一
- 「何て野郎だ。インチキ奴が」
- 思はず三宅正信氏は心の中で叫んだ。さうして手に持つてゐた手帳を、其の場に投げつけたい程腹が立つて來た。三宅氏は荒荒しく自分の椅子に腰を下すと、手帳を机の上に叩きつけた。が、彼の腹立ちは到底そんなことでは治まらなかつた。否、かへつてそれは腹立ち以上のものに變つて行つた。三宅氏は次第に手に負へない自嘲を感じ始めた。
- 正午過ぎの仕入係室は、がらんとして、もう誰も居なかつた。大方賣場に出たり、問屋歩きに出て行つたのであらう。机の上には湯呑や灰皿が亂雑に殘されてあつた。三宅氏はそつと手帳を開いてみた。其處には、今こつそりと寫して來た、堀川商店の月月の仕入高が記入されてあつた。最初、取引きを始めた月仕入高は百五圓八十銭であつた。その次ぎの月は貮百八拾圓貮拾五錢、その次ぎは四百五拾七圓八拾六錢、さう言ふ風に順次增えて行つて、先月の仕入高は千貮百圓參拾錢となつてゐた。三宅氏は一寸目を上げて邊りを見廻してから、一枚の名刺をポケットから取り出した。その裏には矢張り澤山の數字が書かれてあつた。三宅氏は、それも作者内密に、細君の家計簿から寫し取つて來たものであつた。三宅氏はそつと算盤を取つて、小さく珠を動かせて見た。名刺に書かれてある數字と同じ數g順番に算盤の上に出て來た。
- 「畜生!やつぱり歩で來やがつた」
- 名刺の裏に書かれてある數字は、丁度堀川商店の仕入高の五歩に當つてゐた。
- 「馬鹿め!」
- 三宅氏はさう呻るやうに言つた。が、それは一體誰に向つて言つた言葉か、自分でも判らなかつた。三宅氏は頭を抱へて、机の上に俯伏してしまつた。灰色の空には、廣告の輕氣球がぽくんぽくんと三つも浮かんでゐた。さうして時時ゆたりゆたりと、巨大な頭を動かせてゐた。
- 最初の月、堀川商店からだと言つて、三宅氏の宅へ五圓貮拾九錢と言ふ變な金が届けられた。
- 「これ、なんですの?」
- 其の時、三宅氏が店から歸つて來ると、夫人がいきなりさう言ひながら、金の無造作に入れられた、茶ハトロンの狀袋を三宅氏の前に出したのだつた。
- 「堀川から?をかしいな」
- 「何かお立替になつたのぢやない。だつて貮拾九錢なんて變ですわ」
- 三宅氏はそれから四五日は毎日その狀袋をポケットに入れて店へ出た。さうして、堀川商店の出張員堀川治助君を毎日探させた。が、治助君はもう大阪へ歸つたのか、一寸も姿を見せなかつた。その内に三宅氏は不圖したことから、その金を使つてしまつた。が、細君にそれを言ふのも一寸面倒なので、いづれ治助君に逢つて、訊き正してからのことにしよう、と思つてゐた。其處へ堀川治助君はいつものやうに、帽子を阿彌陀に冠り、大きな鞄をぶら提げてやつて來た。三宅氏は思はずきりつとなつて、あの金のいはれを嚴しく訊き正さうとした。
- 「あ、あれでつか。三宅はん。あれは、おもろうおまつねん。見てなはれ。おもうろうおますで。今にな、あんた、三宅はん、ほらおもろうなりまつで。な、も三つ月だ。見てなはれ。ぼろ糞だ。もうちやんちやんだ。な、三宅はん。ほてまた今日が、あんたぼろ糞だんねん、專賣だ。な新案だ。うち權利皆買うたりましてん。見とくなはれや。吃驚せんと」
- さう言いながら、堀川治助君は、もうどんどん机の上に見本を列べるのであつた。
- その次ぎの月末に、堀川商店から三宅氏の宅へ届けられた金は、拾四圓拾六錢であつた。
- 「また持つて來たのよ。あなた、これ何ですの」
- 夫人は今度は何か疑ひ深さうに言つた。
- 「うん。いや一寸預つといてくれ」
- 三宅氏は一寸狼狽ててさう答へた。が、その後から、勇ましい腹立ちが湧き起つて來た。
- 「叩き返してやる。さうして取引中止だ!」
- が、そんな勇ましい腹立ちは、さういつまでも續くものではなかつた。三宅氏は、もうその翌日には普斷の顔付きで、店に出て居た。が、流石にそれから二三日して、堀川治助君がやつて來た時には、三宅氏は殊更に眉間に皺を寄せて云つた。
- 「おい、君、困るぢやないか。一體あれはなんだね」
- 「なん云うてやはりまんねん。三宅はん。あれでんが、おもろいの。な、おもろうおまんで。もう直また。一と月だ。な二た月だ。さうだ。二た月だ。たまりまへんで。おもうろうて。三宅はん。煙草おまつか。一本おくんなはれ。あての何處へ行きよつたやろ。ああさうだ。始めからおまへんねん」
- 澤山の顔が一齊ににやにやと笑ひながら治助君の方を振り向いた。それで、三宅氏は、例の金のことを、其の時も訊き正す譯には行かなかつた。
- 次ぎの月末にも堀川商店からは三宅氏の宅へ例の變な金が届けられた。今度の額は貮拾圓八拾九錢であつた。が、今度は夫人は、ただかう云つただけだつた。
- 「あれ、預つて置きますよ。堀川の……」
- 「う、うん……」
- 三宅氏はさう云つた。が、それは云つたのではなく、そんな聲を仕方なく出したのであつた。
- その次ぎの月からは、細君はもう何も云はなくなつた。さうして三宅氏もまた何も訊かうとはしなかつた。が此の頃三宅氏の家では、今迄永い間家内中の大問題になつてゐたやうな品物が、肝腎の三宅氏には何も相談もなく、買はれ出した。例へば今年十九になる娘の繪羽織だとか、中學に行つてゐる息子の寫眞機だとか、さうしてそれは三宅氏にとつて何と言ふ情ない、否もう我慢の出來ないことであらう。夫人までが、此の間、安狐の襟卷を買つたのである。其の上、此の夫人は、今迄、手ぜまだ、手ぜまだ、と、散散家の小さいことをこぼしておいて、到頭かう言ひ出した。
- 「ねえ、お父さん。いい家があるのよ。越しませうよ」
- 「馬鹿!」
- 其の時、三宅氏は思はずさう呶鳴つた。さうして、その自分の聲に、却つて自分自身がハッと目が醒めたやうに思はれた。三宅氏は早速細君の家計簿を調べて見た。堀川商店から、三宅氏の家に届けられた金は、先月は六拾圓貮錢、先先月の如きは、六拾九圓七拾五錢と云ふ額に上つてゐた。其處で三宅氏はただ譯もなく決然として、今日の店の仕入帳を調べたのであつた。が併し、それが大體どうした、と云ふのだ。それはただ、百貨店壽屋の雑貨仕入主任、三宅正信氏が、堀川商店から、月月その仕入高の五歩にあたる歩錢を収めてゐた、と、言ふことを確かめ得たに過ぎなかつたのである。
- 三宅氏は椅子から立ち上つた。さうして窓の方へ歩いて行つた。
- 百貨店壽屋の六階にある、この仕入係室から見下すと、銀座の街も、まるで駄菓子屋の店先のやうに、ぶざまで、さうして他愛のないものであつた。向かひのビルディングの窓窓には、立派な紳士達が熱心に執務してゐるのが、よく見られた。が、その鼻先の商家の家根の上には、白や赤の洗濯物がヒラヒラと吹かれてゐ、こちらの赤錆びたトタンの屋根の上には、古びた蒲團が干されてゐた。さうしてそんな屋根が、凸凹、凸凹と何處までも續いてゐた。
- 一體、三宅氏は何を見てゐるのであらう。窓の硝子に額を押し當てたまま、いつまでもいつまでも動かうとしなかつた。
- 永い時間が經つた。三宅氏も、さうさういつまでも動かないでゐるわけにも行かなかつたが、すごすごと賣場の方へ出て行つた。
二
- 百貨店壽屋の仕入室は、今、取引の眞最中であつた。朦朦と立ち籠つた煙草の煙の中で、幾十人の人間達がわいわい呶鳴り合ひ、犇めき合つてゐた。
- 「おい」と一人の若い仕入方が言つた。その男は、色の白い、一寸整つた目鼻立の靑年であつた。が、髪の毛はボマードでてかてか光つてゐ、派手な赤味がかつたネクタイを締めてゐた。
- 「どうするんだい」とその若い仕入方は、氣障に腰を一つ捻つてから、重ねて言つた。
- 「どうするつて、そいつは殺生ですなア」
- 「何が殺生だい」
- 「然し、そんな……」
- 「ぢや、君訊くがね。丸星はどうしたんだ。丸星は」
- 「ああ、あの丸星さんのやつですか。あれは去年の殘品で、さうです、五ダースもありましたか……」
- 「馬鹿!おい、あんまり人を舐めたこと言ふな。廣告は何だい。あの丸星の廣告は。ちやーんと、出てるぢやないか。産衣セット箱入、九拾錢の處、五拾錢。駄目だよ、逃げようたつてな」
- 此の若い仕入方と言ひ爭つてゐた、番頭は、矢張二十五歳位の年配で、仕入方とは反對に、無骨な、實直さうな男であつた。
- 「弱つたなア……」
- その番頭は、いかにも弱つたやうに、首根を叩きながら、さう言つた。すると、今迄默つて立つてゐた、年上の仕入方が意地惡く、殊更に靜かに、そのまるで立てつけの惡い造作のやうな顔に、微笑さへ浮かべてかう言つた。
- 「南さん、そんなに弱らなくたつていいさ。まさか君の店だつて丸星さんで五拾錢で賣つたものを、うちの店で九拾錢で賣らさうとは言はないのだらうからね」
- 「そら、さうです。ぢや、一つやります。併し五ダース限りつてことにして頂いで……」
- 「馬鹿!十ダースや百ダースで足りるか。へなちよこ」
- 「そ、そんな……」
- 「何がそんなだ。五ダースぽつちの特賣が出來るか。うちの名前でだな」
- 「無茶だなア。然しそんなこと」
- 「無茶とは何だ」
- 若い仕入方は、パチンと指を鳴らして威丈高に身を構へた。すると番頭は、ちらつとその相手の姿を見ると、そのまま顔を外向けてしまつた。
- 此處では、かうした取引上の論爭はもうあちらでもこちらでも湧き起つてゐた。馬鹿、畜生、糞たれ、そんな言葉が、まるでいかにも立派な言葉であるかのやうに呶鳴り立てられた。が、さうかと思ふと、また方方でワッハッハワッハッハと腹を抱へて笑ひ合つてゐるのもゐた。また中には髭の生えた大の男がふうふう言ひながら、相撲のやうに四つに組合つて、股倉の握り合ひをやつてゐるのもゐた。それはもう部屋中の者がまるで何かに憑かれてゐるやうな、上づつた空氣だつた。
- 先刻の二人の仕入方の所へは、入れ替わり、いろんな人が挨拶に來た。年を寄つたのや、若いのや、太いのや、細長いのがやつて來た。
- 「こんちは。奥村でございます」
- 「柴商會で。御用はありませんか」
- すると、若い方の仕入方は、如何にも憎憎し氣に顎をしやくり上げながら、かう言つた。
- 「ああ、ない。ない。何もない」
- が然し、それ位で大人しく引き退るやうな彼等ではなかつた。彼等は暫くすると、またちよろちよろと顔を覗かせた。
- 「こんちは。奥村でございます」
- 「馬鹿!用事はないと言つたら。早く歸れ。早く歸れ」
- 「へえ」
- さう言つて、一人が顔を引込たかと思ふと、また横から一人が顔を突き出すのだつた。
- が、この二人の仕入方と南商店との商談は中中手打が出來さうになかつた。南商店の若い番頭は耳を塞ぎ、目を閉ぢ、口を噤んで、いかなる罵聲にも應じなかつた。
- 雑貨仕入部長、三宅正信氏は先刻から悠然と肩を張り、或はいかにも思慮深さうに手を後に組んだりして、部屋中を歩き廻つてゐた。さうして、一一挨拶に來る連中に、輕く會釋を返したり、また時時は一寸ばかり話の中に入つて行つたりしてゐた。
- 「どうしたね。南」
- 三宅氏は靜かに立ち上ると、南商店の若い番頭の肩をぽんと叩きながら、さう言つた。若い番頭は狼狽てて一つお辭儀をすると、急に口をもぐもぐと動かせた。が、どうしたのか、聲は何も出なかつた。すると若い方の仕入方は口を尖らせ、年上の仕入方はげぢげぢ眉毛を動かしたり、口中を泡だらけにしたりして、事の起りを勝手に説明しはじめた。三宅氏はそれを熱心に聞いてゐる風であつた。が、どんな遠くでなされた挨拶にも相變らず、見逃しなく會釋を返してゐた。
- 「まあ、そいつは中折だね。南。五十ダースだけ我慢するさ」
- 「そ、そりやひどいす」
- 「なに、なに、罪の輕い方だよ。その代りまた大いに儲けさすさ」
- 三宅氏は押へるやうにさう云つた。すると今迄じつと三宅氏の顔を視上げてゐた、その若い番頭の身體が、急にがくがくと慄へ出した。その番頭は物も言はう、よろけながら椅子の上に身を伏せてしまつた。さうして、慄へを止めるためにぎりぎりと自分で自分の手に嚙み附いた。
- 「ええとこへ來よんな。流石に。どうだ。揃てるが」
- 部屋に入ると、もう早速こんなことを言ひながら、丁度其處へ堀川治助君がやつて來た。治助君はいつものやうに帽子を阿彌陀に冠り、合外套の釦はみんな外れてゐた。兩手に提げてゐる大きな鞄と風呂敷包をどたんと床の上に下すと、いきなり一寸帽子を取つて、三宅氏と二人の仕入方に、「毎度、毎度、毎度」と矢繼早のお辭儀礼をした。
- 「いつ來た」と、三宅氏は微笑しながら、言つた。
- 「今朝だ。ほれから、あんた、飛んで來ましてん。三宅はん地下鐵到頭やつて來ましてんな」
- 「ああ、愈々開通してね」
- 「來よりましたな。三宅はん何處から出て來ましてん」
- 「おや、君知らないのかい。淺草、淺草だよ」
- 「さよか。淺草だつか。でんでんとやつて來ましてんやな」
- 「馬鹿。でんでんつて、それなアんだい」
- 若い仕入方が、それでも流石に苦笑しながら言つた。
- 「さよか。然しなんでんな。堤はん。あんたはん、今日はどえらい好かんたらしい顔してやはりまんな。なんだんね。ほれよか煙草おくんなはれ、煙草だつせ」
- 「チェッ。また始めやがつた」
- 「おほけに。いや、マッチはおまんね。おほけに。所で三宅はん。今日はまた變つてまんねやで。變るも、變らんも、もうあんたはん、ぼろ糞だつせ。見とくなはれや」
- 治助君はさう言ひながら、風呂敷包を解いた。中から、ズックに包まれた細長いものが出て來た。
- 「何を持つて來たんだね」と、三宅氏が言つた。
- 「何もへちまもおまへん。ほんまに、あんたはん、吃驚しまつせ」
- ズック包の中からは、長短十數本の、それぞれに金具のついた木片と、美しい模様のある布とが出て來た。治助君は得意氣にそれを組合せながら言つた。
- 「どうだ。携帶用子供寢室だ。な、まあ見とくなはれ。これが玩具乘せだ。うまうまだつて乘りまつせ。これは、かうすると、おむつ入れだ。ここへは、ハンケチとか、脱脂綿とか何でも入りま。ほて、あんたはん、見なはれや。これ、かう立てて、これ掛けまつしやろ。ちやんと、お日さん除けだ。夏になつたら、これかうさあつと、蚊帳だ。へえ。どうだす」
- 實際、組み立てられたその子供寢室は、その華奢な恰好や、鮮明な布地の模樣から、まるでパッと開いた大輪の花のやうな印象を、見てゐる人人に與へた。さうして、いつの間にか、澤山の人がぐるりと立ち止つて見てゐた。
- 「ええなア」
- 治助君は首を振りながら言つた。人人の顔には面白さうな、いまいまし氣な、或はまた呆れたやうな、色色の笑ひが浮かんだ。が、ただあの南商店の若い番頭だけは、じつと項垂れたまま、振向かうともしなかつた。
- 「おい、堀川。君の商賣は一體何だい」
- 若い方の仕入方が壁に凭れたまま、皮肉氣に口を歪めてさう言つた。
- 「え?あてだつか。僕の商賣メリヤス屋だ。ほんであんた、身上も滅入りやすや。いや阿呆な。本職だんが。ほれより、あんたはん、まあ來て見なはれ。どうだす。このよいこと。え、三宅はん」
- 「うん、恰好は中中いいが、一寸弱さうだね」
- 「それだ。苦勞しましたん。まづこのきい(木)だ。象のゐよるとこのきいだつせ。買うた時言ふただ、あんた、象の鼻糞だらけだんが」
- 「ば、ばか言つてら」
- 「ほんまでんが。船の甲板やらな、ほれに、ほれ、あのダンス場な、あの床板はみんなこれだ。バンキュライいひますねん。これだ。見てなはれや」
- 治助君はさう言つて、その寢臺に乘つて、と言ふより、尻だけを入れて足をばたばたやつてみた。が、その子供寝寢臺はギイとも言はなかつた。
- 「ふん。成程な」
- 三宅氏は何故か曖昧に、言葉を濁した言ひ方をした。
- 「どうだ。三宅はん。やつとくなはれ。家具ででも、子供用品ででも」
- 「さうだなア。然し君、なんだね。やつぱりメリヤス屋さんからはメリヤス屋さんらしいものを買ふとしようよ」
- 「さよか」
- 三宅氏は默つて、手を後に廻すと、コツコツと歩き出した。
- 「さよか。あきまへんか。よろし。ほんなら本職でいきまひよ」
- 治助君はさう言ふと、寢臺の捩釘を二三本外して、何處を一つとんと叩いた。すると、その途端に寢臺はバラバラと一時に解けてしまつた。
- 「ほう!」
- 思はず、皆の口からそんな聲が發せられた。が、中でも三宅氏の聲が一番大きかつたやうに思はれた。
- 「こないなつてまんね。おもろおまつしやろ」
- 何の未練氣もなくさう言ふと、治助君はさつさともとのズックの包に藏つてしまつた。
- 「さあ、堤はん、本職だつせ。こいつがまた、おますねん。おもろいもん。キヌガーだ」
- 「キヌガー?」
- 「さうだ。絹のガーゼで、絹ガー……」
- 「馬鹿!」
- 「新案だ」
- 「もうよい。もうよい。それより品切れの註文があるんだ」
- 「ほんならほうと、はよ言ひなはれ。遠慮せんと。堤さん賣場に行きまひよ。もう頼りなうてどもならん。荷物はちよいと、かう預かつといてもらつてやつてな。あ、ほおて、三宅はん、子供寢臺、また考へといてやつておくなはれ。あした、また來まつさ」
- 治助君はさう言つて、堤と言ふ若い仕入方の肩を押しながら、賣場の方へ出て行つた。
- 正午近くなるにつれ、一人去り、二人去りして、此の仕入室もいつもの間にか、すつかり靜になつてしまつた。が、あの南商店の若い番頭は、まるで仆れてゐるやうに、椅子に顔を伏せたまま動かなかつた。
- 其處へ治助君が、荷物を取りに返つて來た。さうして、不圖、その番頭の姿を見ると、殊勝な顔付で、言つた。
- 「氣持惡いんでつか」
- 「仁丹おまつで」
- 「いいえ。有難う。いいえ」
- 番頭はやつとさう言ひながら、立ち上つた。が、その儘、顔を隱すやうにして、ふらふらと歩き出した。
- 「大丈夫でつか」
- 「仁丹おまつで。仁丹」
- 「どないしやはりましてん。ほんまに」
- 治助君は、獨りで饒舌りながら、番頭の後から出て行つた。
三
- 此の頃、三宅正信氏には、妻の春子夫人が、まるで何か見るも厭な動物のやうに、憎憎しく思はれて來た。が、それには別にこれと言ふ譯があるのではなく、ただ春子夫人のあの白く肥つた身體を見てゐると、譯もなく無性に腹が立つて來るのであつた。が、春子夫人は三宅氏よりも八つも年下で、非常に健康で快活であつた。だから、彼女はいつも身體を搖すりながら家中を歩き廻り、また子供達を相手に屡々高い笑聲を家中に響かせた。
- が、もつともつと惡いことには、三宅氏は此の頃ではもう自分の子供達までが憎らしく思はれて來た。娘のまち子はいつも部屋の眞中にべたりと坐つて、べちやくちや饒舌つてゐるか、さうでなければきつと何かをむしやむしやと頰張りながら、蓄音機を鳴らし續けてゐた。三宅氏はそれを見ると、もういきなりその母親に似た大きな尻を思ひきり蹴飛ばしたくなるのであつた。また、息子の良一は、暇さへあればボールを投げる恰好をしてゐた。が、實際には、野球など一度もやらなかつた。それよりか、母親の尻つきや、少女歌劇の少女達の噂□話の方が、好きであつた。さうして、氣の至つて弱い癖に、口だけは大きな口をきいた。
- 「パパ公歸つてるかい」
- そんな聲を聞くと、三宅氏は、もういきなり襟首を摑んで、突飛ばしたくなるのであつた。
- 其の上、三宅氏は妻の弟の大學生のことを思ふと、もう何もかも手當り次第にぶつつけたくなる程、腹が立つて來た。彼は、三宅氏が苦しい生活の頃から引き取つて、中學から大學へ通はせて來たのであつた。それだのに、彼は此頃ダンスに夢中になつて、變な腰付で、部屋中を歩き廻つてゐた。
- つまり、三宅正信氏は、此の頃、家の中の誰も彼もに、さうしてその見るもの聞くものに、嫌惡の情を感じるのだつた。だが、彼等は三宅氏のこんな氣持などには一向頓着なく、却つて反對に、此の頃は益々浮浮としてゐた。さうして春子夫人を中心に、いかにも樂しさうに笑ひ合つてゐた。
- 「一體全體何がそんなに面白いのだ」
- 三宅氏はいつも腹の中でさう呶鳴つた。が、三宅氏が一寸でもそんな氣振をしようものなら、彼等は直ぐ目顔で何かを合圖し合ひ、時にはくすりと鼻先で笑つたりした。
- 彼等は三宅氏のことを、ただ、無趣味な、判らず屋の親として、馬鹿にしてゐた。さうして、彼等は彼等の父であり夫である三宅氏のことを、滑稽化せずには語らなかつた。
- 「此の頃のお父さん、まるで夕暮れみたいな顔をしてるわね」
- 或る時、春子夫人が子供達の前で、そんなことを言つた。すると、大學生や、子供達は、もう引つくり返つて喜んだ。
- 「素敵。そりやいい」
- 「まあ、母さんて、とても感覺派ね」
- さうして、彼等は到頭三宅氏に「ミスター夕暮れ」と言ふ渾名をつけてしまつた。
- が、三宅氏も三宅氏であつた。三宅氏は、どうかすると、彼等に對して、父として、夫として、思ふべからざることを思つた。例へば、あの大學生が、何か惡いことでもして、巡査にでも引張られて行つてしまふことを、本氣で願望した。また良一のやうな腰拔けは、自動車にでも飛ばされてしまへ、まち子のやすな圖太い女は、狂犬にでも噛まれろ。さうして、春子夫人に對しては、三宅氏はいつもこんな非道なことを妄想してゐた。
- 春子が恐しい顔をした大男に捻伏せられてゐる。春子はヒーヒー悲鳴を擧げて、身を悶えてゐる。――そんな場面を想像した。さうして、それからもつともつと慘酷なことを想像して行つた。が、三宅氏には、露ほどの憐愍の心も動かなかつた。さうして、到頭もう聲も立てられなくなつた、春子夫人の姿を思ふと、三宅氏は始めて、永い間の胸の痞が、すうつと解かれたやうに思ふのであつた。
- 「どうだ。思ひ知つたか」
- 然らば、一體何が三宅氏の家庭をこんな變に浮浮としたものに歪めてしまつたのであらう。さうしてまた、何故に三宅氏はこんな狂はしい憎惡に驅られてゐるのであらう。それは、三宅氏も、春子夫人も、誰も氣がついてゐなかつた。が、それはあの堀川商店から届けられる、月月の歩錢のさせてゐる業であつた。
- 百貨店壽屋の堀川商店からの仕入高はいつの間にか此の頃は非常な額に上つてゐた。例の子供寢臺は三宅氏は一度はああ言つてみたものの、矢張りちやんと、しかも子供用品、家具の兩部で賣出されてゐた。それが、此の頃の需要期に入つて、非常な賣行きをしめしてゐるのであつた。その上、それを機會にしてこの兩部でも種種の商品を堀川商店から仕入れるやうになつた。勿論、洋品部ではガーゼ製品とか、新案物のワイシャツとか、また例の絹ガー製品まで、、新しく仕入れられてゐた。さうして、この絹ガーゼ製品は「滯貨生糸使用」と言ふ、時節柄打つてゆけての名文句附きで、賣出されて居た。この名案を考へ着いたのは、やはり三宅氏であつた。
- 随って、此の頃、堀川商店から三宅氏の宅へ届けられる金子は、非常に多くなつてゐた。それは、どうやら三宅氏の月月の給料より多い樣子であつた。が、快活で、派手好きな春子夫人は、決してその使ひ途に困るやうなことはなかつた。新しく買ひ替へられた、大型の蓄音機は鳴り續けてゐたし、冷蔵庫には、いつも冷めたい飲み物が冷えてゐるやうになつた。さう言つた生活が、若い人達に喜ばれない筈がなかつた。だから、いつも樂しさうな笑聲が益々浮浮しく湧き上るのであつた。
- が、この浮調子な彼等の様子が、三宅氏には思つても腹が立つのであつた。が、それはいつからともなく、知らず知らずのうちに、自然にそんな風になつて行つたのであるから、三宅氏は積り積つた憤懣を爆發させる、此處と言ふ機會がなかつた。だから、それは、丁度いつの間にか凝り固つた惡性の癌種のやうに、もうどうにもしやうのないものであつた。が、今迄は、ただ漠然と、別にこれと言ふ深い理由はなかつた。處が、それが此の頃になつて、次第にもつと深刻な不安の翳を宿し始めて來たのである。
- それは百貨店壽屋の業態が、此の頃、次第に問題になり出したからである。さうして、それは新館增築、五十萬圓增資と言ふ一見非常に華やかな計畫の下から、不思議にも頭を擡げて來たのであつた。
- この百貨店、株式會社壽屋は、江戸時代から連綿とその老舗を誇つて來た、壽屋呉服店の後身であつた。さうしって今も尚株式會社とは言へ、殆ど大内一家だけの資本で經營されてゐた。が、その内情は同業である丸星や、松菱支店の、巨大な資本と、重厚な信用にいつも壓せられ勝であつた。ただ、あの主家思ひの誠實な中村專務の獻身的な努力と、何十年と言ふ永い取引關係である某銀行の特別な好意とによつて、苦しいながらもまづまづ無難に經營が續けられてゐたのである。
- だから、今度の新館の增築も、あの丸星や、松菱支店の堂堂たる建物を見れば、どうしても止むに止まれなかつたことであらうし、その新資本を、今迄から關係の深い問屋側から求めようとしたことも、また當然すぎる當然のことであつたと言ひ得るであらう。
- 三宅氏も他の幹部店員達と同じやうに、毎日毎日、日本橋や神田の問屋街を歩き廻つた。さうして雑貨關係の問屋は、もう一つ殘らず勸誘して廻つたのであつた。が、その成績は他の連中と同じやうに、實に慘慘のものであつた。此の頃では、勸誘はいつの間にか懇願に代つてゐた。が、結局新株の申込書に調印を得たのは、壽屋の仕事だけで生計を立ててゐるやうな、謂はば壽屋の專屬工場のやうな、小さな店だけであつた。さうして、それは勿論、五株や十株が精精であつた。大抵の店は、主人が田舎にゐるので、取計らひ兼ねるとか、また考へて置きませうとか言ふ、實に頼り無い態度を續けてゐた。
- 「壽屋さんも、そろそろ始めたぜ」
- 到頭、そんな噂□まで立つやうになつた。
- 三宅氏も、此の間、或る大きな問屋の、もうまるで顔中因業の皺で固めたやうな、主人からこんなことを言っはれた。
- 「ほら、三宅はん、ほんな繪みたいなもん、なんぼ見せに來たかてあかん。實物が建つてから、來なはい。またほかの時にはなんとか相談に乘ろ」
- その繪と言ふのは、新株募集書の初めにある新館の模型圖であつた。さうしてそれには「壽屋新館の威容」と書かれてあつた。
- 三宅氏は今年の夏ほど暑いと思つた年はなかつた。新館增築と言ふ景氣の良い言葉に子供のやうに勇み立つてゐた始めの元氣は何處へか消えて行つてしまひ、今はただ脂汗ばかり拭いてゐた。が、汗は、何か眼に見えぬ恐しいものの手で押搾られてゐるかのやうに、後から後からしみじみと湧き出して來るのであつた。
- こんな風で、三宅氏は毎夜毎夜もう身も心もへとへとになつて歸つて來た。さうしてやつと我が家の門を開けると、家の中からはいつもいつも蓄音機の賑やかな音が三宅氏の耳へ鳴り響いて來るのであつた。
四
- 壽屋の新株の募集はそんな有樣で全然失敗に終つてしまつた。其の上、否その結果、たつた一つの頼りであつた銀行の態度までが急に一變してしまつた。さうして、中村專務や重役達の必死の努力にもかかはらず、最早壽屋はどうすることも出來ない狀態に立至つてしまつた。それは丁度大波に揉まれ揉まれてゐる、形ばかり大きな古船のやうに、どんな努力も、どんな苦心も何の効果もなかつた。その時、有名な資本家の吉川萬藏氏が救世主のやうに現れて來たのであつた。
- 吉川氏の資本を代表して新しく株式會社の專務取締役に就任した、篠原氏の就任挨拶は壽屋の店員達を非常に感動させた。その挨拶は壽屋の傳來の美風であると言はれてゐる大家族主義の讃美の言葉に終始してゐた。さうしてそれはいかにも精神主義的な言葉に充ち充ちてゐた。篠原氏は最後に、此の美しい傳統はいつまでも護らるべきであり、必ず護るであらうと誓つて、その挨拶を結んだ。
- 「お若いやうですね」
- 「仲仲遣り手だと言ふ話ですよ」
- 「いや然し、我我の精神が解つてゐてくれられるのが、何よりです」
- 「さうです。我我の願ふのは、ただそれだけですからね。いや結構です」
- 店員達の間では、こんな會話があちらこちらで交はされてゐた。丁度永い惡夢から醒めた後のやうに、壽屋の店内には見る見る活氣が漲り出して來た。女店員達の笑ひ聲まで、心のせゐか、何となく晴晴と響いて來た。
- 三宅正信氏は、久し振りで、寛りと仕入室に現れた。壽屋の良くない評判が立ち始めた時、先づ最初に寂れ出した此の仕入室が、今度は眞先に賑ひ出した。壽屋を支持して、續けて商品を納入してゐた店は、此處ぞとばかり賑ひ立つて押寄せて來た。又今迄警戒して、賣澁つてゐた店は、どうかして挽囘せんものと、大頭株がどしどしと集つて來た。其の上、新規の店までがこのどさくさに紛れてうまく取引を結ばせようとして、やつて來た。それで、仕入室は急に人で一杯になつてゐた。三宅氏は、其の間を悠然と肩を張り、或は手を後に組んで、歩き廻つてゐた。さうして、一一丁寧に會釋を交したり、また時時、こんなことを云つて挨拶をしてゐた。
- 「いや、どうも、御心配をかけまして」
- 「とんだデマにやられましてね」
- 然し、實際の取引きは兩方も變に固くなつて、平日のやうには運ばれてゐなかつた。三宅氏は時時冗談などを言つて、皆を笑はせてゐた。
- 「馬鹿!復出て來たのか。來なければいいのに」
- 何處かでそんな罵聲が先づ發せられた。すると、皆は一齊に首を伸して、その方を見た。が、その顔には何だか懐しさうな笑ひさへ浮かんでゐた。仕入室は次第に騒騒しくなつて行つた。さうして、馬鹿、畜生、糞たれ、と言ふやうなあの懷しい呶鳴り聲がそろそろ方方で聞こえ出した。
- 百貨店壽屋は日一日と活氣を增して來た。永い間、板圍のままに捨て置かれた新築の建築場には威勢よくモーターの音が呻り出した。新聞の夕刊には他店を壓するやうな大きな廣告も掲載され出した。すべての面目が一新されたやうに思はれた。店員達は何か得意氣に見える程活氣づいてゐた。さうして何も言はず、唯一人で去つて行つた、中村前專務のことなどいつの間にか忘れてしまつてゐた。
- 處が、突然、全店員の膽をつぶさせるやうなことが起つた。それは五十何人と言ふ店員が、一時に馘首されたのであつた。而も彼等は比較的古參の店員ばかりであつた。いつかの洋品部の年上の仕入方もその中に混つてゐた。
- 引續いて、二人の幹部店員が解職された。此の二人の幹部店員は或る夜篠原專務に料亭に招待され、大御機嫌で、長唄を呻つたり、踊をやつたり、到頭極つて犬の眞似までして、專務の御機嫌を取結んだのであつたが、その翌日ずばりと他愛なくやられてしまつたのであつた。
- 三宅正信氏は、それを聞いた時、思はず聲を上げる所であつた。が、その口は開いたまま、ただぶるぶると震へた。頭が急に熱くなり、額には冷い汗が滲み出た。
- ――何と言ふ醜態だ。
- 三宅氏は臍まで赤くなるやうな恥しさに驅られた。
- 實は、三宅氏も數日前、篠原專務に或る料亭に招かれたのだつた。さうして、三宅氏も矢張り嬉しさのあまり、すつかり酩酊して我が家に歸ると、いきなり春子夫人をとらへてこんなことを言つたのだつた。
- 「おい、あんまり俺を馬鹿にするない。畜生!今夜はこれでも專務の御馳走なんだぞ。二人きりだい。橋本君とわしとだけ、御馳走になつたんだ。專務が言つたんだぞ。君には目を懸けるからつて、來やがらあい。嬉しいわい。な、嘘でも嬉しい。男子の本懐ぢゃ。そりや、わしは決して自惚れん。鼻にはかけん。さうして自惚れん。鼻、鼻にはせん。然しだ。專務が言はれた。君しつかり頼むぞ、つて。どんなもんぢやい、馬鹿!よく聞いとけ。そりや自惚れはせんよ。然しだ、見る人は見てくれてるんだい。然るに何だ。ふざけるない。無禮な!ミスター夕暮れとは何だ!」
- 春子夫人はその最後の言葉を聞くと、思はずくすりと笑つたのであつた。すると、三宅氏はいきなりピシャッと春子夫人の顔を横毆りに毆つた。もうそれからは無茶苦茶であつた。毆る、蹴る、髪を摑んで引き倒す、足を持つて引張る、もうまるで狂人であつた。さうして到頭「野蕃だなア」と、言つた良一君に花瓶を投げて、怪我までさせてしまつたのであつた。……それ以來と言ふもの、今日迄、三宅氏は家人とは、一言も物を言はないのである。
- 三宅氏は、何か大聲で思ひきり呶鳴つてみたかつた。また、涙さへ出るものなら、子供のやうに泣いてみたかつた。それとも、いつそ、高い屋根からごろりごろり轉つて落ちてしまひたかつた。三宅氏は、目も、耳も、手も、足も、臍まで、それでも一人前に揃つてゐる、自分の身體が、今はいつそ可笑しかつた。
- が、三宅正信氏は氣の毒にもそれから數日後、復復恐しいことを耳にしなければならなかつた。それは、洋品部の例の若い方の仕入方、堤君が馘首されたのであつた。而もそれは、彼が南商店のあのいつかの若い番頭から、月月の仕入高の一歩と言ふ歩錢を取つてゐたと言ふことが、判つたからであつた。さうしてそれは、南商店のあの番頭が主家の金を遣ひ込んでゐたことから發覺したのであつた。
- 三宅氏もそろそろ覺悟を決めなければならないやうである。否、三宅氏は最早總ての覺悟を決めてゐた。さうして不思議にも一日も早くその時の來ることを願求した。南商店の番頭は、歩錢のやり方を堀川治助君から教つたことを言つてしまつてゐたのである。それだのに三宅氏は治助君の來ることを願ひ續けてゐた。が、どうしたのか治助君はなかなかやつて來なかつた。
- 今に樂になれる、今に楽になれる、と當もない希望に縋りついて、三宅氏はこの恐しい、今にも息の詰るやうな苦しみをじつと耐へ忍んでゐるのであつた。
- 堀川治助君が戀女房に逃げられて、發狂したと言ふ噂□が聞こえて來た。が、間もなく治助君が發狂したと言ふのは噓だと言ふことが判つた。ただ、治助君が逃げた女房の顔に一度だけ墨で八の字に髭を書くと言ふ條件で女房をその男にくれてやつたのだ、といふ話であつた。
- 「ほら、あの人のこつちや。ほのうちに來やはりますほん」
- その話をした大阪の或る問屋の出張員はさう言つてゐた。が、それも嘘か、本當か。治助君はいつまで經つてもやつて來なかつた。
最終更新:2017年08月28日 16:00