*1 キャラ設定はハリボテでないキャラを作らない限り枯渇するだけだ。 ハリボテというのは。 作者が作中自分が登場させた人物についてどれだけ知っているか、どれだけ思い入れが、どれだけ考えてあげてるかって話なんだけど。 作者がキャラについて知っていないというのは具体的にはこんなキャラだ。 他の作品に出てきて魅力的だったからとか、いろんな作品に出てくる典型的なキャラとかそんな理由で出すキャラ。 結局ゲームとかアニメとか漫画とか小説とか、他の作品ででてきたものの表面を浅く真似しただけみたいなキャラだ。 浅いから元ネタより発想が貧弱になる。 その浅いのを参考にしてさらに浅いキャラが作られる。 主人公にせよモブにせよキャラクターに深みや内面を感じさせるのが大事だ。 作者が今までの人生で出会った人達の面白味や人間独特の妙味ともいえるおかしさや、信念や尊敬できる部分、世の中の諸事について議論したこと。 人生でぶち当たった問題や、楽しさ。 他に学問や概念。 そういうものをキャラ作りの土台に据えないかぎり、キャラがハリボテ化するんだよね。 ハリボテでないキャラを描いたら世界設定なんてどうでもいいというか、どうとでも転がせる。 大事なのは、自分が人生で出会った人を上手く合成して、ファンタジーやフィクションに昇華した存在に変換すること。 それができたうえで初めて、他の作品のキャラを参考にしていい。 そうしないと浅いキャラをさらに浅く真似する負の連鎖がつづくだけだ。 *2 日本のファンタジーは特異ですね。 最初は、本物の中世を土台に、おいしい所を切り取ってファンタジーやSFをいれてたのが. 次の世代になるとそのおいしい所しか知らない人間がファンタジーを縮小再生産してるだけ。 現実の中世の騎士の一日や、中世の各職業の一日や当時の感覚。 色々な地方の一年の過ごし方を多少は研究してその上でこのお題で書ける人は希少でしょ。 多くの作家が作ったラノベの虚構を縮小再生産してるだけでどうも先がない。 現実の一日なんておいしい話ばかりではないから書く必要はないんだけど。 書ける人は虚構を書いたときでも説得力が違う。 そういう意味で和製中世ファンタジにはルネッサンスが必要だと思うのです。 商人、村人、騎士、街人、王様、王子、盗賊、中世のギルドメンバー、etc etc 色々な連中が出てくるけれど、彼らを記号として以上に書ける人少ないよね? 作家は記号として以上に登場人物の何を知っている? 書けるのは他のラノベで出てきた上っ面をコピーしたものでしょ。 彼らをそういう存在としてしか認識せずに書いてる。 彼ら和製ファンタジーの登場人物を人間として感じさせる人は少ない。 記号だからいいんだけど、もうちょっと登場人物を大切にしてほしいね。 和製ファンタジーはゲームに毒されすぎている。 ゲームでは、例えば鍛冶屋は武器を作る売るという機能だけになっている。 その単純な機能だけを、素人ラノベ作品は鍛冶屋として書いてしまう。 しかし実際は、鍛冶屋を人間として扱うなら、職人としてのこだわりとか家族との付き合いとかギルドでの立場とか歴史とかいろいろな側面を持っていてどこにスポットライトを浴びせるかは作家の自由だ。 そういう深みがあれば、主人公と鍛冶屋の何気ない会話一つでも作品に深みが出てくる。 大事なのはどんなキャラでもそういう風に作者が考えてあげることだ。