馬地獄(織田作之助)

  • 底本:昭和45年6月25日筑摩書房発行現代日本文學大系70『武田麟太郎・織田作之助・島木健作・檀一雄集』

本文

東より順に大江橋、渡辺橋、田簑橋、そして船玉江橋まで来ると、橋の感じがにはかに見すぼらしい。橋のたもとに、ずり落ちたやうな感じに薄汚い大衆喫茶店兼飯屋がある。その地下室はもとどこかの事務所らしかつたが、久しく人の姿を見うけない。それが妙に陰気くさいのだ。また、大学病院の建物も橋のたもとの附属建築物だけは、置き忘れられたやうにうら淋さびしい。薄汚うすよごれてゐる。入口の階段に患者が灰色にうづくまつたりしてゐる。そんなことが一層この橋の感じをしよんぼりさせてゐるのだらう。川口界隈かいわいの煤煙にくすんだ空の色が、重くこの橋の上に垂れてゐる。川の水も濁つてゐる。
ともかく、陰気だ。ひとつには、この橋を年中日に何度もなく渡らねばならぬことが、左様に感じさせるのだらう。橋の近くにある倉庫会社に勤めてゐて、朝夕の出退時間はむろん、仕事が外交ゆゑ、何度も会社と訪問先の間を往復する。その都度つどせかせかとこの橋を渡らねばならなかつた。近頃は、弓形になつた橋の傾斜が苦痛でならない。疲れてゐるのだ。一つ会社に十何年間かこつこつと勤め、しかも地位があがらず、依然として平社員のままでゐる人にあり勝ちな疲労が屡屡しばしばだつた。橋の上を通る男女や荷馬車を、浮かぬ顔をして見てゐるのだ。
近くに倉庫の多いせゐか、実によく荷馬車が通る。たいていは馬の肢あしが折れるかと思ふくらゐ、重い荷を積んでゐるのだが、傾斜があるゆゑ、馬にはこの橋が鬼門きもんなのだ。鞭むちでたたかれながら弾はずみをつけて渡り切らうとしても、中断に来ると、轍わだちが空からまはりする。馬はずるずる後退しさうになる。石畳の上に爪立てた蹄ひづめのうらがきらりと光つて、口の泡が白い。痩せた肩に湯気が立つ。ビシ、ビシと敲たたかれ、悲鳴をあげ、空を嚙みながら、やつと渡ることができる。それまでの苦労は実に大変だ。彼は見てゐて胸が痛む。鞭の音がしばらく耳を離れないのだ。
雨降りや雨上りの時は、蹄がすべる。いきなり、四つ肢をばたばたさせる。おむつをきらふ赤ん坊のやうだ。仲仕なかしが鞭でしばく。起きあがらうとする馬のもがきはいたましい。毛並に疲労の色が濃い。そんな光景を立ち去らずにあくまで見て胸を痛めてゐるのは、彼には近頃自虐めいた習慣になつてゐた。惻隠そくいんの情もぢかに胸に落ちこむのだ。以前ちらと見て、通り過ぎてゐた。
ある日、そんな風にやつとの努力で渡つて行つた轍の音をききながら、ほつとして欄干をはなれようとすると、一人の男が寄つて来た。貧乏たらしく薄汚い、哀れな声で、針中野まで行くにはどう行けばよいのかと、紀州訛なまりできいた。渡辺橋から市電で阿倍野まで行き、そこから大鉄電車で――と説明しかけると、いや、歩いて行くつもりだと言ふ。そら、君、無茶だよ。だつて、こゝから針中野まで何里……あるかもわからぬ遠さにあきれてゐると、実は、私は和歌山の者ですが、知人を頼つて西宮まで訪ねて行きましたところ、針中野といふところへ移転したとかで、西宮までの電車賃はありましたが、あと一文もなく、朝から何もたべず、空腹をかかへて西宮からやつとここまで歩いてやつて来ました。あと何里ぐらゐありますか。半分泣き声だつた。
思はず、君、失礼だけどこれを電車賃にしたまへと、よれよれの五十銭銭ぜにを男の手に握らせた。けつしてそれはあり余る金ではなかつたが、惻隠の情はまだ温あたたかく尾をひいてゐたのだ。男はぺこぺこ頭を下げ、立ち去つた。すりきれた草履ざうりの足音もない哀れな後姿だ。
それから三日経たつた夕方、れいのやうに欄干に凭もたれて、汚い川水をながめてゐると、うしろから声をかけられた。もし、もし、ちよつとお伺ひしますがのし、針中野ちゆうたらここから……振り向いて、あつ、君はこの間の――男は足音高く逃げて行つた。その方向から荷馬車が来た。馬がいなないた。彼はもうその男のことを忘れ、びつくりしたやうな苦痛の表情を馬の顔に見てゐた。

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最終更新:2017年12月18日 20:38