「ラインの乙女」のスケッチ その1

 ケイレイ様が書き始められたマリエスの母国での隠密作戦に触発されて書き始めた、ゼニア共和国が「黒の二」対抗で開発を進めてきた機神「ラインの黄金」とその乗り手である魔導騎士「ラインの乙女」をめぐるスケッチの始まりである。これからどうストーリーをシェアしてゆくかは、互い次第ということで。



 どこまでも青い空を吹く風はからりと乾いていて、なびく黒髪を手の平で押さえたイリシアは、目の前に広がる緑野の鮮やかさに目を奪われたままであった。
 少女は、かつてはるか昔に侵攻してきた魔族が数百年にわたり逼塞しているシェオル半島を中原とへだたせている、カズムス山脈の北西のグニタヘイズ高原にある都市ヴァリンスヘイからはるばる旅をしてきた身である。街は高地地帯だけあって雲が低くたれこめ、朝夕には靄がかかる。木々は深く生い茂り、昼であっても視界は昏い。
 だが、今イリシアの目前に広がるミレトスの沃野は活き活きとした色彩にいろどられており、生命の躍動する息吹すら肌で感じられるような土地であった。

「綺麗だねー」

 呆然と立ちすくんでいるようにも見えるイリシアの隣に立った濃い目の茶色の髪を左右の側頭部でまとめた少女が、八重歯をのぞかせて一言そう呟いて屈託無さげに笑った。切れ長の眼を細めて笑う少女の微笑みはまるで悪戯好きな猫を思わせるもので、まとめられた二本の髪が風になびいていても両手を腰に当てたまま気にする様子もない。

「国が割れて相争っているようには見えません」
「人間なんてそんな程度のもんだって。「神々の頂」から下界を見下ろすって、こんな感じかも」
「カンパネラは、時々浮世離れした事を言いますよね?」
「これでも感傷に浸っているんだってば。ほら、あたしら下界に降りるのって初めてじゃん? イリシアあんただって浮かれてるでしょ」

 イリシアの腰に手を回したカンパネラは、そのままぎゅっと抱き寄せると彼女の頬に自分の頬をすり寄せた。ツインテールの少女はしばらくそうやってスキンシップを楽しむと、不意に身体を離して後ろに身体を回した。

「で、あんたはどうなの? キルクルシア」
「……別に」

 振り返ったイリシアの視線の先には、豊かで癖の強い黒髪を無造作に伸ばした少女が、その切れ長の吊り目を細めて仏頂面で立っている。キルクルシアと呼ばれた少女は、抱きつこうとするカンパネラを適当にいなしつつ、だが視線だけは目前の緑野から離そうとはしない。
 キルクルシアは、イリシアが初めて出会った頃からあまり感情を表に出さない娘であった。三人がヴァリンスヘイに送り出される事になったと告げられた時も、三人の「血筋上の親」と紹介された女性達と会った時にも、今のように仏頂面のまま黙っていた。
 だからといって、彼女がカンパネラにまとわりつかれることを嫌がっているという様子を見せたことはなかった。
 カンパネラいわく「一匹狼気取っているけど、狼って群れで生きているじゃん」ということらしい。たった三人だけでも、群れは群れということだそうだ。

「小休止は終わりだ。ほら、ボーっとしてねーで隊列に戻れ、小娘ども」
「小娘じゃないわよ。あんたと歳、そんなに変わんないじゃん」
「そういう言い草が小娘だっつってんの。お前らさっさとブルカかぶって顔隠せ。「古人」が生身さらしてんじゃねーぞ、オラ」

 見たところ二十台半ばの青年が、その三白眼をすがめて三人に注意を飛ばした。イリシアは「判りました」と答えて小走りに街道上の隊列に向かい、キルクルシアはフッと鼻を鳴らしてすたすたと早歩きでその場を離れ、カンパネラは「はーい」と答えはしたものの、ぱっと飛び上がって器用にも青年の肩に乗っかる。

「ちょ、おまっ、重いっつーの!」
「小娘だから重くないもーん。ほら、しゅっぱーつ」

 カンパネラは、青年の短く切られた茶色の髪に左手を添えて右手で前方を指差した。長身で体格のよい彼は、仕方が無いという風に軽く舌打ちすると少女の両足を支えつつ隊列へ向かって歩き出した。

「お前、俺達がここに何しに来たか判ってんだろーな?」
「「試し斬り」でしょ? ぱぱっと何機かやっつけて」
「それだけじゃねぇよ。機体の不具合を見つけてつぶすんだよ。そこんとこ勘違いすんなよ?」
「はーい」

 四人が向かう街道上の隊列には、多数の荷馬車に混じって二機の機装甲が膝をついている。そして二機とも見る者が見ればそれと判る逸品であり、彼らが只者ではないという事が明らかであった。まして神殿諸国ならば「神殿」が独占し貴人へと献ずる「古人」を三人も連れているなど、並ならぬことである。

「ちょっとお兄さん。わたしを無視して二人だけで仲良くしないで下さい」
「いつ俺がこいつと仲良くしたっつーの」

 色々と御満悦な様子のカンパネラを肩車した青年の袖を、いつの間にか傍に来ていたイリシアがつまんで引っ張る。ちょっとむくれた感じに頬を膨らませている姿は、見た目相応の少女にしか見えない。そんな彼女をなだめるでも突き放すでもなく、少し歩く早さを落とした青年は、ぶっきらぼうにそう答えた。
 そして、そんな三人から付かず離れずの位置を黙ってキルクルシアが歩いている。

「アンドレア・モラシーニ」
「おう、キルクルシア、なんだ?」
「馴れ合いは楽しいか?」
「……相変わらずお前は言葉を選ぶのが下手だな」
「黙れ」

 キルクルシアに名前で呼ばれた青年は、腹を立てるでもなし、そう軽くいなす。
 その言葉に軽く殺気を飛ばしてくるキルクルシアを無視し、彼は変わらぬ歩調で歩いて行った。


 イリシア達が向かっている先は、十年以上も前に「帝國」との戦争に敗北した王国であり、今は弱まった王権のせいで内紛が絶えないでいる紛争地帯であった。諸神殿や諸侯らが自分の勢力圏を守って、時に争い、時に共同して、自分の利益を追求している。つまり、いくらでも傭兵の雇われ口があるということであり、また色々と後ろ暗い真似をするのに都合の良い場所ということであった。

「あんどれあー」
「おう」
「旗印とか立てないのー?」

 カンパネラが天幕の中に敷かれた毛織物の上に寝転がって足をぱたぱたと上下させつつ、書き物をしているアンドレアの背中に声をかけた。

「立てねーよ、そんなもん。俺達は傭兵やりに来たんじゃねーから」
「……共和国親衛隊の騎士が傭兵など、「十人委員会」に処罰されるからな」
「当然それも違う」

 にぃ、と嗤ってそう茶化したキルクルシアの言葉にアンドレアは軽い突っ込みを入れ、紙の上にぱらぱらと砂をまいてインクを吸わせる。

「それは、まあいいです。それでお兄さん、わたし達はいつ出撃するんですか?」
「今手頃な相手を探してる。あせんなよ、待つのも仕事のうちだっつーの。お前ら、これが最初の実戦なんだから、気合入れていけよ」
「それも判りました」

 天幕の端っこで両足を抱えて座っているイリシアが、退屈そうな表情で横から話に入った。
 今四人が天幕を張っているのは、王国の中央を流れる川にほど近い丘陵地帯のふもとである。街道整備に手が回らない現状、河川や水路が物流の要となっている。当然、舟溜まりとなる町や村は諸勢力にとっては確保するべき重要拠点となる。そしてそういう町や村は、自衛のために諸勢力の庇護下に入って守備のための兵力を派遣してもらうか、自ら傭兵を雇って自衛することとなる。

「……中原から流れてきた傭兵騎士団が街道を通るっつう情報が入ってる。規模にもよっけど、そいつら相手に一発カマして色々確かめる」
「わたし達の実力とかですか?」
「そんだけじゃねーよ。機体の仕上がり、工部の作業量、装備の出来具合、確かめなきゃなんねーことなんて、いくらでもあんだよ」
「そうですか。……それで、「帝國」が騎士を送り込んできたら、やはり戦うのですか?」

 抱えている膝をぎゅっと抱きしめたイリシアが、少し硬い声でそう言葉を続けた。少女の言葉に、カンパネラもキルクルシアも口をつぐむ。
 インクの乾いた書類を手早くまとめたアンドレアは、不機嫌そうにその太くて濃い眉を寄せた。

「お前らが「帝都」神殿本社所属の神聖騎士だっつーのは、こっちもよく理解しているってーの。向こうが「帝國」の旗を掲げているってんなら、手はださねーよ。だけどな、互いに身分偽装しているっつーなら話は別だ。そん時はこっちも気合入れてゆくぜ」


 少女達を天幕に残したまま、書類を抱えて外に出たアンドレアは、いくつも並べられた天幕のうち最も大きなそれに入っていった。

「騎士モラシーニ、入ります」
「入れ」

 がらがらとした声で出された許しを受けて、アンドレアはその天幕の中に入った。中には彼よりもさらに二回りは分厚い身体をした中年の眼鏡をかけた男が、机に向かって書類に目を通している。男は一度眼鏡越しに彼の事を見ると、一言「楽にしろ」とだけ口にしてまた書類に視線を落とした。

「彼女らの様子はどうだ?」
「緊張していますが、悪くはありません。最初は適当に弱い相手にぶつけて経験を積ませれば、次からはさらに上手くやれるでしょう。勝利の気持ちよさに逆らえる騎士はいません」
「そうか。ならば都合の良い相手がいる。キオスの町の太守が雇った傭兵騎士がこの先の舟溜まりの守備につくために移動している。機装甲一機に機卒三台というところだ。これを強襲する」

 書類に一通り目を通し終えたのか、男は手元の書類をまとめて机の脇にのけると、地図を一枚広げて一点を指先で突いた。アンドレアは地図に視線を落とすと、軽く目をすがめた。

「ここの丘陵が奇襲にもってこいですね。町から適度に遠いですし、退路の確保も楽そうです」
「ではそこで相手を攻撃する。最初に出撃させるのは誰にする?」
「カンパネラが一番調子が良さそうです」
「では「ヴェルグンデ」を出撃させる。「ラインの黄金」の整備は順調だ。明日中に最後の微調整を終わらせろ」
「判りました」

 陽に焼けた浅黒い肌をした男の命令に、アンドレアは背筋を伸ばして敬礼した。
 天幕を出たアンドレアは、そのまま少女らの天幕に真っ直ぐ戻ろうとはせず、機装甲工部らが機体の整備を行っている作業場に足を向けた。
 そこには昼間隊列に混じっていた二機の他に、真白いほっそりとした、しかし発する気配は二機を圧倒する機体が整備を受けていた。

「よう、進捗状況はどうだ?」
「はっ! 明日の朝第五刻には三機とも仕上がります」
「そうか。出撃がある。そのつもりで仕上げてくれ」
「判りました!」

 機装甲工部らの報告を受けたアンドレアは、真白い機体を見上げて軽く頭をかいて呟いた。

「機神「ラインの黄金」の初陣かよ。「帝國」の「黒の二」を上回らねーとなんねーっつうのがきついんだけどな」



タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2014年05月11日 20:13