アスペは努力不足という人もいますが。 こういう話はどうでしょう? サルに日本語の文章を読ませても、猿の脳は適切に反応しないし活性化もしない。 だからって猿の努力不足とか頑張ればできるという人はいないでしょ? アスペルガーも猿と同じで現実の広範な事態に対し脳が適切に反応しないし、活性化もしない。 そしてそれはDNAレベルの脳の設計段階でそうなっている。 現実の事態は複合的である。 例えばA,B,Cの3つからなり、3つをきちんと認識でないとうまく対処できない事象が起こったとしよう。 するとアスペが生まれつきCに対応できないなら、この3つからなる複合事象にはうまく対応できない。 それどころかCが少しでも含まれる複合事象で、Cをきちんと理解できないと対処できない事象すべてに対処できない可能性がある。 そして対処できないものがC1,C2,,,C∞とありうるのが現実である。 ここで問題になるのは、事象aがA,B,Cの複合として認識すべき時、A,B,Cだと認識できること事体が非常に高度な知能の働きだということです。 一般人はaを、(A,B,C)やCを代価出来るDで(A、B、D)やB,Cを代価出来るEで(A,E)等と多用ではあるがきちんと対処できる認識が直感的にできます。 しかしCがアスペの脳機能的に無理な場合、Cが含まれるかCを適切なもので代価して認識すべきという無意識の直感的理解はアスペにはまず絶対にできないのです。 これは人工知能におけるフレーム問題と同じで、アスペから見て、”Cについて無意識か意識でわかる一般人の直観力”は本当に高度な知能で中々真似ができません。 そのために複合事象を直感的に認識できず、悪くない対応がとれないのがアスペです。 それどころか事態を悪化させる認識例えば(Z1,Z2,Z3)として事態を認識してしまったりします。 普通の人でも(Z1,Z2,Z3)のようなことは起こりますが、かなりのケースで訓練したり場数を踏めば(Z1,Z2,Z3)のような認識を回避できるようになります。 アスペでは場数を踏んでも(Z1,Z2,Z3)が出鱈目な(Y1,Y2,Y3)に置き換わるだけということがままあります。 ちなみにCに属する典型例は 相手の表情や声音しぐさ等を見ながら会話する 相手の気持ちを考えながら会話する 3次元的発想でひょいと解決する問題(C)をアスペだと2次元的発想で解決しようとして困難をきたす。 他にもCは無数にありますが基本大抵の人が大抵できることがアスペで試してみるとほとんど壊滅的になるということです。 もちろんアスペも訓練すればaに対応できるケースもあります。 非直感的に論理的にフローチャートのように事体への対処法を教えてくれる人がいたらある程度の改善が見込まれます。 しかしそれはaに属するa(i)というaの特殊ケースに対応できるようになるだけです。 一般人はa(i)からかなり違うaの一つであるa(j)に対応でき、aに似たbにもcにも、、、にも類推から対応できます。 アスペの場合a(i)にかなり近いa(j)には対応できてもかなり違うa(j)には全く類推で対応できません。 具体的な例を出しましょう。 魚を焼くと建物に匂いが付いてそれを嫌がる人がいるから魚を焼くときは換気扇を回さなくてはいけない。 これはアスペにはかなり意味不明な理論です。 気にするの意味が(私のようなアスペには)よくわかりませんし、気にすることと換気扇を結びつける理屈を丁寧に説明されてもよくわからない。 何故気にするのかがわからないし気になるから何がどうなのかがよくわからない。 それよりも、魚を焼く⇒どこであっても室内なら換気扇を回すべきだ、という論理式で説明されるなら理解できます。 何故ならそれがルールだから。 アスペで賢い人でも人生のある部分では難しいことを簡単に成功させ、ある部分では簡単な事でもうまくいかないのはこういう裏があるからです。 難しいことができるのに簡単なことができないのは努力不足だからとアスペを攻めるのはアスペ的にはやめてほしいわけです。 できないことは努力してもできないのがアスペです。 出来ないことにはたぶんCi(猿でいえばいくら努力しても日本語ができない、文章という概念を理解できないのと同じレベルで理解できない)が混ざってるから出来ない。 そういうことなのです。 それでも世の中の多くの人はアスペが簡単な仕事で失敗するのはやる気不足と責めるのが現実です。 厳しいですね。