「まさか」
アウルスは肩をすくめる。その肩を、金の髪がうねって流れる。その茶の瞳が面白げにマルクスを見たあと、ふたたびアムリウスへとむけられる。
「私の役目は、モノケロスを倒すことじゃない。モノケロスの居られるところを限って、北方軍の行動余地それ自体を減らすことだった」
アムリウスは応えなかった。変わらず椅子についたまま、表にも何も現さなかった。アウルスのほうは世話話でもするように、机に腰掛けるように身を預け、それからアムリウスのために淹れてあったお茶を己のもののように飲んだ。
アウルスは言う。それは偵察でもあり、陽動でもある、と。デインデの力をもって現れれば、敵は応じざるを得ない。威力偵察だ、と。
彼は楽し気ですらある。この学院に入ってくるには、ある程度の手管が要るはずだが、アウルスはまったく何事でもないかのように、ただここを訪れ、この部屋へと入ってくる。
その彼の一門の機神デインデ・ヴァレリウスと、アドルファス一門の誇る機神アルブム・モノケロスとの空の戦いは、実はあまり民草に知られていない。それを目の当たりにしたものがあまりに少なく、モノケロスとアルトリウス皇子のレギナ・アトレータとの戦いのような伝説を生むことはなかった。むしろ何が起きたのか、知られないままのほうが良いと思っている、などとアウルスは言った。その二柱の乗り手が二人とも、マルクスの前でその話をしている。
「デインデに拮抗するのはモノケロスだけ。ならばモノケロスは、主攻とデインデを勘案したところから離れられなくなる。はずだった」
言葉を向けられてアムリウス神父は、やや憮然と応じる。
「陽動、というより扇動という方が近かっただろう。教会領を空中から攻撃すれば、モノケロスを吸引できると、君たちは考えたんだろう」
「純戦術的な意図で行ったことが、排他的な手段で行ったがために戦略的な意味を持ってしまった。北方軍諸侯の分散傾向は強まり、それぞれの家門が家門にとっての拠点と、一門の機神を比較的強く結びつけるようになった。機神でなければデインデに抗することはできないからな」
失敗だった、とアウルスは言う。現実にデインデでほかの機神とわざわざ戦うことはしなかったのだが、と。
「それら拠点は北方全体を分散防御陣地にしてしまった。皇帝軍は時を追うごとに要塞化の進むそれらを、一つずつ撃破してゆかねばならなくなった」
「それは君自身を過大評価している」
アムリウス神父は、アウルスに勝手に飲まれてしまったお茶の器を引き寄せる。
「前にも言ったが、北方はもともと諸侯間の違いが大きい。地域的にも、系譜的にもだ。北方全体を取りまとめることは年を追うごとに難しくなっていった。北方が一つの集合であり続けたのは、皇帝軍の苛烈な懲罰政策があったからだ」
「その結論を共有できたのは、残念ながら内戦が終わってからだ。皇帝軍は北方の団結を破砕することができると考えていた。力で。君の言った通り、諸侯間の違いが大きいことも認識していた。そして懲罰的施策に傾いて行ってしまったのは、皇帝軍の持つ目的指向性の強さによるものだと、我々は合意したではないか。認められるか、認めえぬかというところを基盤にしたからこそ、容赦なく戦うしかなかった、と」
マルクスの前で、二人はよくこのように議論をした。唇を引き結び、憮然とした風にお茶を飲むアムリウスは、いつもよりも頑固にふるまっていたし、一方、アウルスは冗談を好んでいるように見えて、時には毒と言っていいほどの言葉を吐いた。いずれも、普段は見せぬ一面でもあった。それは二人が内戦でともに受けた傷のかたちなのだろうと、マルクスは思っていた。
アウルス・ヴァレリウス・ロムルス宮中伯は、まるでマルクスに合わせるように、この学院に姿を見せるようになった。時にはマルクスの立てた聴取予定とは全く違ったことについて、アムリウスと激論を戦わせる。今日の流れはまだよい方だ。マルクスは正直言って迷惑にも感じていた。皇帝軍の対北方態度など、マルクスの研究の範囲外だ。だが同時に、排他的に空を飛ぶ機神の働きが、諸侯の意識判断にいかほどかの影響を与えたか、というのは面白い視点ではある。面白いが今でなくてもかまわない。
彼の行動がどれほどの影響だったかはともかく、その結果、北方は機神モノケロスと黄色中隊の自由を得ることになった。キュエリエ教官やディートリンデ・ヴィルケ教官らのいた、あの黄色中隊だ。時にはモノケロスと緊密に、時にはあえて離れ離れに戦った。
北方辺境候の本隊、その皇帝軍突破を援護するために。皇帝軍は、その北方辺境候本隊とだけでなく、北方諸侯とそれぞれの領地で、また隣国の干渉とも戦わねばならなかった。
北方諸侯の領地は、ゴーラ湾へと向かう川によって分割されていることが多かった。河岸を防壁とし、橋を要塞とし、皇帝軍を一歩も踏み込ませまいと激しく戦った。皇帝軍もまた、これを力押しに押し割り、そして領地が二度と皇帝陛下に手向かい出来ぬように、清野とした。焼き、壊し、踏みにじった。疲れ切ってはいるが、怒りに煮えたぎる生き残った軍勢は、次の領地へと退却して再び戦った。そのほかのことは、何物にも残されていなかった。領地のすべてが失われた諸侯の軍勢すら、部隊だけが生き残って戦い続けたことは、少なくなかった。
それが北方戦とだけ呼ばれた、あまりにも苛烈ないくさだった。レオニダス公爵家も成人していた男子をすべて北方で失った。ノイナの父もその一人だ。マルクスは、ほんの数年遅れた。マルクス達90年卒組は北方に送られることは無かった。士学の90年卒組は終焉を迎えつつあった内戦の後始末のために各地へと送り込まれていった。基礎教育を与えられ、皇帝軍としての秩序を与えられ、そのうえですぐに役立つよう戦訓の教育を受けた、ほんとうのいくさを知らない者らだ。トイトブルグ事件も、メクレンブルグ戦争も、内戦の引き起こした余波に過ぎない。
北方戦の厳しい戦況が、デインデの扇動攻撃から作られていったなどとは、アムリウスをして認めがたいのはわかる。同時にアウルスをして、そこにかかわった己自身を否めないとも思っている。事実はどちらかにあるのではない。アウルスの言ったようなきっかけから始まったところもあるのだろう。しかし北方全体からすれば、アムリウスの言う通り、戦いの中で推し進められたことだ。全体についてはアウルスも認め、合意している。しかしいくさは人の人なる本質に潜ませた獣性も開放する。彼ら二人がこうして語りえるのは、刻が流れたからこそだ。部分的には、北方軍の反撃が成功して、皇帝軍から占領地を奪還したこともあった。その時に、さらに目を背けるような、凄惨な制裁もあったのだ。
それらすべてが北方戦であった。そして二人は、不意に議論を途切れさせることがある。
「・・・・・・」
北方のいくさの本当の終わりは、皇帝陛下の大赦の詔だと、二人は考えているらしい。
そうなのだろうともマルクスは思う。その人が生まれ、在った、ということのすべてを消され、隠されていたリランディア陛下を、皇帝と認めえるか。それは内戦の末近くでは、もはやいくさの理由ではなくなっていた。ゆえに大赦の詔はありえたのだ。すべての敵を打倒し、リランディア陛下はたしかにただ一人の皇帝である。
ゆえに、赦す、と。
しかし、赦しがなければ、国は再び一つになりえなかった。帝國とは、帝國なのだ。赦しがなければ、再び相互いに争っただろう。赦しがなければ、元老院に再び集うことなどできるはずがない。それは双方共への赦しなのだ。そしてすべてを失おうとも、皇帝陛下の赦しただそれだけは、皇帝陛下に首を垂れ、帝國に在って至上の忠誠を誓うかぎり、下されるのだ。
そして赦しをしめしたその時こそ、リランディア陛下への臣民の目が、国母を見る目へと変わり始めたのだとも。あるいはカタリナ殿下ら教皇庁が三教会と宗派との分け隔てない救済を行うことで、教えさえ打ち砕かれた北方への許しと、癒しになっていることも。アムリウスが修道士となるのは彼自身にも北方にとっても当然のように思われていることも。
「時刻はいいのか」
アムリウスは不意に問う。アウルスは懐中時計に触れるまえにすでに知っていたようだった。立ち、それから隠しから取り出した金の懐中時計を手の中で軽くもてあそぶ。やがてそれは、莉々と軽やかな音を立てる。
「残念だが、アムリウスの言う通りのようだ」
「皆によろしくと伝えてほしい」
「承知した。また会おう。飛行倶楽部の諸卿」
「ここは神聖な学院だ。君の倶楽部の場ではない」
「いつしか君たちのために作った場へと招待しよう。今日は失礼する」
彼は入ってきた時と同じように軽やかに扉を開き、歩み去っていった。静かに閉じられた扉の余韻だけを残して。
「許してやってくれ」
アムリウスは言う。そしてかるく頭を振る。
「私がそんなことを言うのは妙だな。彼は彼なりの考えでここにきているだけだ」
「わかっていますよ」
彼、アウルスがこれから北方に向かうのは察していた。教会もかなりの精力を北方に傾けている。それを実際に動かす実務の者は要る。
平時の知行、統治に関わるもろもろの膨大さは、一時的にすぎない軍事作戦を上回る。それは道が常に使えておれば良い、というものではなく、道なら道、川なら川に関わり生きる民草が、安んじて生きられねばならない。世を納め、民を救うとはよく言ったものだが。
アムリウスはお茶の器を静かに置く。ただそれだけで、口を開くことはなかった。今でも北方では餓死者が出るという。知行で餓死者が出るのは恥だ。そう言っていたのはレオニダス太宗公爵のミノールだ。だが北方ははるかに大きく、はるかに人も多く、そして荒れ果てている。元老院をして苦言が止まらないほどの国富が注ぎ込まれ、それでも今の北方辺境候は芳しい答えを出せず、自裁をもって北方支援の抜本的枠組みの改変を訴えざるをえなかった。そのカリナス・アドルファス・アレクシス北方辺境候と、アムリウス神父は同家門、アムリウスのグスタファス家は宗家であって、カリナスのことは知っていただろうとマルクスは思う。
アムリウスとて内心は穏やかではあるまい。当人は一介の聖職者であると言っても、現実には北方に容易に足を踏み入れることはできない。北方諸侯が私軍を糾合し、オスミナへ踏み込んだのは記憶に新しい。実際、対応急行した部隊の一つは13連隊だった。マルクスもその処理出動を共にしたのだ。
北方はわずかな動揺で崩れかねない。新しい北方辺境候はまだ若い。連合王国に戦勝をもって相対し、グスタファス時代の占領地を返還して、軍備負担を減らした辣腕であったとしても。またその後ろ盾に、それとわかるように副帝陛下が立っているとしても。
しかし、副帝のその姿があるところ、何かが変えられてゆく。何かへ変えられてゆく。誰も知らぬどこかへ押し流されてゆく。帝國の者は、それをよく知っていた。痛いほど知っていた。
「軍大の同期に、北方の者がいます」
口を開きながら、しかし、そんなことを口にするつもりは、マルクスには無かったはずだ。ただ重苦しいこの気を振り払いたかったのかもしれない。今の帝國軍には、旧の皇帝軍、北方軍を問わず、北方辺境のものが多くいる。北方の知己など、一人や二人でぇあ内。だがアムリウス神父はマルクスへ目を向ける。アムリウスもマルクスと同じ思いだったかもしれない。
「ほう」
「逃げられているので、話もできない」
マルクスの士学の先輩、指導担当学生もそうだった。今彼はどうしているだろう。つなぎもつかなくなっている。しかし、マルクスが思い浮かべていたのは、別の姿だった。
軍大で一度だけ、同席した相手だ。図書館で、一つの本を読んだ。
「そんなものさ」
そうアムリウス神父は言う。だがマルクスが避けられるようになったのは、あちらへ踏み込みすぎたからだ。マルクスと同じだったはずの講義からも姿を消していた。そこまでされれば、察せざるを得ない。つまり、本当は、顔も名前も知られてはならない者だった。彼は何者かに守られている。彼を守り、そして軍大で学ばせる者など、一人しか思いつかない。
それを打ち明けるのは迂闊すぎるだろう。誰に対しても。
「友人は、自ら求めるしかない」
不意にアムリウスは言った。
「憎んでいても、やがて気づく。同じ刻を歩んだかけがえのない巡礼の同道者なのだからな」
「自分は憎まれているほうですよ」
「君は強引すぎる」
「そうでしょうね、たぶん」
「お若いの、これでも私は聖職者だ」
らしくない口調で、アムリウス神父は言う。そして己でもそう思ったようで、苦笑交じりに声を改める。
「いや、すまなかった。自戒が混じると、どうにも自分に照れを感じてしまう。これは本心からだ。私は聖職者だ。誰とでも話ができる。私にできることなら、君のために何でもしよう」
アムリウス神父は言う。それから指を上げて、軽く護法の印を切って見せる。
君と、君の友人たちに、祝福あらんことを、と。
まあ、例によってそれはそれ、としてしまうのだが。この話は96年の秋か冬かで、アムリウスが、クルル=カリルのアドバーサリー役をやるのはもっとあと、ということになる。モノケロスで0号機相手にアドバーサリーをやるわけだから、アムリウスがヴェルキンと引き合わされるのは間違いない。
余談だが、0号機でも乗り手次第でモノケロスと互角に戦いうるなら、フォーメーション戦闘で量産機が互角に戦えればよいわけで、クルル=カリルはターゲットとしてもプロジェクト管理としても、これまでの帝國の機神計画の最高度に洗練されたものとなるのだろう。フォーメーションでモノケロスと戦いえるなら、6柱のクルル=カリルで帝國の空にドミナスを構築し得る。さらに0号機まである。実に帝國らしい冷徹さだと思う。そしてこれ以上のものを、カタリナ様はその治世で作るかどうかはわからない。
いや、カタリナ様にはユリアヌス殿下という最高傑作があるのだけれど。
余談の余談だが、この流れからすると、モノケロス対鑓の機神のスパーリングも間違いなくあるだろう。モノケロスがフィンファンネルを使えるかどうかはわからないがクルル=カリルに相対するのとは違った戦術を、鑓の機神に求めるだろう。マルクスの腕では互角には戦えまい。だがアムリウスが良しとせねば、クルル=カリルの出撃に同道はできまい。クルル=カリルの戦闘時に、グイン・ハイファールが出てきたときに、逃げ回っているようでは話にならないからだ。戦域では離脱することで目的を達成できるとは限らない。/余談
アムリウスとヴェルキンは、まあ間違いなく「私は聖職者だ」「自分は爵位を売り払っております」のやり取りはあったはずだし、どちらともなく笑い始めて「選べる道は限られているものだな。よろしく頼む」ということになるはずではある。そっちを書けばいいのはわかってるんだが、やはり自分の一分、というのは考えざるを得ない。
実は書いているときに、オスミナ事案13連隊が出撃してるだろうことを思い出したのだけれど、越境収容をシル子が直卒する可能性に思い至ってほくほくしている。国境に展開して、収容するだろうけれど、最後の最後まで残っているヴェルキンらの殿部隊は、見捨てられる危険はあった。
シル子は見捨てるだろうか。僕の中の彼女は、さあ、どちらでしょうねと謎の笑みを浮かべている。ならば行ってもらおう。黒騎士小隊を直卒した彼女にできないことを探す方が難しい。