マルクスの前に魔力が溢れ出し、まばゆい光とともに転移の門が開く。
魔導アカデミアの導師たちはこうやって、時も宙も物事すらも操る。それ以外のことは些事に過ぎないと思っているかのように。現れたのは魔導アカデミアが導師の色と定めた、あの体に沿った服を纏うものだった。うねる金色の髪は後ろで編み、その顔と肌は南方人らしい濃い色をしている。そして青の瞳でマルクスを見据える。その服には軍務嘱託の印がある。そのうち1つはクルル=カリルに関わるもの。いくつかはマルクスも知らない徽章だったが、それこそ知ったことではない。
「エレクトリア・イル・タルテソシア導師ですね。自分は・・・・・・」
「承知しております。ケイロニウス・レオニダス近衛騎士卿マルクス殿。ご要件についてもいくばくかはすでに知らされております。こちらへ」
新たな転移の門が開かれる。マルクスは問う。
「神具とともにでも」
「承知しております。お構いなく」
ならば今更恐れることなどない。手にした鑓の機神の神具とともに転移の門へと踏み入れる。
次に現れたところは小部屋、というより小さな執務室だった。思っていたのとはまるで違う。転移門を閉じたイル・タルテソシア導師は言った。
「ここは旧の僧兵の使っていたところ。今も使われています。教皇の直接の所掌となって・・・・・・」
「ルキアニスを収容した」
「ええ。私が収容時の初期抵抗を制圧しました」
苛立ちを募らせる言い様だが、それ自体は彼らなりの事実を示す言葉だった。初期抵抗、それは心身で示す拒絶の抗いだけではなく、不時覚醒に伴って起きる術にすらなっていない魔導顕現の慣性継続を閉じることを言う。慣性といっても顕現が続けば当事者の魔力を吸い上げ続ける。ときには当事者が衰弱して死ぬ。それ以上に危険なのは、周囲から魔力を集めて非中性魔力として膨れ上がらせることだった。
「なぜここに」
「依頼の案件の秘匿性に応じた適切な措置を行うのが軍のやり方でしょう。それに従っただけです。ここは用途の特殊性から魔術的な防護が行われている。この部屋は防護の辺縁にある。だからここまでならば転移の門を開ける。行きましょう。この先は、不時覚醒者の魔導顕現の拡大にもある程度耐えられるように作られています。そこならば、外部から干渉するのは著しく困難になる。私の干渉監視よりも、あなた方には信頼があるでしょう」
イル・タルテソシア導師は扉を開き、廊下を進む。途中途中で分厚い木の扉を開き、鉄の扉を押し開く。いずれも魔術が施されているのがわかる。細身の導師が力を込めて開くのは、彼女が言う通りに魔導の顕現に制限があるからだろう。手伝おうとまでは思わないが。
そして導かれたのは、日差しの差し込む中庭だった。五十呎ほどの広さだろうか。青空が丸く切り取られたように見える。
「ここが初期収容室。私が対応した時には危険性階位は第二でした。最初に認知されたときには、階位一越。周囲を巻き込んで大きな影響を与えていたでしょう。彼女の特性の場合は、当人はこの現し世から消え去っても、痕跡が影響を与え続け得た。消滅措置を免れたのは運が良かっただけ。影響は当人にももちろんある。人格が崩壊したなら、そこに残るのは現象としての顕現だけ」
マルクスは振り返る。イル・タルテソシアを見る。その青の瞳と目が合う。彼女は続ける。
「私が行ったのはその人格の崩壊を防ぐこと。もって魔導を自ら制御してもらうこと。私は私の施術に自信をもっています。誰が検査をしても覆らなかった。だから彼女はここを出て、軍の検査にも合格した。そのあと幾度か検査を行っています。クルル=カリルの適合施術においてもそうです。私も参与した。身近な人間として、彼女に相対して、違和感を感じましたか」
「・・・・・・俺は・・・・・・」
唇を噛み、けれど続けた。
「以前のようには話をできていない」
「承知してます」
「だからあんたの・・・・・・失礼、導師に助力を求めている」
そのために必要ならどこへでも行く。だがイル・タルテソシア導師は冷ややかに言う。
「本題へ入ってください。これまでのことは、事情の説明にすぎません」
「森族の双性者繁殖計画を知っているか」
「専門としては否。仄聞としては応」
「ここから話すことは機密だ」
「わかりました」
「森族の双性者繁殖計画は長期にわたって行われている。我々の知る限りでは二世代が計画的に行われている。現在は三世代目にあたる時系列だが、現在も系統的な計画が続いているかどうかわからない。だが戦闘員らしい双性者が現れていると考えられている。計画は縮小したとはいえ、部分的に続いていると考えられている。計画が縮小した理由は二世代目で計画が崩壊し、繁殖者が森族領域外へ逃走したからだ」
「それは知りません」
「どの程度の規模かはわかっていない。彼ら自身は「千のはらから」と言っている。その千が何を示しているのかはわからない。だが双性者をそれほど生む人口を集め産ませる措置・・・・・・失礼」
胸糞の悪さにえずきがこみ上げてくる。双性者の多いと言われる帝國でも、百人に一人とも千人に一人ともしか生まれてこない。神殿の双性者に対する仕打ちは帝国人から見ると厳しい。それは神殿の国々の民草にも同じらしく、生まれてきた双性者を間引きすることも少なくないという。見かけの上なのか、実数なのかはわからないが、神殿諸国で生まれる双性者は帝國よりかなり少ないと考えられている。
その逆を行わせているなら、どれほどの嬰児がどんな命運をたどったのかわからない。そして繁殖計画である以上、旧の世代が年齢となれば、相互に交わらせ、子を成さしめようとしたのも間違いない。そこで生まれた嬰児はどのように扱われたのかもわからない。双性、常人を問わず。
「なるほど」
イル・タルテソシア導師は導師連がそうであるように、嫌になるほど冷静だった。むしろマルクスを値踏みするかのように碧の瞳を向けている。彼女の前で醜態を見せなかったのは幸いだ。
「とにかく、すくなくとも二世代が繁殖されたが、計画が崩壊し、かなりの数が森族の領域から逃避したらしい。森族がどれほど回収したのかはわからない。時系列的には、内戦開始直後ごろと考えられている」
「四十年程前」
「おそらく」
マルクスは続ける。
「同じ頃、
西方辺境でも双性者を保護した話が採取されている。俺が知った限りですら二件、今、軍人と皇帝都市の予備軍人名簿に調査を行っている」
「その二件のうち一件が彼女だと?」
「それでは年齢に合わない。だがルキアニスの御母堂の生まれも経歴も定かではない。若いうちに亡くなられている。御母堂が千のはらからかどうかはわからない。ルキアニスは御母堂を知らない。御尊父も亡くなられている。御尊父が娶られる前、関わった人間も死んでいる」
「それに何の問題が」
「森族が繁殖した双性者と見られる者等が、帝國との戦闘に投入され始めている。彼らの術の干渉下で。自分の知る範囲では二件。術は血筋に関わるものらしい。当事者は帝國の手に無い。だから解析はできていない。その干渉と隷属が軍人とに発動するのは危険なことだ」
「それで?」
「あなただ。あなたの言った通りのことを、あなたはルキアニスに行ったはずだ。所感を聞きたい。重要なことだ」
「あなたにとって」
「帝國にとって。クルル=カリルの結界は、中に在るかぎり外部からの干渉を拒絶しうる。それは問題ない。だが外にいる間に隷属させられたらどうする」
「ありえない」
「なぜ」
「人格の再構成は多重結界内で行った。対象者は霊物にくわえて虚まで発現させた極めて危険な例だったから。しかも魔道兵。導師の私にまで拒絶を能動的に向けてきたほど。正直、現し世に戻れるとは思っていなかった。でも彼女は戻った。戻りたいと願ったから。拒まれると彼女は思っていたのに」
「拒まれる・・・・・・」
マルクスは呻く。でもこの女に醜態を見せたくはない。胸を掴んでこらえる。けれどイル・タルテソシア導師は冷ややかに言う。
「あなたのことに興味は無い。本題を続けましょう。だからわたしは彼女のために特別な多重結界を構築して、そこで人格の再構成を行った。人格に重要な再体験を含めて。私は再体験には干渉していない。私が再体験を直接観測したら、体験そのものが変容してしまう。でも、ルキアにシアは話した。おさなごころのままに、とりとめもなく。わたしにとっては楽しかった。わたしにとっても貴重な経験だった。情動は人にとっては自然なこと」
「それで・・・・・・」
「再体験において外部からの導入は在りえない環境を作った。彼女は彼女の主観からそれを再現して再体験した。辛いことも、楽しいことも。違和が起きればそれを認知する必要があった。違和は彼女自身に語ってもらっただけ。それ自体は目的じゃない。私は違和が人格にどれほど影響を与えているか確かめて、施術を調整はした。それだけ。でも彼女は何度も生まれ、何度も死に、何度も出会い、何度も別れた。過去からの強い働きかけを弱めることはした。そうしなければその情動の回帰回路がふたたび人格を壊し得るから。彼女に私が行った積極的な関与はそれだけ」
「・・・・・・ルキアニスは、安全なのか」
「ええ。私の知る限りは。私はそれに導師としての自信を掛けて良い。それ以上の保証を私から引き出すのは無理。それが受け入れられたから、彼女は現し世に戻った。軍務に復帰し、クルル=カリルの搭乗者施術対象になった。施術においても他の導師に観測されて、施術上の調整を受けている。クルル=カリルの。それ以上に厳密な施術はこの帝國にはない。森族にそれを上回る術が作れるかどうかはわからない。ただ森族はクルル=カリルに相当する存在を作り得ていないしまた、ここにあるような不時覚醒に対応する経験の蓄積も能力も無い。具体的には教皇庁に依頼して調査して。私は導師としての所感を開示するように求められたから、その範囲に限って開示しただけ。教皇庁が何を監視し、どうしているのかは、私の口からあなたへ語られるべきことではない」
「それはいい。その厳密性は進める調査の別向きで行う」
「ならば以上。ご質問は」
「今後も意見の聴取と協力を願うことがありえる」
「ええ、仕方ない。それが軍務嘱託ということだし・・・・・・」
それに、とイル・タルテソシア導師は少しの笑みを浮かべる。なにか思い出したように。
「ルキアにシアに必要な助けなのでしょう」