一つの鍵は死への鍵 (5)
三つの鍵は姫君らの手に、 一つの鍵は死への鍵、最後の鍵は死出の道。
この辺から
未来時系列。年齢を明記していないがノイナは15歳以上のどこかを想定している。
<現時系列>ではたぶん16くらい。
一つの鍵は死への鍵 5
「・・・・・・」
誰かのささやき声を聞いたような気がして、ノイナは目を覚ました。
はっとして身を起こした。あたりは闇に閉ざされている。肩掛けを羽織り、それからノイナは身を起こす。ひどく胸が打つ。まるで死の天使にささやかれたかのようだ。死をもたらす天使ではない、命が残り少ない事を告げに来る天使だ。もちろんノイナの命をでは無い。
部屋を駆けて扉へと向かう。隣り合った祖父への寝室へ繋がる扉だ。暗いけれどすでに慣れた部屋だ。その奥の寝台へと向かう。天蓋のある大きな寝台だ。その枕元脇には魔道の燈台があることも知っている。触れて明かりを求めれば、魔力によって光をもたらすものだ。ノイナはそれへと触れた。
淡い光が広がる。その中に祖父の姿はあった。何事もなく寝台に横たわって見える。けれど生きているのか、それとも死んでいるのか、判らない。怖くなって、ノイナはそっと手を祖父の口元へと寄せてみる。
「まだ死んでなどおらぬぞ」
かすれた声が応じる。祖父はまぶしげに目を開く。
「安心しろ。そう簡単には死なぬ。だが、お前が無用に騒げば、家中に悪い噂のみが広がるのだぞ」
「・・・・・・はい」
「やらねばならぬことがまだまだある。最後の役目も、な」
けれど祖父は言葉の中に明らかに死を置いている。
「そんなこと、仰らないでください」
「人はいずれ死ぬ。わしの歳になればいつ死の天使にささやかれてもおかしくはない。怠りなく備えておかねばならぬ」
祖父は水を求めるしぐさをし、ノイナは答えて台にある、吸い口の器を取った。だが祖父は笑って退ける。
「そのようなものはもはや要が無い。普通の器で構わぬ」
ノイナはすこし迷い、けれど祖父の言いつけどおり、水差しから硝子杯へと水を注ぐ。怒りは良くないのだと公爵家付の療師は言った。祖父の心の臓は弱っており、きっかけがあれば今日のように倒れることもあるという。
ここの所ときおり、祖父の調子は良からず見えていた。まえに家老格、目付格を集めた会合のときにもそうだった。気づいていたものもあったかもしれない。しかし祖父は老いたこと、弱ったことを見取られる事を嫌っていた。だからノイナも、見て見ぬ風を通した。あの時に倒れなかったのは運が良かった。
行なうべきことが多すぎる。祖父は領地の知行のありようを変えようとしていた。変われといって容易に変わることではない。役目を累代行なってきたものもあるし、あるいは戦功への報奨を求めるものもある。けれど内戦は大きな傷を残していた。公爵は子息をすべて失ったしまた、郎党達も少なからず失われた。それでも副帝陛下の御改革に沿った知行のあり方を行なわねばならない。
そして重臣たちは、そのすべてを必ずしも首肯はしていなかった。だが表立って反対もしていない。今ならノイナにもわかる。公爵が衰えを見せ、知行に目が届かなくなれば、家老中老らはそれぞれの思惑で動き始めるだろう。帝都屋敷の奥所で倒れたのは、運が良かった。そしてそういうことでさえ良し悪しで思う己がいることに、ノイナは驚いてもいた。
祖父が倒れ掛かってきた時、何が起きたのか判らなかった。それでもすぐに体を支えた。その刹那には騒げないことは判っていた。廊下で倒れてもらうわけにも行かないことも判っていた。何よりも、祖父がそれを望まぬはずだからだ。
胸を掴むようにする祖父を、半ば押し返すように無理やり数歩歩かせ、壁際へともたせかけ、それから扉を開いて引きずり込んだ。大柄な祖父を支えきることはむつかしく、絨毯の床に横たえるのが精一杯だったけれど、それでも廊下で大きな騒ぎを起こさずに済んだ。
祖父は胸を押さえ、仰向けに天井を見上げ、騒ぐなと唸りうめいていた。だからノイナは何事も無い風の声で、女用人に命じたのだ。お爺様が急ぎの用で、ユーリアとナディアをを呼んでいると。すぐに連れて来るように。ただし、二人だけを部屋に入れるように、と。
祖父は騒ぎ立てるな、すぐに納まるなどといい、身を起こそうとする。良くあることだ、と言ったのを聞いて、やはりとノイナは思った。ユーリアとナディアが来るまでの、ほんのわずかな時がひどく長く思えた。
ユーリアはすでに何かを察していたらしい。倒れた祖父を見ても驚かなかった。立ちすくんだのはナディアだけだ。その時には、祖父はかなりゆとりを取り戻していて、騒ぎ立てるな、一人で起きられるなどと言い、立てる歩けると言い張ってもいた。ユーリアはそんな祖父にはすっかり慣れているらしく、それでは立っていただきますなどとぬけぬけと言い、それからノイナとナディアに手伝わせて、倒れ掛かりそうな祖父を無理やりに寝台の部屋へと押しやっていった。
あえぐように寝台に座らされたとき、祖父はもう立てるだの、すぐに納まるだのは言わなくなっていた。ユーリアは手早く当て物を背にあて、ノイナとナディアに祖父の靴を脱がせるように命じた。身勝手をさせぬように見張りなさい、とも。それからユーリアは屋敷付の療師を呼びに行った。あとで聞いたのだけれど、出来もしない強がりを言ってるときは、やらせればいいのよ、などとユーリアは言っていた。それが父なのだから、と。
そのころになると、祖父のほうがむしろ落ち着いていた。ナディアは泣きそうであったし、ノイナだって違っていたかどうかはわからない。
いまもそうだ。
祖父は今、ゆっくりと水を飲み終え、硝子の器を脇の台へと戻す。淡い魔道の光の中で静かにノイナを見て言う。
「ノイナ、座りなさい。大事な事を言っておかねばならぬ」
寝台の脇には小さな椅子がある。
「・・・・・・はい」
「もし、今日のようなことがあったなら、次はわしをあの部屋へと連れてゆくのだ」
すぐにわかった。機神の神具を収めたあの部屋、御寝所のことだ。祖父は続ける。
「ゆえに、お前は御寝所の鍵を持つがいい」
「・・・・・・何をするのですか」
「わしが死ぬ前に、機神の封印を解かねばならぬ」
それは久しく聞いていなかった言葉だった。けれどノイナは祖父を押し留める。
「そんなことは仰らないでください。機神は後回しでもかまいません。それに、死ぬなんて」
「案ずるな。まだまだ成さねばならぬことは多い。死にはせぬ。それがためになら、療師の言う細々したことも聞かねばならぬ」
すこし笑って祖父は続ける。
「だが、ことこのようになったのなら、いざというときの事を考えておかねばなるまい。良いか、ノイナ」
良いかといわれて、良いなどとは思えない。けれどしぶしぶとノイナはうなずいた。
「まずは療師の言う事をわしに守らせるのだ。養生訓もだ。よいな」
「はい」
「それで、一年でも一日でも、命を永らえる。だがそれで十全とは言えぬ。わかるな」
「はい」
「しかるに、いざというときになったら・・・・・・・」
「お爺様」
「いいから聞くのだノイナ」
いつもより静かに、それからもう一度祖父は言う。
「わしは、機神の封印を解かねばならぬ。わしの命が危ういと見たならば、万難を排してあの寝所へとわしを連れてゆけ。機神の封印を解く」
祖父は、己が左手を示してみせる。その中指には指輪があった。公爵の印章の指輪とは違う、精霊銀の指輪で丸い座があり、その彫刻の真ん中に力石がはめ込まれている。魔力を帯びた石だ。つまりこの指輪は魔法に関わる指輪だ。
「・・・・・・鍵?ですか」
思わず言ったノイナに、祖父はうなずいてみせる。
「機神を操るには二つのものが必要だ。わかるな?」
もちろんノイナも知っていた。機神を呼び出す神具、それから機神に乗り込むときにつける仮面だ。
「このうち仮面は機神のうちに収めてある。仮面を失えば機神は動かせぬからな。そして機神そのものは、機神が自ら異界に封じてある。異界に封じられた機神を呼び起こせるのは、神具だけだ」
祖父は続ける。以前にもノイナに聞かせたように。
「その神具を統べるものが、未だ眠る機神の主となる。例え機神の乗り手ならぬものであってもだ。元は、封じなど無用であった。当たり前のことであるな。だが帝都に争いがあり、それは内戦となった。知っておろうな」
おおよそのことは、ノイナも知っていた、あるいは察していたことものばかりだ。祖父も、そのいちいちを語って聞かせるつもりなど無いようだった。祖父は続ける。
「彼奴らの恐ろしいところは、彼奴らにとっても、機神など物の数ではないということだ」
祖父の言い様にノイナは居心地悪く身じろぎした。祖父の言う彼奴とは、副帝陛下たるレイヒルフト・シリヤスクス・アキレイウスその人のことだと容易にわかる。
「彼奴らは一柱ならぬ機神を葬ってきた。己の敵には容赦をせぬそのありようそのものを、力の後ろ盾としておる」
祖父の言葉は軋るようにさえ聞こえた。
「我らは屈した。それも彼奴らにとっては思いのままであったろう。我らが子弟をすり潰すようにして皇帝陛下への忠義の証を立てた。それもまた彼奴らの思うままであったろう」
「・・・・・・おじいさま」
「まだ死にはせぬ」
祖父は大きく息をつく。それから元の静かな声へと戻り続ける。
「彼奴らは、我らの機神など望んではいなかった。ゆえにこそ恐ろしい。機神も奴らにとっては手駒に過ぎぬ。無ければ無い、在れば在る。彼奴らは敵の力を己が物とすることもためらわぬ。捧げられたなら彼奴らはうまうまとそれを使うだろう。だが我が家にとっては機神はそれだけのものではない。機神あってこその我ら一族だ。。我らにとって、機神を持ち、皇帝陛下を奉ずることは、等しく我らそのものだ。だが彼奴らには違う。機神と我らとは等しく無い。ゆえにより分け得る。使えるものは使い、捨てるものは捨てる。まるで家畜のように」
祖父は言う。
たたかいに敗れるということは、このようなことなのだ、と。
ノイナは黙り込む。思いも寄らぬ話になっていた。今までノイナは、帝國よりの御沙汰として下された処遇として、昔にあった事を聞いていた。
だが祖父はそれとは違う何かを語っている。まるで公家が、一族が、グスタファスのように、あるいは南方緒家のように、レイヒルフト相手に戦っていたかのように。
「乗り手となりえぬということは、所詮その程度のことかもしれぬ。ゆえにそここそ突かれれば、一族は四分五裂しかねぬ。ゆえに機神を封じたのだ」
祖父は左手の指輪を示した。先に鍵だと言った、力石をはめ込んだ精霊銀の指輪だ。それはノイナたちが鍵だと信じた三つの指輪とは明らかに違う形をしていた。
けれどわかってもいた。封印の錠には、三つの指輪とは違う鍵受けのくぼみがあった。そして祖父の鍵の指輪は、そのくぼみに合うように見えた。祖父は言う。
「我らに叶えられる、もっとも強い封印の術が、命を懸けて成す術だ。そうすることによって、公爵家の機神は、公爵その人にすら、その顕現は命がけのものとなった」
「命がけ?」
そうだ、と祖父は言う。
「この鍵ならば、一つをもってしてあの封印を解くことができる。力を解き放つ鍵だ。錠は開く。ただし開いたものの命を吸い取って」
最終更新:2011年04月25日 23:42