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2.その日、一月一日
「忘れ物はない、ユウ?」 マリーが言った。「寝坊して学校に向かう子供だな、まるで」 ユウが苦笑する。「少しうるさい位でないと。あなたは宇宙ではどうか知らないけれど地面の上では粗忽なんだから」「君が準備してくれたんだ。問題はないだろう」「施設使用のパスは?ちゃんと式典用の礼服に移した?」「あ……」 マリーはため息を吐いた。「やっぱり。IDパスは私の管轄じゃないわよ」「すまん」 マリーがくすりと笑った。青い前髪が揺れる。「本当にこれで連邦軍のトップエースなのかしらね」「MSは必ず決まった所に置いてあるからな」「パスもきちんと置く所を決めておけばいいのに」「それより儀礼用と通常用の制服を別にデザインするなんて無駄をやめれば解決する問題だ」「もっと偉くなって規則を改正できるようになって下さいね」 マリーは相手にせず、ユウの頭に帽子を乗せた。 マリーは軍人ではない。グリプス戦役が始まる前、旧友であるサマナ・フィリス中尉が任地であるグラナダでMS訓練指導中の事故で入院した際、実習に来ていた看護学生がマリーだった。 今でも上手く説明できない感覚と共に二人は恋に落ち、わずか二ヶ月で結婚した。祝福に来てくれたサマナは『ドラマや小説なら、こういう時は入院していた僕と恋に落ちるものなんですが』 とぼやき、フィリップ・フューズ大尉は『撃墜王ってなあ一番他人の獲物を横取りした奴がなるもんなんだよ』 と悪意なき毒舌で慰めていた――。 以来四年、子供はまだいないが、夫婦仲は良好である。「何もなければ二十――午後八時には帰るよ」 ユウはそう言った。それを聞いたマリーは何か言いかけたが、思い直し、笑って「行ってらっしゃい」 と送り出した。 ユウが出て行った後、マリーの紅い瞳が不安げに揺れた。ユウは口数の少ない男だが、言葉の足りない男ではない。言う言葉にも、言わない言葉にも意味のある男だとマリーは思っていた。 ユウは帰る予定の時間を言った。しかし、いつもは言う言葉を今回は使わなかった。「食事の用意をして待っていてくれ」 今までは必ずそう付け加えていたのである。
礼服を着て登庁したものの、ユウは式典には出席せず司令部で指揮を執っていた。 ルロワ提督は艦隊デモンストレーションのためヘンリー艦長と共に「ハイバリー」に乗艦、ホワイト准将は共和国内の式典にゲストとして出席するため、警備体制の確認と指揮はマシュー幕僚長とユウMS隊長という二人の中佐が中心となって行う事になっているのである。 ユウが礼服を着ているのは、広報部から式典の裏舞台と称して司令部にカメラを入れる旨が伝えられていたからであり、ユウにしてみれば迷惑な事この上ない。「カジマ中佐は若々しい軍隊をアピールするにはうってつけですからな」 マシューが皮肉交じりにそう評する。ユウは苦笑してやり過ごすしかない。「アイゼンベルグ大尉、用意は?」 ユウがコロニー哨戒の隊長を呼び出す。「万端です、中佐」「哨戒ルートの確認は隊員に徹底されているな?不審物発見までのシークエンスはそれに従うように。発見後の報告以降は貴官の判断を信じる。本隊が到着するまで持ち堪えてくれ」「出来れば小官の判断が発揮される事態になって欲しいものですな」 ルーカスのあまりにも不穏当な発言にマシューが目を見開く。ルーカスは素早く敬礼し、任務に戻ると言って回線を切った。 続いて宙域哨戒任務のイノウエを呼び出す。「イノウエ大尉、作戦について質問はあるか?」「いえ、特にありません」「そうか、よろしく頼む」 最後に整備ドックに回線を繋ぐ。「なあに、ユウ。何か注文?」「ジャッキー、俺のアーツェットは頼んだ通りにしてくれたか?」「BD-4」「どっちでもいい」 ジャッキーはため息を吐いた。「言われた通り、MAモードに変形させてブースターも取り付けてあるわ。これで想定宙域内ならどこでも二十分以内に到着できるわよ」「そうか、よし」「でも、このGは完全にシートの許容範囲を超えてるわよ。だから今までテストしてなかったのに本当に使う気?」「出番が来ない事を祈っていてくれ」 それだけ言ってユウは回線を切った。 ユウは司令部のモニターに目を移した。警備範囲は大きく分ければコロニー内部、コロニー外壁、パレード中の艦隊及びズムシティに接近中の木星船団となるが、コロニー内部の警護については共和国側主導で進めている。外壁についても本来なら共和国の戦力が主力となるはずだったが、いかんせん装備が旧式すぎた。 そもそもジオン共和国には「軍隊」は存在しない。外敵として想定されるのは旧ジオン残党のみであり、彼らの掃討は連邦軍が行うと言うのが前提となっているためである。自衛戦力としては対テロ組織の名目で機甲警察(パンツァーポリッツェ)が結成されていたが、これはMSはハイザック、ジムⅡといった旧式が中心で保有数も少なく、ネオジオン製のMSを相手には同数どころか、三体一でも勝てるかどうか怪しい。特に最重要ポイントであるズムシティの外殻は、ユウ達が警備しなければ危険極まりない。 その為、決して多くはない戦力を二分し、ユウ自身、こうして司令部から全体を見渡す位置に身を置かねばならないのである。「これが無駄足に終わればいいのだが」 ユウは呟いた。
「もうすぐ式典開始だ。全員、スタンバっておけ」 ディレクターの声が響いた。「回線の状態はチェックできてるか」「レーザー通信、有線回線、共に良好」「カメラは?」「もう動いてます」「音声状態」「問題ありません」「よーし、キムちゃん、アップから入るよ」「よろしくお願いしまーす」「3…2…1…Q!」 ディレクターの声で一斉に動き始める。 式典の開始は十五時からとされているが、実際の所はその五分前から開始されている。中継はそれを十五時ジャストから録画放送するのだった。視聴者は五分前の映像をモニター越しに視る事になる。 万が一不適切な場面がカメラに映りこんだ場合、スイッチングや編集によって視聴者の目に届かないようにするための、まだ西暦を使っていた時代からの技術である。もっとも、ディレクターに言わせれば「自主的な検閲だ」 となる。 式典は厳かに始まった。人類の総人口を回復困難なレベルまで減らした有史以来最悪の戦争だが、式典はその損害の大きさを必ずしも想起させるものではない。 モニター上では女性アナウンサーが原稿を読み上げ、それにズムシティのイベントや艦隊による弔砲がカットインされていく。特別な事など起きるはずもない、毎年のセレモニーが少し大規模になっただけだ。「十五時まで後三十秒だ、映像に問題はないな」「ありません。このまま放送できます」 最悪の事態が起きた場合、前日の予行演習の映像を流す準備もしてある。ディレクターとしては、報道の精神にかけてそこまで欺瞞に満ちた行為はしたくないと思っている。「また行くぞ。3…2…1…Q!」 艦隊の映像にありえない閃光が奔ったのはその瞬間であった。
「何が起きた!?」 マシューが叫んだ。「ルロワ艦隊に敵襲!『ラビッツフット』撃沈!」 通信士の声が上ずる。マシューの声が震えた。「馬鹿な!?一切の反撃も出来ない内にか!?」 敵の接近をそこまで許すとは考えにくい。戦場慣れはしている連中である。 ユウは内心舌打ちしながら情報を求めた。「他は?コロニー周辺や木星船団からなにか変化はないか?」「ありません。攻撃を受けているのは艦隊のみです」「救援の部隊を回せ!至急だ!」「お待ち下さい、参謀長」 マシューの指示を即座にユウが撤回した。艦隊への奇襲は間違なく陽動である。一個艦隊を攻撃するには相応の戦力を有していなければ返り討ちにあってそれまでである。そして、それだけの戦力があるなら高々一個艦隊の戦力を削るよりするべきことがある。 だが敵は初撃で巡洋艦一隻を沈めた。陽動とわかっていても救援なしでルロワに任せるのは危険すぎる相手とも考えられる。「――私が向かいます。救援はコロニーから出撃しつつ次の敵の動きに備えさせて下さい」「カジマ中佐一人でか?しかし――」「どちらにせよ全速力なら私のアーツェットに追いつける足はここにはありません。それよりも艦隊に救援隊と主力が一箇所に集合してしまう方が危険です」「そうは言うが……」「提督を死なせはしません」 ユウは断言した。MS一機で出来る事など限界がある事は承知しているが、これ以上議論している時間もない。「わかった、頼むぞ、カジマ中佐」
RAZ-107の変形機構はベースであるAMX-107と同様、分割可変型である。上半身と下半身が分離し、上半身とバックパックで戦闘攻撃機形態、下半身が無人随行機となる。アーツェットはバックパックを超大型に換装しているため、上半身は往年の名機、コアブースターを連想させるフォルムとなる。通常航行時はバックパックに下半身パーツを半格納するようにして固定できるようになっている。もっとも、これは下半身が全くのデッドウェイトとなる欠点となった。この戦闘攻撃機形態をアナハイムではGチェイサーと呼び、追撃機としての運用を想定していた。長距離迎撃任務のためのシュツルム・ブースターはこの形態専用の増加装備で、デッドウェイトとなっている下半身パーツのジェネレーターを推進に使用する事でバックパックのジェネレーターの負荷を高めないよう配慮されている。 従来スラスター用のコジェネレーターしか持たなかった下半身にジェネレーターが増設され、腰部にビームキャノン兼用ビームサーベルを装備して下半身に攻撃力が与えられている。その分上半身のジェネレーターを小型化し、重量バランスがかなり改善されている。 バウにはバイオセンサーの一種が装着されていた。機体制御と同時に準サイコミュとして分離した下半身の操縦にも使用していたと思われるが、ユウはこれにリミッターをかけて使用していた。 ユウはノーマルスーツに着替えるとハンガーに向かい、真直ぐ愛機に乗り込んだ。「ジャッキー!」 ユウの声を合図にブースターを着けられたGチェイサーがカタパルトに移動される。「ユウ、これだけは覚えていて。もしブースターで加速中にデブリ(ごみ)が見えたら、かわすより破壊する事を考えて。視認してからじゃ多分避けられない」「覚えておく」「スタンバイOK。中佐、発進可能です」 オペレーターの声が報せる。ユウは頷いた。「操作権限受領。ユウ・カジマ、アーツェット……」 そこでモニターに映るジャクリーンを見た。「……BD-4、出撃する!」 カタパルトが作動し、ユウとBD-4を宇宙(そら)に向けて射出した。
「……まずは一匹」 アラン・コンラッドはコクピット内で呟いた。声に高揚感はなく、冷静に事実のみを言葉として発したものだった。『敵艦隊よりMS、出撃します』 僚機からの通信が入る。アランもモニターで視認した。「よし、こちらも展開する!」『僕が相手しようか?』 別の声が回線越しに伝わる。「いや、オリバーはまだだ。お前には敵の援軍を片付けてもらう」『わかった。待機しておくよ』「貴様ら油断はするな。戦歴なら腑抜け揃いの連邦でもそこそこ骨のある連中だぞ!」 アランのドーベンウルフが先頭を切って突撃する。決して高機動なMSではないのに、その動きは素早かった。 襲撃者の戦力は総勢わずか十四機に過ぎない。ドライセンが五機、ガ・ゾウムが七機、それにアラン・コンラッドのドーベンウルフとオリバー・メッツのゲーマルクだ。 待機を命じられたオリバー・メッツはゲーマルクのコクピットからその様子を眺めていた。 否、感じていた、と言うべきか。色の濃いバイザーの奥の彼の両目は閉じられたままだった。 このゲーマルクは盲目ながら高いNTである彼に合わせ、メインカメラからの画像データをサイコミュデータに変換して脳に送信する特殊なOSが搭載されている。全天周型モニターの全画像データを全て変換するにはインターフェースの転送レートの限界を超えるため、オリバーの頭を向けた方向の視界のみを送信するようになっていた。 危なくなったら援護をするするつもりでいたが、アランら同胞達の戦いは熟練だった。特にアランはドーベンウルフを巧みに操り、単機で複数の敵機を撃破していた。「ここまでは順調だな」 オリバーは頷いた。後は援軍の規模か。出来るだけ敵の主力をこちらに引き付けなければならない。いきなり巡洋艦を一撃で落としたのも相手に主力を投入させる決断を迫るためのものだ。 アランのドーベンウルフはこの一戦でエースの資格を獲得していた。ビームライフルとハンドビームを駆使して連邦のジムⅢを確実に仕留めていく。インコムすらまだ見せてはいない。 何と言っても数の上では圧倒的劣勢である。「虎の子」のドーベンウルフ、ゲーマルクを最大限に使い、僚機の消耗も防がねばならない。戦いはこれで終わりではなく、手の内を見せるのも最小限に抑える必要がある。「全く注文の多い作戦だ」 それでもやらねばならない。アランにはやってのける自信があった。 ジムⅢが小隊を組んでアランに向かってきた。二機が前方上下から攻撃し、一機が後方から狙う。一年戦争以来数に勝る連邦軍が採用してきた教科書通りの戦い方だ。「対処方法も研究されてるんだよ」 推力を全開にして真横に移動、相手が座標を合わせ直したところで今度は逆方向に加速、回頭の遅れた一機を確実に仕留める。そのまま円を描くように飛行して挟まれないよう位置を取りながら二機を撃墜した。「ふうー」 アランは息を吐いた。僚機の損失はゼロ。ここまでは上出来だ。 オリバーの緊張した声が聞こえたのはその時だった。『アラン、気をつけて。恐ろしく速いのが一機近づいてくる』
戦闘宙域が迫った所で、ユウはシュツルムブースターを切り離した。Gチェイサーモードのまま飛行する。「敵機確認。十四機か」 予想外に少ない。仮にも一個艦隊に攻撃を仕掛けるなら、陽動にしてももう少し戦力を投入してくると思っていた。 映像からデータベースでMSの種類を特定できるか検索をかける。データベースと言ってもMSのコンピュータに保存された情報のみだが、よほど極端なカスタム機か、全くの新設計機でもない限りは引っかかるはずだ。「ガ・ゾウムが七、ドライセン五……ドーベンウルフにゲーマルク?」 ユウは目を疑った。ネオジオン製のMSの中でも最後期の設計で、どちらも最後のグレミーの反乱以外に運用記録がなく、出撃した全機が帰還することなく全滅したため、戦闘データはほとんど残されていない。しかも大部分が内乱によって失われたため、連邦軍のデータとしても非常に乏しく、カタログスペック以上の実力は全くの未知に等しい。 しかし、いずれにせよ敵の中にゲーマルクを動かせるNTと、ドーベンウルフを預けられるほどのエースがいると考えなければならない。「まずは数を減らす」 一瞬でユウは方針を立てた。只でさえ厄介すぎる敵を前に、更に十二機も敵がいてはさすがに勝負にならない。 Gチェイサー形態のまま最も近い位置にいるドライセンに接近、敵が照準を合わせるよりも速くバックパックに積載された長砲身ビームの一撃で破壊。同時に半格納されていた下半身を射出、下半身は飛行形態――AEではフライングVと名付けられた――に移行し旋回。ガ・ゾウムが一機Gチェイサーに対しビームを撃ってきたがこれはスピードを捉えられず、命中せず。ユウはGチェイサーを操り、戦いを挑んできたガ・ゾウムの背後を取ろうと緩やかなカーブを描きつつ旋回。敵がユウを追って機体を反転させた瞬間、フライングVのビームガンで背後から撃ち抜かれた。「……」 ユウは声には出さず会心の笑みを浮かべる。サイコミュなしのレーザー誘導では複雑な動きは出来ないが、使い方次第ではビット的な扱いが出来そうだ。 ユウを手練れと認めた敵は三機で囲い込もうと動く。ユウは速力で囲みを突破すると、フライングVと合流、MS形態に変形した。「試してみるか」 ユウはバックパックの長砲身ビーム砲を引き抜き、片手で構えた。MSと同じほどの全長を持つビームライフルが狙いをつける。「気をつけろ!うかつに仕掛けるな!」 アランが警告を発する。言われるまでもなく三機は分散して包囲体勢をとった。先刻ルロワ艦隊のMSがアラン相手にとった同じ戦法である。 それに対するユウの対処もほぼ同じであった。ただし、ドーベンウルフとBD-4では決定的に加速性能が違う。最初のダッシュで包囲していたはずの三機を置き去りにし、その全てを自分の前方に捉えた。 彼らはここでミスをした。何度でも包囲をやり直すべきだった。そうせず、三機は一斉に間合いを詰めに行った。 一機落とされる間に残りの二機が仇を討ってくれるとの計算があったのだろう。その覚悟は立派であったが、相手がバウではなく、そのカスタム機である事を考慮すべきであった。 ユウはトリガーを引いた。BD-4の抱えるビームライフルからメガ粒子が放出される。それは一条ではなく、十二条の光の矢となって、三機全てに降り注いだ。「何だと!?」 アランが絶句した。一本の銃身からビームが散弾のように分散して撃ち出されたのである。三機のMSは中破し、爆発はしないものの作戦続行不可能は見て明らかだった。 これがAEが試作した新型対MS兵器、ビームライオットガンだった。コクピットからの切り替えでスラッグ(単粒)、バック(十二粒)、バード(二十五粒)、スネーク(四十粒)に撃ち分けられる。分散率が上がるほど一発の威力は低下するが、スラッグショットの攻撃力は一〇・八メガワット。Zのハイパーメガランチャー以上の破壊力を誇る。整備能力や補給能力に致命的な欠点を持つジオン残党にとって、MSを完全に破壊せずとも行動不能にするだけで戦力を削ぎ落とす事が可能であり、無益にパイロットを殺害する事もないという「人道的見地」から開発された、との触れ込みだった。まだ巨大すぎるため、試験的にBD-4の武装として採用されたのである。「まんざら使えない武器ではないようだ」 ユウの感想だった。
「たった四十秒で五機が落ちただと……」 アランの背筋に冷たいものが流れた。彼がこの任務に同行させた兵は決して凡庸ではない。少数で一個艦隊と増援部隊を相手にするのに足手まといは連れて来られない。全員がアラン自ら選抜し、その実力を信任したパイロットだった。それをこのただ一機の援軍は戦闘宙域に到達して四十秒で五人、行動不能に陥れたのである。 目前の蒼いバウが尋常ならざるカスタムを施されている事は間違いない。その巨大なビームライフルが彼の知らぬ新兵器である事も認めよう。だがそれを差し引いてなお、その戦闘能力は異常だった。「これが……『戦慄の蒼』」 改めてその異名の意味を知った。この一見して扱いづらい機体を自在に操る操縦技術、迷いなく一番近くにいた敵を叩いた老獪さ、共にエースと呼ばれる中でもトップクラスのものだ。対峙した者に敗北を覚悟させるほどの威圧感を放つパイロットなど、他に何人いるだろうか。 そう思った瞬間、一条のビームが奔った。連邦の蒼いMSはそれを紙一重でかわす。「オリバー!?」『アラン、援軍は僕が相手するんだったね。出るよ』 ゲーマルクがアランのドーベンウルフの脇を追い抜いた。既にマザーファンネルを射出し、臨戦態勢をとっている。「オリバー、油断するな!奴は噂以上の腕だぞ」 アランが警告する。オリバーは聞こえたのか否か、既に返答はない。アランは舌打ちし、残る同胞に指示を出した。「後から来た蒼い奴には構うな!艦隊攻撃に集中!」 オリバーは既に眼前の蒼い敵以外彼の意識に入っていない。「BD-04だと?まだマリオンの亡霊を引きずるか、ユウ・カジマ!」 アラン・コンラッドの警告を聞くまでもなく、そのパイロットとしての技量は今の一連の動きで把握した。パイロットとしての資質に恵まれ、連邦のパイロットには珍しく多対一の戦闘にも慣れている。しかし、やはり情報通り、NTではなかった。「ファンネルを相手にした事はまだないだろう?冥土の土産話に喰らっておけ」 マザーファンネルからチルドファンネルが展開した。
ユウは相手の出足が止まった一瞬の間にルロワとの回線を開いた。「提督、ご無事ですか?」「カジマ中佐か、私は無事だ。だが、『ラビッツフット』が沈んだ」「それは司令部で確認しました。現在の損害は?」「艦艇(ふね)で大破したのはそれだけだ。搭載MSは全損、その後の戦闘でさらにMSが十二機大破。『ラビッツフット』乗員の生存は今のところゼロだ」 ユウもルロワも、会話に一切の感傷は交えなかった。戦闘中の感傷など自殺の権利を買うに等しい事を一年戦争以来幾多の戦乱を生き抜いた二人は知っていた。「カジマ中佐、貴官にMS隊指揮権を移譲する」「了解、ユウ・カジマ、艦隊MS指揮権を受領。マーティン!」『はっ』「まず小隊編成を完全に保っている部隊は各艦艇の護衛に回せ。欠員の出ている隊は貴官が糾合し、迎撃行動を開始」『了解しました。欠員なき小隊は艦の護衛、欠員ある隊は小官と共に迎撃行動を行います』 マーティン中尉が答えた瞬間だった。ユウに向けてメガ粒子の奔流が押し寄せた。ユウは間一髪、その射線から逃れた。「ゲーマルクか……!」 そのゲーマルクは往年の「ドム」を思わせる黒と紫に塗装されていた。宇宙での有視界戦闘において極めて視認しにくい配色である。「来るのか」 後年、一年戦争史を愛する歴史研究者や一部のマニアの間では「シミュレーターでアムロ・レイを破った」 との不確かな噂と共に語られる事の多いユウだが、真偽はともかく、実戦の場で明らかなNTとの戦闘経験はこれまで一度もなかった。目の前の敵は、生涯初のNTの敵である。 それでもEXAMを相手に戦い、自身もEXAMを使用した経験から、NTの強さの本質について彼なりの回答を見つけていた。(NTは戦闘において常に最善手を打ってくる) 一定以上の実力者同士の戦闘では、射撃や操縦技術では優劣がつかなくなり、互いの動きの読み合いが重要な要素を占めてくる。限られた弾数や推進剤、一機のみを相手にしていられない戦況の中、いかに短時間に相手に攻撃を当てるか、言い換えれば相手に回避不能な状況を作り出せるかが勝敗を分ける。命懸けの詰め将棋を行っているに等しい。 NTはこの詰め将棋を最短手順で、しかも直感的に正解に辿り着く。それに対抗するにはこちらも相手の攻撃の先を読みきって最善手を打たなければならない。少しでも読み誤ったり、操縦をミスすれば即座に死に直結する。しかし、敵の意図を感覚的に察知し、しかも同時に複数の敵味方の位置を正確に把握する空間認識力を有するNTを相手にそれを行う事は至難であり、それが戦場におけるNTの最強論に繋がっている。 ユウはゲーマルクに関するデータを呼び出し素早く目を通した。全身に武装。ジェネレータ出力は高いがビーム兵装に多くを割かれ運動性は高くない。ファンネルは二十八基。ファンネルコンテナ自体をサイコミュで遠隔操作するマザーファンネルにより、理論上はキュベレイ以上の広範囲をカバーする。 OTのユウにとって経験こそが敵の意図を読む材料となる。NTと言えどもMSでMSを破壊する事が目的である以上、攻撃パターンが大きく変わる事はないはずだ。 しかし、ユウにはファンネルを相手にした経験がない。小型無線式攻撃端末を駆使しての全方位攻撃。それは未知の領分だった。「やるしかない」 ユウは意識を集中し、全天周モニターを見回して確認した。ファンネルで攻撃するならば、最初に狙ってくる方向は……。 ユウはスラスターを全開し、斜め前方に飛び出す。ユウが〇・〇一秒前までいた場所に下方と後方からビームが奔った。 脚を前方に振り出し、脚部のスラスターで強引に減速、BD-4の鼻先を光の柱が十文字に掠めた。 ユウはビームライオットガンを構えた。しかし次の瞬間射撃体勢を解き、真上に向けて最大加速、ファンネルの砲火から逃れた。「…………!」 ユウは音には乗せずに舌打ちした。Gで身体中の骨が砕けそうだ。 サイコミュと言えど全能ではない。ファンネルの追尾能力を超える機動力で動けば躱す事も可能だ。しかしそう長くは通じないだろう。ファンネルは二十八基あるのだ。「反撃も出来ないとは……!」 ユウは唇が乾く感覚を覚えた。こんな事は十年ぶりだ。「やるしかあるまい」 レバーを握る手に力を込めた。 一方、オリバー・メッツも声に出して苛立ちを口にしていた。「何故だ、何故当たらない」 ユウとは対照的にオリバーには実戦経験はない。経験の不足をNTとしての能力でカバーする事になる。模擬戦闘ではほとんど無敵であり、アランですら彼のオールレンジ攻撃を三度躱わす事はなかった。ユウは既に三度、彼の死角からの攻撃を躱している。「僕がまだ緊張してるのか」 あくまでユウのパイロットとしての技量は認めず、自分が能力を発揮できていないと言い聞かせる。「……そうさ、まだ二方向からの攻撃しかしてない」 ここからは本気で行かせてもらう。
「…………!」 左肩の装甲の一部が蒸発した。反対方向からのビームは辛うじて躱す。瞬間、天頂方向からの攻撃につま先が触れ、その箇所は消失した。(やはり、な) ユウと機体の教育型コンピュータが相手の攻撃パターンを解析するよりも、相手がユウの回避能力に対応する方が早い。わずか数分間の対峙で、ユウは反撃はおろか回避すら追いつかなくなりつつあった。「想像以上に厄介だ、ファンネルというものは」 宇宙空間内をノーマルスーツ着た人間がメガ粒子砲を持って飛び回っているようなものである。静止していれば見つける事も出来るだろうがお互いにこれだけの速度で動き回っていては視認は不可能である。センサーは反応するが、ミノフスキー粒子下で数十メートル先のファンネルと四キロ先のMSを判別させる事は難しい。 しかも制御するのはNTである。ただでさえ小さすぎる的が、こちらの敵意に感応して動くのだから事実上撃墜は不可能である。出来るとしたらNTのみだ。「これならMS三十機に囲まれた方がまだ――」 言いかけたユウの頭に一つのアイデアが浮かんだ。ビームライオットガンの切り替えをスネークショットに合わせる。 左上からの攻撃。ユウは上半身を捻りながらこれを避け、アポジモーターを全開にして反転し、間髪入れずにスネークショットを撃った。 メガ粒子を四十にも分散させるスネークショットは当然ながら牽制にも使えないほどに威力が不足し、ユウはAEへのレポートに「高価な線香花火」と辛辣な表現を用いた。十分な破壊力を得るにはほとんど零距離で目標に命中させる必要があり、全く射撃兵器の意味を成さない。ザクマシンガンの有効射程から攻撃してザクの装甲すら貫通しなかったのである。実用になるとは思えない。 しかし、そんなマッチの火のようなビームでもファンネル相手なら。 ユウの攻撃を察知してファンネルは回避行動をとった。それは正確で、躱しながらもユウへの照準は外さず、最小の動きで避ければ即反撃に移る動きだった。だがそれは放射状に拡がる四十のビームを想定した動きではなかった。同一方向を飛んでいた五基のファンネルがこの効果範囲に入り、破壊された。「なっ!?」 オリバーが思わず声を上げた。ある意味、ショットガンの最も正しい使用法であったが、まさか狙えない標的を弾幕で落とすなどと言う発想をMS戦で使用されるとは予想していなかったのだ。相手の得物に対するデータが不足していたのも彼の読みを狂わせた。 蒼いバウが今度は別のポイントを狙う。オリバーは素早く相手の武器の攻撃範囲からファンネルを逃がしたが、次の瞬間、相手の銃口が自分にポイントされている事に気が付いた。「しまった!?」 オリバーの直感が既に回避不能と回答した。相手の散弾型ビームに対し、ゲーマルクの運動性能は貧弱だった。 ユウにとっては成功の保証がない博打に近い作戦だった。OTにファンネルを撃ち落されるという展開に一瞬でも動揺なり、隙を見せてくれたらという、願望に近いものだった。 ゲーマルクの両手が上がる。回避もメガ粒子砲の励起も間に合わないと見て、唯一Eパックを使用する親指のビームで相討ちを狙う気だ。(しかし、遅い) BD-4は既に照準を定めている。相手の両腕が上がりきる前にバックショットが全弾命中する。
――後ろ。
「――!?」 声の正体を考える前に身体が動いた。スラスターを逆噴射させて真下に逃げる。二条のビームが空を奔り、直前までユウがいた場所で交差した。 ユウは周囲を確認する。 ドーベンウルフがビームライフルを構えていた。「インコムか!」 声に出し、上体を反らせてビ-ムライフルの一撃を躱す。刹那、ユウは虚空に向けてバードショットを撃つ。二つの火球が膨れ上がり、インコムの焼失を確認した。「よし!」 ドーベンウルフに狙いを定める。ドーベンウルフのインコムは二基。両腕は本体に付いたまま。遠隔攻撃はない。 そう思った刹那、敵の両脇から何かが射出された。グレネードの類ではない、と気付いた瞬間、ビームが左右から襲ってきた。「ちぃ!」 躱しきれない。右を避けることに集中し、左はシールドを突き出した。表面のビームコーティングが蒸発し、破壊エネルギーを奪った。「改造されていたか」 考えてみれば驚きではない。ユウの機体からして改造機ではないか。この恐るべき敵を二体同時に相手にしなければならない現実の前にたいした問題ではない。「これは……さすがに…………」 ファンネルだけでもほとんど反撃のチャンスがなかったのに、その上この重MSである。勝利が全くイメージできない。 しかし、ここで全く意外な動きに出た。この絶対有利の状況で二機同時に撤退を始めたのである。 二機だけではない。艦載MSと戦闘していたMSも一斉に撤退を始めた。それを何機かのジムⅢが追撃しようと突出する。「追うな!放っておけ!」 ユウが回線を開く。追撃した所で殲滅は無理だ。伏兵でもいれば――その可能性はゼロに近いが――無用のダメージを被る。『どういう事でしょう?』 マーティン中尉が疑問を口にする。ユウも同じ事を考えていた。 答は基地からの連絡でもたらされた。木星船団のヘリウム輸送艦「テュポーン」が敵襲を受け、敵に奪取されたとの報であった。
「一体どういう事です?」『ハイバリー』に着艦するとすぐ、ユウは艦橋(ブリッジ)に向かった。メインモニターにマシュー幕僚長の蒼白な顔が映し出されていた。「中佐、ご苦労だった。だが、奴らの本懐は果たされてしまったようだ」 ルロワ提督も落ち着きを失ってはいないが、さすがに声が陰鬱になることを隠せない。「マシュー幕僚長、すまんが初めから説明してもらえるか。カジマMS戦隊長にも今のうちに聞いてもらいたい」 マシューの説明ではこうだ。 艦隊への奇襲を受け、ユウが発進した十分二十秒後、木星船団から敵影を発見したとの連絡が入った。 哨戒任務に着いていたイノウエ隊を直ちに向かわせ、ユウとほぼ同時に展開させていたMS隊も急行させた。イノウエ隊が到着するまで五百十五秒、敵戦力の詳細は不明だったが、木星船団の自衛戦力であれば十分に持ち堪えられる時間だった。 しかし、イノウエ大尉が到着した時、既に敵の姿はなく、失われた「テュポーン」と、半壊した護衛艦が漂うのみであった。「まさか、いくらなんでもそれほどの戦力が――」 言いかけたユウがある事に気付く。戦力を壊滅させるだけならともかく、艦を制圧し、襲撃地点から移動させるだけの事を九分足らずで出来るはずがない。 ルロワがユウに頷いた。「そうだ。『テュポーン』は敵襲で奪われたのではない。艦それ自体が敵に内通していたのだ」
こうしてジオン共和国駐留艦隊と未知なるジオン残党の緒戦はジオン残党が目的を達成して終わった。ユウ達は敵の実体すら掴めぬままに翻弄された。 損害は巡洋艦一隻にMSの大破が計二十二機、一度にMS隊の六分の一が失われた事になる。対して敵に与えた損害はMS八機。完敗だった。 しかし、襲撃者の評価は違っていた。彼らはこの奇襲で少なくとも艦隊と増援の半分を壊滅させる予定だった。ただ一人のエースパイロットによってこれほどまでに打撃力を減じられた事実は、彼らの作戦に修正を必要とさせた。 こうして、宇宙世紀〇〇九〇年一月一日、一年戦争終結から十年目の記念日は過ぎていったのである。
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