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彩・第一話 第五幕 - (2008/02/07 (木) 21:07:50) のソース
・・・。 マーチ。 自分を呼ぶ声がする。 「んうー・・・っ」 視界に紫電を走らせながら、ポケスタの中でマーチは身じろぎしてたが。やがて、のそのそと身体を起こした。 「・・・?」 ぽけっとしながら体内の時計を確認する。 2037年。7月26日。午前の・・・まだ、かなり早い。日の出前だ。 ふいっと顔を向ければ、ヤヨイが着替えていた。 「あれ。マスター・・・?」 色白の肌。似合う淡い色の下着姿。その声に振り向きながら、大き目のTシャツを上から被る主。 「マーチ、起きた? じゃ、用意しよっか」 「もう、着いたんですか・・・? えっと。センダイってトコに」 「あはっ。違うよ?」 マーチの慣れない仙台という発音はちょっと可笑しい。デニムに細い足を通しながら笑う。 「ちょっと出かけるんだよ」 「んーと。はい」 どこに? ここは船の上なのに? よく解らないまま返事をして、彼女はポケスタから出て、大きく伸びをした。 「あの・・・マスター?」 小さな櫛を誂えたスティックで。いつも通り髪を梳いてもらいながら。ふと、マーチは気になって声をかけた。 「なぁに?」 「この船に乗った、理由の二つ目って何ですか?」 「あー・・・。うん」 その通りの良い桃色の髪を整え終えて。ヤヨイは思い出したように顔を上げる。 「・・・ほら。私。ずーっと『海』を見てなかったから。港町に住んでるのに」 どきり。とした。 「だから『北海道から初めて出るときは。海から出よう!』って決めてたの。そう・・・だね。出られるか、解らなかったけどね」 「・・・」 スティックを直しながら、化粧品入れを探っている横顔。そこには『元気』が漲っている。だけど・・・。 ヤヨイは麺棒の先端にラベンダーの香水を付けて、マーチの首筋にちょんちょんと付けてあげた。 「んふっ・・・!」 その冷たさは慣れる事が出来ない。ピクッと身体を縮ませながら。それでも。彼女はそのマスターの左手を目の端に入れていた。 彼女の前では、『それ』を隠そうとはしないが。まだ、その身体のあちこちには。半年前までの『白い部屋』での日々が刻まれている。 多感な年齢であるヤヨイが、それを気にしていない訳は無い。今もまた腕を隠すように、長目のリストサポーターを左手に着けていた。 ・・・そんなことを考えているマーチをひょいっと持ち上げて。ヤヨイは鼻歌を歌いながら部屋から出た。 ・・・。 向かったのは甲板。 外に続くオートドアが開くと、何かが差し込んできて思わず目を瞑った。 それが風と光だと気付いて、恐る恐る瞼を上げる。 「わぁ・・・!」 飛んでしまう髪の毛を両手で抑えながら、マーチは歓声を上げた。 海が、文字通り。きらきらと光っていた。 「海の果てから、日が昇るんだよ」 「はい!」 足を進めて周りを見やれば、甲板には結構人が出てきていた。といっても、20人もいないだろうが・・・。 きっと、皆が日の出を見に来たのだろう。船の上で一夜を明かして、迎えることが出来る朝。客は勿論、船員の姿もちらほらと見えた。 「ヤヨイ」 声をかけられて見れば、手すりを使った白いスタンドテーブルのところで、レオが手を振っていた。 「おはよう」 「おはようございます」 微笑みを投げられて、ちょっと照れくさそうに返す。 視界を邪魔する物は無い。広大な太平洋と、千切れ雲が浮かぶ空。 その彼方から、陽が昇っていく。 「これを見なきゃ。この船に乗った理由も少ないからね」 レオの言葉に頷きながら、ヤヨイは目を細めた。 そういえば。去年のクリスマスまでは、心のどこかで夜が明ける事を恨んでいたかもしれない。 それが・・・。 ヤヨイは。ちらり、と。肩で目を輝かせている神姫に視線を送った。 ・・・。 「あ、ノーヴス!」 丁度レオの影に入る形になっていたから気付かなかった。テーブルの上に置かれた青いポケスタ。その中に姿を認め、マーチはヤヨイの肩から飛び降りた。 「うん。おはよう・・・マーチ」 「おはよう。あの、大丈夫?」 言われた方が辛くなるような不安げな視線を投げられて、ノーヴスは手を伸ばし、その桃色の髪に指を通した。 「心配いらない・・・。ごめん」 眠そうな顔のまま呟くように言う。その顔を見て。ほーっと大きく息を付いて。 「ううん? けど。驚いたよ」 手を払おうともせずに、そう言って笑ってみせた。 (そうか。そうか・・・これが、彼女の・・・) 彼女の笑顔を見て。指を離し、ようやくノーヴスも微笑む。 ゆっくりと、陽が。その顔を出していた。 ・・・。 ヤヨイとレオがセルフサービスの朝食と飲み物を取りに行ってしまって出来た時間。 その間、二人の神姫は何ともなく、明けた海を眺めていた。 すると。ひょいと立ち上がり、マーチは両手を前に出して、指先まで伸ばした。 ノーヴスは何事かとその姿を見上げる。 「わー・・・」 マーチが小さく歓声が上げた。 髪は風に吹かれているが、気にする様子もなく、じっと蒼穹の瞳で空と海を見つめている。 笑みを浮かばせて。彼女は、ふっと肩越しに振り返った。 「ねぇねぇ。ノーヴス? 私達って『小さい』よねっ?」 「・・・? うん」 意を介することが出来ず、ただ。頷く。 「けど。今、私。空を支えてるよ?」 マーチのその言葉に驚いたように、ノーヴスは少し目を見開いた。 自分は『小さい』。それが、きっと神姫としては普通だと思っていたから。 ・・・。 自分は小さい神姫。 そんな小さな自分が。今、大きな大きな物の真ん中。ここにいる。 そんな事を思うと、嬉しかった。あの、冷たい雪の日から8ヵ月・・・マスターと一緒に旅に出た事。今、ここにいる事。 それを思うだけで嬉しくてたまらない。 満面に笑みを浮かべて。くるっと一回身を翻して。輝く海。上る太陽。逆光を背にして、マーチはノーヴスに向き直った。 ・・・。 小さな自分が、大きな空を支えるように見えたことが、とても嬉しかった。 ノーヴスはゆっくりとポケスタから身体を出して立ち上がると。隣に立つ。 再び、海に向かって手を伸ばすマーチ。その手に、そっとノーヴスも自分の手を重ねる。微かにラベンダーが香った。 陽が開けていく空の青。 その輝きを返す、海の青。視界の中。その重なる部分に手を持っていく。 光が一直線に連なる、水平線に。二人の手が重なった。 「また・・・」 ノーヴスが眠そうな目のまま、それでも。マーチをしっかりと見つめる。 彼女もまた、その視線を真っ直ぐ受け止めて微笑んだ。 「また、会おうね? ・・・マーチ」 「・・・うん!」 確証は無い約束。それはとても小さい約束。それはとても小さな手と共に。 「きっと・・・」 大きな大きな空。大きな大きな海。 その真ん中に浮かぶ、大きな船。 そんな大きな世界の中に居る自分達は。きっと、とても小さいけど。 だけど、その約束は。はじめての友達との約束は。 きっと。とても大きな事。 重ねた手に、重なる水平線。 空色のポシェットが、陽に照らされていた。 [[2037の彩]] [[彩・間幕 その1]]