エウセピアのスケッチ その5

 エウセピアから見たクラウディアの周囲の人間模様。つまるところ、ハーレムにはありがちな水面下では修羅場っている様子ともいう。




 帝國侯爵エウセピア・ユリウス・フェブリアヌス上級騎士は、所属している独立近衛第101重駆逐大隊の副官を拝命していると同時に、神学の学士号を持つ従軍司祭でもあり、機神「クルル=カリル」の飛行教官資格持ちでもあった。副官職というのは、部隊の人事考課や、需品物品書類の管理、予算決算などの帳簿関係といった、部隊を維持する任務の責任者である。彼女が帝國軍人として正式に入営してから十年近く経つが、気がつけば随分と変わってしまったものだと思う。

「それでは、今月の大隊の需品管理の報告は以上です。報告書はこちらに」
「確かに受け取った。では受領の署名だな」

 旅団高級副官のダハウ騎士隊長に101大隊がこれまでに受領してきた各種物品の員数検査の報告書を提出したエウセピアは、書類受領のサインを貰って一息ついた表情になった。なにしろ軍規の緩んだ部隊では、帳簿を操作して需品を横流しして金をふところに入れてしまう不届き者のいるという。軍務省から監督官が来て検査するとはいえ、巧妙に操作された帳簿や伝票を全て調べるというのは不可能である。そういう事もあって、大体において副官職というのは歳若い生真面目な軍人がやらされる印象が強い。エウセピアも101大隊の古参士官らの中では、生真面目で頑固であると評価されていた。

「ダハウ高級副官、よろしいでしょうか?」
「何かね?」
「これは個人的興味ですのでお答えいただけなくても構わないのですが、軍大学を卒業後、副官職に付くというのは珍しいのではありませんか?」
「確かにそうだな。通常ならば軍団司令部付きの平参謀となって実務経験を積み、その上で省部幕僚を経てから旅団参謀職に就くのが普通の流れだからね」

 近衛騎士団の工部頭であるイサラと同郷のダハウ高級副官は、右手で綺麗に整えられたあご髭をなでると軽い口調で話を続けた。

「私の故郷のダルクス地方の民は、かつて魔族の「大侵攻」があった時に魔族側に下った者達の末裔だ。一時期とはいえ「冥王信仰」に帰依していたこともあったらしい。「帝國」建国後は「教会」の教えに立ち戻りそれは今でも続いているが、やはり過去は消せないものでね。「帝國」の歴史ではあまり良い扱いを受けてこなかった」
「はい」
「そんな我らが、今上陛下御即位より近衛騎士団にて重用頂き、さらには自分にも近衛騎士として勤務できる機会が巡ってきたのだ。これはありがたくお受けさせて頂く以外にはないだろう?」
「確かにお言葉の通りです。無神経な質問にお答えいただき、ありがとうございました」

 直立不動の姿勢から腰を折ったエウセピアに、ダハウ高級副官は軽く右手を振って「気にしなくていい」と済ませてくれた。


 101大隊本部に戻ったエウセピアは、明日の飛行計画書を書き上げたばかりのクラウディアの前の自分の机に座り、手早く書類の整理を済ませた。

「クラウディア」
「何? エウセピア」
「今の近衛騎士団、いえ、近衛騎士というのは、いかなるあり方を目指しているのでしょうね」
「実務的な意味で? 哲学的な意味で?」
「副帝陛下の意図的に」

 元々は修道女であったエウセピアが、還俗し近衛騎士となる事になったのも、副帝レイヒルフトの意思があっての事である。ありていに言ってしまえば、彼女から見れば、自分も含めて皇帝陛下の近くに侍るには相応しくない生まれ経歴の持ち主ばかりをかき集めて近衛騎士に仕立て上げているように見えなくもない。

「……それについては判らないなあ」
「率直に言うならば、近衛騎士として相応しい血筋に生まれ、経歴に傷が無い者は、黒騎士達を除けば、貴女とニクシア、ローザ、ロザリア、あと902では平騎士の何人かでしょう? 実績才能のある者と言えば聞こえは良いですが、逆に言えば実績才能があれば後は問うていないように見えます」

 かくいうエウセピアも、父がユリウス・アントニウス南方辺境候と共に決起した叛徒の娘であり、粛清を逃れるために俗世の諸々と縁を切って修道会に預けられていたという過去を持つ。それが今では「帝國」でもわずか七機しかいない機神「クルル=カリル」配備部隊の搭乗騎士であり、副官である。

「現状に問題があると?」
「いえ、あまりに愉快過ぎて、何故と問いたくなってしまったのです」
「……本当に変わったね、エウセピアも」

 楽しそうに嗤ったエウセピアの声に、呆れた表情になってクラウディアは座ったまま背伸びした。

「それが何かは判らないけれど、何か副帝陛下なりの基準があって選んでいるのだと思うよ。問題は、その基準が旧い近衛騎士卿らにとっては許しがたいものなんだろう、という事で」
「でしょうね。叛徒の子弟、非征服民の戦士、捕虜上がり、流れ者、と、副帝陛下の視線はどこまで届くのでしょうね。しかも選んだ人間ことごとくに外れがいない」
「君が何をそんなに愉しんでいるのか、その基準もわたしには判らないよ」

 くつくつと楽しげに嗤うエウセピアの事を、クラウディアは呆れ顔で見つめている。

「そうでしょうね。まあ、兵隊稼業も何か愉しみがなければやっていられませんから」

 自分が今とてつもなく黒い笑顔をしているという自覚はある。だが、それをクラウディアには隠す気もない。そして彼女も、そんな自分を無条件で受け入れてくれている。その事実がとても愛おしく愉しい。

「そういえば、フェイトはまだ強情をはっていますか?」
「アルファルデスのこと? 彼女の事を考えるそぶりを見せただけで機嫌を悪くするくらいだよ。そりゃ、自分の母親を殺した一味の一人だったんだもの。許せなくても仕方がないよ」
「ええ。殺しても飽き足らないほど憎んでいる相手が、自分が姉と慕う相手に一番信頼されていて、さらには殺すことも許されない。強情をはるくらい許してあげてください」
「……判っているよ。きっと君は言葉にしていない以上の理由があって、フェイトをかばっているのだろうけれど」
「本当に他意はありませんよ? フェイトは自ら望んで苦しみの中にいるのですから。それを外から他人があれこれ指図するのは僭越だろうと思っているだけです」

 エウセピアは、クラウディアに対してだけは嘘をつかない。つくつもりがない。彼女は本心で、心の底から、フェイトが憎しみにとらわれのた打ち回っているのを自業自得であると思っている。そして、その姿を見て愉しんでいる。その地獄の苦しみの先にある彼女の変化を見たくてたまらない。

「助けられないかなあ」
「己を助けられるのは、その人本人だけですよ。周囲は、それに手を貸すだけです。貴女が私に対してそうしてくれたように」


「アルファルデス上騎。少し時間をよろしいでしょうか?」
「何か? エウセピア副官」

 課業が終わって営舎の私室に戻る途中、エウセピアは廊下でアルファルデスとすれ違った。どうやらこれから食堂に向かうようである。

「内示はまだ先になりますが、貴女の昇進が決まりました。おめでとうございます」
「そうか」

 普通ならば喜びの一つも見せるはずの知らせに、この南方古人の浅黒い肌をした彼女は、特に表情を動かす事もなく一言つぶやいただけであった。
 アルファルデスの光を失った泥のような瞳を正面からのぞきこみながら、エウセピアは言葉を続けた。

「クラウディアは、貴女を正式に小隊長勤務につけるつもりです。席次は、私の次、無名の上に」
「……それで?」

 そのまま通り過ぎようとしたアルファルデスは、足をとめるとわずかに目を細めてエウセピアの紅い瞳を見つめ返してきた。

「これは正式に決定した話ではありませんが、101と902を編合して、重駆逐大隊として制式な編成にする話が出ています。クラウディアは、貴女を自分の中隊に入れたい様子です。どうします?」
「クラウディアの望む通りに」
「了解しました。では」

 聖職者にふさわしい慈愛に満ちた微笑を浮かべると、エウセピアは一礼してその場を立ち去ろうとした。

「待て」
「まだ何か?」
「お前は何を愉しんでいる?」

 表情の無い顔で、感情の無い声で、そうアルファルデスが問いかけてくる。その虚無めいた仕草の裏側にある彼女の苛立ちをエウセピアは「観て」とり、内心に湧き上がる悦びが表に出ないようにするための努力をすることとなった。

「人々の関わりあいと交わりあいを」
「私の昇進と昇任とで、クラウディアはどんな面倒にまきこまれる?」
「随分と直接的な質問ですね」
「聞くべきことだからな」

 全身から力を抜いてだらりとした格好で立っているアルファルデスの姿は、内心怒り狂っている時の無名のそれに良く似ている。今の彼女の立場は、無名の小隊の二番機である。それが上官を抜いて席次では上になるのであるから、色々と揉め事が起こるのは明らかであろう。

「無名は気にしませんよ。彼女は貴女を高く評価していますし、人としての器もとても大きい。その事を皆が評価しないのが不思議でなりません」
「それで?」
「フェイトも問題にはならないでしょう。彼女は意図して貴女を無視していますから。そして貴女がクラウディアのお気に入りなのも、今に始まったことではありませんし。彼女はクラウディアが決めた事ならば、最終的には受け入れますから」
「……お前は?」
「私ですか? 貴女がその実力に相応しい立場を得る事を喜ばしく思っておりますが。私は貴女の事を高く評価しているつもりですよ。アルファルデス・イル・シュア上級騎士」

 一瞬、アルファルデスから放たれた殺気に愛おしげな微笑みをもって返し、彼女がその名で呼ばれるのを嫌がるのを判っていてエウセピアはそう答えた。

「本当に残念です。貴女から友情と信頼を得られないのは」
「お前を信頼するだと? 魔族の囲い者になるのと同じくらいあり得ない。お前は、奴等よりもさらにおぞましい何かだ。そのお前にどう友情を抱けと?」
「ええ、本当に残念です。私は見たとおりの若造に過ぎませんのに。私は、今の貴女のことを心から好ましく思っているのですが」
「言うな。耳が腐る」

 そのドブ泥を煮しめたような光の無い瞳をゆがませ、アルファルデスは吐き棄てるように言い切った。

「何故クラウディアが、お前のような女を傍にはべらせているのか判らない」
「あの人は、貴女は私のような者を放っておけないのですよ。お判りでしょう?」
「判りたくないな。まるで私とお前が似た者同士のように聞こえる」
「そう申し上げているのですが」

 いっそこの場で殺せるならば殺したい、という表情を浮かべたアルファルデスに向かって、エウセピアは丁寧に敬礼するとこの場を離れた。
 独り立ち尽くすアルファルデスからの殺気を背に受けて、エウセピアは、とうとう愉悦に満ちた微笑を浮かべぬよう努力するのをやめた。


 今日は彼女にとって、悪くない一日であった。

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最終更新:2014年03月05日 23:12