アスラン 貸出先 (5)
扉を叩かれて、アスランは跳ね起きた。まだ寝入りばなだ。
「何か!」
「黒騎士小隊長より伝令。小隊騎士は、駐屯地本部へ集合。以上」
「了解した」
何があったのだろう。戦時でもない、国内だ。アスランは起き出し、着替えを始めながら考える。
今日までのところ、はっきり言って、派遣されない方が良かったんじゃないかと思うくらい、雑務ばかりだった。この砦への移動だって、駐屯でも即応支援待機でもなく、施設点検および情勢確認であったりする。
南方辺境での、辺境貴族の防備義務と、帝國軍の国境警護任務とはずいぶん整理されていて、任務の主体は、帝國軍が担いつつある。この陣地も、その任務を負う帝國軍部隊の駐屯地で、有事の集結地点の一つであり、平時の伝令通信中継点でもある。
第506黒騎士大隊も南方軍の即応部隊に指定されている。だから必要に応じて派遣先部隊に配属され、その指揮を受けることになる。ただし、黒騎士大隊は使用機材は、他の帝國軍部隊とは異なっており、その戦闘力発揮は、使用機材、黒の二の状況次第となる。黒の二は高い走破性と、頑強さをもっていて、アスランもずいぶん世話になったけれど、まったく入れ無しというわけには行かない。小隊ごとに機側部材を随伴もするが、その時には随伴馬車、輜重車のために移動速度が落ちる。機敏な出動にはならない。
そこで黒騎士大隊は前方陣地に、部品部材を僅かだが備蓄することとしていた。もちろん、その管理は前方陣地で行うのだが、要するに梱包のまま置かれっぱなしでもある。それを定期的に検査するのは黒騎士大隊の任務で、それに加えて、黒騎士大隊側からの経路検査や、前方陣地から先の地形確認なども行う。要するに雑用ではないか、とアスランは思っていた。
その雑用で、国境めぐりをしている。国境は川沿いだけれど、国境防護機能は、その後ろ側にある。川岸沿いに壁が立てられているわけではない。古くからある町や村、河港、すこし内陸にある入植都市、諸侯の砦、帝國軍の施設、諸々が結び合っている。それ自体は、アスランの知らなかったことで、見ていて興味も尽きなくあったのだけれど。ここはそんな砦の一つで、普段は管理や、前方の監視哨への補給の部隊しかいない。
その砦で、就寝時間後の呼び出しとは何だろうか。即応体制確認だろうか?いや、フラウクス小隊長は、そんな権限を試して楽しむような人ではない。内戦上がりで、まだ引退は考えてないけれど、いくさその物には飽きかかっている、と本人が言っていた。まあ、世間では好男子の範囲なのだろう。腕は黒騎士なりのものだ。氷の術遣いで見た目より強い。アスランはまだ勝ちと言っていい一本を取れていない。
アスランが着替えを終えて、部屋を出ると、ちょうどマシュリアも部屋から出てくるところだった。
「こんなこと、良くあるんですか」
「はじめて」
寝入りばなを起こされたからだろう、マシュリアはむっつりと不機嫌だ。彼女は夜の中をさっさと歩いてゆく。待っていたはずの伝令が慌てて追いかける。
前方陣地はだだっぴろい。部隊移動の中継をおこなうからだ。いざとなればここ自体に委託して戦う、だから永久陣地でもある。陣地本部は、その中央にある。そこはほぼ天守と言ってよく、本部施設棟に沿って、物見塔を兼ねた信号連絡塔が立っている。陣地をさほど暗く感じないのは、その灯明塔の石窓から、光が漏れているからだ。
その窓の蓋を開け閉めして、点滅信号をつくる。灯明が見えるのは、信号塔が受信見張り体勢にあることを示している。
本部は、すこしざわめいている。立哨の立つ入り口を通って、伝令は本部奥の指令室へと導いた。
「黒騎士小隊、マシュリア騎士長以下二名、到着」
「小隊長了解」
フラウクス小隊長は、いつもの明るい、聞きようによってはふざけてるとも思える口調ではない。いつも通りに袖を折ってまくった腕を組んで、壁際から、地図卓を見つめている。地図卓を囲んで、駐屯地本部の者らがいる。あまりあわただしくは無い。
「何が起きてるの」
マシュリアは、フラウクス小隊長の隣へと歩み寄る。小隊長は、まだ判らん、と低く言い、それから続ける。
「河岸国境の向こうらしい」
「アル・ダキア?」
マシュリアは壁の黒板を見る。今日に受信確認した灯明信号の文言が書かれてる。時刻に続いて、たとえば系統信号線、発:XX砦 内容:見ゆ。対岸、大、炎。状況不明。
当該の砦は、刻々情勢を知らせてきている。たとえば、砦は総員起こし待機中。炎は対岸町のさらに向こう。騒擾聞く。砦は斥候を河岸に派遣す。河岸に異変なし。YY町には事態通知伝令派遣。そういったことだ。
「こんなことって、良くあるんですか?」
アスランが問う。フラウクス小隊長は腕組みをしたまま器用に肩をすくめる。それが答えで、答えてもらってから、それはその通りだろうとも思った。黒騎士大隊は、緊急派遣され、配属され、指揮下となるだけだ。現地のことは、おおよそのことしかわからない。なるほど、だからこうして、定期的に黒騎士小隊の側が巡察するのだ、と納得もした。
「夜間出撃ですか」
「必要ならそうする。向こうの匪賊団の機装甲が、川を渡ってくるなら、な」
フラウクス小隊長は当たり前だろ、と言う風に応じる。つまりそれは、まずありえない。国境の河ほど大きな川を渡るには、渡し船を使うか、それとも瀬を歩かせるしかない。瀬を使えば、機装甲や機卒が歩いて渡れる。
そして、やっと気づいた。灯明信号で報せを送ってきているのは、その瀬を見降ろす砦だ。アスランは皆の邪魔にならぬように、そっと地図卓へと歩み寄る。広げられている地図は、その砦を中心にしたもので、信号の順に覚書が、そこに相当するところに置かれている。炎を見た、とするところにそれを書いた紙片が置かれ、砦には総員起こしの覚書、騒擾が聞こえたとする向き、それは炎を見た向きと同じだ。
そしてその砦から見降ろすところには、瀬がある。瀬があるから、砦を作った。背後には、そのあたりを知行地とする貴族の町がある。YY町だ。そこにも伝令派遣された、と覚書が載っている。
町は城壁に囲まれている。地図に記されているのは、対銃対機卒の標識だ。砲に耐えられるほどではない。それは合理的な考えでもあって、瀬を砲をもって渡ってくるような、大きないくさともなれば、諸侯だけでなく、南方辺境全体を交えた、大いくさになるだ。その時には町を捨てて逃げることになる。
だが、そうはならないだろう。アル・ダキアの混乱は続いている。王国の力を注ぎ込んだ軍勢などは、もう無い。アル・ダキアには、匪賊団が闊歩し、諸侯も手を付けかねる、というより、諸侯も王権に従わず、中には匪賊同然のものもいるらしい。そういったものが、調子に乗って帝國側に入り込み、略奪を行うこともある。
もろもろあって、国境は封じられ、瀬を渡るものは限られている。帝國軍は、南方軍司令以上の命令、ないしは、南方辺境公の要請に基づかねば、渡河してアル・ダキアに入ることは許されない。諸侯軍勢も、南方辺境公の許可なしには、渡河できない。
つまり、戦うことがあるなら、南方辺境内でだ。
「・・・・・・」
アスランは振り返って、フラウクス小隊長を見た。小隊長は、別に何でもない、という顔をしている。戦うのは、俺たちで、それが当り前だろう、と言う風に。
今、この辺りに居る機装甲部隊は、アスランたちの小隊だけだ。それも、ありえないほど運よくいるだけだ。機装甲連隊は、ここ、前方陣地のはるか後方にある。やむを得ない。平時の連隊の任務は、国土防衛のみでなく、部隊錬成と練度維持だ。機装甲は動かすだけ部品を使い、手入れが要る。前方には置いておけない。
徒歩兵相手でも、機装甲の力は絶対と言っていい。それは北方での戦いで、アスランも思い知っていた。踏んでも蹴っても蹴散らしても、機装甲そのものにはどうということはない。やりたいと思う事でもないけれど。気をつけねばならないのは、大口径銃や、梱包爆薬、刺突爆雷のようなものだ。そういったものを備えさせないように、歩兵の中に斬り込まねばならないこともある。
今度は、どうなるのだろう。
「・・・・・・」
扉が荒々しく開かれる。開いた従卒は、陣地指揮官のところへ向かってゆく。その手の覚書を読み、陣地指揮官は顔を上げる。
「聞け。管区大隊には対処準備命令が下された。総員起こし」
「総員起こし!」
すぐに従卒が部屋を駆けだしてゆく。起床を命じる鐘が叩かれる。それを聞きながら、陣地指揮官は続ける。
「指揮系統を確認する。在地黒騎士小隊は、管区管理総則に基づき、臨時に管区大隊指揮下に入る。指揮は本官が取る」
「黒騎士小隊長了解」
フラウクス小隊長は、さすがに結んでいた両腕をほどき、背を伸ばしてかかとをあわせる。マシュリアも、アスランもそうした。これで黒騎士小隊は、この管区の防衛戦闘に参加することになる。黒騎士小隊が戦闘を前にして退去することは、まずない。
やがて、在陣地部隊の各級指揮官が集合し始める。各級、と言っても中隊規模の銃兵の他は、ここを中継してたまたまいた輸卒の指揮官くらいだ。陣地指揮官はその皆を見回す。
「諸君、聞いてくれ。国境外で、騒擾が観測された。管区大隊には準備命令が下された。よって在地部隊は全て、臨時に管区大隊指揮下に入る。ただしまだ、帝國国境が侵犯されるには至っていない。あくまで予備的な対処である」
陣地指揮官は続ける。これまで、アル・ダキアの情勢は混迷を深めていた。アル・ダキア内部情勢の変化によって、混乱が帝國に波及する可能性については、すでに警告を受けている。よって、当部署は、当通達に従い、対応準備に入る。
「陣地部隊は出動準備の上、待機。陣地利用中の部隊は、即応態勢を整え、待機。情勢が変化した場合、追って通知する。以上」
「小隊長はここで。あたしとアスランで、小隊の準備をしてくる」
「頼むわ。即応体制について口うるさく言ってた俺らがもたついてたら話にならん」
「りょーかい」
軽い口調でマシュリアはひらひらと手を振り、歩きはじめる。アスランと二人を、指令室の人らが横目で見送る。
黒騎士ではないアスランだけれど、黒騎士であるということが、どういうことなのか、少しわかった気がした。
これは、もっともおとなしいプラン。
アル・ダキアでバルバレスコを回収する案が、これ以外にあった。
もう一つは、アル・レクサに浸透偵察する案だったけど、さすがにそこまでの作戦はさせられないw
というわけで、次点案の帝國内活動、と。
最終更新:2015年04月17日 00:34