【種別】 [[自在法]] 【初出】 灼眼の[[シャナ]]ノ全テ 【解説】 “[[紅世の徒]]”独自の能力や本質。 [[ソラト]]の『[[欲望の嗅覚]]』や[[ティリエル]]の『溺愛の抱擁』、[[ウィネ]]の[[知覚の伝染]]、[[視界撹乱]]など。 区分は一応自在法。ただし[[封絶>封絶(ふうぜつ)]]のように定型化されたものではなく、それぞれの存在の本質に即したモノなので、当人達以外は使用できない。 参照 →[[自在法]] 【コメント】 ☆[[アニメ版]]から使用されている。 ☆本質と能力は別なような気がする。 ☆ティリエルの『溺愛の抱擁』は能力(自在法)なのか? ☆『溺愛の抱擁』を現す自在法=『[[揺りかごの園>揺りかごの園(クレイドル・ガーデン)]]』では? ☆↑の通りだと思う。故に『溺愛の抱擁』自体は自在法ではないと思うのだが。 それにソラトの『[[欲望の嗅覚]]』は確かに特殊能力ではあると思うが自在法ではないと思うのは俺だけか? ☆全テの表記に基づけばウィネの索敵は自在法(ただし表記は特殊能力)、ソラトの『欲望の嗅覚』は特殊能力と区分されている。「在り得ぬ不思議を現出する術」という自在法の定義に基づけば『欲望の嗅覚』も自在法の範疇に入るのではなかろうか? ☆↑も一理あるが自在法とは『術』であり意識して自在法を発動させているはず。それに対しソラトの『欲望の嗅覚』は比喩法で言えば生まれ持った能力のようなものだと思う。それを術と呼んで良いのか?それにティリエルの『溺愛の抱擁』はどうなった?あれは自在法ではないと思うのだが。 ☆自在法より性格って感じじゃないか。 ☆『溺愛の抱擁』はティリエルの本質、『揺りかごの園』の根源的精神との表記。紹介においても『欲望の嗅覚』は明確な区別がされており、本来は『揺りかごの園』と『欲望の嗅覚』が対であると考えられる。 ☆特殊能力とされる特別な自在法は「当人のパーソナリティが具現化した現象」とされていることからソラトのも自在法と言えると思う。 ☆だとしたらティリエルの『溺愛の抱擁』も自在法ということか。もしくは『溺愛の抱擁』=『揺りかごの園』と考えるべきか。 ☆『溺愛の抱擁』は“愛染他”の本質の別の呼び名であって、自在法でも特殊能力でも無いでしょう。また、特別な自在法の「当人のパーソナリティが具現化した現象」は『欲望の嗅覚』には当て嵌まらないのでは?『欲望の嗅覚』は[[顕現]]した時に姿がそれぞれ固有であるのと同じ理屈で発生している能力では?例えば“甲鉄竜”[[イルヤンカ]]が別に特別な自在法を使っているわけでもないのに硬い鱗に覆われた竜の姿をしている様に。“徒”がこの世に渡り来て、本性だろうと[[人化]]だろうとなんらかの姿を得て活動すること自体が、既に自在法による[[顕現]]ではなかろうか。無意識だろうと、付随する能力の行使も、この世で行う以上は自在法と呼べるのでは。 ☆最終巻で[[坂井悠二>坂井悠二(さかいゆうじ)]]は独自の自在法『[[グランマティカ]]』を感得した。