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447. 名無し三流 2011/09/05(月) 21:55:11
  ハンス・ウルリッヒ・ルーデル。
彼の能力は憂鬱世界においても十二分に発揮されていた。
史実より国力が弱体であったドイツにおいても、ソ連軍の補給将校に対し、
悲鳴を上げさせる程の戦果を上げていたのである。

  赤軍の中でも数少ない戦艦であるマラートを撃沈し、
その後も戦車や重砲などの陸上部隊を次々と殲滅。その多大な功績に感激したヒトラーは、
なんと彼に少将の位を与えようとしたが本人は「将軍になんかなったら前線で戦えないじゃないか!」
としてこれを固辞。相変わらず大佐のまま東部戦線を戦っていた。


  さらに彼にとって幸運だった事には、彼の師匠ともいえるステーン大尉が生き残っていたのだ。
史実では戦艦マラートを撃沈したルーデル達は巡洋艦キーロフを撃沈するため再出撃を命じられ、
その時ルーデルは乗機が破損したステーンに自分の機体を貸して居残ったのだが、
キーロフとの戦闘でステーンは帰らぬ人となっていた。その時、ルーデル最初の相棒である
後部銃座手シャルノブスキーも戦死したのだが、憂鬱世界においては重工業化に頓挫していたソ連側が、
これ以上貴重な大型艦(ソ連海軍では巡洋艦も立派な大型艦であった)を失う事を恐れ、
自分達からキーロフを後方へ後退させてしまったのだ。

  このためキーロフ攻撃自体が行われず、結果としてステーンとシャルノブスキーは生存。
その後の戦局の流転でルーデルは2人と離れ離れになってしまうが、ルーデルは言わずもがな、
ステーンもバグー攻略作戦でソ連軍の装甲列車を脱線させるなどの戦果を上げており、
『師匠と弟子』という美しい関係もあってドイツ週刊ニュースに華を添えていた。
全くソビエト側にとっては不幸というほか無い。


  そんなルーデルは陣中で、「前線の記述を書いて出版したら老後の足しになるだろう」
という事で、牛乳を飲みながらこまめにそのネタのための日記を付けていた。
今回は、その日記の一部を抜粋してみよう。なお、日付と一部人名は伏せさせていただく。
448. 名無し三流 2011/09/05(月) 21:55:43

                      提督たちの憂鬱  支援SS  〜魔王の日記〜



○月×日
補給と一緒にステーン大佐から手紙が届いた。
あちらでも赤軍の攻撃は散発的になっており、大分楽ができるそうだ。
此処もここ2日ほど大した動きは無いが、燃料に余裕があれば敵陣の偵察もしている。
ついでに爆撃も。最近はトラックさえ見られなくなったが、
彼らは荷物を運ぶときは背中に担いでいるのだろうか?


△月□日
整備士のRが「最近、機体に無理をかけすぎではないか」と言う。
無理だってしなければならない状況だという事は彼もよく分かっている筈なのだが。
ただ機体を無駄に損耗させたくない気持ちも分かる事は分かるので、
今度人手が足りなくなった時は後部銃座にでも放り込み、我々の状況を改めて教えようかと思う。


☆月○日
先に出撃した仲間から「イワンの迎撃機に追われている」とSOSが入ったので、
私も直ちにスツーカに乗り込んで助けに向かった所、既に味方のBf109が連中を追い払っていた。
機首に黒いチューリップを描いている所を見ると、なかなか洒落た奴らしい。
私はと言えばその直後に発見した敵戦車の増援を阻止するのに忙しく、
うっかり礼を言うのを忘れてしまった。今度あの機は誰だったのか調べておこう。


☆月×日
地上の兵にとっては厄介な塹壕も、空からはよく見渡せるものだ。
擬装ネットも、中にいた兵が怖気づいてこちらへ先制発砲すれば全くその意味を成さない。
これに撃墜されるうっかり者もいるようだが、自分の居場所を知られたという損害は、
敵機を1機撃墜した功績を上回るのは自明の理だ。


○月∀日
此処の地上部隊にも、ようやく噂の新型戦車が届くらしい。
武装親衛隊のM・Wとかいう人物がこれで大きな戦果を挙げているらしいが、
そういう話を聞くとふと、そんな兵が1個軍団、いや1個師団でももいれば、
この戦争ももう少し早く片付くのではないか、と思うことがあるのだ。
そのような話をヘンシェルにした所、「貴方もそんな兵の1人ですね」と言われた。
私には特に、大した事をしているといった自覚は無いのだが……
449. 名無し三流 2011/09/05(月) 21:56:15
◆月☆日
今日は戦車を15両くらい破壊した所で、向こうの方からさっさと逃げ出してしまった。
逃げ出す敵の中にはざっと10両ほどの戦車を確認できたが、あれも破壊できなかったのが何よりも悔しい。
そろそろイワンも逃げ足が早くなってきたようだ。今ごろになって恐怖という物を知ったのか。


◆月◎日
全てが静かに、まるで死んだように見える。
目を皿のようにしても、赤軍は見当たらない。


□月〆日
Gは私に本国へ戻り後進の教育に当たってほしいらしい。一体何を考えているんだ。勿論断った。


□月●日
ステーン大佐から久しぶりに連絡が来た。来月から軍学校で教鞭を執る事になるそうだ。
Gは私の代わりに彼を呼び戻す事にしたらしい。この場合、Gの判断は間違ってはいないと思う。
私は大佐から多くの事を学んだ。学校の生徒も、彼から多くの事を学んでくれるに違いない。
願わくば、彼の新しい弟子たちと共に空を飛びたいものだ。


×月◇日
今日は装甲列車を生き埋めにした。
あれはいつもトンネルに隠れる卑怯者でほとほと困っていたが、
そんなに地中にいたいなら一生いてもらおう。そういう訳で、
私は件の列車が隠れたトンネルの両出入り口を一思いに爆砕してやったのだ。


●月●日
例によって高射砲の砲弾の破片が運悪く当たってしまい、
味方の基地に辿り着く前に不時着してしまった。そこはどうやら村らしく、
大した物もなさそうだったので、駄目になったスツーカの燃料を分けてやると大層感謝された。
村の老婦人に、彼女の家の地下室で仮眠を取る事を勧められたのでそこで30分ほど休み、
その後婦人に礼を言ってから改めて味方の基地まで歩いて戻った。


●月◆日
後で分かった事だが、以前私が世話になったあの村は、何日か前に赤軍から食料を掠奪されていたらしい。
もうすぐ冬が来ようというのに酷い話だ。それで私が燃料を分けてあげたのにとても感謝したようだ。
さらに、私が例の地下室で休んでいた間に、イワンが村へ私を探しに来ていたという。
そうすると、もしかしてあの老婦人は私を匿ってくれたのだろうか。
今は彼女の勇気と親切に感謝し、その無事を祈る事にしよう。
450. 名無し三流 2011/09/05(月) 21:58:31
▽月╋日
大西洋で起きた恐ろしい津浪と、それがアメリカに与えた被害についての話題は枚挙に暇が無い。
だがそれを話題にする者達は、総じて我々が直面しているもっと重要な問題を忘れているように見える。
東方からやってくる蛮族の津浪が、祖国を踏みにじる事態にならない事を願うばかりだ。


▽月△日
今いる辺りはソビエトのラジオ放送も入ってくるが、中身はどれも随分と勇ましい物ばかりだ。
だが、実の所は随分いい加減らしい。今日は『ハンス・ルーデルを捕らえた』などとほざいていたため、
それが間違いである事を教えてやるために、最寄りの敵防空陣地を2つほど潰してきた。


☆月◆日
爆弾が欠乏しているので何か良い攻撃方法は無いかと思案していたが、
ひっくり返った状態で飛行すれば、機首の機銃だけでなく後部銃座も機銃掃射に使えるので、
歩兵やボートなどの非装甲目標が相手なら破壊力が上がるのではないかという事を思いついた。
だがヘンシェルは「危険です、やめましょう」というので「やってみなきゃわからん」と返しておいた。
それで実際にやってみた所、機体が恐ろしく安定せず、失速してしまいそうになったためすぐに止めた。
一応、その時の状況をレポートに書いて提出しておく。この機動専用の機体があれば上手くいくかもしれない。


☆月╋日
焼け落ちた教会は、ソ連の反宗教の姿勢をよく示している。
だが時折、連中はイデオロギーのためばかりか、掠奪のために教会を焼く事さえある。
一度その場面に遭遇したが、気分が悪くなったので彼らが教会から"凱旋"していた所を爆撃してやった。


〆月〆日
ドイツアメリカ軍団が出撃し、それなりの成果を挙げているようだ。
私があの軍団に組み入れられなかったのは幸運だったとしか言いようが無い。
向こうには爆撃すべき物が残っているという証拠はないが、
こちらでは探さずともいくらでも出て来るのだから。


〆月□日
よもやそんな事はあるまいが、総統閣下が北アメリカへの進出に熱を上げるあまり、
東部戦線を忘れてしまう事を危惧している。
なぜなら、我々の本当の敵はアメリカではなく、東部戦線にいるからだ。


〆月☆日
我が国の動きを知っているのか、最近イワンどもの元気が良い。
まるで「暫く攻めて来る事はあるまい」と思っているふうだったので、
戒めとして彼らの頭上に爆弾を投下した。戦争はまだ終わった訳ではない。


***


  ルーデルは他にもたくさんの記録を残しているが、割愛させていただく。
とにもかくにも、彼の調子は史実世界だろうが憂鬱世界だろうが大して変わりはなかったのだ。

  ルーデルの事をよく知っている夢幻会はそんなわけで、
規格外な彼の力が日本に向けられる事態を本気で危惧していたという……


                                  〜  f  i  n  〜
453. 名無し三流 2011/09/09(金) 22:14:53
  1943年4月に旧米合衆国南部フロリダに進出した欧州連合軍は、
さしたる抵抗も無くその勢力圏を拡大させていた。英独伊他の混成部隊という事で、
指揮系統や占領地の取り分などで多少揉めてはいたものの、兵站は心もとない状態で、
また現地からの徴発にも限度があるために展開速度自体は遅かった。


  軍上層部や本国首脳部の間ではこの遅さに対する苛立ちと、
遅くなるのもやむなしとするある種の諦めが混在していたが、
人知れずこれを幸運に思っていた者もいた。


  フロリダ州のドイツアメリカ軍総司令部。
武装親衛隊のマークを付けた装甲車から1人の男が、
国防軍のマークを付けた装甲車から降りたもう1人の男がそこへ入っていった。



                提督たちの憂鬱  支援SS  〜チートVSチート、その足音〜



「イギリス軍は東海岸沿いに進出しようとしているようだ。
  そうなると我々はルイジアナ方面へ進出するのが妥当か」

「ルイジアナ州から中部へ進出してイギリス人の西進を抑えるという訳だな?
  しかしルイジアナはミシシッピ川の影響で湿地帯が多い。進軍速度はさらに遅くなりそうだが」


  DAK(ドイツアメリカ軍)総司令部には国防軍と武装親衛隊の指揮官らが集まり、
今後の方針を決定しようとしていた。そしてその内容は、イギリス側の部隊の動向と、
それに対応した自軍の動きに終始した。

  今は手打ちに向かっているとはいえ、
もともとドイツとイギリスは不倶戴天の敵同士である。
現在はアメリカ侵攻のために合同軍を組織しているが、
アメリカがひと段落したらそれもどうなる事か分かったものではない。

  そこで北米大陸というパイを切り分けるこのワンチャンス・ゲームの中で、
どれだけ多くのパイを自国の影響下に置くことが出来るか。それが彼らの命運を決める、
最も差し迫った、そして最も重要な課題といえた。
454. 名無し三流 2011/09/09(金) 22:15:26
  しかし表向き協力関係にある事も事実であるため、
中部方面、特に穀倉地帯の確保が最終目標として決められた以外は、
ジョン・トーヴィー以下イギリス軍との調整をしつつ細かい所を埋めていく事になった。
また、他国への連絡を経ない独断による前進はなるべく避ける事などが各指揮官に通達された。

  ドイツは枢軸国の盟主であり、上手くやれば欧州の盟主にもなれる状況にいる。
しかしだからこそ、ドイツには他国との調整という仕事が必要だった。
その仕事が今最も必要なのはこの欧州連合軍であり、その仕事がうまくいかないという事は、
ドイツの国際的信頼、そして枢軸メンバー内部からの信頼を損ねる事につながる。

  ドイツはどこぞの超大国のように世界を敵に回しても戦える軍事力と、
それを支える天然資源、経済力、生産力、技術力の全てを兼ね備えている訳ではないのだ。
自国にその理由があるからといって、周囲の国々を無視して行動する余裕は無かった。


  ―――――閑話休題。


  会議が終了して参謀や指揮官達が次々と会議室から退出する中で、
2人の男だけはそこに居残っていた。第1SS装甲師団のヨーゼフ・ディートリッヒと、
DAK総指揮官であるエルヴィン・ロンメルである。


「さて、現在の本題は終わった事だし"未来の本題"に入るとするか」


  ロンメルが部下に鞄を持ってこさせて言う。
彼は持ってこさせた鞄から地図と『極秘』の印が付いた書類を取り出すと、
会議室にある長机の上に並べた。


「全く、"あの"忌々しい日本軍の相手はあまりしたくないのだが」

「まあそう言うな。相手をしなくて済むようにする努力は政府の役目だ」


  ヨーゼフが吐き捨てるように言うのをロンメルはたしなめる。

  ちなみにヨーゼフ・ディートリッヒは第一次大戦時に鹵獲戦車"モーリッツ号"の機銃手を務めていたのだが、
日本の遣欧部隊との戦闘においてモーリッツ号を鹵獲されてしまったのである。自身は脱出に成功したものの、
爆破による鹵獲阻止もできなかった事は彼の自尊心に傷を付けるのには十分な出来事だった。
以後彼は冬戦争などで日本軍の強さが知れ渡るにつれて日本軍に対する警戒感を強めていった。
側近に「もし日本軍と戦闘になる事があれば、我々でも撤退を強いられるかもしれない」とさえこぼしていたという。


  もう察しが付いたかとは思うが、彼らの"未来の本題"とは『日本軍との戦闘』である。
ドイツと日本はWW?以来の敵であり、ドイツがWW?、日本が日米戦争で勢力圏を広げると、
両国の衝突は現実味を帯びるようになってきた。ましてこれからは北米大陸で、
その勢力圏を接する事になる。ヒトラーお気に入りの2人は彼から直々に、
将来日本軍と戦闘になった場合の基本戦術を組み上げる任務を受けていたのだ。
455. 名無し三流 2011/09/09(金) 22:16:27
「それにしても向こうの兵器はどうなっているんだ?
  日本軍は、対英戦で我々を梃子摺らせたタイプ96を遥かに上回る航空機を導入しているという。
  Fw190があったとしてもキルレシオは1:3より酷くなるかもしれんぞ」

「航空優勢が確保できなければ平原地帯での戦闘は非常に不利になる。
  在中米軍も制空権を奪われて壊滅したという。だが我々はその轍を踏む事はできない」


  対米戦争が始まった後という事もあり、2人は戦前の米軍よりはよほど冷静に日本軍を研究していた。
しかし研究しようにも資料は少なく、また既に両者の間では技術力に差がつきすぎていた。
日本が三式弾道弾発射実験に成功していながら、ドイツは未だにV1の実戦投入すらできていないのだ。


「しかし純粋な陸戦では勝機もある。パンターの後継が間に合えば、
  戦車戦で互角に持ち込む事は不可能ではないだろう」


「大規模な夜間攻撃も視野に入れた方がいいだろう。
  それなら航空支援も昼間ほどにはできまい。まあ我々もできなくなるが……」


  さらに言えば、彼らは日本軍が100ミリ以上の主砲を搭載した四式中戦車が実用化された事を知らなかった。
また、上海攻略戦で活躍した赤外線暗視装置などは極秘中の極秘とされ、あのフィンランドですら存在を知らないのだ。


「それにしても"E計画"は本当に成功するのか?
  こちらがティーガーやパンターを発展させている間に、
  向こうがタイプ97の発展の発展の発展を作っていたら笑えんぞ」


「互いの兵器がどんな状態であれ、戦う時は戦う事しかできない。
  また、まだできていない兵器を前提にして計画を立てるなど馬鹿げている。
  今できる事はE計画の早期完遂を求める事だけだな」


  そんな状態である。結局のところ、2人に出せる確実な答えは1つしかなかった。


「「兵員1人1人の質に期待するしかないか」」
456. 名無し三流 2011/09/09(金) 22:17:16
「日本軍に対しては選り抜きのエースを集中的にぶつけよう。
  まだ十分に軍備が整わない内は、これで短期間で相手にこちらを上回る損害を与え、
  しかるべき準備が整うまで停戦に持ち込むのが基本方針だな」


  それと同じ頃、ベルクホーフで総統アドルフ・ヒトラーも2人と似たような結論を出していた。


  ヒトラーも冬戦争やBOB、日米戦争で日本軍の見せた恐るべき力はよく知っていた。
そこで彼は、独ソ戦で目覚しい戦果を上げつつある者達をリストアップし、
万が一北米において日本軍との衝突が起きた際には、24時間以内に彼らを戦地へ送れるよう手配していた。


  そのためハンス・ルーデルやエーリヒ・ハルトマンのような航空機パイロットの他、
ミハエル・ヴィットマン、オットー・カリウスなどの戦車エースなどもすぐ輸送機に乗せられるよう、
常に飛行場近くの基地、もしくは飛行場そのものの防衛に配備されていたのである。

  そのせいかは分からないが、一時期オットー・カリウスとクルト・クニスペルが、
あのハンス・ルーデルのいる飛行場近くの基地に配属されるという、
ソ連機甲師団にとっては悪夢としか言いようが無い事態も発生した。


  しかしヒトラーは東部戦線の辛気臭い状況に目を背けたいのか、
彼らの戦果を過剰に評価して、「使用兵器に差があっても彼らなら勝てる」とさえ考えるようになっていた。


  それは多くの常識人からすれば「いやそういう事は無いからjk」と突っ込まれるべき考えだったが、
驚いた事にヒトラーと同じような考えを持つ者はドイツから遠く離れた所に、しかも少なからぬ数がいた……
457. 名無し三流 2011/09/09(金) 22:18:21
「ハンナ……いやハンス・ルーデルにぶつかられたらいくら四式でも大損害は免れられない。
  陸にもヴィットマンやカリウスのような人外ズがいるからなァ……
  戦車を100両200両も破壊されて平然としてられるのは史実アメリカだからこそだな」


  会合に使われる店で東条がぼやく。
そのぼやきに頷くのは同じ陸軍の転生者達だ。その1人が東条に尋ねる。

「こちらにも上坊良太郎や篠原弘道のような空軍エースは十分いますが……
  帝国陸軍最後の切り札、舩坂弘の状況は?」

「剣道、銃剣術、小銃においては史実通りかなりの成績を出している。
  また、自動小銃と狙撃銃、それに対戦車戦闘もすぐにマスターしてしまったようだ。
  対中戦で実戦経験も積ませておいたが……おそらく史実並みの戦闘力はあると思いたい」


  東条の言葉に皆が「舩坂さんマジパネェッス」「流石人間ターミネーターは格が違った」
などと口々に言うが、東条はそれを制すると続けた。

「まあ、いくら人外エースとはいえソフト面、ハード面で圧倒していれば最終的に勝利を収める事は可能だろう。
  後はいかに損害を抑えるかだ。そのためにはこちらもエース達をぶつけていく必要があるな」


  そう言いつつ、東条は前世で「うはwwwテラツヨスwww」と言っていた者達が、
今いる世界には間違いなく実在し、しかも自分達と敵対するかもしれないという事実を思い出していた。

(全く、あんな人間チートと戦わされた連中の気持ちが分かった気がするよ……
  けど向こうからすればこっちも十二分にチートなんだよな、主に知識面とかで。
  一方がチートな小説は散々読んできたけど、まさかリアルがチートVSチートになるとは……)


  ドイツ軍は一部の将兵の質が異様に高い、というのは、
士官学校で世界の情報などの教育が注力されていたために、
転生者以外の軍人にも概ね知れ渡っていた。

  また、近衛ら夢幻会特撮部がドイツ軍エースがいかに強いかを示した映画を作るなどし、
国民の間にも「ドイツ第三帝国侮り難し」の印象を浸透させるべく努力を重ねていた。

  そのため北米大陸で対独戦が勃発するという、とあるRS●Cな展開に備えて、
陸軍も大陸での勝利に驕らず、ソフト、ハード面でさらなる強化を進めていったのであった……


  余談ではあるが、「ドイツ軍エースはクソ強い」という話を聞いた倉崎の重役(飛行機狂い)が、
「それじゃあ向こうがレシプロしか使えない内に超音速戦闘機を実用化すれば大丈夫だね☆」
などという色々と恐ろしい事を口にした事は、一部の人間しか知らない機密事項である……



                                  〜  f  i  n  〜
485. 名無し三流 2011/10/21(金) 22:08:07
お待たせしました、帝国陸軍総合祭(
>>434-438
)の後編です。



***



  帝国陸軍が民間向けのキャンペーンの一環として計画した『帝国陸軍総合祭』は大成功に終わった。
最終的な来場者はなんと10万人を数え、集まった寄付の総額は約100万円に上った。
そのため、富士演習場で開かれたスタッフ向けの祝賀会では多くの陸軍関係者が喜んでいた。


  一方で、その役目を終えようとしていた総合祭本部(仮設)の一角では、
実に物々しい雰囲気が漂っていた。小銃を携えた警備兵こそ普段通りながら、
そこには頻繁にスパイらしき者達が出入りして、状況の緊迫ぶりを物語っていた。


「村中大佐、会場に入り込んだ鼠の身元確認はその6割が完了しました」


  本部の中で、トレンチコートを着た男に部下が書類を渡す。
するとトレンチコートの男は部下から渡された書類にざっと目を通して言った。


「現時点で判明しているものの多くがソ連か、やはりあの国は手強いな。
  よし、確認できた者から情報を局へ送れ。もたもたしていてはまた隠れられるぞ」


「はっ」


  村中の指示を受けて、部下は素早く本部を後にした。



                  提督たちの憂鬱  支援SS  〜帝国陸軍総合祭・後編〜



  日本が国内向けに『帝国陸軍総合祭』の開催を発表した時、
最も激しくこの情報に食いついてきたのは日本国内で活動していた外国のスパイだった。

  日米戦争でその名を轟かせる一式・零式の曲芸飛行や、
冬戦争ショックの立役者であり今も現役である九七式中戦車の試乗会などを、
民間の、それも不特定多数の人間相手に行う(見せる)というのは当時の軍隊では考えられない事だ。
何しろザルな防諜体制に定評のある史実日本(軍)でさえ、列車の客車には鎧戸を付けさせ、
軍事基地の近くを通る時はそれを閉めさせていた程である。

  諜報員達は誰もが最初、(日本陸軍は頭がおかしくなったのか?)と思った。
しかし様々な情報からこの話がブラフでは無い事が分かると、今度は色めきたった。
何しろこの祭では、日本軍が使用している兵器の実際の稼動をこの目で見れる上に、
自分達は当日来るであろう沢山の来場客の中に紛れ込む事ができるのだ。
情報収集にこれ程良いシチュエーションは無かった。
そして今度は、(日本陸軍よくやった)と思うようになったのである。
486. 名無し三流 2011/10/21(金) 22:08:40
  勿論この試みには陸軍内部でも慎重意見が多く出た。
理由は察しての通り、他国の諜報員が紛れ込むのを心配しての事である。しかし、
この意見も夢幻会派の力、特にあの村中大佐の力によって"説得"されたのである。

  村中大佐は親夢幻会派として(一部には親夢幻会"過激派"として)知られていたが、
彼は夢幻会派が総合祭を計画している事を知ると、すぐにその計画の援護に乗り出した。
彼は元々、大日本帝国を率いるのは貪欲で視野狭窄な政治屋とその腰巾着であるブンヤよりも、
夢幻会という有能な人材の集団の方がずっと相応しいと考えていたのである。そして彼は、
夢幻会が率いる日本を作る前にまず、軍が直接国民への影響力を持つ事が必要だとも考えていた。

(日本軍は確かに精強であり、実力は欧州列強のそれにも伍して引けを取らない。
  が、だからこそ、そのような軍隊が熱狂した国民に乗せられたブンヤや田舎政治家に、
  人気取りのために私物化されてしまうなどという状況は避けたい)

  という訳である。そこで村中は国民の目を曇らせているマスコミ(村中視点)に代わり、
帝国陸海軍が直接、国民に対し世界を見る事の出来る目を開かせる事が望ましいと考えていた。
この帝国陸軍総合祭は、彼の目的達成にとって丁度良いものだったのだ。

  これもまた夢幻会上層部が聞けば卒倒しそうな考え方であったが、
本人はこれをさして問題があるとは思っていなかった。


  何しろ日本人、特にマスコミと野党系代議士の多くがさらなる戦果の拡張、版図の拡大を叫ぶ中で、
嶋田率いる戦時内閣と彼らが率いる軍は(特に大陸、東南アジアで)自重を続けていたのである。
しかも嶋田らが「これ以上は攻勢限界点を超えます」「補給がカツカツです」などと悲鳴を上げても、
一部の頑迷な人々は無敵日本軍や神風を信じているという有様である。
487. 名無し三流 2011/10/21(金) 22:09:33
  こうして村中は民間との格好の交流の場である総合祭の賛成派に回ったのだが、
彼は理詰めで(しかも自分の真意を明かさないようにしながら)総合祭の利点を示すばかりではなく、
防諜重視派の反対を封じ込めるために自ら具体的な行動を続けた。

  例えば東条が組みあげてきた無線による分隊規模(一部では個人規模)の連携システムを応用し、
簡潔に言えばBOB時の防空体制を、そのまま祭の警備体制に置き換えて使う事を提唱、
部下には無数の人ごみの中から1人の人間を見つけ出す訓練などを徹底して行った。

  また、これまでも対ソ防諜で活躍していた日本正教徒を非公式ながら祭の監視シフトに組み込む事を提案、
"パンフ的"同人誌の作成に気炎を上げていた一派を丸め込んでスパイ密告を奨励するポスターを描かせたりと
(出来上がったポスターが"撫子たん"《
>>211-215
》の着替えを盗撮する白人と中国人、という絵であった時は、
流石の村中も閉口するしかなかったらしいが)、派閥の壁を越えた働きかけも各所に行った。

  これらの超人的な努力によって総合祭の警備計画は必要十分なものであると認められる事になり、
ついでに諜報部の中では目的達成のために手段を選ばない行動に「村中的」というローカルな別名が付けられた。


  さて、国民に対する自分達の知名度が上がれば(何しろ最近の大勝利、ハワイ沖海戦は海軍が立役者だった)、
次期の予算獲得も捗ると踏んだ陸軍上層部、祭りが好きな下士官兵、趣味の世界に浸る一部集団など、
様々な人々とその思惑が入り混じって開かれたこの祭だが、陸軍がこの祭を大成功と考えていた一方で、
意気揚々と祭会場に乗り込んだスパイ達もまた思わぬ収穫に大満足だった。


「日本軍は最前線まで糧食が行き届くよう気を配っている。
  指揮官が独断先行でもしない限り、急激な進出は無いだろう」

「模擬授業で占領地政策の授業を聞いて来れたぞ。
  一部とはいえ彼らのノウハウを直接耳で聞けるのは大きい」

「現用の戦闘機、戦術爆撃機も沢山露出していた。しかも撮影規制が緩く、
  観衆も普通にカメラを持ち込んでいたからそれに紛れて資料を集められたぞ」


「「「全く、日本も油断しすぎじゃないのか???」」」


  ……しかし、彼らはそれが大きな勘違いであるという事をついに知る事は無かった。
彼らスパイは、防諜ネットワーク、正教徒ネットワーク、また来場者ネットワークなど様々な所から、
しかも本人は全く気が付かない内に丸見えになっていたのである。油断しすぎなのは彼らだった。
488. 名無し三流 2011/10/21(金) 22:10:51
  さらに悪い事には、日本の防諜は実力行使(スパイを捕らえに行くなど)は割と少なく、
『スパイの行動を上手くコントロールして、スパイが自分達に都合の良い情報を得るようにさせる』
などのより悪質な手段を取る事が多かったので、彼らはその油断を改める事は無かった。

  この時村中らが調べ上げた敵スパイの個人情報は『鴨一覧』という、
『BAKA  BOMB』もかくやというありがたくないコードネームを付けられて活用され、
折を見ては欺瞞情報を掴まされるなどして、本国からも役立たず扱いされてしまう事になる。
何しろこの総合祭に釣られた者達はその間急速に進んでいた原爆実験の準備や、
帝国軍における新型中戦車、世界初の実用ジェット戦闘機の配備など、
本国にとってもっと重要な話題に関する情報を収集できなかったのだ。

  一方で村中らはこれらの功績によって陸軍内のみならず、海軍でも一目置かれるようになった。
これも彼の『親夢幻会過激派』の組織拡張に一役買ったのだが、それはまた別の話……



  さて、スパイ退治(というよりはスパイ苛めか)に大いに役立った総合祭は、
陸軍内の兵士達の融和という嬉しい副産物をももたらしていた。
総合祭には有志の軍人による出店を出すスペースも存在したが、
同人誌系の出店は自重する者もいたため比較的少なく、
かわりに郷土パワー爆発とばかりに郷土料理・工芸の店が軒を並べ、
違う地方出身の兵同士が仲良くなる格好の場ともなった。

  その上、開催地の関係から自然と関東、名古屋、関西など、
いわゆる都会の客が多くなったが、来場客らは皆目新しい田舎の料理を喜んで口にし、
何と郷土料理系出店の全売り上げは、総合祭全体の収入の4割を占めていたのだ。
(他は戦車の試乗料や陸軍グッズの売り上げ、寄付金など。)

  後に大阪で日本、アイヌ、台湾、福建、ロシアの伝統料理が一同に会した一大イベント、
『亜細亜郷土料理祭』が開かれるのだが、これはこの時の帝国陸軍総合祭において、
自分達の郷土料理が都会からの来場者に思わぬ人気を博していた事に驚き、
地方出身者が「いける!!」と何かの自信をもったのが始まりだと言われている。
489. 名無し三流(このレスでおしまい) 2011/10/21(金) 22:11:21
  この軍隊による民間人まで巻き込んだ祭典、という試みは後に海軍でも行われ、
こちらは『帝国海軍感謝祭』という名前で人々に親しまれる事となった。

  感謝祭という名称は、陸軍と同じ総合祭だと芸が無いという意見と、
何かと金がかかる(陸軍も同じなのだが…)海軍が維持されているのは、
納税者である日本国民のおかげなのだから、それに感謝をするという意味で、
感謝祭にするべきだという2つの意見が合流して付けられたものだ。


  ちなみに欧州だが、欧州でこのような開放的な祭典が行われる事はなかった。
まず何よりもそんな道楽にかける余裕が無いというのと、情報流出を恐れる意見の方が勝っての事だった。
時の総理大臣嶋田繁太郎は、「何だよ、向こうは閉鎖社会MAXかよ……」と呟いたと伝えられている……


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