出原弘之

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出原弘之 - (2009/01/16 (金) 18:28:59) のソース

<small>出典: 無用百科事典『数寄ペディア(Sukipedia)』</small>

'''出原弘之'''(いではら ひろゆき、1935年 - ?)は、岡山県倉敷市出身のテレビプロデューサー。

慶応義塾大学卒業後、新聞記者となるが、実際の仕事の内容が期待していたものと違っていたため退社。1959年に名古屋の東海テレビ放送(フジテレビ系列)に入社する。考査課、報道記者を経て、1963年、東京支社の編成課に移る。

おりから東京オリンピックを翌年に控え、オリンピック取材に追われていたフジテレビが東海テレビに番組制作を依頼。もともとドラマ制作志望だった出原がこれを好機と連続ドラマの制作を提案し、それが通る。こうして生まれた「雪燃え」(1964年)は現在も続く午後1時30分からの帯ドラマシリーズの第1作となる。以来、「はるちゃん6」(2002年)まで出原はプロデューサーまたは企画としてこのシリーズにかかわった。

その間、1992年にゼネラルプロデューサーとなり、現場を退く。1999年には35年続く帯ドラマシリーズの創始者としての功績が認められ、社団法人全日本テレビ番組製作社連盟(ATP)からATP個人賞を贈られた。この同じ年には同シリーズがエランドール賞(日本映画プロデューサー協会選定)特別賞を受賞した。

植木等主演の単発ドラマ「名古屋嫁入り物語」シリーズも企画している。