本文
- トカトントンといふのは金槌で釘を打つ音である。
- 終戰直後營庭で聞いたその音が、「不思議なくらゐ綺麗に私からミリタリズムの幻影を剝ぎとつてくれた」代りに、「何か物事に感激し、奮い立たうとすると、どこからとも無く、幽かに」その幻聽が聞こえて來て、身動き出來なくなつてしまつた靑年の心情が、この作者らしい正確な感覺と、伸びのある緩い感情に裏打ちされた好短篇である。
- 讀者は多分讀みながら時々噴き出してしまふであらう。しかしその途端に、トカトントン、さうしてその繰り返しが氣にならず、その技巧さへも少しも氣にかゝらないのは、久しぶりにこの作者の創作感情が初々しく流露したからであらう。その靑年の手紙を受け取った某作家は最後にイエスの言をもつて一喝を與へてゐる。――などと書けば、私はこの作家を恥しがらせるかも知れない。一應それはこの作家らしい美しい技巧であらう。しかし、この靑年も某作家も、所詮はこの作家自身の二つ分身であると思はれる。トカトントンはいつもこの人の耳に聞えて來るに相違ない。同時にイエスの言に霹靂を感ずることを願ふのも、この人自身ではなからうか。この人とは、それはこの作者ひとりのことではない。誰の耳にもトカトントンは聞こえて來るのである。
最終更新:2017年11月27日 08:04