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803 :ナイ神父MK-2:2015/10/05(月) 20:14:28
日蘭世界 遅すぎた戦艦
モンタナ級、敗戦前のアメリカ合衆国が最後に建造した巨大戦艦であり、もし完成が早ければアメリカは
砲撃戦だけは、日蘭に負けなかったと言われている戦艦である。
着工から建造中断まで
モンタナ級の建造が始まったのは1930年代とされ、武装は対長門型や伊吹型※1が想定され、それを越える18インチ砲の搭載が
予定されていた。しかし計画を立てたのは良いが、ハワイ沖海戦で太平洋側の艦隊を喪失した影響は大きく、先に計画された
ダニエル・プランの戦艦建造も響いて、開発承認から着工までは、実に5年の月日を要したと言う。
1935年漸く着工の目処が立ち、国内5箇所※2の造船所で建造が始まった、建造自体は順調に進行し1936年には船体の50%が完成し
このまま問題なく進めば1940年には建造予定の8隻全てが完成するだろうと予想された。しかし、肝心の主力兵装の18インチ砲
の開発が難航し、更に予定された対空砲の数では仮想敵国である日蘭の攻撃を防ぎ切れないとされ、設計の変更を余儀なくされた
こうして、開発計画は徐々にスピードを落とし開発計画は暗礁に乗り上げた。
1938年この年、暗礁に乗り上げたモンタナ級の開発計画を完全にストップさせる出来事が発生した、ビンソン計画の承認である。
現状日蘭共に建造しているのは41cm砲だけであり、ハワイ沖海戦の教訓と兎に角戦艦の数を揃える事が急務とされたことに加え、
此処に来て各国共同の戦艦・空母の整備計画がスタートしたことにより、モンタナの開発は一時中断され、暫くは姿を消すこととなる。
第二次世界大戦初期から完成まで
第二次世界大戦中全ての海洋で、過去に類を見ない大規模な海戦が行われ、特に第二次ハワイ沖海戦では日米合わせて約数十隻の
戦艦と空母が激突し、後に人類史上最大の艦隊決戦と呼ばれるようになる。この国運を賭けた大海戦は米国が艦載機の制空能力と
戦艦の火力で敗北し、多数の艦隊と多くの人命を失うと言う痛ましい結果に終わり、アメリカは再び西海岸の守りを失うことと成る。
また、アメリカはこの海戦で初めて、日本が46cm砲以上の大型砲の開発に成功していることを知り、大騒ぎとなった。
現在ビンソン計画で完成して居るサウスダコタ級は全て16in砲であり、生産性を優先された急造戦艦である為、46in砲など搭載不可であり、
この戦況では20in砲が搭載できる戦艦など作る暇はない、そこで日の目を見たのは建造が中断されていた、モンタナ級である。
アメリカは慌慌てて、モンタナ級の完成を急ぎ1942年までに4隻※3のモンタナ級の就航させ、武装も規格道理18in砲の搭載に
成功した、こうしてアメリカ最強の戦艦は完成に至り実戦を待つだけと成った。
804 :ナイ神父MK-2:2015/10/05(月) 20:14:59
アメリカの窮状と降伏
第二次世界大戦後期に入るとアメリカはその本土に爆撃を受けるようになり、徐々に追い詰められていくことと成る。
爆撃は国内の全都市が被害を受けることになり特に被害が酷かったのは、国内油田と5大湖周辺の工業地帯であり
そして軍施設であった。
この爆撃によりアメリカでは急速な物資不足が起こり、市民はその日の食事にも困るように有様であり、
冬を迎えるころには凍死者まで出る惨状であった。当然そんな状況で戦艦の様な消費の塊を動かすことは
出来ず完成したモンタナ級は砲を船に向けることも出来ずに鉄の塊としてただ港につながれている状態に
なる有様であった。
翌1943年アメリカのある軍事施設に原子力爆弾が投下されたことを気に、アメリカは日蘭同盟に降伏
し、ついにモンタナ級はアメリカでは就航から一度も砲撃を放つ事無く終戦を迎えることと成った。
戦後と日本での活躍
1943年の講和条約でアメリカは東海岸とカフォルニア共和国の独立を承認し、賠償艦として
モンタナ級の譲渡※4を決定した。
内訳は
一番艦モンタナ、2番艦オハイオを日本へ
3番艦メイン、4番艦ニューハンプシャーをオランダへ
譲渡するものであった。
戦後日本に渡ったモンタナ級は調査が入った後に日本製の兵装へと改修し、艦種と艦名を相模型:一番艦相模、二番艦を周防と改め日本海軍へと
所属することとなる。その後は1960年代まで横須賀鎮守府に在籍して除籍に成るまで、災害時の物資の輸送や赤化した南米に
睨みを利かせる為、観艦式への参加が行われた。除籍後はアメリカへ返却する話もあったが、これをアメリカ側が拒否し、
カリフォルニア共和国が記念艦として展示している。
オランダへと渡った艦はキュラソー級と名を改め2番艦シント・ユースタティウス
と共にオランダ海軍へと在籍し、1957年に発生したスペイン赤化動乱※5、ブラジル内戦へ介入後退役している。
※1:日本が意図的に偽情報を流し、アメリカの戦力増強を遅らせようとした。
※2:史実より敵が多い分戦艦の建造数も増加された。
※3:建造場所が北部であった為3式弾に標的にされて完成しなかった。
※4:この他に一部駆逐艦やガトー級潜水艦などが譲渡対象になったが、サウスダコタ級と
ヨークタウン級は日蘭側が拒否した。
※5:勢力的に孤立しているスペインを共産側に引き込もうとソ連が画策した、反乱で
共産勢力膨張を危険視するOCU連合がフランコ総統の要請により介入した。この際に
もキュラソー級2隻が作戦に参加している。