おまえにおれの何がわかる

タイトルに深い意味はない。 


ただ、色んなことを経験しないと、 
私たちは人を思いやることさえ出来ない。 


そりゃ形だけならいくらでも出来るけど、 
『あぁ、分かるよその気持ち。俺もそんな経験ある。』 
とは言えないわけで。 



なんでもかんでも経験するということが、 
果たしていいことなのかは分からないが(例えば臆病になるとか)、 
思いやり、というより共感できるということは、 
他人との絆を深めるのに役立つと思う。 



私たちは人それぞれ違っていて、 
その命題が常に真であることを認めたくなくて、 
色んな解法でそれが偽であることを証明したがる。 


だから大勢の人のその命題を一気に強制的に偽に出来るものは、 
例えば人気アーティストだとか宗教は、 
素晴らしく、また凄まじいエネルギーを持っていると思う。 



それはともかく、私たちが人それぞれなのは、 
私たちが存在しはじめてから変わらぬ事実であり、 
初期条件なんだから、 


人それぞれだからしょうがないなんて、 
何の慰めにもならない(ただし、表面上の解決や一時しのぎにはなるだろう) 


それはただの諦めであり、妥協であり、分かりあうことをそこでやめるようなものだと思う。 



ただ、『人それぞれ』だという理解の仕方もあるかもしれない。 
つまり、認めあうということ。 
でもそれはあくまでも紆余曲折を経て言う言葉であり、 
語尾に逃げるように、 
『人それぞれだから』と言うのは好かない。 
今までの議論が台無しになるし、そんなことは自明だ。 



色んな経験をしてきて、『人それぞれなんだ』と悟ったならしょうがない。 
でもそれをすぐにさっさと押し付けるのは違う。 


面倒だけど私たちは、 
相互理解のためにいろいろなことを努力すべきで、 



なんつーかまぁ、 

今日は新年あけまして体育なんだぜ。 

ぐぼぁぁぁあ。
最終更新:2009年03月06日 02:35