色々と狭い発想をしている時がないだろうか。 例えばファンタジーに欠かせないのは魔法であるが、ドラクエが日本人の魔法への考え方を一種類に統一してしまった。 時代、集団、文化、個人によって違ったはずの多種多様な魔法のとらえ方があったはずなのだに。 ドラクエが全て変えてしまった。 ドラクエのせいで、魔法とは一定の効果を発揮する能力、便利な道具としてしか見れなくなってしまった。 (漫画などの特殊能力物も含む) そのせいで、ファンタジーや魔法が活躍する現代ものにおいて、”便利な道具という魔法(か特殊能力)をいかに賢く使って物語を前進させるか” という一種類のテンプレでしか魔法をとらえられなくなった。 本当はもっと多様な魔法のとらえ方があるはずなのにだ。 なのに21世紀の日本で共有されている魔法の概念という狭いテンプレでしか魔法は扱われていない。 21世紀の日本の魔法観から一歩外へ踏み出した作品としてfateというアニメの聖杯の設定などがあげられる。 しかし一面的なのは魔法に限った話じゃないかもしれない。 世の中斬新さを求めながら、テンプレ範囲内の狭い思考で創作を行ってないだろうか? *その2 私が一番問題にしたいことは。 物語に問題(魔王の登場や特定のアイテムが必要、仲間が病気になった)等のタスクが発生しそれを処理(魔王を倒す、アイテムを探す、治療方法をみつける)などのワンパターンな思考に陥りがちな男性の創作態度である。 タスクがあってそれを処理する工場のような態度の創作物である。 処理する手段として各種特殊能力を持ったキャラクターがそれを解決する。 このような単純な道だけでなく、それ以外の道も創作前に検討すべきではないだろうか? 何も私は特殊なことを言ってるわけでない。 創作において幾らでも別の道はある。 ***日常系の漫画ではタスクそのものがどうでもよい扱いになることは多いし ***女性向けの作品ではタスクより人間関係の変化などが重視される。 他に別の道は幾らでもあるのである。 *その3 問題はタスク万能説である。 人間関係の変化は人間関係をうまくこなすというタスクとして取らえれる。 日常系は、面白い話のつながりを作るタスクととらえられる。 まるでタスクでとらえられないものは存在しないかのような話だ。 しかしそのようなとらえ方をして描写された物語に人間性は宿るだろうか? 反論と回答 *皆が知ってる21世紀の日本の魔法観というテンプレを使わなかったら毎回魔法を説明する必要があってめんどくさい 昔の作品には現代とは違った魔法のとらえ方が多数ありますが、現代人も普通に読めます、一種類の魔法から逸脱することには問題がありません。 *タスクと処理の文法の中でたくさんの新しい試みがなされてきた タスクと処理は決して狭い発想ではない 確かにその通り文句のない意見です、ですが時折土台や根本から検討する態度は必要だと思います。