「AAR/アメリカ合衆国/星条旗はためく下に/GC第1章」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る
2019年12月 東京 「では本年最後の講義として・・・」 教授の声を聞き流しながら、窓の外に降る雪を眺めていた。 数十年前は地球温暖化の影響で冬の東京には雪が降ることはないといわれた時期もあった。 しかし、実際は一直線に暑くなるわけではなく、寒い夏、暑い冬、暑すぎる夏、寒すぎる冬が 不規則に訪れ、人々を混乱させていた。 「え~。ですから・・・」 教授の声が続く。 かつてヨーロッパに君臨した強大な統一国家。ローマ帝国の崩壊とその後について講義が続く。 欧州通貨、ユーロの理想の源となった世界帝国。ローマ。 エジプトからイベリアまでを支配した帝国は地中海を内海とし、 沿岸諸地域を一つの交易圏として纏め上げた。 小麦の取れない地域にはエジプトからの小麦が運ばれ、 沿岸の諸都市から内陸の諸都市へ塩が運ばれた。 これはひとえに、ローマ帝国の力がゆるぎないものだったからである。 ローマ帝国は各地に都市を築いた。 そして驚くべき技術をもって各都市に水道と公衆浴場を整備した。 水は山をトンネルでくぐり、谷を橋で渡った。作るだけではない。 作った水道にはメンテナンスが施され、各都市に絶え間なく水を供給し続けた。 都市間には石で舗装された街道が整備され、馬車の車軸の幅も決められた。 「その幅、4フィート8.5インチ。つまり、1435mm。新幹線の軌道とおなじサイズです。」 教授が続ける。 「さて、これほどまでの技術大国であったローマ帝国ですが・・・」 少し教授の話のトーンが変わる。講堂にいる学生の半数はすでに夢の中のようだ。 「この橋。つまりローマの水道橋ですが、現地ではなんと呼ばれているか、知っていますか?」 答える学生は誰もいない。いつものことだ。気にせず教授が続ける。 「悪魔の橋、と、呼ばれています。なぜか。人間の力では造る事の出来ない橋。 悪魔しか作れない橋だ、と中世ヨーロッパの人々は考えたのです」 ローマ帝国の各種の統治システムは21世紀の現代国家と同様、緻密で高度なものだった。 北からゲルマン人の侵入、東からイスラム帝国の勃興。 2つの新興勢力に挟撃される形で、ローマ帝国は分裂した。 各地の都市は放棄され、都市を支えた水道をはじめとするライフラインのメンテナンスも放棄された。 やがて保守の技術も失われた。 海には海賊が、陸には山賊が蔓延り、通商路も途絶した。 各都市は再び狭い範囲での経済圏で活動せざるを得なくなり、食糧事情も悪化した。 「ローマ帝国末期の普通の市民の墓と、帝国滅亡後の墓を調べたところ、 平均寿命も短くなり、体格も代わっておりました。」 もう講義を聞いている学生は数名のようだ。大半の学生は、 講義の終わったあとのことを気にかけているようだ。 技術は進歩もするが退化もする。 ローマ帝国の後、ヨーロッパに訪れたのは暗黒の中世と呼ばれる時代だった。 古から延々と受け継がれてきた、工学・医学・天文学・数学といった各種の知識は このとき一時忘れ去られ、 ヨーロッパは特定の宗教が支配する時代に入った。 ギリシャ、ローマの知識が見直されるのはルネサンスの時代を待たなければならない。 チャイムが鳴った。 「では今年の講義はこれで終わります。皆さん、良いお年を」 本をたたみながら教授が挨拶する。講堂にホッとした空気が流れ、 一瞬の間をおいて、がやがやと話し声が始まる。 学生の波が出入り口へ流れる。 ローマはあの時代の超大国であり、地中海世界のグローバル化を支えた存在だ。存在だった。 時代をリードする超大国の消滅。それによってもたらされたものは技術の後退。そして混沌。 ローマの滅亡と同時に、グローバルな地中海世界は失われ、地中海は分裂した。 「ふん・・・・。」ため息をつく。 すでに講堂には彼以外誰もいなかった。 「ローマ帝国・・・か。」本の文章に目を落とす。 彼の頭の中には、ローマ帝国と書かれた箇所がアメリカ合衆国と書き換えられているように思えた。 グローバル化を担保していた超大国の崩壊。 地中海世界を一つにするべく、ローマが築いた技術。 さしずめ、今回ならばインターネットに代表される情報技術だろうか。 東西冷戦の終結によって、唯一の超大国になったアメリカの覇権は30年余りしか続かなかった。 新自由主義によって暴走した資本主義は人類史上最大のバブルを生み出し、2008年にそれが破裂。 それをきっかけにアメリカは坂道を転がるかのように国際社会での存在感を小さくしていった。 2019年には在日米軍の撤退が完了し、海外に展開するアメリカ軍はもはや存在していなかった。 「分裂と混乱。停滞の時代・・・・か。」誰もいない講堂で一人彼はつぶやいた。 雪はいつの間にか止んでいた。
島根県隠岐諸島。 島根半島の北方50キロにある島々の海岸に見慣れぬ人々が上陸したのは まだ寒い1月24日の早朝であった。 金正日の死により支配の箍が緩んだ北朝鮮に対し韓国軍が北進。 世界の混乱のドサクサにまぎれて武力による半島統一を目論んだ韓国政府の行動は 各国政府の斜め上を行く発想で会った。 朝鮮有事の想定の多くは北の暴発をもって始まると考えていただけに、 各国政府は対応に苦慮した。近隣諸国であるロシアは欧州で、中国は台湾海峡と中央アジアで それぞれ戦線をかかえている関係上、朝鮮半島に対しての介入はないと韓国政府は判断した。 日本政府もまた、金正日の死により、北朝鮮軍が弱体化していると判断。 韓国軍の北進により北朝鮮政府は瓦解すると見込んでいた。 そのため、自衛隊・海上保安庁に警戒態勢をとらせるものの、 それはあくまで戦火を逃れた難民が日本海を越えてくることを想定したものであった…。 人口1万5千人(2009年現在21,984人)にも満たない小さな島々が緊張に包まれるまで 彼らが上陸してから数時間と要しなかった。 「おい! あんたたち! 大丈夫か?」 通報によって駆けつけた地元の漁師たちが彼らに声をかけた。 こんな小さな船で冬の日本海の荒波を越えて、隠岐に漂着した見慣れぬ人々。 そのみすぼらしい格好と、北朝鮮という国がどのような国か知っていた彼らは、 警戒心より先に同情心が先にたった。 救急箱や水筒、握り飯を手に彼らは漂流民たちに駆け寄った。 「*****!」 漂流民の中から声があがった。 ついで軽機関銃の音が海岸に響く。
都内某所 「国境を軽視してきたつけがきましたな。」 そういいながら老人が灰皿にタバコを押し付ける。 戦後日本の裏面史を見続けてきた老人の言葉には重みがあった。 いまだ衰えを見せていないその風貌に、 もはや妖怪ではないかと老人の対面に座る男は思った。 ささやかに言い返す。 「仕方が無いでしょう。わが国の国民感情を考えれば、 それにあなた方も積極的な支援をしてくださらなかった。」 さらに続ける。 「2010年でしたか、9年でしたか、対馬が韓国資本に買収されるという騒ぎがあったのは その後、調べによると奥尻島などの過疎地だけではく、横須賀ですら基地周辺の土地の 所有者はアメリカ人、中国人、ロシア人、韓国朝鮮人というではありませんか。 対策をとる、とらせる時間は十分あったと思いますが。」 日本に残された海外市場、アメリカと中国がそんなに大事なのか。 商売の邪魔になるからあんたたちが妨害したからだろう、 さらにそう続けたいのを堪え彼は黙って頭を下げ、こう言った。 「つきましては、安全保障会議を緊急に招集し、自衛隊に隠岐奪還および日本海沿岸の 安全維持の為、防衛出動を行いたく存じます。つきましては財界、特にマスコミ方面への 協力を要請したいのですが。」 老人からの返事は無かった。 沈黙の間、この国には一般の国民が知る由も無い深い闇が広がっていることに 思い至ったとき、彼の背中に冷たい汗が流れた。 老人の手が振られた。退出せよとのジェスチャーだった。 「よろしくお願いします。」 そう言い、深々と土下座した後、彼は立上った。 部屋から退出する彼の背中に老人が語りかける。 「ああ、総理。この混乱は我々にとって千載一遇の機会ではないかね。 存分に活かすとよいじゃろう…。」 老人はそういって目を閉じた。