「ACT 0-5」(2009/07/08 (水) 22:21:34) の最新版変更点
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ウサギのナミダ
ACT 0-5
■
神姫も、夢を見る。
スリープモードで、クレイドルで充電とデータのバックアップを行っているとき。
それは神姫にとって「睡眠」にあたる。
マスターによれば、睡眠中に脳が蓄積された情報を整理し、その時に漏れでた情報を認識すると、夢になる、のだそうだ。
だから、データのバックアップ中に、わたしたちが認識するものも、やはり夢なのだ。
わたしは、夢を見る。
いつも同じ夢、恐い夢。
わたしの前には男の人。
顔は影になっていてよくわからないけれど、目だけが異様な輝きを放って、笑っている。
彼は、わたしに手を伸ばす。
わたしは身をすくめる。これから、自分の身に起こる出来事を予想しながらも、あらがうことはできない。
「や……っ」
男の人がわたしを掴み、顔の高さまで持ち上げる。
大きな顔が、わたしの視界いっぱいに広がる。
わたしは、恐くて、身体を震わせる。
でも、ここは彼の手のひらの上だ。
逃げ場なんてない。
彼は、わたしを両手でつまみ上げながら、さらに顔を近づけてきた。
息がかかる。臭い。
顔の下の方にかかった影が、横に一筋裂けた。
裂け目が広がると、ぬらり、とした軟体動物のようなものが出てくる。
舌だった。
「あっ……や、あ……っ」
男の人の舌は、わたしの身体をなぞる。
脚の先から、ふともも、ヒップからウェストのライン。
股間と胸は、特に念入りに舐められる。
太い舌先は巧みに動き、わたしの弱い部分を的確に責め立てる。
いやなのに。いやなのに。
いやらしい舌の動きを、わたしの身体は性的快感と認識する。
いやだという気持ちと、なぶられる快感が、相乗してさらに気持ちを高めていく。
「あ、あ、はあぁ……あぁ……」
頭がぼうっとする。
何も考えられなくなってくる。
わたしの身体は男の人の唾液にまみれ、いやな臭いを放っている。
その臭いすらも快感を助長する芳香に変わる。
わたしは快感に身を委ね、なすがままにされていた。
ふわふわとたゆたうような感覚に、わたしはどっぷりと浸っている。
と、突然。
ぼきり、という鈍い音。
「ーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
ふわふわとした感覚は、爆発した激痛に吹き飛ばされる。
声が出ない。声にならない悲鳴。
さらにまた。
わたしの身体から鈍い音が響く。
わたしは身を焼くような激痛の出所を、左腕と右脚であることを、かろうじて突き止める。
だからといって、何もできない。
わたしはただ、大きく目を見開いて、堪えきれない痛みにぱくぱくとあえぎながら、涙を流すだけだ。
さらに、残りの四肢も折られた。
わたしは身動きもとれず、ただ激痛に悲鳴を上げる。
目の前の人を見る。
その男の人の顔は、相変わらず影になっていたが、その二つの目と裂け目のような口だけがはっきりと見える。
笑っている。喜んでいる。
わたしがのたうち回る姿を見て、嬉しがっている。
彼の方から、何かが飛んできた。
べちゃり、と粘液のようなものがわたしに降りかかる。
白く、べたべたの粘液は、何かすえた臭いがする。
いやだと思っても、いまのわたしには、この粘液を払うことさえできない。
男の人の光る両目が、さらにゆがんだ。
わたしを掴み上げると、わたしの背に指を当てたまま、親指でわたしの胸を押す。
わたしは恐怖した。
身体を折る気だ。
「や、めて……ください……やめて……」
やめて。死んじゃう。
わたしがどんなに懇願しても、そんな様子すら楽しんでいる。
わたしの背が限界を超えて曲がっていく。
折れてしまう。
死んでしまう。
たすけて、だれか、たすけて……だれか……。
ごきん。
「あああぁぁっ!!」
わたしは悲鳴を上げて、飛び起きた。
暗い。
あたりは静かだった。
時計の音が妙に大きく聞こえる。
それからわたしの荒い息。
「はあ、はあ、はあ……」
わたしは自分の身体を確認する。
どこも、折れてなどいない。
感じていたはずの激痛も今はない。
手は、白い布……お布団代わりの、マスターのハンカチを握りしめている。
「夢……」
わたしはやっと安堵して、深く息をついた。
怖い夢。どうしても見てしまう、かつての現実。
まだあの店を出て何日も経っていない。
過去の記録……思い出にしてしまうには、あまりにも最近の出来事すぎる。
白い布を握りしめる手元に、黒い染みが広がった。
瞳から涙がこぼれ落ちる。
夢は過ぎ去ったというのに、怖くてたまらない。
怖くて、怖くて、それでもわたしには為す術がなくて。
ただ一人、すすり泣くことしかできない。
突然。
あたりが明るくなった。
真っ暗だった部屋の明かりが灯ったのだ。
スイッチのところに立っている人影は、マスター。
マスターは、寝間着姿で、髪は乱れ、目は半眼のまま、こちらを向いている。
とてつもなく不機嫌そうな表情。
起こしてしまった。
わたしが、悪夢に悲鳴を上げたせいで、マスターのお休みを邪魔してしまったのだ!
わたしは、マスターに睨まれて、目を見開いたまま硬直してしまった。
まるで蛇に睨まれた蛙だ。
わたしは身動きをすることもできず、絶望的な気持ちでマスターを見つめる。
これから、どんなひどい仕打ちが待っているだろう。
マスターは大股に歩いて近寄ってきた。
思わず、身を縮めてしまう。
……ところが、マスターはPCに近寄ると、立ち上がっていたアプリケーションを次々に閉じて、PC本体も電源を落とした。
縮こまっているわたしを、もう一度見る。
非常に不機嫌そうな表情は変わらない。
わたしはクレイドルの上でさらに縮こまる。
すると、マスターはクレイドルごと、ベッドのサイドボードに持ってきた。
ケーブルをPCからコンセント供給用アダプタにつなぎ直す。
クレイドルの充電ランプが灯った。
データのバックアップはできないが、充電はできる。
わたしが何もできずに硬直していると、マスターはさっさとベッドにあがり、布団をかぶった。
首だけがこちらを向いて、また睨まれる。
「明日、延長ケーブルを買ってくる。寝る」
マスターはそれだけ言うと、枕に頭を沈ませ、そしていくらもしないうちに規則正しい寝息を立てはじめた。
わたしはあっけに取られていた。
これはどういうことなんだろう。
わたしは、つまり……マスターのそばで眠ることを許された、ということなんだろうか。
なぜ?
お休みのマスターを邪魔したのに?
あんなに不機嫌そうな顔をしていたのに?
……期待なんて、してはだめだ。
わたしは本来、この人の武装神姫になんてなる資格がないのだ、初めから。
でも、ベッドのサイドボードから見下ろすマスターの顔は、見たこともない安らかな表情で。
いつも冷静沈着、無表情で少し冷たい印象の男性ではなく、無邪気な少年のように見えた。
そんなマスターの顔を見つめていると、不思議と穏やかな気持ちになっていく。
おかげで、さっきまでの怖かった気持ちは、だいぶ薄らいでいた。
わたしはクレイドルの上で丸くなると、布団代わりのハンカチを引き寄せた。
□
朝、目が覚めると、PCの電源が落ちていた。
クレイドルも、その上にいたはずの俺の神姫もない。
焦って、辺りを見回すと、俺の枕元にクレイドルは移動しており、その上でティアは眠っていた。
ほっとする。一瞬焦ってしまった。
そういえば、夜中にティアの叫び声を聞いて、一度起きたのだったか。
何が原因かはよくわからなかったが、ともかく心配だったので、枕元に持ってきた……のだと思う。
半分寝ぼけていたらしく、記憶は曖昧だ。
でも、なにやら心配だったのは、やはりまた、ティアが泣いていたからだ。
いま俺にティアの涙を止めてやることができなくても、せめてそばにいてやることぐらいはできる、と思う。
……ただの自己満足だったとしても。
クレイドルの上で丸くなって眠るティアを覗くと、安らかな寝顔が愛らしかった。
小さく安堵のため息をつく。
まもなくして、ティアの瞼が瞬いた。
「あ……」
俺を見て、眠気を一気に吹き飛ばすように起き上がり、あわてて居住まいを正す。
「お、おはようございますっ……」
そんなにあわてなくてもいいのに。
しかし俺は素っ気なく、
「おはよう」
と返事した。
俺は、ティアの前ではできるだけ無表情を通すと、決めていた。
ティアが俺のことを信じ、自分から俺の神姫と認めてくれる時まで。
まずは、俺が無害な人間であることを信じてもらわなくてはならない。
そう思っていた。
■
その日から、わたしの、武装神姫としての訓練が始まった。
主にトレーニングマシンを使ったバーチャルトレーニングだ。
まず、一通りの武器を使ってみるところから始まった。
片手で持てる銃火器を中心に、両手持ちでも軽量な銃、ナイフなどの刀剣類や、トンファーといった近接武器まで。
使い方は、素体交換時にプリセットされた戦闘プログラムと基礎データでだいたい分かっている。
出現する的を撃ち落としたり、ダミーの敵を攻撃する、といった単純な内容を黙々とこなす。
マスターはPCでわたしのデータを取り、どの武器がわたしと相性がいいのか検証する、ということだった。
マスターは課題を出すだけ出して、大学に行く。
わたしは、マスター不在の間、ずっとマスターの課題を消化していく。
大学から帰宅したマスターは、毎日作業スペースに向かい、何かを作っているようだった。
こんな日が数日続いた。
マスターが不在の昼間、私は一人、黙々とトレーニングに励む。
その間にいろいろなことを考えた。
だけど、結局、何も分からないままだった。
一つだけ分かっていることは、進むべき道はマスターだけが知っているということだった。
だからわたしは、マスターに言われるがまま、ついていくしかない。
マスターはわたしを使って夢を叶えたい、と言った。
だから、たとえ嫌がられようとも、マスターの夢を実現していると示し続けることが、わたしの存在意義なのだ。
そう結論したわたしは、またトレーニングを消化していく。
ある夜。
わたしはまた夢を見る。
薄気味悪い男の人の影。瞳だけが異様な輝きを放っている。
黒い手が、わたしに手を伸ばしてくる。
これから起こる仕打ちを想像して、わたしは身を縮める。
……ところが、その手がわたしを掴む寸前、別の手が伸びてきて、わたしが乗っているクレイドルを掴んだ。
そのままするり、と視線が移動する。
わたしはクレイドルごと、別の手によって運ばれていく。
薄暗く寒々とした部屋は、柔らかな光に包まれた部屋に変わっていた。
その手は、クレイドルを自分の枕元に運んできた。
手の主はマスター。
マスターは非常に不機嫌そうな顔をしており、口をへの字に曲げている。
マスターは、わたしを睨みつけるように見る。
わたしが視線の鋭さに、びくり、と身を震わせると、
「明日は公園に行くぞ」
と言って、そのまま枕に頭を沈めた。
まもなく、規則正しい寝息が聞こえてきた。
なんだかちぐはぐな成り行きに、わたしは首を傾げた。
そして、不意に目を覚ます。
暗い部屋。
PCのディスプレイだけが、部屋を青白く照らしていた。
まだ真夜中だ。
あたりは静まり返っている。
規則正しい寝息が聞こえてくる。
そちらに視線を向けると、マスターの寝顔があった。
日頃の緊張を解いたような、少年のような寝顔。
夢の中で見たマスターの寝顔と同じ。
マスターのその顔を見るたびに、わたしは優しい気持ちになれる。
マスターの役に立ちたいと思う。まだなんの役にも立っていないけれど。
マスターの気持ちに応えることができるようになれば、いつものような無表情ではなく、この寝顔のように優しい顔を向けてくれるだろうか。
そうだったらいい、と思いながら、わたしはまた眠りにつく。
マスターになった、この人の存在が、わたしの中で意外にも大きくなっていることを感じていた。
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ウサギのナミダ
ACT 0-5
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神姫も、夢を見る。
スリープモードで、クレイドルで充電とデータのバックアップを行っているとき。
それは神姫にとって「睡眠」にあたる。
マスターによれば、睡眠中に脳が蓄積された情報を整理し、その時に漏れでた情報を認識すると、夢になる、のだそうだ。
だから、データのバックアップ中に、わたしたちが認識するものも、やはり夢なのだ。
わたしは、夢を見る。
いつも同じ夢、恐い夢。
わたしの前には男の人。
顔は影になっていてよくわからないけれど、目だけが異様な輝きを放って、笑っている。
彼は、わたしに手を伸ばす。
わたしは身をすくめる。これから、自分の身に起こる出来事を予想しながらも、あらがうことはできない。
「や……っ」
男の人がわたしを掴み、顔の高さまで持ち上げる。
大きな顔が、わたしの視界いっぱいに広がる。
わたしは、恐くて、身体を震わせる。
でも、ここは彼の手のひらの上だ。
逃げ場なんてない。
彼は、わたしを両手でつまみ上げながら、さらに顔を近づけてきた。
息がかかる。臭い。
顔の下の方にかかった影が、横に一筋裂けた。
裂け目が広がると、ぬらり、とした軟体動物のようなものが出てくる。
舌だった。
「あっ……や、あ……っ」
男の人の舌は、わたしの身体をなぞる。
脚の先から、ふともも、ヒップからウェストのライン。
股間と胸は、特に念入りに舐められる。
太い舌先は巧みに動き、わたしの弱い部分を的確に責め立てる。
いやなのに。いやなのに。
いやらしい舌の動きを、わたしの身体は性的快感と認識する。
いやだという気持ちと、なぶられる快感が、相乗してさらに気持ちを高めていく。
「あ、あ、はあぁ……あぁ……」
頭がぼうっとする。
何も考えられなくなってくる。
わたしの身体は男の人の唾液にまみれ、いやな臭いを放っている。
その臭いすらも快感を助長する芳香に変わる。
わたしは快感に身を委ね、なすがままにされていた。
ふわふわとたゆたうような感覚に、わたしはどっぷりと浸っている。
と、突然。
ぼきり、という鈍い音。
「ーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
ふわふわとした感覚は、爆発した激痛に吹き飛ばされる。
声が出ない。声にならない悲鳴。
さらにまた。
わたしの身体から鈍い音が響く。
わたしは身を焼くような激痛の出所を、左腕と右脚であることを、かろうじて突き止める。
だからといって、何もできない。
わたしはただ、大きく目を見開いて、堪えきれない痛みにぱくぱくとあえぎながら、涙を流すだけだ。
さらに、残りの四肢も折られた。
わたしは身動きもとれず、ただ激痛に悲鳴を上げる。
目の前の人を見る。
その男の人の顔は、相変わらず影になっていたが、その二つの目と裂け目のような口だけがはっきりと見える。
笑っている。喜んでいる。
わたしがのたうち回る姿を見て、嬉しがっている。
彼の方から、何かが飛んできた。
べちゃり、と粘液のようなものがわたしに降りかかる。
白く、べたべたの粘液は、何かすえた臭いがする。
いやだと思っても、いまのわたしには、この粘液を払うことさえできない。
男の人の光る両目が、さらにゆがんだ。
わたしを掴み上げると、わたしの背に指を当てたまま、親指でわたしの胸を押す。
わたしは恐怖した。
身体を折る気だ。
「や、めて……ください……やめて……」
やめて。死んじゃう。
わたしがどんなに懇願しても、そんな様子すら楽しんでいる。
わたしの背が限界を超えて曲がっていく。
折れてしまう。
死んでしまう。
たすけて、だれか、たすけて……だれか……。
ごきん。
「あああぁぁっ!!」
わたしは悲鳴を上げて、飛び起きた。
暗い。
あたりは静かだった。
時計の音が妙に大きく聞こえる。
それからわたしの荒い息。
「はあ、はあ、はあ……」
わたしは自分の身体を確認する。
どこも、折れてなどいない。
感じていたはずの激痛も今はない。
手は、白い布……お布団代わりの、マスターのハンカチを握りしめている。
「夢……」
わたしはやっと安堵して、深く息をついた。
怖い夢。どうしても見てしまう、かつての現実。
まだあの店を出て何日も経っていない。
過去の記録……思い出にしてしまうには、あまりにも最近の出来事すぎる。
白い布を握りしめる手元に、黒い染みが広がった。
瞳から涙がこぼれ落ちる。
夢は過ぎ去ったというのに、怖くてたまらない。
怖くて、怖くて、それでもわたしには為す術がなくて。
ただ一人、すすり泣くことしかできない。
突然。
あたりが明るくなった。
真っ暗だった部屋の明かりが灯ったのだ。
スイッチのところに立っている人影は、マスター。
マスターは、寝間着姿で、髪は乱れ、目は半眼のまま、こちらを向いている。
とてつもなく不機嫌そうな表情。
起こしてしまった。
わたしが、悪夢に悲鳴を上げたせいで、マスターのお休みを邪魔してしまったのだ!
わたしは、マスターに睨まれて、目を見開いたまま硬直してしまった。
まるで蛇に睨まれた蛙だ。
わたしは身動きをすることもできず、絶望的な気持ちでマスターを見つめる。
これから、どんなひどい仕打ちが待っているだろう。
マスターは大股に歩いて近寄ってきた。
思わず、身を縮めてしまう。
……ところが、マスターはPCに近寄ると、立ち上がっていたアプリケーションを次々に閉じて、PC本体も電源を落とした。
縮こまっているわたしを、もう一度見る。
非常に不機嫌そうな表情は変わらない。
わたしはクレイドルの上でさらに縮こまる。
すると、マスターはクレイドルごと、ベッドのサイドボードに持ってきた。
ケーブルをPCからコンセント供給用アダプタにつなぎ直す。
クレイドルの充電ランプが灯った。
データのバックアップはできないが、充電はできる。
わたしが何もできずに硬直していると、マスターはさっさとベッドにあがり、布団をかぶった。
首だけがこちらを向いて、また睨まれる。
「明日、延長ケーブルを買ってくる。寝る」
マスターはそれだけ言うと、枕に頭を沈ませ、そしていくらもしないうちに規則正しい寝息を立てはじめた。
わたしはあっけに取られていた。
これはどういうことなんだろう。
わたしは、つまり……マスターのそばで眠ることを許された、ということなんだろうか。
なぜ?
お休みのマスターを邪魔したのに?
あんなに不機嫌そうな顔をしていたのに?
……期待なんて、してはだめだ。
わたしは本来、この人の武装神姫になんてなる資格がないのだ、初めから。
でも、ベッドのサイドボードから見下ろすマスターの顔は、見たこともない安らかな表情で。
いつも冷静沈着、無表情で少し冷たい印象の男性ではなく、無邪気な少年のように見えた。
そんなマスターの顔を見つめていると、不思議と穏やかな気持ちになっていく。
おかげで、さっきまでの怖かった気持ちは、だいぶ薄らいでいた。
わたしはクレイドルの上で丸くなると、布団代わりのハンカチを引き寄せた。
□
朝、目が覚めると、PCの電源が落ちていた。
クレイドルも、その上にいたはずの俺の神姫もない。
焦って、辺りを見回すと、俺の枕元にクレイドルは移動しており、その上でティアは眠っていた。
ほっとする。一瞬焦ってしまった。
そういえば、夜中にティアの叫び声を聞いて、一度起きたのだったか。
何が原因かはよくわからなかったが、ともかく心配だったので、枕元に持ってきた……のだと思う。
半分寝ぼけていたらしく、記憶は曖昧だ。
でも、なにやら心配だったのは、やはりまた、ティアが泣いていたからだ。
いま俺にティアの涙を止めてやることができなくても、せめてそばにいてやることぐらいはできる、と思う。
……ただの自己満足だったとしても。
クレイドルの上で丸くなって眠るティアを覗くと、安らかな寝顔が愛らしかった。
小さく安堵のため息をつく。
まもなくして、ティアの瞼が瞬いた。
「あ……」
俺を見て、眠気を一気に吹き飛ばすように起き上がり、あわてて居住まいを正す。
「お、おはようございますっ……」
そんなにあわてなくてもいいのに。
しかし俺は素っ気なく、
「おはよう」
と返事した。
俺は、ティアの前ではできるだけ無表情を通すと、決めていた。
ティアが俺のことを信じ、自分から俺の神姫と認めてくれる時まで。
まずは、俺が無害な人間であることを信じてもらわなくてはならない。
そう思っていた。
■
その日から、わたしの、武装神姫としての訓練が始まった。
主にトレーニングマシンを使ったバーチャルトレーニングだ。
まず、一通りの武器を使ってみるところから始まった。
片手で持てる銃火器を中心に、両手持ちでも軽量な銃、ナイフなどの刀剣類や、トンファーといった近接武器まで。
使い方は、素体交換時にプリセットされた戦闘プログラムと基礎データでだいたい分かっている。
出現する的を撃ち落としたり、ダミーの敵を攻撃する、といった単純な内容を黙々とこなす。
マスターはPCでわたしのデータを取り、どの武器がわたしと相性がいいのか検証する、ということだった。
マスターは課題を出すだけ出して、大学に行く。
わたしは、マスター不在の間、ずっとマスターの課題を消化していく。
大学から帰宅したマスターは、毎日作業スペースに向かい、何かを作っているようだった。
こんな日が数日続いた。
マスターが不在の昼間、私は一人、黙々とトレーニングに励む。
その間にいろいろなことを考えた。
だけど、結局、何も分からないままだった。
一つだけ分かっていることは、進むべき道はマスターだけが知っているということだった。
だからわたしは、マスターに言われるがまま、ついていくしかない。
マスターはわたしを使って夢を叶えたい、と言った。
だから、たとえ嫌がられようとも、マスターの夢を実現していると示し続けることが、わたしの存在意義なのだ。
そう結論したわたしは、またトレーニングを消化していく。
ある夜。
わたしはまた夢を見る。
薄気味悪い男の人の影。瞳だけが異様な輝きを放っている。
黒い手が、わたしに手を伸ばしてくる。
これから起こる仕打ちを想像して、わたしは身を縮める。
……ところが、その手がわたしを掴む寸前、別の手が伸びてきて、わたしが乗っているクレイドルを掴んだ。
そのままするり、と視線が移動する。
わたしはクレイドルごと、別の手によって運ばれていく。
薄暗く寒々とした部屋は、柔らかな光に包まれた部屋に変わっていた。
その手は、クレイドルを自分の枕元に運んできた。
手の主はマスター。
マスターは非常に不機嫌そうな顔をしており、口をへの字に曲げている。
マスターは、わたしを睨みつけるように見る。
わたしが視線の鋭さに、びくり、と身を震わせると、
「明日は公園に行くぞ」
と言って、そのまま枕に頭を沈めた。
まもなく、規則正しい寝息が聞こえてきた。
なんだかちぐはぐな成り行きに、わたしは首を傾げた。
そして、不意に目を覚ます。
暗い部屋。
PCのディスプレイだけが、部屋を青白く照らしていた。
まだ真夜中だ。
あたりは静まり返っている。
規則正しい寝息が聞こえてくる。
そちらに視線を向けると、マスターの寝顔があった。
日頃の緊張を解いたような、少年のような寝顔。
夢の中で見たマスターの寝顔と同じ。
マスターのその顔を見るたびに、わたしは優しい気持ちになれる。
マスターの役に立ちたいと思う。まだなんの役にも立っていないけれど。
マスターの気持ちに応えることができるようになれば、いつものような無表情ではなく、この寝顔のように優しい顔を向けてくれるだろうか。
そうだったらいい、と思いながら、わたしはまた眠りにつく。
マスターになった、この人の存在が、わたしの中で意外にも大きくなっていることを感じていた。
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