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格闘家・桜庭和志」(2007/03/11 (日) 19:25:44) の最新版変更点

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【関連ページ】[[ファンの声]]|[[桜庭和志の過去]] ---- 桜庭の履歴のわかりやすいまとめ(参照:[[桜庭和志の過去]])をありがとうございます。 前の方の書いてくださった流れとは、少し違う切り口から桜庭和志という格闘家に光をあてさせていただきます。 **ホイス・グレイシー戦をめぐって 桜庭和志の存在が世間に広く認知されるようになったのは、今や伝説となっているホイス・グレイシー戦以降のことである。 この一戦を巡る桜庭の行動を通し桜庭和志という選手が只者ではないと気付いたファンも多かったようである。 当時グレイシー一族といえば、絶対に負けない試合をすることで知られていた。 ルールの許す範囲であれば勝つための手段を選ばない彼らは、勝利への執着という意味では、 現在の秋山を上回るなりふりかまわぬ雰囲気を漂わせていた。 違いと言えば秋山の場合ルールを破ってでも勝とうとするが、グレイシー一族はルールを捻じ曲げてでも勝とうとした点である。 当時グレイシー一族の得意としたのは、寝技で粘って相手のミスを誘い1本勝ちを収めるという戦法であった。 この戦法を思うように駆使できるようにルールを変えてしまえば勝てると考えたグレイシー側は、 あろうことかトーナメント戦にも関わらず、桜庭戦にかぎり特別ルールの採用をゴリ押ししてきたのである。 **不当なルール変更要求に対して グレイシー・サイドの突きつけてきたルールは、無制限でラウンドを重ねていき勝敗はKOかギブアップによってのみ決まる。 おまけにレフェリーストップは認めないという、トーナメント戦では有り得ないめちゃくちゃなルールであった。 だが当時不敗神話に彩られたグレイシー一族の参戦は興行の目玉であったため、主催者側はこの変則ルールを受け入れざるを得なかった。 このルールで寝技に持ち込めばグレイシー側の有利は動かない。主催者側のルール変更の受諾はグレイシー側の目論見通りだった。 だが、このルール変更を巡るやりとりをめぐって試合の勝敗以前に グレイシー側と桜庭和志という選手の人間的スケールの面での勝負がついた感があった。 グレイシー側のルール変更の要求を耳にした際の桜庭の最初のリアクションは、 「そんなことしたらお客さんはどうなるんですか?」であった。 つまり、無制限ラウンドにした場合、試合がいつ終わるのか予測がつかない。ファンの中には遠方から足を運んでくる人もいる。 場合によっては、全試合見られずに途中で帰らざるを得なくなるファンもいるかもしれない。 あるいは、終電車を逃して帰れなくなることだってある。 桜庭は勝負の行方以前に、観客が安心して試合を楽しめる舞台の提供を真っ先に考えていたのである。 事実この日の試合で、ホイスと桜庭は6ラウンド90分をフルラウンド戦い抜いている。 次の試合に向けていかにスタミナを温存するかが、勝敗を分けるトーナメント戦においては空前絶後の事態であった。 **桜庭のプロ意識の高さ この試合、桜庭はグレイシー・サイドにタオルを投入させグレイシー一族の不敗神話に終止符を打った。 だがそれ以前に観客の側は試合前からグレイシー・サイドと桜庭という男の人間的なスケールの違いを感じ取っていた。 自分たちが勝利することしか考えられないグレイシー一族。これに対し、自分の勝敗のことよりもまずファンの側の事情を気遣う桜庭和志。 勝負以前にグレイシー側と桜庭和志のプロとしての意識の高さの違いは明白であった。 プロとしては、観客のことを第一に考えるのは当然と言える。 だが自らの選手生命どころか文字通りの生命まで賭けた血戦に臨む前の選手が、そこまで観客の事情に配慮するというのは、なかなかできることではない。 観客を楽しませることを第一に考える桜庭和志の体を張ったパフォーマンスはファンの心を確実につかんでいった。 **桜庭の放つ光のわけ 2006年の大晦日の秋山戦でも、退場時桜庭は声を震わせながら 「お客さんも納得していないじゃないですか」と叫んでいた。 桜庭の観客のことを第一に考えるという姿勢は昔も今も一貫して変わらないのである。 桜庭にとっては、反則行為によって殴り続けられて敗退したことよりも、観客を楽しませられなかったことが何より無念だったようだ。 桜庭はこの日も観客のために満身創痍の体にムチを打ち入念にコンディションを整えてきたという。 人のために身を削って仕事をした経験のある人間はつい、そんな桜庭に自らの姿を重ね合わせ感情移入してしまうのである。 桜庭の放つ光は、観客のためなら体を張れるという心意気をもった男の放つ光といえる。 その意味では桜庭和志は、格闘家というよりもやはりプロレスラーといえるかもしれない。 なりふり構わず勝利をもぎとりのしあがっていくタイプの格闘家に桜庭が敗退することがあっても、その光まで消すことはできない。 だが、命がけのパフォーマンスの代償は大きく、現在の桜庭は全身故障だらけであると言われている。 ファンとしては、もう観客を楽しませなくていいから、体を大事にして残りの現役生活を幸せにすごしてほしいと願うばかりである。 格闘界には、桜庭和志というビッグネームを食って自分の名を上げようという野心を抱く選手も多いと思うが、そうしたファンの心情を汲み取り、せめて正々堂々と勝負をしていただきたいものである。 勝負で勝ちさえすれば桜庭を越えられると思うのは大きな勘違いなのである。 ---- 【関連ページ】[[ファンの声]]|[[桜庭和志の過去]]
【関連ページ】[[ファンの声]]|[[桜庭和志の過去]] ---- 桜庭の履歴のわかりやすいまとめ(参照:[[桜庭和志の過去]])をありがとうございます。 前の方の書いてくださった流れとは、少し違う切り口から桜庭和志という格闘家に光をあてさせていただきます。 **ホイス・グレイシー戦をめぐって 桜庭和志の存在が世間に広く認知されるようになったのは、今や伝説となっているホイス・グレイシー戦以降のことである。 この一戦を巡る桜庭の行動を通し桜庭和志という選手が只者ではないと気付いたファンも多かったようである。 当時グレイシー一族といえば、絶対に負けない試合をすることで知られていた。 ルールの許す範囲であれば勝つための手段を選ばない彼らは、勝利への執着という意味では、 現在の秋山を上回るなりふりかまわぬ雰囲気を漂わせていた。 違いと言えば秋山の場合ルールを破ってでも勝とうとするが、グレイシー一族はルールを捻じ曲げてでも勝とうとした点である。 当時グレイシー一族の得意としたのは、寝技で粘って相手のミスを誘い1本勝ちを収めるという戦法であった。 この戦法を思うように駆使できるようにルールを変えてしまえば勝てると考えたグレイシー側は、 あろうことかトーナメント戦にも関わらず、桜庭戦にかぎり特別ルールの採用をゴリ押ししてきたのである。 **不当なルール変更要求に対して グレイシー・サイドの突きつけてきたルールは、無制限でラウンドを重ねていき勝敗はKOかギブアップによってのみ決まる。 おまけにレフェリーストップは認めないという、トーナメント戦では有り得ないめちゃくちゃなルールであった。 だが当時不敗神話に彩られたグレイシー一族の参戦は興行の目玉であったため、主催者側はこの変則ルールを受け入れざるを得なかった。 このルールで寝技に持ち込めばグレイシー側の有利は動かない。主催者側のルール変更の受諾はグレイシー側の目論見通りだった。 だが、このルール変更を巡るやりとりをめぐって試合の勝敗以前に グレイシー側と桜庭和志という選手の人間的スケールの面での勝負がついた感があった。 グレイシー側のルール変更の要求を耳にした際の桜庭の最初のリアクションは、 「そんなことしたらお客さんはどうなるんですか?」であった。 つまり、無制限ラウンドにした場合、試合がいつ終わるのか予測がつかない。ファンの中には遠方から足を運んでくる人もいる。 場合によっては、全試合見られずに途中で帰らざるを得なくなるファンもいるかもしれない。 あるいは、終電車を逃して帰れなくなることだってある。 桜庭は勝負の行方以前に、観客が安心して試合を楽しめる舞台の提供を真っ先に考えていたのである。 事実この日の試合で、ホイスと桜庭は6ラウンド90分をフルラウンド戦い抜いている。 次の試合に向けていかにスタミナを温存するかが、勝敗を分けるトーナメント戦においては空前絶後の事態であった。 **桜庭のプロ意識の高さ この試合、桜庭はグレイシー・サイドにタオルを投入させグレイシー一族の不敗神話に終止符を打った。 だがそれ以前に観客の側は試合前からグレイシー・サイドと桜庭という男の人間的なスケールの違いを感じ取っていた。 自分たちが勝利することしか考えられないグレイシー一族。これに対し、自分の勝敗のことよりもまずファンの側の事情を気遣う桜庭和志。 勝負以前にグレイシー側と桜庭和志のプロとしての意識の高さの違いは明白であった。 プロとしては、観客のことを第一に考えるのは当然と言える。 だが自らの選手生命どころか文字通りの生命まで賭けた血戦に臨む前の選手が、そこまで観客の事情に配慮するというのは、なかなかできることではない。 観客を楽しませることを第一に考える桜庭和志の体を張ったパフォーマンスはファンの心を確実につかんでいった。 **桜庭の放つ光のわけ 2006年の大晦日の秋山戦でも、退場時桜庭は声を震わせながら 「お客さんも納得していないじゃないですか」と叫んでいた。 桜庭の観客のことを第一に考えるという姿勢は昔も今も一貫して変わらないのである。 桜庭にとっては、反則行為によって殴り続けられて敗退したことよりも、観客を楽しませられなかったことが何より無念だったようだ。 桜庭はこの日も観客のために満身創痍の体にムチを打ち入念にコンディションを整えてきたという。 人のために身を削って仕事をした経験のある人間は、そんな桜庭に自らの姿を重ね合わせつい感情移入してしまうのである。 桜庭の放つ光は、観客のためなら体を張れるという心意気をもった男の放つ光といえる。 その意味では桜庭和志は、格闘家というよりもやはりプロレスラーといえるかもしれない。 なりふり構わず勝利をもぎとりのしあがっていくタイプの格闘家に桜庭が敗退することがあっても、その心意気から発せられる光まで消すことはできない。 だが、命がけのパフォーマンスの代償は大きく、現在の桜庭は全身故障だらけであると言われている。 ファンとしては、もう観客を楽しませなくていいから、体を大事にして残りの現役生活を幸せにすごしてほしいと願うばかりである。 格闘界には、桜庭和志というビッグネームを食って自分の名を上げようという野心を抱く選手も多いと思うが、そうしたファンの心情を汲み取り、せめて正々堂々と勝負をしていただきたいものである。 勝負で勝ちさえすれば桜庭を越えられると思うのは大きな勘違いなのである。 ---- 【関連ページ】[[ファンの声]]|[[桜庭和志の過去]]

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