虐めや差別って困ったことに人類最古の娯楽です。 虐めたほうは、幸福感、優越感、仲間意識などを得ます。 人によっては興奮や楽しさ。 または女の子を危険人物から守る正義の味方の気分(実は犯罪歴や暴力も何もなく、危険人物でもなんでもない人をうわさで危険人物に仕立ててるだけ) 正義感連帯感仲間意識、楽しさ何にせよ虐めるほうは楽しさを感じるものです。 いじめは根源からして人間の本性に根差す行動で、虐めたほうにとっては楽しい思い出。 虐められたほうにとっては嫌な思いです。 虐められたことは忘れていま貴方の周りにいる人と幸せな関係を築くことを目指してください。 人類史からいじめがなくなることはないでしょうね。 人間の分類法に A いじめや差別がすきな陽気キャラ B いじめや差別を好まない陽気キャラ C いじめや差別を好む陰気キャラ D いじめや差別を好まない陰気キャラ がありますが。 日本ではBが好ましいですがAもなぜか否定されず容認されがちです。 しかし現実的に考えてB>D>C>Aなのではないでしょうか。 何故かといいますとAがそのコミュ力を駆使していじめをすると多数の人間が、いじめ=楽しいとしていじめに参加するからです。 これはよくないはずなのですが日本では容認されます。 また日本ではBとCしかいないかのような議論がされますが、実際はABCDちゃんと全部日本人にいます。 周りから信頼された最強のコミュ強キャラの一人はナチスのヒトラーです。 コミュ強が暴走した時の怖さは陰気キャラが暴走した時の怖さをはるかに上回ります。 陽気な性格で周囲を楽しくするけど、同時にミニヒトラーみたいに差別や虐めをする性格が同居している人は探せば世の中にいます。 陽気で虐めも好きは人ほど怖いものはありません。 そういう人たちは虐められる一人の人格をつぶすからです。 こういう論法を否定するには、ヒトラーは毎日人から信頼されるための努力をしなかった。 ヒトラーはコミュ強ではなかったなどの証明が必要になります。 なんにせよ肉食動物が草食動物を襲うようにいじめが好きな人は世にいます。 そういう場合虐められたほうは犬にかまれたとでもおもって忘れて、これからの自分を幸せにするしかないものです。