二十五
奮暦九月二日、竹生丸は蝦夷渡海を終り、四日市港に歸港した。竹生丸を下船し、翌朝、歸途についた孝兵衞は關ヶ原に一泊、その翌日、今須、柏原、醒ヶ井を經て、中仙道を上つて行つた。
鳥居本の宿も過ぎ、佐和山の山麓にさしかかると、右手の小高い山の上に彦根城の天守閣が見え初め、軈て、藤村家の墓地のある龍潭寺への道も左折してゐた。が、孝兵衞は流石に先を急ぐかのやうに、中仙道をひたすら南へ向かつて歩いて行つた。
空はどんよりと曇り、江勢國ざかひの山脈は雲に隱れて見えなかつた。が、一望、黄色く熟した稻田の向かふには、和田山や、繖山の山山が、大和繪風な、滑らかな起伏を作つてゐる。その山腹には霞が靜に棚引いてゐて、いかにも穩かな風景である。川岸の草叢の中には、米粒を集めたやうな、薄桃色の花が咲いてゐた。その岸邊を浸して流れてゐる小川の水の上に、不意にいなごが飛び落ちて、泳ぎ去つた。
三度笠を冠り、縱縞の引廻し合羽を翻しながら、孝兵衞は旅慣れた足つきで歩いて行つた。高宮、尼子を過ぎると、中仙道の松並木道は、軈て愛知川の宿に入つて行く。愛知川は街道に沿つた宿場で、蚊帳を主として、麻織物を産した。自らも裏手に小工場を持つた問屋が軒の低い店を並べ、その間に藥屋や、農具などを賣る雑貨屋や、酒屋等が交つてゐる。
その一軒の麻布問屋、卯吉郎店へ、孝兵衞は笠を取りながら入つて行つた。帳場に坐つてゐた卯吉郎が顔を上げるなり、いかにもびつくりした聲で言つた。
「ありや、孝兵衞さん、これは、これは、今、お着きでございますかいな。この度は……おいと、おいと……」
この地方の氣候は北陸道に似てゐて、夏季は溫度が高いが、冬季は寒氣が嚴しく、往往にして大雪が積つた。この寒冷な氣溫が蚊帳絲に適するといはれ、寒風に曝された蚊帳絲は春になると、蚊帳地に織り初められ、雪の來ぬうちに、京、大阪や江戸の問屋に送られるのであつた。
卯吉郎の呼ぶ聲に、今まで裏の方で響いてゐた梭の音が止み、妻女のいとが現れた
「まあ、まあ、旦那さん、ようお歸りやしとくれやす。この度は蝦夷とやらで、えらう御苦勞さんどしたんやてなあし。どないお家はんがお待ちかねのことどつしやろ」
いとはさう言ひながら、卯吉郎の顔を見た。卯吉郎はいとを目で制した。が、孝兵衞は絶えず溢れ出るやうな微笑を浮かべ、合羽を脱いで、框に腰を下した。孝兵衞はふと氣づいた風に言つた。
「時に、五郎七はまだ來てをりませんのかいな」
「五郎七?」
孝兵衞の歸國の際には五郎七が卯吉郎の店まで出迎へるのが恆例であつた。が、その五郎七は、一昨日、暇を出され、歸家の途中、卯吉郎の所に立ち寄つてゐるのである。卯吉郎夫婦の顔には明らかに狼狽の表情が浮かび、急に饒舌に喋り出した。
「ほんに、ほういや、五郎七どん、どないしやはつたんやろ、勿論、お知らせは行つてますんやろにな」
「ほんに、どないしやはつたんやろ、いつも早いもんからきやはりましてなあし。『旦那さんんことや、一刻やかて、早うも、遅うも、お着きやあらへん』言うやたかて、そはそはしてやはりましたもんやのになあし、あなに旦那さん思ひが、どうしやはつたんやろ。お腹でも痛うしやはつたんやおまへんやろか」
「ほうよいな。けんど、まあほれより、早う熱いお茶でも煎れて來んかいな。こん度は、蝦夷とやら、永いことえらいことでございましたなし」
「いや、それほどのことでもありませんがな」
「何やら、アイノとかいふのがゐるさうやおへんかいな」
「アイヌといふのは大人しうございましてな。私達も一晩泊めてもらひましたが、至つて人懐つこい人達なんですよ」
「へえ、泊めて?ようほれでなんともおせなんだなし。わし等江戸までやかて大へんやのに、ほんな遠いとこへよう行つておくれたもんや。お留守居のお方かて、永いこと、御心配なことやつたろ」
「ほうよいな、お家のお方かて、こない永いこと、どうなろいな。ほんでも、長旅のお疲れもなうて」
さう言ひながら、いとは茶器を運んで來て、茶を注いだ。
「ほうや、ちよいと色がお黑うなつておくれたかいな。けんど、却つてお丈夫さうで、嬉しいことでございますわいなし」
孝兵衞は茶を一口啜つて言つた。
「さうさう、忠治郎も至つて元氣にしてますから、御安心なすつて下さいよ」
「ほんに、忠治郎がもうえらいお世話さんでございまして」
忠治郎は卯吉郎の長男で、江戸の藤村の店へ丁稚奉公へ出てゐるのであつた。この地方の子弟達は丁稚奉公に出ることを理想にしてゐた。母親達は、
「ほない無理いふのやつたら、丁稚さんにやらんほん」と、子供達を叱る特異な風さへあつた。
今まで孝兵衞に對して何か憚るところがある風であつた卯吉郎夫婦の態度が、わが子のことと聞き、急に一變した。さうして、そのことが孝兵衞に今までの彼等への不審を忘れされた。
「この頃、急に大きくなりましてな、よくは働いてくれますわい」
「からだばつかり大きうしてもろても、お間に合はんことやろと、ほればつかり案じとりますのやがな」
「どうして、なかなかよくやつてるやうですよ」
「ほうどすやろか。ほうやつたら、嬉しいことなあし」
孝兵衞は腰を上げながら、言つた。
「五郎七は參らぬやうですわい。いや、飛んだお邪魔を致しました」
「ほんでも、五郎七どん、どないしやはつたんやろ」
「ぼうぼつ參つてみませう。途中で、出會ふかも知れませんから」
「ほうどすかいなあし。無理にお留めしたかて、うちらなんやし……」
「ほれに、お家はんや、お子供衆がお待ちかねのことやろで。御出發は確か三月でございましたやもんな。丸半年振りやおへんかいな。どないに待つておいでやすことやろいな」
「ほんなら、あんた、ほこまででもお送りしやしたら」
「いやいや、ここまで來れば、もう目をふたいでゐても歸れますわいな」
孝兵衞は合羽を羽織つた肩に、荷物を振り分けながら、いかにもほつとしたやうに微笑した。が、その笑顔は、この長旅の辛苦がいかに激しかつたかを語るかのやうに却つてひどく淋しげに見えた。
「えらう、お愛想なしどして。お天氣は保ちますやろかな」
「大丈夫でございませうよ。では、失禮致しますよ」
「ほんなら、お靜かさんになあし」
孝兵衞は笠を手に持つたまま、卯吉郎夫婦に一揖すると、歩き出した。夫婦はその後姿を見送つてゐたが、軈て孝兵衞の姿が松並木の蔭に見えなくなると、どちらからともなく向かひ合つてゐた。
「何にも知りなはらんらしいな」
「ほうよいな。お氣の毒さんになあ」
「長い旅から歸つて來てみると、自分の女房が穢されてたつて、たまらんな」
「なんぼ儲かるか知らんけど、ちよいと長過ぎるわいな。あれではお家はんかて、無理もないもんな」
話しながら、家の中に入らうとするいとの耳に、卯吉郎が囁いた。
「なあ、おいと、孝兵衞さん、今晩しなはるやろか」
「阿呆なこと言はんとき、厭らしやの、この人つたら」
どんやりと垂れ籠めた雨雲の下に、黑繪のやうな愛知川の風景が展けえゐた。川に水はなく、砂の上には、大小無數の意志が轉がつてゐた。いかにも水に流されて來た石がそれぞれ止まつたままの姿勢を保つてゐるかのやうに思はれた。堤には尾花が白く長け、永い木の橋が架かつてゐる。その橋を渡ると、井伊領を離れ、郡山、柳澤の藩領に入る。
橋の袂にさしかかつた孝兵衞は足を停め、總ての光彩を消したやうな、この磧の閑寂な風景を眺めてゐたあ、ふと、足下の白い石の上に動くもののあるのが目に入つた。よく見ると、雀よりもやや小さい小鳥であつた。頭と羽は黑褐色で、頸から腹にかけて白く、俗に「磧千鳥」と呼ばれてゐる小千鳥で、激しく羽を振り動かしてゐるのである。
「何をしてゐるのだらう」
孝兵衞はさう思つて、堤の蛇龍の上へ歩いて行つた。が、千鳥は飛び立つ風もなく頻りに羽を振つた。孝兵衞が蛇龍を傳つて、磧に降りると、千鳥は體を曲げたり、頸を振つたりして逃げて行く。が、孝兵衞が磧に降りたまま立つてゐると、千鳥も逃げるのを止め、羽を振り動かすので、小鳥は明らかに孝兵衞を意識してゐるやうである。
孝兵は殊更荒荒しく追ひ立てるやうにして千鳥に迫まつてみた。しかし、千鳥は飛び立つ氣配はなく、孝兵衞と殆ど同じ間隔を保ちながら、奇妙な恰好に體をくねらして逃げ、孝兵衞が停ると、千鳥も石の上に停まつて、羽を振つた。
何より不思議なことは、最初の白い石といひ、今の大きい石といひ、小鳥は常にその身をわざと目立つ所に置かうとしてゐるらしいことであつた。言ひ換へれば、まるで千鳥はその生命をいつも一番危險なところに曝さうとしてゐるやうなものではないか。一體、これは何を意味するのであらうか。
孝兵衞はいつか腕を組んで、その場に跼つてゐた。千鳥はそんな孝兵衞の樣子を窺ふかのやうに、頸を拈つたりしてゐたかと思ふと、また激しく羽を振つた。
羽を振るといふよりは、羽を低く垂れ擴げ、或は挑みかかるやうにその羽を切り、或は痙攣するやうに慄はせてゐる千鳥の姿態からは、何か常ならぬものが感じられた。少くとも、小鳥が生命の危險さへも顧みないほどの、昂奮狀態にあることだけは確かだつた。或は、鳥類の性にでも關係のあることか、その小さい體全體に漲つてゐる必死なものは、却つて悦樂の恍惚感の中にゐるやうにさへ思はれた。が、雨雲の下の、この砂礫ばかりの風景の中では、孝兵衞の目に、生命のあるものは、この一匹の千鳥の他には見當らなかつたのである。
不意に、目の前の飴色の石を、ぼつりと雨が濡らして、忽ち消えた。孝兵衞は急いで立ち上つた。石の上で、小千鳥は頸の毛を逆立て、一層激しく羽を慄はせた。
二十六
その翌日、孝兵衞は中仙道を昨日とは逆の方向に向かつて、歩いて行つた。佐和山山麓の龍潭寺で、彦根藩士の中野右近と孝兵衞は内密に會見する手筈になつてゐたからである。
その日は秋晴れの好日で、伊吹山や靈仙ヶ嶽、釋迦ヶ嶽等の鈴鹿山脈の峰峰が北方の空に聳え、熟した稻が香ばしい香りを立ててゐた。が、作や、流石に快い眠りを取ることの出來なかつた孝兵衞には、輝かしい秋の日光も目に痛いばかりであつた。
小幡の部落を過ぎると、道は待つ、柏、榎、櫟、樫等の茂つてゐる雑木林の中に入つて行つた。林の中は濕地で、水の湧き出てゐるところも、木立の間から見えた。道には孝兵衞の他には人影はなかつた。
孝兵衞の頭からは、昨日の小千鳥の姿が片時も離れなかつた。昨日、妻、とよの痛ましい告白を聞いた時、直ぐあの千鳥の姿が浮かんだ。同時に、あの千鳥は巢持ち鳥ではなかつたか、といふことが、彼の頭に閃いたのであつた。
その故に、最も危險に曝されてゐた小千鳥の生命があのやうに活活として、むしろ痴態のやうにさへ見えたのではないか。或は、實際に、自ら生命を危險に曝すことによつて、あの千鳥は欲情にも似た滿足を感じて居たのであらうか。
孝兵衞の頭の中には、今も千鳥は必死になつて、體をくねらせたり、頸を曲げたり、羽を慄はせたりしてゐる。千鳥のそんな奇怪な行動は、最早、千鳥の意志によるものではなく、生命と生命おを繫ぐ神秘なものに、「捨てよ」と命じられた生命の、無心の振る舞ひのやうでもあつた。すれば、こんな小鳥の獻身の姿は、却つて雌雄の悦樂の姿態に近いのかも知れぬ。が、孝兵衞にはそれ以上の想像は耐へられることではなかつた。
林を抜けると、中仙道は柳瀬方面からの道を合はせて、愛知川の南岸に出、直ぐ橋の袂にかかる。橋の上には旅裝の人の姿もあつた。孝兵衞は足音を鳴らして、橋を渡つて行つた。
今日も、小千鳥はゐるであらうか。さう思ふと、孝兵衞は急にあの千鳥がひどく可憐なもののやうに思はれて來た。巢持ちの鳥であれば、あのあたりから離れることはないであらう。今日は、例へば反對の方向へ歩いてみるとか、さまざまな方法で試してみようかと、竊かに孝兵衞は思つたりした。この思ひつきはかなり彼の氣に入つたらしく、自分だけが知つてゐる秘密の遊び場を持つた子供のやうに、孝兵衞の顔は樂しさうにさへ見えた。
橋を渡り終つた孝兵衞は足音を忍ばせて、昨日の蛇龍の上に立つた。ふと、孝兵衞はこの奇妙な千鳥の場合は逆であることに氣付き、急いで足を踏み鳴らしてみた。が、小千鳥の姿はなく、一面の砂礫の上には、秋の强い陽射しが降り注いでゐるばかりだつた。
孝兵衞はいかにもがつかりした樣子で歩き出した。不意に、孝兵衞は昨日の卯吉郎夫婦の不審な言動を思ひ出し、全身から血の噴くやうな恥しさを覺えた。といふのは、五郎七はこの愛知川上流の山村の出身であり、歸村の途次、一分始終を卯吉郎に物語つたに相違なかつたからである。
昨日、五郎七が迎へに來てゐなかつたのは、「お腹でも痛う」したからではなく、五郎七は既に暇を出されてゐたのであつた。しかも、卯吉郎夫婦はそのことを知つてゐたはずではないか。
孝兵衞は恥しさのあまり、無性に目をしばだたいた。あの時、彼等夫婦の間には、無言のうちにどんな視線が交はされて居たかも知れなかつた。その彼等と、今日、またも顔を合はせることは孝兵衞にとつては、まだ生生しい傷痕に觸れられるやうな苦痛だつた。しかし、孝兵衞はやはり避けられないやうな豫感がし、その顔には白白しい表情が浮かんだ。人目を避けるため、龍潭寺への往復には駕籠を用ひることを、孝兵衞は中野右近と約してゐたのである。その愛知川宿の駕籠の丁場は卯吉郎店の筋向かひにあつた。
祇園社のお旅所の手前で、道は二つに岐れ、その一つは押立、百濟寺を經て、君ヶ畑、政所等の山麓の村村に達してゐる。卯吉郎の所に立ち寄つた五郎七が、風呂敷包みを肩に振り分けて、夢遊病者のやうに歸つて行つたのはこの道であつた。孝兵衞はその道の行方に目を遣つたが、そのまま歩き去つて行つた。
道の兩側に疎らに家が並び始め、軈て道は愛知川の宿に入つて行つた。果して店の前に立つて、ぼんやり空を眺めてゐる卯吉郎の姿が見えた。孝兵衞の顔に淋しげな苦笑が浮かんだ。少年の頃から、孝兵衞は幾度このやうな笑ひを浮かべねばならなかつたであらうか。
孝兵衞の姿を目に入れた卯吉郎の顔には、見る見る驚きの表情に變つた。
「あれ、孝兵衞さんたら、昨日の今日といふのに、これはまたどちらへお出かけどすのやいな」
「龍潭寺に參詣致さうと思ひましてな。昨日はどうも」
「ほやかて、ほない急いでお墓參りてて、どうかしやしたんどすかいな。ほれにお顔色もようないが、何かあつたんどすかいな」
孝兵衞は綺麗な齒並の微笑を見せて、言つた。
「何せ、待ち人に會えなかつたものですからね」
「へえ、孝兵衞さんが待ち人に。ほれはまた、どこの、誰さんどすのやいな」
「いや千鳥なんですよ」
「千鳥、てて、聞いたこともないが、一體全體、どこのをなごはんどすのやいな」
思はず、孝兵衞はいかにも面白さうに笑ひ出した。
「いや、これは手前の言葉が足りませんでしたわ。鳥の千鳥のことなんですよ」
「鳥の千鳥?」
「いや、實は、昨日、あれから歸り道にね、愛知川の磧で……」
その時だつた。突然、卯吉郎が頓狂な聲を上げた。
「あれ、孝兵衞さん、何やろ」
孝兵衞が振り返ると、數人の武士が驅け寄つて來て、孝兵衞を取り圍んでしまつた。その中の一人が言つた。
「御五莊村の孝兵衞であるか」
「はい、さやうでございます」
「取り調べの筋があり、召し捕るによつて、神妙に致せ」
「これは異なことを承るものでございます。手前はこれより……・」
「申し開く儀があれば、御番所にて申せ。それ繩をかけい」
最早、孝兵衞は少しも抗ふ樣子はなく、顔にはあの諦めに似た微笑さへ浮かんでゐるかのやうであつた。孝兵衞は從容として、繩を受けた。いつの間には、莚で圍はれた唐丸駕籠が運び寄せられてゐた。
孝兵衞は駕籠に乘せられた。唐丸駕籠には一つだけ小さな窓があつた。孝兵衞は窓から一寸覗いてみた。寸刻の前まで、立ち話をしてゐた街道を、こんなところから覗いてゐる自分がひどく憐れなやうでもあり、滑稽なやうでもあつた。
駕籠は直ぐ擔ぎ上げられ、孝兵衞は愛知川の街を運ばれて行つた。二人、三人と、恐る恐る家家の中から人が現れて來て、この突然の出來事を口口に語り合つた。
「五個莊の孝兵衞さんやてな」
「ほうよいな。お氣の毒さんにな。泣き面に蜂とはこのことよいな」
「ほんでも、何のお咎めやつたんやろな。怖いことな」
「なんやら、蝦夷とやら行つてやしたといふで、ほれやないやろか」
「なんぼ金が儲かつても、ほんな怖いこと、わしらかなはんわ」
門の中に逃げ込んだ卯吉郎は、思はず、いとと手を取り合つてゐたが、漸くその手を離して、言つた。
「な、おいと、昨夜、づやつたやろ、氣の毒さんにな」
「阿呆なこというてんと、早う、お宅さんへ知らしに行かなあかん」
「ほんでも、關り合ひになるやうなことないやろか」
「何いうてるのや、ほれ、ほれ、仁平さんが走りなはるらしいやないか」
卯吉郎が首を伸ばしてみると、同業者で、藤村店とも取引關係のある仁平が、今しも着物の裾を撥ね上げて、帶の間に挾んでゐるところであつた。
「よし、わしら、裏口から出てこましたろ」
卯吉郎はさう言つて、家の中へ驅け入つた。その店先をちらりと見やりながら、仁平が急ぎ足で南に向つて通り過ぎて行つた。
二人去り、三人去り、軈て、街道は元のやうな平隱な宿場街の姿に立ち返つた。時時、その街上を大きな鳥影が掠めるので、靑い空には、鳶が弧を描いて舞つてゐることが判つた。
二十七
十六疊の座敷の床の間を背にし、與右衞門は妻のいちに酌をさせて、酒を飲んでゐた左右の燭臺には、餘程目の重い蠟燭が點されてゐるらしく、ひどく明るい。蟲が頻りに鳴いてゐる。
脚の高い黑塗膳の上には、鮒の子つきの刺身、川鱒の鹽燒、鰻卷(うまき)、鯉の飴煮等、川魚料理ばかりが乘つてゐた。先刻から、いちはとよの事件を訴へ續けてゐた。が、與右衞門は聞いてゐるのか、ゐないのか、とかく酒食の方に心が奪はれ勝ちのやうだつた。勝氣ないちは、その眉間のあたりに幾分險を含んでゐたが、肌理の細い、整つた顔立ちであつた。いちはまた裁縫や、料理にかけても、並並ならぬ腕を持つてゐた。
「うむ、うまい」
與右衞門は何度目かの言葉を口にした。
「やつぱり料理にかけては、うちのかかさんにはかなはんて、江戸前と言うても、田舎料理に過ぎん」
「あれ、あんなうまことを。怖やの、どうしましよ
男勝りと言はれてゐるいちも、久し振りに夫の側にゐると、自然に中年の女の色香が溢れるもののやうだつた。このやうな話は御酒でもいただかなくては出來ないと、盃を少し重ねたので、目許も赤く染まつてゐた。
その日、酉の刻(午後六時)過ぎ、與右衞門は早駕籠を飛ばして歸つて來た。が、不思議なことに、孝兵衞が召し捕られたといふ報せを持つた早飛脚と、與右衞門が行き合つたのは池鯉鮒(ちりふ)の宿を過ぎたばかりであつたといふ。すると、孝兵衞が逮捕せられた以前に與右衞門は江戸を出發したものと推するより他はない。が、そのことに關しては、與右衞門は
「蟲が知らせた」と一言いつたきりで、口を緘した。
いちが與右衞門の顔を伺ひながら言つた。
「ほすと、旦那さん、どうしても、明日は彦根さんへおいきやすんどすかいな」
「そのために歸つて來たのだもん。行かないわけにはまゐるまいて」
「後生どす。どうぞ思ひとまつてくれやす。若しも、旦那さんに難儀がかかつたら、私、どないにしましよ」
「まさか、孝兵衞にはどのやうな難儀がかかつても、構はないといふのでは、なからうな」
「と言うて、こつちから、何も、わざわざ……」
「まあ、よい。心配するな。このわしに委しておけ。細工はりふりふ。まあ仕上げを御覧じ、ぢや」
「愛知川の仁平さんが言ははるには、何やら、蝦夷地のことらしいとやら。それなら、旦那さんにはかかはりませんこと」
「わしにかかはりのないこととすれば、孝兵衞には、尚のことかかはりはないわ」
「ほやかて、お呼び出しもないもんを、まるで飛んで火に入る夏の蟲やおへんかいな」
「さうよ。孝兵衞はんのためなら、譬へ火の中、水の中……」
凡そ歌謠の才のない與右衞門は、後半得體の知れぬ節廻しになつたので、自ら聲を上げて笑ひ出してしまつた。
女中が鮒鮨の湯漬けを持つて來た。いちはその茶碗を兩手の掌の間に挾み、熱さを試してから、差し出した。この鮒鮨もいちの得意中のものである。鮒鮨は五月、梅雨の候、源五郎鮒を揃へて鹽漬けにする。この時、魚腹に浮袋が殘ると、その全部が腐敗するといふ。土用の季に、白米を煮て、その中に魚を漬けるのである。その時、手水は酒を用ひ、重し石を重ねてから、水を浸すのである。翌年、鮒鮨を取り出す時には、一晝夜、桶ごと逆押しをかけ、完全に水を切つてからでなければならないともいふ。
「おお、これは結構や」
「さやうでございますか。ほれは嬉しいこと」
與右衞門は鮒鮨の茶碗を下に置くと、言つた。
「では、とよを呼んで貰はうか。お前さんは遠慮した方がよからう」
「私がゐては、いきまへんのどすかいな」
「とよとしても、言ひづらいこともあらうからな」
「へえ、旦那さんの前で言へることが、女の、私の前で言へんて、ほんなけつたいなことがおすやろか」
「まあよいわ。その代り、後でたつぷりかはいがつて上げるからな」
「阿呆なこと、言はんとおきやす」
「おいおい、ほないに、氣分出すのはちよいと早過ぎるやうだぜ」
「知らん」
いちとしては珍らしく、すつかり取り亂した態度で、立ち去つて行つた。それから暫くして、痛々しいばかりに憔悴したとよが入つて來た。とよは與右衞門の前に坐ると、一禮したまま暫く頭が上げられなかつた。
「とよ、一つお酌をしてもらはうか」
とよは聲が閊へてしまつてゐたので、默つて、德利を取り、與右衞門の盃に酒をついだ。
「とよも一つやらんか」
「不調法で……」
「まあ、よい、一つやれ」
とよは兩手で盃を受けた。
「この度は、重ね重ねの災難だつたな。とよ、察してゐるぞ」
忽ち、とよの目からは涙が零れ落ちた。が、とよは顔を伏せたまま、存外はつきりした聲で言つた。
「申し譯ございません」
「わしが歸つた上は、孝兵衞のことは心配いらん」
とよは思はず與右衞門の顔を見上げた。與右衞門は依然と、太つた指の間に持つてゐる盃を口に運んだ。とよは與右衞門が飲み干した盃に酒をついだ。
「とよ」
與右衞門は口へ運ぼうとした盃を止めて言つた。その顔にはひどく眞劍なものがあつた。
「さぞ、言ひ憎いこともあらうが、、與右衞門に何も彼も話してくれまいか」
「申します。けんど、ほの代り……」
「その代り?」
「私の申しますこと、信じていただけますやろか」
「とよの申すことを、疑ふやうなことは出來ないだらう」
「ほんなら何も彼も申します」
與右衞門は固い音を立てて盃を置き、腕を組んで、目をつむつた。とよは顔を伏せたまま、考へ、考へ語り出した。蟲が鳴き頻つてゐる。
「ほうです。ほの晩は主人の袷せを縫うてましたんで、床に入りましたんは亥の刻(午後十時)近うもございましたやろか。ふと、何やら、變な氣配に目を覺さましますと、いきなり刀を突きつけられましたんや。びつくりして、見ますと、覆面した賊が立つてゐて、一人は孝一郎の……」
「えつ、賊は二人であつたのか」
とよは無言で頷いた。
「さうか、それではどうしようもなかつたわな」
與右衞門の顔も流石に沈痛な表情を帶びた。
「『騒ぐな。騒ぐと子供の命がないぞ』と、賊が言ひますんや。もうほの時、私は覺悟致しました。縁さへ切つてもろたらよい、どないしても、孝一郎の命だけは助けんならんと思ひまして、『孝一郎、泣いたらあかんえ。じつと、我慢してるんやで』言うて……」
「ふ、孝一郎は泣かなかつたか」
「喉のところへ、刀突きつけられて、ほんでも、泣かんと、我慢してますのや。私は賊に手合はして、申しました。『もう、きつと逆らはしまへんさかい、どうぞ子供等の前ではかんにんしとくれやす』すると、『立て』言うて、私の背中を刀でつつきながら、一人が……」
とよは一層重重しく首を垂れた。が、むごいと思ひつつ、與右衞門は言つた。
「その時か。五郎七奴が見たといふのは」
とよは返事もなく、俯向いてゐたが、暫くの後、思ひ切つた風に首を横に振つた。
「いいえ、二人目の……私、なんでこんなひどい目に會はんのならんあろ、思ひましたら、何やら、かあつとなつてしもて……」
「うむ、解つた。とよ、よく隱さず話してくれた。それで、孝兵衞には話したのか」
「いんえ、『お暇をいただきたい』とだけ申しました」
與右衞門は盃を取り上げ、一氣に酒を飲み干した。
「孝兵衞は何と言つたな」
「『咬み犬に咬まれたやうなもの。人間と思へば腹も立たう。犬畜生と思へばよい』とは言うておくれましたけんど、却つて、私、つらうて……」
「うむ、いかにもその通り。何のつらいことがあらう。さあ、とよ、一つついでもらはう」
「これは、うつかりしてました」
「とよも、もう一つ」
「もう、私……」
「まあ、よい、とよ。それで、孝兵衞は、かはいがつてくれたか」
とよはぽつと顔を染めて、初めて與右衞門の前に羞恥の色を見せた。しかし、とよは微かに首を横に振つた。與右衞門はまた盃を置き、腕を組んでしまつた。とよがそつと涙を拭ふのを、與右衞門は見た。
「では、もう一つ聞くが、何故、五郎七に暇を出したんだね」
「私は五郎七と妖しいやうにお言ひやして、もしほうでないのやつたら、暇を出せ、と言はれましたんどす」
「誰が、そんなことを申したな」
とよは再び涙を拭つた。
「お姉さんが……」
「いちがそんなことを言つたのか」
「いえ、いかんのは私どす。うちら、もう、何が何やら、解らんやうになつてしもて」
とよは兩手で顔を覆うて、嗚咽した。與右衞門は手酌で酒を飲み續けてゐた。
「私、主人の他は、手籠めに合うたこと、どないしても、隱し通すつもりでゐたんどす。ほれに、五郎七が、見てたと言ひますのやもん。私、私、……」
「なに、すると、やつぱり、奴め、それを種にして、おどしたか」
とよは子供のやうに頷いた。
「それで、奴さん、こつぴどく撥ねつけられたんだな」
今度は、とよは激しく首を横に振つた。
「私は、なんやら目がまうてしまうてしもたみたいで、あつと思うた時には、五郎七は俯伏せになつて、泣いてゐたんです。大方、五郎七の心の中にも、佛さんがゐてておくれやしたんやろ、思うと、私は五郎七を責めることもでけまへなんだ。私はついうつかりと、誰にも言はんといてくれたら、いつまでもおいといてやると、約束までしてしまひましたんや、惡いのはこの私でございます」
「さうか、それに暇を出されたものだから、それを恨んで、五郎七奴、あらんことを言い觸らしたか」
突然、與右衞門は高高と笑ひ出した。
「さうか。解つたよ。とよ、何も彼も嘘つぱちだ。だつて、賊が二人だつたとは、誰からも聞いてゐないんぢやないか。彼奴め、大方、蒲團でもかぶつて、慄へてゐたんだよ。いんや、奴さん、寢とぼけて、何か、夢でも見たんだらうよ。さあ、もう心配することはない。明日は彦根へ行つて來るからな」
與右衞門は愉快さうに笑ひ續けてゐた。其の顔を、とよはじつと見守つてゐたが、不意に、とよの目に大粒の涙が膨れ上つた。
二十八
の千鳥の姿が浮かんだ。その姿は、奇怪なことに、彼の頭の中に止まらず、ともすると疊の上を黑い影となつて、匐い廻つた。更に、いけないことには、その千鳥の梟梟しいばかりな、必死の表情から、どうかすると妻、とよの姿が聯想されることであつた。
あの時、賊は刀を持つてゐず、とよはその賊を六疊の間に導いて行き、自ら横になつたといふ。勿論、孝兵衞はそのやうなことを訊ねようとはしなかつたし、とよも口にしなかつた。五郎七が本家の番頭に告げ、番頭からいちへ、いちから孝兵衞に告げられたのであつた。
「厭らしやの、おとよさんたらなあし。ほやかて、ほんなん、女の口からは言へやしまへんわ」
「そのやうに、姉上のお口を汚すやうなことでしたら、承らぬ方がよろしいのではございませんでせうか」
「ほやかて、孝兵衞さん、あんただけには、厭でも聞いといてもらはんならん。おとよさんたら、どうどす、腰を使うてはつたんやて。ほれでは、なんお大人しい孝兵衞さんやかて、ほら勘辯なりまへんわいなし」
子供達を生命の危險から救ふために、あの小千鳥のやうに、殆ど失神状態にも近い狂態を演じたかも知れないとよに、却つて痛感にも似た愛情を感じないわけではなかつた。しかし、いちの粘りついたやうな言葉は、いきなり濡れ雑巾で拭はれたやうに、すつかり彼の感情と、同時にとよの肉體も汚してしまつたのである。
孝兵衞の夢の中にも、千鳥は現れ、石の上で羽を慄はせた。が、いつか、白い石は人間の腹部になり、千鳥は醜怪なものとなつて痙攣した。
愛知川の宿で、突然、孝兵衞は召し捕へられ、唐丸駕籠で運び去られたが、實は、彦根城の一廓の離れ家に客人として、竊かに泊められてゐた。幕府や、その命を受けた柳澤藩からの密貿易の嫌疑を避けるため、中野右近等の先手を打つた謀略であつたといふ。與右衞門の到着を待つて、「事實無根お構ひなし」と裁定の上釋放されることになつてゐるのであつた。
あの時、御番所で、唐丸駕籠から下された孝兵衞に、竊かに中野右近は言つた。
「すまぬ、すまぬ。いや、しかし、これは驚き入つた。顔色一つ變つてゐぬではござらぬか」
孝兵衞は例の笑顔で立つてゐたが、流石に、その衝撃は孝兵衞にあの不幸な出來ごとを忘れさせてゐた。が、右近の僞計であつたことが判つてみると、以來、數日の無聊な時間が却つてかれを苦しめ續けた。
あの夜、孝兵衞は心から妻を赦したつもりであつたが、その體を愛することはどうしても出來なかつた。勿論、とよもひつそりと自分の床の中で動かなかつた。孝兵衞はそんなとよがいぢらしく、今も後悔に似た感情が彼を責めないでもなかつた。が、あの時、いちの醜く歪んだ口から發せられた言葉が呪文のやうに、孝兵衞の耳から離れないのも事實であつた。女といふものは、母の獻身の姿さへ、あのやうな淺ましい形を取るより他はないのであらうか。
その時、中野右近の訪れる聲がして、右近が初老の侍を伴つて入つて來た。
「御家老職でござる」と右近は言つたが、その名は告げなかつた。痩身で鋭い眼光の持ち主であつた。孝兵衞は下座に退がつて、平服した。家老職と言はれる人が、意外にも優しい聲で言つた。
「さあ、氣樂に。退屈でもあらうかと存じてな」
「御家老には、蝦夷地の模樣など、いろいろ聞きたいと仰せられるので、お伴申した」
「恐縮に存じます」
「さううさう、過日は珍しき品品、確かに受領した」
「有難き仕合はせに存じます」
短銃、遠目がね、ギヤマンの器、気溫計、體熱計、藥品、びろうど、その他、アメリカ船と交換した品品を、孝兵衞は抜け荷物にして、右近宛に送り届けておいたのであつた。右近はその事を家老も諒承してゐることを、孝兵衞に知らせるために、改めて言つたもののやうであつた。
「異國船の模樣など、承らうか」
「丁度、砂原の濱から、ユウフツと申す所へ渡ります海上、ひどい嵐に出會ひまして、難航を續けた擧句、深い霧に閉ざされてしまつたのでございますが、その濃霧の中から、突然、大きな黑船が現れたのでございました」
「うむ」
「小舟に乘つた紅毛人が迎へに參つた模樣でござりましたのえ、手前、中井新之助と申す浪人を伴ひまして、小舟に乘り、更に黑船に乘り移りましてございます。紅毛人達は交る交る私どもの手を握り、その手を何べんも振りました。どうやら、對面の挨拶のやうでございましたが、紅毛人は格別毛深いやうに見受けましてござります」
「黑船の大きさは」
「さやう、四十間ばかりもありましたでせうか。全部、鐵張りのやうでございました。試みに、檣を扇子で叩いてみましたら、カンカンと音が致しました」
「異國の船は總てさうと聞くが、鐵の船が浮くとは、異なことぢやな」
「恐れながら、茶碗を横にして水に入れますれば、沈みますが、仰向けて入れれば、水に浮かぶ道理か、と心得ます」
「成程、さやうか」
家老職といふ人はちらつと右近の方へ目を遣つた。右近は淸らかに微笑した。
「黑船は帆でも走りますが、蒸氣の力で走るのださうでございます。何分にも、言葉が全然通じないものですから、委しい理は判りませんが、强い火力を出す石を焚いて湯を沸かし、その蒸氣の力で水車のやうな車を廻して、走るのださうでございます。手前はそのまつ黑い石くれを貰つて參りましたが、試みに、火に入れてみますと、少しく臭い匂ひを發して、まつ赤になつて燃えましてございます。ところが、函館にて、ある人にその石を示しましたところ、蝦夷地にも時時その石を拾ふ者があるらしく、昨年も、ホロナイとか申すところで、燃える石が夥しく掘り出されたとか申すことでございました。そのため新之助は蝦夷地に逗留することに致しましてございます」
不意に右近が高い聲で笑ひ出した。
「すると、あの荷中の黑い石は燃える石であつたか。いや、何かの序に紛れ入つたものであらうと存じましたが、あまり黑色が艶やかなものでしたから、手前娘に與へましたところ、小さな蒲團を作り、その上に飾つておくのでございますよ」
「何、その燃えるとか申す石をか。危いことなう」
家老といはれる人も、その謹嚴な口許を僅かに綻ばせた。
「お話は少し前後致しましたが、紅毛人は私共の手を握つてから、ギヤマンの猪口に赤い酒を注ぎ、それから飲めと申してゐるらしいのでございます。血のやうな色を致してをりまして、誠に心許なうございましたが、酒はひどく甘口でございました」
「すると、孝兵衞殿の口には合はなかつたか」
「いや、恐れ入ります。それから、紅毛人は地圖を擴げ、その上に指を動かして、一一差し示してくれましたので、どうやらアメリカ國の船で、支那國のマッカオといふ港へまゐるらしいことが判りましてございます。全く珍糞漢ながら、やつと『アメエリカ』と申すのが聞かれましたので、手前も『アメエリカ」と申してみましたら、嬉しさうに何度も頷きましてございます」
「うむ、正しくは『アメエリカ』と申すか」
「確かに、『アメエリカ』と聞き取りましてございます。それから、一人の大男が立ち上りまして、いきなり短銃を撃つたのでございます。多分、手前どもを驚かす魂膽であつたかと存じますが、短銃の口から火を吹きましたのと前方の赤い實が轉り落ちましたのとは殆ど同時でございました」
「うむ」
「その大男は短銃を逆樣にして、手前の方に差し出し、くれる様子を示しましたので、手前、受け取りましてございます。すると、手前の伴ひました新之助と申す者が立ち上り、別の赤い實を鐵の臺の上に置きまして、刀を引き抜き、大上段に構へて打ち下しましてございます。赤い實はまつ二つに割れて、臺の上に止まりましてございます」
「ほう、なかなかの腕の者とみえるな」
「アメリカ人も餘程びつくり致しましたやうで、何やら口口に申して、賞め稱へてゐたやうでございました。新之助はその刀を短銃の名人に與へましたので、彼の大男は餘程名譽なことと思ひましたか、新之助の手を握り、肩を叩いて、喜びの情を示したことでございました。でも、手前は『日本人て、なかなか愛敬もあるやうですね」と、彼を散散笑つてやりましてございます」
「して、それは、いかなる意味のことを申したのかな」
「と申しますのは、蝦夷の土人でございますアイヌ人が、いつか馬の立ち乘りを見せてくれたことがありましたが、新之助は乘馬にも勝れてをりまして、丁度、童等が『これ出來るかい』などと申して得意がつてゐるやうだと笑つたことがございました。が、あのやうな大きな鐵船の上にをりますと、新之助の腕の冴えをもつて致しましても、螳螂の斧に等しく、アイヌの兒戲を誇るに類すると、存分に笑つてやつたまででございます」
「また、そのやうなひどいことを申すわ。定めし、浪人は怒つたであらうが」
「いえ、新之助は手前等同心の者、『いかにも、いかにも』と苦笑致してをりました。それから、手前方より、アイヌより譲り受けました熊の皮を贈りました。それは大へん彼等を喜ばしたらしく遠目がねや、ギヤマンの器を贈られました。絹物は格別彼等が珍重致しますやうで、絹を『シルク』と申しますものか、『シルク、シルク』と繰り返し申しまして、別して、彼等を一番喜ばせたましたものは緋縮緬の長襦袢でございました。もつとも、長い航海を致してをります者どものことでございますれば、慮らずも、人情には變りのないことを示したものでごありませうが、概して、彼の地では絹物類が不足のやうに見受けられました。しかしながら、紅毛の大男が赤い襦袢を着て、騒ぎ立ててをります恰好は、あまり見よいものではございませんでしたが、何分とも言葉が通じませぬので、手の施しやうがございませんでした」
「いかにも、さもあらうな」
「先方からは、びろうどや、藥等を贈られました。何やら腹の痛むやうな恰好を致しまして、差し出しましたから、手前、早速に『腹痛ぐすり』と書きつけておきましてございます。頻りに咳を致しましたものには『風邪ぐすり』顔を顰めて、額を押へましたものには『頭痛ぐすり』と書きつけておきましてございますが、實際に御使用の折は、御念をお入れ願ひたう存じます。人體の體熱を計ります……」
その時、右近の名を呼ぶ聲が聞こえた。右近は立つて、部屋を出て行つたが、軈て引き返して來て言つた。
「唯今、藤村與右衞門參着致しましてございます」
「ほう、それは、また早いことよ。孝兵衞殿、では、失禮致す」
家老職といはれる人は一揖して、立ち去つて行つた。
その翌日、愛知川の宿の手前で駕籠を降りた與右衞門と孝兵衞は談笑しながら、中仙道を上つて行つた。時時、與右衞門の高笑ひの聲も聞こえた。
「それが、目だつて言ふんだよ。目が、小さな窓のやうなところから、じつとこつちを見てゐたんだつてさ。その目が、『あの方』の眼に違ひないつて、おりうの奴、きかないんだよ」
「へえ」
「誰にも、おりうとは言へないしさ、弱つたよ。わしが夢見るなんていふのも、をかしいからね」
そんな二人の姿を認めた愛知川の宿の人人は、まるで恐しいものを見るかのやうに、聲を殺して見送つてゐたが、仁平が一人、さも得意げに家の中から飛び出して來た。
「まあ、孝兵衞さん、大旦那さんも御一緒で、ほんでも御無事で何よりでございましたな」
「おお仁平さん、その折はよう知らせて下さつた。お禮を申しますわ」
「ほんなこと、どうありましよ。ほれより、ほんまに怖いことでございましたな」
「飛んだ災難でしたが、御覧のやうに、どうやら首もつながつてゐるやうですわい。彦根の御連中も、それでも少しは、目の覺めたことでござんせうよ。孝兵衞、まだ覺めんかな。それとも、丁度、寢呆け面で、目をぱちくりつてところかな」
與右衞門はまた高高と聲を上げて笑つた。門を出たり、入つたりしてゐる卯吉郎の姿が見えた。
二十九
料亭「梅ヶ枝」の奥座敷で、與右衞門が人待ち顔に酒を飲んでゐた。冬の日は短く、女中が燭臺を運んで來てからも、既にかなりの時間が經つ。
「いらつしやいましたよ。ここな惡戲者奴が」
が、それから間もなく、さう言つて入つて來た女中が、横目で與右衞門を睨んだ。その後から、りうが端麗な姿を現した。りうは素人風に裝つてゐたが、すつかり發育した體が見事な線を描き、その美貌も更に美しさを增した。
「あら、お兄さまでございましたの」
りうは艶然と笑つて、與右衞門の前に坐つた。與右衞門は默つて酒を飲み干すと、盃をりうに差した。女中がその盃に酒を注いだ。
「では、御用がございましたら、お呼び下さいまし」
女中はさう言つて、部屋を出て行つた。りうは盃を還し、馴れた手つきで酒を注ぐと、緊張した面持ちで言つた。
「いつお下りでございました」
「二十一日に着いたよ」
「あら、そんなにお早く、いかがでございましたの、お國の方は」
「聞いて下さつたらうが、いや、もう、大變なことが起つてゐてね。全く、お前さんのお蔭だつたよ」
「して、孝さまは」
「『して、孝さまは』つて、まだ會つてゐないのかね」
「ええ、まだお會ひ致してをりませんが、すると、江戸なんでございますか」
「呆れたもんだ。いや、全く變つてゐる。變つてゐるよ」
與右衞門は頻りに首を振つて、何事かを考へ込んでゐる風であつたが、急に思ひ返したやうに、酒を干して、盃をりうに差した。
「御存じのやうに不調法ですから、ほんの眞似だけ」
「いや、今日はうんと過してくれ。ちよつと、醉はして、頼みたいことがある」
「お兄さまのお頼みつて、何事でございませう。何やら、恐いやうな」
「鬼が出るか、蛇が出るか、さあ、飲んだり、飲んだり」
與右衞門が何度目かの盃を差し出した時だつた。一瞬、りうの手が閃いて、與右衞溫の頰に平手打ちを喰らはせた。
「おお、何をするのだ」
「何をするも、せんもあるものか。これは何の眞似だつていふんだい」
りうは立ち上がつて、いきなり襖を開けた。隣室には、派手な蒲團が敷いてあり、枕許の行燈がぼんやりそれを照らしてゐた。
「天下の丸與ともいはれるほどの男なら、女中さんの鼻藥ぐれえは、もう少し彈んでおくものよ。けちけちしてるから、この耳に筒抜けなんだよ」
與右衞門は太つた膝に拳を突き、滑稽なほど神妙な顔をして言つた。
「りう、見てみてくれんか。枕は一つのはずなんだが」
「枕が一つ、つて、それが一體、何の言い譯になるつてんだ」
「枕が一つのはずなんだ」
「ぢや、どうして、こんなふざけた眞似をしたんだよう」
「話すから、まあ、坐つて聞いてくれ」
餘りにも生眞面目な與右衞門の態度に、りうは幾分勝手が違つたやうに、澁澁元の座に坐つた。
「實を言ふと、孝兵衞の留守中に、盗賊が押し入つてね。孝兵衞の家内が手籠めにされてしまつたんだよ」
「へえ、そりや、大變だつたのね。でも、それが、これと、何か關係でもあるといふの」
「大ありなんだが、一つ、ゆつくり聞いてくれんか」
「知らぬ奥さんが手籠めにされた話、聞いてみたつてしやうがないけど、その奥さんてえのも、少少だらしないわね」
「ところが、賊は二人なんだ」
「へえ、二人ね」
「一人が孝兵衞の子供の喉元に刀を突きつけ、もう一人が……」
「さうか、それぢや、悔しいけど、お手上げか」
「りうもさう思つてやつてくれるかね」
「でも、それで、まさかごたごたが起こつてるつてわけでもないんでしよ」
「そりや、ああいふ氣の人だから、綺麗に許してやつてくれたんだが、それ以來といふものは、さつぱりかはいがつてやつてくれないらしいんだよ」
いかにも悄然とした與右衞門の表情に、りうあ思はず噴き出した。が、りうも急に眞顔になつて言つた。
「でも、それは少しをかしいわ。あの方はそんな人ぢやありませんわ。最初に、私を助けて下すつたのも、町人の血が湧き立つたのだとおつしやつてたし、初めて、私をなんして下すつたのも、私が揚屋から出された日のことだつたんですもの。私のやうな者でも、ほんとにしんみりと抱いて下さつたんですもの。決して、そんな方ぢやありませんわ」
「わしも不思議に思つてるんだが、嫁の口から聞いたんだからね」
「へえ、それではあんまり奥さんがおかはいさうだわね」
「嫁も氣の毒だが、わしは孝兵衞がかはいさうでならん。孝兵衞には、お前さんといふ人があると思つてゐたが、なんとそれも逢つてゐないといふ」
「私にはあの方のお氣持がやつと判つたやうに思はれますわ。あの方は自分を一番不幸な所においておかないと承知出來ないんですわ」
「りうまでが、またそんな譯の判らんことをいふが、わしは孝兵衞を不幸にはしておかれん。りう、誠に申し憎いことではあるが……」
「あら、お兄さまでも言ひ憎ことがございますの」
「ひどいことを言ふ」
「いえ、さういふ意味ぢやありませんの。お兄さまは、何でも思つたことを言ひ、思つたことをなされます。私、御立派だと思つてゐますわ」
賞められた子供のやうに、與右衞門は照れ臭ささうな苦笑を浮かべて、言つた。
「些か調子に乘せられた格好だが、りう、女といふものはね惡い男に犯されたやうな場合にも、やはり感じるものだらうかね」
「あら、何かと思つたら、そんなこと。奥さまが感じなさつたとでもいふの」
「かはいさうに、かつとなつてしまつてね。何も判らなくなつてしまつたらしいんだが……」
「奥さまなんて、存外だらしないものね。私なんか、厭だわ、馬鹿な話になつたものね」
「どうして、馬鹿な話どrこか、一人の女の命にもかかはりかねないことなんだよ。眞面目に聞くよ」
「厭ね、私はんかね、あの頃は、厭な客も取つたこともあつたけど、そら何とかいふぢやありませんか。こつちにさへその氣がなかつたら、全然、何ともありやしませんよ」
「しかし、それは一寸違ふんぢやないかな。その場合は、厭でも、自分が承知してゐるんだが、一方は無理矢理に……」
「だから、餘計、それどころぢやないぢやありませんか」
「ところが、必ずしもさうとばかりともいへないやうに思へるんだがね」
「どうして。そんな馬鹿なことないわ」
「相手がどんなに愛してゐるう男でも、女といふものは、初めはきつと拒まうとする」
「そら、さうよ」
「女が自分の體を守らうとする本能なんだらうが、拒みつぱなし、拒まれつぱなしでは、子孫を傳へることが出來ないから、神さんが、男には敢て犯す、女には敢て犯される喜びを與へてくれたのではないだらうか。考へやうによつては、女が羞しがることさへ、丁度、花の匂いが蟲を誘うやうに、却つて、男に犯させようとする誘ひなのかも知れないんだよ」
「まあ、ひどい、そんなこと……」
「勿論、男のわしには女のことは判らないが、男の經驗からすると、どんなに愛してゐる女との場合にも、一種の慘酷な感情を懐かないわけにはいかないのだがね。どうだらう、女の場合はその逆、無法な目に會はされると、却つて强い昂奮を感じないではゐられないのぢやないだらうか」
「そ、そんな馬鹿なこと。そんなの變態だわ」
「ところが、奇妙なことに、初心な人とか、勝氣といふか、潔癖といふか、さういふ人ほど、却つてその傾向が强いのぢやないかと思ふんだがね。わしのやうに厚かましい人間になると、羞しいことなんかなくなつてしまふからね。さう言へば、りうだつて、最初、孝兵衞にあんな姿を見られたのでなかつたら、あれほど孝兵衞を追ひ廻しはしなかつただらうよ」
「まあ、ひどい」
りうは、さう言つたが、瞬間、明らかに顔を染めた。
「しかしね、男だつて、女だつて、どんなに羞しからうが、悔しからうが、自分ではどうすることも出來ないんだ。若しも、神さんがさういふ風に創つてくれたんだとすれば、このままでは、孝兵衞の家内があんまりかはいさうなんだよ」
「それで、一體、どうしようといふの。まさか、このりうを……」
りうは素早く身構へた。手、足、腰のあたり、着物の中に包まれた、雌豹のやうなりうの筋肉が、いかにも緊張した狀態にあることを示してゐた。が、無言のまま、與右衞門が懐中から紙包みを取り出し、紙を開くと、先の捌けた、一本の太筆が出て來た。
「そ、そんなもんで、どうしようといふの」
「人間の心は、神さんが創つた人間の體に勝つことが出來るか、りうの體で試させてほしいんだ。人間が勝つたら、とよは離縁だ。神さんが……」
「馬鹿」
いきなり、りうの手が與右衞門の頰を打つた。さうして、與右衞門の下脹れした、白い頰がはつきりと赤くなつても、りうはその手を止めなかつた。が、與右衞門は太筆を膝の上に立てたまま、身じろぎもせず、次第に取り亂して行く、りうの姿態を見詰めてゐる。
「馬鹿、馬鹿、この阿呆たれ」
が、りうの果敢な攻撃も、與右衞門に完全に無視され、却つてその掌に、與右衞門の柔い頰の感觸が不氣味に殘つた。與右衞門は靜かな聲で言つた。
「うむ、いかにも阿呆たれだ。一人の男の女のために、同じ男の女に、こんな無茶なことを頼むやうな馬鹿はないだらう。しかしね、りう、りうは自分の男の女でも、不幸にしておけないやうな女だと、わしは信じてゐるんだよ」
與右衞門は筆を持つて立ち上つた。その顔には日頃の柔和さは全く消えてゐたが、不思議なことに、淫らな表情は少しもなかつた。りうはまるで抗し難いものに命じられたかのやうに、いつか片手を後に突き、與右衞門を見上げながら、子供がいやいやするやうに、頻りに首を振りながら、次ぎの間の方へにじり退つて行く。
奇妙な、そんなりうの姿に與右衞門は冷酷な視線を投げて居た。既に、りうの目は熱つぽく光り、子供のいやいやは顔面筋肉の痙攣のやうになり、その口許は厭らしく弛緩した。與右衞門の表情に急に和やかな色がさしたかと思ふと同時に、與右衞門が言つた。
「りう、どうやら勝負あつたやうだね。いや、濟まなかつた。許してくれな」
「あら」
りうはあわてて片手で顔を覆ひ、片手で亂れた膝を掻き合はせた。その白い喉許まで、まつ赤に染まつて行くのは、痛痛しいばかりに艶かしかつた。
三十
「今日になつて、それはあんまりです」
料亭の一室で、與右衞門と酒を汲み交はしてゐた孝兵衞が、珍しく怒氣を含んだ聲で言つた。
「そのお約束で、仰せに從ひ、ゆつくり國にゐたものですからね」
「それは、さうなんだがね」
與右衞門は困つたやうに盃を含んだ。昨今、春めいた日が續き、日もめつきりと長くなつた。
船數も揃う松前渡りかな 定 武
今年も、その季節が近づいて來たのである。
「わしだつて、行つてみたいよ。わしがどんなに海好きか、察してくれよ」
「なりません」
「これは、きつい」
「だつて、さうぢやありませんか。昨今、新之助とともにあれほど苦勞して、どうにか目鼻がつきかかつたところぢやありませんか。それを横取りしようたつて、さうはいきませんよ」
「横取りなんて、飛んでもない。一度でいい、孝兵衞さんの代理を仰せつけられたいんだがね。わしは海がとつても好きなんだ」
「ところが、お氣の毒ながら、蝦夷地のことは今年が一番大切な秋、代理では事足りませんわい」
「孝兵衞らしうもない、そんな邪慳なことをいふもんではないわ」
「仕事のためには、また止むを得ません」
「きつい、全くきつい」
朝から吹いてゐた强い南風も靜まり、庭から甘い花の香りが漂つて來た。沈丁花でもあらうか。
「しかしね、孝兵衞、この頃わしは考へるのだが、二人とも、少し自分で遣り過ぎる嫌ひがあるのぢやないか、とね。却つて店の者のためにもならん」
「全く、同感でございますよ、殊に、今日の藤村店は昔のそれとは大いに異つてをります。その主人公が店をよそにして、歩き廻つてゐるなど、以ての他でございますわ」
「これからは、お互に氣をつけるとして、どうだらう、源三郎でも遣はしてみることにしては」
「源三郎は外見はあのやうでも、内心はなかなかしつかり致してをります。結構でせうが、どちらへお遣はしになるおつもりでございませう」
「お叱りによつて、わしもきつぱりと諦めた。孝兵衞も、今年だけは、どうか思ひ止まつてはくれまいか」
「御冗談をおつしやつちや困りますよ。彼の地では、新之助が冬を越して、手前の渡航を待つてゐるのでございますからね」
「しかし、さう言つてゐたら、いつまで經つても人物は出來ん」
「と、言つて、いきなりの蝦夷行きは、いかに源三郎でも、無茶ですよ。新之助に對しても、禮を失します」
「新之助には、わしも書くが、るからもりを書かせればよからう」
「新之助には、手前はりうの兄として接してはをりませぬ。兄上が召し抱へられた……」
「少し、うるさいね」
與右衞門も珍しく頰を脹らませた。
昨年の春、與右衞門は孝兵衞を説いて、漸く江州に歸國させることに成功した。どうやらとよとの仲も圓滿に治まつたらしく、孝兵衞は一と月ばかりも滯在して、下向した。その孝兵衞に、與右衞門は更にりうを伴つて湯治に行くことを薦めた。意外にも、素直に承知した孝兵衞は、りうを伴ひ、伊豆熱海の勘太郎湯に趣き、數日前歸つて來たのであつた。從つて、若しも孝兵衞に蝦夷渡航を思ひ止まらせることが出來れば、萬事は與右衞門の思ひのままに運んだといふことが出來よう。
そこへ女中が銚子を運んで來て、言つた。
「おりうさまがお見えになりましたが」
孝兵衞が不機嫌に言つた。
「まだ話がある。待たしておいて貰はう」
が、與右衞門は急に機嫌を直した聲で言つた。
「いや、孝兵衞、お前さんの頑固には、わしも負けましたよ。丁度よい、りうを呼んで、蝦夷渡航の内祝ひと致さうか」
「えつ、本當ですか。今度は僞りぢやございませんでせうね」
「諦めたよ。その代り、源三郎を伴つて行け」
「承知しました。よし、今夜は飲みませう」
「うむ、大いに飲まう」
りうは鶯茶の地色に、崩し松と御所車を友禪に染めた小袖に、黑繻子の帶を締めてゐた。その小袖はわざわざ京の染屋に染めさせて、與右衞門が贈つたものであつた。りうは與右衞門の前に坐ると、丁寧に頭を下げた。
「この間中は、有難うございました」
「勘太郎湯では、たつぷりかはいがつてもらつたことだらうな」
「そりや、もう、あんな愉しいことはございませんでしたわ」
「それはよかつた、花はどうだつたな」
「早、ちらほら咲き初めてをりました。随分、暖い所なんでございますわね」
りうは與右衞門と孝兵衞に酌をした。
「さあ、りうも飲め。三人、水入らずで、蝦夷行きの内祝をしよう。なあ、りう、今夜は酒を進めてもよもや叱られることもあるまいな」
「では、やつぱり、蝦夷へお渡りになりますの」
「先刻から、口を酸うして口説いたが、どうしても聞き入れてくれんのぢや。女の髪は大象も繫ぐといふが、何とか引き留める手だてはないものかな」
「いや、それでは、またお約束が違ふやうですな。それより、さあ、大いに祝つて下さいませ。今年は、海産物の方も大量に手に入る手配になつてをりますし、例の燃える石もどうなつてをりますか、格別樂しみでございますわい」
「なあ、孝兵衞、松前に分店を設けるか」
「あちらへ參りました上で、とくと考へてみませう」
與右衞門兄弟は蝦夷の話を肴にして、互に酒を汲み交はしてゐたが、酒に强くないりうは、早くも醉ひを發したやうであつた。突然、孝兵衞の顔を見上げながら、りうは言つた。
「ね、孝さま、その松前とやらへ、私、連れてつて下さらないこと」
「何、りうの松前へ渡るといふか。これは面白い」
「兄上までが、そんなことをおつしやつては困りますよ。蝦夷の地がどんなところか……」
「どんなところだつて、御一緒なら構はないわ。ね、連れてつて、ね」
「さうだ、おりうさんなら大丈夫、男裝すりやいいんだ。それだつたら、わしも安心する」
「冗談ぢやありませんよ。あの藤吉のことだ。見つかつたら、海の中へ投げ込まれてしまふわ」
「構はない。連れてつて、連れてつてえ」
不意に、與右衞門が腰を浮かせて、言つた。
「孝兵衞、わし、ちよいと、向島へ行つて來るからな」
「あれ、急に向島へ。どうかなさいましたか」
「だつて、察しておくれよ。これぢや、こつちだつて、たまらないよ」
與右衞門は急いで立ち上つた。
與右衞門を見送つた二人が座に戻ると、いきなりりうが孝兵衞の膝にしがみついた。
「孝さま、お願ひ、松前へ行くの、やめて、やめて」
孝兵衞は例の優しい、それでゐてひどく淋しげな微笑を浮かべて言つた。
「駄目だよ。そんなお芝居したつて、兄貴の差し金だつてことくらゐは、先刻、判つてしまつてるんだからね」
「ひどいわ、そんなこと。私、今度ばかりは、何だか胸騒ぎがして……」
「おりうさんにしちや、その科白はちょいと古臭いやね」
「いえ、本當のことを申しますと、熱海へお伴して、あんまり優しくしていただいたので、私、却つて、何だが恐しくなりましたのよ。だつて、今までに、あんなに愉しいことはなかつたんですもの。これからも、もうないやうな……」
「いや、あれはね、色事に理窟を言ふな、つて、兄貴に叱られたもんで、幾分悟つたところがあつたんだらうよ。りう、わしも愉しかつたよ」
燭臺の灯お搖らめく中で、りうははつきりと顔を赤くした。
「しかし、お兄さまは本當に御心配になつていらつしやいますのよ」
「それは判る。わしも新之助殿とお出會ひする以外には、あんな所へはちつとも行きたくない」
「あら、それなのに、どうして思ひ止まつて下さらないのでせう。お兄さまは、海が、あんなにお好きなんぢやありませんか」
「だから、餘計に困る事情があるんだよ。その上、當節の北海には、アメリカや、ロシヤの船が盛んに往來してゐるのでね。兄のあの性質だもの、何をしでかしてくれるか判つたもんぢやないからね」
「さうか、男の方には、私達には判らない、御苦勞がありますのね。もう、何も申しませんわ」
「りう、判つてくれたか」
孝兵衞は例の微笑を浮かべて、りうを見た。りうの顔には、激しく感情の騒ぎ立つのを、强く怺へてゐる表情があつた。りうは首を振つて、言つた。
「淋しい。りう、何だか、かう、淋しい」
孝兵衞はりうの手を取つて、自分の膝の上に置くと、盃の殘りの酒を飲み干した。酒はすつかり冷えてゐた。
三十一
夏の夜も明けようとしてゐた。五月といつても、閏五月末日のことであるから、旣に梅雨も上り、今日の暑さを思はすやうに、靑い空は次第にその色を增して行つたが、流石に朝の大氣は淸淸しかつた。快い放尿を終り、臺所へ歸つた久助は、まだ薄暗い中で、ひとり體を動かしてゐた。
板戸を下した店の間では、手代と丁稚が十人ばかり、まだ正體もなく眠つてゐる。何分とも若い男達のことであるから、枕など頭に當ててゐる者は殆どなく、或は蒲團から轉がり落ちてゐる者、或はすつかり逆さまになつてゐる者等、その寢相は至つて無邪氣なものであつたらうが、室内は暗く、定かではなかつた。
軈て、いつものやうに階段を鳴らして、六兵衛が二階から降りて來る時刻である。
「お早うさん」
六兵衛はきまつたやうに臺所に聲をかける。すると、振り返つた久助が、これもきまつたやうに滿面に笑ひを浮かべて會釋する。店の間から、六兵衛の大きな聲が聞こえて來るのは、その直後のことである。
「さあ、起きたり、起きたり。もうとつくに、七つの鐘が鳴つたぞよ」
六兵衛は五十過ぎ、先代與右衞門以來の番頭であつた。頑固一徹の性格で、商法の才はあまり勝れてゐないかも知れなかつたが、與右衞門の信任は厚く、勘定方を預つてゐた。六兵衛の勘定は極めて正確で、二と二を加へる場合にでも、六兵衛は先づ算盤の桁を定め、二つの玉を置き、それに二つの玉を彈いてからでなければ、四といふ答へは出さなかつた。
その上、六兵衛は字も巧みだつたので、いつからともなく、丁稚達に讀み、書き、算盤を教へる役目を引き受けてゐた。しかし、だからと言うて、六兵衛が丁稚達の教育係を自任して、毎朝、丁稚達を起こしに降りて來るのではなかつた。
この店では、一日と、十五日には、番頭達にも酒が振る舞はれた。酒をあまり嗜まぬ久助の分が六兵衛に廻されるのは、一人當りの量の制限がなくなつた今日でも、二人の間の奇妙な習慣となつてゐた。ある時、久助が珍しく口を尖らせて言つた。
「わしはな、たつた一つ、六兵衛さんに氣の喰はんことがおすのやがな」
「ああしが、氣に喰はんて。ほれは、また、なんやいな。言うてもらほ」
「言ひまつせ。すつぱり言はしてもらひまつせ。毎朝どすがな、なんで、また、あんな早いもんに、起きて來とくれるんやいな。あかんかて、わしらちふもんが、ちやあんと起きてますのにや」
「ほら、違ふ」
「違ふて、何が、どう違ふんどす」
「違ふ。大違ひや。御主人はやな、ああ見えても、いつやかて、氣、配つててゐなさつて、おちおち休んでてもおくれんのや」
徳兵衛はさう言つたが、ふと氣恥しげに口を噤んだ。
「大旦那さんがどすかいな」
「ほうよいな。ほやさかい、こんな私みたいもんでも、起きて行つて、子供衆(こどもし)を起こすのを聞いておくれたら、『六兵衛が起きたか』と、ちよいとは安心してもいただいて、せめて、ほれからでも、ぐつする休んでもらへるかも知れんと思うてやがな」
「ほうか、ほうか、六兵衛さん、さあ、ぐつとお干しなすつて」
久助っは六兵衛の盃になみなみと酒を注いだものだつた。
大釜を乘せた竈の火が久助の顔を赤く照らしてゐた。果して、今朝も、六兵衛が階段を降りて來る足音が聞こえて來た。思はず、久助は首を縮めた。その時であつた。
「もし、もし」
女の聲である。久助は怪訝さうに腰を上げた。
「もしもし」
いかにも四邊を憚るやうな聲である。久助は恐る恐る言つた。
「誰ぢゃいな」
「こちらの旦那さまの御存じの者でございます」
「何ぢやいな。今頃から」
久助は勝手口の戸を僅かに開いた。りうであつた。髪は亂れ、まるで、夏の短夜に、急に取り殘されたやうなしどけない姿で、りうは立つてゐた。素足の白さが、久助の目を射た。久助はびつくりして、飛び退つた。六兵衛が不思議さうな顔をして立つてゐた。
「あの、ほれ、あのおれなあし、女どすのやがな」
「何、女やて」
「凄い、別嬪さんどすのやあな。足もおす」
「何、足があるやて。阿呆なこというてるない」
「いんえ、二本、ちやんとおす、というたらとことん」
奇妙な面持ちで、六兵衞は勝手口の手前から、及び腰で言つた。
「誰やいな。何か、楊枝かいな」
「急に、旦那さまのお耳に、お入れ申さねばならないことが出來まして」
「お前さん、寢呆けてるのと違ふかいな。ほれこそ飛んだお門違ひといふもんや」
「さうおつしやるのも御無理ないこと。女の身で、このやうなはしたないなりのまま、飛んでまゐつたほどの一大事、急ぎます。直ぐ旦那さまにお傳へ下さいませ」
「旦那さんは、すまんことやが、今よう休んでゐなさるがな」
「だから、起こしておくれつて、言つてるんだよ」
「何、旦那さんを起こせやて。阿呆な、阿呆なことをぬかすない」
「ええ、じれつたいね。こつちは急いでるんだからね。早く起こして來ておくれつてば」
「いんや、ほんなことは出來んわいな」
六兵衛の後から、久助も顔を突き出して言つた。
「やい、こら、どこからどう迷うて來やがつたか知らんけんど、こんな朝つぱらから、手前のやうなめんた犬には、構うてゐられんわい。お天道さんの上らんうちに、さあ、とつとと消え失せてしまひや。ほんまに」
「おい、おい、久助、何をそんなに力んでてくれてるんやい」
久助と六兵衛が振り返ると、與右衞門が笑ひながら立つてゐた。
「あつ、旦那さん」
「いんえ、旦那さん、いきまへん。六兵衛があんばいよう致しますよつて、どうぞ休んでておくれやす」
「おや、りうぢやないか」
「いんえ、旦那さん……」
與右衞門は六兵衛の止めるのも聞かず、りうの前に出た。りうは與右衞門の顔を見ると、いきなり落涙した。
「おい、おい、どうしたつていふんだ」
「お話しなければならないことが……」
「よし、出よう」
「いんえ、旦那さん……」
與右衞門は無造作に草履をつつかけると、勝手口から出た。
「もしもし、旦那さん、ほれは、わしの……」
あわてて、久助はさう言ひながら、奥へ入り、桐下駄を持ち出して來ると、急いで與右衞門の後を追つた。
問屋街の店店はまだ板戸を下し、靜まつてゐた。
「旦那さん、ほれは、わしの草履どすがな」
「おお、ほれはすまんことやつたね」
與右衞門は二三歩引き返し、下駄に履き換へた。りうはその前方を、俯向き加減に、千鳥橋の方へ歩いて行つた。
「どうしたんだ。さあ、その話を聞かう」
りうに追ひついた與右衞門は、りうの耳の後でさう言つた。りうは前方を直視したまま、言つた。
「夢を見たんです」
「ほほう、夢をね」
「兇い夢なんです。いえ、夢ぢやありませんわ。一面に、網の目が映つたんです。その中に、あの方の顔が、浮かんだんです。そこまでは夢です」
「夢だよ。そんなの、夢にきまつてるぢやないか」
「私、びつくりして、飛び起きました。その時、確かに、あの方の姿が、さつと波の中に消えて行つたんです」
「りうともあらう人が、随分、寢呆けてくれたもんだね」
「いえ、その後も、ほんの暫くの間でしたけれど、襖の上に、波が騒いでゐるのを確かに見たんですもの。私、慄へが來て、齒の根も合はんくらゐでした」
急に、與右衞門は押し默つて、先に立つて歩いて行く。
「最初は一寸お苦しさうでしたけれど、直ぐ、いつものやうな……」
不意に、りうな顔を覆うて、嗚咽した。しかし、與右衞門は振り返らうともせず、濱町堀に沿つて歩いて行つた。
與右衞門は無理にあけさせた小料理屋の小座敷で、りうと向き合つて、冷酒を飲んでゐた。既に、太陽は上つたらしく、家家の甍は朝の日に輝いてゐたが、濱町堀の水面はまだ靜かな影の中にあつた。その川岸に、一艘の船が舫つてゐた。朝食の焜爐を煽ぐのか、薄暗い胴の間から、時時、火の粉が散つてゐる。
「りう、解つたよ」
突然、與右衞門が華やかな笑顔をりうに向けて言つた。
「ほら、去年の秋、孝兵衞が國へ歸つた後、彦根のお屋敷からお使ひがあつてさ、お前さんが夢に見たことにして、直ぐ孝兵衞の後を追つたことがあつたらう」
「ええ、でも、それが……」
「それだよ。その時、僞りに作つた夢が、奇妙なことに、孝兵衞には思ひ當る節があつたといふ」
「さうなんですの。唐丸駕籠には小さな窓があるんですつて。いつも、不思議だつて、よく話して下さつたわ。その窓から、外を見てゐると、何だか變な氣持におなりになつたんですつて。その目を、その目が……」
りうは恐怖の表情を浮かべた。
「馬鹿。二人で出鱈目に作つた夢が、まぐれ當りに、當つたまでのことぢやないか」
「初めは、一寸苦しさうだつたけれど、直ぐいつものやうな優しい、でも、あんな淋しい目つて、知らない」
「さうぢやないよ。さういふ兇い夢を見やしないか、見やしないかと、絶えず怖がつてゐるもんだから、却つて、それが夢になつたんだ」
「夢ぢやない。襖に、はつきり網が映つたんですもの。あんな、淋しがり屋が……」
りうはいきなり顔を覆ひ、聲を殺して、噎び泣いた。與右衞門は殊更りうを無視する風に、茶碗酒を傾けてゐたが、突然、取つてつけたやうに笑ひ出した。
「孝兵衞は果報者だよ。りう、あの晩は、よつぽどかはいがつてもらつたらしいね」
りうは涙に濡れてゐる目を上げ、ひどく眞劍な表情で言つた。
「お兄さまの前だけど、だから、私、餘計、恐しいの」
「ぶつよ」
「ぶつたつていい。まるで、普通ぢやなかつたんですもの」
「おい、おい、りう、それなら、この與右衞門に禮を言つてもらひたいね」
「いえ、それも聞いたわ。けど、そんな、生優しいことぢやなかつたんですもの」
切るやうな、りうの激しい視線に、與右衞門は彼にもなく目を外らした。一瞬、與右衞門の顔にも、一抹の不安な表情が掠めた。
「おお」
與右衞門はそんな自分の弱さをごまかすかのやうに、一氣に酒を飲み干した。
不意に、岸を打つ波の音が聞こえて來た。丁度、舫つてゐた船が綱を解いたところだつた。赤兒を負つた女が、舟端に倒れるやうになつて、肩で竿を押して行く。その赤い腰卷の間から、逞しい脚が見えた。與右衞門は體の中に强い力が湧くのを覺えた。或は、それは多分に色欲的なものであつたかも知れないが、生きる者の喜びにも似た、ひどく健康な感情を伴つてゐた。
「夢の話なんか、馬鹿馬鹿しいわ」
與右衞門は高い笑聲とともに言ひ捨てると、りうの方を向いて、優しく言つた。
「りう、心配することはない。孝兵衞はそんな弱い男ぢやないんだからね」
三十二
料亭「梅ヶ枝」の一室へ、與右衞門は女中に案内されて入つて來た。與右衞門は大切さうに風呂敷に包んだものを抱へてゐた。孝兵衞の骨壺である。
「毎日、なんてお暑いのでござんせうね」
女中がさう言ひながら、障子を兩方に開いた。その下に隅田川が緩く流れてゐ、流石に川風が涼しく吹き込んで來た。
「おお、涼しいね」
與右衞門は孝兵衞の骨壺を抱いたまま、川に向つて立つた。夏雲を映した川の上には、上り、下る舟の姿があつた。
「いらつしやいませ。いつものやうに、見つくろはせていただきまして……」
「二人前だよ」
「はいはい、お連れさまがいらつしやるのでございますか」
女中は二枚の座蒲團を並べて敷き、與右衞門の後姿に一禮して、出て行つた。その間、與右衞門は一度も振り返らなかつたが、女中の足音が去つて行くと、腕に抱へてゐた骨壺を兩手に持ち換へ、
「よい景色やね」などと言ひながら、それを高く上げたりしてゐたが、漸く席に坐ると、座蒲團を引き寄せ、その上に骨壺を置いた。
膳部を運んで來た女中は、座蒲團の上の風呂敷包みに目を遣ると、何氣なく手を差し出した。
「そのお荷物、お床の間にいただきませうか」
與右衞門はあわててその手を遮つて、言つた。
「阿呆、これに觸つてはいかん」
「あれ、そんな恐しいものが入つてゐるのでございますか」
「うむ、恐しいもんだ」
「へえ、震ひつくやうな、恐しものぢやございませんの」
「さうだ、ざぐざぐと入つてゐるわ」
「おお、こはや。このやうなものには、觸らに神に祟りなし。さあ、どうぞ」
與右衞門は盃を差し出した。女中がなみなみと酒を注いだ。與右衞門は微笑を浮かべて言つた。
「お疲れだつたらう。さあ、今日はうんと飲まうな」
「どうぞ、お過し下さいまし」
弘化三年(西暦一八四六年)閏五月二十六日早暁、蝦夷の上余市沖合で、孝兵衞は海に落ちて、死んだ。新之助と源三郎は漸く孝兵衞の亡骸を得て、荼毘に附した。源三郎は竹生丸に止め、新之助は孝兵衞の遺骨を持つて、便船に乘じ、仙臺に上陸した。その新之助が、晝夜馬を馳せ、藤村店に歸り着いたのは、昨夜の五ツ半時(午後九時)頃のことであつた。
與右衞門は包み紙を解き、孝兵衞の骨壺の蓋を取つた。途端に、大粒の涙が零れ落ち、灰白色の骨片を濡らした。與右衞門はあわてて、兩手で顔を覆ひ、太つた眉に波打たせて、慟哭した。新之助はいかにも若者らしい悲痛な表情で、固く口を結んでゐた。
與右衞門は、しかし直ぐ泣き止むと、またそつと壺の中を覗き込んだ。
「孝兵衞の馬鹿もん奴が」
一言さう言ひ捨てると、與右衞門は急いで目をそらして、仰向いた。時時、片手を上げて、目のあたりを押へてゐるので、やはり涙を怺へてゐることが判つた。
「孝兵衞の弱蟲」
また、與右衞門は急いで目をそらした。新之助が容を改めて言つた。
「何かお考へ違ひをなさつてるのではないでせうか」
「それならば、何故、このやうな姿になつて歸つて來た。意氣地なし奴が」
「何も、好きこのんで、このやうな姿になられたのではござりますまい」
「何、好きこのんでなつたのではない、と言ふか。孝兵衞、さうか」
「今年は格別な意氣込みでございまして、先づ、函館の北方、桔梗ヶ原の土地を開かれ、陸稻、小麥、ジャガタラ芋、黍、栗、豆、南瓜等、いろいろの種を植ゑられました」
「おお、さうだつたのか。孝兵衞」
「その種も、多く寒冷の地のものを選ばれましたやうで、昨年、お話があつたものか、この春になりますと、津輕、陸奥の渡海人達が、手前の宿泊してをりました本願寺の休泊所へ、『ゴボ』などと認めたものを、届けてくれたものでした」
「久助」
そこへ久助が新之助の食事を持つて入つて來た。與右衞門はあわてて孝兵衞の骨壺に蓋をした。
「冷でよい。德利ごと持つて來い」
「ほんなこと、旦那さん、何どすいな」
「皆は休んだらうな。久助も休んでくれてよい」
「ほんなこと、この暑いのに、早から寢られますかいな」
久助が立ち去ると、新之助は話を續けた。
「その上、新しく權利を得られました余市の漁場が、今年は鯡の素晴らしい豐漁でございまして、數の子を取るやら、鯡を干すやら、更に、魚粉にして肥料を製することにも成功致されたやうで、何とか申す大阪の問屋が、一手買ひ取りを申し入れたとか、言つてをられたが」
「お待遠さんどした。夏時でも、御酒ばつかりは、熱うおせんとな」
久助が酒を運んで來た。與右衞門は二つの茶碗に酒を注ぎながら言つた。
「子供衆(こどもし)を早う寢かせてやつてくれ」
「はい、畏りましてございます」
新之助は茶碗を取り上げ、一寸苦しげな表情を浮かべたが、一氣に酒を飲んだ。
「ほう、大分、お手が上つたやうだね」
「何しろ、師匠が師匠でしたからね」
新之助はふと言葉を切つて、淋しげに微笑した。
「漸く、鯡の漁期も終りに近づきましたので、愈々石狩の探檢を決行することになつてゐたんです。その二三日前の晩でした。やはりかうして酒をに飲みながら……」
拍子木の音がして、丁稚の幼い聲が聞こえて來た。
「火のヨウジン、火のヨウジン……」
「北天の星は格別綺麗でした。風は肌に寒く、焚火の焔が妙に懷しいやうな蠻でしたが、『兄貴はひどい人だ。自分は呉服屋の番頭だとばかりに思つてゐたら、百姓はしなければならず、魚は獲らなければならず、しまひには山掘りにまで出かけんならんわ』と、大いに笑つてをられました、至つて元氣だつたんですが」
「火のヨウジン、火のヨウジン……」
丁稚の聲は土藏の方へ廻つて行く。
「さうか、それでは體が幾つあつても足りなかつたか。疲れ過ぎてゐたんだね」
「さうかも知れません。御自分では、これさへ飲めば、疲れなど一度に吹き飛んでしまふと、おつしやつてはゐましたが」
「ふむ。して、二人で小舟を漕ぎ出した。そのアイノといふのは」
「オシキネの忰、ホニンと申しまして、昨年、御自分が手なづけておかれた者で、親子とも、神のやうに慕つてをりました」
「海は荒れてゐたのか」
「それが、至つて靜かだつたんです。或は、北海の朝明けが、あんまり素晴し過ぎた、とでも考へるより他はありません。ホニンは魂の抜けた人間のやうに『旦那さまは天空におりになりました』と申して……」
「火のヨウジン、火のヨウジン……」
はつと、女中は與右衞門の顔を見上げて、言つた。
「えつ、何か、おつしやいましたか」
「うむ、いや、何も言はない」
「お連れさん、どうなすたんでせうね」
「連れつて」
「あら、旦那さん、どうかなすつたんぢやない」
その時、廊下に亂れた足音がして、突然、りうが現れた。
「まあ、ひどい、こんな所に、いらつしたの」
泣き腫らしたりうの目は、異樣な光を帶びてゐた。
「今、使ひを出さうと思つてたんだよ」
「探したわ。お店だつて、大騒ぎしてゐるらしい」
「暫く、騒がせておけばよい」
與右衞門の傍の孝兵衞の骨壺に、りうの目がとまつた。瞬間、りうの顔には、極度に緊張した感情が急に崩壊する寸前の、あの淫らなやうな表情が浮かんだ。が、その時、與右衞門が言つた。
「りう、泣くな」
その語氣に、威竦められたやうに、りうは涙に耐へる表情のまま、崩れるやうに坐つた。
「馬鹿、泣く奴があるか。さあ、飲むんだ」
りうはぽろぽろと涙を零しながら、子供のやうに頷くと、盃を口に當てた。女中がそつと立ち上つた。
「これだよ」
與右衞門は銚子を持ち上げた。
「今も、二人で、相談したんだが……」
「えつ、二人ですつて、誰と」
「勿論、孝兵衞とだよ」
「駄目、そんな强がりおつしやつたつて」
「强がりぢやない。孝兵衞が死んで、孝兵衞が、わしにとつて、どんなに大事な人であつたか、といふことが判つた。けんど、わしは負けん。却つて、わしは元氣が出て來たんだ」
與右衞門は一氣に酒を飲み干し、心中の何者かと闘ふやうに、太い息を吐いた。
「さあ、飲め」
「泣かしても下さらないんだもの。飲むわ」
「うむ、飲め。死ぬ者は死ぬんだ。わしは生きる。りうも生きるんだ」
りうは思はず、與右衞門の顔を見た。最早、その顔に苦澁の色はなかつた。
「りう、明日な、内輪だけでお經を上げてもらつて、明後日、新之助殿と三人で國へ發つことにしたよ」
「えつ、兄もまゐるんでございますか」
「孝兵衞の骨を、新之助殿に持つてもらふんだよ。孝兵衞も滿足だらう。それに、新之助殿には引き合はせたお方もあるんだ」
「では、兄は便船のあり次第、また蝦夷へまゐるやうに申してましたが」
「孝兵衞のゐなくなつた今日、新之助殿はわしにはなくてはならぬ人だよ。でも、自分の勝手ばかりも言つてをられまいからな」
「と、申しますと」
「新之助殿には、大分蝦夷がお氣に入りのやうだが、あれだけの人物に、いつまでも商人の眞似をさしておくわけにはいくまいて」
「すると、もしや、そのやうなお話でもございますのでせうか」
「彦根では、この二月、御末弟の直弼さまが御後嗣にお決まりになつたんだ。それがまたお侍にしておくのは惜しいやうなお方でな、新之助殿をお望みとある。またまた海邊の事情が騒がしくもなつて來た今日、蝦夷一年の經驗も、まんざら無駄ではなかつたかも知れない」
「母が、もしもそのやうなお話を承れば、どんなに喜ぶことでせう」
「さうだ、母上には、幾分罪滅しが出來るかも知れないな」
與右衞門は盃を干して、りうに差した。盃を受けるりうの手が心持ち慄へた。
「りう、その上に、まだ喜んでもらふ話があるんだよ。彦根さまと同じく、わたしの跡取りにも、孝兵衞の忰を貰ふことにしたよ。孝兵衞が快く承知してくれたんだ。どうだい」
そんと呆けたことを言ひながら、與右衞門の顔には不適なものがあつた。與右衞門は太つた胸をはだけ、汗を拭いた。その膝許には、まるで與右衞門が抱きかかへてゐるやうな恰好で、孝兵衞の骨壺が置いてある。
複雑な感情が、りうの頭に湧いた。與右衞門がひどく頼もしいやうでもあつたが、憎らしくもあつた。男の世界の嚴しさがりうを壓した。
一時に、醉ひを發したりうの脳裏に、一瞬孝兵衞の顔が映つた。その顔は夢の中で刻まれたものであるから、却つて實感は少しも薄れてゐなかつた。突然、いるは與右衞門の前に泣き伏した。
「泣くか。泣きたかつたら、泣くがよい」
與右衞門の胸にも、不意に、激しい感情が込み上げて來た。それは孝兵衞が死んだ悲しみといふよりは、ゐたものがゐなくなつたといふ、得體の知れぬ淋しさだつた。言はば、天を仰いで、號泣したいやうな、頑是ない激情であつた。
泣くまいとして、りうは却つて身を悶えて、激しく噎び泣いた。上體が俯伏せになつてゐるので、黑地明石の着物を着てゐるりうの臀部が、黑い滿月のやうに與右衞門の目に入つた。瞬間、與右衞門は奇怪な、しかしひどく甘美なものが、體の中に動くのを感じた。與右衞門はりうの肩に手を當てて言つた。
「さうだ、りう、二人で蝦夷へ行かう」
「えつ」
りうは、思はず、泣き顔を上げた。が、與右衞門の異樣な視線を感じると、りうは涙を飛ばして、激しく首を振つた。
「もう泣くな。孝兵衞が開いた畑には、穀物が熟してゐるのだ。漁場には、魚が跳ねてゐるのだ。りう、蝦夷へ行かうよ」
泣き濡れたりうの目には、急に輝くものがあつた。
「りう、蝦夷のものは、漁場も、農地もみんなお前のものだ」
瞬間、りうは再び泣き出すやうな顔をしたが、次ぎの瞬間、男の生命が隆隆と漲つていくのを、りうは見てしまつたのだ。
「りう、敵討ちだ。帶を解け」
りうはゐざりながら、喘ぎながら、その手は後に廻つてゐた。
與右衞門は異樣な唸り声とともに、りうに襲ひかかつた。りうは仰向けざまに倒れた。りうは、その途端に、無慘な聲を發した。
與右衞門は上から、りうは下から、しつかり體を抱き合つたまま、動かなかつた。まるで、孝兵衞の體を呑み、こんな骨片にして返して寄越したやうな奴に戰ひを挑むためには、かうするより他に方法のなかつたことを確かめあつてゐるかのやうに。
三十三
文化(西暦一八〇四年―一八一七年)末年以後、海邊の事情は一時小康を保つてゐたかに見えたが、(註一。西暦一七八九年、フランス革命起る。一八〇四年、ナポレオン皇位に即く。一八〇五年、ナポレオン、アウステルリツにオーストリア、ロシアの連合軍を破る。一八一二年、ナポレオン、モスクワに敗れる。一八一五年、ワーテルローの戰。神聖同盟。註二。一七六八年、アークライトの紡績機、一七六九年、ワットの蒸氣機關、一七八五年、カートライトの織布機、一八〇七年、フルトンの蒸汽船、一八一y年、スチヴンソンの汽車が發明された。一八一九年、蒸汽船が大西洋を横斷、一八二五年、初めて汽車が運輸に用ひられた)天保末年から弘化に入ると、再び異國船の出没が烈しくなつて來た。
天保十四年(西暦一八四三年)十月、外國船東蝦夷に來る。同十日、英艦琉球八重山島に來り、上陸す。十二月、他の英艦宮古島に來り、海邊を測量して去る。
天保十五年(西暦一八四四年)三月十一日、琉球那覇港へ佛艦一隻投錨し、通商を請ふ。六月十六日、和蘭人、長崎にて本國軍艦の來朝を報じ、且つ武器を檢することを止め、祝砲を發する時、答砲を發することを請ふ。同十九日、幕府、和蘭人に寛待の處分を爲さしめ、答砲を發することを許さず。七月二日、和蘭軍艦バレンバンク長崎に入港。八月四日、和蘭施設コープス、國書を幕府に呈した。
鍵箱之上書和解
「この印封する箱には和蘭國王より
二本國帝に呈する書簡の箱の鍵を納む。この書簡の事を司るべき命を受くる貴官の開封し給ふべし。
暦數千八百四十四年二月十五日
瓦刺汾法瓦(ガラヘンハーガ)に於て記す
和蘭國王密議廳主事名花押」
鍵箱之封印和解
(文字を讀むことが出來なかつた)
書簡外箱上書和解
「日本國帝殿下 和蘭國王」
書簡和解
「神德に倚頼する和蘭國王兼阿郎月(オランエ)、納騒(ナスサウ)のプリンス魯吉瑟謨勃兒孤のコロノトヘルコフ微爾列謨(イルレム)第二世謹て江戸の政廳にましまして德位最も高く威武隆盛なる大日本國君殿下に書を奉して微衷を表す。冀はくは殿下觀覽を賜ひて安靜無爲の福を享け給はんことを祈る。
一、抑今を距る事二百餘年前に世に譽高くましませし烈祖權現家康より信牌を賜り、我國の貴國に航して交易する事を許されしよりこのかたその待遇淺からず、甲必丹も年を期して殿下に謁見するを許さる。聖恩の隆厚なう實に感激に勝へす。我も亦信義を以てこの變替なき恩義に答へ奉り、いよいよ貴國の封内をして靜謐に庶民をして安全ならしめんと欲す。然りといへとも今に至るまで書を奉るへき緊要の事なく、且交易の事及ひ尋常の風説は拔答非亞(バタービヤ)及ひ和蘭領亞細亞諸島の總督より告け奉るを以て兩國書を相通することあらさりしに、今爰望し難き一大事起れり。素より兩國の交易に拘にあらす。貴國の關係する事なるを以て未然の患を憂ひ始めて殿下に書を奉す。伏して望む此忠告に因りて其未然の患を免れ給はん事を。
一、近年英吉利國應より支那國帝に對し兵を出して烈しく戰爭せし本末は我國の舶毎年長崎に至りて呈する風説書にて既に知り給ふへし。威武盛りなる支那國帝も久しく戰ひて利あらす、歐羅巴州の兵學に長せるに辟易し終に英吉利國と和親を約せり。是よりして支那國古来の政法甚だ錯乱亂し、海口五所を開いて歐羅巴人交易の地となさしむ。其の禍亂の原を尋るに今を距る事三十年前歐羅巴の大亂治平せし時、庶民皆永く治化に浴せん事を願ふ。其時に當りて古賢の教を奉する帝王は庶民の爲に多く商賣の道を開きて民蕃殖せり。しかしより器械を造るの術及び合離の術に因りて種々の奇巧を發明し、人力を費さすして貨物を製するを得しかは、諸邦に商賣蔓延して反に國用乏きに至りぬ。中に就きて死滅世に輝ける英吉利は素より國力豊饒にして民心巧智ありといへとも、國用の乏きは特に甚し。故に商賣の正路に據らすして速に利潤を得んと欲し、或は外國と爭論を起し、事勢已むへからす、故を以て本國より力を盡し其爭論を助くるに至る。これらの事によりて、其商賣支那國の官吏と廣東にて爭論を開き終に兵亂を起せしなり。支那國にては戰甚た利なく。國人數千戰死し且つ數府を侵掠敗壊せらるるのみならず數百萬金を出して火攻の責を贖ふに至れり。
一、貴國も今亦此の如き災害に罹り給んとす。凡そ災害は倉卒に發するものなり。今より日本海に異國船の漂ひ浮ふ事古よりも多くなり行きて、是の爲に其舶兵と貴國の民と忽ち爭論を開き終には兵亂を起こすに至らん。これを熟察して深く心を痛ましむ。殿下高明の見ましませは必ず其災害を避る事を知り給ふへし。我も亦安寧の策あらんを望む。
一、殿下の聰明にまします事は暦數千八百四十二年、貴國の八月十三日長崎奉行の前にて甲必丹に讀聽かせし令書に因りて明なり。其書中に異國船を厚遇すへし事を詳に載するといへとも恐くは尚また盡ささる所あらんか。
其の主とする處の意は難風に逢い、或は食物薪水に乏しくして貴國の海濱に漂着する船の所置にのみ在り。もし信義を表し、或は他のいはれありて貴國の海濱を訪ふ船あらん時の所置は見へす。是等の船を冒味に排擯し給はは必す爭端を開かん。凡そ爭端は兵亂を起し、兵亂は國の荒廢を招く。二百餘年來我國の人貴國に留り居し恩惠を謝し奉らんか爲に、貴國をして此災害を免れしめんと欲す。古賢の言に曰、「災害なからんと欲せは險危に臨む勿れ。安靜を求めんと欲せは粉冗を致す勿れ」
一、謹て古今の時勢を通考するに、天下の民は速に相親しむ者にして其勢ひ人力のよく防く所にあらす。蒸氣船を創制せしよりこのかた各國相距ること遠きも猶近きに異ならす。かくの如く互に好みを通る時に當り獨り國を鎖して萬國と相親まさるは人の好みする所にあらす。貴國歴代の法に異國人と交を結ふ事を嚴禁し給ひしは歐羅巴州にて遍く知る所なり。老子曰、「賢者位に在れは特によく治平を保護す」故に古法を堅く遵守っして反乱て亂を醸さんとせは、其禁を弛むるは賢者の常經のみ。これ殿下に丁寧に忠告する所なり。今貴國の幸福なる地をして兵亂の爲に荒廢せさらしめんと欲せは、異國人を嚴禁する法を弛め給ふへし。これ素より誠意に出る所にして我國の利を謀るには非す。夫れ平和は懇に好みを通するにあり。懇に好みを通するには交易に在り。冀くは叡知を以て熟計し給はん事を。
一、此忠告を採用し給はんと欲せは
殿下親筆の返翰を賜るへし。然らは又腹心の臣を奉らん。此書には概略を擧く故に詳なる事は其使臣に問ひ給ふへし。
一、我は遠く隔りたる貴國の幸福治安を謀るか爲に甚た心を痛ましむ。これを加るに在位二十八年にして四年以前に譲位せし我父微爾列謨(イルレム)一世王も遠行して悲哀に沈めり。
殿下亦これらの事を聞しめし給はは我と憂勞を同ふし給はん事明なり。
一、此書を奉するに軍艦を以てするは
殿下の返翰を護して歸らんか爲のみ。又我肖像を呈し奉るは至誠なる信義を顯さんか爲のみ。其餘別幅に錄する品は我封内に盛に行はるる學述によりて致すところなり。不腆といへとも我國の人年來恩遇を受候しを聊謝し奉らんか爲に獻貢す。向來不易の恩惠を希ふのみ。
一、世に譽高くましませし
父君の世久々多福を膺受し給ひしを眷佐せる神德によりて、
殿下も亦多福を受け大日本國永世彊りなき天幸を得て靜謐敦睦ならん事を祝す。
即位より四年暦數千八百四十四年二月十五日。瓦刺汾法瓦(ガラヘンハーガ)の宮中に於て書す。
微爾列謨(イルレム)
テ、ミニストル、ハン、コロニエン 瑪陀(マノド)」
弘化二年(西暦一八四五年)二月十七日、米國捕鯨船メルカトル號、日本漂民二十二人を送りて安房館山浦に來り、更に浦賀に進む。忽ち、數百總のわが兵船之を取り圍み、武器を取り上ぐ。三月、幕府より命あり。「淸蘭二國非ずして、漂民を送り來るものあるも、之を受け取らざるを國法とすれども、此度は特例を以て之を許す」と。同十五日、薪水食料を得て退帆す。五月、英船琉球に來る。この頃、英拂人琉球に渡來し、就中拂人の通信交易を强請し、天守教を傳道せんとするの報、島津氏を經て、幕府に達す。六月一日、幕府、和蘭の船長及び宰相に宛て、返書を贈る。
「我國往古ヨリ海外ニ通間スル諸國少ナカラザリシニ、四海太平ニ治マリ法則ヤヤ備リ、朝鮮・琉球ノ外ハ信ヲ通ズルヿナシ。貴國と支那ハ年久シク通商スルト雖、信ヲ通ズルニハアラズ。然シテ去秋貴國王ヨリ書簡ヲサシコシ候とイヘドモ、厚意ニメデテ夫ガ爲ニ答ヘレバ信ヲ通ズルヿニシテ、祖宗ノ嚴禁ヲ犯ス。是我私ニアラズ、故ニ返簡ノ沙汰ニ及ビガタシ。然リトイヘドモ多年通商ノ好ヲ忘レス衷誠ノ致ス所悦喜之ニ過ギズ、其懇志ノ程聊會釋ニ及バザレバ禮節ヲ失ヒ、且誠意ニ戻ル。依(レ)之其重役ヘ書をリテ其厚ヲ謝ス。又品々贈越セシト雖、返簡ニ及バザル上は受納シガタシ。然レドモ、厚意の默示ガタキ故、其意ニ任セテ納メ止ム。就テハ是ヨリモ會釋トシテ國産ノ品々贈リテ遣ハスナリ。然レバ後來必シモ書簡をサシコスヿナカレ。我其事アリトモ、封ヲ開カズシテ返シ遣スベシ。正ニ禮を失フニ似タレドモ、何ゾ一時ノ故ヲ以テ祖宗歴世ノ法ヲ變ズベケンヤ。爰ヲ以テ他日再ビ言ヲ費スヿナカレ。此度書簡相贈リ候テモ、其返簡モ堅く無用タルベシ。此旨能心得本國へ申傳フベシ。
老中 阿部伊勢守正弘
老中 牧野備前守忠雅
老中 靑山下野守忠良
老中 戸田山城守忠溫」
七月二日、英船、食糧を求めて八重山島に來る。同三月、英フライゲート艦サラマング號長崎に來る。沿海を測量し、薪水食糧を得て去る。同月、老中阿部正弘、新に海防掛りを置き自ら掌る。
弘化三年(西暦一八四六年)四月五日、英船那覇に來り、土地を購うて永住する旨を告げ、醫一人及び其妻子四人を留めて去る。同六月、拂艦一艘、琉球讀谷(エンダン)山間切(マギリ)沖に現れ、七日、那覇港に入る。五月六日、拂艦那覇より運天港に廻航す。同十一日、更に佛の一艦同港に來航す。十二日、佛の一大那覇に來り、十三日、運天に會同す。即ち佛の印度支那水軍提督セシルの坐乘せるフライゲート、クレオパトラ號にして、前二艘はコルフェット、サビン及びブクトリユウスなり。セシル西洋諸國の强盛の狀を語り、拂國に親む利を説き、通商を約せんことを要求す。琉人鳩首して議す。
英拂の琉球侵寇の報が幕府に達すると、幕閣の有司がその處置にひどく苦慮したのは當然のことであらう。奮法の墨守に戀戀としてゐた幕府にとつては、もとより琉球が英拂と通商交易をすることを認めるわけには行かなかつたが、と言つて、「化外」の他にも等しい琉球のために、國患を醸すやうなことは出來るはずがなかつた。
琉球はもとわが國と淸國との兩方に屬してゐた國で、薩摩島津氏は、祖先以來その領有を主張し、幕府も之を認めてゐたのであつた。當時の島津氏の世子、修理大夫(齊彬(ナリアキラ))はかなり明達の人のやうである。彼は内外の情勢を察し、幕府の弱點に乘じ、琉球の拂人との通商の許可を幕府に請ひ、更に自藩の「唐物再願」の擧に出た。つまり德川初期に禁止された薩摩藩の支那貿易復活の願ひであつて、彼はこれに託して、竊かに英拂と貿易を營み、自藩の封建經濟の行き詰りを打破し、將來の雄圖に備へやようとしたもののやうであつた。
閏五月十九日、異船紀伊沖に出没す。同二十五日、異船遠江沖を通航す。二十七日、米國使節ビットル、軍艦二隻を率ゐ、浦賀に入航して通商を求む。二十九日、幕府、琉球にて英拂兩國の事を處理せしめるため、島津齊彬に歸國を命ず。六月一日、將軍家慶、島津父子を召し、琉球の處分を託して曰く「その他は由來卿に委任する地なれば、這囘も專斷して顧みざれ只國豊を失はず、寛嚴宜しきを得て、後患を貽す勿れ」と。又通商に關しては、「幕府よりは許否を言ひ難きも、琉球は委任の國なれば、宜しきに随うて處分すべし」と。同五日、セシル、佛艦三隻を率ゐて長崎に入港し、漂人保護のことを乞ふ。二十一日、和蘭商船、武器及び軍艦小樣を齎し來る。二十七日、丁抹船、浦賀沖に來る。七月二十五日、佛艦、再び那覇に來る。八月、齊彬、頻りに兵を催し、琉球の防備を裝ひつつ、外國貿易の準備をなす。水戸齊昭、屢々薩藩の動勢に猜疑の言を放ち、老中、阿部伊勢守を難詰す。同二十三日、英船三隻、琉球に來り海陸を測量して去る。二十九日、幕府に勅して海防を厳にせしむ。左の御沙汰あり。
「一、近年異國船所々ニ相見候趣、風説内々被(ニ)聞召(一)候。乍(レ)併文道能備り武備全整候時節、殊ニ海岸防禦堅固之旨被(二)聞召(一)候間御安慮候得共、近頃其風説屢彼是被(レ)爲(レ)掛(二)叡慮(一)候。尚此上武門之面々、洋蠻之事、不(レ)侮(二)小寇(一)不(レ)畏(二)大敵(一)籌策ヲ立、神州の瑕瑾無(レ)之樣御指揮候テ、深可(レ)奉(レ)安(二)宸襟(一)候。此断段宜(レ)有(二)御沙汰(一)事」
十月三日、幕府、禁裡附をして英・佛・米三國渡來の顛末を奉聞せしむ。
弘化四年(西暦一八四七年)一月三日、勅して石淸水、加茂兩社の臨時祭を行はしめ、國安を祈らしめ給ふ。二月十一日、近江彦根城主井伊直亮(ナホアキ)をして川越城主松齊典(ナリオキ)とともに相模沿岸を、會津城主松平容敬(カタタカ)をして忍城主松平忠固とともに房總沿岸を守衞せしむ。三月二十三日、幕府、浦賀奉行を諭し、外國船の取扱ひは努めて平隱ならしむ。四月二十五日、石淸水社臨時祭に勅使を差遣せられ、外患を告げて神明の加護を禱らしめ給ふ。六月二十六日、和蘭人、再び外交の事に就きて上言す。七月二十八日、浦賀奉行を諸太夫に列し、戸田氏榮(ウヂヒデ)、淺野長祚を任ず。十一月八日、鍋島齊正、長崎砲臺を增築し、大砲百門を備へ付けん事を請ふ。幕府、多額の費用を要することを慮り、言を左右にして許さず。
この頃になると、多くの外船がわが沿海を遊弋してゐたであらうが、殊に、雲霧の間に出没隱見する外船の姿を見た諸侯、代官等は、悉くこれを届け出たので、中には所謂風聲鶴唳に驚かされた類ひのものも少くなかつたかも知れない。多くの國史年表には、次ぎのやうに書かれてゐる。
是歳、外國船頻りに來る。
後書
「筏」は「草筏」「花筏」と一聯をなす作品で、「草筏」よりも早く、その一部を發表したことがあつたが當時の自分にはたうてい手に負へないことを知り、中止したものであつた。
以來二十數年、私の頭の中で、「筏」といふ胎兒は徐徐に生育して行くとともに、その母胎の榮養狀態も、物心とともんい、辛うじてこの出産に堪へ得るかとも思はれた。一昨年秋、「文藝日本」同人諸兄の好意により、思ひ切つて私は筆を執つたのであるが、京都三高時代からの奮友、中谷孝雄、淀野隆三等の激勵をうけたりして、まるで自分の年齢を忘れてしまふほどの初心な情熱を持ち續け得たといふことは、この作の出來不出來は暫く問はず、作者にとつては何にも勝る幸福であつたと言はなければならない。
また「文藝日本」同人諸兄は私に思ひのままの執筆を許されたばかりでなく、絶えず聲援を惜しなかつた。殊に「文藝日本」の經營は困難を極め、當時の編輯長大鹿卓兄の如きは、或は氏の連載作「谷中村事件」の紙面を拙作のために割愛してくれたのではなかつたかと思はれる節もないではなく、竊かに私を感動させた。「筏」は一年以上にもわたつたが、こんな友情に支へられて、完成することが出來た。
「作品は作者の『私』に屬する部分が多ければ多いほどつまらない」ともいはれ、私も「『私』に屬する部分のない作品」を書っことが出來れば、どんなに快いだらうと思はぬでもないが、この作品の場合も、私は所謂「私小説」といはれる作品を書く時と少しも變らぬ態度で書くことが出來た。むしろこの作品を通じて、私は「私」の血肉の源を探りたいと願つた。
「筏」を書くに當つて、多くの書物を参考にしたが、薄學な私は或はそのまま引用したり、或は勝手に私見に曲歪した恐れがなくもない。右に主な參考書を掲げて、二つの意味の謝意を表しておく。
昭和三十一年四月
外村繁記す
參考書
池田晃淵著「德川時代史(下)」
三上參次著「江戸時代史(下卷)」
淸原貞雄著「日本新文化史(江戸時代後期)」
高橋龜吉著「德川封建經濟の研究」
江馬務著 「江戸時代風俗史」
齋藤隆三著「江戸のすがた」
看雨隠士著「東京地理沿革史」
林顯三編 「北海誌料」
北海道廳編「北海道史」
吉田英雄著「日本社會經濟編年史」
黑坂勝美著「國史研究年表」
日置昌一著「國史大年表」
三瓶孝子著「日本綿業發達史」
維新學會編「幕末維新外交史史料集成」
聖德中學校郷土研究會編「滋賀縣八日市町史の研究」
大橋金藏編「外村家乘資料(第一卷―第四卷)」
その他
最終更新:2017年07月29日 16:02