『新唐書』wiki内検索 / 「鄭絪」で検索した結果
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鄭絪
鄭絪 ていいん 752-829 中唐の儒者・文臣・宰相(在任805-809)。字は文明。若いときから学を好み文章に巧みで、代宗時代より儒者として名をあらわし、ついで進士にあげられ秘書省校書郎より累進、次の徳宗の親任を得、翰林学士となった。憲宗が即位すると、中書侍郎同平章事として宰相となり(805-809)、杜黄裳とともに元和(806-821)時代当初の国政に当たった。職にあること5年たらずで嶺...
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鄭顥
...祗徳の子。憲宗の宰相鄭絪の孫。会昌二年(842)に進士を首席で及第(状元)、右拾遺、翰林学士を歴にした。盧氏を娶っていたが、宰相の白敏中の推薦で、宣宗の皇女万寿公主を娶らされ、盧氏とは離別したものの、万寿公主とは不仲であったから白敏中を恨んだ。中国の歴史上、状元と駙馬を双方兼ねた唯一の人物である。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。 列伝 『新唐書』巻一百六十五 列伝第九十 鄭絪 顥 ...
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昭国坊
...崇済寺があった。宰相鄭絪の邸宅は南坊門内にあり、宰相鄭余慶の邸宅は北坊門内にあった。他に庾敬休の邸宅、韋青の邸宅、白居易の邸宅、段祐の邸宅があった。 参考文献 愛宕元 訳注『唐両京城坊攷 長安と洛陽(東洋文庫577)』(平凡社、1994年)
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憲宗
... 805-806 鄭絪 805-809 武元衡 807、813-815 李吉甫 807-808、811-814 于頔 808-813 裴垍 808-810 李藩 809-811 権徳輿 810-813 李絳 811-814 張弘靖 814-816 韋貫之 814-816 裴度 816-819 李逢吉 816-817 王涯 816-818 崔群 817-819 李...
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巻一百六十五 列伝第九十
...裔綽 朗 高郢 定 鄭絪 顥 権徳輿 璩 崔群 鄭余慶は、字は居業で、鄭州滎陽県の人であり、三代にわたって全員が顕官となった。鄭余慶は若い頃から文章をよくし、進士に及第した。厳震が山南西道節度使となると、奏上して幕府に置いた。貞元年間(785-805)初頭、朝廷に戻り、庫部郎中に抜擢され、翰林学士となり、工部侍郎知吏部選となった。僧侶の法湊が罪科によって民によって朝廷に訴えられ、御史...
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巻七 本紀第七つづき
...十二月壬戌、中書舎人鄭絪が中書侍郎・同中書門下平章事となった。 元和元年(806)正月丁卯、大赦し、改元した。文武の官に階・勲・爵を、民で高年の者に米・帛・羊・酒を賜った。癸未、長武城使の高崇文が左神策行営節度使となり、左右神策京西行営兵馬使の李元奕・山南西道節度使の厳礪・剣南東川節度使の李康を率いて劉闢を討った。甲申、太上皇が崩じた。劉闢が梓州を陥落させ、李康を捕らえた。 ...
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巻六十 志第五十つづき
... 竇常集十八巻 鄭絪集三十巻 符載集十四巻 郗純集六十巻 戴叔倫述稿十巻 張登集六巻 貞元漳州刺史。 陸迅集十巻 徳宗時監察御史裏行。 柳冕集 巻亡。 姚南仲集十巻 李吉甫集二十巻 武元衡集十巻 権徳輿童蒙集十巻 又集五十巻 制集五十巻 韓愈集四十巻 柳宗元集三十巻 韋貫之集三十巻 李絳集二十巻 令狐楚漆匳集一百三十巻 又梁苑文類三巻 表奏集十巻 自...
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巻一百一十六 列伝第四十一
...十餘官不當進資、於是鄭絪・丁公著・楊嗣復皆奪俸、郎吏肅然、望風脩整。吏部員外郎楊虞卿以累下吏、詔弘景與御史詳讞。虞卿私造門、弘景厲言曰:「有詔按公、尚私謁邪?」虞卿多朋助、自謂必見納、及是、惶恐去。遷礼部尚書・東都留守。卒、年六十六、贈尚書左僕射。 弘景以直道進、議論持正有守、當時風教所倚賴、為長慶名卿。 陸元方字希仲、蘇州呉人。陳給事黄門侍郎琛之曾孫。伯父柬之、善...
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巻二百七 列伝第一百三十二
...貞亮は学士の衛次公・鄭絪・李程・王涯を呼び寄せ金鑾殿で詔の草稿をつくった。太子が即位すると、王叔文の党派をことごとく追い払い、政治を大臣に委ね、議する者はその忠義をよしとした。 高崇文が劉闢を討伐すると、また監軍となった。それより以前、東川節度使の李康が劉闢に敗北すると捕らえられた。高崇文がやって来ると、劉闢は李康を帰還させて自らの罪を雪ぐことを求めたが、劉貞亮は賊を防がなかった...
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