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白狐と青年 第28話「行政区騒動」 - (2011/07/16 (土) 23:59:42) のソース

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*行政区騒動

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「そうか、坂上匠、クズハは審問を逃れたか。審問官には平賀博士の息がかかっていたようだな……」
 行政区の中央に座する製薬会社を改装した巨大な庁舎の中の一室、その部屋の主、登藤通光は上がってきた報告に笑みを浮かべた。
「流石と、そう褒めておこうか平賀博士の息子、大妖の眷族、そして安倍の縁者」
 称賛の言葉はその底に燃えるたぎるような負の感情を湛えている。
 通光は卓上の軍用無線を掴み取った。通話が繋がると同時に彼は無線の向こうへと指示を下していく。
「私だ。彼等は審問を逃れた。予定通り、失敗作を街に放流しろ。ああ、数は任せる。多過ぎず少な過ぎず、せいぜい脅威を人々が感じる数を放て」
 通話を切って通光は呟いた。
「……さて、彼等がどう出るか、この一石の意味は大きいぞ」


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 ルームサービスで軽く食事をとってさしあたっての状況を確認した匠たちは、長旅から審問という流れで疲労した体を休めようとして、にわかに騒がしくなりはじめた街の気配に顔を見合わせた。
「何だ……? 何かの祭か?」
「そうだとしても行われるのは行政区の南側――居住用の土地の方だと思うけど……」
 何にしても不穏な気配だと明日名と意見を交換し合っていると、クズハが部屋に設けられた仕切りの向こうから顔を出した。
「あの、匠さん明日名さん。≪魔素≫の気配が、……それに、少しだけ火薬の臭いもします」
 そう言いながら耳を立てているクズハは、すぐにでも動ける服装に既に着替えてどのような事態にも対応できる状態だ。クズハの感覚が捉える≪魔素≫も火薬も匠では感じとれない。それ程に微弱なのか、それとも単に距離が離れているだけなのか、匠は判断に迷って明日名の意見を聞いた。
「≪魔素≫に火薬、単に武装隊の訓練という可能性もあるけど、どうしますか?」
「そうだね、もしかしたらフロントの方に何か情報が入っているかもしれない。訊きに行ってみようか」
 そう言って明日名が立ち上がった瞬間、扉が荒々しく叩かれる音が響いた。
 扉の外から急を報せる声が飛んでくる。
「お客様、起きておられますか!?」
「起きているよ。もう夜も深い時間にどうしたんですか?」
 扉に近付いていきながら言葉を返し、明日名は若干の警戒を滲ませながらチェーンロックの余剰分だけ扉を開く。扉の向こうから、先ほどよりもクリアになった従業員の抑えようとしても抑えきれない緊張を含んだ声が投げ込まれる。
「げ、現在、行政区内に異形が多数侵入してきているとの報告が武装隊からありました。当ホテルでは傭兵を雇っておりますので備えは万全だと自負しておりますが、念の為に戸締りの徹底を、そして決して外にはでないように、また食堂の方を解放しておりますので不都合がなければそちらの方へ避難してください!」
 口早にそれだけ告げて従業員は次の部屋へと走っていく。それを見送って、明日名は匠とクズハに振り返った。
「異形の侵入……クズハが感じた火薬の臭いというのも考えると、おそらく武装隊が異形と既に交戦しているという事になるだろうね」
 頷きながら、匠は不審げに眉根を寄せる。
 ……大阪圏の中でも重要な地区に当たるこの行政区内に異形が侵入した?
 当然ここに至る為にはいくつかの防衛地点を越えなければならないし、その厳重さは匠とクズハも道中検問という形で味わってきた。それらを異形が越えてきたのだとしたら、相当な力量を持った異形が侵入してきているのではないかと思う。その一方で匠はまた別の考えも思い浮かべていた。
「――どう思いますか?」
「よい気配ではないね。本当に異形が侵入してきているとしたら、それは武装隊の手落ちか異形が相当の実力者であるのか、狡知に長けているのか……あるいは――」
 言いかけた言葉を明日名は首を振って打ち消した。
「ともかく、行政区は詰めている武装隊の数も多いから多少の異形の侵入くらいなら問題なく対処できるだろうけど、街の防衛とはまた関係ない所で俺たちはその異形を見ておきたいね」
「異形たちを、ですか?」
 クズハの疑問に明日名は頷いて躊躇いがちに先程打ち消した言葉を口にする。
「……その異形が和泉に現れたような、人に異形の一部を移植した事によって変化した異形だった場合、その異形を遣わしたのは和泉の件の黒幕と同じという可能性が高い」
「今攻めてきているのが元々人の……あの異形の方たちだって言うんですか?」
「そうであるかもしれない、という程度には可能性はあるね。……クズハ、この位置から感じとれる≪魔素≫などの情報から、彼等が異形化した人間であるかどうか判別する事はできるかい?」
 クズハは小さくかぶりを振った。
「いえ、彼等の≪魔素≫の感じは凄く近付かないと分からないくらいの微かな感覚なので……」
「じゃあ和泉で聞いたっていう、人には聞こえない、異形を操ってた声の方は聞こえるか?」
 匠の質問にもクズハは首を横に振った。
「そちらの方は気配も何も感じとれませんでした」
「そうか……ありがとな」
 クズハを労いながら、匠は明日名が立ち上がったのを見て自分も墓標を手に取る。明日名が呪符らしきものを取り出しているのを見て、やはり彼には戦闘の心得があるのかと思いながら訊ねる。
「……どうしますか? 武装隊に混ざって戦闘を行いますか?」
「あまり表だって動く事もないかな。勝手に部外者が混ざっても指揮系の問題もあるから……このホテルの傭兵に混ざって異形と接触するのを待つくらいがいいんじゃないかと思う」
 手早く着替えながら明日名は方針を告げる。
「そして異形を見つけ出せたら、彼等の≪魔素≫を探る」
「≪魔素≫か……」
 匠は少し考え込む。キッコや彰彦は人や普通の異形が扱うものとは違うという異質な≪魔素≫や肉の味で異形化した人間の正体を見抜いていた。クズハも漠然と彰彦たちの身体から纏う≪魔素≫を人のものとは別物として感じとっていたらしい。
 ……俺にも判別がつくか?
 おそらく無理だろう。そこまではっきりと人と彼等の≪魔素≫には性質の違いは無かったように匠には感じられた。それこそ、その差異を探る事にのみ集中すればなんとかなるかもしれないが、
 ……そもそも奴ら、魔法を使わなくても火吐いたりするからな。
 動きが多い戦場で≪魔素≫の動きのみに集中する事など出来はしないだろう。そう考えていた匠は、ふと明日名を見る。
「明日名さんは彼等の≪魔素≫の違いを感じとれるんですか?」
「本職は研究者だから細かい違いを見抜くのが得意でね。クズハと同じで、近付く事さえできれば何とか判別はつく。坂上君は……」
「俺はできません。そこら辺はクズハと明日名さんに任せようと思います。……頼めますか?」
 そう言って匠はクズハと明日名に目をやる。
「わかった」
「はい!」
 勢い良く頷いたクズハに苦笑を向けて明日名は促した。
「よし、では外に行こう。異形が怪しい動きを見せても深追いはしないように」


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 ホテルの窓に補強措置を行っている従業員をつかまえて、明日名は簡潔に話を通した。
「俺たちは平賀博士の研究区所属、博士直属の警備の者です。このホテル周囲の護衛に参加させてもらいたいのですが。――もちろん無料で」
 明日名が示した身分証を見た従業員は驚き、手にした補強材を取り落とした。
「あ、はい。平賀博士直属の方でしたら心強い。お願いします!」
 と、そこで彼はクズハの姿を見て、窺うように明日名へ訊ねた。
「そちらは……?」
「研究区の者ですから」
「あ、そうですね」
 異形と人間がほぼ対等に居住している平賀の研究区と、その区域の長、平賀直属というネームバリューは侮れない。匠とクズハは身分を示すものを提示する事なく、明日名と共にホテル正面玄関ポーチ前に出る事に成功した。
 防御体勢を整えていた傭兵たちに加勢する事を告げ、共に陣取りながら夜の行政区に警戒の目を向ける。街灯に所々照らされた街の中では既に戦いの音が響いていた。
 獣の吠声と小規模な爆発音が最も目立つもので、人の悲鳴はほとんど聞こえてこない。音から察する限りでは武装隊は危なげなく異形を討伐しているのだろう。
「どうもこの場に現れているのは総じて破壊衝動をもつだけの低級の異形ばかりのようだね」
 明日名の呟きに、辺りに目を光らせている傭兵の一人が応じた。
「みてえだな。武装隊の方からの連絡じゃあ強力な≪魔素≫の集まりはねえって話だ。ただの獣の群れが襲ってきたみてえなもんだろ。油断しなけりゃ行政区がやられる事はねえだろうぜ」
 その見立てに頷きを返して、だとしたら尚更おかしいと明日名は考える。
 ……街自体に至るまでの警備が既に十分堅いはずの行政区にどうやって知能の低い異形が侵入できた……?
 単に武装隊の手落ちだというのならそれもいい。そう思いながら明日名は警戒を緩める事はしない。匠も同じような事を考えているようで、周囲で聞こえている戦いの音に注意を向け続けている。それを頼もしいと思っていると、荒々しい獣の息づかいが近くに迫っている事に気付いた。
「来たよ。皆、気を付けて」
 そう口にしながら明日名は≪魔素≫を込めた符を取り出す。
 感じる気配は複数、位置を正確に認識できるのは玄関灯や周囲の街灯に時折照らし出される直近の一体だけだが、他の異形も灯りの範囲内に入れば順次対応できるだろう。
 ……まずは一体――
 街灯の間の闇を縫うようにして近付き、ホテルの玄関に居る明日名たちを襲おうとする異形へと符を放とうとして、それより先んじて異形を焼いた魔法の炎に彼は目を瞠った。
 ……早い。
 異形を焼いた炎はクズハが放ったものだ。彼女は魔法を生みだす為の陣を矢継ぎ早に宙へと描いていきながら注意を喚起する。
「暗がりを伝って異形が向かってきます! 道を照らしますから狙ってください!」


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 音と臭いと≪魔素≫の気配から読み取った情報を利用して、クズハは接近してくる全ての異形の位置を把握していた。傭兵たちが人より優れた感覚器で異形の位置を見極めたクズハに時折怪訝な表情を向けてくるのを感じて、クズハは僅かな居心地の悪さを覚えた。
 今この街を襲って来ているのは異形。そしてクズハもまた実情は違うとはいえ異形と認識されている事に変わりはない。土地柄もあり、怪しげな目で見られる事自体は今更気にする事は無いが、役に立ちたいという思いが伝わらないというのはなかなか歯がゆくもあった。
 ……結果を示しましょう。
 そう思いながらクズハは強い獣臭が複数迫ってくる通りへと向けて冷気を放った。
 放たれた冷気はそう広くもない道の両端を飾るように氷柱を幾本も発生させた。道の暗がりに逆さまに生えた氷柱の列、そこには新たな魔法を起動する為の陣が刻まれている。
「あそこです!」
 言葉と共に氷柱に刻まれた陣に≪魔素≫が走って陣を中心にして光を灯した。透き通った氷柱全体を茫と淡く光らせる事によって作られるのは、青白い狐火による行灯の道だ。
「あちらから異形がやってきます!」
 疑いや疑問が発生するより早く、道の奥から青白い灯に照らされた、顔の造形だけ妙に巨大で歪な、全身を剛毛で覆われた獣が現れた。
 傭兵たちが武器や魔法の矛先を行灯の向こうへと向ける。クズハも加勢の為に眼前に陣を描いていきながら、匠と明日名に別方向から感じる気配の在りかを告げた。
「匠さん、別の路地から一体、異形が来ます!」
「ん、こっちでも捕らえた。すぐに対処する」
「じゃあその異形を検査対象にしようか」
「了解」
 周囲に呪符を浮かべた明日名と墓標を携えた匠が玄関ポーチを飛び出していく。それを見送りながら、クズハは魔法や銃撃に対して異形が発散する≪魔素≫に舟山や彰彦、そして自分にどこか似た性質を感じとった。
 ――この人……っ!
 ある種の確信を抱きながら、クズハは散発的に押し寄せる異形たちに対して、ひとまずの懸念を払って力を振るった。


            ●


 夜の行政区を襲った異形の襲撃は大した被害を出す事もなく、ものの数十分で鎮圧された。ホテルの外では今でも傭兵たちが片付けや警戒に勤しんでいるが、それらはあくまで宿泊客を安心させるための処置だろう。街には武装隊が出張っているし、またそう易々と異形が行政区内に再度侵入できるとも思えない。
 そう判断して部屋に戻ったクズハたちは、ついさっきの襲撃について話し合っていた。
「クズハ、明日名さん。異形たちはどうでしたか?」
 端的な匠の質問。クズハが目で明日名に先を譲ると、彼は頷き、匠からの質問に答える前に逆に問いを投げた。
「そうだね……坂上君はあの異形そのものをどう感じた?」
「感じた事の最たるものと言えば、行政区の警備をあの獣程度の知能しかないような異形たちが抜けて来るという辺りが不自然だった、といったくらいですね」
「俺も同じ意見だ。どうやら異形の群れをまとめているような者の気配もなかったようだし……クズハ」
「はい」
「あの異形たちから、人から変化した者たちの気配を感じたかい?」
 問われ、クズハは戦闘時に異形たちから感じた気配を反芻した。
 ……あの気配は、
「あの人たちからは私と同じような気配を感じました。異形の≪魔素≫を使って人の魔法を操ろうとするような、キッコさんのような方が人に化けている時とも似た……でも決定的に違う、≪魔素≫の感じです。そもそもあのような異形たちでは人が作った複雑な工程を踏む魔法は扱えないと思いますので、キッコさんのような気配というのもおかしいんです」
 先程の戦闘で感じた違和感を出来るだけ伝えようと言葉を選び選び話す。明日名も所々で頷いているという事は、彼も同じような感想を異形たちに対して抱いたという事だろう。
 一通り話し終わったところで、匠が口を開いた。
「……ということはあの異形たちは和泉に出た奴らと同じってことか?」
「はい、私はあまりあの人たちの気配を知らないのではっきりとは言えないんですけど、おそらくあの異形たちは」
 言い差して明日名へと目を向ける。彼は頷いて言葉を引きとった。
「あの様子では彼等も異形化させられた人間である可能性が高いと俺も思う」
 彼は堅い口調で続ける。
「だとしたら、とても嫌な感じがするね」
 匠も同意した。
「行政区まで黒幕の手が伸びているのか、あるいはこっちが奴らの本陣なのか」
「でもこちらが本陣だとしたら、そこを異形たちに荒らさせようとするのはおかしいと思うんですけど……」
 今夜の戦闘によってこの街に被害が全く出なかったという事は流石にないだろう。いくつか戦闘中に火の手が上がっているのも目撃した。昼に明日名が言っていたように通光という男が怪しいとしても、何も自分の本拠地を襲わせる事もないように思う。
 明日名は重苦しく唸る。
「たしかにそうだ。意図がいまいち掴めない。もしかしたら目を付ける相手を間違っているのかもしれない……」
「行政区の人間が黒幕ではないのかもしれませんね。だとしたらこの呼び出しは単なる大阪圏のパワーゲームの一環ですか」
「その可能性が濃くなった……かな」
 明日名は困惑顔で頭を掻いた。悩まし気に眉根を寄せて、
「ともかく、今日はもう休もう。明日になれば異形の事についても何か行政区側から公式な見解が出て来るだろうから、考えるのはそれからでも十分だ」
 符を部屋のあちこちに貼って一応の警戒として、陽が昇るまで数時間、ひとまず一行は休息を得る事ができることとなった。


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