう)や宛城(えんじょう)方面へ移駐(いちゅう)しているとのことであった。
- 「さしも旺(さかん)だった黄巾賊の勢力も、洛陽の派遣軍のために、次第に各地で討伐され、そろそろ自壊(じかい)しはじめたようですな」
- 関羽が言うと、
- 「つまらない事になった」
- と、張飛は頻(しき)りと、今のうちに功を立てねば、何日(いつ)の時か風雲に乗ぜんと、焦心(あせ)るのであった。
- 「――義軍何(なん)ぞ小功を思わん。義胆(ぎたん)何ぞ風雲(ふううん)を要せん」
- 劉玄徳は、独(ひと)り言った。
- 雁(かり)の列のように、漂泊の小軍隊は又、南へ向かって、旅をつづけた。
- 黄河を渡った。
- 兵たちは、馬に水を飼(か)った。
- 玄徳は、黄いろい大河に眼をやると、憶(おも)いを深くして、
- 「ああ、悠久(ゆうきゅう)なる哉(かな)」
- と、つぶやいた。
- 四、五年前に見た黄河(こうが)もこのとおりだった。おそらく百年、先年の後も、黄河の水は、このとおりに在(あ)るだろう。
- 天地の悠久を思うと、人間の一瞬が儚(はかな)く感じられた。小功は思わないが、頻(しき)りと、生きている間の生甲斐(いきがい)と、意義ある仕事を残さんとする誓願が念じられてくる。
- 「この畔(ほとり)で、半日も凝(じっ)と若い空想に耽(ふけ)っていた事がある。――洛陽船から茶を購(あがな)おうと思って」
- 茶を思えば、同時に、母が憶(おも)われてくる。
- この秋、いかに在(お)わすか。足の冷えや、持病が出ては来ぬだろうか。御不自由はどうあろうか。
- いやいや母は、そんな事すら忘れて、ひたすら、子が大業を為(な)す日を待っておられることであろう。それと共に、いかに聡明(そうめい)な母でも、実際の戦場の事情やら、又実地に当たる軍人同志のあいだにも、常の社会と変わらない難しい感情や争いやらあって、なかなか武力と正義の信条一点張りでは、世に出られない事などは、お察しもつくまい。御想像にも及ぶまい。
- だから以来、なんのよい便(たよ)りもなく、月日を空(むな)しく送っている子をお考えになると、
- (阿備(あび)は、何をしているやら)
- と、さだめし腑(ふ)がいない者と、焦(じ)れッたく思っておいでになるに相違ない。
- 「そうだ。せめて、体だけは無事な事でも、お便りしておこうか」
- 玄徳は、思いついて、騎(き)の鞍(くら)を下ろし、その鞍に結(ゆ)いつけてある旅具の中から、翰墨(かんぼく)と筆を取り出して、母へ便りを書きはじめた。
- 駒に水を飼って、休んでいた兵たちも、玄徳が箋葉(せんよう)に筆をとっているのを見ると、
- 「おれも」
- 「吾(われ)も」
- と何か書きはじめた。
- 誰にも、故郷がある。姉妹兄弟がある。玄徳は思いやって、「故郷へ手紙をやりたい者は、わしの手許(てもと)に持って来い。親のある者は、親へ無事の消息をしたほうがよいぞ」と、言った。
- 兵たちは、それぞれ紙片や木皮(もくひ)へ、何か書いて持って来た。玄徳はそれを一嚢(いちのう)に納めて、実直な兵を一人撰抜(せんばつ)し、
- 「おまえは、この手紙の嚢(ふくろ)を携(たずさ)えて、それぞれの郷里の家へ、郵送する役目に当たれ」
- と、路費を与えて、すぐ立たせた。
- そして落日に染まった黄河を、騎と兵と荷駄(にだ)とは、黒いかたまりになって、浅瀬は渡渉(としょう)し、深い所は筏(いかだ)に棹(さお)さして、対岸へ渡って行った。
二
- 先頃から河南の地方に、何十万とむらがっている賊の大軍と戦っていた大将軍朱儁(しゅしゅん)は、思いのほか賊軍が手ごわいし、味方の死傷は夥(おぼただ)しいので、
- 「いかがはせん」と、内心煩悶(はんもん)して、苦戦の憂(うれ)いを顔に刻(きざ)んでいたところだった。
- そこへ、
- 「潁川(えいせん)から広宗(こうそう)へ向かった玄徳の隊が、形勢の変化に、途中から引っ返して来て、ただ今、着陣いたしましたが」と、幕僚から知らせがあった。
- 朱儁はそれを聞くと、
- 「やあ、それはよいところへ来た。すぐ通せ、失礼のないように」
- と、前とは、打って変わって、鄭重(ていちょう)に待遇した。
- 陣中ながら、洛陽の美酒を開き、料理番に牛などを裂(さ)かせて、
- 「長途、おつかれであろう」と、歓待(かんたい)した。
- 正直な張飛は、前の不快もわすれて、すっかり感激してしまい、
- 「士は己(おのれ)を知る者の為(ため)に死す、である」
- などと酔った機嫌で言った。
- だが歓待の代償は義軍全体の生命に近いものを求められた。
- 翌日。
- 「早速だが、豪傑(ごうけつ)にひとつ、打ち破っていただきたい方面がある」
- と、朱儁は、玄徳等の軍に、そこから約三十里ほど先の山地に陣取っている頑強な敵陣の突破を命じた。
- 否(いな)む理由はないので、
- 「心得た」と、義軍は、朱儁の部下三千を加えて、そこの高地へ攻めて行った。
- やがて、山麓(さんろく)の野に近づくと天候が悪くなった。雨こそ降らないが、密雲(みつうん)低く垂(た)れて、烈風(れっぷう)は草を飛ばし、沼地の水は霧になって、兵馬の行くてを晦(くら)くした。
- 「やあ、これは又、賊軍の張宝(ちょうほう)が、妖気(ようき)を起こして、われらをみなごろしにすると見えたるぞ。気をつけろ。樹の根や草につかまって、烈風に吹きとばされぬ用心をしたがいいぞ」
- 朱儁(しゅしゅん)からつけてよこした部隊から、誰言うとなく、こんな声が起こって、恐怖はたちまち全軍を蔽(おお)った。
- 「ばかなっ」
- 関羽は怒って、
- 「世に理のなき妖術などがあろうか。武夫(もののふ)たるものが、幻妖(げんよう)の術に怖(おそ)れて、木の根にすがり、大地を這(は)い、戦意を失うとは、何たるざまぞ。すすめや者共、関羽の行く所には妖気も避けよう」
- と大声で鼓舞(こぶ)したが、
- 「妖術には敵(かな)わぬ。あたら生命(いのち)をわざわざ墜(お)とすようなものだ」
- と、朱儁の兵は、なんと言っても前進しないのである。
- 聞けば、この高地へ向かった官軍は、これ迄(まで)にも何度攻めても、全滅になっているというのであった。黄巾賊の大方師(だいほうし)張角(ちょうかく)の弟にあたる張宝は、有名な妖術つかいで、それがこの高地の山地の奥に陣取っている為であるという。
- そう聞くと、張飛は、
- 「妖術とは、外道(げどう)魔物(まもの)のする業(わざ)だ。天地闢(ひら)けて以来、まだかつて方術者が天下を取ったためしはあるまい。怖(お)じる心、惧(おそ)れる眼(まなこ)、顫(わなな)く魂(たましい)を惑(まど)わす術を、妖術とは言うのだ。怖れるな、惑うな。――進まぬ奴(やつ)は、軍律に照らして斬(き)り捨(す)てるぞ」
- と、軍のうしろにまわって、手に蛇矛(じゃぼこ)を抜きはらい、督戦(とくせん)に努めた。
- 朱儁の兵は、敵の妖術にも恐怖したが、張飛の蛇矛にはなお恐れて、やむなくわっと、黒風へ向かって前進し出した。
三
- その日は、天候もよくなかったに違いないが、戦場の地勢も殊(こと)に悪かった。寄手(よせて)にとっては、はなはだしく不利な地の利に嫌(いや)でも置かれるように、そこの高地は自然にできている。
- 峨々(がが)たる山が、道の両わきに、鉄門のように聳(そび)えている。そこを突破すれば、高地の沢から、山地一帯の敵へ肉薄できるのだ、そこ迄が、近づけないのだった。
- 「鉄門峡(てつもんきょう)まで行かぬうちに、いつも味方はみなごろしになる。豪傑、どうか無謀は止(や)めて、引っつ返し給(たま)え」
- と、朱儁の軍隊の者は、部将からして、怯(ひる)み上がって言う程だから、兵卒が皆、恐怖して自由に動かないのも無理ではなかった。
- だが、張飛は、
- 「それは、いつもの寄手(よせて)が弱いからだ。きょうは、われわれの義軍が先に立って進路を斬りひらく、武夫たる者は、戦場で死ぬのは、本望ではないか。死ねや、死ねや」と、督戦に声を嗄(か)らした。
- 先鋒(せんぽう)は、ゆるい砂礫(されき)の丘を這(は)って、もう鉄門峡のまぢか迄、攻め上っていた。朱儁軍も、張飛の蛇矛に斬り捨てられるよりはと、その後から、芋虫の群(むれ)が動くように這(は)い上(あ)がった。
- すると、たちまち、一陣の風雷、天地を震動して木も砂礫も人も、中天(ちゅうてん)へ吹きあげられるかと覚えた時一方の山峡(やまあい)の頂(いただ)きに、陣鼓を鳴らし、銅鑼(どら)を打(う)ち轟(とどろ)かせて、
- ――わあっ。わあっ。
- と、烈風も圧すような鬨(とき)の声(こえ)が聞こえた。寄手は皆、地へ伏し、眼をふさぎ、耳を忘れていたが、その声に振(ふ)り仰(あお)ぐと、山峡の絶顚(ぜってん)はいくらか平盤な地になっているとみえて、そこに賊の一群が見え「地公将軍(ちこうしょうぐん)」と書いた旗や、八卦(はっけ)の文(ぶん)を印した黄色の幟(のぼり)、幡(はた)など立て並べて、
- 「死神(しにがみ)につかれた軍が、又も黄泉(よみ)へ急いで来(き)つるぞ。冥途(めいど)の扉(と)を開(あ)けてやれ」
- と、声を合わせて笑った。
- その中に一人、遠目にもわかる異相(いそう)の巨漢(きょかん)があった。口に魔符(まふ)を嚙(か)み、髪をさばき、印(いん)をむすんで何やら呪文(じゅもん)を唱(とな)えている容子(ようす)だったが、それと共に烈風はますます募(つの)って、晦冥(かいめい)な天地に、人の形や魔の形をした赤、青、黄などの紙片(しへん)がまるで五彩の火のように降って来た。
- 「やあ、魔軍が来た」
- 「賊将張宝(ちょうほう)が、呪(じゅ)を唱えて、天空から羅刹(らせつ)の援軍を呼び出したぞ」
- 朱儁(しゅしゅん)の兵は、わめき合うと、逃(に)げ惑(まど)って、途(みち)も失い、ただ右往左往うろたえるのみだった。
- 張飛の督戦も、もう効(き)かなかった。朱儁の兵があまり恐れるので、義軍の兵にも恐怖症が伝染(うつ)ったようである。そして風魔と砂礫(されき)にぶつけられて、全軍、進む事も退(ひ)く事もできなくなってしまった時、赤い紙片(かみきれ)や青い紙片の魔物や武者は、それが皆が、生ける夜叉(やしゃ)か羅刹の軍のように見えて、寄手は完全に闘志を失ってしまった。
- 事実。
- そうしている間に、無数の矢や岩石や火器は、うなりを揚げ、煙をふいて、寄手の上に降って来たのである。またたくうちに、全軍の半分以上は、動かないものになっていた。
- 「敗れた!負けたっ」
- 玄徳は、軍を率(ひき)いてから初めて惨(さん)たる敗戦の味を今知った。
- そう叫ぶと、
- 「関羽っ、張飛っ。はや兵を退(ひ)けっ――兵を退けっ」
- そして自分もまっしぐらに、駒首(こまくび)を逆落(さかおと)しに向(む)け回(かえ)し、砂礫と共に山裾(やますそ)へ馳(か)け下(くだ)った。
四
- 敗軍を収めて、約二十里の外へ退(ひ)き、その夜、玄徳は、関羽、張飛のふたりと共に、帷幕(いばく)のうちで軍義をこらした。
- 「残念だ、きょう迄(まで)、こんな敗北はした事がないが」と、張飛が言う。
- 関羽は、腕を拱(く)んでいたが、
- 「朱儁の兵が、戦わぬうちから、あのように恐怖しているところを見ると、何か、あそこには不思議がある。張宝の幻術も、実際、ばかにはできぬかもしれぬ」と、呟(つぶ)やいた。
- 「幻術の不思議は、わしには解(と)けている。それは、あの鉄門峡(てつもんきょう)の地形にあるのだ。あの峡谷には、常に雲霧(うんむ)が立ちこめていて、その気流が、烈風(れっぷう)となって峡門(きょうもん)から麓(ふもと)へいつも吹いているのだと思う」
- これは玄徳の説である。
- 「なるほど」と二人とも初めて、そうかと気づいた顔つきだった。
- 「だから少しでも天候の悪い日には、他の土地より何十倍も強い風が吹(ふ)き捲(ま)くる。この辺が、晴天の日でも、峡門には、黒雲が蟠(わだかま)り、砂礫(されき)が飛び、煙雨が降(ふ)り荒(すさ)んでいる」
- 「ははあ、大(おお)きに」
- 「好んで、それへ向かって行くので、近づけばいつも、賊と戦う前に、天候と戦うようなものになる。張宝の地公将軍(ちこうしょうぐん)とやらは、奸智(かんち)に長(た)けているとみえて、その自然の気象を、自己の妖術かの如(ごと)く、巧みに使って、藁人形(わらにんぎょう)の武者や、髪の魔形(まぎょう)などを降らせて、朱儁軍の愚かな恐怖を弄(もてあそ)んでいたものであろう」
- 「さすがに、御活眼(ごかつがん)です。いかにも、それに違いありません。けれど、あの山の賊軍を攻めるには、あの峡門から攻めかかるほかありますまい」
- 「無(な)い。――それ故(ゆえ)、朱儁はわざと、われわれを、この攻め口へ当たらせたのだ」
- 玄徳は、沈痛に言った。
- 関羽、張飛の二人も良い策もなく、唇(くちびる)をむすんで、陣の曠野(こうや)へ眼をそらした。
- 折から仲秋の月は、満目(まんもく)の曠野に露(つゆ)をきらめかせ、二十里外の彼方(かなた)に黒々と見える臥牛(がぎゅう)のような山岳のあたりは、味方を悩ませた悪天候も嘘事(うそごと)のように、大気と月光の下(もと)に横たわっていた。
- 「いや、有(あ)る、有る」
- 突然、張飛が、自問自答して言い出した。
- 「攻め口が、ほかに無いとは言わさん。長兄(ちょうけい)、一策があるぞ」
- 「どうするのか」
- 「あの絶壁(ぜっぺき)を攀(よ)じ登(のぼ)って、賊の予測しない所から不意に衝(つ)きくずせば、なんの造作(ぞうさ)もない」
- 「登れようか、あの断崖(だんがい)絶壁へ」
- 「登れそうに見える所から登ったのでは、奇襲にならない。誰の眼にも、登れそうに見えない場所から登るのが、用兵の策というものであろう」
- 「張飛にしては、珍しい名言を吐(は)いたものだ。そのとおりである。登れぬものときめてしまうのは、人間の観念で、その眼だけの観念を超(こ)えて、実際に懸命に当たってみれば案外易々(やすやす)と登れるような例はいくらもあることだ」
- 更に三名は、密議(みつぎ)を練(ね)って、翌(あく)る日(ひ)の作戦に備えた。
- 朱儁軍の兵、約半分の数に、夥(おびただ)しい旗(はた)や幟(のぼり)を持たせ、又、銅鑼(どら)や鼓(こ)を打ち鳴らさせて、きのうのように峡門の正面から、強襲するような態(てい)を敵へ見せかけた。
- 一方、張飛、関羽の両将に、幕下(ばっか)の強者(つわもの)と、朱儁軍の一部の兵を率(ひ)きつれた玄徳は、峡門から十里ほど北方の絶壁へひそかに這(は)いすすみ、惨澹(さんたん)たる苦心の下に、山の一端へ攀じ登ることに成功した。
- そしてなお、士気を鼓舞(こぶ)するために、総(すべ)ての兵が山巓(さんてん)の一端へ登りきると、そこで玄徳と関羽は、嚴(おごそ)かなる破邪攘魔(はじゃじょうま)の祈禱(きとう)を天地へ向かって捧げるの儀式を行なった。
五
- 敵を前にしながら、わざとそんな所で、厳かな祈禱の儀式などしたのは、玄徳直属の義軍の中にも、張宝(ちょうほう)の幻術を内心怖れている兵がたくさんいるらしく見えたからであた。
- 式が終わると、
- 「見よ」
- 玄徳は空を指(さ)して言った。
- 「きょうの一天には、風魔(ふうま)もない。迅雷(じんらい)もない、すでに、破邪(はじゃ)の祈禱で、張宝の幻術は通力(つうりき)を失ったのだ」
- 兵は答えるに、万雷(ばんらい)のような喊声(かんせい)をもってした。
- 関羽と張飛は、それと共に、
- 「それ、魔軍の砦(とりで)を踏(ふ)み潰(つぶ)せ」
- と軍を二手にわけて、峰づいたいに張宝の本拠へ攻め寄せた。
- 地公将軍の旗幟(きし)を立てて、賊将の張宝は、例に依(よ)って、鉄門峡の寄手を悩ましに出かけていた。
- すると、思わざる山中に、突然鬨(とき)の声があがった。彼は、味方を振り返って、
- 「裏切者が出たか」と、訊(たず)ねた。
- 実際、そう考えたのは、彼だけではなかった。裏切者裏切者という声が、何処(どこ)ともなく伝わった。
- 張宝は、
- 「不埒(ふらち)な奴(やつ)、何者か、成敗(せいばい)してくれん」
- と、そこの守りを、賊の一将にいいつけて、自身、わずかの部下を連れて、山谷の奥にある――ちょうど螺(ら)の穴のような渓谷(けいこく)を、驢(ろ)に鞭(むち)打(う)って帰って来た。
- すると傍(かたわ)らの沢の密林から、一筋の矢が飛んで来て、張宝のこめかみにぐざと立った。張宝は迸(ほとばし)る黒血へ手をやって、わッと口を開きながら矢を抜いた。しかし鏃(やじり)はふかく頭蓋(ずがい)の中に止まって、矢柄(やがら)だけしか抜けて来なかったくらいなので、途端に、彼の巨軀(きょく)は、鞍(くら)の上から真(ま)っ逆(さか)さまに落ちていた。
- 「賊将の張宝は射止めたるぞ。劉玄徳(りゅうげんとく)、ここに黄匪(こうひ)の大方(だいほう)張角の弟、地公将軍を討ち取ったり」
- 次に、どこかで玄徳の大音声(だいおんじょう)がきこえると、四方の山沢、みな鼓(こ)を鳴らし、奔激(ほんげき)の渓流(けいりゅう)、こぞって鬨(とき)を揚げ、草木みな兵と化(な)ったかと思われた。玄徳の兵は、一斉(いっせい)に衝(つ)いて出(い)で、あわてふためく張宝の部下をみなごろしにした。
- 山谷の奥からも、同時に黒煙濛々(もうもう)とたち昇った。張飛か、関羽の手勢か、本拠の砦(とりで)に、火を放(か)けたものらしい。
- 上流から流れて来る渓水(たにみず)は、みるまに紅の奔流と化した。山吠え、谷叫び、火は山火事となって、三日三晩燃えとおした。
- 首馘(くびき)る数一万余、黒焦(くろこ)げとなった賊兵の死骸(しがい)数千幾万なるを知らない。殲滅戦(せんめつせん)の続けらるること七日余り、玄徳は、赫々(かつかく)たる武勲を負って朱儁(しゅしゅん)の本営へ引き揚げた。
- 朱儁は、玄徳を見ると、
- 「やあ、足下(そっか)は実に運がいい。戦(いくさ)にも、運不運があるものでな」と、言った。
- 「ははあ、そうですか。ひと口に、武運と言う事もありますからね」
- 玄徳は、何の感情にも動かされないで、軽く笑った。
- 朱儁は、更に言う。
- 「自分のひきうけている野戦のほうは、まだ一向(いっこう)勝敗がつかない。山谷の賊は、ふくろの鼠(ねずみ)とし易(やす)いが、野陣の敵兵は、押せばどこ迄(まで)も、逃げられるので弱るよ」
- 「ごもっともです」
- それにも、玄徳はただ、笑って見せたのみであった。
- 然(しか)るところ、ここに、先陣から伝令が来て、一つの異変を告げた。
六
- 伝令の告げるには、
- 「先に戦没した賊将張宝の兄弟張梁(ちょうりょう)という者、天公将軍(てんこうしょうぐん)の名を称し、久しくこの曠野(こうや)の陣後(じんご)にあって、督軍(とくぐん)しておりましたが、張宝すでに討(う)たれぬと聞いて、にわかに大兵をひきまとめ、陽城(ようじょう)へたて籠(こも)って、城壁を高くし、この冬を守って越えんとする策を取るかに見うけられます」
- との事だった。
- 「冬にかかっては、雪に凍(こご)え、食糧の運輸にも、困難になる。殊(こと)に都聞(みやこき)こえもおもしろくない。今のうちに攻(せ)め墜(お)とせ」
- 総攻撃の令を下した。
- 大軍は陽城を囲み、攻めること急であった。しかし、賊城は要害堅固を極(きわ)め、城内には多年積んだ食物が豊富なので、一月余も費(つい)やしたが、城壁の一角も奪(と)れなかった。
- 「困った。困った」
- 朱儁は本営で時折ため息をもらしたが、玄徳は聞こえぬ顔をしていた。
- よせばいいに、そんな時、張飛が朱儁へ言った。
- 「将軍。野戦では、押せば退(ひ)くしで、戦い難(にく)いでしょうが、こんどは、敵も城の中ですから、袋の鼠を捕(と)るようなものでしょう。
- 朱儁は、まずい顔をした。
- そこへ遠方から使いが来て、新しい情報を齎(もたら)した。それもしかし朱儁の機嫌をよくさせるものではなかった。
- 曲陽(きょくよう)の方面には、討伐大将軍の任を負って下っていた董卓(とうたく)・皇甫嵩(こうほすう)両軍が、賊の大方張角の大兵と戦っていた。使いは、その方面の事を知らせに来たものだった。
- 董卓と皇甫嵩のほうは、朱儁の言う所謂(いわゆる)武運がよかったのか、七度戦って七度勝つといった按配(あんばい)であった。ところへ又、黄賊の総帥(そうすい)張角が、陣中で病没した為、総攻撃に出て、一挙に賊軍を潰滅(かいめつ)させ、降人(こうじん)を収めること十五万、辻(つじ)に梟(か)くるところの賊首何千、更に、張角を埋(い)けた墳(つか)も発掘(あば)いてその首級を洛陽へ上(のぼ)せ、
- (戦果あくの如(ごと)し)と、報告した。
- 大賢良師(だいけんりょうし)張角と称していた首魁(しゅかい)こそ、天下に満つる乱賊の首体である。張宝は先に討たれりといっても、その弟に過ぎず、張梁なお有(あ)りといっても、これもその一肢体(したい)でしかない。
- 朝廷の御感(ぎょかん)は斜(なな)めならず、
- (征賊第一勲(だいいっくん))
- として、皇甫嵩を車騎将軍(しゃきしょうぐん)に任じ、益州(えきしゅう)の牧(ぼく)に封(ほう)ぜられ、その他恩賞の令を受けた者がたくさんある。わけても、陣中常に赤い甲冑(かっちゅう)を着て通った武騎校尉(ぶきこうい)曹操(そうそう)も、功によって、済南(せいなん)(山東省・黄河南岸)の相(しょう)に封じられたとの事であった。
- 自分が逆境の中に、他人の栄達を聞いて、共に欣(よろこ)びを感じるほど、朱儁(しゅしゅん)は寛度(かんど)ではない。彼はなお、焦心(あせ)り出して、
- 「一刻もはやく、この城を攻(せ)め陥(おと)し、汝等(なんじら)も、朝廷の恩賞にあずかり、封土(ほうど)へ帰って、栄達の日を楽しまずや」と、幕僚をはげました。
- 勿論(もちろん)、玄徳等も、協力を惜(お)しまなかった。攻撃に次ぐ攻撃をもって、城壁に当たり、さしも頑強(がんきょう)は賊軍をして、眠るまもない防戦に疲れさせた。
- 城内の賊に、厳政(げんせい)という男があった。これは方針を更(か)える時だと覚(さと)ったので、密(ひそ)かに朱儁に内通(ないつう)しておき、賊将張梁の首を斬って、
- 「願わくば、悔悟(かいご)の兵等に、王威(おうい)の恩浴(おんよく)を垂(た)れたまえ」と、軍門に降(くだ)って来た。
- 陽城を墜(お)とした勢いで、
- 「更に、与党を狩り尽くせ」
- と、朱儁の軍六万は、宛城(えんじょう)(河南省(かなんしょう)・荊州(けいしゅう))へ迫って行った。そこには、黄巾の残党、孫仲(そんちゅう)・韓忠(かんちゅう)・趙弘(ちょうこう)の三賊将がたて籠(こも)っていた。
七
- 「賊には援(たす)けもないし、城内の兵糧(ひょうろう)も徒(いたずら)に敗戦の兵を多く容(い)れたから、またたく間に尽きるであろう」
- 朱儁は、陣頭に立って、賊の宛城(えんじょう)の運命を、かく卜(うらな)った。
- 朱儁軍六万は、宛城の周囲をとりまいて、水も漏(も)らさぬ布陣を詰(つ)めた。
- 賊軍は、
- 「やぶれかぶれ」の策を選んだか、連日、城門を開いて、戦(たたかい)を挑(いど)み、官兵賊兵、相互に夥(おびただ)しい死傷を毎日積んだ。
- しかしいかんせん、城内の兵糧はもう乏(とぼ)しくて、賊は飢渇(きかつ)に瀕(ひん)して来た。そこで賊将韓忠は遂に、降使(こうし)を立てて、
- 「仁慈(じんじ)を垂(た)れ給(たま)え」と、降伏を申し出た。
- 朱儁は、怒って、
- 「窮(きゅう)すれば、憐(あわ)れみを乞(こ)い、勢いを得れば、暴魔(ぼうま)の威(い)をふるう、今日に至っては、仁慈(じんじ)も何もない」
- と、降参の使者を斬って、なおも苛烈(かれつ)に攻撃を加えた。
- 玄徳は、彼に諫(いさ)めた。
- 「将軍、賢慮(けんりょ)し給え。昔、漢の高祖(こうそ)の天下を統(す)べたまいしは、よく降人を容(い)れてそれを用いた為(ため)といわれています」
- 朱儁は、嘲笑(あざわら)って、
- 「ばかを言い給え。それは時代による。あの頃は、秦(しん)の世が乱れて項羽(こうう)のようながさつ者の私議暴論が横行して、天下に定まれる君主もなかった時勢だろ、故(ゆえ)に高祖は、讐(あだ)ある者でも、降参すれば、手なずけて用(つか)う事に腐心したのである。又、秦の乱世のそれと、今日の黄賊とは、その質が違う。生きる利なく、窮地(きゅうち)に墜(お)ちたが故に、降を乞うて来た賊を、愍(あわ)れみをかけて、救(たす)けなどしたら、それはかえって寇(あだ)を長(ちょう)じさせ、世道人身に、悪業を奨励するようなものではないか。この際、断じて、賊の根を絶(た)たねばいかん」
- 「いや、伺(うかが)ってみると、たいへんごもっともです」
- 玄徳は、彼の説に伏(ふく)した。
- 「では、攻めて城内の賊を、殲滅(せんめつ)するとしてもです。こう四方、一門も遁(のが)れる隙間(すきま)なく囲んで攻めては、城兵は、死の一途(いちず)に結束し、恐ろしい最後の力を奮い出すにきまっています。味方の損害も夥(おびただ)しい事になりましょう。一方の門だけは、逃げ口を与えておいて、三方からこれを攻めるべきではありますかいか」
- 「なるほど、その説はよろしい」
- 朱儁は、直ちに、命令を変更して、急激に攻めたてた。
- 東南(たつみ)の一門だけ開いて、三方から鼓(こ)をならし、火を放った。
- 果たして、城内の賊は、乱れ立って一方へくずれた。
- 朱儁は、騎を飛ばして、乱軍の中に、賊将の韓忠(かんちゅう)を見かけ、鉄弓(てっきゅう)で射とめた。
- 韓忠の首を、槍(やり)に突き刺させて、従者に高く振り上げさせ、
- 「征賊大将軍朱儁、賊徒の将、韓忠をかく葬(ほうむ)ったり。われと名乗る者やなおある」
- と、得意になって呶鳴(どな)った。
- すると、残る賊将趙弘(ちょうこう)、孫仲(そんちゅう)のふたりは、
- 「あいつが朱儁か」と、火炎の中を、黒驢(こくろ)を飛ばして、名のりかけて来た。
- 朱儁は、たまらじと、自軍のうちへ逃げこんだ。韓忠親分の、讐(かたき)と怒りに燃えた賊兵は、朱儁を追って、朱儁の軍の真ん中を突破し、まったくの乱軍を呈(てい)した。
- 賊の一に対して、官兵は十人も死んだ。朱儁につづいて、官軍はわれがちに十里も後ろへ退却した。
- 賊軍は、気をもり返して、城壁の火を消し、ふたたび四方の門を固くして、
- 「さあいつでも来い」と構え直した。
- その日の黄昏(たそがれ)、多くの傷兵が、惨(さん)として夕月の野に横たわっている。官軍の陣営へ、何処(どこ)から来たか、一彪(いっぴょう)の軍馬が馳(か)け来(きた)った。
八
- 「何者か」
- と、玄徳等は、やがて近づいて陣門に入るその軍馬を、幕舎の傍(かたわ)らから見ていた。
- 総勢、約千五百の兵。
- 隊伍(たいご)は整然、歩武(ほぶ)堂々。
- 「そもこの精鋭を統(す)べる将はいかなる人物か」を、それだけでも思わすに足るものだった。
- 見てあれば。
- その隊伍の真っ先に、旗手、鼓手の兵を立て、続いてすぐ後から、一頭の青驪(せいり)に跨(また)がって、威風あたりを払って来る人がある。
- これなんその一軍の大将であろう。広額(こうがく)、闊面(かつめん)、唇(くちびる)は丹(たん)のようで、眉(まゆ)は峨眉山(がびさん)の半月のごとく高くして鋭い。熊腰(ゆうよう)にして虎態(こたい)、いわゆる威あって猛(たけ)からず、見るからに大人(たいじん)の風(ふう)を備えている。
- 「誰かな?」
- 「誰なのやら」
- 関羽も張飛も、見守っていたが、ほどなく陣門の衛将(えいしょう)が、名を糺(ただ)すに答える声が、遠くながら聞こえて来た。
- 「これは呉郡(ごぐん)富春(ふしゅん)(江蘇省(こうそしょう)・上海(シャンハイ)附近)の産で、孫堅(そんけん)、字(あざな)は文台(ぶんだい)という者です。古(いにしえ)の孫子(そんし)が末葉(まつよう)であります。官は下邳(かひ)の丞(じょう)ですが、このたび王軍、黄巾の賊徒を諸州に討(う)つと承(うけたまわ)って、手飼(てがい)の兵千五百を率(ひき)い、いささか年来の恩沢(おんたく)にむくゆべく、官軍のお味方たらんとして馳(は)せ参(さん)じた者であります。――朱儁将軍へよろしくお取り次ぎを乞(こ)う」
- 堂々たる態度であった。
- 又、音吐(おんと)も朗々(ろうとう)と聞こえた。
- 「…………」
- 関羽と張飛は、顔を見合わせた。先には、潁川(えいせん)の野(や)で、曹操(そうそう)を見、今ここに又、孫堅という一人物を見て、
- 「やはり世間はひろい、秀(ひい)でた人物がいないではない。ただ、世の平静なる時は、いないように見えるだけだ」と、感じたらしかった。
- 同じ、その世間を、
- 「甘くはできないぞ」
- という気持を抱いたであろう。なにしろ、孫堅(そんけん)の入陣は、その卒伍(そつご)までが、立派だった。
- 孫堅の来援を聞いて、
- 「いや呉郡富春(ふしゅん)に、英傑ありと、かねてはなしに聞いていたが、よくぞ来てくれた」
- と、朱儁はななめならず欣(よろこ)んで迎えた。
- きょうさんざんな敗軍の日ではあったし、朱儁は、大いに力を得て、翌日は、孫堅が淮泗(わいし)の精鋭千五百をも加えて、
- 「一挙に」と、宛城(えんじょう)へ迫った。
- 即ち、新手(あらて)の孫堅には、南門の攻撃に当たらせ、玄徳には北門を攻めさせ、自身は西門から攻めかかって、東門の一方は、前日の策のとおり、わざわざ道をひらいておいた。
- 洛陽の将士に笑わるる勿(なか)れ」
- と、孫堅は、新手でもあるので、またたく間に、南門を衝(つ)き破(やぶ)り、彼自身も青毛(あおげ)の駒(こま)を降りて、濠(ごう)を越え、単身、城壁へよじ登って、
- 「呉郡(ごぐん)の孫堅(そんけん)を知らずや」
- と賊兵の中へ躍(おど)り入(い)った。
- 刀を舞わして孫堅が賊を斬(き)ること二十余人、それに当たって、噴血(ふんけつ)を浴びない者はなかった。
- 賊将の趙弘(ちょうこう)は、
- 「ふがいなし、彼奴(きやつ)、何ほどのことやあらん」
- 赫怒(かくど)して孫堅に名のりかけ、烈戦二十余合(ごう)、火をとばしたが、孫堅はあくまでもつかれた色を見せず、たちまち趙弘を斬って捨てた。
- もう一名の賊将孫仲(そんちゅう)は、それを眺(なが)めて、かなわじと思ったか、敗走する味方の賊兵の中に紛(まぎ)れこんで、早くも東門から逃げ走ってしまった。
九
- その時。
- ひゅっと、どこか天空で、弦(つる)を放(はな)たれた一矢(いっし)の矢うなりがした。
- 矢は、東門の望楼のほとりから、斜めに線を描いて、怒濤(どとう)のように、われがちと敗走してゆく賊兵の中へ飛んだが、狙(ねら)いああまたず、今しも金蘭橋(きんらんきょう)の外門まで落ちて行った賊将孫仲の頸(うなじ)を射貫(いぬ)き、孫仲は馬上からもんどり打って、それさえ眼に入らぬ賊兵の足にたちまち踏みつぶされたかに見えた。
- 「あの首、掻(か)き取(と)って来い」
- 玄徳は、部下に命じた。
- 望楼の傍(そば)の壁上に鉄弓を持って立ち、目ぼしい賊を射ていたのは彼であった。
- 一方官軍の朱儁も、孫堅も城中に攻め入って、首を獲(と)ること数万級、各所の火炎を鎮(しず)め、孫仲・趙弘・韓忠三賊将の首を城外に梟(か)け、市民に布告を発し、城頭の余燼(よじん)まだ煙る空に、高々と、王旗を飜(ひるが)えした。
- 「漢室万歳」
- 「洛陽軍万歳」
- 「朱儁大将軍万歳」
- 南陽(なんよう)の諸郡もことごとく平定した。
- 彼(か)の大賢良師張角が、戸毎(こごと)に貼(は)らせた黄いろい呪符(じゅふ)もすべて剥(は)がされて、黄巾の兇徒(きょうとは、まったく影を潜(ひそ)め、万戸泰平を謳歌(おうか)するかに思われた。
- しかし、天下の乱は、天下の草民から意味なく起こるものではないむしろその禍根(かこん)は、民土の低きよりも、廟堂の高きにあった川下より川上の水源にあった政(まつりごと)を奉(ほう)ずる者より、政を司(つかさど)る者にあった。地方よりも中央にあった。
- けれど腐れる者ほど自己の腐臭には気づかない。又、時流のうごきは眼に見えない。
- とまれ官軍は旺(さかん)だった。征賊大将軍は功成(な)って、洛陽へ凱旋(がいせん)した。
- 洛陽の城府は、挙(あ)げて、遠征の兵馬を迎え、市は五彩旗(ごさいき)に染まり、夜は万燈(まんどう)に彩(いろど)られ、城内城下、七日七夜というもの酒の泉と音楽の狂いと、酔いどれの歌などで沸(わ)くばかりであった
- 王城の府、洛陽は千万戸という。さすがに古い伝統の都だけに、物資は富み、文化は絢爛(けんらん)だった佳人(かじん)貴顕(きけん)たちの往来は目を奪うばかり美しい。帝城は金壁(きんぺき)にかこまれ、瑠璃(るり)の瓦(かわら)を重ね、百官の驢車(ろしゃ)は、翡翠門(ひすいもん)に花の淀(よど)むような雑閙(ざっとう)を呈(てい)している。天下のどこに一人の飢民(きみん)でもあるか、今の時代を乱兆(らんちょう)と悲しむ所謂(いわれ)があるのか、この殷賑(いんしん)に立って、旺(さかん)なる夕べの楽音を耳にし、万斛(ばんこく)の油が一夜に燈(とも)されるという騒曲(そうきょく)の灯(ともしび)の宵(よい)早き有様を眺むれば、むしろ、世を憂(うれ)え嘆(なげ)く者のことばが不思議なくらいである。
- けれど。
- 二十里の野外、そこに連(つら)なる外城の壁からもし一歩出て見るならば、秋は更(ふ)けて、木も草も枯れ、徒(いたず)らに高き城壁に、蔓草(つるくさ)の離々(りり)たる葉のみわずかに紅(あか)く、日暮れれば茫々(ぼうぼう)の闇一色(やみいっしょく)、夜暁(よあ)ければ颯々(さつさつ)の秋風ばかり哭(な)いて、所々の水辺に、寒げに啼(な)く牛(うし)の仔(こ)と、灰色の空をかすめる鴻(こう)の影を時稀(ときたま)に仰(あお)ぐくらいなものであった
- そこに。
- 無口に屯(たむろ)している人間が、枯木や草をあつめて焚火(たきび)をしながら、わずかに朝夕の寒さをしのいでいた。
- 玄徳の義軍であった。
- 義軍は、外城の門の一つに立って、門番の役を命じられている
- と言えば、まだ体裁はよいが、正規の官軍でなし、官職のない将卒(しょうそつ)なので、三軍洛陽に凱旋(がいせん)の日も、ここに停(とど)められて、内城から先へは入れられないのであった。
- 鴻(こう)が飛んで行く。
- 野芙蓉(のふよう)に揺(ゆ)らぐ秋風が白い。
- 「…………」
- 玄徳も、関羽も、この頃は、無口であった。
- あわれな卒伍(そつご)は、まだ洛陽の温かい菜(な)の味も知らない。土竜(もぐら)のように、鉄門の蔭(かげ)に、かがまっていた。
- 張飛も黙然と、水洟(みずばな)をすすっては、時折、ひどく虚無に囚(とら)われたような顔をして、空行く鴻の影を見ていた。
最終更新:2017年12月20日 07:29